No.52552

真恋姫†無双 蜀伝 外史奇譚 ~再び邂逅する少年と少女の輪舞曲(ロンド)~

藤林 雅さん

恋姫まつりに参戦します!
皆さんが少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。

2009-01-17 00:43:34 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:20240   閲覧ユーザー数:13196

 

 恋姫†無双まつり コンテスト参加作品

 

 

 

 ――ある物語が終焉を迎えようとしていた。

 

 ひとりの少年が戦乱の時代に降り立ち、仲間達と平和を願って戦い続けた物語。

 

 その終わりは、少年を物語から『切り離す』事で終わりを告げるのである。

 

 全てはこの時の為に創造された悲しい物語。

 

 けれど、その世界の中で踊る道化達にも心は存在する。 ――例えそれが、創られた仮初めのものであったとしても。

 

 物語が終焉を迎えようとする最中、物語の主人公である少年は、今、この世界と別離の刻を迎えようとしていた。

 

 少し前から、何れ時が来れば、何となくそうなる事を感じていた少年は、無慈悲な定めにそれでも必死に抵抗する。

 

 何故なら彼は、この世界でかけがえのないものを見つける事が出来たから。

 

 それを失いたくない少年は、自分をこの世界から引き離そうとする光に抗う。

 

「――様!」

 

 少年の目の前に現れたのは、この世界で愛を交わした少女。

 

 この物語が作り物であったとしても、互いの想いはそうではないと信じている。

 

 故に、二人は互いを求め合い手を伸ばし合う。

 

 そして、距離が縮まり二人の手は――

 

 

 

 

 

 

 

 少し、互いの指先が触れただけで無情にも引き離されてしまったのである。

 

 少年が消えたと同時に光は収まる。

 

 少女の目の前に拡がる光景は、無機質なものばかり。

 

 少女は、瞳から涙をハラハラと流し、少年の消えた虚空に眼を向け、力なくへたれ込む。

 

 そして、物語は終わりを告げ、全てが虚無へと還る。

 

 意識が無くなり、自分という概念が消えようとする光の中で、少女は願う。

 

 ――あの人に逢いたい、愛しい人と共に在りたい、今度は……

 

 そこで、思考は途切れる。

 

 少女の概念は消えてしまったからだ。

 

 けれど、魂は、愛しい人との再会を望んだ想いは永久不変に消えはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 ――終焉を迎えた物語であっても『望め』ば、新たな物語が始まるのだから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 『真恋姫†無双 蜀伝 外史奇譚 ~再び邂逅する少年と少女の輪舞曲(ロンド)~』 作 藤林 雅

 

 

 

 偶然か、奇跡なのか、本当に神様の悪戯なのかもしれないが――現代世界において平和に学園生活を過ごしていた北郷一刀は、いつものように通学している最中、車にはねられそうになり意識を失う。

 

 目を覚ました三国志のパラレルワールドで、一刀は劉備こと真名を桃香という少女と出会い天の御遣いとして乱世で疲れ果てた力なき民を救うべく共に立ち上がり、彼女の義妹である関羽こと真名を愛紗という少女と、張飛こと真名を鈴々という少女と四人で桃園の誓いを交わし、大陸の北方から旗を揚げたのであった。

 

 だが、夢と違い現実は甘くなく、何の後ろ盾も無い一刀達は、戦の起こるたびに各地を放浪する事になる。

 

 そして、朝廷の命令により領地を替え、稀代の英傑である曹操との覇権争いに敗れ、徐州から益州へと落ち延びる。

 

 その度に、窮地に陥るが、桃香の理想に志を同じくした仲間達が少しずつ増え、戦乱の最中にあり、劉姓を名乗りながら中央に背を向け快楽に浸り、暴政によって民を苦しめていた劉璋を討ち果たし、遂に夢の楽園を叶える事が出来る領土を得たのであった。

 

 ここに桃香は蜀という名の国を立ち上げ、北方の大半を支配下に置いた魏の曹操、長江より南の揚州、東荊州に名を馳せる小覇王こと孫策が治める呉との二国に次いで、第三勢力として名乗りを上げたのである。

 

 人徳の大器はここに晩成し、仲間達と共に夢を叶える為、邁進するのであった――

 

 そんな中で北郷一刀は、彼女達の支えになるべく、自分なりに一生懸命に頑張っていた。

 

 彼の存在は、蜀の人々の精神的支柱となっていたのである。自身は全くその事に自覚はないが。

 

 このお話は、そんな最中に起きたひとつの『外史』である――

 

 

 

 益州平定後、州内の北方と南方で同時に起きた異民族反乱を鎮圧する事に成功した桃香達一行は、南蛮の孟獲こと真名を美以という少女と和解し、互いに友となった後、南蛮遠征時に五胡と呼ばれる異民族を警戒していた益州の北方にある梓潼(しとう)へ、民と防衛に当たっていた兵士達を慰撫する為、桃香と一刀が赴く事になる。

 

 だが、いずれ起こるであろう曹操と孫策との戦いの備えを怠ることも出来ず、大半の将は、成都(せいと)で留守を預かる事になった。

 

「~♪」

 

 成都から梓潼へ向かう道中、馬に跨りながら、誰が見ても御機嫌な笑顔を振りまいているのは劉備玄徳こと桃香である。

 

 桃色に染まり少しウェーブがかかった長い髪が、陽光に照らし出されふわふわと揺れ、薄化粧をしたつややかな肌、穏和な顔立ち故に少し幼く見える表情は笑顔と合わさって、まるで童のようであった。

 

 彼女は横で馬に乗っているふりをして、馬超こと翠という真名の少女の愛馬、麒麟にしがみついている白を基調とした、海軍の士官のようなデザインの学生服を纏っている天の御遣いこと北郷一刀に馬を併せる。

 

「ご主人様~今日も良い天気だね?」

 

「……ああ、そうだね」

 

 桃香の問い掛けに一刀は、素っ気ない態度で返すが、それはただ単に余裕が無いからである。故に桃香もニコニコ顔のままで一刀の切羽詰まった真剣な顔を眺めていた。

 

「……」

 

 一刀と桃香の後ろに控えたいた愛紗は、そんな二人のやり取りを見て、美しく引き締まった顔立ちの形の良い眉をハの字にして不満そうな表情を浮かべていた。

 

 心なしか馬の手綱を握る手に力が入っているようにも見受けられる。

 

「ほら、愛紗ちゃん。そんなに眉間に皺をよせると可愛らしい顔立ちが台無しよ?」

 

「なっ!」

 

 そんな愛紗に横から慈愛を含んだ声が、かけられた。

 

 愛紗に声をかけたのは、黄忠こと真名を紫苑という女性である。

 

 彼女は、笑顔を浮かべ、紫色の長い髪から心を落ち着く甘い香りを愛紗のすさんだ心へと運んでいた。

 

「何を根拠にそのような痴れ言を……」

 

 自分の態度に気が付きながらも同僚の紫苑に醜態を見せてしまった事に恥ずかしくなった愛紗は、艶やかな黒髪を靡かせながら、プイッとそっぽを向く。

 

「あらあら」

 

 紫苑は、そんな愛紗に淑女の余裕を含んだ微笑みを浮かべる。

 

 愛紗が声を上げた事が気になり一刀は、そんな二人のやりとりを麒麟にしがみついたまま、後ろを振り向いて見ていた。

 

 だが、一刀は馬に乗った愛紗と紫苑のやりとりよりも――二人のたゆんたゆんと揺れる水蜜桃のような豊かな胸につい視線が向いてしまっていた。男の悲しい性(さが)である。

 

 一刀の発する男の子の視線に気が付いた紫苑は、彼にニッコリと微笑み返した。

 

 慌てながら前に振り返り姿勢を正す一刀。但し、頬は紫苑の魅惑的な微笑みに当てられて朱に染まったままではあるが。

 

「ぶ~」

 

 そんな一刀の態度が気に入らない桃香は頬をリスのように膨らませて、彼の頬を指で抓る。

 

「! ふぉ、ふぉうかひゃん(と、桃香さん)?」

 

 何で抓られているか理解出来ていない朴念仁。

 

 桃香は指を離し、一刀から無言で離れた。

 

「どうしたの?」

 

 桃香の態度が、急下降した事が気になった一刀が麒麟にお願いして彼女の後を追いかける。

 

 桃香はツーンとして追いかけてきた一刀から視線を外した。

 

「――ご主人様の浮気者」

 

