No.570233

Cocktail Kingdom 四章

今生康宏さん

色々と自分の新たな引き出しを開けたお話だとこの小説は自己評価しているのですが、異種族というものを一つのテーマとしており、これは地味に初めてのことになっていますね
「地獄の~」はむしろ主人公(=天使)の方がイレギュラーだったので
もうちょい、上手い持っていき方もあったと思います。やはりこの辺りになると、面白みが弱く感じますね。ラブラブがほとんどないので

2013-04-26 23:53:38 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:240   閲覧ユーザー数:240

四章 動き出す未来

 

 

 

「王。おはようございます」

 毎日の習慣であるドラゴンへの捧げ物のため、いつもプリシラは王よりもずっと早く起きている。だが、今日ばかりは彼女が起きた時、既に王はベッドから起き上がり窓際の椅子に座っていた。

「おはよう。プリシラ」

「……よく、眠れなかったのですか?」

「いや、十分に眠れた。お前のお陰だよ」

「そ、そうですか。――ま、まあ、わたしがここまで心を砕いて差し上げたのですから、休んでいただけなければわたしが馬鹿みたいですし、順当な結果ですけどねっ」

 考えてもみれば、王もプリシラも寝巻きに着替えることなく眠ってしまっていた。宰相の純白のブラウスには少しシワが付いてしまっており、少女はそれを手で伸ばしながら立ち上がって、そのまま王のすぐ隣に寄り添い立つ。

「いよいよ、ですね」

「出来るだけのことはしてくる。だから、お前は何も心配しないでこの国を守っていてくれ。……けど、もしも戦いになったら、俺はお前だけは絶対に守り抜いてみせる。これだけは、約束だ」

「……王。それは違います」

「……?それは、どういう」

「わたしは王に守られるのではなく、王を守るのです。――ですから、王は王を守るわたしを守ってください」

「は、はは。なんだ、結局同じことじゃないか」

「いいえ。わたしが女性だからといって、男性である王に無条件で守られるのはいまいちすっきりしません。ですから、これは交換条件です。互いが互いを守ろうとする相手を守り合う。つまり、わたしと王は戦友、という訳ですね」

「なるほどな。背中を任せ合う関係ってことか。……って、騎士道物語の読み過ぎだぞ。まあ、そういうことにしておいてやった方がお前にとって気分が良いなら、それで良いんだけどな」

「ええ。わたしにとってはそれが一番嬉しいですので、そうしてください。では、アル様。いってらっしゃいませ。宰相ではなく、あなたのプリシラとして、挨拶させてもらいます」

 いつものように顔を赤くし、しかしなんとか頑張って、いたずらなウィンクをしながら甘い声でその言葉を紡ぐ。寝起きで油断していたところの不意打ちに、王はもしも許されるのであれば、このまま彼女をかき抱きたい衝動に駆られた。だが、すぐにその激情を押し殺す。まだ、それは出来ない。あるいはその“まだ”とは永遠と同義なのかもしれないが――。

「ありがとう。……じゃあ、俺はこのまま準備をする。お前は、ドラゴンの所に行くんだったな」

「はい。では、行って来ます。王」

 ここのところは、ドラゴンと会わない日が続いていた。

 彼が不在であったり、王や国が彼の反感を買ったりしたのではなく、恐らくはドラゴンの方が意図的に姿を現さないようにしているのだろうと、プリシラはそう考えていた。この数ヶ月間で、彼女はほぼ完全にあの守護神と心を通わせるようになっている。それぐらいのことは予想が付いた。

『…………今日は、面持ちが違うな』

「そういうあなたこそ、今日ぐらいは顔を見せてくれるのですね」

 いつものように供え物だけを祠に置いて戻ろうとしたところに、火の気が一気に強まるのが感じられた。この地域全体が温暖な気候である理由、火のドラゴンの出現だ。

『お前もそろそろ、限界を感じているのではないか?』

「どういう意味ですか。王が、亜人との関係を改善出来ないとでもお思いで?」

『わかっているであろう。理想とは、実現しないからこその理想。真に全ての命が共生し得る国など、存在し得ない』

「……数年前のわたしであれば、その意見に異論はありませんでした。ですが、わたしは王に。アルフォレイオス様に出会ってしまいました。王位を継げないほどに未熟な。しかし、それゆえにどんな人とも違う、優しい王子様に」

 プリシラは傍の大きめの石の上に腰を下ろし、ドラゴンに背を向けて話す。その姿は、まるで旧来の友人と話しているかのようですらある。

「わたしは、彼を信じたいと思います。……いえ、信じなければならないという、使命感すら覚えます。王は、確かに夢を見ているのかもしれません。それを実現するだけの力も持たないかもしれません。そのことでこれからの人生、そして行政の中で、幾度となく挫折を覚えることでしょう。ですけど、最後にあの王は、彼自身の理想を達成するのだと。そう思えてならないのです」

『――今朝、我が子が未来を伝えに来た』

「駄目でしたか」

『絶望の未来は変わっていない。だが、お前はあれ以来、一度もそのことを王には伝えていないのだろう』

「当たり前です。未来を変える――いえ、創ろうとしている方に、弱小精霊の予言など必要ありません。これはわたしの持論ですが、あのような精霊の持つ未来視など、無限に分岐する未来の可能性の一つを視る能力に過ぎません。ですが、人は未来を自分の意志で選び取ることが出来ます。たとえ、絶望の未来ばかりが手の届く距離に転がっていたとしても、手を伸ばせば希望をその手の中に収めることが出来るはずなのです」

 プリシラは王に話す時よりもずっと大人びた。しかし、虚勢を張っているのが誰にでもわかるような無理をした声音で続ける。

「わたしは、あなたにどんなことを言われても、それを信じません。そして、たとえどんなことが起きようとも、再びあなたの力で国を消し飛ばすようなことはさせません。時代は流れ、人はあなた達“神”に管理される存在以上のものに進化していることを、わたしはこの数年で知り、ここに来てからの数ヶ月で確信しました。申し訳ありませんが、あなたには楯突かせてもらいます」

