No.534186

神次元ゲイム ネプテューヌV ~WHITE WING~ (6) 子羊は血塗られた讃美歌を歌う

銀枠さん

久しぶりの本編更新!

雪も降ってきたりで寒くなってきましたよね。そういう私はあまりの時間のなさに干からびてしまいそうです。時間ってどこで稼げるんでしょうか。原稿という単語に胃を痛めております。時計の針が傾くたびに「ザ・ワールド!」と叫びながら逃避中。

まあ、そんなことはさておき第一章もそろそろクライマックスです。あと二回で終わる予定です。どういう構成なのかも後ほどしっかり告知しますのでよろしくです。

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2013-01-20 19:18:01 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:1139   閲覧ユーザー数:1004

第六話――子羊は、血塗られた讃美歌を歌う。

 

 

 

 

 本当の黒幕は誰なのか。

 もしそんなやつが本当にいるとすれば、全てを暗幕の向こう側から見透かしているのだろう。虫けらを見下ろすような目で、私達の一挙一動を全て嘲笑っているに違いない。

 もちろんそんなやつがいるかは定かではない。

 だが、仮に実在すると仮定した場合、そいつは決して表舞台に姿を現すようなヘマは踏まないだろう。黒い幕の降ろされた舞台の裏側で――神のように高い所でふんぞり返っては、計算し尽くされた巧妙さで全てを仕組んでいるに違いない。

 え? そいつは何故そんなことをするのかって?

 おいおい、そんなことを聞かれても私が答えられるわけないだろう。そんな事はそれを仕組んだ本人に訊いてほしいものだ。

しかし、あえて私から言えることがあるとすれば、そいつにとって何かしらのメリットがある行為だからだろう。その行いをすることによってそいつに利益が生じるからだ。しかし、そいつが何を追い求めていたのか、そいつにとっての利益とは何なのか。

残念ながら私にその方程式を読み解く読解力はないし、そもそも計算式が何なのかという取っ掛かりすら掴めないのだから、いかんせん黒幕の目的とする解が見えてこない。

神の座に居据わることで、そいつは何を手にしたのだろうか?

いずれにせよ、そいつが実在するという真偽は定かではないし、私の預かり知らぬ事であるのはもう言うまでもないだろう。

 私はあの一夜を忘れることは出来ない。

 全てを変える原因となった、運命の夜を――

     ◆◆◆

「これがルールローゼお嬢様を解き放つカギです。これさえあれば、あの方を戒める鎖は羽のように軽くなり、その手足はすぐにでも鉄の重みから解き放たれるでしょう」

 執事長はそう言って、手を差し出しました。そのしわくちゃの手には、カギが握られています。全ての始まりとなるカギが。

 私はそれを右手だけで受け取りました。

左手だけを自分の背中に隠すような形で。

 もちろん、そんなあからさまに怪しげな行動を見抜けぬ程、執事長さんは衰えていないし、お馬鹿でもありません。むしろ頭の回転は、見た目の年齢にそぐわぬ程おかしいくらい早い人でした。ステッキで身体を支えているから、実年齢よりも年をとっているように見えるのでしょうか。

本当に不思議な人だと私は記憶しています。

「それは?」

 執事長が疑問そうに、私が左手に隠している箱を見つめます。

「ドレスよ。ほら……あんなボロボロの服じゃない。きっとお姉ちゃんはドレスなんて一度も着たことないはずだし、とても似合うはずだから」

 私は顔を真っ赤に染めていいました。別に隠す必要などなかったのですが、何だかそれを見られてしまうのが照れ臭かったからです。

「よろしければ、中を拝見してもよろしいですか?」

 私は渋々ながらも頷いてから、執事長に両手で箱を手渡しました。

 箱を開けた途端、執事長が息を飲む声が聞こえました。

それもそのはず、そこには黒いドレスが収納されていました。

 その美しさといえば、花が一面に咲き誇ったような華やかさが、あたりに充満したように錯覚してしまう程です。

「これは立派なドレスだ……ルールローゼお嬢様にはお似合いでしょう。まるでこれを着るために生まれてきたと言ってもいいくらいだ。やはりあなたは私の見こんだ通りの方だった。あの方に夢を与えてくれた素晴らしい人だ」

「そんな……いくらなんでも大げさよ」

「そうそう。この際だから聞いておきたいのです。リリアーヌお嬢様。あなたに夢ってありますか?」

「夢?」

 いささか突拍子のない質問に、私は大きく首をかしげてしまいます。

「はい。将来の目標だとか、生まれた意味とか、人生とは何なのかとか、生きる理由とか――あるでしょう。よく若者がその壁にぶつかり、将来の自分の姿に思いを馳せては、苦悩するものですよね。かくいう私も若い頃にはたくさん悩んだものです。自分とは何なのか、自分は何故生きているのか、自分は何のために生まれてきたのか、とね。こうして老いた今でさえも、私にとっては永遠の命題です。お恥ずかしい話ですが、この歳になっても、その壁を乗り越えようと、必死に足掻いている最中です」

「生まれた……意味?」

 何でなんだろう? 私はふと思いました。人間って何だろう? そもそも、私はどうして人間として生まれてきたんだろう?

一度浮かんだ疑問は留まるどころか、泡のように浮かび上がっていきます。

どうして私は息をしているんだろう? どうして人間は生まれてきたんだろう? どうしてこの世界は創られたんだろう?

とりとめもなく浮かび上がり、残留し、停滞していく疑問符に、頭の中が段々こんがらがってきます。

「はは、リリアーヌお嬢さんには、ちと早すぎましたかね」

 そんな執事長さんは、困惑する私を見て、おかしそうに笑っていました。

 とても穏やかな笑みでした。

 私は驚きを隠せず、まじまじと食い入るように見つめてしまいます。

いつも頭に血管を浮かべ、癇癪ばかり起こしている執事長しか知らない私にとって、それは見たことのない表情でした。

人の顔ばかりをじろじろと見つめるのは、あまり上品なことではないし、褒められたことではないとママから教えられていました。その行いは淑女らしからぬ振舞いであると、耳にたこが出来るくらい言いつけられたからです。

しかし、それでも目を離さずにはいられません。そのくらい珍しいことだったのです。

「そうですね。もっと分かりやすく言いましょう。人生とはいわば、一つの物語だ」

「ものがたり?」

「はい。絵本とかそういう類のを想像したのなら、あなたはとても賢い。では、そこで質問です。物語に書かせないモノとは、一体何でしょうか?」

「ひと?」

「そう、人間だ。物語を形づくる上で、登場人物の存在は欠かせないモノです。例えば、灰かぶりという童話がある。その中で、シンデレラというお姫さまと、その王子たる役を演じる者がいなければ、そもそも物語が成り立たないものでしょう? つまりはそういうことだ」

 執事長はかく語ります。

「どんなに無意味に思えても、どんなに影が薄い存在だろうと、端っこに生える雑草のような脇役であろうと、その存在には意味がある。その配置に置かれたからには、何者だろうと、無価値だなんてことはない。誰であれ、何かしらの役割が割りふられているのです。必ず意味がある。登場人物として登場したからには、無関係ではいられないのです。舞台の上に立ったからには、何らかの役目を果たさなければならない。それは何故か。そういうふうに出来ているからです」

 私はその話から、なんとなくボードゲームを連想していました。盤の上にコマを並べて、ゲームをする類のやつを。

「そうなの? 道端に生える草に目を向ける人なんて、一人もいないと思うけれど」

私は何だろう。

主人公――だなんてことはないはずです。特別キレイというわけでもないし、とても地味で、何一つ自慢できる特技はありません。

配役で例えるならば、私は道端の草でしょう。

人目を引かないよう、端っこに生えている目立たない存在こそが私に相応しい。そんな私が主人公に成り得る資格はないし、スポットライトを浴びる可能性はゼロであることは疑いようのない事実です。

