あいつの事は、1年前から知っていた。
佐々木正臣【ささき まさおみ】。公立風鈴高校2年C組所属。
入学試験で600人以上いた受験者達をダントツでぶっちぎる好成績を叩きだし入学した天才。
入学式のときには入学生代表として壇上に立ち、その圧倒的カリスマ性を全校生徒に知らしめた。
8月末にある体育祭においては、全個人種目競技に出場し全競技でTOPを飾り、壁新聞で大々的に取り上げられたこともあった。
そして冬休み前にある生徒会役員選挙にて、全校生徒の7割以上の支持を得て生徒会長に就任。風鈴高校始まって以来の1年生の生徒会長が誕生したわけだ。
頭脳明晰、眉目秀麗、才色兼備、文武両道etc.。
彼を誉めたたえる言葉は千の言葉を持ってしてもまだ足りず、万の言葉を持ってしてようやくその片鱗を知るとまで言われている。
褒めすぎだとは私も思うが、実際の功績を見ている側の立場の人間としては、その評価が妥当なものであるということ自体に異論は無い。
そんな彼に、多感な年頃である女子たちは当然の如く盛り上がった。
1週間で10人に告白されただの、靴箱を開けたら上履きの代わりにラブレターが詰め込まれてただの、体育から戻ってきたら下着が盗まれていただの……彼の女がらみの事実に基づく噂は枚挙をいとわない。
終業式前には今では全校女子生徒の9割が会員とされる『正臣親衛隊(愛)』なるファンクラブが裏で出来上がっていたほどだ(余談だが、チヨもその会の会員だ)。
そんなこんなで、私は彼の事を1年前から知っていた。
というよりも、この学校にいる人間で彼を知らない者は世捨て人か真性の節穴かのどちらかだ。
そして今、私はその佐々木正臣その人の胸の中で、優しく抱きとめられている。
「大丈夫かい?随分派手に滑ってたみたいだけど、捻挫とかしてない?」
その西洋人形のように端正な顔に微笑みを浮かべ、テノール歌手もかくやというほどの美声でもって無事を尋ねてくるその人物に、周りで見ている生徒たちが思わずため息を吐いているのが手に取るように分かった。
慈愛に満ちた眼差しで胸の中の私を見下ろす彼は、まるで太陽のように輝いていて、周りの全てがそれに照らされて自然と幸福な気持ちになって行っているようで……。
なんだか、無性に気に食わなかった。
「…………離して」
私は言ってから後悔する。やば、キツすぎた。
周囲の生徒がザワザワと騒ぎ出す。
「なに、あの子。サイテー」
「正臣くんが助けてくれたのにお礼の一つもなしなの?」
「あれってA組の朝倉じゃね?」
「いいかもって思ってたけど、性格悪かったのかな?」
「ちょっとがっかりかもしんねー」
私と彼の周囲を取り巻くようにして見ていたギャラリーが、各々好き勝手に言ってくれる。
なによ、私は女子よ?男子に触られていい気になるわけ無いじゃない。そりゃ、確かに開口一番はまずかったかもしれないけど、それでもそこまで言われるほどの事?
好きでも何でも無い、ただ有名ってだけの男子に抱きしめられて嬉しいわけがないでしょ?ふざけてんの?
