No.540528 ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都 第一章04+幕間たけとりさん 2013-02-05 23:03:15 投稿 / 全3ページ 総閲覧数:713 閲覧ユーザー数:707 |
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「で、ボク達に話って?」
二十里は腕を組んで壁に背を預け、正面の石流を見下ろした。根津は二十里の傍らで胡座を組み、石流に差し出された座布団の上に乗っている。
石流に呼び出された根津と二十里は、アンリエットやミルキィホームズを仮宿舎まで送った後、密かに彼の部屋に集まった。
石流は床に正座し、両手を両膝の上に載せて僅かに顔を伏せている。そこから数歩離れた壁際で、根津は半纏の裾を床に垂らし、両手を両足首の上に載せていた。そして興味津々といった面もちで周囲を見渡している。
年相応の仕草に二十里は頬を緩め、石流の部屋を一瞥した。
間取りは二十里の部屋と全く同じだが、床に絨毯を敷くこともなく、フローリングのままにされている。家具らしいものも殆どなく、小さな箪笥とカラーボックス、そして折り畳まれて窓辺に立て掛けられた木製の円形テーブルしか見当たらなかった。縦向きに置かれたカラーボックスは本棚代わりに使用されているようで、二段に分けられた上の段には文庫本や新書が並び、下の段には大きめの書籍が整頓され、収納されている。本は殆ど料理関係のもののようだったが、文庫本の方には、新古今和歌集や方丈記など、日本の古典が見受けられた。
これならばミルキィホームズを部屋の中に招き入れても問題なかっただろうが、何かの弾みで怪盗時の衣装や刀が見つからないとも限らない。
二十里が石流に視線を戻すと、彼は顔を上げ、根津と二十里へ切れ長の瞳を向けた。
「キョウトの件だ」
至極真面目な表情で、静かに話を切り出す。
「アンリエット様が捨陰天狗党に狙われている」
剣呑な内容に、二十里は目を細めた。同様に根津も強く眉を寄せている。
「なんで?」
「私の主だからだ」
石流の返答に、根津は不思議そうな面もちを浮かべた。「何が何でも私を連れ戻したい者達がいるらしい」
淡々と吐き出された言葉の意味を計りかね、根津は眉を寄せている。石流は僅かに目を伏せた後、真っ直ぐに根津を見据えた。
「私はかつて、捨陰天狗党員だった」
呼吸のようにさらりと吐き出された告白に、根津は大きく目を見開いている。
意味が分からないと言いたげに動揺を見せる根津に、石流は冷静な面もちを向けた。
「私の出身は、キョウトだ」
そして小さく息を吐く。
「親が捨陰だったから、そのままなし崩し的にな」
初めて耳にする話に、へぇ、とかふぅん、といった間の抜けた声を漏らし、ぽかんと口を開けている。同意を求めるように二十里へ顔を向けると、やがて眉をひそめた。
「……お前は驚かないんだな」
拗ねたような険しい眼差しに、二十里は小さく肩をすくめる。
「なんとなくそんな気はしていたからね」
二十里が苦笑を浮かべると、根津は僅かに唇を尖らせている。
「じゃぁ、アンリエット様には……?」
不安げな眼差しを戻す根津に、石流は「既にお話している」と、小さく頷き返した。
「私は捨陰に戻る気は毛頭ない。その意志も明確に伝えた。だが、向こうは強硬手段に出てくる可能性がある」
「なら、どうして「助けて欲しい」じゃないんだい?」
二十里は、垂れ目がちの瞳を石流へと向けた。
石流を連れ戻す為に、アンリエットが狙われる。その理由は分からなくもない。だが、狙われているのはあくまで石流であって、アンリエットはその手段でしかないだろう。だが石流は、自分の身よりもアンリエットの方を案じている節があった。部下としては当然だろうし、彼らしいといえばそれまでだったが、二十里には妙に腑に落ちないものを感じている。
