No.558842

Spring-Breath-Memory~南風の街~ ~IV~

羅月さん

やっと不足分を取り返せました。この先からは今まで紡がれなかった物語です。

2013-03-25 00:36:04 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:459   閲覧ユーザー数:415

 先に生まれただけだ。

 

 ちょっとだけ先にこの世に生まれただけ、別に彼女が自分より劣っている訳ではない。

 

 むしろ、自分より優れているくらいだ。

 

 それでも、社会の規範に縛られていると知ってか知らずか、俺を慕ってくれる。頼ってくれる。

 

 そんな彼女がとても愛おしくて、当然のことであるはずなのに、それが長く続けば続くほど、彼女は自分にとって特別な存在になっていく。

 

 でも悔しいけれど、考えてしまう。自分と彼女が同級生だったら。

 

 社会的立場が何ら変わりない二人であったなら。

 

 彼女は自分を慕ってくれるだろうか。俺は彼女を愛しく思うだろうか。

 

 俺は思うかもしれない。だが、彼女は間違いなくそんな事はしないだろう。

 

 それくらい、俺の恋はずるくて一方的で勘違いも甚だしいのだ。

 

 

~Espressivo~

 

 ……………

 

 ………

 

 …

 

 「よ~し、今日は此処まで。次の時間学年集会だから遅れず行くように」

 

 木漏れ日が机を照らす物理室での授業が終わる。こんな天気のいい日にボイル・シャルルがどうだの気体の状態方程式がどーのこーの夢の無い話をしたくはないのだけれど、まあ大事だから仕方がない。

 次の周回は中間試験前に喝を入れる的なもんで、うちの学園では頻繁に行われているらしい。生徒の足取りも割と重い。それを俺は押し押しやらないといけないのだけど。

 

 「あっ、せんせ~」

 「ん、どうした天地」

 

 吹奏楽部のトランペット奏者、天地 麻子が教科書とノートを持って教卓前にニコニコしてやってくる。何だろう、どこか板書を間違ったりしただろうか。

 子犬が尻尾を振って喜びを前面に押し出そうとしている時のような、目をキラキラ輝かせた彼女。何だかな~、別に良いけど。

 

 「せんせ~って、何か好きな食べ物とかありますかっ?」

 「また所帯じみた質問だな……」

 「良いから良いから」

 「そうだな、基本的には和食が好きだ。塩気のきいた天ぷらとか、肉じゃがとかも良いな」

 

 とか何とか言ってて思い出した。何か教頭が言ってたな、今度調理実習があるとか。まあ何クラスもあるクラスが同じ学習容量で授業を進めるのだから当然調理実習が何度も行われる訳だが。

 大体どの学校でも担任の先生や教頭や校長や家庭科の先生は生徒の作った料理を頂けると言うイベントがあるわけだが、そう言う事なのだろうか。

 う~ん、色々と考えを巡らせる。素直に嬉しいけど、和食って結構難しいんだよな。もっと『ハンバーグが好きです』とか言えば良かったかな。

 それはそれで、どうにも大人な回答で無いような気もするし。気を遣って簡単な料理にするがいいか、イメージを上げるためにもオサレな料理にするがいいか。考慮するべきは前者だが、あまりにそれを優先すると逆に気を使わせてしまう。焼鳥と言ってローストビーフを持ってこられても困る。

 それを考えると、和食なら何でもという回答はなかなか紳士的じゃなかったのかな~とか思っている間に俺の視界から女の子たちは消えていた。

 

 

 「先生和食派だって。よ~し、愛しの先生のために美味しい和膳を作ろうじゃないですか」

 「ほんとに、麻子も好きだね」

 「いやいや、だってカッコいいじゃん。ちょっといじめたくなるところとかも可愛いし」

 

 学年集会、人工的に光を遮られた閉鎖的な空間の中で、弥生と麻子は前に立って熱く力説している学年主任などどこ吹く風、傍に人無きが如く小声で雑談に興じていた。

 これが歩きながらの雑談だったら足音にちゃぷちゃぷ擬音が混じるような声の弾み具合、ともすれば後ろから教師に後頭部を叩かれない事も無い。

 実はこの後に家庭科の授業が入っているのだが、テーマが『和洋中のどれか一つをテーマに一食分の料理を作成する』と言うもの。

今日計画や材料の見積もりなどを行い、来週調理を行う。且つ班ごとに先生方に料理を食べてもらうと言うありがちなイベントがあり、それを彼女はねらっているのだ。

 別に誰にどの班の料理を食べてもらうかは決まっていないのだが、そう言うのはあまり彼女の中では関係ないらしい。

 

 「と言うことで、私の恋の成就のために、色々協力してね」

 「はぁ……」

 

 「さ~て、どんな劇物を仕込んであげようかな」

 「ヤンデレ……」

 

 

 「じゃあ今日のHRは終わり」

 「きり~つ、れ~」

 

 別に毎度の事ながら大したことは言えないけれど、HRも終わり、生徒は散り散りになっていく。部活に出かける者、家に帰る者それぞれだが、そこそこの活気には満ちあふれているようだった。

 さて、俺は仕事に戻らないとな~とか考えながら書類を抱えて職員室に戻ろうとすると、澄んだ声が俺を呼び止めた。

 

 「先生」

 「ん、どうした弥生」

 「いえ……この前私が提出した添削課題がまだ返却されていないので、いつごろになるやらと」

 「あ~……あれか」

 「……はぁ」

 