 ただ一言そう呟いて再び、馬の手綱を操り一刀から離れる桃香だった。

 

 だが、気にかけて貰った事で、桃香の機嫌はある程度戻っていた。難しきは乙女心である。

 

 ぽつんと残された一刀は解らないと言った風に首を傾げるのであった。

 

 そして、一刀達一行の紫苑と愛紗よりも後ろの最後尾にはその出来事を見ていた人物が二人いた。

 

「ぬ~あの好色へぼ主人め! ねね――ゴホン! ゴホン! 恋殿へあれだけ愛想を振りまいておきながら~許すまじです!」

 

「……ご主人様は、大きいおっぱいが好き――?」

 

 天下無双の豪傑と名高い呂布奉先こと真名恋とそのちびっこ軍師である陳宮公台こと真名音々音であった。

 

 恋が馬を操り、その後ろに音々音が乗っているという形である。

 

 音々音は恋の背後から一刀の様子を見て小さな身体をうがーっと噛み付かんばかりに唸らせ、可愛らしい顔を怒りに染め上げながら彼を糾弾する。

 

 恋は褐色の肌に染まった自分の手を己の胸に併せてにぎにぎと握っていた。無表情な顔立ちから解りづらいが、行動からしてどうやら一刀の好みが気になっているようである。

 

 以上六名が、今回の梓潼への視察に赴蜀の代表団であった。

 

 桃香は国の長として。

 

 一刀は、天の御遣いとして民の慰撫を果たす役目がある。

 

 愛紗、紫苑、恋は二人の護衛として同行している。

 

 ちなみに護衛役の三人が選ばれたのは、それぞれの事情があった。

 

 紫苑は益州の地理に詳しい事から。

 

 愛紗は頑として、己の主君である二人に同行することを望んだ為。

 

 恋に関しては、一刀の推薦によりという違いがそれぞれにあった。

 

 恋を推薦した理由について一刀自身は口にしていないが、普段から気を張っている愛紗へ対しての精神安定剤の意味合いがあったりする。

 

 故に勘違いした女性陣から、一刀は恋を寵愛しているのでは? という何とも気まずい空気が流れ、ジト目で見られたが。

 

 愛紗の為に恋を指名したのに、その愛紗本人からも疑惑の視線を向けられ、一刀が心の中で泣いたのは言うまでもない。

 

 そして、恋が同行するとなると、音々音が一緒に行くと駄々を捏ねたので、一刀は苦笑しながら彼女の同行を許可した。

 

 だが、それを見た桃園の誓いで義兄妹の契りを交わした末の妹分の張飛こと鈴々が「ずるいのだ! ずるいのだ! ねねも行くなら、鈴々もお兄ちゃん達と一緒に行くのだ!」と駄々を捏ね、彼女に便乗した『ここにいるぞー!』微少女馬岱こと蒲公英も便乗して参戦したが、――二人ともそれぞれの姉に拳骨を喰らって、互いに大きなタンコブを作って鎮圧されたのであった。

 

 一刀は、その光景を見ながら、鈴々と蒲公英がこれ以上お馬鹿にならないか心配していた。

 

 ――余談も含んだが、こうして選出された一行は、目的地の梓潼へと向かうの最中であったのだ。

 

 

 

「……遂に来ましたか。北郷一刀」

 

 暗闇の中、どことも判断出来ない虚に満ちた次元の中で外套を纏った一人の男が、水鏡に映る一刀達を見てそう呟いた。

 

 その声は、どこかしら歓喜に満ちていた。

 

「幾多の外史を彷徨い続けましたが――未だ、己の望む世界は現れません。だが、数多の外史のファクターとなる『北郷一刀』に退場願えば、大きな確率で外史の崩壊及び再生が起こる。上手く行けば私の望む世界が、左慈とラブラブな外史に辿り着けるはずです!」

 

 男は、熱の籠もった独り言を終えると高らかに笑った。

 

 外套のフードが外れ、男の顔が顕わになる。

 

 それは、どこかの外史の世界で『干吉』と呼ばれた策謀家の青年であった――

 

 

 

 梓潼へ辿り着いた一刀達一行は、街の住民から熱烈な歓迎を受けていた。

 

 城門に辿り着く前から、城壁に集まった人々から歓声を受けていたのだ。

 

 住民達に続いて、己の仕事を忘れた兵士達も一緒になって声を上げる。

 

 益州に平和と安寧をもたらした大徳劉備と天の御遣いがわざわざ、自分達の街を訪問してきてくれたのだ。

 

 皆、興奮につつまれながら、一刀達を歓迎してくれていたのである。

 

 桃香が、住民の熱意に押されるような形で笑顔で手を振り応えると、人々はさらにヒートアップし、まるで地震のような歓声が梓潼周辺を包み込む。

 

「お、おお~張り裂けんばかりの大歓声ですー」

 

「……桃香はすごい」

 

「ああ、本当にそうだな」

 

 民衆の大歓声が響き渡る中、音々音と恋の言葉に同意して一刀が誇らしげな表情で桃香を見つめながらそう呟いた。

 

 一刀の心の中には今、在りし日の光景が浮かんでいた。

 

 桃香、愛紗、鈴々と一刀の四人で花咲き乱れる、桃の木の下で誓った事を。

 

(桃香は本当に夢と誓いを果たした――)

 

 普段は少し、臆病な所もあるけれど、力なき民を想う心は誰よりも強く、目の前に立ち塞がった野心溢れる諸侯に立ち向かう強き心を持った桃香という少女を一刀は、本当に誇りに思っていた。

 

「――桃香さまの偉業は、ご主人様なしではあり得ませんでした」

 

「愛紗?」

 

 愛紗は一刀の傍に赴き、そう言葉を紡いだ。

 

「ご主人様が傍に居てくれ、見守ってくれていたからこそ、桃香さまは勇気を出せたのです」

 

「そんな、買いかぶりすぎだよ。俺は、ただ、自分に出来る範囲でみんなを手伝っただけで何もしてないよ」

 

 一刀の言葉に愛紗は身を正し、そして、微笑んだ。

 

「いいえ。桃香さまだけでなく、私もそうです。 ――ご主人様が見守ってくれているからこそ、戦場で強敵にも立ち向かえたのですから」

 

「ええ、愛紗ちゃんの言う通りですわ。ご主人様と桃香様のおかげで私も生きながらえていますから」

 

 愛紗と紫苑に褒められて一刀はさすがに恥ずかしくなって頬を指で掻くしぐさをする。

 

「調子に乗るなです。このへぼ主人! おまえが威張っていられるのは、恋殿をはじめとしたみんなが支えてくれているからですよ!」

 

「――ねねもご主人様が大好き」

 

「なっ!?」

 

 一刀を諫める音々音であったが、恋の突然の言葉に仰天する。

 

「曹操から逃げる時、鈴々と恋と一緒にご主人様が殿をした時、ねねもご主人様を助けてくれた」

 

「なるほど。そう言えばそうだったな」

 

 恋の言葉に愛紗が頷いた。

 

「あ、あ、あれは! 恋殿を心配したのと、へぼ主人の指示だと、一緒に逃げる民が混乱すると思って、仕方が無く――」

 

「あらあら」

 

 音々音が顔を真っ赤にさせ手を目の前で振りながらあたふたと言い訳をはじめる。そんな彼女を紫苑は愛らしく見つめる。

 

「ねねの言う通りだな。俺はみんなに支えられてここにいるんだ。 ――その上で、少しでもみんなの役に立っているならこれ以上嬉しいことはないよ」

 

 そして、一刀は感謝の意を込めて音々音に微笑む。

 

「ちょ、ちょ、ちょちょちょ――ちんきゅーきーっく!」

 

 一刀に褒められて、嬉し恥ずかし照れ隠しの必殺ちんきゅーきっくが、一刀の横っ面に炸裂し、麒麟の背中からサヨナラする天の御遣い。

 

「こ、これねね! 衆目の前でご主人様に暴力を振るうではない」

 

「ねね、ご主人様にひどいことしちゃだめ」

 

「ねねちゃん。気持ちはわかるけど、女の子なんだから、駄目よ?」

 

「うっ……ごめんなさいです」

 

 愛紗達に諭されて、音々音はさすがに気まずくなり素直に謝った。

 

 一刀は吹っ飛ばされて、「いや、ねねに注意するのはいいんだが、俺の心配は無いんですか?」と遠のく意識の中で、思っていたり。

 