ならば主人公とは誰なのでしょうか。

それはお姉ちゃんでしょう。

お姉ちゃんこそが主人公に違いありません。

物知りで、私なんかよりもずっと頭が良いですしね。

それにあんなにキレイな髪と肌を持っているんだから、立派なドレスで着飾れば、きらびやかなお姫様へと早変わりするでしょう。

現に、姉と初めて出会ったとき、世界が一変したかのように思えました。たくさんの輝きに包まれたかのような錯覚と、感動を覚えたことは紛れもない事実です。

私は感動していたのです。

まさしく天上の存在です。それが同じ血を分けた姉妹だとしても。

本来ならば、ルールローゼと私は、縁もゆかりもない人間の一人でしょう。

彼女は輝いています。普通で平凡な私なんかと違って。

そこに、どんな運命のイタズラが働いたのかは分かりません。

私の姉としてこの世に生を受けているのだから、人生っていうのはつくづく何が起こるか読めないモノですよね。

「いいえ。この世に意味がないものは一つとしてありません。一見、意味のないような行為にも何か隠された意味があるかもしれない。忘れたときにはページをめくって過去を思い出しなさい。そうすると今まで見えなかったモノが見えてくるかもしれない。それがバラバラな破片に砕かれていたとしても、断片をつなぎ合わせることで別の形が見えてくるかもしれません。見返すことで、見落としていたエピソードに気づくこともあるでしょう。そうすることで胸を打たれるような感動が、今か今かとあなたを待ち受けています。人間が過去の行動を振り返るように、本を読み返すことで、新しい発見があなたを待っているかもしれません。かくして物語とは――そういう風に出来ているものだ」

「そんなことが、本当に有り得るの?」

 執事長さんの話は途方もない話でした。

 あまりのスケールの大きさに、私はなんだか申し訳ない気持ちになっていました。

 お話の全てを、理解できる自信がなかったからです。

「そう、全ての物事には意味があるのです。あなたも――私にもそうだ」

 執事長さんは振り返りました。

ここではない、どこか遠くを見ているような眼差しでした。

「あなたにはあなただけの――私には私だけの物語が、そこにはある。その物語の主人公は、他の誰でもない。リリアーヌお嬢様、あなただ。自分自身こそが、主人公なのです」

「……」

 私は今の今まで、自分の生きた意味とか、そんな大それたものを考えたことなんてありません。

 ただ、漠然と生きてきただけ――

パパとママのルールを守る、聞きわけの良い子を演じてきました。それだけが私の人生だった。それが私の全てだったし、これからもそうだと疑うことなく信じきっていました。

 そこに私の意思はありません。ただ、流されていくだけの人生です。

 自分が何者かも分かりません。

 もし――万が一にも、物語が存在すると仮定した場合。

 そんな私が、主人公になってもいいのでしょうか?

「ねえ、執事長さん。あなたは――」

 自分の生まれた意味が何なのか分かったの?

 もしこれを執事長さんに尋ねることが出来ていれば――そう思わずにいられない日はありません。

私がこれを執事長さんに尋ねていれば、物語はもっと違う結末を迎えていたかもしれないでしょう。

それがハッピーエンドだか、バッドエンドだかは私にも分かりません。ですが、もう少しましな終わりを迎えることが出来ていたかもしれないと考えると、身を焼かれるような激しい後悔と悔恨の思いに駆られてしまうのでした。

そうすれば、あのような悲劇だけは回避できたのかもしれません。思い返せば、姉と地下で会った事自体が、そもそもの間違いだったのかもしれません。

私は一体、どこの時点で選択肢を間違えたのでしょうか。

そんなものは分かりません。

とにもかくも、私の質問が声に出されることは、決してありませんでした。

 私の声をさえぎるように――時計の音が鳴り響いたからです。

それは十二時の鐘の音――シンデレラの魔法が解ける音でした。

そう、すでに時間切れだったのです。

運命の歯車は、修正が利かないほど動ききっていて、もう歯止めは効かないくらい時計の針は傾いてしまって――私は何をするにしても、もう手遅れだったのです。

この時点で引き返すことなど、とうに不可能だったのでした。

「さあ、お時間です。リリアーヌお嬢様」

 執事長さんがステッキで床をつつきました。なんとなくその仕草が、まるで魔法使いのおじいさんが、杖で床を叩くようだと思いました。

「ここからは、リリアーヌお嬢様と、ルールローゼお嬢様の物語です。ここから先の物語に、傍観者である私は立ち入れません。否――誰であろうと立ち入ることを禁じられています。そこは何人たりとも立ち入ることを許されない、美しい聖域なのですから」

アダムとイヴ――最初の人類。

初めての男と女の物語。

その話がハッピーエンドだか、バッドエンドだか――私はその結末を知りません。お姉ちゃんから、その話だけは語り聞かされていなかったからです。

執事長さんは、ゆっくりと背を向けました。

話はこれでお終いだと、その背が告げていました。

「さあ、お行きなさい。物語は既に終わりへと向かって進行しています。いえ、あるいは新しく始まろうとしているのかもしれない。旧約聖書のように、知恵の実を渡したことで、知識を得られたアダムとイヴのように――あなたが、お姉さまだけのイヴとなるのです」

「……」

 私も執事長に背を向け、ゆっくりと歩き出しました。まるで魔法にでもかけられたように夢見心地でした。お互いにもう振り返ることは決してありません。

「どうかルールローゼお嬢様に、外の世界の素晴らしさを、空がどんな色をしているのかを――教えてあげて下さい」

 それが、あなたの果たすべき物語だというような口調でした。

 私は頷きませんでした。

 だってそんなことは、分かりきっていたことですから。

 

   

 

 プラネテューヌの西――遺跡。

 

「で、何であんた達がついて来てるのよ……」

 ノワールがため息をついた。

「プルルートと行くと、いつも日が暮れるのよね。のんびりしているし、途中で何度も寄り道するし」

「ねぷちゃんが行きた~いって言うから来たんだよぉ~」

 プルルートの言葉に、ネプテューヌが頷いた。

「そりゃ、わたしが女神になるために……じゃなかった。ノワール一人だけだと心配だったからだよ!」

「思いっきり本音がだだ漏れになってるけど……」

またしてもノワールはため息をついた。これで何度目になるだろうか。ここ最近、ずっとため息ばかりついている気がする。クセになっていると言ってもいいかもしれない。ため息を吐くのは幸せが逃げるなんて迷信があるけれど、あながち間違いではないのかもしれないと思った。しかも女神メモリーを狙うライバルまで現れる始末。元々、国の支配者になろうだなんて物好きはそうそういないので競争率こそ低いものの、数が少ないアイテムなのでどちらにしろ手に入るのはほんの一握りの人間だけである。あまりの希少性ゆえに、

『10年に一度手に入るか、入らないか』

 とまで謳われ、伝説のアイテムの一つとして列挙されているくらいだ。

「ずるいよ! ノワール一人だけが永遠の若さを手に入れようだなんて、けちんぼ! このけちんぼノワール!」

 ノワールのそんな内心の葛藤を知らずに、勝手なことを言いよってくるネプテューヌに頭を悩ませてしまう。何度目になるか分からないため息をつきながら、

「あのねぇ……あたしはそんな私利私欲のためだけに女神メモリーを探しているわけじゃないの。外の世界で苦しんでいる人のために女神になりたいのよ。彼らはとても貧しく、辛い生活を送っているの。ルウィーやプラネテューヌに賛同できない人の為に、第三の選択肢を作ってあげることが、救済を与えることだと私は信じているわ。あなたみたいに私利私欲とかじゃなく、不純な動機と理由が全てじゃないんだからね。それが女神メモリーを欲する行動原理だというのなら、今のうちに考え直すことをオススメするわ。……これはある意味で博打みたいな側面を兼ね備えているんだから」