「自分の事は自分でどうにかする。だからもし私に何かあっても、見捨ててくれて構わない」
石流はそう言い放つと、真っ直ぐに二十里を見返した。
「だが、アルセーヌ様を巻き込む事だけは避けたい」
おそらくそれが、彼にとっての最優先事項なのだろう。
だが、自分の事を見捨ててもいいとまで断言する彼に、二十里は眉をひそめた。
「どうしてボク達に話したんだい?」
これまで石流は、己の過去については固く唇を閉ざしていた。元から口数が少ないこともあるが、こうして打ち明けてくるのはかなり珍しい。むしろ、初めての事でもある。
石流は瞼を閉じると、ゆっくりと開いた。
「今の私の仲間は貴様等だからだ」
そう静かに告げ、二人を見やる。
予想外の言葉に、二十里は軽く目を見開いた。根津も大きな瞳を瞬かせ、軽く眉を寄せている。
「アルセーヌ様を護る為に、力を貸して欲しい」
石流は両手を床について膝前で揃えると、長い前髪が床につくほどに深く頭を下げた。その姿に二十里と根津は目を剥き、顔を見合わせる。
「そ、そりゃ、言われるまでもないけどさぁ……」
他人を頼る石流を初めて目の当たりにして、根津は強く眉を寄せ、頬をかいた。しかしその口元は少しばかり緩められ、頬が僅かに上気している。頼られる事が、素直に嬉しいのだろう。
だが、二十里は内心眉をひそめた。怪盗としてそれなりのキャリアがある石流は、武力にも長けている分、余程の事がなければ他人を頼らないし、それどころか頭を下げたりもしない。だが、その彼がつい最近、初めて自分を頼ってきたことがあった。
つまりこれは、アルセーヌと戦った「あの時」のように切羽詰まった事態になりうる、もしくは既になっている事を意味しているのではないか。
「具体的にはどうすりゃいいんだ?」
戸惑いを含む根津の声音に、石流はゆっくりと上半身を起こした。
「ラット、お前は研修旅行中はできるだけアンリエット様と一緒に行動しろ」
「それだけ?」
不思議そうに首を傾ける根津に、石流は小さく頷き返した。
「アンリエット様は、旅行中はおそらくミルキィホームズと一緒に行動されるはずだ。生徒であるお前なら、違和感なくその中に溶け込めるからな」
護衛には最適だと語る石流に、二十里はアイスブルーの瞳を向けた。
「ボクはどうすればいいんだい?」
「私が良いと言うまで脱ぐな」
「なんでさっ!?」
想定外の言葉に、二十里は憤慨した。美しいボクを見せびらかせないのは罪だと抗議すると、根津は冷ややかな眼差しを返している。
「貴様は目立ちすぎる」
石流は深く吐息を漏らし、言葉を続けた。
「ヨコハマだとそうでもないかもしれないが、貴様は西洋人の整った顔立ちだからな。外国人観光客が多いとはいえ、キョウトでは黙って立っているだけでもかなり目立つはずだ。それに……」
石流は僅かに言い澱んだ。
「貴様にとっては不本意だろうが、相手の不意を突く為には必要なんだ」
軽く目を伏せ、軽く眉を寄せている。やや後ろめたそうな表情を怪訝に感じながら、二十里は唇を尖らせた。
「ボクは、ビューティホーなボクをキョウトでも見せつけたいのに!」
どうしてダメなのかと身を乗り出して抗議する二十里に、石流はアンリエットを護る為なのだと繰り返している。
「まぁ、君がそこまで頼んでくるのは初めてだから、やぶさかでもないけど……ねェ?」
美しい自分の素肌を見せつけられないのは我慢がならなかったが、石流に自分の美しさを褒められ、悪い気はしなかった。何よりアンリエットの為なのだから仕方がない。
押し問答の末、ようやく二十里が納得した素振りをみせると、石流は大きく息を吐いた。
「以上だ」
その言葉で、根津は大きく伸びをして立ち上がった。やや大きめの半纏を揺らしながら玄関へ向かう根津に、石流は背後から声を掛ける。