『ふっ、そう怒るな、プリシラよ。何もわたしは、お前やお前の王を苦しめるなどとは言っていないぞ』

「ですが、あなたの領分は破壊。破壊を拒む以上、あなたは何もしてくれはしません」

『うむ。それは認めよう。だが、お前が本で得た知識以上に、私は経験という知識を持っている。これ以上の相談相手もいないだろう』

「……そのお知恵は、確かに拝借するに値するとは思います。でも、まだその時ではないのだとも、私は確信しています。人は、あなたから自立していかなければなりませんから」

 少女は立ち上がり、ドラゴンに背を向けた。

「ひとまずは、さようなら。次にお会いする時は、何らかの結果が出た時にしたいものです」

 赤い髪が突然吹いた南風に煽られ、炎のような軌跡を残し……それが収まると彼女はもうその場を去っていた。

 

 

『あれは、なんとも腕白に育ったものだ。いや、女なのだから、お転婆、か。しかし、私に意見をするほどになるとはな』

 馬に乗ったプリシラの後ろ姿を、いつまでも巨体の旧時代の王は見つめていた。やがて、体の大きさにしては不釣り合いなほどに小さな青い瞳を細め、大きな欠伸をすると山の中へと飛び去っていく。

 

 

 

「ふぅ……やっと地獄の日々から解放されますわ」

「残念だったなぁ、ベルよ。俺が不在の間はヨハンにしごいてもらうことになっている。お前、結局は散々に負けたんだからしっかりとヨハンに教えを請えよ」

「そ、そんな……。このベルの、鬼のいぬ間の優雅な日々が……」

「わはははは、儚い夢だったな」

 宰相が戻りしばらくすると、すっかり旅装を整えた王がわずかな護衛の兵士。そして、不測の事態が起きた時のため、最も老練な騎士であるテオドールと共に城を出ることが決まった。昼を待たずに出発し、翌日には辿り着く計算だ。少人数ゆえに全員が騎馬で向かうことが出来、この方が時間の短縮をすることも出来る。

「プリシラ。留守をしっかりと頼む」

「はい。ちょっと変な表現かもしれませんが、ご武運を心からお願いしております。――あ、それからベル様が演習や稽古から逃げ出さないように、しっかりと監視しておきますね」

「……プ、プリシーちゃん?」

 王はにやり、と頷くとマントをたなびかせ、無言で城を後にした。いつもの軽い印象は全くなく、若く力に溢れた覇者の風格があった。

 

 

 

「優雅ではありません優雅ではありません優雅ではありません……」

「あ、あのー、ベル様?」

「優雅ではありません優雅ではありません――あら、カミュさん。どうしましたの?」

「え、えーと、さっきからベル様がぶつぶつ呟きながら素振りをされているので、少し心配になりまして」

 王が国を出て二日目。一日目の大規模な軍事演習を終えた後は、各自が模擬戦を行ったり、基本的な素振りの練習を通常の二倍の量こなすことになっていたりする。監督役はこの数週間で一気に鬼教官としての地位を築き上げたテオドールが不在であるため、彼に比べればまだ良心的なヨハンが務めているものの、同僚であるベルトランにも厳しく、既に二回ほど苦言を呈されている。そして、後輩であるカミュは彼女が心配になって話しかけてくる始末だ。

「大丈夫ですわ。ただ……」

「ただ?」

「ベルは思いますの。はたして、この素振りにどれだけの意味があるのか?もちろん、実戦を考慮して双剣の立ち回り方の練習も兼ねておりますし、両手で剣を扱うというのはそれなりに筋力の鍛えられることだと思いますわ。しかし、このベルは自称するのもおかしな話ではありますが、天才肌なのです。大汗をかいて練習するより、たった一度の気付きや忠言で劇的に成長するタイプですの。そんなベルが、素振りを行うことの必要性は、ですね……」

「素振りはただのトレーニング以外に、精神を落ち着かせる効果もある。本来、自分の相棒となる武器を振るっている内に集中力が高められるはずなのだが、君はどうもそうはならないようだな」

「あ、あら、これはこれは団長」

 ベルトランが汗に濡れた髪をうっとうしそうにかき上げていると、どこか感情に欠けたような筆頭騎士の声が後ろから響いた。しっかりと着込んだ甲冑ががちゃがちゃと音を立て、気の小さな新人兵ならばそれだけで恐怖を感じかねない威圧感がヨハンにはある。

「だが、確かに君にこのような基礎練習は不必要なのかもしれないな。君の集中力の高さは、矢を射る時の狙いの正確さを見ればわかる。剣を扱う場合でも、剣先は常にあらゆる急所、筋肉を切断するように動いているし、それが習慣付いているのがわかる」

「で、では!」

「しかしな、ベル。君は私を除けば、最も年嵩の騎士だ。よって、君が模範的な行動をしていれば、他の兵士達もより一層稽古に励むことが出来る。風紀の維持のためにも、しっかりと基礎練習をしてもらえないか?」

「……まあ、団長の仰ることには一理も二理もありますわ。このベル、騎士としての誇りの高さと気高さでは他の追随を許さぬつもりでありますし、他の方々の模範となることに異論はありません」

「そうか。ありがたい」

「ですが、少しぐらいは休憩をさせていただいてもよろしくて?具体的には、一時間につき半時間の休憩。これは必須ですわ。しっかりと汗を拭き、お茶を楽しみぐらいの時間はいただけませんと」

「…………カミュ。ベルを絶対に逃さないように見張っておいてくれ」

「は、はいっ」

 溜め息をつき、筆頭騎士は他の兵士の指導に戻っていく。呆れられたベルトランは不服そうだが、監視の目が緩んだことにより、露骨に素振りの速度やその頻度を下げ始めた。

「ベル様、手を抜くならもう少しバレないようにやりましょうよ……」

「あら。カミュさんはよもや、団長に告げ口をしようなどとは思っておられませんわよね?」

「あんまり目に付くようでしたら、きちんと報告します。……ベル様は僕の憧れなんですから、もっと格好良くしてて欲しいですし」

「……今、なんと言いまして?」

「え、えーとっ……」

 いつもは団長であるヨハンの言うことはともかく、新人騎士であるカミュや、訓練を積み始めたばかりの名も無き兵士の発言を取り上げて追求することのないベルトランだが、今だけはそのアメジストの瞳をカミュ少年に向け、思わず言葉が漏れそうなほどに魅惑的な流し目の視線を送っている。