 優等生みたいな顔が一瞬、恐怖でひきつったのをネプテューヌは見逃さなかった。

「よくない噂だってあるんだから」

「よくない噂?」

「素質のないモノが触ると、醜い化物になるって噂がね……」

「素質……かー」

ネプテューヌがちらりと、眠そうにあくびをこらえるプルルートを一瞥した。

「……ていうか、プルルートって女神の素質があったの? とてもそうは見えないんだけど」

「ええ、そうね。私もビックリしてるわ。まさかあのプルルートが、ね」

 その当人は、自分が話題の中心にされていることすら気づかずに、ぽーっと呆けている。とはいえ仮にもプルルートは、プラネテューヌの女神の座を冠する立ち位置にある。その身に秘められた素質はかなり強大なものだ。

神の名は決して伊達でも、大言壮語でもない。

女神化できないノワールやネプテューヌだけでもこのダンジョンのモンスターは何とかなってしまうため、プルルートが力を解放する機会はなかなか訪れやしないが、その力の強大さたるや筆舌に尽くし難いものであることは間違いない。ノワールは女神としてのプルルートの力をその身を持って味わっているし、他ならぬネプテューヌでさえも、今ではちょっと運動神経がいい少女でしかないが、これでも元の世界では女神の端くれであったのだから、女神化による恩恵は身を持って知っているつもりだし、そもそも女神ですらないこっちのノワールよりもよく理解しているはずだった。プルルートの本当の実力――それが侮れないモノだということも想像には難くない。

やがて一本道に出た。その先に、ぽっかりと開けた広場のような場所が見える。どうやらそこがこの遺跡の最深部のようだ。

運が良ければそこに女神メモリーが手に出来る……かもしれない。

「引き返すなら今の内なんだからね」

 ノワールが言った。

「そういうノワールが一番怖がってるじゃん」

「な――こ、怖がってなんかいないわよ!」

「そんなこと言ってると、わたしが先に手に入れちゃうよー!」

今がノワールを出しぬく絶好のチャンスだと分かると、

「ダッシュでアイテムを奪取!」

 走り出した。

「うわぁ~、ねぷちゃんすごくうまい~」

 プルルートが感心したように言った。

「別にそこまで上手くないわよ! こらっ、ネプテューヌ! 抜け駆けは許さないわよ!」

 遅れてノワールも走り出そうとしたまさにそのとき、ネプテューヌが何かに気づいたように、はたと足を止めた。

「……どうしたのよ?」

 ノワールが訝しげに言うと、

「あそこに誰かいる」

 ネプテューヌが指差した。

 広場の奥――そこには魔法使いみたいな格好をしたおばさんと、でっかいネズミがいたのだ。

「まさか今日に限って二つも収穫があるとは……オバハンの気まぐれもバカにはならないっちゅね」

「おい、クソネズミ。いい加減、そのオバハンという呼び方をやめろ」

「オバハンのことを、オバハンと言ってなにがいけないっちゅか」

「女神共を滅ぼしたら、次は貴様に引導を渡してやろうか」

「ハハッ、動物虐待っちゅよ。動物愛護団体を敵に回してもいいならやるっちゅ」

 と、物騒なんだかよく分からない漫才を交わす二人。こんな辺境にやって来るあたり物好きであることは疑いようもない事実。だが、ネプテューヌ達の目を惹いたのは、会話の内容よりも、二人の手に握られている、二つの結晶体だった。

「あれは……女神メモリーじゃない!?」

 ノワールが感極まった声で言った。

実物を見るのは初めてだったが、あれが本物の女神メモリーであるという実感があった。女神としての力を追い求めるモノの本能というべきか、ノワールの中にある直感みたいなものがそうであると告げていたのだ。

「ん? 誰かいるっちゅよ」

「おい、何だ貴様等は?」

おばさんがこちらを見た。そのときネプテューヌ達は――いや、ネプテューヌは恐ろしいモノを見てしまった。全身を針が貫くような寒い悪寒に襲われたのだ。大蛇を前にしたカエルのように、ひとたまりもなく飲み込まれてしまうような錯覚――それがネプテューヌを釘づけにしたのだ。

「待て、みなまで言うな。貴様の名は……ネプテューヌだな。そうだろう? しかも女神もセットでついてくるとはな。てっきり自国でひきこもっていると踏んでいたのだが、どうやらそれは私の見込み違いだったようだな。これは愉快だ。良い意味で期待を裏切られた気分だ。まさかこんなところに私の本命がのこのこと出向いてくれるとは、なんという大番狂わせだろうか」

「な、なぜわたしの名を? もしかして、こっちでもわたしって有名人!?」

 かろうじてそう返した。口を開くだけでも精一杯だった。それが相手の不快感を買った。

「うっとおしいぞ! 耳触りな声でピーピーわめくんじゃない! ……一目見たときからそうだという確信があった。お前がネプテューヌだとな。確たる証拠はないが、私の心にある何かがそうだと告げているよ。この巡り合わせは偶然なんかじゃない。必然なのだ。それを誰が意図したにせよ、貴様と私は運命という数奇な糸で結ばれていた。まるで前世からの因縁のようにだ!」

 ノワールとプルルートが一斉にネプテューヌを見た。この訳の分からないおばさんと、知り合いなのかと無言の問いを放っていた。二人にとっては理由もなしに因縁をふっかけてくる相手でしかない。何か訳があるとすれば、ネプテューヌにあるに違いないと考えたのだろう。

 本人もそれを感じとってか、

「たしかにどことなく既視感というか、見覚えがあるかもしれない……あのオバサンも、あのでっかいネズミにも」

 曖昧にそう答えた。絡まれる原因となっているネプテューヌ本人にも、それを言葉では説明できなかったが、奇妙な感覚があったのは確かだ。

「あなたとネプテューヌとの関係はよく分からないけれど、それはひとまず置いといて、あなたが手に持っているモノって女神メモリーよね? それを私に渡して欲しいの」

 ノワールの言葉に、おばさんは薄く笑みを形作った。帽子の影で、何か悪だくみをしているようだ。

「成程……貴様等はこれを欲っするか。だが、残念ながら我らは貴様らのような小娘の存在を許してはおけん。新しい女神の誕生を防がなくてはならないのが、我らに交わされた取り決めだからな」

「何ですって?」

 我ら、という言葉にノワールが眉をひそめた。

 その反応に満足したように、くくっと、マジェコンヌが不敵な笑い声を上げた。

 

「私は七賢人が一人――マジェコンヌだ!」

 

七賢人――その言葉から、ピンク色のドレスを着た、ドぎつい金髪姿が脳裡をよぎった。このオバサンは自分のことを七賢人と名乗った。それが意味するのは、あのロリっ娘幼女――アブネスの仲間だということ。すなわち女神の敵だ――

「あ、あっさりとばらしてどうするつもりっちゅか!」

でかいネズミがあたふたと取り乱している。七賢人とは謎に包まれている組織だ。それに属する構成員や幹部の素情さえ明らかではない。唯一それを公にしているのはアブネスだけだった。となると、あのでかいネズミも七賢人の一人ということなのだろうか。

