宵闇と銀の霧が覆う竹林の中を一人の男が歩いていく。
男は小豆色の胴衣と藍染の袴を身に纏っていて、その首には銀の蔦に巻かれた黒曜石のペンダントが掛かっていた。
その男こと、将志は永琳に呼び出されて永遠亭に向かっていた。
将志の手には町で買い集めた物資が握られていた。
「……む?」
その途中、将志は違和感を覚えて立ち止まる。
目の前に広がるのは普段どおりの獣道、しかし将志はそこに確かな悪意を感じるのだ。
将志は妖力を集めて銀の槍を作り出し、目の前の道に突き刺した。
すると目の前の地面が崩れ、大きな穴が現れた。
穴はかなり深く、人為的な物であることが分かった。
「……落とし穴?」
将志は目の前で口をあけている穴を見ながら思考を巡らせた。
永遠亭に住んでいるのは輝夜と永琳、そして交流があるのは将志と愛梨、六花とアグナである。
しかし、その全員がこのような罠を仕掛けたことはなかった上、仕掛ける必要がない。
誰かが暇つぶしで作ったのかも知れないと思いつつ、将志は進んでいく。
すると次から次に罠が見つかり、将志はその一つ一つを丁寧に躱していく。
「……随分と手の込んだ罠だな」
将志は道を進みながらそう呟いた。
罠は巧妙に隠されており、一目見ただけでは分からない。
その上、罠にはまって慌てて抜け出そうとした場合、その抜けた先に更なる罠が仕掛けてあるのだ。
「……誰かは知らないが面白いことを考えたな」
将志はその罠を掻い潜りながら道を進んでいく。将志は自分への挑戦を真っ向から受けてたったのだ。
そして、その後将志は一つも罠を発動させる事なく永遠亭にたどり着いた。
罠の気配を探してみるが、それ以上の悪意は感じられなかった。
「……俺の勝ちだな。さて、誰がこんな罠を仕掛けたのやら」
将志はそう言いながら永遠亭の中に入った。
すると、永遠亭の中には大勢の兎がせわしなく飛び跳ねていた。
兎達は広い屋敷の中を掃除をしたり、庭で植物を育てたりしていた。
「……これはいったい?」
将志は首をかしげた。
しばらく見ないうちに住民が大量に増えているのだから当然であろう。
疑問に思いながら将志は座敷へと歩いていく。
「……む」
将志は襖に手を掛けようとすると、そこにかすかな悪意を感じた。
その悪意の方向は上。将志はそれを確認すると、襖を勢い良く開け放ち、その場にとどまった。
すると、将志の目の前に紐がついた桶が落ちてきた。
「ほら、将志に罠は通用しなかったでしょう?」
「うぐぐ……屈辱だわ……」
「というか、何であんな完璧に避けられるのよ?」
その向こう側で話をしているのは紺と赤の服の女性に、長く艶やかな髪の少女、そして兎の耳の生えた少女だった。
将志は見かけない顔に首をかしげる。そんな将志に永琳が声を掛けた。
「お帰りなさい、将志。あなた宛の挑戦状はどうだったかしら?」
「……なかなかに面白かったぞ。罠の仕掛け方の勉強にもなったしな」
「くぅ……つまり余裕だったってわけね……」
将志の言葉に、ウサ耳の少女は悔しそうにそう呟いた。
それを聞いて、将志はその少女に眼を向けた。
「……お前は何者だ?」
「因幡 てゐ、ここに住んでる兎達のまとめ役よ。そういうあんたは何者よ?」
「……槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪にしてそこに居る主の従者だ」
「ちょ、自分で変わり者って……」
将志の自己紹介に、輝夜が思わず物申した。
それに対して、将志は首をかしげた。
「……嘘は言っていないだろう?」
「まあ、確かに嘘は言っていないわね」
将志の言葉に永琳が苦笑しながら頷く。
実際は嘘は言っていないが、色々と大事な情報が不足しているのだった。
「それで、何で私が罠を仕掛けた場所がわかったのよ?」
「……罠というものは相手を傷つけるものだ。そこには大小様々あれど悪意が存在する。俺はその悪意を感じ取って避けただけに過ぎん」
「ねええーりん、将志はいったい何を言っているの?」
「……流石にこれは常軌を逸しているわね……」
平然とした態度で言い切る将志に、輝夜は永琳に思わず尋ねた。永琳も滅茶苦茶なことを言い出した将志に唖然とした表情を浮かべている。
貴方は誰がどんな思いをこめてどこにどんな罠を張ったかが見ただけで分かるだろうか? 分かるとしたら、もはや超能力者であろう。
