第三十一話 ~
【アヤメside】
霧で視界の悪い樹海の中をキュイのあとを追って東へと小走りで進んで行く。
先を行くキュイの足取りは、迷いが一切無い。道をあらかじめ知っている。そうとしか思えないものだった。
リンが噛まれた直後の戦闘、そして今。何というか、キュイにはフィールド上の何もかもが見えているのだろうか。
「キュイ。あまり離れるなよ」
少し俺との距離が開いたキュイに向かって声を掛けておく。
すると、キュイは振り返る事なく「キュ」と短く鳴いた。おそらく聞いてない。
クエストが始まってからかれこれ十分は走り続けているが、目的の薬草はおろか、それが生えていると言う岩壁すら見えていない。
リンが大好きで大切なキュイからしたら、それは文字通り死活問題なのだろう。
そんな事を考えていると、キュイの足がピタリと止まり、右側に振り向いた。
それを訝しみ視線を追うと、そこには、樹の根にむした苔と同化するようにして巻き付き、今にも飛びかかろうとする《モスケイルヴァイパー》の姿があった。
「キュイ!」
それに気付いた俺が鞘からタロンを引き抜いたのと、蛇がキュイに飛びかかったのはほぼ同時だった。
先の戦闘で分かったが、モスケイルヴァイパーは敏捷性もそれなりに高いモンスターだ。
俺からキュイとヴァイパーからキュイとの距離はヴァイパーの方が近いため、いくら俺が
そこで、俺は左手に持ったタロンを居合い斬りのように構えた。
その途端、刀身から赤いライトエフェクトが発せられ、体が何かに思いっ切り押されたように急加速する。
(間に合え……ッ!)
スキル発動中、身体を任意に動かして
それが功を奏したのか、間一髪、キュイがその毒牙にかかる前に鉤爪のような刃が蛇を捉えて斬り捨てた。
刃を少し寝かせて、引っ掛けるようにして蛇を前方へ放り投げる。
蛇は地面に叩き付けられるが、怨むような鋭い声を漏らして直ぐに起き上がった。
「シャァ――――………」
こちらを睨みながら
俺も蛇を睨み返し、三秒くらい睨み合いを続けると、蛇は素早く草むらに逃げ込んで行方をくらませた。
切っ先を蛇が逃げた側に向けたまましばらく警戒するが、襲ってくる気配は無かった。
「……キュイ、大丈夫だったか?」
タロンを鞘に仕舞い地面に膝を突いてキュイの姿を見下ろす。
見た感じ、怪我はしていないようだ。
「全く。だから離れるなよって言ったんだ」
「キュゥ……」
少し説教めかせてそう言うと、キュイは申し訳無さそうに弱々しく鳴いた。
「早くリンを助けたいのは分かるけど、それで無茶してお前が死んじゃ意味ないだろ?」
「キュィ……」
しかし、俺はそれに構わず続ける。
「それに、俺はお前のことも大切なんだよ。キュイには死なれたくないんだ」
そう言って、頭を優しく撫でる。
そうすると、キュイは少し元気が出たような声で鳴いて、ぴょんと俺の肩へと飛び移った。
「……そうだな。これが一番安全だな」
ネコを撫でるように喉元を人指し指で撫でてみると、キュイは気持ちよさそうに目を細めた。
「じゃあ、行くぞ。道案内は頼む。少し走るから、気を付けろよ」
「キュキュィ」
そう言ってから、俺はキュイを肩に乗せたまま走りを始めた。
キュイの道案内を頼りに、樹海の中をひたすら進んでいく。
すると、目の前にフィールドダンジョンへの入り口を表す揺らめく空間を発見した。
「キュイ、この中か?」
「キュィ……」
キュイに確認を取ってみると、キュイは少し怯えたように返事をした。
「……怖かったら、胸ポケットの中にでも入ってるか?」
そう言いながらマントを広げて内側にあるポケットを指さすと、キュイはそそくさとその中に潜り込んだ。
ポケットの中で小さく震えているのが分かる。
「よし……」
意を決して、揺らぎの中に身を投じる。
揺らぎの奥の世界は、さっきまでのフィールドのものより幹の太い樹木が乱立し、頭上を覆う葉も厚みも増していた。
フィールドを照らしているであろう太陽の光はほとんど降り注ぐ事はなく、夕暮れ時とほとんど変わらない明るさだ。
そのうえ、霧も健在なのだから視界の悪さは言うまでもない。
「ダンジョン名は《
あのモスケイルヴァイパーはある意味伏線だったんだな、と心の中で一人納得する。