「あれ~ご主人様どーしたの? 慣れない馬に乗って疲れたのはわかるけど、こんな所で寝ていたらカゼひくよ?」

 

 みんなの許へ戻ってきた桃香は、いつも通りぽわぽわとした感じで、ちんきゅーきっくによって地べたと熱烈なベーゼを交わしていた一刀に声をかけるのであった。

 

 

 

 梓潼の住民達の熱烈な歓迎の中、人々を労いながら慰撫していた一刀達一行は、太守としてこの地を任せている張任のいる宮城へ、彼の配下である呉懿、呉蘭の案内により赴く。

 

 一刀達一行の到着を待っていた張任と参謀の法正は、その報せを聞くと、政務を放り出して出迎えてくれたのであった。

 

 そしてその夜は、ささやかな歓迎の宴が催された。

 

 一刀の進言で、城内で当直の兵も非番の者達が臨時で交替し、勤務に支障が無いという指示のもと皆にも酒が振る舞われたのであった。

 

 その席で一刀達は、張任から南蛮制圧を境に五胡の動きがさっぱり止んだとの報告を受けた。

 

 愛紗は、難しい顔をしながら唸っていたが、桃香はこれまでと同じく彼等に梓潼の防衛と治安維持をお願いし、成都で留守番をしている諸葛亮孔明こと真名朱里が考えた政治の案件に関する事項の書簡を張任に渡し、法正には鳳統士元こと真名雛里が草案した法律『蜀科』の書簡を渡したのであった。さりげに伏龍と鳳雛こと、はわわ&あわわ面目躍如。

 

「おお、このピリ辛メンマうまいな! いやぁ、星がここにいないのが残念だ」

 

 政務のことは、桃香と愛紗に任せ、一刀は料理に出されたメンマをつまみながら成都で留守番している華蝶仮――いや、趙雲子龍こと真名星の事を思い浮かべていた。

 

「うまうま」

 

「ぴりから? って、それは、ねねがとっていたものですよ。このへぼ主人!」

 

「ねねちゃん、私のをあげるからご主人様を許してあげて。ね?」

 

 恋、音々音も一刀に倣い、宮城で働く料理人の腕によりをかけた料理に舌鼓を打ち、そんな子供のような振る舞いをする三人を紫苑が、まるで自分の愛娘璃々の相手をするように甲斐甲斐しく世話を焼いていたのであった。

  

 こうして宴会は、和やかな雰囲気で夜遅くまで続くのであった。

 

 

 

 それから一週間程の期間の間、呉懿、呉蘭両名の案内で、梓潼の領民達を慰撫した一刀達一行は、再び宮城に用意された宿舎へと戻って来ていた。

 

「このまま仕事だけで成都に帰るのもちょっと、もったいないから明日は、お休みにして梓潼の市を散策しない?」

 

 桃香のこの一言により、臨時休暇が提案された。

 

 だが、これに真っ向から反対したの愛紗で、くどくどと桃香に君主が何たるかという事を説教し始めたのである。

 

 それを気の毒に思った一刀は部屋の壁に寄り添って、大人しくしている恋を手招きし、自分の許へと呼び寄せた。

 

「ご主人様、なに?」

 

「ちょっと、耳貸して」

 

 素直に自分の傍に来てくれた恋に何やら耳打ちする一刀。恋は、無表情のまま時折、頷いていた。

 

「そもそも桃香さまは、君主としての自覚が足りません」

 

「は、はわわ~」

 

「……何故、朱里の真似をなさるのですか?」

 

「……あわわ~」

 

「雛里の真似をした所で何にも解決しませんよ」

 

 愛紗のお小言の攻勢に桃香は、ちびっこ軍師ズを真似て難を逃れようとするが、生真面目な義妹には効かなかった。

 

「愛紗はうるさいのー」

 

「鈴々の真似とて同じ事です」

 

「――ここにいるぞー?」

 

「何故、そこでたんぽぽの言葉が出るか、私には理解出来ません! しかも何で疑問系なのですか!」

 

 それでも桃香は起死回生と言わんばかりに、愛紗を牽制するが、やっぱり効果は無い。

 

 だが、そこに愛紗の服の袖をクイ、クイッと引っ張る者がいた。恋である。

 

「ん? 何だ恋? 今は桃香さまに大切なお話をしている最中だから後にしてくれぬか?」

 

 愛紗の言葉に恋はフルフルと首を横に振る。

 

「……恋は、愛紗と一緒に市で遊びたい」

 

 純真無垢な子犬のような瞳をじっと愛紗に向ける恋。

 

「……うっ! しかし、今我等は、これからの戦いに備えねばならぬ大事な時で……」

 

 愛紗は言葉で恋を諫めるが、彼女がシュンとなったことで、言葉を詰まらせた。

 

「~~そのような瞳で見るでない。これでは私が悪者ではないか! わかった、わかった桃香さまと恋の言う通りにすれば良いのだろう!」

 

「えっ、本当!? 愛紗ちゃん!」

 

 桃香と恋に根負けした愛紗が、納得しかねる表情を浮かべながらも頷いて肯定する。 ――顔を真っ赤にさせながらそんな態度をとっても後の祭りなのだが。

 

「愛紗ちゃん大好き!」

 

 嬉しさの余り、愛紗の腕に笑顔で抱きつく桃香。

 

「――恋も、愛紗大好き」

 

 桃香を見て、恋も愛紗のもう片方の腕に抱きついてお互いの頬を猫のようにスリスリと擦りつける。

  

「と、桃香様。――それに恋もよさぬか、恥ずかしいであろう」

 

 美女二人に腕を取られ、挟まれて耳の後ろまで真っ赤にさせて恥ずかしがる愛紗。

 

「うむうむ。仲良きことは善きことかな」

 

 そんな三人を、えびす顔で見守る天の御遣いであった。

 

「うう、おまえはとんでもない悪魔です。巧みに恋殿を利用して、劉備と一緒になってあの堅物の関羽を籠絡させるなんて――正に『美女連環の計』ですぅ」

 

 音々音のちょっと変わった解釈に一刀は「ふむ」と頷いた。

 

 桃香、愛紗、恋が腕を組んで連なっている姿を見て、なるほど言い得て妙だなと感心する。

 

 兎にも角にも愛紗を説得する事に成功したおかげで、明日は休暇となり今日の仕事に皆、精を出すのであった――

 

 

 翌日、晴れ渡る蒼天の空に恵まれて一刀達は、お昼前から皆で、梓潼の市を眺めていた。

 

「成都との市と違った趣があるね」

 

「ええ、そうですね」

 

「これも皆さんが益州の民を安んじてくれたおかげですわ」

 

 先導して、桃香と恋と音々音が、お店を眺めている姿を見ながら、一刀は市の感想を述べ、愛紗と紫苑がそれに続いた。

 

「梓潼の名産品は、何かな?」

 

「これといった珍しいものはございませんが、昔から良いお米が収穫出来る土地ですわ」

 

「じゃあ、ごはんがとてもおいしそうだね」

 

「――ご主人様は、炒飯よりも炊飯された白米がお好みでしたよね?」

 

 一刀と紫苑の言葉のやりとりを聞いていた愛紗が、突然、凄い勢いで会話に割り込んで来た。

 

「う、うん。そうだけど」

 

 一刀は愛紗の態度にびっくりしながらもそう答える。

 

 愛紗は、言質は取ったと言わんばかりに一刀に隠れて「よしっ!」と気合いを入れていた。

 

「――愛紗の様子が変なんだけど?」

 

「ご主人様。それは、あまりに無粋ですよ? 愛紗ちゃんも女の子なんですから」

 

 紫苑にそう諭され、一刀は少し納得がいかないものの、それ以上追求する事はしなかった。

 

 そして、ふと視線を再び目の前に向けると、桃香達が天蓋のついていない出店の前で、店主らしき人物と何やら言葉を交わしているのが見えたのである。

 

 一刀は、三人と店主の許へ足を向ける。

 

「どーしたの? 何か掘り出し物でもあった?」

 

「あっ、ご主人様」

 

 一刀の呼びかけに振り返った桃香は何やら、困った表情を浮かべていた。

 

「この店主が眉唾もの商品を売りつけようとするから、ねね達は困っているのです!」

 

 手を上げて、うがーっと可愛らしく吠える音々音の頭を一刀はポンポンと優しく叩きながらあやす。

 

「ふーん。その商品って一体、何かな?」

 

 一刀の言葉に外套を着込んだ店主が飛びついてきた。

 