「……それよりも、俺を呼び出したということは何かあったのか?」
「ああ、直接的な用事はもう終わっているわ。てゐの挑戦状と紹介が面だった用事だったから」
「……そうか。ならば少し早いが食事にするとしよう」
将志はそういうと、てゐの顔と体をジッと眺めた。
「な、なによ」
「……ふむ」
将志は一つ頷くと台所に入っていった。てゐは将志の行動の意味が分からずオドオドとしている。
その一方で、輝夜は面白そうに将志を見ていた。
「……わ~、将志すごいやる気ね……」
「あら、将志のやる気はいつも十分よ? 普段の料理だって将志は全力で作っているわ」
「そうなの?」
「ええ。何故なら、将志は決して妥協をしない妖怪だから」
永琳は楽しそうに将志の事を話す。
輝夜はその様子をジッと眺めていた。
「あら、どうしたのかしら?」
「……永琳は何でそこまで将志のことが分かるの? 一緒に過ごした時間は私と同じくらいなのに、どうして私が知らない将志をそんなに知っているの?」
「それは、将志が全部教えてくれるからよ」
「え?」
永琳の一言に輝夜は呆気に取られた。
将志は普段感情をあまり外に出さず、己が胸中を打ち明けるようなことは少ない。行動一つ取ってみても、将志はどんな心理状態にあっても決して揺らぐことはないのだ。
つまり、将志が黙っていれば誰にも分からないのである。だというのに、永琳は将志が教えてくれるというのだ。
「……どういうこと?」
「良く見ていれば分かるのよ。話すときの仕草や声、料理やお茶の味、歩き方や息遣い。それが将志が今どんな状態なのかを全部教えてくれるのよ」
「……てゐ、えーりんが何言ってるか分かる?」
「……盛大に惚気ているようにしか見えないわ」
要するに、永琳は将志の一挙一動を余すことなく観察しているということである。
常軌を逸した主従に、輝夜とてゐは盛大にため息をついた。
「……出来たぞ」
しばらくして、将志が料理を運んできた。
将志は手にした盆を次々と配膳していく。
「……ところで、今日は酒を飲むのか?」
「もらうわ」
「そうね……頂こうかしら」
「くれるって言うんなら遠慮なくもらうわよ」
「……了解した」
将志は酒の入った瓶と杯を用意して配っていく。
そして配り終えると、将志は自分の分の料理が並べられた膳の前に座った。
将志が座ると同時に食事が始まる。
そして一口食べた瞬間、てゐが固まった。
「あら、どうしたの?」
「ふふふ、てゐは驚いているだけよ。たぶん、その料理の味があまりにも自分好みだったから」
「……私、お師匠様よりも料理が上手い人って居ないと思ってたのに……」
「それはそうよ。私の料理は将志の真似して作ってたんだから。言ってみれば、将志は私の料理のお手本みたいなものよ?」
てゐの一言に、永琳は楽しそうに笑いながらそう言った。
実は永琳は離れ離れになっていたとき、将志の料理の再現がしたくて自分で作り始めたのだ。
彼女は将志が料理の研究に使っていた資料を片っ端から調べ上げ、その再現に成功したのであった。
その横で、輝夜が永琳に疑問をぶつける。
「でも、自分好みってどういうこと? 確かに将志の料理は永琳のよりおいしいとは思うけど……」
「その答えは、私の分の料理を食べてみれば分かるわよ」
永琳はそういうと、自分の盆の上にある煮付けの器を輝夜とてゐに差し出した。
二人はそれを食べた瞬間、きょとんとした表情を浮かべた。
「……あれ? いつもの永琳の料理とあんまり変わらない?」
「ええ。そしてこれが私好みの味。どういうことだか分かったかしら?」
「つまり、相手によって味付けを変えているわけ? 何でそんなことを……」
「だから言ったでしょう、将志は決して妥協をしないって。将志にとって、この少人数ならまとめて作ることすら妥協になってしまうのでしょうね」
永琳はそう言いながら将志の方を見た。
その視線を受けて、将志は感嘆のため息をついた。
「……まさか見破られていたとはな」
「いつも使っている鍋の他にたくさんの小鍋があれば、大体の想像はつくわよ。それに将志の考えそうなことなら大体分かるしね」
「……やれやれ、これでは隠し事もままならないな」
「あら、何か隠し事をするつもりなのかしら?」
その言葉を聞いて、将志は小さくため息をつきながら首を横に振った。
それに対して、永琳は意地の悪い笑顔を見せた。
