No.520823

中二病でも恋がしたい! 丹生谷森夏の憂鬱

僕の考えた丹生谷さんがどうして丹生谷さんになったのかを追った作品。結構前に書いた作品。

コラボ作品
http://www.tinami.com/view/515430   
俺達の彼女がこんなに中二病なわけがない 邪王真眼vs堕天聖黒猫

続きを表示

2012-12-20 22:23:28 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:4144   閲覧ユーザー数:4033

中二病でも恋がしたい! 丹生谷森夏の憂鬱

 

 

 一般人の生活は苦労が多い割につまらない。

 

 それが丹生谷森夏が高校入学を機に始めて数ヶ月続けている一般人ライフに対する端的な評価だった。

 

「お疲れ様でしたぁ」

 チアリーディング部の練習を終えて体育館を出る。

「ねえねえ。この後どっか寄っていかない?」

「せっかくだから、甘いものでも食べていこうか?」

 周囲では部活後のひと時を部員たちが楽しんでいる。

 みな充実した顔を見せている。

 練習は厳しいけれど青春してるって表情をしている。

 それに比べて自分はどうか?

「ねえ。森夏はこの後どうするの? 一緒にお茶する?」

「う~ん。もう1つの部活の方に顔出して行くから今日はパスします」

 笑顔でお誘いを遠慮する。

 愛想が悪いなんて思われたら問題。

 でも、愛想笑いを続けたまま時間とお金を浪費するつもりもない。

 こういう時、もう一つ所属している組織があるのは便利だった。

「もう1つの部活ってあの魔術何とかってやつ? あんなのに所属してて大丈夫なの?」

「あはははは。まあ、おかしなことをしているのは確かですけど、悪い人たちじゃないですから。それに、一度名前を連ねた以上、活動にも参加しないと」

「ふ~ん。森夏はマジメなんだねえ」

「そういうわけなので、今日はお先に失礼しますね」

 軽く会釈して部員たちにバイバイする。

「リア充って何でこんなに面倒臭いんだか……っ」

 空を見上げる。

 部活で充実した汗を流して見上げている筈の夕日はあまり綺麗に思えなかった。

 

 

 極東魔術昼寝結社の夏という何だか分からない名前の同好会の部室前へとやって来る。

 ここから先は邪気眼系中二病の空間。

 周りに一般人がいないことをよく確認してから部室へと足を踏み入れる。

「はぁ~。堅気に混じるのって本気で疲れるわよ」

 最初に出たのはチア部への愚痴だった。

 相当溜まってるなと愚痴りつつ、大股で部室へと足を踏み入れる。

 この中の連中に気遣いを見せる必要はなかった。

 

「何か今日はやけに静かね?」

 部室内からは何の音も聞こえて来ない。

 もしかして今日は休みなのか?

 そんなことを考えながら部室内を見回す。

 すると、静かだった理由が明らかになった。

「何これ? 私が部活で体力と神経をすり減らしている間に部室でハーレムとは随分良いご身分じゃない」

 森夏の眉がピクっと上がった。

 彼女の目の前で富樫勇太を中心に3人の少女がくっ付いて寝ていた。

 

 勇太は仰向けで『大』の字になりながら苦しそうな表情で寝ている。

 それもその筈だった。

 勇太の右腕は五月七日くみんが腕枕に使用しながら眠っている。左腕は小鳥遊六花。

 お腹を枕にして凸守早苗が眠っていた。

 勇太は3人の少女に体重を乗せられて苦しがっている。

「呆れるほどのハーレムよね。ダークフレイムマスターだった分際で」

 勇太を見ているととても腹が立ってくる。

 倫理とかそんな問題じゃない。

 もっと個人的な怨恨に近い感情からくるものだった。

「何で過去を必死に払拭しようとしている私がストレスの海に沈みそうで、中二から抜けきれないアンタがリア充も真っ青なモテモテライフ送ってんのよ」

 勇太の顔を思い切り踏んづけてやりたい衝動に駆られる。

 中途半端に生きている勇太が良い思いしているのは納得がいかなかった。

 けれど、怒りが湧いてくるのは勇太だけじゃなかった。

 

「どうして、アンタ達は邪気眼中二病のままなのに……そんな幸せそうな表情で男と密着していられるのよ?」

 六花と凸守の存在は度し難いものだった。

 

『精霊が私に囁きかけてきます』

 

 中学時代の逝っちゃっていた自分。

 周りから冷たい目で見られ、無視されても、自分だけが真実に辿り着いていると調子に乗っていた。

 高校入学を機に完璧に捨て去った筈の恥ずかしい過去の自分。

 その封印したい自分と同じ生き方を今になってもしている六花と凸守。

 なのに彼女達は、この同好会を通じて友人にも恵まれ、なおかつ勇太という想い人まで得ている。現にこうして幸せそうに密着して寝ている。

「なによ。その幸せそうな寝顔は? 私の方が間違っている。そう言いたいわけ?」

 六花な幸せそうな顔をしていると自分の方が間違っていたんじゃないか。

 そんな想いに囚われる。

「私、クラスの男子から満場一致で一番可愛いって選ばれたはずなんだけどなあ」

 どう考えても、目の前で眠るこの眼帯邪気眼少女にリア充度で負けている気がした。

 

「なんか、ムカつくっ!」

 そう言って森夏は足を高く上げて……4人の顔を順番に踏みつけていった。

「うぉっ!?」

「「「きゃぁああああぁっ!?」」」

 4人の悲鳴が次々と聞こえてくるのを確認しながら、森夏は部室を後にした。

 