 マジェコンヌは殊勝にも笑みを浮かべ、何を思ったのか、ネズミに女神メモリーを手渡した。

「ネズミ、これはお前が持っていけ。その間に、私がこいつらと相手をする」

「いきなり何を言い出すっちゅ?」

「なに、瑣末な問題だ。知られたところで気にすることはない。どうせその秘密を知る者は、すぐにいなくなる。そこの女神と女と、ネプテューヌさえ始末してしまえばな!」

「帰れって言うなら帰るっちゅけど、オバハン一人で何とかなるっちゅか?」

「この私を誰だと思っている」

「そうっちゅね。オバハンの気が変わらない内に、早いとこ撤収させてもらうっちゅ」

 ネズミは壁をつたい、見かけによらない素早い身のこなしで退散してしまった。

「あっ、待ちなさい!」

 ノワールが叫び、身を翻した。

「ネズミさん、待ってぇ~!」

 一番先に動いたのはプルルートだった。ネプテューヌとノワールも続こうとするが、マジェコンヌがそれを許さなかった。マジェコンヌの手がまばゆい魔術の輝きを放ち、

「させるかっ!!」

彼女の手から衝撃波が放たれ、天井の一部をもののみごとに破壊した。それは大小様々な岩石となって、ネプテューヌ達の行く手を塞いでしまったのだ。

「ぷるるん!」「プルルート!」

 向こう側に通り抜けられたのはプルルートだけ。ネプテューヌとノワールはこちら側に取り残されてしまったのだ。最悪の敵と一緒に。

「お前たちに良いニュースを教えてやろう。プラネテューヌは間もなく滅びる。私が放った三千の兵隊達によってな!」

 

「なんだってー!?」「なんですって!?」

 

「こうしちゃいられないわ。目の前の女神メモリーを諦めるのは惜しいけれど……今はそんなことを言ってる場合じゃない。イヴと、プラネテューヌが危ない!」

「でも、今はあのマジェコンヌとかいうオバサンを何とかするのが先決だよ。じゃないと、わたし達が危ない」

 身構える二人を嘲笑うように、マジェコンヌが立ちはだかった。

「おっと、プラネテューヌに戻るつもりか? あの頼りない女神の後を追って加勢するか? それとも私を倒して女神メモリーを手にするか? 無駄だ。貴様らには、どれかを選択する余地すら残されてはいやしない。もう二度とここから引き返すことは出来ないのさ。なぜなら、ここで私に倒されるからだッ――――!!」

 マジェコンヌが怒りを込めて叫んだそのときだった。身体があらぬ方向へ、ごきごきと折れ曲がっていく。全身の骨が不気味な音を立てながら、マジェコンヌの痩身が別の生きモノへと姿形を変えていく。

「なっ……!?」

 あまりにもグロテスクな光景に、ノワールが驚きの声を放った。

「あのオバサン――変身してる……?」

ネプテューヌもすとんと顎が落ちた。ただでさえ見苦しいオバサンの身体がおかしなことになっている光景に、開いた口が塞がりそうにない。

それはまるで孵化だった。サナギという固い鎧を突き破り、いそいそと殻を脱ぎ捨て、ゆっくりと這い出してくる幼虫を連想させた。長い時を経て、進化という名の変貌を遂げ、大地に降り立つ――すなわち生命の神秘。

ネプテューヌ達はその刹那の刻を、短時間で目の当たりにした気分だった。

いや、これはそんなに美しく、儚いモノではない。

生命の尊さなどそこには皆無だ。こんな邪悪な生きモノが誕生する瞬間を見せつけられたら、誰もが口に手を当てて、吐き気をこらえることに心血を注ぐに違いない。

悪い魔女が魔法で本性を見せる――おとぎ話には珍しくもない展開だろう。この場合はそういった表現の方がふさわしいのかもしれない。

「……そういえば私がこの姿を見せるときが、何を意味するのか、まだ教えてなかったな」

 マジェコンヌの姿は、最早元の原型をとどめてすらいなかった。

一角獣のような角が頭部に生えており、その下には王琥の如き眼光が、ギラリとこちらを射抜かんばかり睨みを利かせている。背部からは悪魔のような両翼が生え揃っていて、女豹のようにすらりとして、それでいて引き締まった痩身を宙にはためかせている。

「それは目の前で歩く者全てを、虫ケラみたいに踏み潰すときだ」

 マジェコンヌの口から、低い呼気が迸る。

「ネプテューヌ……!」

 それはかつてない憎悪にみなぎっていた。

人のモノではない。人外の魔物が発する声だ。

「私はこの時を心待ちにしていたよ。七賢人としての職務や責務以上に、お前とこうして出会えた瞬間が、私にはこのうえなく喜ばしいことであると感じてすらいる。まるで生涯の宿敵を――いや、前世からの因縁と対峙しているような尊さだ」

口元をいびつに歪め、鋭利に尖った鉤爪を、ネプテューヌたちに向けた。

「――今こそこの胸のむかつきを、晴らさせてもらうとしよう。貴様の血と肉と、苦痛に満ちた断末魔を堪能することでな!」

 

   

 

 プラネテューヌ――東門

 

 空にはどんよりとした雲が立ち込めており、今にもひと雨降り出しそうだ。しっとりと水分を含んだ風が、木々をざわざわと揺らしている。ひと雨どころか、下手をすればもっと大きな者が来るかもしれない。

 そんな嵐の前触れのような曇り空はさておき。

ここはプラネテューヌの東側に位置する門だ。

 いわば国境線であり、国の最前線。

ここには四人の男達が詰めている。男達が主にすることと言えば、見張り番だったり、外から運ばれる資材の確認をするくらいだが、門を出て外に出ようとする物好きはそういなかったり、業者が資材を運んでくる時間も大体決まっているので、暇を持て余している時間が多いのが現状である。ある者はタバコをふかし、新聞欄の株のレートと睨めっこしたり、テレビで競馬を見ていたり、惰眠を貪っていたり、それぞれの時間を過ごしている。

そんな趣味もバラバラの彼らが共通するもっぱらの楽しみといえば、

「ごめんくださーい!」

 玄関から、幼い少女の声が聞こえた。

「おや、リンダちゃんじゃないか」

 男達が跳ね起きた。玄関に近い者がドアを開ければいい話なのに、全員が我先にと争うようにしてドアへ殺到した。男達に目を輝かせながら出迎えられたのは、

「お疲れ様、おじさん」

 歳は十、十一くらいだろうか。背丈も小さく、腰まで伸びた三つ編みが幼さに拍車をかけていた。そんな少女が一人やってきただけで、むさい男所帯の仕事場がすっかり華やいでいた。そのリンダは、イヴに助けられた少女だ。バーチャフォレストで三体のガーゴイルに、襲われかけていたところを救われた少女である。

「今日はクッキー作ってきたんだ!」

 リンダはランドセルから包みを取り出し、小麦色のクッキーをおじさん達に手渡した。

「うわー、おいしそうだ」

「家のカミさんが作るのよりもおいしそうだ」

「いやー、いつも助かるよ」

「ううん、気にしないで」

 リンダは嬉しそうにうなずいた。

「おじさん達のおかげでプラネテューヌの平和は守られているんでしょう? だからそのお礼だよ」

「はは、大げさだなあ。リンダちゃんは」

 男が照れたように頭を掻いている。

「これはホーリーボトルの木のおかげさ。その木に降りかかる聖水がモンスター達を遠ざけ、私達の暮らしから危険を遠ざけてくれているんだ。だからおじさん達がすることと言えば、何か異常がないかを監視する役目なんだけど、まあ、この通り何にもない。それに女神プルルートさまが頑張ってくれてるおかげで、こうしてずっとだべっているだけしかないのさ」

