リズミカルに響く包丁の音。
その鮮やかな包丁捌きによって食材は無駄なく均一に切られる。
その横では大きな鍋いっぱいに食材が煮込まれており、美味そうな匂いを辺りに立ち込めさせていた。
その厨房の中で、慌てることなくいくつもの料理を並行して作る男の姿があった。
「……少し塩気が足りんか? いや、恐らくこれよりも甘いほうが好みであろう」
将志は煮物の出汁を味見し、そう結論付けて味を調えた。
この男、長い料理人生の果てに人に合わせて味を調整する離れ業まで身につけていた。
それは初対面の相手でさえ、自らの舌に驚くほど合ったその味付けに感動を覚えるほどの技術であった。
槍ヶ岳 将志、料理の神の異名は伊達ではない。
「調子はどうかしら?」
「……まあまあだ」
将志は調理をしながら問いかけに答える。
問いかけをした紫色のドレスの少女は、将志が料理をする光景を楽しそうに眺めていた。
紫の目の前には、出来立ての料理が机の上にずらりと並んでいた。
「流石は料理の神様ね。食材を余すことなく、こんなに多彩な料理が作れるんですもの」
「……それ以前に訊きたいことがあるのだがな」
「あら、何かしら?」
「……俺は何故、突然拉致されて料理を作る羽目になっているのだ?」
実は料理を作る前、将志はいつもの様に朝霧立ち込める境内で槍の鍛錬を行っていた。
そこに紫が現われ、将志を掻っ攫って行ったのだ。そして気が付けばこの厨房にいたというわけである。
ちなみに将志が暴れなかった理由は、単に女子供に無意味に手を上げないという信念を貫いただけに過ぎない。
「ちょっとした事件があって、ここの料理人が倒れているのよ。で、その代役でとっさに思い浮かんだのが貴方だったって訳」
紫は将志に連れてきた理由を説明する。
将志は料理人が倒れた理由は気になったが、対して重要ではないので捨て置いた。
「……成る程、それは分かった。それで、もう一つ質問なんだが……本当にこれは一人前か?」
将志は目の前に置いた大量の料理を見てそう呟く。
大きな机の上には料理が山盛りになった大皿が二十数枚並べられており、とても一人前の量とは思えない。
それに対して、紫は呆れ顔で答えを返した。
「……ええ、残念ながら」
「……もはや健啖家と言う言葉では足りんな……」
将志と紫は二人揃ってため息をついた。
そうやってため息をついていると、厨房に入ってくる人影があった。
「この匂いは……これはいったい!?」
入ってきたのは銀髪の青年だった。
腰には二振りの刀が挿されていて、その男の周りには何やら半透明の物体が取り巻いていた。
「あら妖忌、もう目が覚めたのかしら?」
「ええ、ご心配をかけて申し訳ございません、紫様。それで、この料理はいったい……」
妖忌と呼ばれた青年はそう言うと厨房で鍋を振るう将志に眼を向ける。
その将志を見た瞬間、妖忌は刀の鯉口を切った。
一挙動で放たれる鋭い一太刀を、将志は布で巻かれた槍で受ける。
「……いきなり斬りかかるとはどういう了見だ?」
「……貴様が何者かは斬ってみれば分かることだ」
鍔迫り合いの状態で、呆れ口調で将志が話しかければ、妖忌は剣呑な口調で言葉を返した。
それに対して、将志はため息をついた。
「……紫、これなら俺は必要なかったのではないか?」
「そうでもないわよ? 恐らく今頃あの子は机の上で伸びてるでしょうから、耐え切れずにこっちに来る前に料理が出せるわよ。要するに、時間の問題ね」
将志と紫の会話を聞いて、妖忌は眉をひそめた。
「紫様? 彼が何者かご存知で?」
「ええ。私が呼んだんだから、もちろん知ってるわよ。彼はとってもありがたい存在よ」
「ありがたい?」
「彼の名前は槍ヶ岳 将志。妖忌にしてみれば、建御守人って言ったほうが分かりやすいかしら?」
紫がそういった瞬間、妖忌は凍りついた。
「あの、紫様? 建御守人って、あの建御守人様ですか?」
「そうよ。その建御守人様ご本人♪」
段々顔が蒼褪めていく妖忌に、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべて紫は答えた。
妖忌は錆び付いたロボットのような動きで将志の方を向く。
「……ほ、本当ですか?」
「……ああ。証拠ならあるぞ」
将志はそう言いながら槍に巻いていた赤い布を取り去った。