 

 

 

 夏の高校は暑い。

 言われなくても当たり前のこと。

 けれどその当たり前が今日の森夏にはことさらに不快だった。

 ニットのサマーセーターが暑くて仕方がない。

 けれど、このニットがなければシャツが透けて男子に下着を見られ放題になってしまう。

 だから脱げないのは仕方ない。

 けれど、こんな暑い思いまでして制服を着なければならないことに不合理を感じる。

 そして、毎日暑い中に朝から出かけなければいけない学校という存在に腹が立つ。

「って、こんな考え方してたらまたモリサマーに戻っちゃうわよ」

 頭を左右に振って不満を打ち消す。

「誰だって面倒くさく生きているんだから……楽に逃げることを正当化し始めたらキリがないっての」

 モリサマーの原動力だった社会への不満から来る自己の絶対正当化を振り払う。

 不満があるから動かない。そんな態度では社会から脱落するだけ。

 そんな甘ったれた根性の人間を許してくれるほどこの世の中は甘くない。

 中学時代の自分の境遇を思い出して森夏はもう1度首を横に振った。

 

「勇太ぁ~♪ 勇太ぁ~♪ 勇太ぁ~~♪」

「シャツが伸びるからあんまり背中を引っ張るな」

 森夏の少し前を歩いている男女の組み合わせが目に入る。

 六花と勇太だった。

 六花は勇太の背中を指で摘みながら嬉しそうに少年の名を呼んでいる。

 少女が少年のことに好意を抱いていることは明らかだった。

 もっとも、少年がそれにどこまで気づいているかはかなり怪しかったが。

「リア充オツってやつよね」

 仲良くしている2人を見ると心に寒風が吹き込んでくる。

 

「私も男の子と付き合ったりすれば……もっと楽しい毎日になるのかな?」

 空を見上げながら考える。

 答えは出ない。

 男子と付き合ったことがないから。

 今まで男女交際したいと思ったことがないから。

 付き合いたいと思う素敵な男子に巡り合ったことがないから。

 でも、リア充な生活に憧れはあった。

 

「デートぐらい……1度はしてみようかな?」

 森夏は漠然としながらも今後の目標を定める。

 まずは形からという慣用句もある。

 デートしてみることで男子を好きになるとはどういうことか分かるようになるかも知れない。

 知らないのなら学べば良い。

 そう考えると少しだけ気分が楽になった。

 

 

 森夏は気分が良くなった状態で教室に到着する。

 けれど、室内に足を踏み入れた途端に気が付いた。

「そう言えば私って……デートするような接点のある男子がいないじゃない」

 いざデートをしようと方針を定めた所で根本的な問題点が浮かび上がってしまった。

 森夏にはデートする男子生徒がいなかった。

「全然知らない男子を誘うのは嫌だし……かと言ってチア部には男子いないし」

 モリサマーだった過去を消し去る為に完璧な少女を演じてきた。

 その甲斐あってクラスメイト男子達からの信望は厚い。

 けれど反対に特定の男子に関心を持って接してきたことはなかった。

 だから全ての男子は横並び一線のスタートラインにしか立っていなかった。

「よく話す男子なんて1人しかいない。けど……」

 そんな状況の中、唯一多くの会話を交わしている男子生徒がいた。

 森夏はその男子生徒の方をジッと見た。

 

「勇太。不可視境界線に関する有力な情報を入手した。一緒に確かめに行こう」

「凸守は今日、牛乳を克服する為の修行を行うのデス。だから富樫勇太も付き合えなのデス」

 同好会メンバーで入学初日から何かと縁がある富樫勇太。

 森夏がデートに誘うに値するほど接してきた男子といえば勇太しかいなかった。

 けれど……。

「いや、でも、富樫くんはないでしょ」

 首を横に振る。

 勇太がデートに誘いたいほど魅力的な男子かと言われればそんなことはない。断言できる。

 それに、だ。

 

「私が富樫くんを誘ったら……略奪愛ってことになるのかな?」

 勇太は見ての通り邪気眼系中二病患者の少女2人に好意を抱かれている。

 その2人を差し置いて勇太とデートとなれば、それは略奪愛に他ならない。

 勇太とのデートを知れば2人の少女は泣き出してしまうに違いなかった。

 

『ゆ、勇太は森夏の方が良いの? やっぱり、おっぱいの大きい女の子が好きなの? う、うう、うわぁあああああぁんっ!!』

『で、凸守がこんなにもお前の為に良くしてやっているのに……ひ、ひどいのデスぅっ!!』

 

「フフフフ」

 悲しみに沈んで泣いている2人を想像したら、何故か心がカッと熱くなって火照った。ゾクゾクする快感が身体の中に流れ込んできた。笑いが漏れ出た。

「いやいやいや。その感情はおかしいでしょ」

 自分の心に浮かんだ不可解な感情の揺らぎを否定する。

「とにかく、誰をデートに誘うかは放課後までじっくり考えることにしましょう」

 一旦結論を保留する。

 軽くため息をはきながら座席へとついた。

 

 

 で、放課後を迎えたが……。

「私って、自分が考えていたよりも遥かに男子と縁がない生活を送っていたのね」

 森夏は結局、デートをする男子をみつけることができなかった。

「人間には大して興味もなく八方美人ばかりしてきたんだし、当然かな」

 自分の入学からこれまでの行動を思い浮かべて総評してみる。

「やっぱり、誘えるのは富樫くんだけね」

 その結論に至って心が少し高揚する。

 勇太に対してではない。

 かの少年を誘った時の六花と凸守の反応を思うとだ。

 