「いえ、なんでも…………」

「うふふ。怖がらなくても良いですのよ?どうもこのベルには、カミュさんが実に面白そうなお話をしたがっているように思えたのですが。そう、たとえば――ベルが大好きな恋愛のお話。甘酸っぱく、だけどとっても甘いフレーバーに包まれた……ロマンスのお話を」

「なっ!そ、そそそんな訳は……」

「ありますわよね」

 ベルトランはあくまで笑顔だ。威圧感が見え隠れてしているが、悪魔で、笑顔だった。

「ぼ、僕はこんな風になし崩し的に想いを伝えるつもりじゃなくて――」

「あら。恋愛に『待った』はなしですわよ。悠長なお話をしていて良いのでしょうか。このベル、既に良いお方を見つけているかもしれませんのに」

「う、嘘ですよね?」

「さてさて。カミュさんがお気持ちを伝えてくださるのであれば、お答えして差し上げても」

「そんな……。ベル様、意地悪過ぎます。僕がどう思っているのかもうわかっているのに、そんな……」

「うふふ。年若い殿方を困らせるのは、数少ないベルの楽しみの一つですわ。他にも五十ほどはありますが」

 意地悪く、しかしそれすらも魅力的に笑うベルトラン。だが、いつもは他の誰か――多くは王や宰相――に向けられている笑みが、今は自分のためだけのものになっている。そう意識するともう、カミュはいよいよもって彼女に心臓を鷲掴まれ、更に足を絡め、腕を背中に回されて捕まえられているような気分になってしまった。

「……わかりました。観念します。

 僕は、初めてお会いした時から、あなたに強く惹かれてしまっていました。国にいる頃も、ずっと想い続けて……王の旅にベル様と共に同行出来ることが決まった時は、部屋で一人嬉し泣きをして、ベッドの上を転げ回ったほどでした。

 ですけど、ベル様は王以外の男性にはまるで興味を示されず、誰かと結ばれる気もないと何度も仰られていて、僕の憧れは。恋は実らないものだと、今でも思っています。ですから、この告白はきっと、何の意味も持たないのだと思います。けど、だけど……!この機会ですから、僕に優しい絶望を与えてください。身分違いの恋も甚だしい、そもそもあなたの世界に僕はいない。そのことを、僕に申し渡してください。そして、一晩だけ泣かしてください…………」

 あの気弱な少年が、言葉を詰まらせることもなく自分の想いを一時に全て口に出してみせた。そして、その言葉の端々には痛々しい諦観がいくつも垣間見ることが出来て、彼に告白を促したベルトランの顔からは、いつもの余裕の笑みは消え去っていた。その表情は同情や、失敗したという焦りではなく、もっと人間離れしたもの――女神じみた慈愛に溢れた優しげな、今までの仮面の笑顔とは本質的に違う笑顔だ。

「カミュさん」

「はい……」

「鎧を着用してこのようなことをするご無礼、どうかお許しくださいませ」

「…………え?」

 次の瞬間、少年騎士は今まで感じたことのないものをいくつも、同時に感じることとなった。

 訓練中はリボンでまとめられているものの、男性のそれとは比べ物にならないボリュームの髪が、カミュの頬を撫でる。

 汗をかいているはずなのに、どこまでも甘い香りがカミュの鼻に忍び込んで来る。

 鎧に包まれた腕がカミュの後頭部と腰に回され、身体が密着させられる感覚は、あり得ないはずなのに体温が伝わって来るようで――。

 カミュは、“ベルトラン・ド・ヴィルモラン”という存在に包まれていた。

 五感全てに、彼女がいる。こんな感覚を与えるのが抱きしめられるという行為なのだ、ということを彼は初めて知った。

「これが、わたくしの答えです」

「…………………………」

 幸せな時間は、どれだけ続いたのか知れない。ほんの数秒か、一分か、五時間か。そんなことはどうでも良い。ただ、ひと時の幸せはあまりに少年にとって“幸せ”だった。そして、その幸福はすぐには終わらない。悪い出来事か連鎖するように、幸せもまた続くもの。それがこの世界の理だとすら思える。今のカミュには。

「あら?カミュさーん、嬉し過ぎて意識が飛んでしまいましたか?」

「…………い、いえ。その、僕は」

「いいですのよ。今、わたくしの胸に飛び込んで泣いていただいても」

「そ、そんな。そんなことは」

「ふふっ、そうですか。では、改めて言葉でお答えしますわね。――あなたのお気持ち、しっかりと受け取らせていただきました。カミュさんの告白、とっても格好良かったですわ。ですが、お付き合いは出来ません」

「………………、……え?」

 本当に泣き出してしまいそうだったカミュの表情が、凍り付く。

「わたくし、ベルは騎士です。今までも、そしてこれからも。また、わたくしの弓と剣は他の騎士の方々とは違い、正義のような抽象的な概念にではなく、アルフォレイオス様のためだけに捧げられています。ですから、この身はわたくしの身体ではあっても、既にアルフォレイオス様の所有物なのです」

「そ、それって……」

「独断では、王以外の男性と親密な中になることは出来ません。そういうことですわ。騎士を辞めればその限りではありませんが、わたくしはまだ騎士でいようと思っています。それがわたくしの存在理由であるのだと、信じていますから。

 ――ですから、カミュさんの告白は保留、ですわ。あなたと付き合うことは出来ず、また、あなたを振ってしまうこともしない。とりあえずキープです。ただ」

「ただ……?」

「ただ、あなたの告白はわたくしの胸に響きました。そのことだけは、お伝えしておきます。あ、これは本心ですわよ?このベル、恋愛については神聖なものであると認識していますので、こんな場面でからかうようなことはしませんの。ただ」

「た、ただ?」

「このことは、誰にも内緒ですわよ。特に団長やプリシーちゃん、後はもちろん、王様にも。それ以外の人で、絶対に秘密を漏らさないと信じられる人にならば良いですが、あまり望ましくないですわね」