「お客様、どうぞ、どうぞ商品をお手に取り、そちらのお嬢様がおっしゃる事が本当か確かめてくださいな!」 

 

 妙に気合いの入った店主に圧されて、フードで顔を隠した出店の主の表情のを窺いながら、一刀は、一つの小瓶を手に取った。

 

「おお! お目が高い! それは、シルクロードよりもたらされた異性を虜にさせる愛法書音(ラブ・ポ-ション)という秘薬です」

 

 直球で、うさんくささ爆発であった。

 

 一刀は、「ははは……」と愛想笑いを浮かべる。

 

 決して、横にいた桃香が、一刀の顔を意味ありげな照れた表情でちらちらと見ていたからではない。多分。

 

「じゃあ、これは?」

 

 一刀は小瓶を横に置き、横にあった竹造りの水筒に蓋をした商品を手に取る。

 

「そ、それは!」

 

 店の主人が立ち上がり、驚いた様子で少し、後ずさった。

 

「何か問題でもあるのですか?」

 

 腕を組んで鋭い眼差しで追求する音々音に店主は首を振る。

 

「いいえ、そのような事はございません。ただ、数ある商品の中でもお客様が手に取らない珍品でしたので」

 

「確かに、他の物はお洒落な小瓶に入っていたり、綺麗に包装されているもんね」

 

 桃香の言葉に一刀は他の並べられた商品に目を向け、自分が手に取った商品が、一番質素なものであった。

 

 桃香の様子に気を取られて適当に手に取ったなど一刀は、恥ずかしくて言えなかった。

 

「で、これは一体どんなものなのかな?」

 

 一刀の言葉に店主は、ずずいっと前に出て来た。

 

「はい! これは、何と命を司る神仙北斗、南斗のお二方が気まぐれで造ったと言われる『若返りの薬』です」

 

 一刀は、店主の言葉に桃香、恋、音々音に視線を向けるが、真偽の有無よりも、誰にも必要がないと思った。

 

「これは、俺達に必要ない商品だ「――お客様、勘違い召されるな!」――えっ?」

 

 店主は一刀と顔をくっつけんばかりの距離に迫る。そこで彼の素顔が眼鏡を掛けた青年だと知った。

 

「若返るというのは何も、歳の事だけではありません! 肌の艶など、お肌の曲がり角は、どんなに美しい女性にも存在する悲しい事実。これは、新陳代謝を促して若き肌を保つという効能が大事な要点なのですよ! 女性にとっては愛する男性に美しい姿のままでいたいと想うのは自然の摂理ではありませんか! ――それをお客様は」

 

 凄い勢いでまくし立てる店主に一刀は少し、退いてしまう。

 

 だが、彼の言葉に惹かれたのか桃香は興味ありげに「へ~」っと、一刀の手にしている竹筒を眺め始めた。

 

「と、桃香。気持ちはわかるけど、こーいったものは、好事家さん達が買うような商品で、きっと値段も張るし、何だかんだでうさんくさいしあきら――「そんなお客様にお応えすべく!」――えっ!?」

 

 一刀が桃香を宥めようとした最中、店主は声を声を張り上げて、二つの杯を両手に彼の目の前に差し出してきたのである。

 

「試供品がここにございます。私の見た所お客様達は、出で立ちから貴人とお見受けします。これからも是非、懇意にという事で、お代は結構です」

 

 一刀は差し出された杯に入っている澄んだ液体を見る。

 

(ふむ。もしかしたら、清酒の一種で百薬の長というオチかな)

 

 そんな事を考えていたら、突然、一刀の頭にとても柔らかい感触が襲ってきた。

 

「あらあら、みんなが頂かないのなら、私が試してみてもいいかしら?」

 

 一刀の背にもたれ掛かりながら、紫苑が少女のように顔を輝かせながら店主から杯を受け取った。

 

 この面子の中では、彼女がこの商品に対して一番興味を持つ事は仕方がないのかも知れない。

 

「し、しおん。ちょ、ちょっとはな――むぎゅ!」

 

「こ、こら~へぼ主人! ど、退くですよ!」

 

 それはそれとして一刀は、傍にいた音々音を押し倒すような形になり彼女を怪我をさせないように抱き抱え、後ろから紫苑のおっぱいに押しつぶされるという、幼女と淑女とのサンドイッチというコラボレーションを体験していた。 ――それは、一言で言い表すと桃源郷。さすがは天の御遣いである。

 

「じゃあ、もうひとつは私が貰っていいかな?」

 

 紫苑に続いて、桃香が残った杯を取ろうとそーっと、手を伸ばした。 

 

 だが、それは叶わず、彼女が手に取る前に、横から出た手により杯を取り上げられてしまった。

 

「あ、愛紗ちゃん?」

 

 横から杯を奪い取ったのは、愛紗であった。彼女は余った手を腰に当てながら、桃香に批難の眼差しを向ける。

 

「桃香さま。ご興味があるのは理解できますが、このようなモノを気軽に口にしないで頂きたい。もしも、毒が盛られていたらどうするおつもりですか!」

 

 愛紗の雷に身を縮こまらせる桃香。

 

「だ、だってぇ~。で、でも田舎に住んでいた時は、生水を飲んで生活したんだし、ちょっとぐらいの毒なら平気だよきっと……ごめんなさい」

 

 言い訳をするが、愛紗にキッと睨まれて謝る桃香。義姉の威厳はそこにはない。

 

「兎も角、私が、一口毒味をします。よろしいですね?」

 

「は~い」

 

 愛紗の生真面目な言葉に桃香は項垂れながら答えるのであった。

 

 そして、紫苑と愛紗が、店主から差し出された若返りの薬を同時に口に含み喉に通したその瞬間――誰も気付かなかったが、店主の口元がニヤリと不吉に歪んだ。

 

 二人は、杯を手から落としてしまう。

 

 「!」

 

 異変に気付いた恋が倒れ込む愛紗の身体を抱き抱える。

 

「愛紗ちゃん!?」

 

 桃香の悲鳴に一刀は身体を起こした。

 

 その時、一刀は異変を感じた。 ――紫苑が覆い被さっているのに、何故か背中が軽くなったと。

 

 そして、後ろを振り向いた一刀は、いつのまにか自分の背中から降りていた紫苑の姿を見て仰天する。

 

 紫苑の姿が――蒲公英と同じ歳ぐらいに変化していたのである。

 

 大きな瞳は、璃々の面影にそっくりに変化し、顔立ちも幼くなっていた。ボディラインも控えめになっていたが、だが、それでも胸と腰回りからお尻にかけての発育は良く、通常の成人サイズに迫る大きさを誇っていた。

 

 本当に紫苑は若返ったのだ。

 

 当の紫苑は、サイズの合わなくなった服と自分の小さくなった手を見ながら首を傾げていた。どうやら、自分の身に起こった事が理解出来ていないようである。

 

 続いて、一刀は愛紗に視線を向けた。

 

 地面に愛紗の緑のオーバースカートとスカート、ニーソックスに靴と腕に着けていた意匠の凝ったアームカバーが転がっていて――シャツ一枚の姿で、恋に抱き抱えられた幼子が視線に映った。

 

 紫苑の娘璃々より、少し幼い感じがする幼女姿の愛紗に一刀はおもわず目がテンになる。

 

 桃香も一刀と一緒の状態で愛紗の姿を見て混乱していた。

 

 恋は、代わり果てた愛紗を抱き抱えながらどうしていいのかわからず、オロオロと困惑している。

 

「な、一体どうしたのですか、これは!」

 

 一刀に抱き抱えられていた音々音が紫苑と愛紗の姿を見て、頬に両手を当てて、驚きの声を上げた。

 

 特に恋に抱き抱えられた愛紗を睨むように一瞥し――

 

「ちんきゅーきーっく! ぜろしき!」

 

 いきなり一刀に向かって零距離からのちんきゅーきっくを炸裂させた。

 

 下半身のバネのみで鳩尾を貫くえげつない技に一刀は、その場でくの字になる形で倒れ込み悶絶する。

 

「こ、こここのど外道! す、既に恋殿との間に御子がいた事をねねに黙っているとは ――許すまじですぅっ! ここで、おまえの子だと認知するのです!」

 

 一刀の胸ぐらを掴みワナワナと震え、怒りを顕す音々音。声が震え、ちょっと涙目な事に本人は気付いていない。 ――幼くとも彼女の乙女心を察してください。

 

