高原司は、神妙な面持ちで“それ”と対峙していた。
目の前にはやや縦長の包装が置かれている。包装には『MMS』『武装神姫』という文
字が踊り、前面には透明な樹脂板が貼り付けられており、中身が一目で判別出来るように
なっていた。
包装前面の透明な樹脂板から姿を覗かせているのは、全高が約15センチ程度の、少女
の姿をした人形だ。それも、ただの人形ではない。これこそが、包装に記されたMMSと
いう規格に基づいて製作された、神姫と呼ばれるフィギュアロボットなのである。
(ここまで……長かったなあ)
司は、神姫を購入するまでの道程を思い返し、感慨に耽った。今から思えば、購入まで
道程は苦難の日々ではあったが、それを果たした今では、懐かしさすら感じる。
武装神姫とは、元々、昔から数多く開発されては消えて行った、多くのホビーロボット
の中の一商品に過ぎなかった。だが、神姫はそれまでに販売された製品とは、一線を駕す
る性能を備えていた。明確な知性と感情を備える存在として生み出された彼女らは、その
優れた性能から、人々の生活を補佐する存在として、現代社会において認知されるまでに
至っていた。
司が神姫の姿を初めて目にしたのは、2036年の事である。武装神姫とも呼ばれる彼
女らは、オーナーの意向に従って武器や装甲を身に纏い、専用の筐体の中で戦いを繰り広
げていた。可憐ながらも凛々しく戦う彼女達の姿に、司は一目で心を奪われた。しかし、
当時の司は未だ幼く、神姫を手にする事が可能な金銭を持つに至ってはいなかった。両親
に購入を懇願することもあったが、それが聞き入れられる事は一度たりとも無かった。無
理もない。神姫は一体で高性能なパソコン一台分の価格がするのだ。それは易々と動かせ
る金額ではないし、幼い司の手に余ると考えられても仕方のない事であったろう。
その神姫が、今は目の前にある。それは長年の貯金の成果であった。とはいえ、その貯
金の進行具合は、あまり芳しいとは言えなかったが。子供の頃であればあるほど、周囲と
の繋がりは大事であったし、そのためには、多くの貯金を切り崩さなければならない事態
にも見舞われ続けた。孤立するのは本望ではなかったからだ。
しかし、それも終わりだ。目の前には大枚をはたいて購入した神姫の包装がある。これ
で自分も、憧れの世界へと踏み出すことが出来るのだ。
ただし、目の前の包装には、僅かばかり思う所があった。購入した神姫の名称は「アー
ンヴァルMk.2テンペスタフルアームズパッケージ」と記されている。しかし、司が本
来欲していたのは、「アーンヴァルMk.2フルアームズパッケージ」であった。テンペ
スタはその派生機なのだ。
長い年月を耐え忍びながら、完全に望んだものを手に入れてはいない。そこには疑問が
あるだろう。しかして、神姫はその高額な価格帯にも関わらず、人気商品なのだ。購入者
は後を絶たず、結果として望みの神姫を手に入れられない事例も少なくない。望みの金額
を確保し、溢れ出す感情を抑えきれずに店舗へと走った司は、その事例の一つと成り果て
たのであった。
(しょうがないじゃん、我慢できなかったんだもん)
そんな司を愚かと思う者も少なくないだろう。ここまで我慢したのだから、次の入荷を
待てば良かったのにと。しかし、一度外へとあふれ出した思いは留まることを知らず、行
き場を失った気持ちは、在庫のあった派生機へと向いてしまったのである。
そうして、物思いに耽るのも束の間の話。司は、改めて自分の身なりを確認した。汚れ
た手で初めて神姫を触るのは気が引けて、先に入浴を済ませて来た。パジャマも、新しい
ものに着替えた。問題はない。その心境は、果たしてかけた金額か、年月の果てにあるの
か。神姫の梱包を開封する心持ちは、どこか神聖な儀式めいていた。
準備は万全だ。司は神姫の梱包を手に取ると、梱包自体にも傷みが現れないよう、慎重
に上蓋を開けた。続いて、中のブリスターを取り出すと、更に慎重にブリスターの蓋を開
ける。俗にいうブリスターボム――ブリスターを開いた途端に中身が飛び散る現象――を
発生させて、余計な手間を増やしたくはなかった。