「そ、そうですか。……えっと、けど、その」

「何か問題がありますの?」

 言いにくそうにしながら、少年はベルトランの後ろを指差す。彼女が振り返ると。

「君は、今まで戦場に出て来て生き残れたことが不思議なほど、集中すると周りを見なくなるな。私はもちろん、今この稽古場にいる全員が見ていたぞ」

「え?そ、そんな……え、えーと、み、皆さん!これは寸劇ですわ!じ、実は今度、晩餐会の余興で――」

「諦めろ。こんな時期に晩餐会など開けるはずがないだろう」

 

 今日は、ベルトランが人生で最も表情豊かな一日だったのかもしれない。

 かつてないほどの羞恥に顔を赤くした彼女は、その場で泣き喚いて崩れ落ちた。その姿は、正に悲劇のヒロイン。ただし、あまりに劇的過ぎて、見る者には感動や同情ではなく、笑いを提供したという。

 

 

 

「こんにちは。ハインツさん」

「おや、あなたは宰相閣下――ではなく、プリシラ」

 ベルトランが生涯一の失態を繰り広げたのが王の出発の翌日の昼過ぎのこと。その少し前、昼の十一時を過ぎたぐらいの時刻に、兵舎の食堂に姿を現したのは少女宰相だった。

「王は、もう出発されたと聞いたが」

「はい。わたしはしばらくお留守番です。一応、一緒に行きたいとは伝えたのですけどね」

「しかし、フられたと」

「むっ、その表現はいささか不適切な気がします。王はわたし以外の女性に興味ないんですから」

「ははっ、申し訳ない。――しかし、プリシラ。あなたは大層人見知りをすると兵士達が言っていたんだが、どうして私とは普通に話せるんだ?初めて会った時も、すごい勢いで注文してくれたが」

「そ、それは……」

 ここに来て、やっとプリシラは顔を赤らめ、言葉を詰まらせる。しかし、これが本来の彼女が親しくない男性に対して取る態度だ。とにかく気弱で、人見知り。加えて男性が苦手。これは、プリシラに一度でも会った人間であれば簡単に知ることが出来る彼女の特徴である。

「ハインツさんは、女性ですから。それに、美味しいものを作ってくださる、尊敬する人ですし」

「……!お、驚いたな。バレたのはあなたで二人目だ。しかも、一人目と同じく女性とは。あなたとは違い、胸が小さく生まれてしまったがために、性別を隠すのは容易だったんだがな」

「む、胸の話は良いでしょうっ。……わたしも、見ただけではわかりませんでした。けど、簡単な推理ですよ。ベル様があなたのことを気にかけている様子でしたから」

「ふむ?なぜ、あの騎士様が気にかけてくれると、私は女性になるんだ?」

「お付き合いが長くないと、よくわかりませんよね。けど、わたしにはわかるんです。ベル様は、王以外の男性を全く意識していないんですよ。むしろ、女性の方が大好きで、だからわたしをいじりたがっちゃうんですが」

 日常的にかの女性騎士に触れられる胸を、恥ずかしそうに腕で隠そうとする。だが、どれだけ上質な布団よりも柔らかそうなそれの中に腕は包み込まれ、むしろその大きさを強調する結果となってしまう。

「ですから、あなたは女性だと推理したのです。声もハスキーではありますが、普通に女性でもあり得る高さのものですしね」

「ほほう……さすが、宰相閣下。隠しごとなんて出来ないな」

「そんな。えっと、それよりも、お話はありませんか」

「また、妙な言い方だな。プリシラの方から話があるのではなくて?」

「はい。わたしは、お話を聞きに来ました。兵士の方々は十二時きっかりまで稽古ですし、今の時間は他の誰も来ません。どんなお話をしてしまっても、大丈夫ですよ」

 プリシラはまるで努力してそうしているように、平然とした顔をしている。だが、この表情に名前を付けるとすれば、ポーカーフェイス、もしくはペルソナ。またあるいはマスケラ。ベルトランの常に浮かべている笑顔と、全くその役割は同じだ。

「ふっ、わかったよ。やはり、あなたに隠しごとは出来ない。だけど、よかった。私もそろそろ、限界に近かったから」

「その言葉を聞けて、安心しました。わたしは尋問なんて出来ませんので」

「まず、帽子を被ったままなんて失礼だな。きちんとこの体のことを見せよう」

 するり、とコックの証である白い調理帽が脱がされる。すると、その中に隠れていた二つの尖った耳がぴょん、と飛び出した。人間のそれとは明らかに異なる、短くもっさりとした毛の生えたそれは周囲を探るように動き、偽物ではないことを証明する。このような身体的な特徴を持つのは、いわゆる亜人と呼ばれるもの以外にはいない。

「私はご覧の通り、キツネに似た姿を持つ亜人だ。当然、東の国からやって来た。あちらでも料理人をしていたが、色々とあって。ああ、別に追放されたり、罪を犯したりした訳ではない。だから、その辺りは安心して欲しい」

「わかっていますよ。ハインツさんは、そのような人に見えませんし、悪い人があんなに美味しい料理を作れるはずもありません」

「……ありがとう。だけど、そうだな。今にしてみれば、罪人にも等しいのかもしれない。結局、私を受け入れてくれた王にこの事実を告げず、行かせてしまったのだから。私が前もっていくらかの情報でも渡せることが出来れば、交渉の手助けになれたのかもしれないのに」

「いいえ。王は、そのようなこと気にしませんよ。むしろ、下手に現地の人間の話を聞いて、相手の事情を知り過ぎてしまうのもよろしくない、なんて言って手助けを拒むかもしれません。そういう方ですよ、あの王っていう人は」

「そ、そういう人なのか?」

「そういう人です。滅茶苦茶でしょう?」

 笑みをこぼす宰相に釣られ、金毛の亜人族もまた鼻をならした。つい先ほどまでは互いを探り合うような雰囲気であったが、一度空気が緩むと、どこまでも楽しげに振る舞い合ってしまえる。

「なので、今日こうして来たのも、半ば雑談のためです。まあ、王が帰って来てからは、今日ここで得た知識と、王のお土産話を元に色々と次のことを考えようと思うのですが、気楽にどうぞ」

「わかった。あなたのような愉快な人に話せて嬉しいよ。なら、何を話せば良いかな」

「なんでも。恐らく、わたしはあなた達のことについて、何一つとして知りません。服に尾を通す穴を開ける時はどうするのだとか、それだけ耳が大きいと音が聞こえ過ぎて辛いのではないか、ということだとか」

