No.513815

真・恋姫無双~君を忘れない~ 百四話

マスターさん

第百四話の投稿です。
遊撃隊同士の戦いは勝負所へとなっていた。白蓮は愛する者を守るために、翠は亡き母親を超えるために、戦いへの決意を新たにし、それぞれの想いが交差する。そして、とうとう白騎兵、黒騎兵と神速の張遼の部隊がぶつかり合うのだったが……。

作者「モチベーション先生、帰ってきてよー」
先生「|柱|д・) ソォーッ…」

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2012-12-01 01:19:04 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:4696   閲覧ユーザー数:3934

 

 空が白んできた。早春の夜はまだ肌寒く、白蓮はそれで目が覚めたようだ。幕営から外へ出て、冷たい空気を鼻から肺へと入れると、冷たさに痛みを感じ、頭がすっきりとしてきた。方々に焚火がしてあり、まだ熾火が残っていた。そこに枝を入れると、すぐに火が爆ぜる音が聞こえ、暖かくなってきた。

 

「もう起きてたのか?」

 

 振り向くと、翠と蒲公英と向日葵がいた。

 

 昨夜から交代で敵軍に奇襲を掛けていたのだ。四刻(約二時間)ごとに入れ替わり、その間に休息をする。日ごろから兵士たちにはいつでも眠れるように調練はしてあるのだ。騎馬隊の戦いに昼も夜も関係ない。夜通し駆け、斥候の目を避けるように移動することすら日常茶飯事である。

 

「あぁ。どうせあまり長くは寝られないさ」

 

「ふぁぁ、蒲公英はもう眠いよ」

 

「馬鹿。これからが本番だぞ。夜が完全に空けたら、すぐにここを去って相手に備えなくちゃいけないんだからな。充分な睡眠なんて出来るわけないだろ」

 

「分かってるけど、寝れるときは寝とかないと、身がもたないよ」

 

 そんなことを言っているが、蒲公英は兵士たちのことを気にかけているのだろう。指揮官が寝ずにいるのなら、当然のように兵士たちも起きている。眠れるときは眠れ、と自らが言っておけば、兵士たちも安心して眠ることが出来るのだ。そういう気配りを、蒲公英は欠かさなかった。

 

「それよりも白蓮様、翠様、相手の指揮官の姿がようやく見えてきましたね」

 

 口を開いたのは向日葵だった。

 

「まさか、本当に軍師が従軍しているとは思いませんでした。詠様はそれを怪しんでおられました。しかし、どこかであり得ないと思っていたところがありました」

 

 奇襲を繰り返す中、向日葵はとある人物を目撃していたのだ。それは彼女たちがまだ翠の母親である翡翠に従って、西涼で曹魏と激闘を繰り広げていたときにも敵陣の中にもあった。稟こと郭奉孝の顔を忘れずにいたのは向日葵だけだったのだ。

 

「郭嘉か。私のところにもその噂は伝わっていたな。確か一度は麗羽の許へ仕官したそうだが、すぐにその器の小ささに見限り、曹操軍に加わったそうだ。冷徹なまでの知略は、戦術面においては曹操軍でも指折りの実力者だと聞いている」

 

「はい。私たちと戦ったときは、どちらかと言えば、戦略に沿った戦いではなく、力同士のぶつかり合いの側面が強かったのですが、これまで戦歴を分析すると、鳥肌が立つような思いがします。特に烏桓族との戦いでは、少数の騎馬隊での奇襲の下準備をほぼ彼女一人で行ったようですし」

 

「張遼との相性も良いか。だから、彼女を部隊に組み込んだのか、郭嘉の方から張遼に歩み寄ったのか、いずれか分からないが、私たちにとって脅威であることには変わりはない」

 

「昨日の戦いは、その郭嘉とかいうやつが仕組んだのか? あたしたちと戦ったときは、ほとんど母様の足止めをしていたみたいだから、直接的には戦っていないけど、戦い方自体が張遼っぽくないのは感じていたな」

 

 昨日のぶつかり合いが終わってから、翠と白蓮は額を突き合わせながら、何度もその分析を行った。あまりにも張遼の戦いとはかけ離れていたからだ。しかし、その理由が明らかになった。それで何かが変わるということはないが、心持は変わってくる。張遼が戦術まで駆使してくるような相手でないと分かっただけでも収穫である。

