No.537571

運・恋姫†無双 第五話

二郎刀さん

戦闘パートってこんなのでいいのだろうか。難しいですね。
それはともかく最近、陳到の存在を知りました。

曰く、「名声、地位ともに趙雲に次ぐ」

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2013-01-29 17:32:42 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1829   閲覧ユーザー数:1613

「戦か」

 

紗羅はぽつりと呟いてみた。ゲームなどでは戦場を数えきれないほど巡ってきた。そういうものは、今まで仮想や空想の出来事だった。だから、それを実体験する紗羅は、本当に戦うのか、とさえ思ってしまう。彼は今、義勇兵として行軍しているが、まだ実感が湧いていなかった。

 

戦の時に義勇兵を募る、というのはおかしい事ではない。

自軍本隊の損害を抑えることが出来るし、義勇兵で活躍できた者がいれば、それを加えて軍を強化できる。

兵に志願した方も、報酬は貰えるし、活躍の機会を目論んで意気込む者もいる。

義勇兵はそういった庶民や傭兵、血気盛んな腕に覚えのある者たちがごちゃ混ぜになっている。

 

「なあ、坊主」

 

「俺か?」

 

いきなり大柄な体躯の濁声の男が紗羅の頸にその太い右腕を回してくる。一見友人にするような軽めのものだが、しっかりと逃げられないようになっていた。

 

「坊主、剣三本もなんて、そんな必要ないだろ。俺たちが一本ずつ持ってやるよ」

 

濁声の男と取り巻き三人が紗羅を取り囲む。

 

「……」

 

装備している剣三本。突然の事だが、明らかにその剣をよこせ、と言っている。ごちゃ混ぜということは、規律がなっていない、という事だ。正規の軍隊なら規律というものがちゃんとあるが、混合部隊には、正規軍と比べて規律というものが浸透されていない。彼らの目的は一つに定まっていないと言っていい。金のため名声のため、というのがほとんどで、紗羅自身も路銀調達が目的だ。民を苦しめる賊の討伐が第一、という人物はこの隊に趙雲くらいしかいないかもしれない。その彼女は今、その容姿からか正規軍の隊長らしき人物に捉まってこの場にはいない。

 

「必要なんだ。悪いな」

「いやいやいやいや」

 

紗羅は腕を外そうとするが、濁声の男は逆に締め上げてくる。

 

「遠慮すんなって、な?」

 

取り巻きの三人は紗羅を囲みながら周囲を威嚇するように睨んでいる。風貌の悪い奴らで、進んで厄介に巻き込まれたいという奴はいなかった。

 

「あんたら、見たところちゃんとした武器持ってるじゃねえか。なんで俺の剣を奪おうとする?」

 

取り巻きと合わせて四人。庶民の出の人たちは農具などを武器としている人さえもいるが、この四人はちゃんと剣をそれぞれ持っている。傭兵だろうか?

 

「おいおい人聞き悪いな。持ってやるってだけだぞ?親切だよ親切」

 

そう言って濁声の喉で嗤った。紗羅はここで殺してやろうか、と思った。紗羅の目的は金のためだけではなかった。自分の力を試したい、という思いの方が強かったかもしれない。だが今は行軍中。彼らもそれはわかっているのか、この頸に回した腕以外はまだ何もしていない。ここで派手な騒ぎを起こすと厄介だとわかっているのだ。

 

「……遠慮させてもらう」

「いやいやいや」

 

また腕で締め上げてくる。今度は紗羅も反撃した。腕に妖気を籠め、男の腕を掴む。

 

「離してくれないか」

 

妖力を身体に集中させるとどうなるか。

 

「あ?」

「最後だ。離してくれないか」

 

通告はした。だが男は離す気配はない。

 

「おい坊主――っづああ!」

 

力強く握ってやった。握撃である。妖力を身体に集中させるとどうなるか。その結果が身体強化。最初の趙雲との立ち合いからそれを学んだのだ。

 