「ばか、お前。そんな余計な事言うなよ」

 調子づいていらんことを口走る男を、別の男が小突いた。

「リンダちゃんが失望してもう来てくれなくなるだろうが」

「そうだそうだ。ただでさえオヤジばかりのむさい仕事場だってのに、花がなくなるだなんて御免だぜ」

 そんな門番達のおかしなやり取りに、

「大丈夫だよ。おじさん達と話してると楽しいもん」

 くすり、とリンダはおかしそうに笑った。

「リンダちゃん。最近、よく笑うようになったね」

「何か良いことでもあったのかい?」

 うん、とリンダは大きくうなずいた。

「……パパとママと最近上手くいって、ね」

 男達に見守られながら、恥ずかしそうにひざをもじもじさせながら言った。

「妹はまだ話すことも出来ないし……パパとママもかかりっきりで大変だし、だからわたしがしっかりしなくちゃって思ったの。パパとママがいなくても大丈夫だよってところを見せてあげたくて。それもこれも、イヴさんのおかげなの。あの人がパパとママの代わりにわたしを助けてくれるって信じられるから」

 そこで、ふっと頬を赤く染め、うつむいた。

「あとね。これはまだ誰にも話していないし、あの人にも内緒にしてもらいたいんだけど……笑わないって約束できる?」

 ぼそぼそとうつむくリンダに、男達がうなずいてみた。それを見てリンダは安心したのだろう。より一層、頬を染めて恥ずかしげに告げた。

「わたし、あの人みたいになりたい。誰かにがんばれってやさしく背中を押せる人になりたいの。見返りとか、そんなものを求めず、無償の愛を振りまくそんな心優しい人になるのが夢なの……」

 男が、リンダの頭をそっと撫でた。

「なれるさ。リンダちゃんなら」

「前々から思っていたが、リンダちゃんってよく出来た子だよな」

「こりゃ、将来はいいお嫁さんになれるぞ」

「むしろ俺の嫁に欲しいくらいだぜ」

「バーカ、お前なんかには勿体ねえよ! お前の嫁になるくらいなら俺の嫁になった方が百倍マシってんだ!」

 口々に勝手なことを言い合う男達に、リンダは笑い声を上げた。リンダはこの日常の空気がなによりも好きだった。愛しているといっても過言ではない。こうして自分が誰かと触れ合い、笑い合っているだけで、自分の見ている世界が輝いているように感じられるからだ。世界全体からすれば、こんなのは何の変哲もないことかもしれないが、リンダにとってはかけがえのない一ページであり、世界そのものに値するのだった。

それもこれもイヴのおかげだと思った。彼女のおかげで、何もかもが上手く言った気がした。家族だけでなく。学校のテストで良い点数が取れなかったとしても、先生に当てられたとき、大きな声で自分の意見を主張してみせたり、なる気も起きなかったクラス委員に自分から立候補してみせたり、こうして誰かと思い出を共有しているだけで全てが上手くいくようにさえ思えてくるのだから、それほど彼女の存在はリンダの中で大きく、感謝してもしきれなかった。

穏やかな雰囲気が立ちこめているそのときだった――

どこからともなく、クラクションを鳴らす音が響き渡った。

「客か?」

 やれやれと、男が気だるそうに門へと歩いていった。それが門番としての本来の業務であっても、いささか空気を読めない来訪者に、不機嫌を隠せずにはいられない。念の為、護身用の槍を手に取ることを忘れない。

「いや、そんなのは聞いてないぞ。たしか今日の予定だと、資材の搬送はもうとっくに完了したはずだが……」

 もう一人の男が訝しげに言いながら、門の前に停められたトラックへと近寄る。

 一見、ただの搬送車だ。車体にプリントされているロゴマークを見る限り、いつもプラネテューヌに資材を運びにやってくる、馴染みのあるトラックであることが一目で見て取れる。

 門番の男が、トラックの窓を叩こうとすると、ドアから一人の男が降りてきた。帽子を目深にかぶっているせいか、よく顔が確認できない。

「ちーっす。宅配便を届けに参りました」

 妙に馴れ馴れしい男だった。気の抜けた喋り方をのぞけば、どこからどう見ても普通の宅配員だ。

「いやぁ、こう天気がわりぃと、雨が降りそうで嫌になっちまいますよねェ。心まで曇り空になっちまうっていうか、だるくてやる気が出ねェっていうかよ」

「こんな天気の中、ご苦労様です」長話になりそうだったので宅配員の言葉をさえぎった。「ところで、私達は資材の受け入れがあるという話は聞いていないのですが……」

「そうですね。もしよろしければ、念には念を入れて、荷物の確認をしたいのですが……よろしいでしょうか。これも決まりなんで」

「いいっスよ! 気がすむまで見てください」

 へらへらと宅配員が笑った。

 二人はトラックを点検すべく、荷台を開いた。

 開いた途端、中からむわっとする臭いがきた。二人は咽かえりながら鼻をおおった。あまりの生臭ささに、涙がこぼれてしまうほどだった。いや、たんに生臭いだけではない。生肉が腐敗するようなひどい臭いだ。そして、二人は臭いを放つモノを見つけてしまい――目を剥いた。その異様さに。吐き気をもよおす異様さに凍りついた。

「肉……?」

 二足歩行用の足をもった生きモノが、荷台のあちらこちらに吊り上げられている。それも一人ではない。どれも頭蓋を抜き取られており、スプーンですくいとったかのように臓器が滑らかに欠け落ちている。そこにあるのはむき出しとなった筋肉だけ。食べられた跡だった。

「あー、そうだそうだ」

 おもむろに宅配員が言った。いつの間に後ろに立っていたのだろう。

「突然すぎて誠に恐縮ですがァ、テメェらの国に血の雨を降らせに参りましたァッ!!」

「――何?」

 二人が振り向いたときだった。

「ぐわぁぁぁぁっ!!」

 けたたましい悲鳴が上がった。門の方からだ。

「ぎゃああぁぁぁぁぁっ!!」

 矢継ぎ早に新しい悲鳴が聞こえてくる。いずれも聞きなれた声だった。一つや二つではない。

「全く、部下のやつらがはりきってやがる。あれじゃ、オレの獲物は残されていないかァ」

 宅配員がくつくつと笑いながら言った。悲鳴に心を震わせているようだった。

「聖水のなる木で国を囲むたぁ、考えたもんだな。だが、モンスターは近寄れなくても、オレ達にはそんなこけおどし通用しねぇんだよォ!」

 門番の男が愕然とした。

「お前たちは……何者なんだ……!」

「決まってんだろ。オレ達は、怪物だよ。お前ら人間を食いに来たのさァ!」

 宅配員が帽子を脱ぎ、門番の男の顔めがけて投げつけた。視界が真っ暗になったその隙を突くように、宅配員の男が右腕で殴りかかった。拳が顔面にめりこみ、前歯をへし折った。ぎゃっと、短い悲鳴を漏らし、血を吐きながらその場に倒れ込んだ。

 恐慌で凍りついていた門番が、仲間の悲鳴で我に返った。

護身用の槍を構え、すかさず相手を睨みつけた。

 帽子が取れたことにより、露わになった端正な顔立ち。驚くべきことに右腕が機械で出来ているのだ。宅配員――その男は黒の教団の司祭――ハザウェイだった。

「渡さない……渡さんぞ!」

 槍を握る手が、恐怖で震えた。

慣れない実戦と、唐突に攻め込んできた侵略者への畏れがあった。こんなやつらと戦えば殺されるかもしれない。仲間たちの断末魔に、たまらず悲鳴をあげそうになった。出来ることなら、ここからすぐに逃げ出したいと思った。