 

「詠はもう行ったのか?」

 

「あぁ。今日の兵糧と秣を置いて、早々に立ち去ったよ」

 

 ふむ、と翠の返答を聞いて、白蓮は考える素振りをする。今回の敵の策略については報告している。詠ならば、その話について詳しく訊くくらいはすると思っていたが、そう、と一言告げるだけであった。その表情は何も語っていなかった。

 

「白蓮? 何か気になるのか?」

 

「いや……。蒲公英、お前なら明日の戦いをどう制す?」

 

「えっ? それを蒲公英に訊くのっ? うーん……とにかく張遼を討つしかないよね。兵力は徐々に差が開いているし、これ以上粘られたら、逆に蒲公英たちの方が音を上げると思う。翠姉さまたちは平気でも、兵士たちは限界かなー」

 

「だろうな」

 

 白蓮もそれには概ね賛同していた。

 

 霞を討ち取る。それが最上の策であるが、最難関でもある。

 

「翠、お前なら勝てそうか?」

 

「……正直なところ、分からない。昨日ぶつかってみて、その懐の深さが分かった。ただの力一辺倒の武将ではないよ、あいつは。戦自体を楽しんでいるけど、根底には強さへの信じられない程に憧れがある。そういうやつは強いんだ」

 

 翠と霞の戦いを目撃していた兵士に話を聞く限り、勝負は互角だったという。しかし、それは霞が本気を出していないからだとも思えた。翠は強い。そして、戦いを通じて更に強くなる。それが霞を相手にどこまで通用するのか。

 

「おい、白蓮、何か考えがあるなら、話してくれよ」

 

「うーん、これといって何かあるわけじゃないんだが、何か引っかかるんだよ」

 

 喉の奥に小骨でも刺さっているかのような違和感。その正体は分からない。何か見えていない部分があるのではないだろうか。視野は広かった。伊達に幽州を治めていた頃は、全ての仕事を一人で行ってわけではなかった。総合的な思考能力は人より多少はあるだろう、と思っていた。

 

「まぁ、分かったなら言ってくれ。それよりも、まだ続けるかい?」

 

「いや、もういいだろう。こんな奇襲でどれだけ揺さぶれたかは分からないが、少しでも兵士たちの動きが悪くなってくれたら僥倖だろう」

 

「張遼は無理だろうが、兵士たちはほぼ眠れなかったろうさ。勝負所でそれが響くと思う」

 

「そうだな」

 

 言ってはみたが、実際には大差ないだろうと、白蓮は思った。寧ろ、奇襲を仕掛けた疲労が残っているのはこちらかもしれない。それでも相手に奇襲をしたという事実は、自軍の兵士たちの高揚感を煽ったのは確かだろう。どちらかというと、敵に損害を与えるのではなく、味方のためにやったようなものだ。

 

 それからしばらく翠と会話を続け、白蓮は一人で再び幕営の中に戻った。

 

 地面に地図を広げてそれをじっと見る。ここ一帯の地形が事細かく記されたものだった。何度となくそれを見てきた。既に頭の中で明確に想像出来る程にだ。それでも見る度に、白蓮はそれに書き込みを加えていった。丘の起伏や、人が隠れることが出来そうな場所まで、地図にはびっしりと書かれている。

 

 考え過ぎる程に考えてきた。曹操軍との最後の決戦。あの霞と戦うということ。自分が出来る限り戦い尽くそうと思った。地図を見ていると、実際にそこで戦っているかのように思える。頭の中で何度も戦いを想像した。勝つときもあり、負けるときもあった。その度に、想像の戦いの中で得たものを心に刻みつけた。

 

「……明日か」

 

 相手も本気で来るであろう。倍する敵、しかも霞の率いる騎馬隊と戦うということに、自分は恐怖を抱いている。霞はそれを楽しんでいるのだろう。恐ろしい相手である。それに比べて自分は何と惰弱なものか。思わず苦笑が漏れる。自分は弱い。呆れる程に弱い。しかし、それでも負けることは許されないのだ、と白蓮は己に言い聞かせた。