「ちょ、ちょっと待てねね! よく見ろ、あの子は愛紗だ!」

 

 一刀に言われて音々音は視線を再び、恋に抱かれている幼子に向ける。

 

 艶やかな黒髪に、あの独特な龍の尻尾を連想させる故に、ドラゴンテールと言った方が近いのような髪型は確かに愛紗である。

 

「どーゆことですか!」

 

「知らんわ! こっちが聞きたいぐらいだ!」

 

 二人はおでことおでこをぶつけ合いながら叫ぶ。

 

「――ふはは! 我が目的は達成された!」

 

 そこに突如、店主の笑い声が響く。

 

 店主は外套を脱ぎ、方士姿を露わにする。

 

「大徳劉玄徳を無力化する事に失敗したが、代わりに軍神と名高い関雲長と弓神黄漢升の二人の力を削ぐ事には成功した! 北郷一刀! 我が策によりこの『外史』での、貴様の死は確実になった!」

 

「――!」

 

 高らかにそう宣言する眼鏡姿の青年干吉。それに対して、恋が彼を瞬時に敵と判断し、踏み込んで愛紗を抱き抱えたまま、背中から方天画戟を出して、そのまま片手で横に薙ぐ。

 

 だが干吉は、烈風を伴う恋の一撃を軽業師のように飛び跳ねて避けたのである。

 

「ふふふ流石、天下に名高い飛将軍呂奉先の一撃ですね。ですが、幼子を抱いたままでは本来の力は発揮できませんよ? ――さて、名残惜しいですが、私はこれで失礼しますよ」

 

 干吉は、外套を手に再び飛び跳ねた。

 

 そして、街の景観を目的として市の中央部に植えられていた竹のしなりを利用して、何とムササビのように外套を拡げ天高く舞い上がったのである。

 

「紫苑さん!」

 

「はい」

 

 桃香の呼びかけに、幼くなっても落ち着きを払っている紫苑が颶鵬(ぐほう)を構え、干吉に向かい神速の速さで矢を二連射した。

 

 だが、一刀の目には紫苑の放った矢が干吉の左右を通り抜け、外したように見えた。 ――が。

 

 空を飛んでいた干吉が突如、「あ~~~」という情けない断末魔をあげながら落ちてゆく。

 

 何と紫苑は、当てる為に矢を放ったのではなく、両方耳元に矢を飛ばし、その音で干吉の三半規管を揺さぶり、バランス制御を奪ったのである。

 

 曲張比肩の弓の腕は伊達では無い。

 

 そのまま彼が、城壁外の山の中へと失速していくのが見えた。

 

 そして、山の木々がざわめき鳥達が一斉に飛び出す。

 

 どうやら、山の中に不時着したようである。 

 

 ――こうして悪は滅びた。

 

 一刀は、蒲公英とさほど変わらない年齢になった紫苑のニコニコと微笑む姿を見て、少し寒気を感じたのであった。

 

「ごしゅじんさまー」

 

 そこへ、恋に抱かれた愛紗の声が届いた。

 

 彼女は両手を泳がせて一刀を呼ぶ。

 

 恋の武将としての剛撃を泣かずに見守っていたとは、幼くとも流石、関雲長と言ったところか。

 

 一刀は、愛紗に求められるまま、彼女を恋から受け取り、自分の胸元に抱く。  

 

 身の丈に合わないシャツ一枚の姿が寒かったのかどうかはわからないが、愛紗は一刀の身体にぴったりくっついて「えへへ~」と屈託無く笑いご満悦のようである。

 

「愛紗ちゃん可愛い~」

 

 そんな愛紗に当てられたのか桃香が歓声を上げ、彼女の艶やかな髪を優しく撫でる。

 

「――しかし、困った事になったです」

 

 音々音の言葉に皆の視線が集まる。

 

「確かにあの変態眼鏡が言っていたように、軍神と崇められている関羽の戦線離脱は痛恨の極みです」

 

 幼いが軍師の立場としての意見を音々音は述べた。

 

「大丈夫。 ――そんな事より、愛紗と紫苑が無事だったという事が何よりも大事なんだから」

 

「そうだね! ご主人様の言う通りだよ!」

 

 音々音の言葉に一瞬、気落ちしかけた桃香が一刀の言葉で復活し、両手を握りしめてドンマイ! と言った感じのポーズをする。

 

「まあ何らかの手立てを用いて、戻る方法があると思いますし、今は何よりも、ちょっと急いで対応しなければならない事がありますわ」

 

 紫苑がいつもの口元に手を添えるポーズで思案するが、桃香や恋よりも幼くなった彼女の姿に一刀はギャップを覚えてしまう。

 

「何か、身体に違和感があるのですか?」

 

 そんな事を思案している一刀をよそに、音々音は問い掛けを続ける。それに対し、紫苑はニッコリと笑顔を浮かべた。

 

「いいえ。違和感と言えばそうなのだけれども、それは――身につけている服の事よ。ねねちゃん」

 

「「「あ」」」

 

 紫苑のもっともな発言に一刀、桃香、音々音の言葉がユニゾンするのであった。

 

 

   

 紫苑の言葉に従い一刀達は、梓潼の衣服屋に赴き、代わりの服を買い求めようとしていた。

 

 だが、どうも繋がりがあるようには思えない六名の集団に店主が声をかけてくれた。そこで一刀が取り繕った説明をすると、事情を理解してくれた。

 

 そして、梓潼中の針師と衣装屋を呼び寄せて、愛紗と紫苑が着ていたものとサイズは違えど、同じ服をあっという間に仕立て上げてくれたのである。

 

 一刀は、後で知ったのだが、二人の服の複製の為に集まってくれた梓潼の職人達のほとんどは、成都で翠にゴシックロリータの服を作ってくれた店主達と繋がりがあったのであった。

 

 余談は兎も角、何とか服をこしらえる事が出来た一行は、お昼をとる事も兼ねて、手頃な料理店へと入った。

 

 店主に席へと案内され各々が椅子に腰掛け始めた。

 

 そんな中で。音々音に手を引かれてそれをじっと見ていた愛紗が、突然パタパタと走り、一刀の膝に上りそこを占拠したのである。

 

「あ、愛紗ちゃん。ご主人様にご迷惑だから、お姉ちゃんの所へおいで?」

 

 一刀に迷惑が掛からないようにと桃香が愛紗を呼ぶが、愛紗は一刀の膝に座ったまま、「やー」と言ってプイッとそっぽを向いてしまった。

 

「あ、あう~」

 

「まあまあ、桃香。愛紗のしたいようにさせてあげようよ。普段、俺達二人が迷惑をかけているんだからこんな時ぐらいはね?」

 

 戸惑う桃香に一刀は気にしないでいいいと声をかけ、膝の上にいる愛紗に微笑んだ。

 

 愛紗も一刀に対して子供らしくにぱーっと向日葵のような笑顔を向けて応える。

 

「あらあら、愛紗ちゃんったら積極的ね」

 

「普段が普段だけにちょっと意外かもです」

 

「そんな事ないよ。おっきい愛紗ちゃんもご主人様事が大好きだもんね~」

 

 桃香の問い掛けに愛紗も「ねー」と一緒に返す。

 

 そんな仲の良い桃香と愛紗を見て、二人の絆の深さを改めて認識する一刀であった。

 

「ご主人様――菜譜」

 

 恋が一刀にメニューを差し出してくれた。

 

 だが、それを一刀ではなく愛紗が「あい」と言って受け取り、一刀に見やすいように開いてくれたのである。

 

「ありがとう愛紗」

 

 一刀の言葉に愛紗は笑顔になる。多分、今の彼女に犬の尻尾があれば、振り切れんばかりに喜びを表現しているであろう。

 

 恋もそんな愛紗にポーカーフェイスに少し微笑みを浮かべ、イイコ、イイコと頭を優しく撫でていた。

 

「あああ~恋殿のナデナデとはなんと羨ましいです~」

 

「ねねちゃん、どうどう」

 

 嫉妬にかられた音々音を桃香が、苦笑を浮かべながら諫めるのであった。

 

 取り敢えず皆は、それぞれおもいおもいの料理を注文し、料理が運ばれてくる間の時間を利用して一刀、桃香、紫苑、音々音の四人は、これからどうするかを協議しはじめた。

 

 丁度、お昼時という事もあって、店はそれなりに繁盛し、喧騒に包まれいるおかげでそれを逆手に取り、相談を始めたのである。

 