しかし、門番は歯を食いしばった。槍を構え、その切っ先を敵に向ける。

わずかな使命感が、男の勇気を奮い立たせ、その場に踏みとどまらせた。

自分達の帰る家を守らなくてはならない。こんなどこの馬の骨とも知れないやつらに、子供達の笑顔を奪わせてはならない。守らなくては。温かい故郷を。私達の家族を。

「お前たちなんかに……プラネテューヌは渡さんぞぉぉぉっ!」

 雄たけびを上げ、ハザウェイめがけて勇猛果敢に突撃した。

心の臓を狙ったその正確無比な刺突が、ハザウェイの分厚い胸板をめがけて殺到した。男の放った一突きが風を切り裂いて、槍そのものと一体化したようだった。

「遅せェ! 遅せェんだよ!」

 しかし、門番の渾身の突きもハザウェイには届きやしなかった。

槍がハザウェイを刺し貫く前に、穂先ごと縦に真っ二つに裂かれ、門番の腹部をも刺し貫かれていたのだ。じゅうじゅうと肉の灼ける音が聞こえるのと共に、切断された腹から右肩にかけて滑らかに割れていく。血は噴き出さなかった。代わりにむわっとした、肉の焼ける臭いが辺りに立ち込めた。それもこれもハザウェイの右腕から現れた――炎の刃のせいだ。

そう、ハザウェイの右腕が変形した。刀身に灼熱をまとう灼熱の刃(ヒートブレイド)へと。それこそハザウェイの持つ遺失物(ロストメモリー)の一部であり、機械化された右腕の力だった。

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ――――!!」

 門番が遅れて絶叫を上げた。激しい痛みで自分の身に何が起きたのか分からなかった。傷口が焼かれているため出血多量で死ぬことはないが、そのかわり地獄のような痛みが男を苛んでいた。

 そんな哀れな門番をせせら笑うようにして、ハザウェイが右脚で、男の体躯を蹴り倒す。

「なんだなんだァ。実戦慣れしてないのかプラネテューヌの兵隊ってのはよ。ノロすぎて亀が歩いてんのかと思ったぜェ」

 門番が力なく地べたに倒れていく様を見下ろしながら、右足で思いきり踏みつけてやった。

「残念だったなァ、おっさん。今オレ達の手にプラネテューヌが渡っちまったぜ」

 門番めがけて何度も何度も足を振り下ろした。地を這うアリを踏み潰すような光景だった。これから死にゆく男の誇りも名誉も――人生を全て踏みにじるように。

「ハハッ、ざまあねェな! 自分の国がオレ達みてぇなろくでなしに蹂躙されるなんてなァ! なあ、どう思う? どう思う? 無念だよな? 子供を殺され、目の前で女房を犯される光景なんて見せられたら、オレ達を殺したくて殺したくて、たまんねェほど恨むよな? 今すぐバラバラの八つ裂きにしたい程憎んじまうよな? なァ、なァ、どう思う? どう思う?」

しかし、門番から返答はなかった。返ってきたのは、苦しみに喘ぐような、かすかな呻き声だけだった。それがハザウェイの怒りに火を点けた。

「おいっ、聞いてんのかよ! テメェッ、シカトこいてんじゃねぇぞコラッ! 脳みそ腐ってのんか、このクソジジイがッ!!」

 激情に身を任せて門番を踏みしだいた。もう止まらなかった。怒りが収まるまでは、血の混じった肉片が飛び散ろうが、骨が粉微塵になろうが、止めようなどとは思わなかった。

「なんだ、もう死んでやがる。……つまんねェの」

 ようやくハザウェイの怒りが収まったのは、その男が元は何だったのか分からないぐずぐずの細切れ肉になったときだった。彼は熱しやすいが、冷めやすい男でもある。

ハザウェイはそっと腰をかがめ、無造作に肉片をちぎり、ぽたぽたと滴る赤い液体をすすった。

「……鉄臭ェ」

 にぃっと、満足そうに口の端を曲げる。

「ハハッ、戦争だ。これが戦争の臭いだ。血と硝煙の臭いが立ち込めてやがる」

 くくっと、笑い声が漏れた。自分の言葉に胸を震わす感動を覚えていた。胸の奥からたまらない喜びが生じた。快感の電流が背筋をかけめぐり、瞬く間に全身を貫いた。あまりの気持ちよさに耐えきれず、喉の奥から声がほとばしった。

「――最高で最強の、戦争の始まりだァッ!」

 両手を広げて歓喜した。己の存在を全世界に宣言するように叫んだ。

「これだから戦いってヤツは楽しくて仕方ねェ! なんてったって、合法的に人間を殺せるわ、好きなだけ女も犯し放題ってんだから、戦争はたまんねぇなァ! まるでこの世の楽園だぜ!」

 この胸に広がる爆発力は、とても言葉で言い表せるものではなかった。

「奴隷は何人出来るかなァ~? それとも一人残らずおっ死んじまうかなァ? 楽しみだなァ、愉快だなァ。あァ、たまらねェ。右腕が疼くぜェ。殺したりねェ。まだまだたくさん殺したいって叫んでるぜェ」

 セックスをも超える快感だった。今まで抱いたどんな女よりも価値のあるものだと信じられた。実際にそれを想像するだけでも、鳥肌が立つような快感に浸ることが出来た。

闘争本能――全てを遥かに超越する喜びを、全身で表現するかのように、狂った舞いを見せた。

「ハザウェイ様」

 背後から部下の男の声が聞こえた。司祭の狂乱っぷりにすっかり心酔したような顔をしている。

「ん、どうしたァ?」

 ハザウェイが振り返ると、部下の男が、右手に何かを引っさげているのが見えた。

 そこにいたのは女だった。

年端の行かない少女だが、女であることには間違いない。その少女は髪を掴まれ、手足を縛られている。

「こいつ、どうします?」

 部下の男はそう言うと、乱暴な手つきで、少女を地べたへと放り捨てた。

「……っ!」

 部下の男が連れてきた少女とは――リンダだった。

可哀想なことにがたがたと足腰を恐怖で震わせ、つぶらな瞳からは涙が溢れている。手足は縄で縛られており、彼女の非力な腕ではまともに身動きすら取れなかった。

それでもせめてもの抵抗を示すかのように、ハザウェイを真っ向から睨みつけている。死の恐怖と、必死に立ち向かおうとしていた。かつて自分を助けた白い少女のように諦めたりはしなかった。

しかし、ハザウェイは興冷めしたような眼差しで、

「なんだ、ただのガキじゃねぇか。そんなゴミをオレに見せんじゃねェ。まだ初潮も来てなさそうなガキを犯ったって――つまんねぇんだよォッ!」

 獣のような唸り声に、ひっとリンダが小さな悲鳴を漏らした。怖い顔つきをした大人から目を背けたい一心で視線を下に向けたとき――彼女は凍りついた。気づいてはいけないものに気づいてしまったのだ。足元に転がるぐずぐずの肉片に。元はそれが何であったかも。

およそ人が迎える終わりの中でも、これはまともな死に方ではない。遅れて死への実感がやってきた。先程まで話していた顔見知りの、すっかり変わり果てた姿を見せられ、そして自分もいずれ近い内に、同じ運命を辿るのだということに気づくと、それだけで彼女の心を支えていた何かは、粉々に瓦解してしまった。