けれど内心で散々愚痴っても、それが周りの他人に分かるはずも無く。
私に対するバッシングは、段々とエスカレートしていった。
そしてその中の会話の一つが、私の心を焦らせる。
「ねぇ、親衛隊全員にあの子無視するように連絡しましょうよ」
「おいおい、そりゃやりすぎじゃ……」
「男子は黙っててくんない?ほら、早く連絡しよっ」
その会話をしているのは、見たことの無い生徒たちではあった。だから彼女たちを敵に回すくらいならまだ耐えられる。
けど、親衛隊を敵に回すのは駄目だ。
一度チヨから聞いたことがある。
この学校の女生徒がある日の放課後、掃除のために持っていたバケツの水を廊下を歩いていた佐々木に誤ってかけてしまったのだ。
その時は、その女生徒も散々佐々木に謝り倒して、佐々木の方も笑顔でそれを許したのだという。
しかし、その女生徒はその約2週間後に転校した。
否、転校させられた(・・・・・)。
その女生徒の失態をたまたま見てしまった親衛隊の女子が、親衛隊全員にメールでその女子の失態を写真付きで一斉送信したのだ。
その翌日から、彼女の上履きの靴底に画鋲が敷き詰められたり、机に怪文書が毎日のように入れられていたり、体操着の胸の部分だけ丸く切り取られるなどといった陰湿ないじめが発生しだした。
最初こそ気丈にしていた彼女であったが、1週間もしないうちに不登校となり、学校に来ない間も1日100件を超えるイタズラメールに苦しまされ、その数日後に家族の意向で遠くの学校に転校した。
ちなみにこれを知った佐々木は、親衛隊に対して珍しく激怒したという。
にもかかわらず、何故親衛隊が残っているのか。それは会員ではない私には分からない。
しかしこれだけは言える。
親衛隊は、佐々木の意思に関係なくそこにあり、それが佐々木の逆鱗に触れようとも、それが正しいと全員が思いこんでしまえばもう取り返しがつかないのだと。
チヨからそれを聞かされていた私はゾッとして彼から離れようともがいた。
しかし、その様子を見た生徒たちがさらに不機嫌になる。
この学校で佐々木を拒絶することは、すなわち全校生徒を敵に回すこととほぼイコールなのだから。
このままくっついているのは、私の女としての感性が許さない。
しかし離れようとすれば、私はたちまちこの学校からはじき出される。
進むことは出来ず、引くことも出来ない。
泥沼にはまったような絶望感に、私はサングラスの奥で涙を流しそうになった。
「…………ちょっと待ってて」
「……へ?」
俯いて半泣き状態の私に、彼は落ちついた声音でそう言うと、おもむろに私から離れていった。
彼はゆったりとした足取りで歩き、やがて一人の女生徒の前でピタリと止まった。
その女生徒はメールを打つことに夢中で、目の前に佐々木が立っている事に全く気付いていなかった。
「ねぇ、君」
「なによ…………って、え!!?ま、正臣くん!!!?」
声をかけられた女生徒は、驚いた拍子に手に持ったケータイを取りおとし、イチゴのような真っ赤な顔で硬直した。
そんな状態の彼女には目もくれず、佐々木は床に落ちたケータイを拾い上げ、そこに書いてある文章を目で追った。
「白髪サングラスの女生徒が正臣くんに喧嘩を売ったのでみんなで無視しましょう…………ねぇ。随分と簡潔かつ絶妙な言い回しだ。確かに、彼女の台詞を斜に聴けば喧嘩を売ったようにも聞こえるし、その後の彼女の態度からも俺に対する嫌悪感が見てとれたのだろう。添付された画像からも、そんな彼女の思いがありありと見てとれるようだ。君は将来新聞記者になるといい、絶対成功するよ」
「ま……正臣く」
「でもね」
佐々木は、嬉しそうな顔で名前を呼ぼうとした彼女の台詞にかぶせるようにして言葉をつないだ。
