No.571600

フェイタルルーラー 第八話・王都奪還

創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。死体表現、流血・グロ描写あり。19539字。

あらすじ・ノアからの伝令を受けたレニレウス王カミオは、国のためにネリアの軍門へ降る決意をする。
神殿遺跡でリザル、ローゼルの兄妹に遭遇したエレナスとノアは、セレスを救出するために王都ブラムへと向かう。
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2013-04-30 20:51:02 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:504   閲覧ユーザー数:504

一 ・ 王都奪還

 

 レニレウスの王都エレンディアに伝令が届いたのは、晴れた日の明け方近くだった。

 息も絶え絶えな白い鳩を寝室のベランダに見つけ、王が手ずから拾い上げる。

 

 鳩の脚を確認すると、小さな書簡が結び付けられていた。

 羽根を傷めないように書簡をほどき中をあらためると、そこには見覚えのある字で走り書きがされている。

 書簡に目を通し立ち上がると、王は紙片を暖炉に焼き捨てた。外側を蝋引きされた書簡は、赤い炎を上げて燃え尽きていく。物憂げな目で灰になるのを確認すると、呼び鈴を鳴らし侍従を呼んだ。

 

「お呼びでございますか」

 

 深々と礼をする老いた侍従に王は一言、将軍を呼べとだけ呟いた。

 程なく現れたユーグレオル将軍を執務室へと通し、彼は書簡の内容を伝える。

 

「ノアからの伝令が届いた。ダルダンはすでに教団の手に落ちているようだ。王都ブラムの状況が判明次第、続報を寄越すそうだ」

「これからどうなさいますか。教団に表立って動き回られると、こちらとしても奴らに手を出しにくくなりますが」

「仕方あるまい。ネリアに使者を立てる。王器も無い今、こちらだけでやれる事は限られている。あの若造に力を借りるなど癪だが打つ手も無い」

 

 すでに明けの明星も過ぎ去り、早朝の風を入れようとカミオは窓辺へ寄った。

 目の端にちらりとどす黒い煙が入り、彼は驚いて窓を開けた。

 

 そこには遥か遠く、森が焼け広がる光景があった。

 燃え盛る炎は木々を嘗め尽くし、くすぶる黒い煙が天を焦がす。

 

「教団め……。黒森を根こそぎ焼き払うつもりか」

「すぐ消火に当たります」

 

 将軍は急ぎ退出しようとしたが、カミオはそれを止めた。

 

「待て。あれは陽動だ。消火活動に割く人員は最小限にし、ダルダンへの国境をわざと開いておくのだ。恐らくダルダンにいる本隊のために、こちらの気を引いているのだろう。ならばそれ相応の意趣返しをせねばなるまい」

「了解致しました。残りの兵力はいかがなさいますか」

「出撃体勢にて待機させておけ。ネリアの使者には私が自ら向かう」

 

 カミオの言葉に将軍は仰天した。

 

「大国レニレウスの王ともあろうお方が、何も格下のネリアへ直接足を運ばずともよろしいではありませんか」

「いや、こういう時は直接出向く方が効果的なのだ。それにネリアの国力をこの目で確かめたいのもある」

 

 いたずら好きの子供のようにカミオは笑った。

 言い出したら他人の言葉を聞かない王に、将軍は深いため息をつく。

 

「貴方様は、子供の頃からお変わりありませんな。乳兄弟として育った私でも、たまに呆れるほどです」

「そう言うな。腹を割って話せるのはお前くらいしかいないのだからな」

「仕方の無いお方だ。では腹割りついでにひとつだけよろしいですか」

「何だ? 改まって」

 

 将軍の神妙な面持ちにカミオは疑問を返した。

 

「ノア様の事をどうするおつもりです? あの方は何もご存知ない。ご自分の出生についても、お父上がどなたなのかについても」

「……真実はいつでも必要な訳では無いのだ、リオネル。知れば無関係ではいられなくなるからな。教団の目を欺けるうちは、何もするつもりは無い」

 

 窓の外に目を向けたままカミオは答えた。

 

「我々は出来る限りの事をするだけだ。先触れの準備と指揮を頼むぞ」

 

 主の言葉に将軍は敬礼をし、そのまま部屋を退出した。

 カミオは遥か遠い北の空をひとしきり見つめると、静かに窓を閉じた。

 

 

 

 ゴズ鉱山に放っていた斥候からの情報により、ダルダン軍は翌日未明に鉱山を急襲した。

 死人兵が多数残っていたにも関わらず、情報通り指揮官であるはずの敵司祭の姿は無い。

 

 それどころか動いているもの全てが生命の無いものたちだ。

 生ける屍の姿はそれぞれだったが、その多くは鉱夫と教団最下位である修道士である。

 

 戦場に漂う、むせ返る死臭にギゲルは辟易した。

 屍となってかなり時間が経っているのか、彼らの肉は崩れ、骨が剥き出しになっている。半ば白骨化した者は皮膚が骨に張り付き、或いは破れた外套のように風にはためく。

 この世とは思えない光景に、誰もが嫌悪を覚えた。その場に兵士たちを留めているのは、ただ軍人としての誇りと強固な意志だけだ。

 

 敵軍の指揮官が不在なために、ダルダン軍は最も執りたくなかった殲滅戦を強いられる結果となった。

 術師によって操られてはおらず、統率されていない状態だけがダルダン軍にとっての救いだったといえる。

 

 鉱山を攻め落とすのは、統率された正規兵であっても難易度が高い。入り組んだ坑道や高台が多く、射掛けられれば近付く事すらままならないからだ。

 だが統率者を失った屍たちは意思も持たない状態で、てんでばらばらに突撃を繰り返すのみだった。

 戦法も戦術も無い、烏合の衆がダルダン軍に敵う訳もない。死人兵を各個に撃破し、およそ半数以下に減らしたところで、ギゲルは別働隊に指示を出した。

 十数人で構成された小隊は屍の山をかいくぐり、鉱山内にある巨大な倉庫へと接近する。

 

 警備すら無い倉庫に侵入するのはたやすい。彼らは扉付近に誰もいないのを確認すると入り口に火薬を仕掛け、導火線を伸ばして点火する。

 轟音を立てて巨大鉄扉は吹き飛び、漂う硝煙のただなかを小隊は突入した。

 