「い、いやっ! 死にたくないっ、死にたくないよぉっ! パパ! ママ! 助けてぇっ、助けてぇっ!」

「うるさいっ! 黙れ! 黙らないか!」

 じたばたと暴れる哀れな少女の頬を、部下の男が容赦なく殴りつけた。何度も何度も殴られ、頭から地面へと盛大に叩きつけられた。殴りつけられた拳で唇を切ってしまったのか、血がどくどくと流れ続けている。それでも部下の男は躊躇して手を止めたり、手を緩めようとはしなかった。倒れ込むリンダの身体にまたがり、馬乗りの体勢で頬を殴り続けている。完全に頭に血が上っている。この男もまた、司祭のハザウェイに負けず劣らずの狂暴性を秘めていたのだ。下手をすれば、このままリンダを殴殺するまで拳を止めはしないだろう。

しかし、男の無慈悲なる暴力は中断された。

「ぐわあああああああああああああああっ……!」

 男は苦悶に顔を歪め、いきなり口から血を吐いた。胸元に焼けるような激痛が走った。出血はない。代わりに、じゅう、と香ばしい煙が上がっていく。何が起こったのか分からなかった。だが、自らの胸元から刃が突きぬけているのに気付き、己の身に何が起こったのかを瞬時に悟った。

背後から鋭利な刃で貫かれたということ。自分を刺した張本人が誰であるかということ。

激痛で遠のきつつある意識を振り絞り、かろうじてその名を口にした。

「ハ、ハザウェイ……様?」

 男の悲痛な声が問いかけていた。なぜ部下である自分を殺したのかと。

そう――ハザウェイの左腕から生える灼熱の刃(ヒートブレイド)が、男の分厚い胸板をキレイに刺し貫いていたのだ。ハザウェイは部下の疑問に答えなかった。答えの代わりだと言わんばかりの勢いで、左拳が飛んできた。男は力なくその場に倒れ伏した。

「おいおい。何勝手してくれてんですかァ? テメェ、調子づいてんじゃねぇぞ、コラッ!!」

怒り狂った叫びを上げながら男を蹴りつけた。それが自分の部下だろうと一切の容赦は無かった。

「肉の鮮度を落としてどうすんだよ。テメェの脳みそはお飾りか? 新鮮な肉を痛めつけてそんなに楽しいんですかァ! あァ?」

リンダは戦慄していた。殴られた頬の痛みさえ忘れ、その凶行に目を奪われ、心さえも釘づけにされていた。金縛りにあったかのようにこの場から動くことすらできない。ハザウェイの狂気に、ここから逃げ出そうという気力を根こそぎ奪われてしまった。

部下だろうと誰だろうと、ハザウェイ当人にとってはどうでもよかった。ついでに部下の男が既に死んでいようがいまいが関係なかった。今やその端正な顔つきは、耐え難い怒りの炎で粛々と燃え盛っており、ただ胸の奥でくすぶる火を消すためだけにうさ晴らしをしている。はたから見れば残虐に映る行いも、本人にとってそれだけの行為に過ぎなかった。

やがてハザウェイは気が済んだのか、それまで散々痛めつけた部下の男の存在など忘れたように、ふっと視線を外し、

「オイッ!」

「お呼びでしょうか」

 叫び声に応じる声があった。別の男が現れたのだ。

「こいつを始末しろ」

「了解しました。方法は、いかが致しましょうか」

「そいつも小娘と一緒にバラして、肉箱の中へつめとけ。一応あんなんでも、あのガキも女だ。食用にはもってこいだろォ」

 だが、ふと何か名案が閃いたかのように目を輝かせたかと思うと、唇をつり上げ、愉快そうに白い歯を覗かせた。

「……いや、待て、待った。まだバラすんじゃねぇ。ひょっとしたらこいつは案外使えるかもしれねェぞ」

「使えるというと、どのような用途で?」

「この門を拠点にして、今すぐにでも市街地を制圧しちまいたいところだが、生憎この湿気った天気のせいで、俺の力は半分以上も制限されちまう。そこでだ。このガキで、政治的な取引ってやつをするのさ。あのマイザーだったら交渉材料って言い方をするんだろうけどな。とにもかくも、こいつを使って国の要人をおびき出し、そいつをブっ殺してもぬけの殻にするのさァ!」

「成程、それは名案ですね」

「だろだろォ! お前もそう思うだろ!」

 白い女の姿が、脳裡に思い浮かび、舌なめずりをしていた。

肌の白い女というのは始めて見る。実際その存在を知った時のハザウェイの驚きようといったら、未だかつてない衝撃が全身を走り抜けたのだった。あの女はどんな声で鳴くのだろうか。それを考えただけでも、初めての夜にすら味わえなかったような悦びが、暗闇の奥からのっそりと顔を覗かせたような実感があった。

「どれだけ自国の民を思いやっているのか。ここは愛国心ってやつを試させてもらうぜ。――プラネテューヌさんよォ」

 ほとばしる快感のうねりを胸の奥に抱きながら、白い歯を覗かせて、むわっとする獣臭い息を吐き出していた。

 

   

 

 プラネテューヌ――教会。

 

「黒の教団だと? そんなバカな……!」

 イヴは驚愕に慄いていた。目を大きく見開き、イストワールの前で間抜けにも口をぽかんと晒している。イストワールは不思議に思った。誰もが気づくだろう。イヴの異変に。イヴが異常な顔つきであることは一目瞭然である。

「イヴさん、彼らについて何か御存知なのですか?」

「いや、何でもない。……で、そいつらが一連の事件の犯人であることは間違いないんだろうな?」

 怪訝そうな目で見ながらも、イストワールはそれ以上追及しようとはしなかった。

「はい、間違いありません。死体の検知結果から、特殊な傷痕が確認されています。肉の切断面や、切断された筋肉の繊維からそれらが検出されています」

「特殊な傷痕?」

「現代、現存しているいずれの武器にも当てはまりません。しかし、驚くべき事実ですが、それが一万年前の兵器であるとシステムから回答が出たのです。通称“遺失物(ロストメモリー)”。そう呼称される反応が確認されました。ギルドシステムのスキャンによる解析結果でも、随所から使用された痕跡が確認されていると断定しておきます」

「……ふむ」

遺失物(ロストメモリー)。今ではそれを知る者も、それがどこから来たのかも、それが造られた目的も、それを製作したのが誰であるかも、その存在を正しく理解している者は一人もいません。ただ、分かるのは一万年前に女神メモリーと同時期に製造されたという記述。彼らの歴史を綴った文献にもそれしか残されていないため、正確な正体はつかめていません。全ては未だ、謎のヴェールに包まれています」

「文字通り、歴史の闇に葬られた記憶に過ぎない――そういうことか」

 そのとき、イストワールが「んっ……」と短く呻いた。

「どうした?」

 イストワールは尋常じゃない程にうろたえていた。普段の態度からは考えられない程の慌てようだった。

「そんな……まさか。こんなことっ、信じられません!」

「落ち着け。どうしたと言っている」

(で、伝達が入りました。プラネテューヌの調査員からです)

 イヴの頭の中に声が響いた。イストワールが飛ばした念話だった。

(伝達?)

 イヴもイストワールに合わせる。外に声を漏らせないということは、それほど急を有する事態が起こったということなのだろう。

(ひ、東門が占拠されました。たったの二十にも満たない集団によって……!)

(何だと?)

 国境にモンスターは近寄れない。ホーリーボトルの原液となる木が植えられているからだ。だが、その例外――相手がモンスターでなかった場合。攻め込んできたのがモンスターではなく、ただの人間だった場合。聖水は意味をなさない。人間にはめぼしい効果を与えられないからだ。

(その集団とは誰だ? ……まさかルウィーの兵士がこちらに攻め込んできたのか?)