「は、ははっ。そうか。しかし、あなたのような存在にも、知らないことはあるものなんだな。てっきり、森羅万象の一切を知っているのかと思った」

 大きな声を上げて笑う亜人に対する少女宰相の表情は、暗い。数秒前までの笑みは消し飛んでいる。

「……ハインツさん」

「うん?」

「わたしも、あなたの全てを知ろうとはしません。ですから、わたしのデリケートな領域には踏み込まないでいただけると、とても助かります」

「す、すまない。これは大変に失敬。てっきり、あなたはそのことを王や騎士達に伝えているのかと思って」

「伝えられませんよ。……特に、王には」

 少女は青い目を細め、気持ちを切り替えるように頭を左右に振って髪の毛を遊ばせると、再び可愛らしい笑顔を見せる。これでチャラ、ということだろう。

「そうですね……まず、あなたの国の二人の王のことなんかについて、お聞かせ願えますか?」

「い、いきなり核心的なところを突くな。もしかして、怒っているのか?」

「わたし、割と同性相手には嫌な女なのではないかな、と自覚しています。特に過去に恨んだことのある相手に関しましては、執念深く……」

「い、いや。本当に申し訳ない。この通りだ。だから、まずはもう少し軽い話にしてくれないか?私の中でも、まだいまいち話すべき事柄がまとまっていないんだ」

「む、むぅ。仕方ありませんね。では、あなたの国にいた人間の方について、教えていただけませんか?この国はご覧の通り、移民で構成されていますが、当然ながらそちらは土着の方ばかりですよね」

 自称する通り、プリシラの態度は王を前にした時とはまるで違うが、険のある物言いをしつつも、どこか生来の素直さ、溢れ出る可愛らしさを隠しきれないでいるようだ。しかし、ハインツがやりにくそうにしているのもまた事実と言える。

「人間か……。まあ、当然ながら亜人に対しても友好的だ。どうも、彼等もまた移民の三世、四世の世代らしい。どうやら自国を追われた、訳ありの人間達らしくてな。代を重ねた今となっても身体に流れる血は苦労した時のことを覚えているのだろう」

「……血。王も、似たようなことを言っていました。亜人の血が、この国を拒むのだろう、と」

「そうか。やはり、あの王は鋭いな。自身も青い血……王侯貴族の血を引いているからなのかもしれないが、それだけ血とは人の行動理念にすら影響を与えているものなのだろう。尤も――私は、他国の人間にも、この国にも一切負の感情は抱いていないがね。既に染まっているからなのかもしれないが、私は料理を作ることが出来ればそれだけで良い。深く考えはしない性分だからだろうか」

 自嘲するように鼻を鳴らし、言葉を区切る。プリシラが次の質問を考えている間、料理人は軽く手を組み、沈黙し続けた。

「率直に言って、前王国とあなたの国の確執は、戦争をも引き起こすほどのものでしたか?」

「それは、歴史を紐解けばすぐにわかることではないか?……あ、ああ。その記録すらも失われていたか。では、少々辛くなるがそのことについて話そう。私とは直接的に関係はないが、友人の友人は確かに被害に遭っていたし、私のように活力に乏しい者にとっても、多少の憤りは抑えられない話だ」

「お願い……出来ますか?」

「ああ。あなたになら、話せる気がする」

 いつしかプリシラの目からは冷徹なものが消えていて、新たに出来た友人を気遣う気持ちでいっぱいになっていた。反射的な行動なのだろうが、ハインツの重ね合わされた手を上から握り、勇気を与えようとしているかのように見える。

「色々とある。色々とあるが、一番目に付くものから挙げれば、奴隷的な使役だ」

「奴隷制?そのように前時代的なものが、ここには未だに……」

「人間の奴隷はいなかったさ。だが、働き盛りの男性と、見た目の優れた女性が年に……そうだな、目につかない程度に五人ずつぐらい、連れて行かれていた。王に伝えれば、その者の一族郎党、皆奴隷にすると脅して」

「ただの人間に、亜人の方々が簡単に拘束され、連れて行かれたのですか?そのような酷い行いに優れた武人や騎士が加担するとは思えません。強い人は、それに見合うだけの哲学を持ち、決して悪事には流れないはずです」

「その手法は……あなたは、聞かない方が良い。ただ、彼等がしたのは家畜にするのと同じような扱いだよ。奴隷にされた亜人は、誰もが文字通りに使い捨てられたという。当然、奴隷には人権も何も存在しない。貴族の飼うペットが、どれだけ羨ましかったのだろうか。……すまない、言い過ぎた。あなたも特権階級だったな」

「いいえ。当然の言い分であると、そう感じます。動物を飼う余裕があるのであれば、そのお金をもっと別なことに使うべきなのです」

 結局、あの時心惹かれた野ウサギはカーバンクルという精霊で、そのままペットとして飼うことはなかった。だが、自戒も込めてプリシラは唇を噛み締める。自分は今まで、政治を司る者としての使命をきちんと全うして来たのだろうかと。大好きな王と一緒にいるからといって、ただそのことを喜んでばかりいたのではないか、と。

「やはり、変な話をしてしまった。この話はここでやめよう。後、目に付いたのは亜人の経営する店での無銭飲食や、物品の持ち出しだろう。中には、兵士による追い剥ぎに遭った商人もいたという」

「……正式な王国の軍人が、そのようなことを。――――どうして、そこまで出来るのでしょう」

「あなたのように良識を持った人間や、被害者であった我々にはわからないことだろう。理解出来てしまったら、そいつこそがおかしいんだ。こんな差別をする心理がわかってしまうということは、そいつ等と同じことをすることも出来てしまうに違いない」

「…………そう、でしょうか。わたしは、現在の為政者として、かつての王国の人々の心理も、理解しなければこの問題は解決出来ないのだと思います。ただ、してはならないのは“理解”ではなく、“共感”でしょう」

「なるほど、な。……どうも、熱くなってしまっているようだ。感情を剥き出しにしてしまうと、知識や考えの浅さが浮き彫りになってしまっていけないな」

「そんな。わたしも、自分の問題であるならばこうして冷静には考えていられないでしょう」

「さっきのように、か」

「……怒りますよ」

「すまない。あなたを本気にさせてしまうと、なんでもされそうで恐ろしいな」

 また目の色を変える宰相に、料理人は平謝りする。プリシラの秘密を知るのは恐らく彼女だけで、その恐ろしさを知るのも彼女だけだ。だからこその態度だろう。

「それで、本題なのですが。王達は――」

 