「荷物は今から準備しておけ」
「うん、分かってるよ」
保護者のような注意を続ける石流に、根津は片手をひらひらと振って返している。
「じゃ、おやすみ」
根津は靴を履き終えると、肩越しに部屋の中へと振り返った。そして静かに扉を閉める。扉の前から根津の気配が遠のき、彼の部屋の扉が微かに開閉する音が耳に入ってくる。
二十里が扉から石流へと顔を向き直すと、石流は眦をやや緩め、玄関の扉を見つめていた。そして、その視線が二十里へと向けられる。まだ帰らないのかと言いたげに眉が寄せられると、二十里は唇の端を小さく持ち上げた。
「君ってさ、まだ隠している事があるよね?」
しかし、石流の表情は動かない。
「アンリエット様が出した数字のやりとり、男の方って君でしょ」
片目を閉じて指摘すると、石流はいつもの澄ました顔を保っている。それを肯定の意味と受け取って、二十里は推論を口にした。
「とすると、君が関わっていてアンリエット様が目にするといったら……旅行会社とのFAX辺りじゃないかい?」
腕を組み、再び壁に背を預ける。
「それにあの数字、最初はともかく最後の三つの数字は、明らかにボク達が気付く前提じゃないのかな?」
だが、石流は肯定も否定もしない。二十里は軽く肩をすくめると、言葉を続けた。
「どうして君は、古今和歌集のあの歌に百人一首で返したんだい?」
百人一首にも選集された紀貫之の歌は、元は古今和歌集に収録されているものだった。だからそのまま1111分の幾つで返せばいいはずだし、石流は古今和歌集の本を持っているのだから、その数字が分からないはずがない。
ボクはそこが気になるね、と二十里が告げると、石流はようやく唇を開いた。
「貴様は、42/1111とあって、すぐに古今集の紀貫之のあの歌だと推測できるか?」
「正直にいえばノーだね」
二十里は両手を軽く持ち上げ、降参のポーズを取った。そしてその格好のまま、眉をひそめる。
「まさか君は、ボク達……いや、アンリエット様に気付いて頂く為に、そうしたとでも?」
「そちらの方が頭に全部入っているから、楽だというのもあるがな」
石流は吐息と共に吐き出すと、視線を床に落とした。その眼差しから感情は読みとれなかったが、口から吐き出された言葉は妙に言い訳じみている。
彼の意図を把握しかね、二十里は小さく首を捻った。そして軽く上げていた両腕を下ろし、腰へとあてる。
「シャーロックも不思議がっていたよ。どうして最初だけ古今集のあの歌なんだろうって」
理由があるのかと尋ねると、石流は強く眉を寄せ、唇を固く結んだまま床を睨みつけた。
しばらく無言が続き、二十里は金色の前髪を指先でいじった。おそらくこれ以上話すつもりはないのだろう。
「ふぅん? まぁいいけど」
後で実物を確認してみようと、二十里は曲げた指先でこめかみを軽く叩いた。そして石流を見下ろしたまま、再び口を開く。
「ところで、最近キョウトに関して妙な噂が出回ってるのは知ってるかい?」
話の矛先を変えると、石流は無言で二十里を見上げた。
「キョウトの地下には凄い宝……それこそ不老不死になれる秘宝が隠されている、捨陰はそれを護ってるってね」
放課後、教室で出た話題を簡単に説明すると、石流は露骨に眉をひそめた。
「不老不死や永遠の命など、あるわけがなかろう」
「噂だよ、あくまで噂」
馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる石流に、二十里は軽く肩をすくめた。常に冷静さを保っている彼にしては珍しく、声音や眼差しに、怒りや不愉快といった負の感情が露わになっている。
「……あの時、さ」
二十里は敢えてぼかした表現で、アルセーヌと戦った時の事を口にした。
「あの時君は、この学院の地下にお宝があるんじゃないかって推測してたよね。それは、実際に地下にお宝がある場所を知っていたからじゃないのかい?」