(いいえ。違います。いずれの国家にも属さない不特定多数の集団です。その規模と目的は不明。現在、調査中です)

 あ、と短い悲鳴を漏らし、イストワールが身を震わせた。

(は、犯行声明が今届きました)

「……何だと? 読み上げろ。今すぐにだ」

(よ、読み上げます)

 

『こちとらプラネテューヌぶっ殺し大戦線隊長ハザウェイでェーす。テメェらんとこの貧弱な門番共の安全を考えているんなら諦めろ。それはオレが全員ブっ殺してやったからだよォ! 何故ならそれはオレが化物だからだ。だが、オレは優しい化物だ。化物の中でも屈指の優しさを誇る化物だ。心優しい化物だといってもいい。門に迷い込んでたガキの命だけは生かしてやった。しかし、オレは気まぐれな化物だ。オレの指先一つでこいつの命が吹き飛ぶかもしれん。もしかしたらこの文面を全て書ききる前に命が消えてなくなっているかもしれないなァ。だが、特別に条件がある。このガキの命を惜しむ心が少しでもあるならば、東門へやってこい。ただし、白い女。オマエ一人だ。オマエ一人でやってこい。それが条件だ。さもなければガキの身体は、細切れの肉片となってオマエらの食卓に上がるかもしれないだろォ。いいか、ガキを助けたくば一人で来い。オレの気が変わる前になァ』

 

(……だそうです)

 イストワールは息をついた。読み上げるのも辛そうだった。

(人質となっている子供は誰だ?)

(はい。ギルドシステムにアクセスして、名簿と戸籍に照合してみたところ、現段階において人質として濃厚なのはリンダという名前の――……)

「リンダが人質に……!? そんな……っ!」

 思わず叫んだ。

(イヴさん! 声に出さないで下さい! まだこの情報は国民にも公にされていない、いわば国家機密なんですよ!)

「そんな、嘘だ! 嘘だと言ってくれ、イストワール!」

(……下校途中に、彼女が東門へ向かっているのを見かけた人達が数人います。そして、まだ自宅に帰宅していない生徒は彼女だけだそうです。こうなっては仕方ありません。すぐにでもプルルートさん達に連絡を……!)

(いや、その必要は無い)

イヴはイストワールをさえぎるように立ちあがった。今すぐにでも走り出したい気持ちを落ち着かせるように数回ほど深呼吸して、

(先程の要求をよこしたのがどこのバカだか知らないが、もし向こうの言いつけに背き、大軍で押し寄せるようなことをすればリンダを本当に殺すだろう。もしあいつらに連絡がついたとしても、時間がかかり過ぎる。ここは先鋒の要求通り、私一人に行かせてくれ。それが一番安全だ。私がリンダを絶対に救いだしてみせる)

(ですが……)

(墓穴でくたばりきれなかったバカ共に、釘を打ちこみに行くのさ。もう二度と目覚めないように、棺桶にしっかりとフタをしてな)

 それだけ言うとイヴはドアへ歩き出した。右手に銃剣をしっかりと携えて。今すぐにでも走り出したい気分だった。これ以上、ここで落ち着いて会話を続ける自信がなかった。

(どうしても一人で行くとおっしゃられるのですか?)

(ああ、そうさ)

(……では、わたしがイヴさんの唯一人の味方となりましょう)

 イヴが驚いた声を上げた。

「は……? イストワール。お前、何を言って……」

「わたしは一万年前に作り出された人造生命体イストワールです」

 イストワールは力強い声で言った。今度は念話じゃなかった。隠しもせず、むしろ誇らしげに。

「その役目は女神の補佐。しかし、補佐するべき女神は不在です。国の留守を守ることこそが、今のわたしの存在意義であり、今果たさなければならない役目です。遺失物(ロストメモリー)のイストワールがこの身を捧げ、あなたの道具となりましょう。国の危機と、共に立ち向かうのです」

「いや、そのだな。気持ちはありがたいが……お前、戦えるのか?」

「ええ、お任せ下さい」

「ぽんこつなのに?」

「誰がぽんこつですか! 怒りますよ、イヴさん!」

 こほん、と一息ついてから、

「イヴさんの心にリンクすることで、お互いの心と心を干渉し合うことで、イヴさんの見ている視界をわたしも共有出来るのです。いわゆる一種のシンクロ状態というやつでしょうか。これによって、多元的な視界を持つことが出来るため、広範囲を見通すことが可能となるのです」

「後ろに目がつくようなものか」

「まあ語弊はありますが、そんな感じですね。ただし、注意があります。感情を乱さないで下さい。多少の揺れなら問題ないのですが、大きな乱れが心に生じてしまうと、その振動が波となって伝わり、わたしの方にも押し寄せて来ます。本来、心をシンクロさせる事自体、褒められた行為ではありません。多かれ少なかれ危険がつきまとうものです。そして、心の干渉が強まれば強まってしまう程、わたし達が同化してしまい、廃人になってしまう恐れあります」

「つまり、動揺だけは絶対にするなってことか?」

「そうなりますね」

 イストワールの説明を聞き終えて、ふふっとイヴは微笑んだ。

「心強いバックアップだ。期待しているよ」

 がしゃり、と撃鉄を上げる音だけを響かせ、一気に外へと踊り出した。

「――……イヴさん!」

 ふいにイストワールは叫んだ。血相を変えて、外へ追いかけた。彼女の背中を見たとき、身の毛もよだつような悪寒が全身をかけめぐった。それは何なのか分からない。言葉で説明できる自信は無い。だが、予感めいた何かを感じたのは確かだ。その小さな背中に、とても抱えきれない重さを無意識で感じとった。彼女が――イヴがもう帰ってこれないかもしれない。なぜかそう感じていた。

 しかし、彼女の姿はもうどこにも見えなかった。リンダのために全力で東門へと走り出したのか。それほど切羽詰まっていたのだろう。いつもだったらもう少し賑わっている街中でさえも、人影はまばらだった。今日は家に引っ込んでいるのか、外で遊んでいる子供の人っ子一人として見かけられなかった。

 そのときだった。

 ぽつり――と、イストワールの頬に何か、冷たいモノが当たった。

 手で頬に触れてみると、それは一滴の水だった。

そこでイストワールは思い出した。今日の天気が雨だということを。天気予報でもニュースキャスターが告げていた。ギルドシステムの導きだした降水確率も90%を上回っていた。

「雨……? いや、違います。これはそんな生半可なものではありません」

空にはどんよりと暗雲が立ち込めている。遠方から雷が激しく飛び交う音さえ聞こえてくる。こんな大事な日に限って、雨だなんて。誰かが図ったようにしか思えない。そう考えた途端、ぶるっと全身が震えた。

いつの時代もそうだ。邪まなモノがあるとすればそれは人の心から生まれるものだ。もしあの雲が造られたモノだとしたら、あれは人々の邪まな心がそれを呼び寄せたに違いない。

黒々とした邪悪なる塊を。

「これは……嵐です。嵐がやって来ます。濁流が全てを飲み込み、とてつもない竜巻が吹き荒れ、木々を残らず薙ぎ倒していく。ああ、なんて恐ろしい。大嵐とはなんと恐ろしいモノなんでしょうか! 自然の猛威の前では、人間たちは成す術もなく、立ち尽くすしかない。だから人々は、畏怖と敬意を持って、それをこう名付けたのでしょう」

 

――災厄と。

 

 

 

名前:イストワール

性別:女     年齢:?(製造された年月は一万年前。人工生命体であるため詳細は不明

 

プラネテューヌの女神――アイリスハートことプルルートを補佐する人工生命体。世話焼きで何かと口うるさく、説教じみたところが多い。

ネプテューヌの住んでいた超次元界にもイストワールと呼ばれる個体がいるそうだが、そちらに比べると外見が幼く、図体も小さいらしい。ぽんこつと呼ばれると怒るので注意。

 


 
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