「とりあえず、梓潼の兵士さんに頼んで、変態眼鏡の捜索を頼んでおいたですが――」

 

「うん。変態さんが捕まる可能性は低いよね」

 

「方士と言えば、奇妙な術を用い、人心を惑わす事に長けているものね」

 

「しかし、アイツ、俺の事を知っていたようだけど、どこかで会っていたかなぁ?」

 

 顔を合わせて話を進めていく中、愛紗は一刀の膝に腰掛けたままの状態で、恋と何やら手を取り合って遊んでいた。

 

「成都に戻ったら、腕の良いお医者さんや同業者である方士さん達を呼んで、二人の様子を診てもらう?」

 

「うーん、現状においてそれは、賛成は出来かねます」

 

「よほど信頼の出来る人物でないと事が露見する可能性がありますから」

 

 桃香の意見に音々音と紫苑は消極的であった。

 

「まあ、紫苑については弓の腕も確かだし、大丈夫だと思うから心配はあまりしていないけど、璃々ちゃんの事に限らず、俺も含めてみんな精神的に紫苑に頼っている部分があるからなー」

 

「あらあら」

 

 一刀の発言に紫苑は、嬉しそうに微笑む。

 

「こら、へぼ主人! もっと、建設的な意見を出すですよ!」

 

 一刀が参考にならない発言ばかりするので音々音が噛み付いてきた。

 

「しかし、こー言った事は、ウチ自慢の軍師である朱里や雛里、後は詠辺りに意見を聞くのが妥当だと思うぞ?」

 

 諸国にも名を馳せている二人の他に、訳ありで匿って成都でメイドさんをしてくれている元董卓軍の軍師賈駆文和こと真名詠の名をあげる一刀。

 

「こらー! この陳公台の名前を入れ忘れるとは何事ですか!」

 

「おお、すっかり抜けてたな」

 

「もーご主人様ったら、いくらねねちゃんが、可愛くて仕方なくてもそんなイジワルしちゃダメだよ?」

 

 一刀の意地の悪い発言に桃香がしょーがないなぁと言わんばかりの表情で彼を諫めた。

 

 だが、結局の所、一刀の言葉通りにこれと言った具体案は浮かばず、予定を変更して明日にでも早く成都に戻り、みんなで対策を考える方向で話しがまとまるのであった。

 

 話が落ち着いて間もなくして、注文していた料理が次々と机の上に運ばれてきた。

 

 麻婆豆腐、麻婆茄子、回鍋肉(ほいこーろー)、棒棒鶏(ばんばんじー)、青椒肉絲(ちんじゃおろーすー)、など様々な四川料理が並ぶ。

 

 机の上に並ばれた料理を、魏にいる激辛料理大好き娘が見たのならきっと、目を輝かせながら喜ぶラインナップだった。

 

 出来たてホカホカの湯気の中に食欲を促す香辛料の匂いに刺激される形で一刀達は、一斉に仲良く食べ始めた。

 

 そんな中、愛紗が突然、一刀の服の袖をクイ、クイッと引っ張ったのである。

 

「どーしたの愛紗?」

 

 一刀の問い掛けに愛紗は雛鳥のように「あーん」と口を開けた。

 

 要するに一刀に食べさせて欲しいと催促しているのだ。

 

 一刀は苦笑しながらも、手前にあった麻婆豆腐をレンゲで少し掬い、愛紗への口元に運び食べさせてやる。

 

 愛紗はご満悦な表情を浮かべながら一刀の差し出してくれた麻婆豆腐をはふはふと可愛らしく頬張った。

 

「ねえ、ねえ、ご主人様、ご主人様。私も、私にも、あーん」

 

 愛紗が羨ましかったのか、桃香が甘える口調で一刀にお願いをして、口を開ける。

 

「桃香はお姉さんなんだから、自分で食べなさい」

 

 さすがにそんなラブラブカップルの真似は出来ないと一刀は、少し頬を染めながらも、桃香の申し出を断る。

 

「ご主人様ってば、愛紗ちゃんばっかり構ってズルイよ」

 

 桃香のそんな発言に一刀は、子供じゃないんだからと心で溜め息を吐くのであった。

 

「あーん?」

 

 だが、休む間もなく続いて愛紗と桃香の行動を見ていた恋が二人を真似て一刀に催促をしはじめた。

 

「恋殿!? 天下に轟く飛将軍の貴女がそのような凡愚にはしたない真似をする必要はございません! 僭越ながらねねがあーんして差し上げますぞ!」

 

 音々音はどんな時も、自分の欲求にまっしぐらだ。

 

 そんな中にあっても、愛紗はマイペースで一刀に『あーん』をねだり、その度に桃香や恋に羨望の眼差しを受けながら、食事を終えるまで終始ほくほく顔であった。

 

 

 食事を済ませた後、日が暮れるまで一刀達は、予定を繰り上げて、明日の朝から成都へ帰還する事になったので道中に必要な買い物をみんなで続けた。

 

 その後、宮城へと戻ると広間で明日の準備を整える。

 

 そして、いつの間にか愛紗がウトウトしている事に気が付いて外を見ると、すっかり夜も更けていた。

 

 皆、疲れていた事もあり、それと愛紗を寝付かすため準備を切り上げて一刀達は、おもいのままに就寝につくのであった。

 

 一刀はみんなと別れた後、自分にあてがわれた部屋に辿り着き、学生服の上着を椅子にかけると、そのまま寝台に倒れこみ眠りについた。

 

 今日は、色々な出来事があり一刀が考えていた以上に自身の身体は疲労困憊していたようである。

 

 明日、成都に帰る準備を整えて、無事に戻ったら、みんなで愛紗や紫苑の事を相談し、今後の対応をどうするか考えようと、思考しながら一刀は、夢の中へと旅立つのであった――

 

 

 

 一刀は夢を見ていた。

 

 夢の中で空虚な気持ちを感じながらも一刀は、どこかしら神聖さを感じる宮殿の大広間に立っていた。

 

 ふと視線を奥に向けると、部屋の中央の奥にある祭壇の上に不思議な紋様をした大きな銅鏡が鎮座しているのが見えた。

 

 一刀は、何かに惹かれるようにふらふらとした足取りで、その銅鏡に近づき、手で鏡に触れる。

 

 その刹那、銅鏡は青白く光り輝きだしはじめたのである。

 

 一刀はその光に身体の自由を失ってしまう。

 

 抗えない見えない力によって、閃光を放つ銅鏡の中へと吸い込まれてゆく己の身体。

 

 一刀は、踏み止まり世界との別離に抗う。

 

 そして、誰も居なかった筈の目の前に一人の少女が現れた。

 

 少女は、一刀の名前を泣き叫ぶように呼びながらも必死に彼へ向かい手を伸ばす。

 

 彼女の声に応じるべく一刀も先程よりもまして懸命に手を伸ばした。

 

 目の前に現れた少女の悲しいそうな表情が何よりも嫌だったから――

 

 彼女の瞳から流れ落ちる涙を拭ってあげたかったから――

 

 自分は何としても彼女と共に在りたいと願ったから――

 

 少女と一刀の想いが重なり絆が再び結ばれようとしていたその時――

 

 視界で捉えきれないまゆばい白銀の閃光が一刀の見ていたものをすべて塞いでしまう。

 

 「――ゃ」

 

 擦れて消えてゆく一刀の声と想い。

 

 そこで、映像がぷっつりと途絶えてテレビの砂嵐のビジョンと音に変わってしまうのであった――

  

 

 

「――!」

 

 一刀は、飛び跳ねるような勢いで目を覚ます。

 

 視界に映るのは、砂嵐ではなく寝台の天蓋であった。

 

 息が苦しくて呼吸が上手く出来なかった。

 

 右腕を自分の頭に被せ、視界を塞いだ状態で心を落ち着かせた上で、呼吸を整えた。

 

 だが何故か一刀は、とてつもない寂しさと悲しさに襲われて瞳から涙を流し始める。

 

 夢の内容は、よく覚えていなかった。

 

 けれど、その向こう側に何かとても大切なものを置いてきたような気がしたのだ。

 

 ただ、それが何かわからないから一刀は、悲しくて、悔しくて、そして寂しくて仕方が無かった。

 

 だが、そんな感情も、一刀のふとももに触れる何かの感触に驚いて頭の中から消えてしまう。

 

「なっ! 何だぁ!」

 