 

 

「王達は、どのように考えられている?」

 ほぼ同時刻。東国の王城に辿り着いた王は、前王国がこの国の亜人達に行ったことについて、いきなり二人の王に質問をしていた。貫禄ある自分の倍近い年齢の王に対し、直球でこのようなことが言えるのは、この王だけに違いない。

「前王国は滅んだ。私としては、あなた方と直接的には関係のない話であると、そう考えている」

 王の一人、人間の王イーノスが言い、頷いてから亜人の王、ウルフレッドが引き継いだ。

「そちらの国の評判は聞き及んでいる。我が国から移り、開拓に協力しようとしている者も少なくはない。これからも良好な関係を築けるものであれば、そうあり続けたい。それが我々の総意だ」

「……王達は、そう考えられている、と。しかし、私は思うのだが、国民もまた同じ考えであると、言い切れるであろうか?」

「ほう。つまり、未だに我が国の民……亜人達には、あなた方の国に対しての不審がある、と」

「私は、そう思っている。両国の溝は、王が変わり、国民が変わったぐらいでは楽観出来ないほどに深いものなのではないか、と。これは憶測でしかないが、私や宰相が危惧していることだ。いずれ戦いが起きてしまうのでは、と」

 さすがにカーバンクルの話は出来ないが、あの予言が王とプリシラの意識を変えたのは間違いない。そして、そう遠くない内に夏は過ぎ、秋の季節がやって来てしまう。予見されていた日まで、そう時間はないと考えられるのだ。

「なるほど。その考えも尤もだ。私達としても、きちんとそれについては目を光らせておこう。亜人の多くは軍隊にいる。彼等は愛国心にも溢れているが、王や上官の指示にも確実に従う。言い聞かせれば、問題はないだろう」

 亜人の王が言う言葉に王は多少の安心を覚えながらも、やはりそれでは不十分だと考えていた。“血”は争えない。不当な差別をされていた記憶は頭ではなく血の中に生き続けていて、もうまもなく爆発する。それは必定だ。

 期待するのは、これが多少の抑止力程度にはなってくれることだろう。武器を取るのが全軍の半分にもなってくれれば、まだ事態はマシになってくれる。それでも、決して勝算はない程度なのだが。

「私から話したかったことは以上だ。私としても、貴国とは末永く付き合わせていただきたい。これからも、どうか良好な関係を」

「我々としても、それを望ませてもらおう。あまり援助することは出来ないが、せめて今日一日ぐらいはゆっくりとされると良い。城下町に宿を用意させてある。詳しくは兵士に案内させよう」

「申し訳ない。私としても、結構な強行軍で疲れてしまっていて、兵達も休ませたいところだったんだ」

 宿が用意されていなくても今晩は城下町に宿泊するつもりであったが、こうなれば好都合と、心の中でだけガッツポーズをする。非公式に泊まってしまうとなると、変な騒ぎになりかねない。もちろん、宿が用意されているからと言って、全国民に他国の王が来ることは発表されていないだろうから、騒ぎにはなってしまうだろうが、多少は気苦労が減るというものだ。

「こちらにどうぞ」

 一応の図らいなのか、案内役の兵士は人間で、やはり王としてもその方が安心することが出来る。仮にこの兵士が斬りかかって来たとしても、全く対処が出来ないほど体を鈍らせてはいないつもりなのだが、本来剣は抜くべきものではない、というのが王の考えだ。護衛の兵士もいるが、彼等が血に塗れるようなことはないように願いたい。

「すまないな。ああ、それから護衛の者が数人いるのだが、君達の兵舎を貸してもらえないだろうか?」

「いえ。宿を丸々一つ貸し切っておりますので、お連れの方々にも宿泊していただけます。ご安心を」

「そうか。ウルフレッド様とイーノス様には、これからの外交の上でこの恩を返さなければ」

 既に王達の間は出てしまっており、直接お礼の言葉を伝えることは出来ない。出来るならばきちんと礼をしておきたいのが王の本音だが、わざわざ引き返していては変に不審がられかねないし、こちらが及び腰なのではと判断されてしまうかもしれない。

 友好関係は築きたいが、舐められたくもない。当然のことではあるが、今回の訪問に際して固めた、王の外交上の信条だ。

 城を出て、外に待機させていた兵と、テオドールに声をかけて共に案内に従う。護衛のために連れて来た者とはいえ、相手の王城にまで兵士を連れ回しては失礼にあたるだろう。それに、護衛がなくとも王は決して自身のことを無力な王だとは考えていない。一人で戦い、勝つことは出来ないが、最低限自分の命を守るぐらいは出来る。それが自分という男だ、と信じている。

「テオドール」

「はい、何でしょう」

 別にこの案内に隠す訳ではないが、小声になって声をかける。

「宿に着いたら手紙を書くから、兵の一人を帰らせてプリシラに届けてくれないか。まずはあいつの心配を取り除いてやりたい。それに、今日の会談のことを伝えれば、多少はあいつの考える助けになるだろう」

「畏まりました。――おい、セシル。お前にはもう帰ってもらうぞ」

「へ、へい!畏まりっ」

 テオドールの命令も、彼の部下の返事もどこか山賊一味のそれのようだが、だからこそ頼もしく感じられるところがある。王は快く頷き、後はこの国の町並みを観察することに努めた。

 大きくは自国とは違わず、この南の地域では一般的な家屋ばかりが並べられている。ただ、あのドラゴンが眠る山からは離れているためか、プリシラに言わせれば火の属性が弱いのだろう。少し気候は落ち着いていて、生えている植物には多少の違いが見られる。

 店で売り買いされている物にも特別な目新しさはなく、ここで手に入る物は自国でも買い求められそうだ。となると、特産品である酒が交易の上で重要になるだろう。反対にこの国に海はないため、自国で取れた海鮮物が輸出品になる。港の整備が終われば、貿易と共に漁業も大規模なものが行えるようになるだろうし、より活発なやりとりが出来るようにはずだ。