「こんな風に事実を虚飾と妄言で隠ぺいし、画像と言う絶対的情報に事実かも怪しい虚言を重ねたことで生まれた惨劇を、俺は前にも見たことがある」
恐らく、転校させられた女生徒の事を言っているのだろうか?いや、間違いなくそうなのだろう。
それを言われている女生徒の顔が、徐々に歓喜から動揺に……そして、恐怖へと変貌していく。
「その時の俺は、事が既に取り返しのつかない地点に到達するまで気付けなかった。だからこそ、これ以上あの悲劇を繰り返さないために君たちに約束させたはずだ。『もう同じことは絶対に繰り返さないようにする』と。」
彼の顔は、こちらからは分からない。
けれど、彼を見ている女生徒とその周囲の生徒の表情から察するに、今の彼の顔にはこれまで私が見てきた誰のそれより恐ろしい表情が浮かんでいるのだろう。
そんなふうに周りを威圧する彼の声音は依然として穏やかであるのだが、その背中からは言いようのない覇気がにじみ出ているようですらあった。
「君の名前……確か、加藤愛理さんだったかな?」
「は、ひゃい!そうです!」
「そう。他の会員の人たちにも言っておいてね?」
そう言うと、彼はずいっと彼女の耳元まで顔を近づけて、小声でそっと耳打ちした。
「………………………………………………………」
「……ッ!!」
「…………そう言うことだから、しっかり伝言よろしくね?あ・い・り・さん♪」
にこやかに彼がその場を離れると同時に、そっと耳打ちされた彼女はペタンとその場に座り込み、呆然とした表情で静かに涙を流し始めてしまった。
周りの生徒がビクビクと彼の後姿を眺める中、彼は私から離れたときと同じくらいゆったりとした足取りで私の前まで来ると、カラリと笑った。
まるで、先程までの出来事が嘘であったかのように明るい笑顔であった。
「いやぁごめんね?うちの子がバカやって、焦ってたでしょ?」
「え、いや、別に……どうでもいいし」
…………なんでだろう。佐々木の笑顔を見てると、なんだかむかむかする。
というか、激しくイライラするっ!
「それより、怪我無い?保健室行く?」
「いい。食堂に友だち待たせてるし」
「あ、お昼まだなの?じゃあ俺も混ぜてくれないかな、そのお食事」
「ハァッ!?」
彼の言葉に、私だけでなく周囲のギャラリーも騒然とする。
「あんた、自分が何言ってんのか分かってんの?」
「正臣、だよ」
「は?」
「だから、正臣。俺の名前、佐々木正臣だから。正臣って呼んで?」
こいつはバカなのか?それとも天然か?
女子のお昼に同席したいとか、こいつはふざけてるのだろうか?
今までこういった人間と話したことが無いから、判断がいまいち難しい。
「何で私があんたと一緒に昼食とらなきゃいけないの?」
「なんでって……俺も昼食べてないからだけど?」
「そうじゃない!なんで私と友だちのお昼の席にあなたを一緒させなきゃいけないのか聞いてんの!」
「いや、食事って誰かと一緒に食べたほうがおいしいし?」
「なんで疑問形……。いやよ、他あたって。あんたならそこら辺の女捕まえてハーレムにでも何でもできるでしょ?」
「はっはっはっ、なかなかキツイな君は。だけど、そう言うところも嫌いじゃないな」
よし、こいつはバカだ。言いきろう、この佐々木正臣という奴はバカだ。
「じゃ、私行くから。友だち待たせてるし」
「おっとぉ?そういえば、俺は君を助けてくれた恩人じゃないかな?そんな俺に恩返しの一つも出来ないというのは、人としてどうなんだろうね?」
「…………」
こいつ、バカの上に図々しい!
何だこいつ、これで優等生とか言われてるの?どんだけ面の皮厚いんだよ!
恩を売った相手に恩返しの催促とか、器が小さいよ!ミニマム通り越してミクロンだよ、器!