 

 間もなく日が昇る。

 

 

 白蓮たちは移動を開始した。

 

 今日は翠たちと行動を共にしている。仕掛けるのなら今日なのだ。これ以上戦を必要以上に長引かせることは得策ではない。昨日の犠牲は、数は大差ないかもしれないが、同じでは駄目なのだ。どれくらい損害が出たのかを数えるのは止めていた。おおよその数を把握している程度だ。

 

 相手の位置は分かっている。そして、向こうも把握しているのだろう。ただ奇襲に耐えていたわけではない。奇襲に行った部隊の跡を追って、こちらの位置を割り出すくらいのことはしているだろう。そのため、向こうからの奇襲にも警戒していたが、結局のところ、来ることはなかった。

 

「白蓮、今日はどう動くんだ?」

 

「相手がどうくるかによって変わるが、やはり張遼一人を狙うことに変わりはないな」

 

「だったらあたしが――」

 

「気負うな」

 

「だ、だけど……」

 

 白蓮自身も霞を討ち取ることが出来るのは翠しかいないと思っていたが、正面から戦わせたくはなかった。なるべく部隊同士のぶつかり合いの中で霞を追い込みたい。そのためには相手を壊滅に追い込むか、分断して孤立させるしかないが、どちらにせよ厳しいだろう。壊滅させることは言うに及ばず、分断しようにも、相手には軍師が側にいる。白蓮が考えた策ぐらいはすぐに看破するだろう。

 

 霞だけを討ち取ることは現実的に考えて難しい。しかし、それぐらいしかこちらに出来ることはないのだ。あらゆる戦いを想定して尚、白蓮にはどれが確実かの判断は出来なかった。最初は策略で霞を罠に嵌めることを考えていたが、稟が側にいるためにそれもほぼ不可能であろう。

 

「三人とも分かっているな。今日が正念場だ。決して逸るな。機は必ず来る。それまで耐えるんだ。張遼を討ち取るのは飽く迄も最後の段階だ。とにかく相手を崩す。それがまず初めにすることだ」

 

 残りの三人が頷いた。しかし、白蓮はそれを一番己に強く言ったのだ。

 

 駆け始めてしばらくは斥候を頻繁に放っていた。その斥候から何度か敵の斥候と遭遇したという知らせが入る。遭遇しただけで戦闘には入っていない。どちらも様子見をしたのだ。だが、それで敵が近いことを悟った。どこでぶつかるのかはまだ分からない。ここからは戦場を決めるための駆け引きが始まるのだ。

 

「五十騎程を纏めて動かせ。あまり近付き過ぎるな。上手く敵を誘導させて、この先の原野まで誘導しろ。そこならば、相手も奇策に出ることはないだろう」

 

 白蓮の脳裏には克明な地図が浮かんでいる。その場所は伏兵を配置出来るところはない。西側に緩やかな崖があるだけだ。相手はおそらく東側にいるだろう。故にそれを考慮する必要はない。広い場所で存分に駆け回る。その中で敵を崩す機を探るのだ。

 

「翠、蒲公英、向日葵、間もなく接敵するぞ。敵を目視出来た段階で、一旦離れて戦闘する。それぞれが勝負どころと思ったら迷わず突っ込め。昨日と同じと思うな。今日こそ、相手も本気で来るぞ。分かったな? そして最後に……死ぬなよ」

 

「あぁ」

 

「うん」

 

「はい」

 

 白蓮が拳をそっと横に突き出した。返事と共に、そこに三人が順番に拳を当てていく。それぞれの瞳に力強い光が宿る。自分たちが為すべきことを、守らなければならないものを胸に抱いているのだ。彼女たちは強い。その強さが拳を通して伝わってきたことに、白蓮は思わず笑みを溢した。

 

 目標地点である原野までもう少しという距離になった。しかし、そう思った瞬間、右方向から馬蹄の音が聞こえたのだ。それがすぐに霞の率いる騎馬隊のものであることに気付く。相手の移動速度を考えると、かなり早い。おそらくは、こちらが誘い込んだように見えて、向こうに誘われていたのだろう。