密かに抱いていた推論を口にすると、石流は僅かに瞳を揺らしている。
「へぇ。噂もあながち荒唐無稽ってわけじゃなさそうだね?」
二十里が小さく笑うと、石流は琥珀の瞳に怒りを露わにした。
「……貴様、何を考えている」
「別に? 怪盗として「捨陰の宝」に興味があるだけさ」
低く唸るような声音に、二十里は興味深げな眼差しを返した。
「そりゃ、アルセーヌ様の命令がなきゃ、手出しする気は全くナッシングだよ? でも」
睨みつけてくる石流に弁解するように両手を軽く上げ、肩をすくめてみせる。
「この話を生徒達から聞いた時、アンリエット様は興味なさそうだったよ。変わることのない永遠を手に入れたってつまらないですわって」
その話に石流は軽く両目を見開いていたが、やがて眦を緩め、安堵したような吐息を漏らした。
「そうか……あのお方らしいな」
「でも、もしアルセーヌ様がその宝を欲しいって仰ったら、君はどうするつもりだい?」
「お止めする」
二十里の何気ない問いに、石流は即答した。
「この命に代えても……いや、例えどんな手段を用いてでも、絶対にお止めする」
膝上の拳を握り、決意に満ちた眼差しと声音を返す石流は、「あの時」と同じ表情を浮かべている。
「それは君が元捨陰だから?」
「いいや、違う」
二十里が軽く両目を見開くと、石流は静かな口調で否定した。
「アルセーヌ様は、私にとって大切な方だからだ」
そして琥珀の瞳を細め、彼が滅多に見せることのない、柔らかな笑みを浮かべた。
「私はあの方の強大な力と、怪盗としての志と気高さに惹かれた。だからこそあの方に付き従い、護りたいと思った」
石流は眉間に皺を寄せると、目を伏せた。
「だが、もしアレを手に入れたとしても、アルセーヌ様は決して幸せにはなれない。だからお止めするのだ」
口調は穏やかだったが、強く眉を寄せた石流の表情は、泣き出す寸前にも見える。その表情と言葉の内容の不可解さに、二十里は顔をしかめた。
「手に入れてもハッピーになれないお宝? どういう事だい?」
その問いに、石流は顔を上げた。眉間の皺をさらに深くし、奥歯を噛みしめている。
「あそこにあるのは……あれは、宝などではない」
そして険しい眼差しで二十里を見据えると、声を潜めた。
「アレは、呪いだ」
<幕間>
「暑いわねぇ」
うんざりした面もちで、母は俺の横で水色の棒アイスをかじった。
「良いんですか、母さん」
「何が?」
「その……そういうの、食べて」
俺は母の持つアイスに目をやり、それから丸く膨らんだ腹部へと視線を移した。
「一個くらいなら大丈夫だって」
俺の視線を辿った母が小さな笑みをこぼし、片手を軽く横に振っている。
「こんなに暑いと、何にも食べる気が起きなくなっちゃうし」
それはそれでまずいのよね、と母はぼやいた。
「アイスって、お腹の子に悪いの?」
俺の隣に腰掛けた初音が、四角い棒アイスを手に小首を傾げている。その小さな口の周りに白の液体が付き、顎へと垂れそうになっているのを見つけて、横に座った始が、ズボンのポケットからティッシュを取り出した。「こっち向いてみ?」と声を掛け、口の周りをそっと拭ってやっている。
「ちょっとだけだから、平気よ」
「そろそろ、でしたっけ?」
母の隣に腰を下ろした澪が、緊張した面もちで尋ねた。
「ええ、だから来週から病院」
その間うちの子を宜しくね、と笑みを返す母に、澪はこくりと頷いている。そして手にした四角いバニラの棒アイスを口元へと運んだ。
しゃくしゃくと、母がアイスをかじる音が耳に入る。
暦の上では九月も中程を過ぎようとしていたが、照りつける陽射しは未だ夏休みの頃と同じで、じりじりと肌を焦がしていた。少し歩き回っただけで汗が噴き出し、地面には色濃い影が伸びている。