すると中からけら首に黒耀石がはめ込まれた、建御守人の象徴とも言える全身が銀色に輝く槍が現れた。
次の瞬間、妖忌は見事なジャンピング土下座をその場で決め込んだ。
「も、ももも、申し訳ございませんでした! 貴方があの高名な方とは知らずご無礼を……」
「……何、気にすることは無い。家主に知らせずにここに居る以上、怪しまれるのは当然だ。それから先ほどの一太刀、悪くなかったぞ」
「は、はい! ありがとうございます! 申し遅れました、私は魂魄 妖忌と申します! 貴方とお話できて光栄です!!」
妖忌は将志の言葉に眼を輝かせて嬉しそうに言葉を返した。
それを受けて、将志はどうしてそこまで嬉しそうなのかが分からずに首をかしげた。
「……紫、妖忌はいったいどうしたのだ?」
「ふふふ、将志は本当に自分のことには無頓着なのね。妖忌は貴方の熱烈な信者よ」
紫は面白いものを見た後の顔で将志にそう言った。
それに対して、将志は訳が分からずに首をかしげた。
「……どういうことだ」
「妖忌はここの門番もしているわ。門番なら、守護神で戦神である貴方を信仰していてもおかしくは無いでしょう?」
「……そうか」
将志はそう言いながら器を取り出し、小さな鍋からおたまで雑炊を注ぐ。
そして、妖忌の前に差し出した。
「……食すがいい。今は良くとも、先ほどまで倒れていたのだ。今日のところはゆっくり休み、万全の姿を見せて主を安心させるが良い」
「え、あ、ありがとうございます! それでは早速……」
妖忌は雑炊を受け取ると、一口一口を噛みしめるようにして味わいながら食べ始めた。
「……ああ……」
雑炊を食べている妖忌は感激で死ぬのではないのかというほど幸せそうで、冗談抜きで半霊の部分が昇天しかかっていた。
「……さて、次はこれだな」
将志はそういうと、また別の小さな鍋から料理を取り分ける。
そして小さめの皿に上品に盛り付けると、紫の前に差し出した。
白米に山菜の天ぷら、味噌汁に筑前煮など、色とりどりの料理が目の前に並んでいた。
「あら、私の分もあるのかしら?」
「……物のついでだ。どうせなら食して行け」
「どう考えてもついでっていう量じゃないわよ?」
「……まあ、気にするな。お前のために作ったのだから、無理にとは言わんが食してくれればありがたい」
将志がそういうと、紫は嬉しそうに眼を細めて笑った。
「ふふっ、そういうことなら喜んでいただくわ」
「……そうしてくれ」
紫はそういうとこれまた美味しそうに料理を食べ始めた。
将志は自分の作った料理を食べて笑顔を浮かべる二人を見て、静かに頷いた。
「……良い笑顔だ。それでこそ作った甲斐があるというもの……」
そんな将志の背後に、ひたひたと迫る人影があった。
その人影は幽鬼のように音も無く将志に迫っていく。
「……む?」
将志は気配に気付いて後ろを振り向いた。
するとそこに居たのは、自身の頭をつかんで今にも喰らいつかんとする少女の姿だった。
ガブリ♪
バタッ☆
外部からの攻撃に対して極端なまでの虚弱体質である将志は、頭に齧り付かれて意識を手放した。
「幽々子、貴女料理よりも先に将志に噛み付くなんてどういうつもりだったのかしら?」
「だって、おなかが減ってたんですもの」
「そういう問題じゃないでしょう……」
将志が少ししてから眼を覚ますと、頭を抱えた紫と幸せそうな表情でお茶を飲む幽々子と呼ばれた少女の姿があった。
机の上には空の大皿がいくつも置かれており、竈に置かれた鍋の中も空になっている。
なお、妖忌は将志の雑炊のせいで未だに天国から返ってこれていない。
「……ぐっ……いつから俺自身が食材になったのだろうか?」
将志は頭を擦ってそう言いながら起き上がる。
「おはよう、将志。少しは頑丈になったら?」
「……それが出来れば苦労はしない」
笑顔の紫に将志はため息混じりにそう言う。
それから将志は、紫の隣に座っている桃色の髪の少女に眼を向けた。
「……ところで、紫の隣に居るのは誰だ?」
「西行寺 幽々子よ。よくわかんないけど、亡霊をやってるわ」
「……む?」
幽々子の自己紹介に、将志は首をかしげた。
亡霊とは、強い未練を残して死んだものがなるものである。
つまり、亡霊となったものは何故亡霊となったのかが明確にわかるのが普通である。
よって、幽々子のように亡霊となった理由が分からないというのは、通常ありえないのだった。
将志は紫に眼を向ける。