 と、景色一つを見るのでも公務を意識してしまうのは、完全なる職業病だろうか。宿に着いてからはっとして、苦笑いを漏らす。

「それでは、ご自由にお休みください。ただ、宿の代金はこちらが負担させてもらっていますが、食事やその他買い物は――」

「ああ、わかっている。俺達も文無しで来ている訳じゃないから、自分達で払えるさ。じゃあ、王達によろしくな」

 本来ならば多少のチップも握らせるところなのだが、逆にこの場でそんなことをしてしまうのは失礼にあたるかと思い、手ぶらで兵士を王城へと帰らせる。テオドールも何も言わなかったため、とりあえずはこれで問題ないだろう。

「じゃあ、早速だが俺は少し横になる。お前達も適当にやってくれ。それから、一応テオドールは俺の部屋の隣な。手紙が書き終わったら届けるから、セシルだったか。お前も同室で頼む」

「畏まりました。おいセシ公、深々と頭を下げろよ」

「は、はいっ。責任を持ってお手紙をお届けさせていただきますっ」

 テオドールに対しては普通なのに、王を相手にするとなると急に硬くなってしまう青年兵を見て笑いながら、王はニ階の角の部屋へと向かった。言うまでもなく、襲撃される方向を一方のみに限定し、窓からすぐに脱出出来るためだ。反射のようにこんな選択が出来るというのもなんだか悲しい話だが、最低限王族として教え込まれていたことだ。

 続いてその隣にテオドール、残りの兵士は二人ずつ適当に分かれて部屋へと入り、計五つの部屋を王達は今晩の宿として借りることとなった。

 案内の兵士はそれを見届け、王城とは異なる方向へと向かう。

 大きな夏の月が空高く昇る頃。街は太陽の輝きと共に騒がしさを失い、静寂に包まれている。夜遅くまで営業している酒場の辺りぐらいはうるさくてもおかしくないのだが、それすらも寝静まっているらしいのは、一応は他国からの客人が近くに宿泊しているためだろうか。

 巡回の兵士も少ないと見えて、静か過ぎる街は、何か不吉なものすら感じさせる。全て杞憂であれば良かったのだが――。

「やっぱり、来ちまったか。王は来てくれないことを望んでいたんだがなぁ」

 宿屋のニ階。一番端の部屋の扉が静かに開かれる。内側からではなく、外側からだ。本来ならば内鍵をかけているはずなのだが、まるで招き入れようとしているかのように開け放たれていたことに、侵入者は驚き、次いで部屋の中に王ではなく騎士がいることに気付いて表情を硬直させる。

「そっちから攻めて来ない限り、手は出さないっていう約束だ。お前等は、ウチの王が日和見の腰抜けだと思っているかもしれないが、その逆だ。本当に勇気があり、自分の為すべきことをわかっている奴っていうのは、なんでも殴り合いで話を付けようとはしねぇ。

 ここでお前等が引いてくれれば、王はそっちの王に今夜のことをチクることもしないと言っている。……よく考えてみな。ここでやり合うことが外交上、どういう意味を持ち、お前等のことが王に伝わることが、どういう問題を引き起こすのか。――戦争にはならねぇ。ウチの王も、そっちの王もまだ冷静だ。だがな、付き合い方を変えなければならなくなるのは確かだ。それでも尚、そっちが向かって来るなら、いよいよ国交の断絶も必要になって来る。両国にとって実りがない話だぜ。そいつぁ」

 襲撃者は答えず、黙って武器を構える。

「はぁ、その覚悟は認めるがねぇ。利口じゃないぜ。全くよ」

 次の一瞬、背負っていた斧が唸り、襲撃者が引き抜いた剣と叩き付けられる。相手はまともに対応することも出来ずに武器を弾き飛ばされ、更にその中ほどから亀裂が入ったかと思うと、へし折れてしまった。

「戦場以外で人殺しはしたくねぇんだ。背中から斬り付けはしないから、そのまま失せろ。他に仲間もいるんだろうが、退かせな。どこを探しても王は見つからんし、こちとら亜人との戦いにも慣れてるんだ。北側にもいくらでも亜人はいるからな。ゴロツキが十や二十いても勝ち目はないぜ」

 忠告が意味をなしたのか、襲撃者の亜人は背を見せずに走り去り、そのまま気配を消した。いくら耳をすませても他に足音や武器が鳴らす金属音はなく、共に王を狙うはずだった者も姿を見せずに撤退したのだろう。

「暗殺するだけの楽な仕事と踏んだんだろうな。しかし、案内の奴がチクったのか。念のため、宿の人間に見られないようにこっちに移ったんだが、さすがにそこまでグルじゃないよな?……まあ良い。王、もう安心かと」

『そうか。しかし、本当に襲われるとはな。出来るなら、こんなことにはなって欲しくはなかった』

 こもった王の声が部屋に響いたかと思うと、彼が姿を現したのは部屋に備え付けられていた衣装ダンスの中からだった。着替えを全て出してしまえば、かなり窮屈だが青年一人が入るだけのスペースを確保することが出来る大きさはある。

 だが、暗殺者を撤退させることに成功させたのに王の表情は晴れない。

「テオドール。もう一日、滞在しても良いか。まだ、俺がこの国を去るのは早過ぎるように思う。先の手紙で、既にプリシラには帰還が一日二日遅れるかもしれないことは伝えてあるから、公務をする上での問題はあまりない。あいつが万事上手く進めてくれているだろう」

「王が望むままに。私も、そのご決断は間違われてはいないと思いますよ」

「そうか。ありがとう。……やはり、王と話すだけでは足りないだろう。もう一度城に行って許可を得てから、この城下町の人々の前で少し話をしようと思う。その護衛を、頼めるか」

「はっ。この命に代えてでも」

 翌日の昼下がり。二人の王から許可を得たアルフォレイオス王は、ウルフレッドを伴って街の広場に立っていた。

 

 『それは、演説だろうか?』『いや、そんな格式張ったものじゃない。もっと気楽な、だけど、真剣な……“話”だ。スピーチより、もっと生の声を届けることが出来る』

 『なんとまあ……。貴君は王に就任されてまだ日が浅いと聞くが、それにしても斬新なことを言い出す。恐らく、全世界的に初の試みだぞ?』『どうだろう。きっと、同じ時代の王ではなかったとしても、同じようなことを考える王はいたはずだ。俺は……じゃなくて、私は、その王と同じことをしているのに過ぎない。……許可して、もらえるだろうか』