「富樫く~ん。ちょっといいかな~?」

 猫撫で声を出しながら勇太へと近寄る。

「うん? 何?」

 特に警戒感を抱かずに返事する勇太。

 一方で、一番前の席では六花が体をビクッと震わせていた。

「ああ。丁度俺も丹生谷に聞きたいことが……」

「一色は邪魔っ!」

 他のクラスメイトからは見えないように超高速ブローを決めて、一色誠を黙らせる。

「なっ、何故……うわらばあ!?」

 一色はそれ以上言葉を発することなく沈黙した。

 沈んだ一色を見ると少し気分が良くなった。

 

 いい気分を追い風にして一気に勇太を誘う。

「というわけで、今日これからさあ。買い物行くんだけど付き合ってくれない?」

「何がというわけでなのか全く分からないんだが?」

 勇太は冷や汗を垂らしている。

 一色のボディーを決めた所を見られてしまったらしい。

 でも、それならそれで好都合だった。

「一緒に付き合って……くれるよね?」

 右拳を強く握り締めながら勇太に見せる。

 その拳は微かに震えており、返答によっては爆発して、どこに向かって繰り出されるか分からないことを示していた。

「イエス・ユア・ハイネスっ!」

 勇太は立ち上がりながら右手を前に掲げ森夏に向かって忠誠を誓った。

「うん。じゃあ、2人で出かけようね♪」

 とりあえずデート相手が決まってホッとする。

「勇太が……森夏とデートする!?」

 視界の隅で六花が表情を引き攣らした。

 それが何故かちょっとだけ気分が良かった。

 何故気分が良いのか。

 森夏にはよく分からなかった。

 

 

 

 勇太と2人、学校を出て歩く。

 男女がこうして特別な用を作って2人きりで歩いているのだから、これはデートに違いない。

 丹生谷森夏、生まれて初めてのデートだった。

「それで丹生谷は一体何を買うの?」

「さあ?」

 気のない返事。勇太と目を合わせることもない。

 生まれて初めてのデートだというのに森夏の心は少しも高揚しなかった。

 少なくとも六花が勇太と2人でいる時に見せているウキウキとした様子を、自分の中に感じることができなかった。

「やっぱり、本物のデートとは違うからかな?」

 別に好きでもない男と2人で歩いていてもドキドキするはずがない。

 そんな当たり前のことにデートが始まってから気付く。

「でも、まずは形からって場合もあるんだから、デートから恋愛が始まるかも知れないし」

 デートしている最中にまるで他人事のように考える。

 

「あの、丹生谷?」

「な、何っ?」

 勇太に声を掛けられてふと我に返る。

「買い物があったんじゃないの?」

「ああ。あれ、嘘だから」

 あっさりとネタばれしてみせる。

「嘘?」

 勇太が引き攣った表情を見せる。

「富樫くんが行きたい所があったら連れて行ってくれれば良いよ」

 主導権を譲渡する。

「ええっ!?」

 勇太が面倒臭そうな悲鳴を上げた。

「丹生谷も知ってるんだろ? 俺が中学時代ダークフレイムマスターとして痛い青春を送って来たことを。その俺に女の子と出かける場所を選べと?」

「だけど、富樫くんは高校に入ってから一般人として生きることにしたんでしょ? その成果を見せてくれれば良いわ」

 微笑んでみせる森夏。勇太の表情は汗だくだくになった。

「いや、俺……あのおかしな同好会で毎日過ごしていたせいで、放課後に一般人ライフを過ごした覚えが……」

「つまり、教室内で一般人を気取っているだけで中身は何も変わっていないと」

「グハッ!?」

 勇太は崩れ落ちた。

 

「じゃあ、一般人になった丹生谷が俺にこの街を案内してくれよ……」

 ガックリと沈んでorzな状態で勇太がいじけた声を出した。

「無理。私も一般人になりきれてないから富樫くんに聞いてみたのよ」

「えっ?」

 勇太が顔を上げた。

「チア部のみんなと甘いものを食べに行ったり、買い物に行ったりするとさ。どこに行っても時間とお金の無駄遣いって感じばっかり募っちゃってね。どっかに楽しい所はないかなって不満が燻ってるの」

 自分と同じ様な道を歩んだ勇太なら何か一般人の楽しいを知っているのでは。

 そう思った。心の中に空虚さを感じながら。

「えっと。じゃあ、公園でも行こうか」

「そうね。一休みしましょうか」

 公園に楽しいことがあると期待しているわけじゃない。

 ただ、頭と体を休められる場所に行きたかった。

 

「ゆっ、勇太ぁ~~……っ」

 

「あの子みたいに……1人の男の子に夢中になれればきっと幸せなんだろうなあ」

 こっそりと尾行しているつもりらしい半泣きの眼帯少女を横目に映しながら小さく呟いた。

 

 

 2人して公園に入る。

「丹生谷はコーヒーとお茶のどっちがいい?」

「コーヒーかな。ありがとう」

 ベンチに座って一緒に飲み物を飲んでいると、ちょっとデートっぽいとは感じる。

 でも、それはデートという行為をしていることに対して生じる感情のうねり。

 勇太自身にドキドキしているわけではない。

 森夏の心はドライなままだった。

 