「ああああああああああああ!!」

 

腕はまだ離してやらなかった。取り巻きたちも周囲の人物も、突然の事に目を白黒している。男の逞しい太腕が、紗羅の年相応大して太くない腕に食い込まれている。そこからこの力の強さはわかってくれるだろう。

 

「はっ、離せ!離せえ!」

「おう」

 

濁声の男が左腕を振り上げると同時に紗羅はあっさりと離すものだから、男は尻餅をついてしまった。

 

「離したぞ」

「てめえ!」

 

そこでようやく取り巻きたちが剣を抜く。

 

「抜いたな」

 

紗羅は大きく息を吸い、大絶叫した。妖術を使い、声をマイクに通したように響かせ、行軍の雑踏までも無効化し、官軍本隊の隅々まで届いたことだろう。あまりの音量に近くにいた者は耳を塞いでいる。

 

「てめえ……なんのつもりだ……」

 

紗羅は、さて、と肩を竦める。

 

「少し考えればわかるだろう?」

「あぁ?」

 

取り巻きは辺りを見回して気づく。紗羅の一声で行軍が止まってしまっているのだ。少しすれば正規軍の誰かが取締りにくるだろう。

 

「そういうことかよ」

 

舌打ちして剣を収める。だがそれを見て紗羅はため息を吐いた。

 

「少し遅かったようだ」

「あ?」

「見ていたぞ!戦を共にする仲間に剣を向けるとは何事だ!」

 

出発前に見た、趙雲を捉まえていた太った隊長だった。兵を幾人か連れて、隣には趙雲もいる。

 

「助かった。殺されるところだった」

 

安堵の息と共に紗羅はそう言った。それを聞いて、血相を抱えて取り巻きの一人は叫んだ。

 

「先に手を出したのはこいつです!」

 

取り巻きと隊長が言い合っているうちに趙雲が紗羅に近づいて来る。

 

「無事だったか。何があった?」

「言った通り。殺されるところだった」

「ふむ……」

「そこの者!」

 

隊長の妙に甲高い声が耳に残った。

 

「この者らはお主が先にその男を傷つけたと言った!真か!」

「俺は頸を絞められました」

「嘘だ!そんなことはしてねえ!」

 

右腕を大事そうに擦りながら濁声の男は反論し、取り巻きもそれに呼応する。隊長はそれで面倒臭そうに紗羅を見た。隊長にとってはこんな問題どうでもよかった。彼の頭の内にあるものは、さっさと終わらせて帰りたい、というものが半分以上占めて、どっちが正しいかなどに興味はなかった。だがそこで趙雲が一言添える。

 

「隊長殿。この者は私の連れで、嘘を吐くような人物ではありませぬ」

「そうであったか。実際に剣を向けられていたのを私は見たし、あなたが言うならそうなのであろう。おい!そいつらを追い出せ!」

「そんな!」

 

即決に男たちは必死に抗弁するも聞く耳持たずで追放された。

 

「これで解決しましたな。そろそろ戦になるのでもう行くが、また何かあったら私を呼ばれるといい。力になりましょうぞ」

 

隊長は紗羅と、それとどちらかと言うと趙雲を見て言った。趙雲は微笑み、それに満足そうに頷き返すと隊長はニタニタした顔で戻っていった。正直言って、印象は悪い。ろくに状況を分析せず、多数の意見で決めようとしていた。趙雲の一声がなければ紗羅が追い出されていたことだろう。そしてその一声であっさりと決断した。紗羅に都合のいい形で終わったが、あの隊長の、趙雲を見るいやらしさも感じる目は気に入らなかった。事実趙雲は隊長が去った直後に無表情に戻っていた。きっとあの隊長との会話が嫌だったに違いない。あれに捉まった趙雲が不憫に思える。

 

「子龍も大変だったな」

「お主もだろう。何があったのだ」

 

今度はちゃんと説明した。

 

「殺そうと思った」

 