天を仰げば、雲一つなく広がる青空の下に、四方を囲む山々の蒼があった。山裾には民家が並び、その下の平地には田畑が広がっている。そして田園の間を縫うように野流があった。川幅は四メートル程度しかないが、八瀬の谷間を抜けると、やがては鴨川へと流れ込んでいく。
土手に腰を下ろしていると、草特有の青々とした臭いが鼻についた。けれど、川瀬の冷気を拾った風が頬や腕を撫で、少しだけ心地良い。
まだまだ夏が終わる気配は感じられなかった。
けれど斜めに伸びた対岸には、紅の線のような花が咲き乱れていた。遠くから眺めれば、川の流れに沿って、紅の絨毯を敷いているようにも見える。
猛暑であろうが冷夏であろうが、毎年必ず秋の彼岸に花開く。母からは、正しくは曼珠沙華という名だと教わったが、その母を始め、周囲の大人達は彼岸花としか呼んでいない。
俺は、手にした棒アイスをかじった。棒に張り付いた最後のひとかけらを歯でくわえ、咀嚼すると、さっぱりとしたソーダの味が舌の上で溶けていく。
俺はそれを飲み下すと、胸ポケットに入れていた空のアイスの袋を取り出した。その中に木製の棒を入れ、隣へと目をやる。初音と始も食べ終わったようで、初音は手にしたアイスの棒を、手持ちぶさた気に小さく振っていた。俺がアイスの袋を差し出すと、初音は「有り難う」と笑って、袋の中に棒を入れた。始も「サンキュ」と呟きながら、その中に自分の棒を入れている。
初音の口周りに溶けたバニラアイスがこびり付いているのを見て取って、俺は始が手にしたままのティッシュを受け取り、その口元を拭った。そして汚れたティッシュを、袋の中へと押し込む。
反対側に座った母と澪へと体を向けると、二人の手にはまだアイスが残っていた。澪はアイスの棒を片手に、母のお腹をそっと撫でている。
俺は袋の口を軽く押さえ、再び胸元のポケットへと仕舞った。そして、対岸の土手へと視線を移した。
熱の籠もった緩やかな風が吹き抜けると、紅の花が小さく揺れている。
「トイズ、それは……えっと、選ばれし者の……心の奇跡?」
道場で習ったばかりなのか、初音が小さな指を折りながら、俺たちが物心ついた頃に叩き込まれたフレーズを口にした。
「選ばれし者の心に膨らむ、奇跡の蕾」
俺が補足すると、初音は嬉しそうに笑っている。
「選ばれし者の、心に膨らむ奇跡のつぼみー!」
「懐かしいわねぇ、それ」
現役だった頃を思い出すのか、しみじみと呟く母に、初音は勢い良く片手を上げた。
「来年は一年生になるから、今から覚えるの」
そして、屈託のない笑みを浮かべた。
次の春になれば、初音は俺たちと同じ小学校に通うことになる。その翌年には俺たちは卒業してしまうが、それでも一緒に通えるようになるのが嬉しいのか、初音は俺の左腕に抱きついてくる。
母は木製の棒をゆっくりと唇から離すと、アイスの無くなった棒を片手で摘み、初音の方へと顔を向けた。
「大探偵時代はね、おばさん達より上の世代、つまり貴方達のお爺様達が築いたものなのよ」
今ではトイズの存在は当たり前になっているが、かつてトイズが認識され始めたばかりの頃、世界は混沌に満ちていたという。だが、それはほんの半世紀と少し前の事でしかない。
その混沌を助長したのは、トイズを持つ者こそが世界を統べるべきと主張し、実際に行動した天才だった。だが、その思想を良しとしない探偵と怪盗たちが現れ、その野望を打ち破ったという。その怪盗の中には、俺の祖父もいたらしい。
「破壊と混乱に満ちた中で、探偵と怪盗、そして警察が力を合わせて勝ち取った秩序なの」
そしてその秩序を守る為に、探偵と怪盗が作った組織が今のIDO(国際探偵機関)なのだという。
しかし初音は、母の説明に大きな目をぱちくりと瞬かせ、小さく首を傾げた。
「あ、まだちょっと難しいか」
きょとんとしている初音に、母は笑った。そして、そのうち習うんじゃないかしら、と言葉を続ける。