「私ってモリサマーになったせいで一般人の道を踏み外したと思っていたけど……逆だったのかも知れない」

「えっ?」

 勇太はお茶を飲む手を止めて驚いていた。

「私は、一般人にはなれないことが無意識に分かっていたからモリサマーになったのかも知れない」

 森夏は自分の手をジッと眺めた。

「そうだとすると、今一生懸命一般人の真似をしているのはみんな無駄なことなのかも知れない」

 視線を移して勇太を見る。

「富樫くんもそう思ったことはない? 中二病の自分の方が本当で、一般人は仮の姿でしかないって」

「そ、それは……っ」

 勇太は返答に困っているようだった。

「う~ん。でもさ、最近思うことはある」

 勇太は顔を上げて暮れかけた空を見上げた。

 

「中二病と一般人って言われているほど対極にある存在じゃないんじゃないかって」

「対極じゃない?」

 勇太の言葉は森夏の耳にはとても新鮮に聞こえた。

「うん。何ていうか……過去の俺や六花を見ていると、中二的言動そのものよりも、コミュ力不足が問題なんだろうなあって」

「コミュ力不足……」

 森夏は去年の自分の姿を思い出す。モリサマーになる以前は周辺に多く存在した友達が1人、また1人と減っていった時のことを。自分を見るみんなの目が段々変わったことを。

「一般人が中二病を嫌っているのは確かだけど、中二病の連中も一般人を馬鹿にしているじゃない。お互いに嫌い合ってコンタクトを拒絶していることに原因はあると思う」

「確かに小鳥遊さんの解説は、一般人に分かってもらう気がまるで見て取れないわよね」

「ううっ!」

 後ろの茂みが悲しげな声と共にガサッと揺れた。

 

「一般人と中二病じゃ人口比率が全く異なる。両者は互角じゃない。けど、分かり合う努力をしないとダメなんだと思う……多分両者は思っているほど違いはないはずだよ」

 勇太の顔を再び覗き込む。

「さすが邪気眼中二病患者の女の子を2人も垂らしこみながら一般人としての生活を続けようという人のお言葉は違うわね」

「垂らしこんでないっての……」

 勇太が不満げな表情で森夏を見ている。

「でも、中二病と一般人をどうやって両立させれば良いの? 私は今まで二者択一で考えてきたからよく分からないわ」

「そんなの……俺にだって分からないよ」

 勇太は目を伏せた。

「でも、部室に来ている時の丹生谷は生き生きしているように見える。教室内の完璧な優等生姿より俺は可愛いって思うよ」

「アンタねえ……この状況でそんな発言しちゃダメでしょうが」

 森夏は視線をベンチの後ろの植え込みに向けながらため息をはいた。

 

「……やっ、やっぱり勇太は森夏のことが……そっ、そんなぁ~~~っ!」

 

 茂みの中は大変なことになっていた。

 それでも勇太は茂みの中に誰かがいることに気付いていなかったが。

 

「富樫くんは部室での私のことを可愛いって思ってくれるんだ?」

「まあ、ね。楽しそうで輝いて見えるし」

 勇太の返答にまた茂みの中がガサッと揺れる。

「勇太ぁ~~~~っ」

 そして今にも泣き出しそうな小声が聞こえて来る。

 この男、ワザとやっているのではないかとさえ思う。

 でも、そんな狼狽する少女の声を聞くと森夏は心の奥底がゾクゾクするのを感じた。

「ねえ、富樫くん?」

 ゾクゾクに従ったまま勇太に声を掛けてみる。

「私と……キスしてみない?」

 その言葉は意図したものではなかった。けれど、ごく自然に出てきたものだった。

「きっ、キスっ!? へっ? 何で? どうして?」

 勇太はすごく焦っていた。

 狼狽する少年を見ていると森夏は少し楽しくなった。

「一般人の気分をもっと味わってみたいから」

 森夏は自分の唇に指を当てながら楽しそうに答えた。

「そ、そんなことの為にキスをするなんて……」

「富樫くんは私とキス、したくないの?」

「!?!?!?」

 その疑問を投げ掛けた途端、勇太の動きが完全に停止した。

「きっ、きっ、キスぅううううううぅ……きゅぅ~~っ」

 茂みの方からも、何かが盛大にひっくり返る音が聞こえた。

 

 勇太と六花が当惑する様が見れたのは楽しかった。

 けれど、思う。このままノリで勇太とキスをした場合どうなるのかを。

 もし、異性と初めてキスをしたにも関わらず、何も感じなかったらどうしよう?

 それは森夏にとって、自分が一般人とは異なる存在であることを決定的に知らしめてしまう結果になる。

 いや、それでも森夏は自分がまだ一般人と同じという感覚を求めて更なる過激な行動に移ることが想像できた。

 即ち、勇太に体を許すことになるのではないかと。

 だが、それでも何ら感じなかったら?

