中学校までの道のりは自転車で1時間以上かかってしまう。そのためバスを利用して登下校している。過疎化が進んだ田舎の山の中に自分の家はある。山の中とは言え、目の前には田んぼがある。家の裏からずっと山となっている。こんな辺鄙な場所にも人はいるもので、物好きな人が引っ越しに来たばかりだ。大方都会の喧騒を避けというのだろう。憎たらしい、顔を見たことはないが一家の新居に火をくべ荼毘に伏せてやりたい。この地域の人達はどんどんいなくなっている。若者は職を求めて此処を出て残るのはジジイやババアだけだ。生活には困らない場所ではある。車で30分走ればイオンがある。少し前に商店街が消えてしまった元凶ではあるものの無ければ困るのだ。
家には両親と姉、そして祖父の5人で暮らしている。姉は初めて高校の夏制服を着て浮き足立ったらしく何処かへ出掛けて行った。父は仕事からまだ帰ってきていない。時間は6時、あと1時間程で戻って来るだろう。母は夕食をせっせと作っている。さて、漫画でも読んで暇潰しをしようかと思った時に
「おい。」
と襖の向こうから声を掛けられた。祖父だろう。やれやれまたか、と思い襖を開けた。
「なあ、しつこいがまた話をするぞ。」
祖父は暇を見つけては同じ話を聞かせる。それは、鬼を見た事がある、裏山で、凄く恐ろしかった、必死の思いで逃げた、その時に鬼が腰に差していた太刀を盗んできた、という話だ。毎回、内容を変えずに同じ話をし始める。そしてその続きは、その太刀を村に持ち帰ってきた時には何故か太刀は錆びてしまい、皆に鬼など居ないと馬鹿にされ、証拠の太刀も錆びており、大方拾った物を使った作り噺と解釈され、それでも鬼を見たと言い張った祖父を古太刀と渾名で揶揄される事になった、のである。
「いい加減聞き飽きたよ、じいちゃん。」
「そんな事を言ってもな、息子も信じてくれなかったんだ。孫にくらい信じてもらいたいんだ。」
いつも決まってそう言うのだ。それに対して必ず、
「信じてるよ、じいちゃん。」
と言い聞かせるのだ。
裏山に入る事はあまり無い。何せ奥には何も無くずっと山は続き、その道中にも何も無いからだ。そんな山に入る事になった。目的は、友人が「川釣りをしたいからお前の家の裏山の川に魚がいるか見て来い。」との事だ。夜まで居たいから友人の家が近くにあるのが良いのだと言う。それで川が近くにあり山もあるクソ田舎である自分の家がピックアップされたのだ。クラスの皆は学校に近い住宅街に住んでいるのだ。友人の頼みなら仕方ないと重い腰を上げ日曜の昼間にやってきたのだ。山道には本当に何もなく只々暇だった。程なくして開けた場所に出た、目の前には浅い川があり日差しが川面に反射して目が痛かった。そして人影を捉えた、女の子の様だ、白いワンピースを着て川に足を入れ涼んでいるのだろう。見た目では年上だろうか、黒い髪は長い、そして目は金色だ。金色の目が自分を捉え、一瞬、困惑したように見えた。急いで川から上がりサンダルを引っ掛けた。すると思わず、
「待って!」
と声を掛けてしまった。
ビクリを身を震わせゆっくりと振り返った。何か話そうか、そう思って彼女に近付こうと思ったが目の前には川がある。脛までの水位でもスニーカーで突っ込むのには気が引けた。靴を脱いで行こうと思い、片足に手を掛けたその時、バランスを崩し川に飛び込んでしまった。全身濡れてしまい気分は最悪になったが、その刹那の出来事で彼女がクスリと笑ってくれて嬉しかった。彼女に、
「いきなりゴメンね。」
と声を掛けた。彼女は口を開いたが直ぐに閉じて困った顔をした。どうしたんだと思うが彼女は踵を返し走って何処かへ行ってしまった。山を降りたのだろうか。川の中で何とも言えない気分になった。
それから数日は彼女の事を考えていた。話がしたい、役に立つ立たない関係ない話を聞かせてもらいたい。日が暮れるまで話をしたい、明日会えるかも判らないがまた明日と言いたい。また山に行こうか、そう思った時は夏休み寸前の金曜日だった。
金曜日の夕方、家に帰ると珍しく姉が先に帰っていた。
「早いな。」
「明日から夏休み、今日は午前授業。」
と端的に説明してくれた。
窓から見えるのは傾いた太陽で赤で山が染まる。あまりの眩しさに目を細め、カーテンを締めようかと思ったが姉がすくっと立ち上がり閉め始めた。
「二階のカーテン閉めて来て。」
一階は姉がやるのだろう。もうすぐ夜になる。境目などないという顔で。
風呂にでも入ろうかと廊下を歩くと床が軋んだ。その音を待っていたのか祖父が襖を開けた。またあの話か。そう思い飽きらめ素直に祖父の部屋に入った。
「お前、鬼の姿の話を聞いたことあるか。」
「恐ろしかった、とは聞いた。」
「そうか…。お前、どんな姿を想像している?」
「そりゃ、よくテレビとか絵になってる…、桃太郎の絵本みたいな鬼さ。」
そう答えると祖父は俯き、何か悩んでいるようだった。少しすると息を吸い話し始めた。
「見た鬼はそんなんじゃなかった。髪の長い女だった。」
手の平に汗が滲んだ、拳を作って誤魔化した。
「その女があまりに綺麗で話し掛けたんだが、口を開いても声も何も聞こえなかった。そしてまた別の日、またその女に会った、すると突然目付きが変わり襲って来た、太刀を持ってな。」
誤魔化せない程の汗が額に浮かんだ、夏の暑さだ、そう言い聞かせた。
「それでな、何度も行ったように何とか太刀を盗んで村まで帰って来たわけだ。」
生唾を飲み込んだ、初めて聞く話にどこか不安を感じていた。そして祖父は付け足しのように、
「そう言えば目が金色だった。鬼は金色なのかもしれない。」
と言った。自分はもう何も考えたくなくなった。
日曜日、山道を歩いていた。目的地は彼女に会った開けた川の見える場所。彼女に会うつもりだ、きっと会える、そう思いながらも会うことが怖かった。
その場所に彼女はいた。また足を川に入れている。自分に気付き薄っすら笑った。
「君の名前は?」
そう聞くと彼女は口を開いたが声は出ず困った表情をした。自分を見る目は金色だ。
今朝、祖父に聞いたことがある、
「もし、2回目にあった時に鬼だと分かっていたらどうしてたと思う?」
そう聞くと少し考えて、
「山から突き落としてたかもなぁ。」
と答えた。
自分は今何をすればいいのだろうか。そう考えたが怖くて怖くて堪らなかった。
日曜日の夜、初めて物好きの顔を見た。
まさか外人と日本人の夫婦だとは思わなかった。
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twitterで古太刀というお題をもらい、書きました。