 内部にいたのは教団に捕らえられ、最小限の食事で生かされていた鉱夫や村民たちだ。誰もが声さえ出せず床に転がされているが、その目はまだ死んでいない。

 突入小隊が鉱夫たちを救出し終える頃には、死人兵はあらかた片付き、坑道内部の掃討作戦に入っていた。

 捕虜の奪還にギゲルは深く頷いた。糧食も残りわずかだが、神器ある今、志願兵を募れば十分に戦えるだろう。

 

「聞け! 皆の者。明日夕刻より我が軍は王都ブラムへと進撃する。ガルガロスに残る民の分を差し引けば、往路の糧食と水を積むのがせいぜいだろう。王都を奪還出来なければ、民にも明日は無い。己の誇りと魂を賭けられる者は、明日の日の入り前に城門前へ集合せよ」

 

 王器を返上し、すでに王としての資格を失った旨を、ギゲルは全ての民へと伝えていた。それでも民衆はギゲルを彼らの王としてあり続ける事を望み、彼もそれに応えた。

 強固な意志で結ばれた思いは、何をもってしても断ち切れない事を、彼は証明して見せた。

 

「いざ王都へ! 誇りと魂を取り戻すのだ」

 

 ギゲルの咆哮に兵たちは呼応した。

 彼らの雄叫びは鉱山に響き渡り、暗い星空へと吸い込まれていった。

二 ・ 生命の環

 

 青白い月が天から睨め付ける中、巨木がそびえる大広間でエレナスたちは火を囲んでいた。

 

 エレナスとリザルは押し黙り、彼らの代わりにノアとローゼルがいきさつを交わす状態だった。

 勿論ノアは自らの身分を隠し通し、ブルン村でエレナスと偶然出会い、死人兵から助けられた行商人という事にした。

 

「あなたたち、よく無事だったわね。私なんて生きた心地がしなかったわ」

 

 ノアの話を聞き、ローゼルは深くため息をついた。

 

「あら、あたしは今でも生きた心地がしないですけど。だってここ、人の骨だらけじゃない。気味が悪いわ」

 

 諜報員という素顔を隠し、いけしゃあしゃあと言えるものだとエレナスは思った。

 ここで出会った二人がセレスの父親とその妹だというなら、二人ともネリアの王族であり、軍人だ。レニレウス側の国境を閉ざし、ダルダン側からセレスを捜しに来たとなれば、本格的に戦争が始まるのかもしれない。

 

「王都ブラムは完全に教団によって支配されていたわ。追い詰められて城壁から落ちた時、大きな鳥が私と兄を受け止めてくれて助かったの。その鳥が飛び去った後を追っていたらここに辿り着いたってわけ」

 

 焚火に酸素を送り込むようにローゼルは火をかき回した。

 小さな炎は一瞬ぱっと燃え上がり、火の粉を散らしながら輝きを増した。

 

「でもこの遺跡は何なのかしら。骨がこんなにあるなんて、古戦場の跡でもありえないわ」

「……ここは古代アドナの神殿だったんだと思います。神殿入り口と廊下のレリーフが物語っている」

 

 ローゼルの言葉にそれまで押し黙っていたエレナスが答えた。彼はそのまま立ち上がって祭壇まで進むと、暗闇の中ぼんやりと光を放つ碑文へと目を向ける。

 人の背丈ほどもある緑柱石の碑文には、エレナスでも所々しか読めない古代文字がぎっしりと刻まれていた。

 以前読んだ文献にこれと似た記述を思い出し、彼は碑文を眺めながら再び押し黙った。

 

 エレナスと同じようにローゼルも立ち上がり、彼の背後へと近付いた。ローゼルの目線が碑文から下の台座へと移り、彼女は驚きの声を上げた。

 その声にリザルも振り返り、立ち上がって妹の傍へと歩み寄る。

 

「お兄様、見て。この外套、クルゴス様の物じゃないかしら」

 

 妹が拾い上げた埃まみれの外套にリザルは目を見張った。

 確かにそれは、フラスニエルが以前クルゴスへ贈った品だったからだ。王から贈られた仕立ての良い外套を随分と大事にしていたというのに、何故この場所へ脱ぎ捨てられているのか。

 

「クルゴスがここに来たと言う事か……? だが物盗りのようにも思えないし、そもそも本人の姿が無いのはどういう事だ」

 

 外套のポケットには、クルゴスの財布がそのまま残されている。仮に自害したのだとしても、その遺体すらここには無い。

 

 辺りを見回していたリザルの目は、不意に碑文へと吸い寄せられた。

 柔らかい緑色の光を放ち、碑文は誘うように彼の目をとらえる。

 

 触れてみたい衝動にかられ、リザルはふらふらと碑文へ近付いた。

 手を伸ばし、指先が碑文へ触れる直前に、手首を掴まれ彼は現実へと引き戻された。

 

「だめです、触っては」

 

 引き止めるエレナスの剣幕にリザルは驚いた。

 それと同時に何故この碑文に触れようとしたのか、自分自身理由が解らず彼はその場に立ち尽くした。

 

「所々しか読めませんが、この碑文を音読し触れた者は、不死者になると記されています。ただ有限生命から生まれ変わる苦痛に耐え切らなくてはならない。その際に命を落とす者がほとんどでしょう」

「……これに触ると死ぬという事か」

「ええ。現にここに転がる白骨は、そうした者の成れの果てでしょう。或いは歴史学者、或いは不死を得たい者。中には盗賊なども、いたかもしれません」

 

 仄かに光を放つ碑文は、何事も無かったかのようにそこに佇んでいる。

 碑文によって死んだ者の養分を巨木が吸い上げ、更に巨木を目印として人が現れる。どれ程の刻を経ているのかは分からないが、そうして生命の環を廻して来たのだろうか。

 

「ではクルゴスはこれに触れて、生き残ったとでも……。まさかそんな、そんな事がある訳が」

「それは俺にも分かりません。ただここに記されている不死者とは、恐らくアドナ神の代わりに大陸を管理する者……。アドナの代行者なのだと思います」

 

 緑色の碑文には触れないよう、エレナスは祭壇の周囲を調べて回った。何故あのカラスはここへ導くように彼らを呼び寄せたのか。

 祭壇に祀られているのが神像では無く、碑文である神殿など過去の文献にすら登場しない。

 

 神殿という言葉で、エレナスは殺された密猟者の話をふと思い出した。

 教団は王都ブラムを占拠したのち、神殿を手に入れると言っていた。ならばこの地は、彼らにとって聖地とも言える場所なのかもしれない。

 だが今は、セレスの救出が先だ。

 この神殿も気に掛かるが、セレスを助け出してネリアへ送り届けなくてはならない。

 