偽らざる本音だ。なぜ第一にそういう風に思えたのかはわからない。思いとどまりそうはしなかったが、だが確実に、自分の力を奮えることに喜びを覚えたのは事実だった。

 

「ふむ……」

 

趙雲は危惧していた。もしかしたら紗羅には、人殺しの気があるかもしれない。それは戦いにおいては邪魔にはならないものかもしれないが、それに呑まれるのなら――。そう思っていた。

 

「戦か」

 

紗羅はぽつりと呟いた。さっきの奴らを殺そうと思っていたこともあって、気が昂ぶっているのが自分でもわかる。それに何故か抑えがたい感情だった。自分は思っているより激情家かもしれない。だが今はいい。そろそろ戦が始まる。そこでこの激情をぶちまければいい、と抑えその時をある種楽しみに待っていた。

皆が皆、戦の準備を始めている。と言っても紗羅たち義勇兵のすることは少ない。兵のすることと言えば簡単だ。将の立てる旗に付き従い、目の前の敵を殺すだけ。それだけだ。

 

「しかしこれは……」

 

酷い。義勇兵百が先鋒を任せられたのはまだいい。だが作戦が突っ込めとはどういうことか。街から移動して、一日使い、今日になった。そして起きてから聞いた作戦が『突撃』ただそれだけだった。義勇兵“だけ”で数倍以上の賊どもに当たってこい。単純明快。だがしかし、義勇軍には将たる者がいないのだ。いや、一応はいる。趙雲。彼女だけ。将と呼べる働きが出来るのは彼女だけだ。後数人、将となった人物はいるが、紗羅の素人目から見ても不安を感じる人物だった。腕に覚えがあるのはいいとしよう。だが将としての働きが出来るかと言えばどうだろうか。肝心の主力となる正規軍は、自分たちは後に続く。存分に手柄を立てられよ、と言って一人も兵を出さなかった。義勇兵だけで突っ込ませ、本軍の被害を抑える。つまり義勇軍は死に兵だ。

 

「まあ、こんなものか」

 

だが紗羅は戦は初めてだ。そんなことはあまり解らなかった。紗羅はただ兵としての働きをすればよい。兵の仕事はただ殺し殺され、将はそれを使って勝利に導くのが仕事だ。楽観的といえるこの考え方は紗羅の長所かもしれない。

 

「戦か」

 

その呟きは語気が少しだけ強かった。気が滾っているのがわかる。力が奮えるのが嬉しい。不安ももちろんあったが、そっちは抑えられるものだった。

 

「我ら義勇兵は数が少ない。一丸となって敵を打ち砕く」

 

数刻して趙雲の声が響く。下知というやつだ。兵は少しでも士気を高めようと鬨の声をあげる。だが紗羅はその中でただじっと声と、高まる鼓動を聞いていた。

 

義勇軍大将は趙雲だ。昨日開かれた軍議では、立候補した将たちが、自分が、というだけで話は進まなかったらしい。それを趙雲が言葉を聞かせ、叩きのめし、大将になったと聞いた。兵を想える将は、趙雲だけだったというわけだ。彼女とて正規軍には憤りを感じている。だがどうにもならないのなら、せめてその中で良い結果を出そうとするのが将の務め。趙雲の考えはこうだ。指令通りに敵に突っ込み、時間を稼ぐ。敵を殺すより生き残ることを目的としろと言った。少し時間を稼げば後続の正規軍が敵を蹴散らしてくれる。突撃してくるのに合わせて義勇軍は左翼か右翼、薄い方へ行き道を開ける、又は退く。そこはその時に自分が判断すればいい。正規の軍にも、そう伝えてある。

 

そして銅鑼は鳴る。それに呼応し鬨も鳴る。

 

「我が旗に続け!」

 

百以上の足音が一斉に鳴る。敵方は義勇軍の倍以上はいる。だがそれを全て相手にするわけではない。幸い敵は陣形など何もなかった。ただ数に任せて突っ込んでくるだけ。騎馬もいない。機を誤らないようにすれば兵が生き残る活路は開く。趙雲が一番前に躍り出た。義勇軍は全員が歩兵だ。二本の脚で彼女に勝るものはいなかった。