「(後で教えてあげる)」
紫は視線でそう伝えると、視線を切った。将志は一息つくと、幽々子に自己紹介した。
「……槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
「変わり者? どう違うのかしら?」
「……妖怪の首領と神の兼業をしている」
「ああ、確かに変わってるわね」
将志の言葉にどこか気の抜けた返事を返す幽々子。
その様子は何やら他の事に集中しているようでもあった。
「……っ!?」
突然、将志は今まで感じたことが無いほどの強烈な殺気を感じてその場から飛びのいた。
その将志がいたところを、紫色に光る蝶が飛んで行った。将志はその蝶に、得体の知れない危機感を感じた。
「あら、残念。新しいお手伝いさんが増えると思ったのに」
幽々子は少し残念そうにそう呟いた。
「……幽々子。今将志は避けたけど、当たってもそう簡単には効かないわよ。と言うか、何してるのよ?」
そんな幽々子に紫は抗議の視線を送る。
「だってこんな美味しい料理を食べるのは初めてだったんですもの。妖忌のご飯も悪くないけど、この料理には負けるわ。だから、毎日食べたいと思って」
「……そんなことで俺を殺そうとしたのか……」
自分を殺そうとしたそのあまりに酷い理由に、将志は頭を抱えた。
その横で、紫は呆れ顔でため息をつく。
「そんなことしたら多方面の神や妖怪達が黙っちゃ居ないわよ。第一、将志をめぐって神が戦争したことがあるくらいよ? 無理矢理手に入れようとしたら利益以上の災厄が降りかかるわ。将志が欲しければ自主的にくるのを狙うしかないわね」
「そう。それじゃ、貴方今日から私のものにならない?」
「……俺は二君には仕えん」
幽々子の申し出を即座に一蹴する将志。
その様子を見て、紫は首を横に振った。
「無駄よ、幽々子。将志の主人に対する忠誠心は妖忌以上、呪いに掛かっていると言っても不思議じゃないほど強いわよ。どう転んだって将志は首を横に振らないわ」
紫はそう話しながら将志の下へ近づいていく。
「……もっとも、だからこそなおのこと貴方が欲しくなるのだけど」
紫はそう言いながら、妖しげな笑みを浮かべて将志の顔を下から覗き込んだ。
それに対して、将志はため息混じりに返答する。
「……俺の返答は分かっているだろう?」
「ええ、今はまだ貴方の協力は得られないでしょうね。でも私はいつか貴方に認めさせるし、あわよくば引き抜いてみせるわよ」
「……認めさせるは大いに結構、だが引き抜きは絶対に無いな。そもそも、いかな方法を用いたとしても主を裏切るような奴など欲しがりはしないだろう?」
「あら、それは方法によるわよ? 貴方が泣く泣く主を切らなければならない状況にしながら私に忠誠を誓わせられる方法があるのなら、私は迷わずそれを実行するわ」
「……俺は生きて主の側に居ることを望まれ、そしてそれを誓った。その誓い、何者にも曲げることなど出来ん」
「はあ……やっぱり貴方の主が羨ましいわ」
淡々と主への忠誠を固持し続ける将志に、紫は大きなため息をついた。
二人がそうやって言い合っていると、笑い声が聞こえてきた。
「くすくす、紫がそんなに熱を上げるなんてよっぽど優秀なのね。それに、将志が大いにモテることもわかったわ。ご飯も美味しいし」
「……俺はそこまで優秀ではない。俺が本当に優秀なら、主を悲しませることも無かっただろう」
眼を閉じて懺悔をするように将志はそう呟き、片付けを始めた。
それを聞いて、紫は再び深々とため息をついた。
「二言目には主ね……妬けるわ、本当に」
「あら、欲しければ手に入れればいいじゃないの」
「え?」
幽々子の一言に、紫は不意を突かれた様な顔をする。
紫は将志のほうを見るが、将志は洗い物をしていて気が付いていないようだった。
「別に主従関係に囚われる必要はないじゃない。協力関係で良いのならば雇用者と従業員と言うのもありだし、本当に自分のものにしたければ夫婦なんていう選択肢もありよ? 将志にとっても主を捨てるわけじゃないし、案外上手くいくと思うのだけど」
紫はそれを聞いて少し考え込んだ。
「……確かにそれなら悪くはなさそうね。将志が主に時間が割けなくなるとか言い出しそうだけど、そこはこちらからそれに対する対価を持ってくれば……」
「いっそ、既成事実でも作ってそれを盾に篭絡するとか?」