 

「このまま突っ込むぞ。合図と共に散開する」

 

 接敵する直前に白蓮は指示を出した。白騎兵と黒騎兵は左右両方向に駆け出した。さらに黒騎兵は翠、蒲公英、向日葵の三隊に分かれたため、四方向に散ったことになる。相手も無理に分かれて追ってこようとしていない。最初からこの場で戦闘行為に突入する気がなかったのかもしれない。

 

 ――まずは先手必勝だな。

 

 原野まで駆け、そこで白蓮は反転を命じた。

 

 遊撃隊として戦い始めて、正面から堂々と戦うのは初めてのことだった。相手の騎馬隊は一万騎という大軍である。自分たちは翠と合わせても六千騎。自分たち白騎兵は三千騎である。しかも、これまでの戦いで犠牲は出ているので、正確には三千も兵力はないのだ。

 

 しかし、白蓮は何の躊躇もすることなく突っ込んだ。

 

 白い突風が吹き荒れたような見事な突撃だった。思ったよりも抵抗は少ないと感じた。それが、相手が抵抗せずにただ通しただけであることはすぐに気付けた。相手もこちらを囲みこもうとしている。すぐに部隊を外へと向かわせ、包囲の外へと出る。

 

 当然、相手もそれに追撃を仕掛ける。やはり数の差は大きい。相手もそれを充分に利用してくる。一千程の部隊を三隊作り、常にこちらの背後に一隊、行く手に一隊を配してくる。蛇行するように行く手を遮る部隊の脇をすり抜け、残った一隊に突っ掛る。乱れるだけで決して崩れない。乱れてもすぐに隊列を整えてしまうのだ。

 

 そこであまり時間を使い過ぎると、背後からすぐに急襲の構えを見せてくる。すぐに距離を置いて、またひたすらに駆ける。相手の本隊から離れる。相手からはそう見えるだろう。そこで部隊を急転させ、敵の本隊に向かって全速力で駆ける。慌てて向こうも追いつこうとするが、距離は縮まらない。

 

 再び本隊に突っ込む。視界の右側に黒い塊が同時に突っ込むのが見えた。翠も自分に合わせたのだろう。これで数は同数だ。今度は相手も容易に通そうとはしない。壁に阻まれたかのような圧力を感じるが、白蓮は声を嗄らして部隊を励ます。

 

 突破力はやはり翠の方が強い。黒騎兵が相手を二つに断ち割った。自分もその一つに猛然と斬りかかる。目の前の兵士の武器を弾き返し、返す刀で首を刎ね上げる。二人、三人と斬りつけ、中央付近まで攻め立てたところで、自分と対峙していた別働隊が追いついてきた。

 

 乱戦になると、数が響く。すぐに白蓮は部隊を反転させて、外へと逃げる。相手がそこで追撃してくるのは分かっている。白蓮は部隊を二分して、片方で追いかけてきた部隊の足止めをさせ、自身は横から突っ込んだ。中央に相手の上級将校がいるのは最初から確認していたのだ。すれ違いざまに首を飛ばした。

 

 それで相手の出鼻を挫けたようで、追手はすぐに本隊へと戻っていた。

 

 ――小回りが利くのはこちらだ。速度を活かせば充分に戦うことは出来る。

 

 それは当初から白蓮が想定していたことであった。部隊の規模が大きくなれば、それだけ統率は難しくなる。いくら将器でいえば、自分の上をいく霞であろうとも、これだけの数の部隊を三千という小規模の自分たちと同じように扱うのは不可能なのだ。

 

 そうなると、勝負の鍵となるのが、敵が部隊を完全に分けるときだ。今のように小出しにするのではなく、完全に独立して動かすときが必ず来る。そうでなければ、自分たちを補足するのは難しい。先ほどのように本隊に突っ込んでは退くのを繰り返されれば、さすがの霞といえど、部隊を統制するのが徐々に難しくなる筈だ。今も追撃してきた将校を討ち取った。こちらも一人失ったので数の上では関係ないが、指揮には影響が出る。

 