「俺はこのままセレスを攫った老人を追おうと思います。あの子が攫われたのは俺の責任。必ず助け出してネリアまで送ります」

 

 リザルとローゼルにそう告げ、エレナスは天を仰いだ。

 月はまだ高い。今から出発すれば王都への距離を稼げるだろう。

 

「……さっきも言った通り、王都は死人兵が山のようにいるのよ。それでも行くと言うの?」

 

 ローゼルの言葉にエレナスは強く頷いた。

 

「きっとセレスが待ってる。独りでも行かなくては」

 

 出発の準備を始めたエレナスに、ノアも身支度を始めた。

 

「オレも行く。セレスはオレの子だ。息子を助けられなくて何が父親だ」

 

 同様に用意を始めた兄に、ローゼルは驚いた。

 

「お兄様! 気持ちは分かるけど、私たちの力では、死人兵を排除するだけでも難しいのよ。ダルダン王のご無事を確認出来ない今、一度ネリアへ戻るべきだわ」

「……大丈夫です。俺はブルン村でダルダン王にお会いしました。あの方はご自分の領地を取り戻す戦いをされていた。いずれ王都にもお戻りになられるでしょう。それに」

 

 エレナスは鞘から剣をすらりと抜いた。雲に隠れた月明かりの下で、神器の剣は仄かに光を放つ。

 

「この剣があれば、わずかながら死人兵を倒せます。夜の闇に乗じて忍び込めば、セレスを助け出せるかもしれない」

 

 その言葉に、誰ともなく頷いた。

 四人は身支度をし、焚火を消して宵闇の中、王都へと旅立つ。

 後には鬱蒼とした巨木だけが、月光を反射してそびえ立っていた。

三 ・ 鈴の音

 

 神殿遺跡を後にしてから二日後、エレナスたち四人は王都ブラムへと辿り着いた。

 

 昼は眠り、夜はひたすら歩き続けて、彼らは一路王都を目指した。

 遺跡を出てからというものの、警戒されているのか教団員が彼らの潜んでいる横を通り過ぎて行く事も幾度かあった。

 

 仮にも一国の王都を占拠するなど、常人では考えも及ばない。それほど大それた真似をするなど、大陸全土を敵に回す自信があるか、捨て身かのどちらかだ。

 もし狂人であったなら、緻密に計算し尽くしている悪人よりもたちが悪い。

 護るべきものがある人間は強くなれるが、護るべきものを失った人間は背後を振り返る事もなく、常に最大限の力で攻撃を加えてくるのだ。

 

 宵闇の中、人間の目でも王都を確認できるぎりぎりの位置で、彼らは思案した。

 ノアの地図によると王都への侵入経路は正門、裏門、山脈側から水を引いている水路の三箇所だけだ。

 正門と裏門は警戒が厳しく、とても忍び込める状況ではない。

 

「やはり水路から行くしかないだろうな……。水路なら主要建造物内には通じているはずだ」

「問題はセレスがどこにいるか分からない事ね。監禁するにしても、城内なのか街なのかにもよるわ」

 

 リザルとローゼルが侵入手順を模索している中、エレナスは落ち着かない様子で辺りを見回していた。ふと東の空を見つめ続ける彼に、ノアが怪訝な顔をする。

 

「どうしたの? 不安なのは分かるけど、あんたらしくないわね」

「いや……。そうじゃない。聞こえるんだ、軍馬の音が」

 

 ノアには何も見えず聞こえもしなかったが、真剣なまなざしで東の地平線を睨むエレナスに、彼女はダルダン軍が迫りつつある事を悟った。

 

「俺たちは作戦の通り、水路から侵入しよう。ダルダン王はご自身の威信を賭けて、正面から仕掛けるつもりなのかもしれない」

「上手くいくといいわね」

「きっと上手くいくさ。セレスが気付いてくれれば……大丈夫だ」

 

 夜が明ける前に、四人は王都の西側へと移動を開始した。

 敵に悟られないように侵入するのに更に一日をかけたが、水路周辺は門や楼台が無いためか警備もいない。

 

「無用心な奴らね、教団って。あたしのような行商人ですら、水路は恰好の侵入経路だと思うわ」

 

 ノアは腰のポーチから素早く粉末火薬を取り出すと、水路にはめこまれている鉄格子に撒き火を点けた。

 小さな爆発音と共に鉄格子は根元から破れ、一人がようやく通れる程度の隙間が開く。

 

「最近の行商人は火薬を常備して発破までこなすのか。世も末だな」

 

 驚くリザルに、ノアはこれ以上はない笑顔を向けた。

 

「あら。この程度は嗜みですわ」

 

 呆然とする三人を置いて、ノアは先に水路への階段を降りる。

 硝煙の漂う中エレナスたちも後へと続き、彼らの姿は暗がりへと消えていった。

 

 

 

 王都へ連れて来られて何日経っただろうか。

 監視される日々にも次第に慣れ、セレスはその大半をベレンと過ごした。

 

 むやみに機嫌を取るでもなく、少し離れたところから見守る様は、まるで父親のようでもある。

 父と暮らした事の無いセレスにも、父親という存在がどういったものか理解できつつあった。不器用な父と子は、お互い相手にどう接していいか分からないまま、これまですれ違って来たのだ。

 

 ここを出る日が来たら。父と話をしてみようとセレスは思った。

 ただそうなる時は、王都から教団が排除される時でもある。その日が来たら、ベレンはどうなってしまうのだろう。病気を患った息子のために教団に身を置く彼も、やはり罰を受けるのだろうか。

 

 それでも生きてさえいれば、ベレンも息子と再会できるだろう。

 見も知らぬ同い年の少年にセレスは思いを馳せた。どうか幸せになって欲しいと、気付けばふと祈りを捧げていた。

 

 夕食を終え、いつものようにベレンと話をしていると、突如城内が騒がしくなった。

 怒号が飛び交い、武装した足音が廊下に木霊する。

 何事かとベレンが外の見張りに尋ねている間、セレスはそっとベッドの脇へ寄った。荷物と外套を手繰り寄せ、いつでも部屋を出られるよう準備をする。

 

 戻って来たベレンは不安そうに見上げるセレスに、大丈夫だと微笑みかけた。

 その時壁に何かを打ち付けるような轟音が夜空に響き渡り、セレスは辺りを見回した。

 