 

「マジかよ!っはは!大将自らとは!」

 

紗羅はそれを見て胸がさらに躍った。趙雲が討たれでもしたら即座に義勇軍は瓦解し賊徒に呑まれるだろう。だが大将自ら最前線に赴くことで兵の士気は否応にも爆発的に上がる。趙雲はそれを利用したのだ。

 

「俺も行くぞ!そこに、行くぞ!」

 

妖気を足に籠め、加速した。辺りの兵を追い抜き趙雲に並ぶ。

 

「紗羅!」

「おう子龍!俺の初陣は急先鋒で飾るぞ!」

 

顔に笑みが張り付いていたのは何故か。気が昂ぶって仕方なかった。胸の滾りを抑えなくていい。全てをぶちまけろ。それでいい。不安は無理やり踏みつぶした。

 

「ここに来たら退けんぞ!覚悟は出来ておろうな!」

 

趙雲はまた紗羅に驚いていた。自分の脚に追い着いて来れるのもそうだが、初陣で一番前に望んで出てくるとは。生き残れば、やはり大物か。彼の安否を気にするとともに、彼に退屈しない事を喜んだ。紗羅は返事とばかりに剣を勢いよく抜く。

 

「離れるなよ!守ってやろう!」

「男の俺に、それを言うか!自分の身は、自分でなんとかする!俺の後ろにいてもいいぞ!」

「はっ!ぬかせ!」

 

気分は良かった。二人共だ。後ろの義勇軍と二人して距離を離し、前方から敵が迫る。壮観だった。前には人、人、人。その全てが突出した自分を殺しに来る。これが趙雲が見る光景か。紗羅は元の世界ではまず味わうべくもない異常事態に、これ以上ないくらいの高揚感に酔いしれた。

 

「一人目は俺が貰う!」

 

紗羅は妖力を宿しているが、それを自分で縛った。趙雲の話しを聞き、妖術を実際に使ってわかったことだ。この力は反則技である。いきなり遠方から炎やら雷やら魔法的なモノやフォース的なモノを一方的に打ち込まれるなど理不尽すぎる。そういった無双感も感じてみるのもいいかもしれないが、紗羅はそうする気にはなれなかった。戦いに使う妖術は限定した。それは身体強化だけである。その力でようやく趙雲と一合は手合わせできるくらいだが、今の自分にはそれで十分だと思えた。まだ力の成長する余地は十二分にあるだろうし、何よりこれならば、傍目から見て妖術師だと怪しまれることはないだろう。

 

剣を投げる。賊は大多数が軽装だ。鎧を着込んでいる者は見当たらない。剣が相手に刺さる手応えを感じ、叫ぶように言った。

 

「一つ!一つだ!」

 

次いで趙雲が空も裂く一閃で敵に突っ込む。趙雲が一人怒涛の勢いで賊を突き殺し進む。それで周囲の賊どもの動きが鈍る。こいつは違う。本能的にそう感じたのだろう。だが後ろから仲間の波に押され前に出るしかない。そしてまた一段と屍を築いた。

 

「二つ!」

 

刃の方を持ち、ブレードグリップで投げた短刀は賊の頭に刺さる。紗羅も紗羅で、趙雲の一騎当千の舞うような働きに見惚れそうになりながらも、自らの役目を果たしていく。投げれば当たる状況とは言えど、数日の鍛錬はちゃんと効果を出したのだ。

 

「三つ!」

 

青竜刀も投げ、手持ちの武器はなくなった。だがここは戦場。武器などいくらでも転がっている。死体となった賊が持っていた槍を拾う。それは竹で出来た粗末な槍だが、妖力によって強化された膂力で投げられたそれは、一人を貫き後ろ数人も巻き込んだ。走る脚は止めない。一回でも止めたら趙雲から離されてしまうだろう。彼女の背のなんと頼りになることか。走りながら剣を拾う。剣と槍の手ほどきは最低限受けた。振るえる。いける。それしか考えなかった。この時趙雲が開いた道を紗羅が続き、二人が開けた空間に義勇軍が追い着いた。