 更なる過激行動に移るのでは。

 恐ろしいループに自分が陥ってしまうのではないか。

 そしてそうなる可能性は高いと思った。

そんな恐怖を森夏は覚えた。

 

「やっぱり、止めておくわ」

 森夏は頭の中で考えた結論を口にした。

「えっ?」

 勇太は森夏の言葉を聞いてようやく帰って来たようだった。

「富樫くんが私のことを惚れさせてくれるまでキスするのは止めておくわ」

「ああ……そう」

 いまだ戸惑っている勇太。少し残念そうにも見える。

「私とキスできなくて残念?」

「そ、それは……ええと、その」

 イエスともノーとも言わない。

「惜しかったわね。クラス一の美少女とキスする機会を逃しちゃって」

 そんな素直な勇太がおかしかった。

 

「富樫くんは、今日の所はこっちの子の面倒を見てあげなさいね」

 ベンチの後ろの茂みに移動。衝撃の大きさに気絶した少女の首根っこを掴んで引っ張り出して勇太に見せる。

「うにゅぅううううぅ~~~~」

「六花っ!?」

 勇太は今初めて六花の尾行に気付いたようだった。

「もしかすると私は……この子よりも一般人から遠い存在なのかもしれないわね」

 勇太とのデートを通じて得たものは色々あった。

 けれど、その得たものは森夏を喜ばせるものでもなかったのだった。

 それは森夏を大きく苦しめることになった。

 

 

「私は……どう生きれば良いんだろう?」

 勇太とデートしたその日から森夏が抱える空虚さは悪化してしまった。

 現役中二病患者である六花よりも自分の内なる社会適合度は低い。正確には、一般人と同じ感覚を共有する余地が少ない。

 それは森夏にとってショックなできごとでもあった。

「私の生き方って……何? 一般人でも、中二病でもない生き方って?」

 先日勇太とデートした公園のベンチに座りながら無為に時間を過ごす。

 そうして何日も時間を浪費していった。

 そんな時だった。

 森夏が彼女と運命の出会いを果たしたのは。

 

「幾ら人通りが多い立地とはいえ、女の子がこんな夜遅くまで公園に1人いるのは危険だぞ」

「えっ?」

 森夏は声を掛けられてはじめて周囲が既に真っ暗になっていることを知った。

「随分と深く思い悩んでいたようだが、早く帰られないとご両親が心配するぞ」

「あっ。はい。すみません」

 頭を下げながら声を掛けてきた女性を見る。

 美人。

 それが森夏が彼女に抱いた第一の感想だった。

 年の頃は20代前半から中盤。背もスタイルも森夏を上回っているぐらいの器量を誇っている。切れ長の瞳が特徴で、とても整った顔をしている。

 そして、何より大人っぽい雰囲気が全身から醸し出されている。数年後の自分の手本としたい大人の女性。

 それが森夏にとっての彼女の認識だった。

 

「何か、悩み事でもあるのかね?」

 女性はベンチから立ち上がらない森夏の顔を覗き込んだ。

「ええ、まあ……」

 お茶を濁すように答える。

「そうか…っ」

 女性は顔を上げた。

「あの、どうして?」

 どうしてわざわざ声を掛けたのか気になった。

「君が、妹が通っている学校と同じ制服を着ているものでな。つい気になってしまった」

「妹さん。私と同じ高校なんですか」

「ああ。難しい所がある子なので……学校に馴染めていない部分があって、よく悩んでいるよ」

「悩んでるん、ですか?」

 森夏は目を瞑った。

 自分以外にも高校生活に難しさを覚えている少女がいる。そんな当たり前の事実をどう受け止めるべきか分からない。

「悩んでいるな。まあ、もっとも、最近は部活動を始めて楽しんでもいるようだから、少しは改善しているようだが」

「部活を楽しんで改善……」

 女性の言葉を聞いてふと、勇太の言葉を思い出す。

 

『でも、部室に来ている時の丹生谷は伸び伸びしてて生き生きしているように見える。教室内の完璧な優等生姿より最近は可愛いって思う』

 

 あの日、勇太は確かに六花達の同好会に足を運んでいる際の森夏を伸び伸び生き生きしていると語った。その姿が可愛いとも。

「確かに部活に出れば変わる部分はあるかも知れません。でも、根本から何かが変わるとも……」

 森夏にとって、極東魔術昼寝結社の夏はあくまで息抜きの空間。ベースは部室外にあると思っている。

「突然全く違う人間になろうなんて不可能な話さ。どんなに強固に思えても人は変わっていくものだし、すぐに変わろうと思ってもなかなか変われるわけじゃない」

「それでも私は……すぐに根本から変われたら良いなって思います。そうしたら、こんな風に悩まずに済みますから」

「その無茶な望みに正面から向き合えるのが……青春というものかも知れないな」

 女性が森夏の顔を覗き込んでくる。

 

「悩むのは辛い。だが、私は、悩んだ末に大事なものを自分で掴み取るという経験が君達の年代では大事だと思うぞ」

「悩んだ末に掴み取る、ですか?」

 森夏が首を捻る。

「学ぶだけなら大人になってからでも幾らでもできる。だがな……」

 女性は森夏の肩に手を乗せた。

「感受性が豊かな内に体験して血肉となって自分に吸収しないと……とても空虚な大人になってしまいかねないぞ」

 女性の言葉が胸の奥に響く。

 でも、同時に受け入れられない部分もあった。

「だけど、そうやって得たものが……他人から受け入れられないものだったらどうするんですか?」

 自分が悩んでいる点がまさにそれだった。

 