「正門前にダルダン軍が来ている。門を打ち壊そうとしているようだけど、君は私が護ってみせるからね」

 

 セレスの頭を撫でると、ベレンは足早に部屋を後にした。

 

「うるさくなるかもしれないけど、君は寝ていなさい。大丈夫、すぐ終わる」

 

 すぐ終わるとはどういう意味なのだろうとセレスは思ったが、小さく頷いて彼はベッドへ入った。

 枕に頭をうずめると、こつりと当たるものがあった。神器の鈴だ。いつもなら少しずらして眠るのだが、ダルダン軍が来ていると言われると寝付けそうにもない。

 鈴を枕の下から取り出すと、セレスは何気なく振った。やはり彼の耳には何も聞こえず、鈴は無音のまま揺れているだけだ。

 

「お兄ちゃん……」

 

 エレナスを思い出し、セレスは更に鈴を鳴らした。

 夜の暗がりで鈴は淡い光を発しながら、静かに揺れ続ける。

 

「もしいるなら、ぼくを見つけて。ぼくはここにいる」

 

 門を打つ音はすでに止み、外からは武具の鳴る音だけが激しく鳴り響いていた。

四 ・ 殉教者

 

 王都ブラムの水路は、王城と市街に行き渡るよう設計されていた。

 荒野に佇む都市でありながら、水の都と称されるほど噴水や水路が連なり、小規模ながら上水道と下水道も造られている。

 市街はまるで湖上に建設されたかのように石橋で区画整理されており、その優美さは見る者の目を惹きつけた。

 

 エレナスたちはその地下水路を進んでいた。

 石工や技師が点検を出来る程度の広さしかない水路は、一人で進むのがやっとだ。

 網の目のように張り巡らされてはいるが、曲がり角が現れるたびに行き先を記した表示板が置かれ、位置の把握だけは容易だった。

 

「まず王城へ向かいましょう。監禁をするなら城の地下牢か、それに準ずる小部屋があるはずよ」

 

 頼みの綱であるノアの地図も、さすがに城の見取り図までは無い。もし持っていたとしても、城内の見取り図など機密事項なのだから出す訳もないのだが。

 

 地下水路から王城の地下へと入り、慎重に進みながらエレナスは様子を窺った。

 武具の鳴る音や怒号が聞こえるのは、侵入に気付かれてしまったからなのか。

 走り去る武装集団をやり過ごすと、突如壁を打つような鈍い音が轟いた。遠く南側から聞こえてくるのは、正門を打ち壊そうとしている戦槌なのだろう。

 

「ダルダン軍かもしれないわね」

 

 ローゼルが小さく呟いた。その言葉に小さく頷き、エレナスは階段を駆け上がる。

 不意に微かな鈴の音が聞こえた気がして彼はふと足を止めた。

 

「どうしたの? 急に立ち止まって」

「いえ……。鈴の音が聞こえた気がして」

 

 気のせいだろうか。 辺りから人の気配はしない。

 地下から階段を昇った廊下は厨房の横にあり、更にその奥には上階へ続く階段が見える。

 

 何かに導かれるようにエレナスは昇り階段へと寄った。上階からは物音ひとつしない。

 再び鈴の音がした。ちりんちりんと頭に響くあの音には覚えがある。

 

「セレス……。セレスが呼んでいる」

 

 エレナスは後ろも見ずに駆け出した。

 弾かれるように飛び出したエレナスを引き止めようと、三人は急いで追いかけた。

 

「だめよ! 一人では危ない」

 

 背後から聞こえる声を振り切り、エレナスは薄暗い廊下を疾走した。

 途中見張りらしき男を数人見かけたが、剣を収めたままの鞘で容赦なく殴り倒し走り続ける。

 

 廊下の突き当たりに厳重に錠を下ろされた扉が現れ、エレナスはこれがセレスのいる部屋だと直感した。

 扉前にいる見張りの男を気絶させると懐を探り、部屋の鍵を引っ張り出す。

 

 幾重にも巻かれた鎖に下げられた鋳鉄製の錠前は、はずすだけでもひどく時間を要した。

 ようやくはずし終え扉を開けると、そこにも白い法衣を纏った男がいる。

 

「セレスはどこだ!」

 

 エレナスの剣幕に動じもせず、男はその場に立ちふさがる。その手には武器ひとつ無く、丸腰のままだ。

 男を振り払おうとエレナスは掴みかかった。不意に鈴の音が耳に届き、彼は音のする方向を見やる。

 

 奥の暗闇から姿を現したのは、鈴を握り締めたセレスだ。

 セレスは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに目を涙で潤ませエレナスに飛びついた。

 

「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」

 

 泣きじゃくるセレスを受け止めて、エレナスはその頭を撫でた。

 

「ごめんな、遅くなって。君の父さんも来てる。早くここから出よう」

 

 急いで部屋から出ようとするエレナスの袖をセレスが引っ張った。

 

「待って。お兄ちゃん。ぼく、このおじさんも一緒に連れて出たいんだ。この人はずっとぼくの世話をしてくれたんだけど、ここにいたらきっと殺される」

 

 セレスが指し示す先には先ほどの法衣の男がいた。

 丸腰にも関わらずエレナスに対して、セレスを護るように立ちはだかっている。

 白い法衣を纏っているという事は、明らかに教団員だ。だがこの男の目はまるで殉教者のようにも見える。それも狂った教義に対するものではない。自らの信念に殉じているのだ。

 

「分かった。一緒に行こう。あなたの名前は?」

「……ベレンと申します」

 

 丁寧に挨拶を返すベレンに、エレナスは他の教団員との異質さを彼に感じた。

 セレスが外套を羽織りカバンを肩から提げると、彼らは部屋を後にする。

 ちょうどそこへリザルとローゼル、ノアが追いついた。

 

「セレス! 無事だったか……」

 

 強く抱き締めるリザルに、セレスは苦しそうにもがいた。

 

「お父様、痛いよ……。それよりも早く行こうよ」

「そうね……でもすんなり帰してはくれないみたいだわ」

 

 ノアの言葉にエレナスは廊下の奥を見た。

 先ほど殴り倒した連中が呼び寄せたのか、武装した集団がこちらへ向かって来ている。

 長い廊下は一本道で、逃げ込めるような場所は無い。セレスが監禁されていた部屋は窓も無く、戻れば篭城を余儀なくされる。

 

「厳しいな……。突破するしかないのか」

 