「……まさか。俺は誰に隠し事をしようとも、主にだけは洗いざらい打ち明けることにしている」
「それはどうして?」
永琳は笑みを浮かべて将志にそう問いかける。
その視線を受けて、将志は小さくため息をついた。
「……言わせる気か?」
「ふふふっ、分かってるわよ。だって私はあなたの……」
「……一番の親友だからだ」
「……一番の親友だからね」
「てゐ、その焼き魚の塩ちょうだい」
「あげないわよ。私だって口の中が甘ったるいんだから」
将志と永琳がそう言い合っている隣で、輝夜とてゐは焼き魚に添えられた盛り塩をひたすらに嘗めていた。
そんな二人の様子に将志が気付く。
「……む? 塩気が足りなかったか?」
「いいえ違うわ」
「糖分の過剰摂取よ」
「……どういうことだ?」
皮肉の籠もった二人の言葉に、将志は首をかしげた。この男、意味が分かっていないようである。
その様子を見て、輝夜とてゐは顔を見合わせてため息をついた。
「……てゐ、今日は飲むわよ。こんなのに付き合わされるのは御免だわ」
「……付き合うよ。この二人に付き合うほうが酒の過剰摂取よりも精神衛生上よっぽど身体に悪いわ」
「……?」
その後、将志は酒を浴びるほどかっ喰らった二人を介抱する羽目になった。
蒼白い月に照らされた縁側に座り、持って来た酒を飲む。中秋の夜風がその銀色の髪を優しく撫でていく。
将志は風音と鈴虫の声に抱かれながら、ぼうっと月を眺めていた。
「やっぱりここに居たわね、将志」
そんな将志の横に、永琳が腰を下ろす。
その手には酒瓶と杯が握られており、将志と一緒に飲むつもりのようであった。
「……あの二人はもう寝たのか?」
「ええ。酔い覚ましを飲ませた後で寝たわよ」
将志はそう話しながら永琳の杯に酒を注ぐ。
乳白色の濁り酒に月が浮かび、風情を醸し出す。
その酒を、永琳はゆっくりと飲み干した。
「……ふぅ、あなたとこうやってお酒を飲むのも久しぶりね」
「……ああ。最近は特に忙しかったからな」
「幻想郷関連の話かしら?」
「……ああ。まあ、幻想郷というよりはその中の一団体関連というべきか……」
そう話す将志の眉間には、若干のしわがよっていた。この間の一見以来、将志は天魔によく絡まれるようになってしまったのだ。
将志は何度も戦って自分の敗因を探るのだが、未だに掴めていない。
それによって、将志は天魔に雑用を押し付けられる羽目になるのだった。
それを見て、永琳は心配そうな表情を浮かべた。
「……相当嫌なことがあったみたいね」
「……ああ。だが、そのおかげで得るものもあったからな、それに関してはもう気にしないことにしているのだ」
それを聞いて、永琳は一転して安心した表情を浮かべた。
将志と永琳は注がれた酒をゆっくりと飲み干すと、空になった杯に酒を注ぐ。
「そう、それなら良かった。ところで、最近愛梨の前に強敵が現れたって聞いたけど?」
「……強敵? ……ああ、恐らく藍のことだろう」
「その人、妖怪かしら?」
「……白面金毛九尾の狐だ。今は幻想郷の管理者のところで補助をしている。最近では、強くなりたいと言って俺と毎日稽古をしているな」
「じゃあ今は師弟関係みたいなものなのね。それで、どんな妖怪なのかしら?」
永琳は将志に寄りかかり、酒を飲みながら将志に質問をする。それは、愛梨の相手がどんな者なのかを探ろうとするものであった。
将志は空になった永琳の杯に酒を注ぎながら藍について考えた。
「……そうだな……頭が良くて気丈で、とても優しい妖怪だな。そして、どことなく主を連想させる」
「あら、それはどういうことかしら?」
「……藍は愛を知り、愛を求め、そして愛を失った。そして寂しがりやで、甘え癖がある。……そんなところが、主に似ていると思う」
将志はどこか優しい眼をして永琳にそう話した。
その横で、永琳は杯を空にしながら将志の腕を掴む。
「……その子に優しくするのはいいけど、ちゃんと私にも構ってくれないと拗ねるわよ?」
「……分かっている。そもそも、俺が主を蔑ろにする等ありえん」
「そう、なら早速甘えさせてもらうわ」
そういうと、永琳は将志の膝の上に座った。
将志は永琳の身体を右腕で抱きかかえるようにして支える。
「ねえ、その藍って子はどういう風に甘えてくるのかしら?」
「……俺に甘えるときはしなだれかかってくることが多いな」
「……こうかしら?」
そういうと永琳は将志の胸に身体を預けた。