幽々子がそういった瞬間、紫の顔から火が出た。
「なっ、何を言ってるのよ! 大体将志もそういうのは苦手なのだから、そんな事言った時点で逃げられるわよ!」
「あら、何で将志がそういうのが苦手ことを知っているの?」
「そ、それは将志のことは気に入っていたから、色々観察したりしていたからよ」
しどろもどろになりながら紫がそういうと、幽々子は少し引いた。
ぶっちゃけ紫のやっていたことはストーカーなので、正常な反応と言えよう。
「……ちょっと、それってそこはかとなく危険な匂いがするわよ? と言うか、そんなに気に入っているなら今すぐにでも……」
「だから、私も将志もそういうのは苦手だって言ってるでしょう!」
「……俺がどうかしたのか?」
洗い物が終わって、将志が戻ってくる。
近づいてくる将志の声を聞いて、紫は慌てて取り繕った。
「な、何でもないわ」
「そうね、何でもないわ。時に、既成事実を作って相手を落とす方法についてどう思うかしら?」
幽々子がそういった瞬間、将志は首をかしげた。
その横では、紫が顔を真っ赤にして俯いている。
「……すまないが、既成事実とはどういうことだ?」
「あら、分からないの? じゃあ、教えてあげるわ。既成事実って言うのは……」
そういうと、幽々子は説明を始めた。
説明をしていくうちに、将志の顔がどんどん赤く染まっていく。ついでに紫も耳まで赤く染まっていく。
「……もういい。どういうことかはもう分かった」
途中で聞くに堪えなくなり、将志は眼を手で覆い幽々子から顔を背けながら説明を止めさせた。
その様子を見て、幽々子は笑みを浮かべた。
「あらあら、本当にこういう話は苦手なのね。英雄色を好むと言う話はまやかしだったのかしら?」
「……他の連中がどうなのかは知らんが、少なくとも俺に関しては違う」
「そう。で、どう思う?」
「……それは、色香に負けた男が悪い。そういう目に遭いたくなければ、元より気をつけるべきだ。もっとも、そういう手段に出る女もどうかと思うがな」
将志はため息をつきながら、疲れた表情でそう答えた。
ふと将志が話題転換のネタを捜して横を見ると、妖忌が今にも成仏してしまいそうなほど幸せそうな表情のまま呆けていた。
「……妖忌、いい加減に帰って来い」
「は、はい!」
将志が手の甲で頭を軽く叩くと、妖忌はようやく現世へ戻ってきた。
そんな彼に、将志は緑茶を淹れて差し出す。
「……茶は要るか?」
「あ、いただきます。すみません、お客様なのにこんなことさせてしまって……」
「……気にするな、俺が好きでやっていることだ。逆にこうしていないと俺が落ち着かん。だから気兼ねなく座っていろ」
申し訳なさそうにしている妖忌に、将志はそう言いはなつ。
使用人根性の抜けない、霊峰の頭領だった。
「……はあ……なんて心地いい……」
妖忌は茶を一口飲んだ瞬間、とろけた表情を浮かべてそう呟いた。
そしてそのまま全身からありとあらゆる力が抜けていく。
「……いい加減にしろ、戯け」
「あうっ!?」
再び極楽浄土に旅立ちそうになった妖忌を、将志が頭を小突いて現世に引き戻す。
すると妖忌は首をぶんぶんと大きく横に振り、大きく深呼吸をした。
「う~ん、このお茶といい、さっきの料理といい、建御守人様の料理はすごいですね」
「……すまないが、俺のことは槍ヶ岳 将志と呼んでくれ。外でその呼び方をされると面倒なことになるのでな」
「あうっ、それは申し訳ございません……」
「……なに、知らなかったのだから気にする必要は無い。それはさておき、俺に料理を習いたくば料理教室を開いているから、それに顔を出すといい。少しは参考になるだろう。それから、武芸の修行をしたければ銀の霊峰を登って来い。その頂上に俺の社がある。時間があれば、俺が相手になろう」
「あ、はい! 必ず行かせていただきます!」
嬉しそうに笑いながら妖忌は返事をした。
将志はそれを聞いて頷くと、背中に背負った槍の布を解いた。
「……ところで、一つ相手をしてみないか? お前の剣筋を少し見てみたいのだが」
「え、将志様が相手していただけるんですか!?」
将志の申し出に、妖忌は酷く驚いた様子で聞き返した。
それを受けて、将志はゆっくりと頷いた。
「……ああ。剣のことは大して分からんが、体捌きや足の運び、戦いの姿勢などについては何か気付けるかも知れん。……どうだ?」