 思案している間にも教団員たちは距離を徐々に詰めてくる。

 誰もが覚悟を決めた時、それまで黙り込んでいたベレンが口を開いた。

 

「あの……。ひとつだけ、抜け道があります。ただ教団の者は誰でも知っている通路なので、絶対に安全だとは言えないのですが」

 

 ベレンはそう告げると、部屋へと戻った。

 監禁部屋の隣室へ入ると書棚を動かし、壁に見える扉を押し始める。

 果たしてそこには下へと続く通路がぽっかりと口を開けていた。遥か底まで伸びているのか階段が下まで続いている。

 

「ここから裏門の近くまで出られるはずです」

 

 彼らにはすでに考えている暇さえ無かった。

 道を知るベレンを先頭にセレスとエレナスが続き、しんがりはリザルが務めた。念のため内側から扉を閉め、彼らは遠く暗い闇の底へと降りていった。

 

 

 

 筒状の空洞内に掘り込まれた長い螺旋階段を降り切ると、玄関ホールのような小さなフロアへ辿り着いた。

 石壁の向こうには木製の扉があり、ようやく王都から逃れられると皆安堵した。

 

 その時。

 

 扉がゆっくりと開かれ、内部へと入って来る影があった。

 驚いたエレナスが剣を抜き近付くと、それは左腕の無い小さな人影に見える。

 

「おお、また会えたのう。僥倖じゃ。僥倖じゃ」

 

 にたりと嗤うその顔は、セレスを攫ったあの老人司祭だ。その左腕はすでに壊死を始め、ぼたぼたと白い蛆を滴らせている。

 ベレンは老人の姿に怯え、自らの背後にセレスを隠した。老人はゆっくりとベレンを眺めると、歯をむき出して威嚇した。

 

「貴様……。小僧が鈴を持っているのを知りながら隠していたな。このわしに盾突くつもりか。その鈴を寄越せ!」

 

 老人は猿のように素早く飛び掛かり、右肘でベレンを突き飛ばした。返す手でセレスへと斬り掛かると、鈴を持つ右手ごと落とそうと神器を振るった。

 

「やめろ!」

 

 エレナスの叫びも虚しく、彼の剣は老人をとらえ損ねた。

 老人の刃がセレスへと達するその時。

 突き飛ばされたはずのベレンがセレスの前に立ちはだかり、その首元へと老人の一撃を受けた。

 彼が倒れた床には生暖かい血溜りが浮かび、苦しそうなベレンの息遣いだけが耳に届く。

 

「おじさん……? おじさん……死んだら、いやだ……」

 

 微かに息をするベレンの傍に膝をつき、セレスは彼の喉元に手を当てた。セレスの小さな指からは刻々と命がこぼれ、とめどなく流れ落ちる。

 震える青ざめた唇から、ぽつりぽつりとベレンは最期の言葉を吐き出した。

 

「君に……謝らなくては。本当は、ねえ。息子はもう、この世にはいないんだ。三ヶ月前に病死して……私はそれを受け入れられなかった。君を見ていたら、息子が戻って来た気がして……本当に幸せだった。私の身勝手な感情を押し付けてしまって、君には申し訳ない事をした……」

 

 徐々に小さくなっていく呼吸に、セレスは涙を流した。

 

「いやだよ……おじさんは、大切な事をぼくに教えてくれたんだよ……だから」

 

 いまわの際に、ベレンは嬉しそうに微笑み、涙を浮かべた。

 それきり目を閉じ息を吐くと、彼が再び呼吸をする事は無かった。

 

「人の命など儚いものじゃ。悲しむ必要などないぞ」

 

 セレスが泣き崩れる中、血に濡れる刃をきらめかせて老人はうそぶいた。

 

「見ておれ。命など、この程度のものじゃ」

 

 老人は手にしたナイフを手許で軽く振るった。

 その瞬間、ベレンの遺骸はむくりと起き上がり、まるで糸で操られた人形のようにふらふらと歩き出す。

 喉からは未だ鮮血が滴り落ち、彼の白い法衣を深紅に染め上げる。目はぐるりと天を向いて口を開き、腕は力無くだらりと垂れ下がった。

 

「貴様!」

 

 絶叫に老人が振り向くと、そこには神器の刃が迫っていた。老人は咄嗟にナイフで受け流すが、エレナスの力に押され、がくりと膝をついた。

 その隙にエレナスはベレンの呪縛を解き、再び彼を永遠の眠りへと返した。

 振り返り様に老人を睨むエレナスの青い瞳は、激しい怒りに支配されている。

 

「人の命を、魂を弄ぶな! 俺はお前を、絶対に許さない」

「ほう、ではどうするかね。わしを殺してみせるか?」

 

 楽しそうに笑い声を上げる老人に、エレナスは言葉も無く飛び掛かった。

 冷静さを失った刃を、老人は易々と躱していく。

 

「ほれほれ、そんな事ではわしを殺せぬぞ。わしが正しいか、お前さんが正しいか。やれるものなら、わしを否定してみせい!」

 

 老人の挑発にエレナスはますます逆上した。

 そうしている間にも刻々と時が過ぎ、南側の喧騒は徐々に収まりつつあった。

 エレナスの攻撃を受け流すだけで何もしない老人に、ローゼルは辺りを見回した。扉の外から、不気味なざわめきが響いてきている。

 

「まずいわ。あの司祭、時間を稼いでいる」

 

 その言葉が届いたのか、老人はローゼルを見るとにやりと笑った。

 

「もう遅い。今頃ダルダン軍は我らの死人兵に食い尽くされているじゃろう。一体や二体なら神器でも術を解けるだろうが、数倍を上回る部隊数をぶつけられては、ひとたまりもあるまい。神器を破壊せぬ限りはな」

 

 エレナスの強烈な剣撃を受け止めながら、老人は嬉しそうに口角を歪めた。

 見れば外へ通じる扉からも死人兵が入り込み始めている。今にも腐り落ちそうなものから、死んでそれほど経っていないものまで様々だ。

 それらは一様に白く濁った眼球をむき出し、五人へじりじりと迫った。

 

「さあ、お前さんたちに勝ち目は無い。いい加減諦めるんじゃな」

 

 その瞬間。

 

 老人の持つナイフに亀裂が入り、音を立てて根元から砕けた。

 驚く彼の目に入ったのは、澄んだ音を響かせながら床へ落ちる刃の破片だ。それはすでに輝きを失い、闇の中、ありふれた金属へと姿を変える。

 