開封したブリスターから神姫の素体だけを取り出す。武装の類はまた別の機会だ。まず
は神姫本体を起動しなければ。
デスクトップパソコンを起ち上げ、神姫の梱包と対峙する前に取り出しておいた、クレ
イドルと呼ばれる充電器をコネクタに接続する。そして、神姫をクレイドルの背もたれに
寝かせると、パソコンにあらかじめインストールしておいたセットアッププログラムを起
動した。プログラムが走り、クレイドル上に寝かされたセットアップの済んでいない神姫
を認識すると、ナビゲーションが開始される。それに従って神姫の胸部を開放すると、心
臓を思わせるハートの形状の回路が姿を現した。その左胸には、二重の円の中に三つの小
さな穴が、正三角形を描くように空けられている。……次はコア・セットアップ・チップ
の埋め込みだ。
コア・セットアップ・チップ――通称CSCは、神姫の性格や個性を決定付ける重要な
部品である。宝石類の名を冠し、模して作られたその集積回路は、三つを組み合わせるこ
とによって、神姫の心と意志を生み出す源となるのである。
司はCSCの包装を取り出し、中身を取り出しては、先ほどのブリスターの蓋の中へと
静かに移すと、一つずつ摘んではしっかりと神姫の胸へ埋め込んでいった。
埋め込んだのは、CSC/サファイア・CSC/エメラルド・CSC/ジルコンの三つ
だ。
(能力のバランスを考えてみたつもりだけど……)
マニュアルを読み、情報サイトの記述を参考にCSCを選択したが、それが実際にどう
影響するのか。どんな組み合わせを行っても絶対的な差にはならず、結局はマスターの技
術が求められることになると言われており、特に間違いは犯していない……はずだ。
(後は、性格がどうなるか、だよね)
CSCによって獲得が可能なセンスについては、調べれば必ず言及があった。だが、神
姫の性格に与える影響については、いくら調べてもはっきりとした答えを発見することは
できなかった。こればかりは、神姫を起動してみなければ判らない。
ともあれ、これでセットアップは完了した。後は起動するだけだ。司はごくりと唾を飲
みこむと、モニターに表示された起動ボタンをクリックした。ほどなくして、電子機器の
電源が入る際に発生する独特の音が発せられ、高まりと共に人間の可聴範囲から消えてい
く。
「Front Line製、MMS-Automaton――神姫――天使型アーンヴァ
ルMk.2テンペスタ、FL16/T。セットアップ完了、起動します」
抑揚のない無感情な声が神姫の口から発せられると、神姫が初めてその眼を開いた。正
常にセットアップは完了したようだ。だが、まだ大事な作業が残っている。神姫はクレイ
ドルの上に立ち上がると、先程と同じ無感情な声音でナビゲーションを続けていく。
「オーナーのことは、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
開かれた神姫の目には、未だ意思の光がない。司はその様子に、一瞬だけ戸惑いを感
じたが、すぐにその質問への答えを口にした。
「えっと……じゃあ、マスターで」
マスター。神姫のオーナーの最も基本的な呼び方である。だが、それゆえに籠められた
思いには強い熱望があった。司の指定を聞き入れた神姫は、そこでようやく意思の光を目
に宿し、抑揚のある感情のこもった声で挨拶を口にした。
「私、マスターのために一生懸命頑張ります! これから宜しくお願いします」
(そうだ、これだ……これだよ!)
その言葉に、司は急速に喜びの感情が高まるのを感じた。求めていたものに出会えた瞬
間であった。だが、これで神姫のセットアップ作業が全て終わった訳ではない。まだ、大
切な作業が残っている。今度は今までと異なり、神姫は抑揚のある声でナビゲーションを
続ける。
「では……私に名前を与えて下さい。それで私は、あなたのものになります」
そう、神姫の名前である。セットアップの最終工程であり、その存在を示すもの。オー
ナーは、それを神姫に与えなくてはならない。だが、それとは別に、司の心は別の場所
へと飛んでいた。
(あなたの……もの!?)