「……恩返せとか、小さい男ね。それで生徒会長とかよく務められたものだわ。案外、裏でコソコソ票集めでもしてたんじゃない?」
「ちょっとあなた!正臣くんに向かってその口のきき方は無いんじゃないの!?」
ギャラリーの中から私の暴言の数々にキレた親衛隊のメンバーが怒鳴り声をあげてくる。
他にも私の悪口をボソボソとささやく声がするが、もう構わない。
親衛隊?転校?構うもんか。
私は、そんな些事よりも何よりも、この佐々木正臣という人間を激しく嫌悪しているのだから。
もしこいつを嫌うことで転校させられるというのなら、いいだろうやってみろ。むしろその時はこっちから転校届を叩きつけてやるさ。
しかし、悪し様に言われる彼は怒りだすどころか、寧ろ楽しげにケラケラと笑いだした。
「はははははっ!確かに、俺みたいなのが生徒会長なんて分不相応だよな!君もそう思うか?」
「当然でしょ。あんたみたいなバカ、教室で盛り上げ係でもやってた方がよっぽど適任だわ」
「おお、そんな係があったのか?それは知らなかった。こんど生徒会からそちらに移れるかどうか先生に聞いてみるとしよう」
「あるはず無いでしょう、バカ。そんなのも分からないの?」
「おや、無いのか?残念だ。では、今度の生徒総会で盛り上げ委員会なるものの設立議案を提出するとしよう。きっと盛り上がるぞ」
「やらんでいい、迷惑よ。生徒にも、教師にも」
「そうか?良い案だと思うのだが……」
うーんといって考え込む彼をみて、私は戸惑った。
なんなんだ、こいつは。
ただのバカかと思えば、こちらの毒が全部流される。
いや、受け止められている?どっちでもいい。
普通ここまで散々に言われれば、どんなバカでもブチ切れるだろう。言ってる私が胸糞悪くなってくるくらいなのだから、よほどの事だ。
しかし、こいつは怒らない。
それどころか、それに同調して真剣に考えすらするなんて……。
先程はバカと断じたが、また訳が分からなくなった。
「とりあえず、私は行くわ。あんたはそこで一生唸ってなさい、佐々木さん」
これ以上ここにいると、本格的に昼食が取れなくなってしまうと考え、私は強引にでも彼との会話をぶった切る方向で決めた。
そして、彼の横をすれ違い様に、苗字だけをさん付けで呼んでやった。
私は、あなたとこれ以上関わる気は無いと 言外に良い含めて。
「……離してくれないかしら?」
「ヤダ」
彼は、私の手首を掴んで強引に足を止めてきた。
「まだ何かあるの?いい加減お腹が空いたんだけど」
若干以上にイラついた声音で呟く私に、佐々木はクスリとほほ笑みながら聞いてくる。
「うん、君の名前を聞き忘れてたから。教えて?」
「はぁ?何で私が。そんな義理ないでしょ?」
「助けてあげたことへの恩返しってところでどうかな?安いもんでしょ?」
「そんなんでいいの?あんたって変わってるね」
「正臣だよ。そんなんでいいんだ、教えて」
なおも頑なに聞いてくる佐々木に、私は内心溜息を吐く。
どうやらこの佐々木正臣と言う人物は、噂ほどのとんでもない人物ではないのかもしれない。
でも、ただのバカかと思えばそうでもなく、器が小さいかと思えばそれすら覆してくれる。
私の佐々木正臣に対する評価を一言で表すと、『変人』だった。
そして私は、そんな変人を、全く意味も無く嫌悪していることが、自分自身何よりも不可解なのである。
「…………言わないとどうなるの?」
「この手を離さない」
「無理に行こうとしたら?」
「抱きしめる」
「バカじゃないの?」
「男はみんなバカなのさ」
「あんたみたいなのが言うと、他の奴らがへこむわよ?」
「へこませておけばいいじゃないか」
「何で私にここまで構うの?」
「さてね。自分でも不思議だよ。何で俺はお前に構っているんだ?」
「お前呼ばわりしないでくれる?」
「なら名前を教えてくれよ」
「いやよ」
「じゃあお前はずっとお前のままだな」
「ガキみたい」
「ガキだよ、17歳なんてみんなね」
「めんどくさい男」
「自覚してる」
「私、あんたの事が嫌いだわ」
「それは残念だ。俺は結構気に入ってるぜ?」
「…………朝倉京子」
「君の名前か?」
「そうよ。二度は言わないわ。手を離して頂戴」
「大丈夫、もう覚えたから。こう見えて頭は良いんだ」
そう言うと、彼は私の手首を解放して、おだやかに微笑んだ。
その微笑みを見て、私は自分が何故こんなにも、こいつの事が嫌いなのかを理解した。
そして、もう二度とこの男には関わるまいという気持ちで、私はその場を立ち去った。
……朝倉京子、か。
私の後ろで、誰かがそう呟いたような気がした。
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創造主(作者)の無理矢理かついきなりな采配によって出会った二人。