そのあと、《視覚強化》スキルから強化オプションの《暗視》を発動させて視界の明るさを確保する。
そのお陰で移動や戦闘に支障は無くなったが、何かが起きそうな不気味さは残ったままだった。
そしてこういう予感は、往々にして当たるものだ。
用心するのに越したことはないと考えた俺は、抜刀したタロンを左手に持ち、そのまま移動することにした。
いつ何が来てもいいよう、常に気を張り走る速度も緩める。
しかし、これといって何が起きるという事はなく、俺は十分くらい走り続けた。
そして、僅かに気が緩んだ。
「キュィ!?」
突然、驚くような、怯えるような、そんな鳴き声を上げながら、キュイはポケットから這い出て首元から顔を出し周囲を見渡した。
――カサッ
「キュキュキュ!!」
キュイの鳴き声以外の音が存在しない静かな樹海の中で、それでも聞き漏らしそうなほど微かな葉の揺れる音。
それに反応したキュイは、即座に上を向く。
キュイに従い視線を頭上に向けると、毒液の滲む鋭い牙を剥き出し、大きく開かれた鬼灯のような紅い口が迫ってきていた。
「な……ッ」
気の緩みに付け込んだかのよな急襲に俺は一瞬硬直するが、寸でのところで後ろに飛んでそれを避ける。
しかしそれだけでは終わらず、紅い口の持ち主は地面に落下する前に身体を曲げて綺麗に着地すると、流れるような動作でぐるりと蜷局を巻き、それを発射台のように見立てて追撃を仕掛けてきた。
咄嗟の動作でまだ体勢が安定していなかった俺は、反撃を諦めて上半身をり、矢の如く突進してきた深緑色の細長いシルエットをギリギリで回避する。
通り過ぎたその影の正体は、身体のところどころに苔の生えた蛇だった。
言わずもがな、モスケイルヴァイパーである。いい加減しつこいとすら思えてくる。
そんな事を思いながら、無理な避け方から倒れ込みそうになる身体を右足を地面に着くことで体重を支えて持ち直す。
「キュキュ!」
だが、それは悪手だと言わんばかりにキュイが鳴いた。
その直後に感じる右足の拘束感。
視線を向ければ、さっきのとは別のモスケイルヴァイパーが右足に絡みつき、脛に噛みつこうと鎌首をもたげていた。
「ッ!?」
慌てて右手でその首を掴んで噛みつきを阻止した俺は、そのままタロンを振って蛇を斬り付けると、その攻撃で蛇は怯み拘束を緩めた。
拘束が緩んだ一瞬間、俺は蛇を目の前まで放り投げ三連続で斬り裂き、そこでHPが尽きて蛇は奇声を上げながら消滅する。
その奇声に紛れて、背後で地面を叩く音が聞こえた気がした。
自分の直感を信じ、止まることなく体を左に倒して飛ぶと、最初の蛇が猛スピードで俺がちょっと前まで居たところを通過していった。
その蛇が地面に着地する瞬間、また飛ばれたら厄介だと思い、《スローイング・ナイフ》を二本、《ダブル・シュート》で命中させて蛇の行動を阻害する。
続けて、動けない蛇にタロンを突き立てそのまま左に引いて斬り裂いた。
返す刃でもう一度斬り裂き、さらに逆手に持ち替え二回刺突を喰らわせると、それでようやくHPが0になった。
その直後、レベルアップを祝うファンファーレが鳴り響き、視界にウィンドウが表示された。
「キュイ、大丈夫だったか?」
しかし、俺はそれを碌に見ることなく閉じ、胸元にしがみつくキュイに声をかけた。
「キュィ」
キュイは、まだ警戒心の残る強張った声で返答した。かく言う俺も、緊張の糸は緩めないでいる。
今のは危なかった。立ち上がりながら心の中で呟く。
一秒でも反応が遅れていたら毒牙の餌食になるところだった。
モスケイルヴァイパーの毒は、現状で一番レベルの高い《治療ポーションLv.2》よりも強い毒であり、今はまだ治療する術の無い毒でもある。
それはつまり、もし噛まれてしまったら圏内に駆け込まない限り解毒出来ないと言う事だ。
そして、街の場所が分から無いうえ、樹海のかなり奥まで来ている今の俺の状況を考えれば、《噛まれる事=死》となる。
今更ながら思う。
このクエストは、もっと後になってから受けるべきクエストではないのか、と。
「だけど、そんなのは関係無い」
リンが苦しんでいて、俺はそれを助けたいと思った。
それは、
《助けたいと思う》。動機はそれだけで十分なのだから。