 そのとき果たして敵は何隊に分かれるのか。自分たちと同じように二隊なのか、それとも多くなるのか、それは分からない。しかし、そうなればより霞を討ち取る機会は増える筈だ。まずはそこまで敵を追い込む。戦の主導権を握る。そのために白蓮はただ行動し続けようとしたのだ。

 

 

 しかし、白蓮の予想より遥かに早く敵は動き出したのだ。部隊をおよそ三千騎ずつに、三つに分けるのをしっかりと見た。霞が早くも痺れを切らしたのか、それとも、故意にこちらの勝負に乗ってきたのかは分からない。白蓮はすぐに思考を捨て去る。目指すべきは、霞ただ一人なのだ。

 

 手で合図をして、部隊を一纏めにすると、敵に向かって疾駆する。敵の部隊は再編成され、後方に一つ、その前に二つの部隊を置いている。三部隊のどこに霞がいるのか、彼女の好戦的な性格から考えて後方ではないと思うが、それでは左右どちらかであろう。

 

「旗で合図を出せ。私は右の部隊を、黒騎兵は左の部隊に向かえ」

 

「はっ」

 

 後ろの部隊は後詰だと判断した。その支援が届く前に、初撃で撃ち抜く。

 

 さすがに曹操軍が誇る騎馬隊だけあり、部隊を再編する際に無駄な動きが全くなかった。自分でもあれだけ整然と、しかも敵前にて堂々と部隊を動かせるだろうか。こちらの動きを読んでいるのだろう。いつ動き出すのかも分かっているのかもしれない。

 

 白蓮は胸の中にぽたぽたと雫が溜まっていくかのような恐怖心を抑え込む。自分の背には配下の三千の白騎兵だけではなく、一刀や桃香たち、親友の麗羽、そして、益州の民の命を乗っているのだ。ここで敗北すれば、確実に彼らの幸せは崩壊していく。彼らの幸せであり、自分の幸せなのだ。

 

「行くぞっ! ここで決めるっ! 我ら白騎兵、天の御遣い北郷一刀、そして、漢中王劉玄徳に従いし、天軍であるっ! 立ち塞がる壁は全て貫けっ! 邪魔する者は全て駆逐しろっ! 御使いの槍にして、漢中王の剣であるっ! 我らが使命をここで果たさんっ! 全騎、私に続けっ!」

 

 背後の兵士たちに向かって気合を放つ。騎馬隊を率いた戦歴でいえば、おそらくは益州軍の中でも最長であろう。数々の激戦を潜り抜けた白蓮ですら、この戦いがもっとも困難なものであると確信していた。恐怖と興奮が混じり合う。それが別の感情を生み出し、白蓮の原動力となる。愛する人を守りたいという欲望であった。

 

 ――行くぞっ! 張文遠っ!

 

 剣を抜き放ち、馬腹を腿で締め付ける。自分の愛馬が待っていましたと言わんばかりに、速やかに最高速度まで到達し、標的との距離を縮めていく。配下の者たちも遅れていない。一直線に敵部隊に向かう。

 

 霞はどちらにいるのか。どちらでも構わない。一撃のもとに部隊を断ち割り、潰走させる。霞がこちらにいるのなら、自分の命に代えてでも討ち取るだけだ。それは翠とて変わりはない。逆に自分の側にいないのなら、敵を徹底的に崩し、その余波をもう一つの部隊へと広げる。そうすれば統制を維持することは出来ないだろう。

 

 敵軍は、旗は伏せている。そのため紺碧の張旗は見えず、霞の姿も確認出来ない。白蓮は敵部隊の先頭付近を注視した。彼女ならばそこにいるだろう。あの猫のように細めた瞳に凄惨な笑顔を浮かべて、自分を待ち構えているに違いない。

 

 ――いない……か。ならば、断ち割るのみだっ!