「血肉になるとは二分法で割り切ることではないさ。どう向かい合って一緒に生きていくのかという問題だ」

「どう向かい合って一緒に生きていく?」

 森夏にはまたよく理解できない考え方だった。

「私はいつも怒ったように見えてしまう自分の顔があまり好きではない」

「えっ? すごく、綺麗なのに……」

 森夏は驚きの声が漏れ出た。

「私は、妹のような可愛い系の顔が本当は好きなんだ」

「そう、なんですか」

 森夏にはよく分からない感覚だった。

「でも私は、この顔と付き合いながら生きていくしかない。亡くなったパパから授かったこの顔をいじる気もないしな」

 女性は少し寂しそうな表情を見せた。

「この顔を捨て去るわけにもいかないし、この顔はいつでも私について回る。だから、問題はこの顔とどう付き合って生きていくのかという話になる。そういうことだ」

 森夏は空を見上げた。星がやけに眩しくて、少女の目には辛く感じた。

 

「じゃあ、何だかよく分からなくて嫌な私自身を、一生捨てることはできないんでしょうか?」

「そうだな。完全に捨て去ることは不可能だろう」

 女性はキッパリと断言した。

「けれど、何だかよく分からないから嫌だという部分に関しては……きっと解決できるさ」

「血肉になれば、ですか?」

「ああ。時間は掛かるかも知れないがな」

 女性はまた力強く断言した。

 

「さて、すっかり話し込んでしまったが。もう遅い。君も家に帰りたまえ」

「そうします」

 森夏は立ち上がった。

「今日は色々悩みを聞いていただきましてありがとうございました」

 女性に向かって頭を下げる。

「いや。私の方こそ、説教臭い真似をして君を引き止めてしまって悪かった」

「いえ。とても為になるお話でした」

 もう1度頭を下げる。

「それで、最後にお名前を教えてくださいませんか? 私は、丹生谷森夏と申します」

「私の名前は小鳥遊十花だ。もし知り合うことがあったら妹とも仲良くやってくれ」

 十花と名乗った女性は少しだけ瞳を細めて照れてみせた。

「はいっ」

 元気よく返事しながら森夏は、自分の知っている小鳥遊姓の少女を思い浮かべた。

「…………まっ、そんなわけないか」

 姉がこれだけの常識人で妹があんなに非常識人なこともないだろうと考えを打ち消す。

 その後森夏は十花と別れて自宅に帰った。

 心が少し晴れた気分だった。

 

 

 

 

「問題なのは好きか嫌いかの二分法じゃなくてどう付き合うか……」

 十花に出会ってから数日、森夏はまだ悩んでいた。

 けれども、悩みの内容が以前とは少し変わっていた。

「とはいえ、私が私のことを分かっていないんじゃ、付き合い方も何もあったもんじゃないけどね」

 全てをネガティブに捉えるのをもう止めた。代わりに自分に対してもっと深く探求してみようという気になった。

 

「ねえ、中坊。アンタは私がどういう人間だと思っている?」

 魔術結社同好会の後輩である凸守早苗に部室で尋ねてみる。

「そんなもの、おこがましくもモリサマーの名を騙る、不届きにしてすぐに殴りかかるバーサーカー腐れ一般人に決まっているのデス」

「ああ。なるほどね」

 森夏のゲンコツが凸守の額にクリーンヒットした。

「美少女の頭を殴るのにその躊躇のなさ。偽モリサマは本物の外道、デーモンなのです!」

 涙目で凸守が抗議する。

「アンタが私をどういう人間として捉えているのかはよく分かったわ」

 もう1度拳を振り上げて下ろす。

「おっ、お前は本当の鬼なのデスっ! いっ、痛いっ! これ以上叩かないで欲しいのデ~ス!!」

 凸守は全力疾走で部室から逃げ出していった。

「酷いことを言われたのにほんの少しだけ……気分がいいわね。何故かしら?」

 森夏には何故このような感情を抱いたのか自分でよく分からなかった。

 

「ねえ、3年寝太郎」

「3年寝太郎って私のこと~? うう、ひどいよ。モリサマちゃん。私、女の子だよ~」

 続いて五月七日くみんに尋ねてみる。非難は無視しながら。

「私ってどういう人間に見える?」

「う~ん……」

 くみんは首を捻りながら森夏を見る。

「自分に素直になれなくて……無理している時が多いかなあ~って思うよ」

「そう……」

 くみんに痛い所を突かれた。胸が痛い。

「後~、私と~その次の六花ちゃんと~その次の次のデコちゃんの次に部内で美人さんだから~自信を持っていいよ~」

「それって、私が一番美人じゃないって言っているのと同じじゃないの!」

「痛ったぁ~~っ!? ひどいよぉ~モリサマちゃ~ん」

 くみんは涙目で叩かれた頭をさすっている。

「アンタが何気にナルシストだってのはよく分かったわよ」

「うっうっうっ。私はただ感じたままの事実を口にしただけなのに~」

「ていっ!」

 森夏はもう1発お見舞いした。

「うえ~ん。モリサマちゃんは暴力魔だよ~~」

 くみんは全力疾走で部室から逃げ出していった。

「う~ん。眠り女を叩いたらまたちょっと気分が良かったわね」

 叩いた右手に得る快感は何なのか?