永琳の重みが将志に心地良い刺激となって伝わっていく。
「……ああ、そういう感じだな。その状態でしばらくそのままの状態が続くことが多い」
将志がそう言っている間に、永琳はしなだれかかったまま酒をくいっと飲み干した。
そして、将志の首に手を回した。
「……それだけじゃないでしょう? 続くことが多い、って事はその他にもやることがあるのでしょう?」
「……む、確かに藍は俺の心音を聞いたり抱きついたりするが……何故そこまで聞く?」
「あなた自分の弟子にはそこまで甘えさせるのに、主で一番の親友の私にはさせないつもりかしら?」
少々戸惑い気味の将志の質問に、永琳は拗ねた表情で答える。
首に回された手には力が込められ、将志の顔を引き寄せてその黒耀の瞳を覗き込んでいた。
「……いや、そういうわけではないが……」
「じゃあ、教えなさいな。久々に甘えられるんですもの、徹底的にやるわよ。まずは抱きついて心音を聞くんだったわね」
永琳はそういうと将志の服をはだけ、抱きついて耳を胸に当てた。
とくん、とくん、と心臓が脈打つ音が永琳の耳に聞こえてくる。
「……心地良い音ね……聞いていて安心するわ……」
永琳はうっとりとした表情で将志の心音に聞き入っていた。
将志はその様子を見て、困ったように頬を掻いた。
「……主、実はかなり酔っていないか?」
「……ええ、少なくとも理性が少し飛ぶくらいには酔っているわよ? で、他には?」
永琳は将志をぎゅっと抱きしめ、心音を聞きながら質問する。
その質問を受けて、将志は正直に答える。
「……あと、藍はよく接吻をしてくるな」
「接吻ってことは、その藍って子にとってはあなたが一番ってことか……」
永琳はそういうと将志から身体を離し、杯に酒を注いで一気に飲み干した。
将志はそれを見て、唖然とした表情を浮かべた。
「……主、あまり飲みすぎると翌日に響くぞ?」
「将志、実はね……今日の用事、まだ終わっていないのよ……」
「……いきなりどうしたんっ?」
頬を手で掴まれると同時に、将志の唇に永琳のそれが重なる。
突然の出来事に、将志は眼を白黒させた。
「……主?」
「……これが今日のあなたへの本当の用事よ」
永琳は将志から手を離すと、小さくそう呟いた。
その表情は、軽く触れただけで壊れてしまいそうな、そんな不安そうな表情だった。
その意味が分からず、将志は永琳に問いかけた。
「……何故こんなことを?」
「正直に言うとね、私結構焦っているのよ。この間、アグナがあなたにキスしたでしょう? あれを見て思ったわ、いつか誰かが私から一番を奪っていくんじゃないか、私の前から将志を連れ去っていくんじゃないかって。そう思うと、急に怖くなったのよ。だから……っ!?」
震える声で言葉を紡ぐ永琳の口を、やわらかく暖かいものがそっと塞ぐ。
永遠にも感じられる一瞬の後、それはそっと離れていく。
永琳の目の前には、優しい眼をした将志の顔がすぐ近くにあった。
「……これで安心したか?」
「将志……」
永琳は惚けた表情を浮かべながら人差し指で自分の唇をなぞった。
将志からキスを、自らが一番であるという証拠をもらったという事実が未だに信じられていない様子だった。
そんな永琳に、将志は優しく言葉を紡ぎ出す。
「……俺の一番は主だ。この想いは生まれてからずっと変わっていない。そして、これからも変わることはないだろう。……だから、主が俺を失うことを怖がることはないし、そんなことは絶対にさせん」
「……そう……ありがとう、将志……良かった……」
永琳はそう言いながら安堵する。
余程不安だったのか、その眼には僅かに涙が湛えられていた。
その涙を将志はそっと指で拭い、優しく抱きしめる。
「……ねえ、将志」
ふと、将志の胸元で永琳が話しかける。
「……む?」
その声を聞いて、将志は腕の中に眼を落とす。
「……もう一度、あなたの一番を感じさせてくれないかしら?」
永琳は顔を上げ、潤んだ瞳で笑顔を浮かべて眼を見つめながら、将志にそう問う。
「……ああ」
将志はその頼みを、微笑と共に頷いて聞き入れた。
そして蒼白い月を背景に、二つの影が重なった。
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今日も今日とて、主の元を訪れた銀の槍。しかし当の主は、己が親友たる従者に何か用事がある様子。