 心臓が止まるかと思ったくらいに仰天した一刀は、寝台の枕元に後ずさり目の前に現れた、掛け布団に出来た小さな山のような物体を見つけたのである。

 

 そして、一刀がそのうごめく物体Xを凝視していると――

 

「ぷぁっ!」

 

 布団の中から、寝巻きに着替え髪留めを解いて、艶やかな髪をおろした姿の愛紗が満面の笑みを浮かべながら出てきたのであった。

 

 思わずガクッと項垂れる一刀。

 

「……どうしたの愛紗こんなとこにきて」

 

 とりあえず一刀は佇まいを直して愛紗と向き合う。

 

「おねーちゃんたち、ねんねしてた」

 

 愛紗の言葉に一刀は今日の出来事を脳裏に浮かべながら、まあ仕方が無いかと思った。

 

「でも、しおんとれんがおきてくれて、あいしゃ、ごしゅじんさまのところにいきたいっておねがいしたら、ここにつれてきてくれたの」

 

 恋はただ、愛紗の望むままに、紫苑は何らかの考えがあってこの部屋に連れてきたと一刀は考える。

 

「あいしゃはごしゅじんさまといっしょにねんねがしたかったの」

 

「そっか。それはうれしいけど、朝起きて、愛紗がいなかったら、桃香お姉ちゃんが心配するぞ?」

 

 一刀の言葉に愛紗は、「んー」と首を傾げる。

 

 そんな愛らしい彼女の姿に一刀は心が安らぐのを感じていた。

 

「とーかおねーちゃんには、しおんとれんとねねがいるからだいじょうぶ。だけど、ごしゅじんさまは、ひとりぼっち。だからあいしゃここにきたの」

 

 幼いながらも他人を気遣う愛紗の優しさに一刀は、本来の彼女の姿を垣間見たような気がした。

 

 愛紗は、そのまま距離をつめて正面から対面する様に、傍へと寄り添う。

 

 そして、一刀の顔を見上げ、小さな手で彼の頬をぺちぺちと叩いた。――涙の流れた跡に愛紗は触れているのだった。 

 

「――愛紗?」

 

 愛紗の行動が理解できない一刀は、彼女の奇行を受けつつ問い掛けた。

 

 すると彼女は、愛らしい顔に年相応ではあるが、真剣味のある表情を浮かべた。

 

「だから、ごしゅじんさまなかないで。あいしゃがずっとそばにいて、ごしゅじんさまをまもってあげるから」

 

「――っ!」

 

 愛紗の思いがけない言葉に一刀は、頭に激しい衝撃を覚えた。

 

 幼い彼女に泣いていた事がばれた恥ずかしさや、気遣ってもらっているという情けなさからではなく、今、目の前にいる彼女が、一刀にとって永久不変の言葉を紡いだからだ。

 

 ――いつの時だって彼女は俺の事を護ってくれた。

 

 ――どんな時も信頼に応えてくれた。

 

 突如、頭に浮かび上がってきた身に覚えのない感情が一刀の心を揺さぶる。

 

 異世界での記憶がなくとも、魂は覚えていたのだ。

 

 運命という縁によって結ばれた絆は、色あせず残っていると。

 

 一刀は、たまらなくなり愛紗を力強く抱きしめた。

 

 突然の一刀の行為に愛紗は目を大きく見開いてビックリした表情を浮かべていたが、心が落ち着くとまるで、子犬のように彼の身体に頬を擦り付ける。

 

 まるで、互いに温もりを求めるが如く。

 

 そのままの状態で少しの刻が過ぎ、一刀は自分の醜態にやっと気が付いて、愛紗から慌てて身体を離した。

 

 幼子に慰められるという行為に羞恥心で首まで真っ赤にしてしまう。

 

 愛紗は、一刀が突然自分から離れた事が不満のようで、眉を八の字にして「むー」と唸っている。

 

 そんな彼女の様子を見た一刀は、恥ずかしさを忘れて、愛紗に失礼だと思いながらも、つい笑ってしまった。

 

 心の中で「やっぱり、愛紗にはかなわないな」と思いながら。

 

 安心した事で、心地のよい疲労感から眠気を感じた一刀は、寝台に横たわり、掛け布団を手に取る。

 

「おいで、愛紗」

 

 そして、自分の横に来るよう愛紗を促した。

 

 彼女は、嬉しそうに頷いて一刀の身体にひっつく。

 

「おやすみなさいごしゅじんさま」

 

「ああ、おやすみ愛紗」

 

 二人は、お休みの挨拶を交わし、寄り添って就寝の床に再びついたのであった。

 

 その夜、一刀は再び悪夢を見る事は無かった――

 

 

 

 

 鳥のさえずりが心地よく響き、窓の外から差し込む朝日の陽光が、眠る者達へ朝の到来を告げる。

 

 愛紗は心地のよい気分で、ゆっくりと半身を起こし、「う~ん」と上半身のストレッチをして、固くなった身体をほぐす。

 

「妙な夢を見たものだな」

 

 そう呟いて、苦笑する愛紗。

 

 彼女は、子供になった自分を一刀と桃香がとても可愛がってくれた事を思い出す。

 

 だが、そう考えながらも少し表情に影を浮かべる。

 

「しかし、子供にならないと私は自分の想いも相手に表せないのか」

 

 そして、やりきれない溜め息を吐きながら、伸ばした手を寝台へとつけたその時、指が何かに触れる感触と「ん」という短く呻いた言葉が聞こえ、反射的に愛紗はそちらへと視線を向けた。

 

 指は、未だに寝ている一刀の頬に触れたままで、慌てながら自分の姿を見ると――

 

 ――何故か裸であった。

 

 そう、愛紗の身体は元の大きさに戻っていたのである。

 

 薬の効能が切れたのかどうか定かではないが、兎にも角にも幼女から、年頃の女性の姿に戻ったのである。

 

 無論、知性も元に戻っている訳で――

 

 愛紗は、大人に戻った事で、破れてしまった幼児サイズの衣服を払い、掛け布団で無防備にさらしている美しい肌を隠す。

 

 タコのように茹で上がった顔のまま、寝ている一刀を見て、周りを見渡す。

 

 部屋の内装からして、一刀にあてがわれている部屋だと理解した。

 

 そして、全裸の己。共に寝台に同衾し、寝ている一刀。解かれた自分の髪。

 

 以上のことから、愛紗は「まさか」と震えだす。恐怖と期待の五分五分で。

 

 だが、肝心の記憶が愛紗には全く無かった。

 

 後、突然の状況で愛紗は気付いていなかったが、そのような行為をした痕は当然の如く残っていない。

 

 その事実に辿り着かない愛紗は、昨日、市でうさんくさい商人が勧めてきた薬を桃香の変わりに毒見した以降の記憶があいまいな事に頭を悩ませていたが、答えは当然の如くでない。

 

 そこでようやく、記憶を思い出す事よりも、今の状況を一刀を含めた他の者達に見られたら非常にまずいと思い立った愛紗は、行動を開始しようと腰を上げたその時――

 

 バァーン! という大きな音と共に部屋の扉が壊れんばかりの勢いで開け放たれた。

 

「ご、ご主人様! 大変だよ! 愛紗ちゃんがどこにもいないの!」

 

「へぼ主人! のんきに寝てる場合じゃありません、緊急事態ですよ!」

 

 桃香と音々音がすごい剣幕を携えて部屋の中に乱入してきたのであった。

 

 もちろんそれは、自分達の部屋から居なくなった愛紗の事が心配だからなのだが。

 

 ここに紫苑と恋がいないのは無論、事情を知っているからではあるが、だが、一旦、火のついた桃香と音々音をとめる事は難しい。二人とも直情的な暴走突撃娘だから人の話をまともに聞こうとしないのである。

 

 そして、当然の如く互いの時は止まる――

 

 桃香と音々音にとっては、心配した張本人が目の前にいて、しかも、大人に戻っている上に、裸で一刀と一緒の寝台にいたからである。

 

 一方の愛紗は、まさかこのタイミングで襲撃されるとは考えていなかった上に二人の今考えている事が容易に想像出来、それ故、恥ずかしさで硬直してしまったからだ。

 

 再び、時が動いたのは――

 

「んー」と一刀が唸り、ゴロリと愛紗の足へとうつぶせに寝返りをうち、彼女が驚いて「ひゃん!」と可愛らしい悲鳴を上げたその刹那――

 

 桃花と音々音の感情の火山が大噴火する。

 