 

「戦だ!」

 

戦だ。瞬間に、もはや聞き取りきれぬ音が鳴った。走る。迫る賊を見る。剣が振り下ろされる前に加速し、胴を斬った。血が、噴き出るのを確認せぬまま進む。彼に宿った妖力は、やはり大きなアドバンテージだった。

 

「どうした!我こそはと思う者は、この趙子龍の頸を獲ってみせるがいい!」

 

趙雲の一喝でまた敵が怯む。趙雲は前面の敵にしか目を向けていない。一人で全てを相手にするわけではない。横に目を向けては前の敵にやられる。それが最前線の戦いだ。時折飛んでくる剣や槍は紗羅のものだとわかる。それも確実に役割を果たしていた。義勇軍が追い着いたのを音と肌で感じた。声に成れぬ音も、滅茶苦茶なテンポの剣戟も。

 

「そろそろか」

 

趙雲は槍を振るいながらも一瞬で後方を確認した。まず目にしたのが紗羅。感情が定まっていないような笑みだった。剣を奮い、時には殴り飛ばして進んでいる。紗羅自身は気づいていなかったが、趙雲が生み出した怒涛の余波で、彼に当たる賊の数は少なかった。次いで見たのは続いてくる義勇軍。開いた道に進む、悪くない働きだ。そこで最後に絶望したのが主力本隊だった。今が加わるには最大の好機なのに、遅すぎる。義勇軍と比べてはるかに遅く、まだ戦線に当たるのは今しばらく時間がかかる。

 

「ちぃっ!」

 

こっちが崩れるか、本隊が追い着くのが先か、微妙な距離。今退いたら、賊に悉く殺されるだろう。退けない。討つしかない。止まればその瞬間波に呑まれる。趙雲は槍を休むことなく振るった。だが波というものは全てを呑みこもうとしてくる。次第に義勇軍の動きが鈍くなっていく。そんな中掛け声とともに趙雲をすり抜け、さらに敵陣に突っ込んだのは義勇軍の将となった人物たちだった。

 

「馬鹿者!固まれ!」

 

元々数が少ない中でさらに団結が分断されればどういうことになるか。腕に覚えがあるだけでは将の働きはできない。趙雲が危惧していたことが、見事に的中してしまった。あれだけ厳命しておいたのに、逸った将が先走るとは、功に焦ったか。釣られて不用意な隙が出来る。波が押し寄せ、次第に陣形が崩れていく。今はまだ趙雲の奮戦でなんとか持ちこたえているものの、時間の問題だった。まだか、まだなのか。焦りが増幅される。

 

紗羅が、趙雲を追い抜き前面に出た。息を呑む。

 

「紗羅!」

 

斬られた。胸の辺りだ。趙雲は強引に前に出て、とどめを刺そうとした敵を穿つ。

 

「生きてるか!」

 

紗羅は立ち尽くしていた。趙雲は庇うように紗羅の前で槍を振るう。敵に背は向けられない。聞こえてきた声に少しの安堵と、焦燥感を感じた。紗羅は斬られた胸に手をやった。服が破れ、皮が裂かれ、紅い液体が流れる。

 

紅い。血だ。俺の血だ。

 

斬られる痛みというものを理解した。

 

瞬間、妖気が、戦場を支配するように押し潰す。

 

「くっははははははははははは!!」

 

嗤った。紗羅は嗤っていた。

 

「紗羅……?」

 

低音が耳の奥底に残る嗤い。肺が潰れるのではないかというほど、その嗤いは聞こえた。彼から目が離せない。暴走しているような妖気により、禍々しく、重力で押し潰される様な錯覚を受ける。その気に当てられ、周囲の者たちは、時が止まったようになった。動けない。重苦しい。重力で、前線が止まっている。