神姫はロボットである。例外はあるが、購入する事によって獲得する商品である。神姫
は事実を伝えているだけに過ぎないのだが、女性として作られた神姫から発せられたその
言葉に、司は別の意味を感じてしまったのである。
(って、毒されてるのかな、僕)
それを感じさせたのは、多感な年頃ゆえか、それとも情報収集の過程で見た先達の言葉
からか。司にそれを判断することは出来なかった。いや、今はそんな事を考えている場合
ではない。神姫を待たせている。司は、あらかじめ考えておいた名前を神姫に告げた。
「すみれ……菫で」
アーンヴァルMk.2のカラーリングは、派生元であるアーンヴァルMk.2の白を基
調としたものとは正反対で、ダークブルーとパープルの色合いで纏められている。カタロ
グでそれを見るにつれ、自分で購入した場合は紫色の花の名前にしようと決めていたので
あった。
「菫ですね。うふっ……素敵なお名前、ありがとうございます」
アーンヴァルMk.2テンペスタ――菫が微笑む。その姿を見た事で、司は幾ばくかの
安堵を覚えた。これで、今度こそセットアップは終了だ。今この瞬間から、自分と神姫と
の生活が始まるのだ。始まるのだが……。
「さて、今晩はどうしましょう?」
菫の声に、司はモニターに表示された時刻を見る。セットアップを始めた時間が時間な
ので、すっかり夜も更けてしまっているが――。
司は机に置いてあったカメラを手に取ると、レンズを菫に向けた。
「……カメラ、ですか?」
「うん。それじゃ、記念撮影をしようか。菫、笑って?」
「あ、は、はい!」
ファインダー越しに菫の顔を覗く。若干、菫の作る笑みがぎこちない様に見えるのは気
のせいだろうか。それとも、まだ起動したばかりだからか。司はシャッターを押すと、カ
メラをパソコンに接続し、神姫ネットと呼ばれる武装神姫を愛好する人々が集うサイトに
アクセスした。不思議そうにそれを眺める菫を横目に、司は先程撮った写真をアップロー
ドし、「うちの子、誕生!」というタイトルを添えて投稿した。
「もう、今日は遅いからあんまりする事もないけど、記念に――ね?」
「あ、ありがとうございます、マスター!」
菫が目を輝かせるのを、司は湧き上がる嬉しさと共に見守る。彼女との生活に一歩を、
これで踏み出す事が出来たのだと思えたからだ。
「さて、今日はもう遅いし、寝よう。記念撮影だけで悪いけど……」
「いえ、確かに今日はもう遅いですし。……おやすみなさい、マスター」
菫がクレイドルにもたれかかるのを見届け、司はパソコンの電源を切り、明かりを消し
て布団の中に入った。そして、今までの事を思い返す。短い時間のはずだったが濃密な一
時を過ごした余韻を感じる。
(明日から、どうやって過ごせばいいか分らないけれど、きっと何とかなるよね?)
これからは、神姫――菫との共同生活が始まる。ロボットの少女と過ごす日々というの
がどういうものなのか、いまいち理解できないが……。それでも、彼女のぎこちないなが
らも精一杯の笑顔を思い返すと、何とかなるように思えてならないのだった。無論、根拠
など、どこにもないのだが。
そうして、セットアップの過程を思い返しながら微睡んでいると、脳裏に浮かぶ姿が別
のものに変わった。金髪に青い瞳と白いカラーリング――アーンヴァルMk.2。本来、
司が購入を望んでいた、アーンヴァルMk.2テンペスタの本流ともいえる機体。司は、
その姿を消し去ろうと考えた。だが、その姿は消し去ろうとすればするほど、鮮明に映る
ように感じるのだった。もはや引き返すことなど出来ないというのに。
テンペスタとは嵐を意味する。明日から始まる菫との本格的な生活は、司の不安を吹き
飛ばすのか、それとも強く不安を煽るのか。それは、誰にも判らないことであった。
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武装神姫の二次創作です。
2036年に自分の分身となる人物がいたら。もし、今と同じようにアーンヴァルMk.2を手に入れられず、テンペスタを代償行為に購入していたら。そんな気持ちを込めた作品になります。
以前に投稿したものの改稿作になります。大筋は変わっていません。
時間をかけ、「書かない訳ではない事の意思表示」から「最低限見れる事」以上を目指した作品です。
2013/11/05
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