 いや、もうマジでごめんなさい。ぬる~い風が俺の頬を撫でて去っていき、目の前の女生徒は心底ケダモノを見るような目でこちらをチラ見する。

 

 「お前さえよければ今日でも……ただ、今日は部活だろ?」

 「今日はどうせ病院に行かないといけないので、遅刻していきます。5時まででしたら大丈夫ですが」

 「わかった、せっかくなんで一緒に回答解説しよう」

 

 職員室の一室、通称『説教部屋』に彼女を案内する。別に説教をしたいわけではないのだが、壁一枚隔てた職員室にどんな怒鳴り声も届かない防音性がとても教師陣に優しい設計になっている。

 一応使用目的があれなので生徒はほとんど近づかないのだが、部屋の造り自体はくつろぎ空間と言っても差し支えない場所になっている。良い感じに日差しは入ってくるし、風通しも良い。

 

 「すぐ持ってくるから、ちょっと待ってて」

 

 俺は先生方が飲む為に置いてある麦茶を自分のコップに注いで弥生の机の上に置いて、彼女が出してくれた添削課題を取りに行く。

 こう言うとき自分の周囲が散らかっているのは致命的なのだが、今回ばかりは奇跡的にすぐ見つかった。

 

 「にしても、部活しながらよく頑張るよな~、俺は到底無理だったってのに」

 「先生と一緒にしないでください。あ、お茶ありがとうございます」

 「ん、いやいや良いって。ちなみに洗ってはいるけどそれ俺の湯呑みなんで。間接キスとか気にするって言うなら……ん?」

 「……別に、良いですけど」

 

 いや、良くないでしょ。頬が赤いですよ弥生さん。

 

 「んじゃ、とりあえず採点するか……と、大体合ってるけど、微妙なミスが目立つかな~」

 「あ、この問題こうやって解いて良いか怪しかったんですけど、それで良いんですか?」

 「あ、うんそんな感じ。ただ、これは単純な積分ミスだな、間違って微分してる」

 「あ、あんまり自信がなかったもので……最後あたりは少し適当に」

 「まあ考え方が分かってれば良いんじゃないか、次は解けるだろうし」

 

 完全無欠に見えてもこういう微妙なミスや展開の引き出しの乏しさが垣間見られるのは少しだが安心できる。自分も力になれているようで、少しばかり安心できるのだった。

 彼女は笑うととても可愛らしい。花畑で肌に感じる馥郁な風のように爽やかで心地よい。普段からずっと笑っていてくれればいいのに。

 

 「先生」

 「んっ、ああ……ごめん、ちょっと考え事してた」

 「私、ちゃんと成績伸びてますか?」

 

 唐突にそんな事を聞かれた。絶対にそんな事を聞かれるはずがないと思っていただけに、返答に詰まる。

 喉の奥に栓をされたような不快さに身震いし、ごくりと唾を飲む。

 

 「私、理系科目が苦手で……この前の模試もろくでもない点数でしたし」

 「大丈夫だって、お前は本番に弱いだけで、よくやってるよ。すぐに結果なんて追いつくさ」

 「……でも、私結構先生の添削受けてますよね。一人だけ……それなのに、中々上手くいかなくて」

 「おいおい、先生なんてもんは生徒に頼られてナンボの職業なんだぜ?」

 

 確かに、彼女は理系科目が苦手だ。最初の印象が強かったので意外だったが、基本的に彼女は文系科目が得意で理系科目はそれほどでもないのだ。才能に関しては絶望的だと言っても良い。

 それでも彼女は精一杯努力する。分からない所は何時間かけても。要領の悪かった自分がとある問題を解くのに1時間半かけたのとは比べ物にならないくらい。その熱意は研究職にこそ向いているのに。

 だから、多少口は悪くても俺は彼女のひたむきさをとても愛しく想っていた。だから何と言うか、うれしはずかし何とやら。こう言うイベントが俺にもあるんだな~と感慨深くなる気持も少々、それが無いと言えば流石に嘘になる。

 少し暑くなって来たので窓を開けようと席を立ち窓の前に移動した。毎回思うがここの立てつけはあまりに悪すぎる。がたがたみしみし言うのを必死で動かそうとしていると、後ろから弥生が俺を呼ぶ。

 

 「せっ、先生……」

 「……ん、どうした? 別に手伝ってくれなくてもいいぞ、これくらい俺一人で……」

 

 窓のロックに手をかけ、下に引く。フリーになった窓のつまみに、俺は指をかけた。

 

 「私……」

 

 窓を開けた途端。今春何番目だかの強烈な南風が強烈に吹き込んだ。風は悪戯に駆け抜け散らかった部屋の書類を散らかし去っていく。此処が職員室でなくて良かった(広義では此処も職員室なのだけど、此処の書類が吹き飛んだ所で元に戻せば問題はない)。弥生は吹きとんだ書類の片づけを淡々と手伝ってくれた。もう淡々と。それが当たり前のことであるか用にその所作には無駄が無かった。

 

 「すまん、ありがとう……んで、さっきの話は?」

 「……いえ、何でもありません。それでは、部活に行ってきますので」

 

 スカートの埃をぽんぽんとはたき、弥生は教材をまとめた。春から夏にかけての吹奏楽部はどこもかしこも忙しい、全国レベルで活躍するこの団体なら当然のことだろう。担任としては部活動にはひたむきに打ち込んでほしい、自分が精一杯やって後悔しなかったように。

 

 「では……失礼します」

 「おう、頑張れよ」

 

 柄でもなく親指を立てる俺に、弥生は桃色の微笑みを返した。


 
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