 

そんな中、紗羅が歩き始める。趙雲も含め、敵も味方も、それをただ眺めることしか出来なかった。目の前。手を伸ばす。賊は、何も、抵抗など許されない。頸を掴み、強化された力で持ち上げる。

 

「あ……あ……」

 

恐怖。誰が見てもその表情だった。賊の頸が潰れた。形容しがたい、だが嫌な音が、見える範囲に広がる。紗羅は噴き出る血を、ただ浴びた。躰が、濃い紅に染まっていく。そしてまた、嗤う。夥しく紅に濡れ、混沌と化した笑みを見た者は、敵味方問わず戦慄した。人ではない。そう思う者もいた。不意に嗤いが止まり、口が動く。

 

「――」

 

重力が音さえも潰してしまったかの様に、それは聞こえない。

 

「紗……羅……?」

 

大きく息を吸い込み、吼える。

 

「戦だ!」

 

紗羅の吼え声により、戦が再び、弾かれた様に始まった。また、聞き取りきれぬ音が鳴る。

 

戦だ。戦なのだ。この傷も痛みも含め、全てが戦だ。生きるか死ぬか。楽しい。たまらなく楽しい。人を殺した。その感触。最初の一人目ではっきりと感じた。

 

快感。

 

絶頂とまで昇華される快感。それも戦場という場でのみ味わうことのできる快感。賊とはいえ、人を殺して感じるものがそれとは、どこか感覚が欠如、欠落しているのだろうか?いや、違う。なんてことはない。紗羅が、【そういう人間だった】というだけ。それだけだ。なんてことはない。なんてことはないのだ。

 

「子龍。何をしている。戦だ」

 

その言葉に趙雲ははっとした。戦が止まっていたのだ。恐ろしい。紗羅がこれ以上ないほど恐ろしく見えた。だがそれでも趙雲は、将としての役割を忘れてはいない。重力が未だ圧し掛かるが、無理やり体を動かす。

 

「殺せ!」

 

紗羅がまた吼える。重圧は、紗羅の目が賊に向いているだけマシになった。あの重さを正面から受けている敵にとって、紗羅がどんな風に見えているだろう。何故か趙雲は、そんなことを思っていた。

 

味方の士気が、吹っ切れている。狂乱と化したように見えるほどだ。押し始めている。そこに、ようやく主力本隊も勝ちに乗るように追い着いてきた。今更方向転換など出来ようもないので、このまま合流し、混合部隊で押し切る。趙雲の将としての判断はそう下した。

 

紗羅は敵を蹴り砕き、縊り殺し、喉を噛み千切り、血を浴びながら、およそ人とは呼び難いものになっていた。時には人や、死体となったものを投げ、それが賊を巻き込み倒れると、兵がそれに蟻の如く、群がるようにとどめを刺す。地獄の軍勢とはこれか。朱に染まった紗羅が嗤う。紅い男の、嗤いの進撃。賊どもはその様を見て、また恐れ慄き、恐怖と重圧によって、賊が潰走を始めていった。

 

「逃がすな。殺せ」

 

義勇兵が、馬鹿高い士気でそれを実行する。いつの間にか、紗羅が中心になった様にも見える。義勇兵に正規兵が混じり、追撃を仕掛けていく。重点が近づけば、賊どもは脚を動かしているはずなのに、全く移動出来ていないように感じた。

 

結果、この賊討伐戦は、その悉くを討ち取り、賊と呼ばれていた者たちはいなくなる。

追撃で全ての賊を殺した。紗羅が戦局を変えてしまったのだ。なんて奴だ。趙雲はそう思っていた。紗羅。今は血に濡れ、紅くなっていない箇所を見つけられないほどになっている。

 

「子龍」

 

紗羅が、赤が広がる平原の中、空を見ながら静かに語りかける。

 

「勝ったのか?」

「ああ、勝利だ。待ってろ、一応私が、義勇軍大将だからな」

 