その様子を静かに見つめていた澪は、紅梅色の瞳を煌めかせると、食べ終わったアイスの棒をタクトのように振った。すると川面から細い水柱が飛び出し、蛇のように細い紐状となった水が、くるくると宙を舞っていく。
その様に、初音は手を叩いて喜んだ。そして同様に亜麻色の瞳を煌めかせると、足下にあった初音の黒影がするりと伸びていく。伸びた黒影は、澪の操る水へと覆い被さった。そして掌のような形となり、蛇のように細く伸びた水を掴もうとしたが、宙を切って川面を叩く。
そこから飛び散った水滴が宙に集まり、水の蛇に吸収された。それは宙で形を変え、今度は鳥の姿となる。カラス程の大きさになった水の鳥は、川の上で大きく羽ばたいた。すると次の瞬間には対岸から彼岸花が数本伸び、水の鳥は宙に出現した緑の籠に閉じこめられている。
横を見ると、始の瞳が煌めいていた。俺の視線に気付くと、唇の端を小さく持ち上げている。
澪が小さくアイスの棒を振ると、水の鳥は籠をすり抜けると同時に形を崩し、水となって川面へと落下した。ばしゃばしゃと小さな音を立て、水滴をまき散らしている。一方で籠状になっていた彼岸花は、するすると縮こまって対岸へと戻った。
不意に隣から視線を感じ、俺が母へと首を向けると、母は目元を少し緩め、微笑を浮かべている。
「ユキもあんなトイズが良かった?」
「そういう、わけでは……」
柔らかな声音に口ごもり、俺は川面へと目を移した。
俺は、自分のトイズに特別な感情は抱いていなかった。
せいぜい、もっと戦闘が有利になるか、便利になるような能力が良かったな、という程度でしかなかった。
だが、地下深く隠された社でトイズを使うよう祖父に命じられた時、自分の力がどういった結果をもたらすのか、そして何の為に存在するのかを理解し、その危険性を自覚した。
俺のトイズは、使い方次第で相手の「時」を奪う。
もし悪用すれば、命を奪う事よりも残酷な結果になるだろう。
だから俺は、己の弱さに負けぬよう、そして他者の蛮行に屈せぬよう、強くならなければならない。
ーー闇は、全てを静寂に包む褥(しとね)。
瞼を閉じると、鉄琴のように涼やかに透き通り、木琴のように軽やかで柔らかな声音を思い出した。
その声の主は、陽の光が決して届かない社の中で、白の水干と紅の長袴を身に纏って、俺を待っていた。そして俺を視認すると、細い眉を微かに寄せ、唇の端に微笑を浮かべた。
ーー思ひつつ、寝ればや人の見えつらむ、夢と知りせばさめざらましを。
紅が塗られた小さな唇から、優しげな声が放たれる。
けれど、俺には笑っているようでいながら、泣いているようにも見えた。
その表情と声音が、未だに耳に残って離れない。
俺は目を開けると、陽の光を反射して煌めく水面を見つめた。そして、膝の上に置いた拳を強く握りしめる。
今でこそ、始と澪も笑ってトイズを駆使しているが、二人は俺を助けたせいで、大人達が想定していた以上の力を有している事が露見した。その為か、俺と二人きりでいるとき、親がなんだかよそよそしいと始が打ち明けてきたことがある。一方澪の方は、化け物だと道場の先輩に陰口を叩かれたと涙をこぼした。そういう時、俺は母や父が俺にしてくれたように、二人をそれぞれ抱きしめた。そのトイズは呪われた力ではなく、誰かを助けることが出来る美しいものなのだと囁く。
だが二人と違って、俺の力は、きっと誰かを助けることも出来ないし、幸せにすることも出来ないのだろう。
それでも、俺は変に悲観したり絶望したりはしていなかった。どういう能力を持つかではなく、それをどう使うべきかを考えるようになった。そう思えるようになったのは多分、母や父のお陰なのだろう。
呪われた一族の証である「封印」のトイズを持つ子。
故に、一族の長になるべき者。
それが最近把握した、周囲の大人達が俺に寄せる期待と評価だった。
「私はユキのトイズ、好きだよ」
耳に飛び込んできた凛とした声音に、俺は顔を上げた。