「ご、ご主人様! 一体、どーゆ事なの! 何で愛紗ちゃんが元に戻った上にもう一段階、大人の階段を上っているの!? そーゆことをするなら私も一緒に混ぜてよ!」

 

「こここここのへぼ主人! ねねという―― ゴホン! ゴホン! 恋殿を寵愛していながらよその女の色香に惑わされてお手つきにするとはなにごとかー! 恥を知りなさいです!」

 

 嫉妬の猛獣と化した二人に惰眠を貪っていた一刀は無理矢理起こされた上に、言われの無い誹謗中傷を受けはじめる。

 

 そんなギャイギャイと騒ぐ三人の事を見ながら、不謹慎だと思いつつも愛紗は微笑む。

 

 ――いつまでもこのようにして、ご主人様のお傍で、みんなと過ごしたい。

 

 ――私が『望んだ』のは、ご主人様と共に在ることなのだから。

 

 頭の中に突如、浮かび上がってきた声に愛紗はハッとなるが、その『記憶』はすぐに霧散する。

 

 何故なら、彼女の『願った世界』は数多の外史を経て、目の前で叶えられているのだから――

 

 こうして梓潼で起きた小さな事件は、愛紗が無事に戻った事と、桃香と音々音の嫉妬による天の御遣いの犠牲によって幕を閉じるのであった――

 

 

 

 終劇

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 

 

 外史の狭間に浮かぶ、ある虚空の世界。

 

 干吉は、そこに存在している屋敷の中で全身ボロボロの状態で寝台に横たわっていた。無論、紫苑の手によって負った怪我である。

 

 具体的には、全身の七割に包帯が巻かれている。その姿は、どこの博覧会に展示されても恥ずかしくない立派なミイラ男であった。

 

「全く、オマエは何をやっているんだ……」

 

 そう言いながら、一応、干吉の怪我を見舞っている童顔だが目つきの鋭い小柄な少年がそこにいた。

 

 彼こそが干吉の想い人兼同僚の左慈である。

 

「ふふふ、私らしからぬミスで、少し不覚をとってしまいました」

 

「そうか。まあ、どーでもいいが、死体の処理は色々面倒だから、他の世界にちょっかいを出すのならくたばらない程度にしておけよ」 

 

 本当にうんざりした表情で左慈は溜息を吐いた。

 

「……ところで左慈。折り入って少し頼みがあるのですが」

 

「……なんだ言うだけいってみろ」

 

 ここで断れば、後々面倒な事になりそうだったので左慈はしぶしぶといった様子で干吉を促す。

 

「そこの机の上に置いてある服を見てください」

 

「ん? これの事か?」

 

 左慈は干吉に言われるがままに服を手に取りそれをおもむろに拡げる。

 

「……」

 

 その服を見て顔を引きつらせて無言になる左慈。額にはもちろん青筋が立っていた。

 

「素晴らしい意匠の服だったので、左慈の為に購入してきたのです」

 

「このメイド服をか?」

 

 そう、左慈が手にしていたのはメイド服であった。

 

 しかもそのデザインは諸事情により、一刀の許でメイドをしている董卓こと真名を月という少女が身に着けているものと同じものであったのだ。

 

「さあ、左慈! 是非、それに着替えてください! ああ、出来る事なら、それで私の看病をお願いします!」

 

 ミイラ男は両手を広げ、「ハリィ! ハリィ!」と、左慈を煽る。

 

「――アホかぁ!」

 

  怒りの左慈による後回し蹴りが、干吉の側頭部にクリーンヒットし、バキィという鈍い音と共に吹き飛ぶ干吉。

 

「この干吉死すとも、左慈への愛情と萌えの精神は死せず!」

 

 ――彼の望む外史への道のりは困難のようであった。

 

 

 

 

 もうひとつおまけ

 

 

 

 晴れた昼下がり。梓潼から成都へ向かう道中、一刀は前で馬を並べて先行する桃香と愛紗に視線を向けていた。

 

 視線の先で桃花はツーンとして頬をリスのように膨らませて愛紗から視線を外していた。そんな彼女に対して、愛紗は何やら必死で謝っていた。

 

 どうやら、愛紗が、自分に黙って抜け駆けし一刀に迫ったという誤解が拭えていないようである。

 

 愛紗の困惑している姿にいたたまれなくなり、一刀は視線を恋達へと転じた。

 

 恋は、行きと違って前側に音々音を乗せていた。

 

 どうやらぐずっている音々音を心配しているようで、後に乗せているより、様子の見やすい前なら安心できるからであろう。

 

 一刀は何故、音々音がぐずっているのか理解できず、首を傾げる。 ――朴念仁にも程がある。

 

 そして、最後に自分の横にいる紫苑へと一刀は視線を移した。

 

 愛紗が元に戻った事でつい失念していたが、紫苑も若返りの薬の被害者なのである。

 

 愛紗の事を参考に自然に薬の効き目が切れると思っていたのだが、彼女は相変わらず、蒲公英と同年代の年頃の姿のままであったのだ。

 

 そもそも干吉の態度と言葉からして、薬の効果が自然治癒する可能性は低い。だったら何が、原因で愛紗は元に戻れたのか? それも一晩で。

 

 結局、答えは見つからずそのため紫苑は、そのままの姿でいたのである。

 

 本人は若返ったことを大変喜び満足をしていた上に、知識や弓の腕も以前と大差ないので、戦力ダウンの弊害は少ないので思ったより深刻な状況では無い。

 

 故に、以前協議した事を継続して成都に戻ったらみんなで考えるという事にしていたのである。

 

「ご主人様。私の顔に何かついているのでしょうか?」

 

 以前と変わらずおっとりとした感じで一刀の視線について問い掛ける紫苑。

 

「いや、まぁ、愛紗は無事に戻ったけど、紫苑は元に戻らないんだなぁと思ってさ」

 

「うふふ、以前の私の方が、ご主人様のお好みでしょうか?」

 

「いや、そういった話じゃなくて」

 

「愛紗ちゃんが元に戻った理由については私、何となくわかりますわ」

 

 紫苑の発言に一刀は驚きの表情を浮かべた。

 

「それは本当の事なのか!?」

 

「ええ、きっと愛紗ちゃんが元に戻ったのは――ご主人様からの『愛』を受け取ったからだと」

 

「ん、なんでそうなるの!」

 

 一刀のつっこみに紫苑は、真剣な表情を浮かべて人差し指を立てる。

 

「昨晩、ご主人様の部屋に愛紗ちゃんをお連れしたのは、私と恋ちゃんですもの。そして、一晩、ご主人様と閨を共にした事により、愛紗ちゃんは元に戻ったんですよ?」

 

「けど、俺、愛紗に変な事をしてないぞ!」

 

 一刀の必死の弁解に紫苑は楽しそうにクスクスと微笑む。

 

「何も、お抱きになる事だけが、愛を表現する事ではないと思いますよ? 愛の形やその表現、育み方はそれぞれだと私は考えていますから」

 

 紫苑の言葉に一刀は、誤解がとけた事に「ほっ」と安堵の溜息を吐いた。

 

「――まあ、私としては、ご主人様との愛を表現するにあたって、閨を共にする事を希望しますわ。もちろん、ご主人様が殿方として私を愛でてくだされば、これ以上の喜びはありませんですわ」

 

 

 紫苑の告白に一刀は、驚きと嬉しさで胸が不意に高鳴ってしまう。

 

 そんな一刀の態度に満足した紫苑は、馬を寄せて一刀の耳元に顔を寄せた。

 

「実は、ご主人様にお伝えしたい事がもうひとつありまして――『この年』の私は、まだ亡き主人と結婚していませんから、――はじめてですよ?」

 

 紫苑の髪から運ばれてくるいい香りと密着した身体の柔らかさと張りのある弾力。そして、止めのとっておきの情報に――

 

 一刀は麒麟の背中から崩れ落ちるように落馬してしまう。

 

「ご主人様?」

 

「ご主人様、お怪我はございませんか!?」

 

「――大丈夫?」

 

「何をやっているのですかおまえは」

 

 一刀が落馬した事により、皆が駆け寄ってくる。

 

 一刀は、目をぐるぐると回しながら気絶をしていて、集まった少女達が騒ぎながらも介抱を始めていた。

 

 そんな光景を見ながら紫苑は「やりすぎたかしら」と苦笑しつつも、今夜一刀に夜這いをかける算段を考え、少女のように心躍らせるのであった――

 

 

 

 

 おしまい

 

 

 

 
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