「バカな! わしの神器が……」

 

 刃に一瞬目を落とした刹那、エレナスが接近してくるのを老人は見落とした。

 視線を引き戻した中に見えたものは、一筋の輝く軌跡だ。

 

 エレナスの刃が老人を捕らえ、血煙が上がる。

 老人は反射的に身体を引いたが、躱し切れずに絶叫し、顔を抑えて床へと転がった。

 

 神器の剣が放った一撃は、老人の耳を削ぎ、左目をも抉り裂いていた。

 

 操っていたナイフが破壊されたためか、迫りつつあった死人兵はその場に崩れ落ち、ぴくりとも動く事は無かった。

 事切れた屍たちは静寂に返り、うめき転がる老人とエレナスたちだけが残された。

 

「神器は神器で破壊出来るのか……?」

 

 数日前、自らも司祭と交戦したリザルは、神器を破壊しようとした事を思い出した。

 石床に叩きつけても傷ひとつ付かなかったものが、これほどたやすく砕けるとは思っていなかったのだ。

 

「今のうちだわ。外へ出てダルダン軍と合流しましょう」

「……だめだよ、叔母様。おじさんを置いていけない」

 

 エレナスは泣きじゃくるセレスを宥めて立ち上がらせ、リザルへと預けた。

 彼自身、神器を破壊した今でも動揺が収まらなかった。左目を奪われた事で戦意を喪失したのか、老人は未だうめき声を上げながら床に転がっている。

 

「そうね、早くここから脱出しましょう。あたしもこの状況を報告しなくてはならないし」

 

 リザルとローゼルはセレスを抱えながら扉の外へと出た。後にはノアが続き、エレナスが最後にその場を去ろうとした。不気味な声にふと背後を振り向くと、老人は未だ床に転がっていた。

 老人はうめき声を上げ床を這いずっていたが、その声は呪詛のようにエレナスの耳に届く。

 

「殺してやる」

 

 抉れた眼窩をエレナスに向け、老人は涎を垂らしながら呟いた。

 

「必ず、殺してやる。必ずじゃ。我が名はメネル。お前を殺す者の名じゃ。覚えておけ」

 

 老人の狂った高笑いにエレナスは戦慄した。

 ノアの呼び声に気付き、彼は笑い続ける老人を背に、走るようにその場を後にした。

五 ・ 決別

 

 ベレンを失いながらも、五人は王都ブラムの外へと出る事が出来た。

 

 扉の向こうには更に昇り階段があり、それは王都裏門脇にある兵士の詰所内部へと続いている。

 詰所には人の姿は無く、彼らは慎重に楼台の窓から王都の様子を窺った。そこから見える光景に、誰もが目を見張る。

 

 劣勢なのはダルダン軍ではなく教団側だった。

 ダルダン軍の先頭に見えるのは、青白く光を放つ馬上槍を抱えた男だ。

 

 騎馬から馬上槍を振るい、死人の波を蹴散らしながら独り司祭へと突撃をしている。

 男と相対していた司祭は馬上槍に胸を突かれて倒れ、手にした神器を取り落とした。

 地に落ちた神器を馬上槍で破壊すると、辺り一帯の死人兵は総崩れとなり、ひとときの静寂が訪れる。

 

 ただ教団は相当数の神器を保有しているのか、死人兵の波は途切れる事無く次々と押し寄せていた。

 

「あれではいずれ量で押し切られるわ。司祭を狙わなければ……」

 

 ローゼルの言葉に、エレナスは自らの剣を見た。青白く発光するその刃には、刃こぼれひとつ無い。

 

「俺が行きます。司祭を探し出して神器を破壊する程度なら、一人でもやれる」

「死人兵もいるし、さすがに一人は危険だわ。あちら側から回り込んで挟撃の形にしましょう」

 

 ローゼルの指す方向は、裏門傍の城壁へ続く階段だ。

 ダルダン軍は主に歩兵と騎馬で構成されており、城壁から攻撃を受ければ兵力を殺がれるのは必至だった。

 

 そこで五人はエレナスを先頭に死人の波を掻き分け城壁へと進んだ。

 目指す司祭は城壁の上から屍を操っているように見える。

 

 城壁の司祭へと近付くにつれ、その姿がはっきりしてくると、リザルは司祭から目を離せなくなっていた。

 遠目からでも目立つ、燃えるような赤髪に杖を携えるその男は、紛れも無くあの時の司祭だ。

 

 赤毛の司祭はリザルに気付いたのか、凄絶な笑みを浮かべて彼を見た。

 そこには喜びと憎悪の入り混じった複雑な表情があった。その目は早く昇って来いと言っているようにすら思える。

 

 死に向かう者と揶揄され、ベレンの最期を見届けてリザルは気付いた。

 あの司祭やベレン、そして彼自身もその実同属だったのだ。大切な何かを失くし、ただ死ぬために生きている。

 

 死を恐れないのは、自らの死に価値を見出したからではない。生きている価値を見出せなかったからだ。

 

 リザルと赤毛の司祭とを隔てているのは、うっすらと見える半透明の帳だと言える。

 手を伸ばせばすぐにでも、そちら側へ行けるだろう。

 だがその帳の前には大切な息子や妹がいる。この五年間、妻を失った悲しみで曇っていた目が洗い流されるような気分にすらなった。

 

 彼の生きる価値はすぐ傍にあったのだ。

 

 階段を昇り切ると、司祭が微笑みながら待ち構えていた。

 その笑みの意味を理解し、リザルはエレナスよりも前へ進み出た。

 

 エレナスは驚いたが、リザルの真剣な面持ちに意を汲み取った。

 階段の傍でローゼルとセレス、ノアを制止すると、エレナス自身もそこに留まる。

 

「来たか。我が同属よ」

 

 軍刀を抜き構えるリザルに司祭は言い放った。

 

「共に命尽きるまで遣り合うとしよう。お前も理解しているのだろう? この世界は生きるに値しないと」

「……少し前まではな。そう思っていた。だがオレには護らなければならない家族がいる。大切なものがある。だからこれまでの自分に決別しなくてはならないんだ」

 

 リザルの決意に司祭は怪訝な顔をした。

 軽薄な微笑みは消え失せ、どす黒い憎しみだけがじわじわと彼を支配し始める。

 

「仲間だと思っていたのに。お前も私を裏切るのか。……そんな事は許さない。お前もここで死ぬんだ!」

 