趙雲が叫ぶ。勝鬨を挙げよ。生き残った全ての人が、天にも届く声を張り上げる。

 

「煩いな」

「そういうな。勝者のみが許されるのだ。罰は当たらん」

 

紗羅と趙雲は、その姿を黙って見ていた。

 

「それよりお主、受けた傷は大丈夫なのか?」

「……大丈夫だ。ちゃんと痛いし、それでも動ける以上は、大丈夫だろう」

「見せてみろ」

 

傷は、さほど酷いものではなかった。深くはない。紗羅が言った通り、動けるのだから重傷ではないのだろう。趙雲は良かったと安堵する。

 

「血まみれだから、流さないとな。水でも持って来よう。服も変えねば。洗って落ちるものではないな」

「そうか」

 

そしてまた、紗羅は空に視点を戻し口を開く。

 

「子龍」

「何だ」

「お前になら、この頸をやってもいい」

 

紗羅は自身にも驚いていたのだ。まさか平和な日常を、元の世界で味わってきた自分にこんな一面があるなんて。喧嘩したことすら数えるほどないというのに。こっちが自分の本性なのかもしれない。だがそれは、不思議とすっぽりと落ち着くものだった。今は何故か、穏やかな気持ちなのだ。

 

趙雲は、迷っていた。彼の頸を獲ってしまうか。自分でさえも恐ろしいと、人と呼べるのかと、そう思ってしまったほどだ。だが彼の働きにより、義勇兵が生き残れたのも事実。数は半分切ったかどうか。あの数を相手に、あの劣勢からこれだけ生き残れれば上々ではないか。

 

そこで、水を注すように、妙に甲高い声が聞こえた。

 

「お二方!見事だったぞ!」

 

あの太った隊長だった。

 

「また会いましたな。趙雲殿は知っているが、そっちの男は名を知らぬ。なんと申すのだ?」

 

紗羅は、視点を動かさずに答えた。

 

「……紗羅竿平」

 

素っ気ない簡潔な答え。こちらを向かない紗羅に、隊長はムッとした。

 

「オホンッ!ではお主も旅の武芸者であるのか?」

「……俺は違う。ただの旅人だ」

「そうか。ではお主ら、私に仕えると良い。その力を、存分に揮ってくれ。もちろん今回の働きと合わせて十分に報酬を出すぞ」

 

本気で言っているのか。あの愚鈍な軍に加われと。お主ら主力本隊があの時加われば、犠牲は少なく済んだのだぞ。趙雲は先のも合わせて、顔には出さなかったが、また憤りが体中を巡った。

 

「どうだ?良い話だろう?」

 

加えてこの太った顔の目。趙雲を見るその目は、武人を見る目ではなく、女を見るそれだった。気持ち悪い。嫌悪感をはっきりと顔に出したが、肥えた男は気が付かなかった。それどころか、それを何に勘違いしたのか、またあれこれと口を動かした。

 

「やめておけ」

 

紗羅の声。隊長の意識は完全に趙雲に向いていたので、不意を突かれる、水を注されたように感じた。

 

そして、見た。

 

紗羅が、こちらを見ていた。

 

紅い男が、その双眸で、隊長を捉えていた。

 

その恐怖たるや。先ほどの戦を目にしていたからこそ、さらに恐怖が膨れ上がる。

 

「報酬だけでいい」

 

紗羅が少しだけ妖気を放てば、隊長は押し潰される錯覚を受ける。苦しい。なによりも、重い。

 

「ィ……そ、そうか……ならばまた後で……」

 

隊長は詰まる喉でそれだけをなんとか残し、逃げるように去っていった。紗羅はそれを見届けると、また空に視点を戻す。

 

「……よい」

 

趙雲の、先ほどの答え。

 

「そうか」

 

それを聞いた紗羅は、少しだけ笑みを作る。そして気が済むまで、恍惚の表情で空を見続けていた。


 
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