「はい! 宜しくお願いします!」
将志の言葉に、妖忌は深々と頭を下げた。
「その前に、少し話があるのだけど良いかしら、将志?」
将志と頭を下げている妖忌の間に、紫が割り込んでくる。
それを受けて将志は紫のほうを見た。
「……む、何だ?」
「とりあえずここじゃ出来ない話だから、少し庭に出ましょう?」
「……? ああ」
将志は首をかしげながらも紫の後についていく。
すると、大きな桜の木が植えてある庭に出てきた。
桜に花は付いておらず、どこか物悲しい雰囲気を醸し出していた。
「……これは?」
「西行妖。この下に幽々子の死体が封印されているわ」
「……何故だ?」
「生前、幽々子は『人を死に誘う程度の能力』を持っていたわ。その能力はどんどん強くなって周囲の生物を人妖関係なく次々と死に誘っていった。それに苦しんだ幽々子は、耐え切れずに自刃したわ」
紫は笑みを消し、少しつらそうな表情でそう話した。
人間である幽々子を救えなかった、その悔しさがにじみ出ている表情であった。
それに対して、将志は淡々と話を続ける。
「……死してなお封印せざるを得なかった理由は何だ?」
「仮に幽々子が転生したとして、同じ能力を持っている可能性が高いのよ。だから、あえて死体を封印し亡霊として存在し続けるように仕向けたのよ」
「……そんなことをしては、閻魔が黙っていないのではないか?」
「そのあたりは大丈夫よ。閻魔にはちゃんと話は通してあるし、許可も貰ってるわ。幽々子には冥界を管理してもらうことになっているわ」
「……妖忌が気絶していたのはどういうことだ?」
「幽々子には生前の記憶が無いのよ。それを疑問に思った妖忌に理由を話したら、その場で気絶したってわけ。だから、もしかしたら将来幽々子はこの下にある存在を甦らせようとするかもしれないわ」
紫がそこまで話し終えると、将志は額を手で押さえながらため息をついた。
「……成る程な。つまり最初からこれが本題で、俺に定期的にここを見回るようにさせるのが目的だったわけだな?」
将志がそういうと、紫は楽しそうに笑った。
「大正解。……駄目かしら?」
「……いや、生まれ変わるたびに周囲に死を振り撒かれては大事だ。これに関しては例外的に認めよう。現状で安定しているのならそれを維持するに越したことはないからな」
将志は目の前の事の重大さに、紫の申し出を承諾した。
そして言い終わると紫の方へ向き直った。
「……それにしても、いつの間にやら閻魔に話が通せるほどに成長したな、お前は」
「初めて会ったあのときから三百年は経ったかしら? それは成長するわよ」
「……ふむ、それもそうだ。……俺がお前に協力する日も、そう遠くないかも知れんな」
将志は紫の成長を実感し、感慨深げにそう呟いた。
それを見て、紫は笑い返す。
「ふふっ、貴方にそう言われると嬉しいわね。あと少しで貴方と肩を並べられると思うと感慨も一入よ」
「……期待しているぞ。俺はいつでも楽しみに待っている」
将志はそう言うと、妖忌を呼びに中へ入っていった。
紫はそんな将志の背中を黙って見送る。
「あと少しね……何をしようかしら?」
紫は今後やるべきことを考えながら、将志に続いて屋敷の中に入っていった。
「……これはいったいどういうことだ?」
将志が屋敷の中に戻ると、妖忌が食事の用意をしていた。
その横では、箸と茶碗を持った幽々子が虚ろな眼でその様子を眺めていた。
「……妖忌。何事だ?」
「それがですね……幽々子様は先程の料理の味が忘れられなくて、思い出すたびにお腹が減っていったらしいんです……おかげで今はもう空腹みたいです……」
「……いったいどういう胃袋を持っているというのだ……」
げんなりとして様子の妖忌の説明に、将志は頭を抱えた。
そして将志は黙って包丁を握った。
「将志様?」
「……手伝おう。一人ではつらかろう?」
「……はい、お願いします……」
将志の申し出に答える妖忌の背中は煤けていた。
その後、料理を食した幽々子は再び将志の料理の味を思い出し空腹になり、将志が料理を作ると悪循環になることが発覚した。
料理を作らなくなった将志を、幽々子は恨めしげに眺めていたと言う。
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料理の神でもある銀の槍。今日は、その腕前を存分に振るうようである。