 怒り狂う司祭とは対照的に、リザルの心は晴れ渡っていた。

 ゆっくりと間合いを測り、相手の出方を窺う。

 

 最初に動いたのは司祭だ。

 神器の杖を手に間合いを詰め、鬼のような形相でリザルへと迫る。

 

 これまでいくつも神器を見てきたリザルは、人の手で造られた武器では歯が立たない事を身を持って理解していた。

 神器は恐ろしいまでの強度を誇り、そしてそれは神器でしか傷を与えるしかない。

 下手に受けたり払うだけで、彼の剣はたやすく折られるだろう。

 

 相手が冷静さを欠いている今、躱しながら隙を窺うのが最善だろうとリザルは判断した。

 彼の思惑通り、司祭は単調な攻撃ばかりを繰り返し、その隙は大きい。

 

 杖を大きく横に薙いだ瞬間、リザルは司祭へ突進した。

 遠心力によってあらぬ方向へ逸れた杖を掻いくぐり、そのまま柄尻で司祭を突き倒す。

 反撃出来ないよう腕をねじ伏せ杖を叩き落すと、刃を彼の喉元へと突きつけた。

 

「殺しはしない。教団の事を洗いざらい吐いてもらう。それにお前の望みを叶えてやるほど、オレはお人よしじゃない」

 

 リザルの言葉に、司祭はこれ以上は無い憎悪のまなざしを向ける。

 その視線すら気に留めず、リザルはエレナスに声を掛けた。

 

「エレナス。そこにある杖を破壊してくれないか。お前の剣で」

 

 一部始終を見届けたエレナスは無言で杖へと歩み寄った。

 音も無く剣を抜き放つと、石床に転がる杖に渾身の一撃を与える。

 小気味好い澄んだ音を立てた杖は半ばから切断され、何の変哲も無い金属へ戻る。それと同時に辺り一帯の死人兵は動きを止め、その横をダルダン軍が駆け抜けて行くのが見えた。

 

 杖を破壊される様を見せ付けられ、司祭は涙を流しながら絶叫した。

 リザルを振りほどこうと人間とは思えない力で暴れたが、後ろ手にがっちりと押さえ込まれ、ただわめき立てるだけだった。

 

「許さない! 何もかも許せない。貴様ら全て死に絶えればいい! 父や兄や姉を殺したレニレウス王家を許さない。保身のために何もしなかった連中を許さない。全ての生きる者を許さない!」

 

 呪詛を吐き続ける司祭を縛り上げようと、リザルは一瞬手を緩めた。

 その瞬間、司祭はリザルを突き飛ばして拘束から逃れた。ふらふらと走り出すと城壁の縁に立ち、リザルへ向き直る。

 

「私の勝ちだよ、死に向かう者。お前はやはり死から逃れられない。我が名はアグラール。地獄の底で、亡者と共にお前を待っているよ」

 

 夜明けと共に赤く染まり始めた地平線の中、白い法衣を風にはためかせながら、司祭はゆっくりと城壁を蹴った。

 とてつもない速度で墜落してゆく様は、ともすれば白い翼にも見える。

 遥か下は木々と水路で隠れ、何も目にする事は出来ない。

 

 見れば全ての死人兵は倒れ、地上を動いているのはダルダン軍だけとなっていた。

 王都を取り戻せた歓声が四方八方から上がり、太陽の昇った青空にはダルダンの軍旗が翻る。

 

 王都ブラムから教団を駆逐した事実に誰もが喜び、エレナスは仲間たちに振り向いた。

 そこには家族と抱擁を交わすリザルたちとは対照的に、青ざめた表情で座り込むノアの姿があった。

六 ・ 抗う者

 

 教団を排除し、奪回出来た事で王都ブラムは久方ぶりの熱気に包まれていた。

 

 ダルダン軍が死者を弔い、城内の点検を行う中、エレナスたち五人は客として王都に滞在した。

 糧食や兵装の備蓄はほぼ手付かずだったが、建造物はひどく破壊され、完全な姿に復旧するには日数を要すると判断された。

 

 エレナスたちも老人司祭メネルと、身を投げた司祭アグラールの死体を探して回ったが発見出来ず、彼らはベレンの遺体を手厚く弔った。

 ベレンの懐からは、息子との遣り取りが記された手紙が何通か見つかり、セレスは泣きながら遺体と共に埋葬した。

 

 わずかに残った教団員たちは、東にある神殿遺跡へと逃れたようだった。

 元より神殿が必要だった訳なのだから当然の行動ではあるが、崩壊しかかっている遺跡で包囲されればひとたまりもない。

 それだけ決死の覚悟なのだろうとエレナスは推察した。

 

 気がかりな事はもうひとつあった。

 アグラールが口にしたいまわの言葉以降、ノアの様子がおかしかったのだ。

 孤独を好みあまり姿も見せず、ふと見かければ考え事をしている。話し掛けてもやんわりとはぐらかされ、エレナスは心に引っかかりを覚えた。

 

 王都を奪回した二日後、城内では小さな祝勝会が催される事になった。

 ダルダン軍の将官やネリアの王族であるリザルやローゼル、それとエレナスたちも招待された。

 ブルン村での謝辞を王に述べる機会を得られ、エレナスは心から喜んだ。

 

 当日ダルダン王に歓待を受け、彼らは久しぶりの宴席に心を和ませた。

 豪華とは言えない食事の数々も、現在のダルダンの状況を考えれば十分過ぎるもてなしだ。

 誰もが楽しく酌み交わす中、喧騒から一人離れバルコニーで夜風に当たるノアに、エレナスは彼女の傍へと寄った。

 

「どうしたんだ。元気が無いようだけど」

 

 急に背後から声を掛けられ、ノアは驚いて振り向いた。声の主がエレナスだと気付くと視線を手摺の向こうへと戻し、空を眺めた。

 

「あいつが……アグラールって司祭が言っていた言葉が気になって。王都ブラムでの報告をカミオ様に送ったけど、その件は書けなかったわ」

「レニレウス王家があいつの家族を殺したと言っていた話か。でも君は王を信じているんだろう。だったら悩む必要なんてないはずだ」

 

 エレナスの言葉にノアは俯いた。

 

「解ってる。人の上に立つ者は、身奇麗なまま生きていける訳じゃないわ。正しいと信じる道のためにその手を血に染め、屍を踏みつけて行かなければならない。あたしたち王に仕える者は、その労苦を自らの身で和らげるために剣となり盾となる。だからあの方のために、これからもこの身を捧げ続けるつもりよ」