 困ってしまう森夏だった。

 

「さて……次は」

 唯一まだ部室に残っている六花へと目を向ける。

「ひぃいいいいいいいいいぃっ!?」

 小動物な反応を見せながら六花が壁際へと後退する。

「ねえ、小鳥遊さんは私のことをどう思ってるの?」

 ニヤッと笑いながら六花に尋ねる。

「ヒっ!?」

 六花が涙目になりながら首を横にぶんぶん振る。

 そんな怯える六花を見て……森夏は胸が熱くなる不思議な感覚を得た。

 六花の怯える顔がもっと見たい。そんな不思議な高揚感が身体を駆け巡る。

「ねえ、どう思ってるの?」

「う~う~うう~~~~っ!」

 ほとんど泣き出しそうな表情で六花は必死に回答を拒否する。

 そんな六花を見ているのが嬉しい。

「丹生谷。あんまり六花をいじめるなよ。ソイツ、根は小動物なんだから」

「富樫くん」

 振り返ると勇太が部室に到着した所だった。

「戦略的転進っ!」

 六花は短く叫ぶと猫のような瞬発力で森夏の横を通り抜けて部室を出て行った。

 

「あ~あ。逃げられちゃった」

 森夏はことさら残念そうに大きな声を出した。

「いじめるからだろ」

「いじめてなんかないわよ。ただ、私をどう思っているのか尋ねただけで」

「それがいじめてるって言うんだよ」

 勇太はヤレヤレと言った感じで両手を広げた。

「へぇ~。富樫くんは私が自分のことをどう思っているのか訊くといじめになるって思ってるんだぁ~」

 森夏は静かに右拳を目の高さにまで持ってくる。

「どうしてそう思うのかしら?」

「そりゃあ丹生谷が自分の性格の悪さを自覚しないで、しかも暴力を振るうことを厭わない野蛮じ……ブベラッ!?」

 勇太の左頬を思い切り引っ叩く。

「あっ」

 思わず驚きの声を出してしまう。でも、声を出さずにはいられなかった。

 凸守やくみんを叩いた時よりも、六花を脅した時よりも、勇太を引っ叩いた時の方が胸の奥に湧き上がる快感は遥かに大きかった。

「ねえ。もう一回叩かせて」

「嫌に決まってるだ……ブビョォオオオオォっ!?」

 今度は左手で右頬を引っ叩く。

 3人の少女に感じたよりも遥かに強い衝動が体の中を駆け巡る。

「いや、でも、まさか。だって、私は、ごく普通の……」

 自分の両手を見ながら驚愕する。

「なっ、何するんだよっ!」

「ごめん。今日はもう帰るね……」

 勇太の顔は見ないまま部室を退散する。

 

 呆然としたまま部室の外に出る。

「おうっ。丹生谷。今、部活の帰りか?」

 ギターを担いだ一色誠とすれ違う。

「ああ。丁度良かった。ちょっと確かめさせてね」

「確かめるって一体何をだ? …………って、ぎゃぁあああああああああああぁっ!?」

 一色の断末魔が上がる。

「やっぱり……富樫くんの時みたいに気持ち良くはない。富樫くんだけが……特別なんだ」

「お前は一体何を言って……ガク」

 崩れ落ちる一色。

 だが、そんな少年には目もくれず、森夏は自分の手をジッと見ていた。

 

 

「富樫くんと会う約束もしていないのに……一体、何をやっているんだろ、私?」

 夜、森夏は勇太の家の近所の公園のブランコに座りながら落ち込んでいた。

 勇太だけが特別。勇太と触れ合っている時だけ最も気分が良くなれる。

 その不思議な現象が何なのか究明する為に勇太に会おうと思った。

 けれど、約束を取り付けて会うのは森夏にとっては躊躇われることだった。

 森夏はそうして男と約束を取り付けたことはなかった。

「けど、いつまでもここにいても仕方がないしなあ」

 悩んでいても事態は好転しない。

 帰るか。それとも呼び出すか。森夏は決断を迫られていた。

 

「やっぱり……帰ろうかな?」

 勇太を呼び出す勇気が持てず、帰ろうと立ち上がった時だった。

 公園内を何かが疾走する大きな足音が鳴り響いた。

「なっ、何なの?」

 森夏は焦る。

 危険から逃れるために早くこの公園から出るべきではないかと。

 けれど、同時にこの音の正体が何なのか確かめてみたい衝動が生じた。

 そして結局森夏は衝動に従ってみることにした。

 ただ帰ってしまうのは、何となく惜しい気がした。

 園内の樹木に身を潜めながら足音と人の声がする方へと近付く。

 そして森夏は目の前で展開されている光景に心を奪われることになった。

 

「ヴァニッシュメント・ディス・ワールドっ!!」

 眼帯を外しながら大声で叫んだのは六花だった。

 六花の後ろには全身をビクビク震わせている勇太の姿もあった。

「フッ。うつけ者どもめ」

 対して六花たちの前に立ちはだかっていたのは──

「十花さん?」

 数日前に出会った小鳥遊十花だった。

 十花が料理用おたまを持って六花と対峙していた。

「やっぱり、あの2人は姉妹だったんだ……」

 一度打ち消した筈の可能性を再び復活させる。

 小鳥遊という姓を持つ妹とは六花のことに違いないと思い直した。

 

「覚悟……プリーステスっ!!」

 六花が携帯用傘を振り上げながら十花へと襲いかかる。

 鋭い踏み込みだった。

「フッ。そんな攻撃が私に効くわけがないだろう」

 しかし十花は体を半身に反らしながら容易く六花の一撃をかわしてしまった。

 そして踏み込んで隙だらけとなった六花の頭におたまの一撃を食らわした。

「あぅううううううぅっ!!」

 良い音が鳴り響き、六花は頭を抑えながら蹲った。

「すっ、すごいっ!!」

 森夏は十花の華麗な体裁きに見惚れて感銘を受けていた。

 

