No.52830

薄幸な母

母は、私が物心付いた頃から家族に阻害されていた。

2009-01-18 14:16:15 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:714   閲覧ユーザー数:692

母は、私が物心ついた時から家族に阻害されていた。

 

私と、二歳年の離れた姉。まだ幼かった弟。

父方の祖母は勿論、夫である筈の父でさえ、「あいつには構うな」と私に聞かせた。

 

だからといって、誰かが母に暴力を振るったり、汚い言葉で罵ったり、そんな出来事は無かったと思う。

 

ただ、彼女は家族の誰からも相手にされなかったと記憶している。

 

一家団らんの中に、いつだって母は居ない。

家族の誰もが、母を母として触れ合う事は無かった。

 

ただ一人だけ、家族であって、家族と認められ無い人。

 

部屋の隅で、俯いている記憶しかない。

 

しかし、私だけは違う。

普通の母親と同じように、いつだって彼女に話しかけたし、傍で時を過ごした。

 

テストで満点を取れば、下校してすぐ母の居る部屋に飛び込んだ。

 

新しい友達が出来れば、嬉々として母に報告した。

母を除いた食事の時間も、私だけ茶碗を片手に母の隣へ移る事だってあった。

 

父に祖母、姉と弟。誰もが、私が母に近づく事を良く思っていなかったようだ。

 

何故そこまで他の家族が、母を忌み嫌うのか私には分からない。

ただ一人の、血を分けた母親。

 

無視しつづけて生きていくなんて、とんでもない事だと思う。

 

―――ある時、大人になった私は、それぞれ自立し、離れて暮らす姉と弟と食事をする機会を持った。

 

祖母は既に故人となっており、父とも仕事の都合で中々会う事は出来ない。

 

姉弟水入らずという訳だが、私は不意に母の話題を持ち掛けてみた。

どうして、家族揃ってあの人を除け者にするのか。

 

幼い頃より、ずっと疑問と苛立ちを感じていた事。それを、二人にぶつけたのだ。

結果、ハッキリとした答えを得る事は出来ず仕舞い。

 

ナイフとフォークを握る手が止まり、押し黙った空気になる。

 

姉の言った「まだ居るの」という言葉以外、もうそれについて触れられる事は無い。

 

私は、ますます母が気の毒で仕方なかった。

 

その後の食事自体は、楽しいものであった。

それぞれの近況で盛り上がり、何時の間にかすっかり日も暮れた。

 

姉は一昨年結婚していて、家庭を持ち、今では子供を設けた身である。

迎えにきた夫の車で、遠くの街へ帰宅していった。

 

今は、人の親となった彼女。

それでも、黙殺される母の気持ちは理解出来ないのだろうか。

 

気が付けば、終電も終わった時間。私は、弟に自宅で軽く酒でも飲み交わす事を提案した。

狭いアパートではあるが、私と弟は兄弟であり、同性だ。何の問題も無いはず。

 

買出しを済ませ、周りの住人に迷惑にならぬ様、そっとアパートの鍵を開ける。

 

扉を開ければ、私にはもう見慣れた薄暗い部屋。

 

明かりを点けようと手探りで中まで進むと、未だ弟が玄関で立ち尽くしているのに気が付いた。

 

コンビニの袋を片手に、いつまでも私の部屋に入ろうとしない。

 

遠慮する事は無いと諭すが、それでも頑なに部屋に入るのを拒むのだ。

そういえば家族の中でも、弟は特に母を避けていた存在だったと思う。

 

確かに、幼かった弟にとって、他と違う母の姿は臆するものだったのかもしれない。

 

しかし、今は彼だって立派に成人した大人である。

私は、少しでも母を理解して欲しいと思った。

大好物のステーキを半分も残し、トイレへ駆け込んでいた弟。

 

今は、「うちに母親は居ない」と擦れた声で言う。

母は、私が物心ついた時から家族に阻害されていた。

 

暗い部屋の隅にハッキリと浮かび上がる母は、俯きながら歯を剥き出して笑っている。

 


 
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