 

 すぐに霞の姿がないことを悟った。だからといって、油断などすることなく、敵を崩すことに集中した。こちらで敵を完膚なきまでに潰走させることが、翠への支援へとなるのだ。身体は無意識に突撃の体勢になった。初撃で全てを穿つ、ただそれだけを考えた。

 

 そのまま部隊へと突っ込んだ。勢いに乗った白騎兵の動きを邪魔出来る者などいない。止められる筈がないのだ。そして、彼女たちは止められることはなかった。しかし、それは敵が止めようとしなかったからだ。まるで道を譲るかのように、自分たちの突入路の道を開いたのだ。

 

 すぐに反転するために合図を出そうとした、白蓮の腕が止まった。目の前に、後方に展開した筈の部隊が迫っていたのだ。最初からこちらを誘い込み、挟撃の構えをするつもりだったのだろう。ならば、このまま後方の部隊へと突っ込むだけだ。さらに前進するように部隊へと声を飛ばした。

 

「一気に蹴散らすぞっ! このまま止ま……っ!!」

 

 声が途中で止まった。

 

 それもその筈であった。眼前に展開した部隊が旗を掲げたのだ。戦場に吹く風にはためくその旗には、信じられない文字が浮かんでいた。紺碧の張旗。そこにいる筈のない霞が、今度は間違いなく自分を見つめながら笑っていた。

 

 咄嗟の判断だった。そのまま突っ込もうとしていた部隊を、無理やり軌道修正し、霞の直属の部隊の脇へと抜け去る。寸前で衝突は免れた。あのまま突っ込んでいれば、やられていたのは間違いなくこちらだったろう。霞がいないと思い込んでいたために、安易な選択肢を無意識に選んでいたのだ。

 

 すぐに反転して、敵を待ち構えた。振り返った瞬間には、敵は既にこちらの目の前にいた。早過ぎる。それ程の統率力の持ち主なのか、と思ってすぐに部隊を緩やかに纏める。この無の陣形ならば、正面からでも支えることが出来る。

 

 しかし、威力は弱い。その理由がすぐに分かった。

 

 ――入れ替わったのか……っ!?

 

 白蓮たちが霞の突撃を何とか避けた直後に、当初、白蓮たちが標的としていた部隊が動き出したのだ。霞の部隊と入れ替わるようにして、背を向けたままの白蓮に向かったのだ。そして、白蓮を挟撃の形で迎え撃った理由を、自分自身を集中して叩こうといたものだと思っているのも見抜いている。そうすれば、反転後、すぐにあの厄介な陣形を布くに決まっているのだ。

 

「さぁ、今度はあなたですよ、公孫伯珪」

 

 その部隊を率いているのは稟である。眼鏡の奥に不気味な光を湛えたまま、白蓮の部隊に突っ込んだ。勿論、自分は霞のような突撃は勿論、凪にも及ばないだろう。一撃で敵を砕くなんて、武将みたいな真似、自分には出来る筈がない。自分は軍師なのだから。

 

 だが、白蓮の相手は自分でなければならないのだ。おそらく凪にも、霞にですら、白蓮の相手は務まらない。何故ならば、白蓮は負けることがないからだ。これまで数度ぶつかり合っただけで、稟は白蓮の用兵術の本質を見極めた。こんなに才のある将なのに、過去の戦いの資料は極端に少なかったので、それにはかなりの時間を要してしまった。それでも一晩で分析を終えられるのは、彼女ぐらいしかいないだろうが。

 

 稟は別に用兵術が極めて巧みなわけではない。同じ数では勿論、倍数の部隊を率いていても、白蓮の部隊を崩すことすら出来ないだろう。彼我の実力差は相当に離れている。しかし、相手の特性を見抜き、目的を一点にだけ定めてしまえば、拮抗状態に持ち込むことは出来る。

 

 それが白蓮の負けない戦にとことん付き合うということだ。白蓮が負けない戦を挑むのならば、こちらは勝たない戦を挑めばいい。勿論、ただ対峙しているだけというわけにはいかない。隙を見せれば、容赦なくこちらを突き崩してくるだろう。だから、常に攻め続ける。相手が攻めに対して敏感であることは既に分かっているのだ。これは、稟と白蓮のどちらが互いの戦術に耐え切ることが出来るのかの根競べなのだ。

 

 自分はこの戦いを経て、軍師として――否、もはやそれは軍師という存在ですらないのかもしれないが、一つ大きな壁を壊せるに違いない。その壁の向こう側には何が待っているのか分からない。だが、分からないのがまた良い。分からないからこそ、それを頭の中で空想し、堪能することが出来るのだから。既に分かっていることなど、何の面白みもないのだ。