澪の方へ目を向けると、澪は目を軽く細め、唇の両端を大きく持ち上げて微笑んでいる。
「あたしも、カオルちゃん大好き!」
初音も大きく頷いた。そして膝を地面につけると、小さな両手を首へと回し、中腰になって俺に抱きついた。
「あ、二人ともずるいなぁ。俺だって好きなのに」
始は拗ねるように唇を尖らせ、初音の背後から俺に抱きついた。俺と始に挟まれて苦しいらしく、初音が頬を膨らませて抗議の声を上げている。それがなんだかおかしくて、俺は小さく笑ってしまった。
初音も始も、そして澪も小さな笑い声をこぼしている。
「トイズはね、人間という種から生まれる奇跡の花なの」
母は食べ終わったアイスの棒で、川辺に咲き乱れる紅の花を指し示した。
「だからトイズは、あの彼岸花と同じ」
彼岸花は根に毒を持っているが、水にさらすなどきちんとした手順を踏めば、毒素が消えるのだと母は説明した。その為、飢饉の際は救荒植物として、大勢の人々を助けてきたらしい。その一方で、彼岸花はその毒があるからこそ、田圃や墓場を荒らすモグラや獣から守る為に、その周囲に植えられたのだという。
「毒の花にするか清浄の花にするかは、貴方達次第なのよ」
母は俺たちの方を見て、小さく笑った。
「それにね、花にも色々あるでしょう?」
そして再び、対岸の彼岸花へと目を移す。
「あの彼岸花のように川辺を彩る花、野山の厳しい自然の中でひっそりと咲き誇る花、庭に咲いて大事に育てられる花、花瓶に生けられて愛でられる花……」
手にしたアイスの棒を小さく振りながら、歌うように例を挙げていく。
「貴方達は大人になったら、どんな花を咲かせるのかしらねぇ」
母は俺たちの方へ首を向けると、唇の両端を軽く持ち上げた。
「あたしは桜がいい。パパのバッチと同じだもん!」
初音が目を輝かせて、両手を挙げた。その隣では始が思案するように腕を組み、片手を顎へとやっている。
「じゃぁ俺は向日葵かな。育てやすいし、派手だし」
「え、そういう基準なの?」
小さく首を傾げる始に、澪は呆れた眼差しを向けている。
母は皆を見渡すと、柔らかな笑みを浮かべた。そして丸い腹部へそっと片手を載せる。
俺は、眦を細める母の横顔から、対岸に咲き並ぶ彼岸花へと目を移した。
土手を覆う背の低い草が軽風に吹かれると、彼岸花も茎ごと小さく揺れている。
必要とする人には重宝されても、不吉なものの象徴として忌み嫌われる真紅の華。
それは俺が授かった力に、とても似ているような気がした。
トイズーーそれは選ばれし者の心に膨らむ奇跡の蕾。
ある者は清浄の花を咲かせ、ある者は毒の花を咲かせる。
大探偵時代、美しさを競い合う二つの花。
その名を、怪盗と探偵と言ったーー。
→第二章01【http://www.tinami.com/view/680238】へ続く
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第一章ラスト+幕間です。
個人的に、20の知識は広く浅くでスリーカードの中では一番聡明、ストリバさんは知識は狭く深くだけど臨機応変に対応できる実戦タイプなイメージ。そしてラビットさんは、歳相応で根は素直だけど三人の中で一番穿った見方をできるタイプかなーと。あと勘の良い人には(というか伏線で)バレバレだとは思いますが、ラードの神様が出てくるアニメ版ならこういうネタをしてもアリかなって……。
<ご注意>
▼アニメ二期最終回直後の設定です。▼本編で描写されてないのをいいことに京都の設定を捏造しました。▼本編で描写されてないのをいいことに一部キャラの過去を捏造しました▼京都方面でオリジナルキャラがちょろちょろ出てきます▼アニメのモブキャラに勝手に名前を付けました▽腐成分はないよ。
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