ふと、俺はある事を思い出しアイテム欄から袋を取り出した。それは、リンから受け取ったクッキーが入った袋だ。
「キュイ。さっきはありがとう」
そう言いながら、袋の中からクッキーを一枚取り出す。
「キュキュィ」
それを四等分に割ってキュイに差し出すと、キュイは嬉しそうに鳴いて受け取り、カリカリとかじりだした。
それをあと三回繰り返し、クッキーを丸々一枚消費させる。
クッキーを食べる最中、キュイは満足そうに耳を揺らしていた。
「……満足したところ悪いけど、行くぞ」
「キュィ」
気を引き締めたようなキュイの返事を確認してから、俺とキュイは樹海の更に奥へと進んだ。
「くっ……!」
前方から飛び掛かってくる蛇の牙をタロンの刃を噛ませて受け止め、後方から忍び寄ってきたもう一体をやや後ろに飛び上がって頭部を踏み付ける。
その間に、右側の樹木に巻き付きこちらの様子を窺う蛇に向けて右手の投げナイフを放ち牽制する。
ダンジョンの奥に進むに従い、蛇たちの攻撃は苛烈さを増した。
キュイのお陰で最初のような不意打ちは受けなくなったが、今のように三体同時に襲い掛かってくることなど当り前で、酷い時には戦闘中に
さらに、個体によってサイズがまちまちでやり難い。
しかし、それは逆説的に考えればそれだけゴールに近付いてきたということでもある。
だから俺は、臆せず進む。
「しつこい!」
タロンに噛みついたまま離れない蛇をタロンごと放り投げ宙に浮かせる。
左右の手で拳を作り右ストレートを放つと、格闘スキル《双閃打》が発動した。
右拳が黄色く輝き蛇に吸い込まれるように叩きつけられ、それに追随するように、同色の輝きを持った左拳がアッパーカット気味に蛇の胴に突き刺さり、その体をさらに高く打ち上げる。
たまらず蛇はタロンを離し、そのまま消滅した。
中空に残ったタロンを掴み取った俺は、それを逆手に持って頭部を踏み付けたままの蛇に突き立て斬り裂く。
会心の手応えを感じ、HPを一気に削りきった。
消滅を確認せず、樹に巻き付いたラスト一体に目を向け猛然と左袈裟に斬りかかる。
蛇はするりと避けて樹を登っていくが、それは織り込み済み。
俺は垂直に飛び上がりながら《トラバース》を発動させて逃げる蛇を一刀両断した。
「キュイ、他は?」
地面に着地して立ち上がると、俺はマントの内側に隠れているキュイに声をかけた。
「キュィ」
ひょこっと顔を出したキュイは、小さな頭を左右に振って残りは居ないということを示す。
「ありがとう」
キュイに一言そう言ってから、俺は左手に持ったタロンを軽くタップしてプロパティを表示させた。
「耐久値がそろそろ危ないな……」
そう一人ごちる。
スローイング・ナイフの残弾数も少なくなってきたため、戦闘は極力避けたくなってきた。
「……強行突破するか……?」
ぼそっと小さく呟く。
確かに、その方が時間短縮にもなるうえ、折角リズベットから貰った短剣を失う心配もなくなる。
しかし、それはあの凶悪な毒牙から身を守る手段を自ら減らす事だ。
どっちを採ればいいのだろうか……。
数瞬の熟考の末、俺はタロンを鞘に収め右手を振ってアイテムメニューを開き、そのウィンドウにタロンを鞘ごと落とした。
そうする事により、タロンはウィンドウに触れた瞬間に消滅してアイテム欄の一行を埋める一つの単語となった。
「キュイ。今までで一番揺れるけど……我慢できるか?」
「……キュィ」
「じゃあ、しっかり捕まっていろよ」
マントから顔を出すキュイを一撫でしてから引っ込ませる。
キュイがマントの内側をゴソゴソと移動し、ポケットに潜り込んだのを確認してから、俺は両足に力を込めて――踏み出した。
ぎゅんッ、と言う効果音が付きそうなほどの加速を感じ、落とすことなく樹の根や下草に足を取られないよう細心の注意を払いながら樹海を突っ切る。
「キュキュ」
ポケットが震え、キュイの警戒を促す声が耳に届いた。
直後に真っ正面から飛来する深緑色の毒蛇。
自身の眼に全神経を集中させ、飛来する蛇の大きさ、角度、狙いを見極める。
すると、俺や飛来する毒蛇を含む風景全てが、スローモーション映像のようにゆっくりした流れに変わった。
(狙いは……首!)