 

 それだけ言うとノアは吹っ切れたかのように微笑んだ。

 彼女の落ち着いた様子に、エレナスも安堵した。ノアのレニレウス王に対する気持ちは、エレナスが姉に抱く気持ちと同じなのだろう。そう理解しながら心のどこかで心騒ぐ自分に、彼は戸惑った。

 

「ところで、あなたたちはこれからどうするつもりなの?」

「ネリアに姉がいるとリザルが教えてくれたから、彼らと一緒にネリアへ行こうと思う。君はどうするんだ? レニレウスに戻るのか」

「ええ。ここからだとダルダン領内を横断するのも厳しいから、ネリア経由で戻るつもりよ。国境は突破すればいいし」

 

 普段の調子を取り戻したノアの返答に、エレナスはほっとした。気候の厳しいダルダンを突っ切るよりも、草原や水の豊富なネリアを経由する方が楽なのもある。

 

「あら、心配してくれてるの? ネリアで補給を終えたらすぐ発つから、あたしの事を気にする必要なんてないわ」

 

 微笑みながらエレナスを見つめるノアは、月光に映えてより一層美しく見えた。

 後頭部で纏められた青灰の髪は艶やかに流れ落ち、カンラン石を思わせる緑の瞳はきらきらと明るい色を湛える。

 姉とはまた違う美しさに、見惚れていたエレナスは顔が赤くなるのを感じて不意に顔を伏せた。

 

「ねえねえ、お兄ちゃん何してるの?」

 

 その時、背後からいきなり袖を引っ張られ、エレナスは驚き振り向いた。

 目線の先ににこにこ笑うセレスを見つけ、一瞬放心する。

 

「お父様がお兄ちゃんの事呼んでるよ。話があるんだって」

 

 無邪気に伝言をするセレスに、エレナスはぎこちなく彼の頭を撫で、急ぎ足でその場を離れた。

 残されたセレスはエレナスを見送った後、何とは無しに傍に立つノアを見上げる。

 

「そういえばお姉ちゃんって、どれ……」

「奴隷商人じゃないわよ。行商人。レニレウスの王城であった事は、誰にも言っちゃだめだからね」

 

 左手でセレスの口を塞ぎ、右人差し指を唇の前に当ててノアは微笑む。

 口を塞がれたままセレスはこくこくと頷いた。

 

 

 

 リザルに呼ばれたエレナスは、彼がいる宴席へと顔を出した。

 そこにはダルダン王とローゼルが居り、今後の動向を話し合っている最中だった。

 

 三人はエレナスに気付くと、座るよう促した。

 エレナスは会釈をして傍の空いている椅子に腰掛けた。三人が話し合っているのは、教団の残党を追撃するかどうかの内容だ。

 

 神殿遺跡を残党が占拠している状態なら、ダルダン軍とネリア軍で壊滅させる事も可能だろう。

 ただレニレウスがどう出て来るか分からない今は、闇雲に兵力を一箇所に終結させる訳にもいかない。

 少なくともネリアは自国とその背後にあるアレリアを護るだけの戦力が必要なのだ。

 

「問題はそれだけでは無い。教団の兵力がこの残党だけなのか疑わしい部分があるのだ」

 

 ダルダン王は真剣なまなざしで三人を見つめた。

 

「レニレウスとの国境に駐留する伝令から不穏な情報が入った。レニレウス国内の森が焼かれ、レニレウス軍が鎮圧に乗り出しているようだ。軍に追われた集団が、国境に押し寄せて来ていると言う」

「現在ネリアが国境を閉ざしているために、ダルダンへ向かっているのでしょうか。いずれにしても教団の本隊もしくは別働隊がいるのだとしたら面倒です」

「そうだ。レニレウスの意思が判らないうちは、下手に動けん。御主らは明日にでもネリアへ戻るそうだな。こちらも教団の様子を見て、後からネリア王に拝謁するとしよう」

 

 ダルダン王とリザルの遣り取りを見るに、教団絡みの話は混迷を極めているようだ。

 一通りの会談が終わるとダルダン王は席を立ち、将官たちと会議をするために宴席を後にした。

 その背を見送ると、リザルはエレナスへと向き直る。それが合図かのようにローゼルも席を立ち、セレスを探しに行った。

 妹の姿が見えなくなると、ようやくリザルは口を開いた。

 

「エレナス。オレはお前に言わなければならない言葉がある。息子を護ってくれてありがとう。そしてすまなかった」

 

 深々と頭を下げられ、エレナスは戸惑った。

 

「元はといえば俺が止めるべきだったのに、一緒になって飛び出してしまったのが悪いというか……。その……申し訳ありません」

 

 エレナスはばつが悪そうに呟いた。

 

「本当の事を言うとな。森番の小屋で初めて会った時、お前を興味深い奴だと思った。あの時の一戦がオレを変えたんだ。お前には感謝しても、し足りないほどだ」

「……買い被り過ぎです。人の気持ちというものはどれだけ奥底に沈んでいても、いずれ表面に出るものなんだと思います。俺はそれをセレスに教えてもらいました」

 

 エレナスの言葉にリザルは微笑んだ。

 

「酒、いけるか? 若く見えても歳は重ねているんだろう。一杯どうだ」

 

 杯に酒をなみなみと注ぐリザルをエレナスは押し留めた。

 

「いえ、まだ成人の年齢には達していないので……。俺は水で」

「何だつまらない奴だな。まあいずれ、お前とは呑んでみたいものだ」

 

 笑いながらリザルは自らの杯を干した。

 そのまま窓の外に目をやると、彼はエレナスに呟いた。

 

「なあ。お前、姉さんを捜していると言っていたな。見つけた後、どうするつもりなんだ?」

「それは姉の考えにもよりますが、神器を探す旅を続けるか、もしくは仮面の男を捜すかでしょう」

「仮面の男か。あいつは何なんだ。何であんな男に追われている」

「……それは俺にもよく分かりません。姉は必要な事しか俺には教えてくれないから」

 

 エレナスの返答に、リザルはそうか、とだけ答えた。

 

「オレたちが巻き込んだのか、それともオレたちが巻き込まれたのか……。いずれにしても面倒な事になったな」

 

 リザルの独り言が理解出来ないまま、エレナスも窓の外を眺めた。

 蠍の形にも似た星にある赤い火がちらちらと燃えている。夏の風はさらりと流れ、くすぶる煙の匂いを運んで来た。


 
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