「さて、次は勇太の番だな。覚悟はいいだろうな?」

 十花がおたまを勇太へと向ける。

「えぇええええぇっ!? 俺、十花さんに歯向かうような真似は何もしてないですよ!?」

「六花の造反を止められなかったのだ。君の非は明らかだと思うが?」

「そっ、そんな殺生なぁ~~~~っ!!」

 情けない声を上げながら勇太が逃亡に入る。

 そんな勇太の姿を見て森夏の背筋にゾクゾクした快感が走った。

「富樫くん……だっさ」

 言葉とは裏腹に勇太に目が釘付けになる。

 必死に逃げる勇太。

 だが、十花は人間離れした身体能力を活かしてあっという間に勇太の前方に立ち塞がり進路を断つ。

「ひっ、ひぃいいいいいぃっ!」

 悲鳴を上げながら体の向きを180度変えて再び逃げ始める。

 恐怖に怯える勇太の姿を見て、森夏はまた全身に快感が走る。

「この感覚。やっぱり他の人じゃ味わえない。やっぱり、富樫くんだけなんだ」

 森夏は熱い視線を逃げ惑う勇太に送る。

 

「鬼ごっこはもうおしまいだ」

 勇太は次々と行く手を塞がれて逃げ場を失い遂に立ち止まってしまう。

 そこに十花がおたまを高く振り上げ

「嫌だぁああああああああああぁっ!!」

 勇太の絶望の声と共に、その鋭く重い一撃が振り下ろされた。

「ぎゃああああああああああぁっ!!」

 大きな悲鳴と共に勇太の体が地面へと崩れ落ちる。

 十花の一撃を受けて気絶したのだった。

 

「十花さん。すごい……」

 獲物を冷静にハントする猟犬を思わせる十花を森夏は尊敬の念を篭めた瞳で見ている。

 自分もああなりたいと憧れた。十花の存在は森夏の理想になった。

 そして──

「富樫くんが倒れている姿を見ると……ゾクゾクが止まらない」

 体の奥底から、全身から快感が押し寄せて卒倒してしまいそうになる。

「でも、富樫くんを昏倒させたのが十花さんじゃなくて私だったらもっと良かったのに……」

 けれど、森夏の心は更なる高みを求めていた。

「私だけが、富樫くんをボコボコにできたら……もっともっと良いだろうなあ」

 森夏は俯きながら呟いた。

 

『でも、部室に来ている時の丹生谷は生き生きしているように見える。教室内の完璧な優等生姿より俺は可愛いって思うよ』

 

 数日前の勇太の言葉を言葉を思い出す。

 今まで感じたことがない感情の激流が森夏の体の中を駆け巡る。

「ああっ。そうか。私ってば……こういう人間なんだ」

 胸を右手で押さえながら小さく呟く。

 息が荒い。

 顔が熱い。

 この体の変調が何なのか。

 森夏は唐突にその本質を理解してしまった。

「なるほど。確かに小鳥遊さんに比べれば可愛くないどころか最悪な人間よね」

 いまだ蹲りながら頭を押さえて痛がっている六花へと顔を向ける。

「でも私、あなたには負けないから」

 六花に向かって宣戦布告をつげると森夏は静かに公園を去っていった。

 

 

 

 

 翌朝、森夏は久しぶりに晴れ晴れとした気分で登校することができた。

「おはようっ、みんな」

 クラスメイト達に明るく挨拶しながら教室の中へと入っていく。

 教室の奥へと入っていくと……みつけた。

 富樫勇太と小鳥遊六花だった。

 六花は勇太の机の前までやって来て話し込んでいた。

 森夏は自分の席に鞄だけ置くと2人の元へと足早に近付いていく。

 2人までの距離が後2歩に迫った所で小さく息を吸い込む。

 覚悟が決まった。

 

「おはよう。富樫くん、小鳥遊さん」

 クラスで最も美少女であるという称号に相応しい綺麗な笑みが2人に向けられる。

「ああ。おはよう……」

 勇太も思わず見惚れていた。

 そんな勇太を見て六花がちょっとムッとしてみせる。

 けれど、森夏が本領を発揮するのはこれからだった。

「私、富樫くんのこと…………だから」

「えっ? 今なんて?」

 聞き返す勇太。

 そんな少年に対して森夏は──

「これが私の素直な気持ちだからっ!」

 側頭部に思い切り頭突きを食らわしたのだった。

「痛ってぇ~~~~~~っ!?!?」

 勇太の叫び声が教室中に木霊する。

「フフフ♪」

 痛がる勇太を見て森夏は至福を感じていた。

 そして

「あっ、ああっ、ああああっ!?!?」

 その光景が見えていたに違いない六花が瞳を白黒させながら当惑している様が視界に入っていた。

 森夏がヘッドバッドを発動した際に、自分の唇を勇太の頬に何気なく押し付けたその一場面が。

 痛みに耐えている勇太は全く気付かなかったようだが、六花には見えていた。

 それこそが森夏の望む展開だった。

「こういう人間なんで私は私のやり方で進んでいくからさ。負けないよ、小鳥遊さん♪」

 明るい声でハッキリと告げる。

「うっ、うっ、うにゅぅ~~~~っ!」

 小動物な反応を見せる少女は日本語にならない言語を発しながら顔を赤くしている。

 そんな六花の反応を見て森夏は気分がとても良くなった。

 

「まっ、一般人とは違うけど……これが私、だもんね」

 

 視線を窓の外へと移す。

 空の青がいつになく綺麗に感じられたのだった。

 

 

 了

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
5
2

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択