 『もちろん。しかし、私としても興味がある。傍で聞かせてもらっても?』『そ、それは問題ないが、きっとそう面白いものではない。わざわざこの国の王に来てもらうほどのことでは』

 『いや、きっと有意義な時間となるだろう』『それなら……。あなたを失望させない程度のものにはなるよう、尽力しよう』

 

 などと大見得を切ったのは良かったが、いざ亜人の王に見られながら人前に出てみると、普段は物怖じしない王であっても多少は緊張してしまっていた。

 足が震えたり、声が震えたりするようなことはないが、どうにも落ち着かず、今から自分が言おうとしていることが正しいのか、人に受け入れられるのか、なんだか不安になって来てしまう。

 王が公式に宣伝したため、広場には予想以上の人々――亜人も、人間も――が集まっているのも、緊張に拍車をかけている。今だけだが、初対面の相手に極端に緊張してしまうプリシラの気持ちがわかるようだ。しかし、いつまでも黙っている訳にはいかない。雲が流れて来て、一時的に太陽が隠されたのを機に王は口を開いた。

 

「今日は、集まってくれてありがとう。私は、ここより西にある国、ウェールズ王国の王、アルフォレイオスだ。――西の国と聞き、困惑する人も多いとは思う。私はかの時代にこの地にはおらず、人から伝え聞いた断片的なことしか知らない。だが、前王国の悪業は決して許されぬものであると、認識している。

 だが、どうか聞いて欲しい。私は決して、かの王のような暴虐を繰り返しはしない。こちらで聞いておられるウルフレッド王とも、友好な関係を築こうと、昨日言葉を交わし合ったばかりだ。――知っての通り、私の国のある地は、一度焦土と化している。よって、そこに住まう国民は皆、他の地からの移民ばかりだ。その中には、この国より来てくれた人もいる。

 すぐに出来ないであろうということは、わかっている。だが、どうかこの新しい国のことを信じ、愛してはくれないだろうか。俺が目指すのは、誰も飢えることがなく、不当な扱いを受けることもなく、当たり前の日常を当たり前に送ることが出来る国だ。今はまだ国自体が貧しく、この理想は理想でしかない。俺も、決して優れた才能を持った王ではないと、恥ずかしながら自覚している。だが、俺は諦めたくはない。たとえ何世代かかったとしても、語り草になるような存在感を持つ国にしたいと、そう考えている。

 ――今話したことは、実はまだ自国の民にすら言っていないことだ。なぜそれをあなた方に話したのか、それは俺の国作りに、あなた方の力が必要不可欠だと考えたためだと……思う。どうか、新たに歩み出した西の地の、私と、私の国民達の力になって欲しい。以上、私があなた方に伝えたかったことはそれだけになる。ウルフレッド王、この場を設けていただき、ありがとう。この国に、恒久の繁栄がありますよう」

 

 一瞬の静寂があり、更に一瞬のざわめきがあった。

 歓声も拍手もなく、それは予想されていたことだった。前もってウルフレッドに言った通り、きちんとした原稿を用意した“演説”ではなく、思った通りのことを並べた“お話”だったのだから、これで当然なのだろう。

 独りよがりな言葉の集まりに、人の心を動かす魔力があるのだと信じるのはあまりにも楽観的過ぎる。

 これで、規模の大小はまだわからないが、開戦が免れないものであることは決定した。大変なものを残してくれた前王国と、その王に心の中で悪態をつきつつ、王は踵を返そうとした。

 ――すると、すぐ傍から拍手の音が響いた。次いで、人ごみの後ろの方からもう一つ。

 傍らでずっと王の言葉を聞いていたウルフレッド王と、いつから来ていたのだろう。人間の王、イーノスのものだった。彼等はあえて言葉を使わず、力いっぱいの拍手を送っている。逞しい体躯のウルフレッドの拍手は、まるでその一つ一つが巨大な空気の波を生むほどに力強く、イーノスのものにも力と熱とが込められているのが、遠く離れた場所からもわかった。

「……二人とも」

 二つの温かな響きは、諦めようとしていた王の心に染み渡り、その心を溶かしていくようだった。この二人に認めてもらえたというだけで、この行いには意味があったのだろう。そう思って、軽く涙ぐみそうになった時、拍手の第二波が到着した。

 今度は少人数のものではなく、もっとずっと多くの人々の……その場にいた聴衆、全員が手を叩く音だった。

 稲光が遠くに見えた後、その轟音が届くのに多少の時間を要するかのように、時間を空けて聞こえて来たその大音声には、まるでいきなり頭を殴られたかのような衝撃と、鈍痛にも似たじんわりとした温かみがあり……王は完全に崩れきってしまった我が顔を隠すため、後ろを向くのに必死だった。

 しばらく、そうして背中で拍手を受け続けて……再び振り返った彼は、かつてしたことがないほどに深々と頭を下げた。

 今、手を叩いている人間の中には、他の皆がしているから、という心理が働いて仕方なくしている者も少なからずいるだろう。誰もが誰も、この王のことを受け入れた訳ではない。そうはわかってはいるが、この止むことのない拍手の波音を聞いている間ぐらいは、手放しで人を信じてみたかった。

「ありがとう。本当に…………」

 王が口を閉じてからも、広場に集まった民衆は解散しようとはしなかった。彼がウルフレッド王と二、三の言葉を交わした後、去ろうとしていることに気付くと、再び大拍手が起こり、彼の背中をいつまでも見送った。

 「少しは安心しても、良いんだよな……」昨晩のことがあるだけに、それでもやはり手放しに安心は出来なかった。そもそも、あのことがあったからこそ、この場を設けるに至った。それに、まだ反応が渋いようであれば、もう少し居座って関係を良好化させようと思っていたほどだ。

 いつしか雲は全て消し飛んでいて、一時は王の心もそれと同じように晴れやかなものだった。だが、秋の日の空のように、いつ翳りが差してもおかしくはない。そのことは王自身が一番よくわかっていた。


 
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