そう判断した直後、時間の流れが元に戻った。
頭を下げ、スラインディングのような体勢で蛇の下を通り抜ける。
蛇は頭上を通過し、俺はそれを無視して前へと走った。
しばし走ると、周りがやや明るくなり視界が開けて焦げ茶色の壁が映った。
ようやく到着したかと思ったとき、キュイの声と少し前にある草むらがガサッと鳴った。
その草むらを通り過ぎる一歩手前、蛇が鎌首をもたげて噛みつこうとする。
それくらいならどうと言う事無い。
俺はその速度のままジャンプして回避。
体が空中にある間、高くなった視界に枝に潜む蛇を一体見つけた。
着地した瞬間に飛び降りて来るのだろうか。取り敢えず、念のためポーチに手を伸ばす。
そして左足が地面に触れるか触れないかと言うところで、左側から音が聞こえ隠れていたもう一体が噛み付こうと飛びかかってきた。
「チッ!」
タイミング的にダッシュじゃ回避が間に合わない。思わず舌打ちする。
俺は一か八か、腰を左へと捻り、右の膝を曲げて持ち上げた。
右足が紫のライトエフェクトを纏い、宙に帯を引きながら高速の回し蹴りが繰り出される。
果たして、その蹴りは蛇の頭の付け根を正確に捉え、蛇を蹴り飛ばした。
ここまで正確な蹴りが放てたのは、おそらく現実での鍛錬の賜物。空手をやっていて良かったと素直に思う。
蹴りを放った勢いをそのままに、腰をさらに回転させて進行方向へと顔を向ける。
案の定、枝の上にいた蛇が攻撃態勢を取っていた。
そこにポーチから抜き取った投げナイフを放って攻撃をキャンセルさせる。
「行ける!」
そう思った直後だった。
「キュキュキュ!」
緊迫した鳴き声が聞こえたと思ったら、左足に噛まれるような不快感を感じた。
まさかと思い目を向けると、左足のふくらはぎに、モスケイルヴァイパーが噛みついていた。
「なん……ッ!?」
途端に、噛まれたところに熱を感じ、HPバーの枠が紫色に明滅してデバフが表示された。
薄紫色の下地に、気泡のような大小二つの濃い紫の円。
間違い無く、俺が警戒してやまなかった《
ヤバい。これは死――――
「――いや、まだある!」
まだ活路はある。
俺は噛み付く蛇を振り払い、岩壁目掛けて猛ダッシュした。
「《ヴァイプハーブ》がクエスト限定のユニーク品じゃなければ、もしくは複数回使えるアイテムなら」
まだ、死なずにすむ!
徐々にに減っていくHPを確認しながら、もう五十メートルも無かった道を一瞬にしてゼロにして小高い岩壁を見上げる。
「キュィ」
いつの間にか顔を出していたキュイが、視線を一点に集中させた。
その視線の先には、焦げ茶の壁の中に一際目立つ瑞々しい黄緑色の植物が
俺は諦めずもう一つの可能性に賭け、僅かな助走を付けて壁を走って登った。
熱を感じる左足に鞭打って壁を駆け登り、目的のアイテムを掴んだ。
視界に表示される【《ヴァイプハーブ》を入手しました】と言うウィンドウ。
「よし!」
落下しながらタップして効力を確認する。
【渋味はあるが、その実は二粒で強力な猛毒を治す。Lv.4まで対応】
「二粒……?」
足が地に着き、ヴァイプハーブを見やる。
実は二粒しか生っていなかった。
オリジナル剣技
《双閃打》
・格闘スキル
・右ストレート→左アッパーカット or 左ストレート→右アッパーカット
・原作《閃打》の上位互換
【あとがき】
以上、三十一話でした。皆さん如何でしたでしょうか?
何というか、アヤメ君結構御都合な戦闘繰り広げてますね。
もっと苦戦させた方が良かったかも……。それに、内容がやや走り過ぎだったかもしれません。
次回は、現状治療不可能の毒を受けてしまったアヤメ君。一体どうする!?
それでは皆さんまた次回!
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三十一話目更新です。
《ヴァイプハーブ》を手に入れるべく樹海を東に進むアヤメ君とキュイ。
一人と一匹は手に入れることができるのだろうか?
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