 

 稟は自分の頬が緩んでしまっているのに気付いた。笑っているのだ。自分はこれから白蓮という霞と同程度の実力の持ち主とぶつかり合うというのに、楽しくて楽しくて堪らないのだ。あぁ、これが霞の感じているものなのだ、と思った。自分も随分と霞に似てしまったのだな、と苦笑が漏れた。

 

 そして、稟と白蓮の果てなき我慢比べが始まったのだ。

 

 

 少し時間を遡り、白蓮が部隊へと突入する直前、同じように翠もまた敵部隊へ向けて馬を疾駆させようとしていた。勝負どころだと判断したら、いつでも突入しろと白蓮から言われており、ちょうどそのときだと思った瞬間、白蓮から左の部隊へ行くよう合図があった。向こうも勝負どころと思っていたのだ。

 

「蒲公英、向日葵、覚悟はいいな?」

 

「うんっ」

 

「問題ないです」

 

 二人とも並々ならぬ強い光を瞳に灯している。昨日の連続の奇襲の疲れなどないのだろう。いや、仮に疲れていたとしても、今はそんなものは感じないくらい高揚しているのだ。それは自分も同じだった。たかが夜襲をしたくらいで疲れを感じてしまう程、やわな鍛え方をしていないが、身体は疲れているどころか、気が充実している。

 

 それも当然の話である。相手はあの霞なのだから。

 

 母親の仇、とも言える存在であり、おそらくは蒲公英や向日葵を動かす原動力の中に少なからず憎悪が含まれているのだろう。憎しみはときとして人を狂わせることがあるが、二人ならそこまで取り込まれることはない。今は相手を倒したいという純粋な気持ちとして、二人に力を与えているに違いない。

 

 では、自分はどうだろうか。

 

 母親の仇。そう言われれば、憎くない筈はない。しかし、それ程大きなものではない。それに、やはり自分はあの母親の娘なのだろうか、戦で死ぬことが出来た母親は逆に幸せではなかっただろうかとも思うのだ。あのまま戦ではなく、病で死んでいれば、母親はあんなに安らかな表情逝くことはなかっただろう。

 

 それよりも自分はただ霞と戦ってみたかった。思う存分、死力を尽くして、ただ戦いのことだけを思いながら。昨日の一騎打ちの際、相手が余力を残していたことは、彼女が一番分かっていたのだ。母親を討った相手だからこそ、戦う価値があった。自分が王ではなく、一人の武人として母親を超えることが出来るのかどうかが決まるのだ。

 

 翠は一度だけ、空を仰いだ。晴れ渡る空は何も語ってはくれない。しかし、翠はその空に向かって何度も語りかけたのだ。何度も何度も語りかけると、ふとしたときに、空が応えてくれるような気がした。夜空よりも、こうした晴れ空の方が好きだったのだ。夜になると、何故か母親との最後の別れを思い出してしまい、どうしようもない気持ちになることが多かった。

 

 そして、ゆったりとした動きで首を元に戻すと、後ろに控える黒騎兵たちを見た。ほとんどの者が西涼の者である。あの戦いで生き残った者も多くいる。彼らに向かって、翠は高らかに声を発した。

 

「これよりあたしたちは死地へと入るっ! 相手は、かつての王、そしてあたしたちの母親である翡翠を亡き者にした、あの張遼だっ! あたしたちは、この新しい黒騎兵は、あいつを倒して、初めて母様の意志を全うすることが出来るっ! 旗を掲げろっ! 母様の、馬寿成の漆黒の馬旗を掲げろっ!」

 

 翠の隣に旗手がやってきて、高々と漆黒の馬旗を掲げた。誰もがその旗を一心に見つめている。かつて西涼において、敵う者はおらず、羌族にも恐れられた旗である。その旗がまるで生き物のように、風に揺らいでいた。それは自分たちを叱責しているようだった。かつて翡翠がやっていたように。

 

「全軍、黙祷」

 

 瞳を閉じた。脳裏にはそれぞれが様々なものを浮かべているだろう。あの戦いで死んでいった友のこと。家族のこと。そして、王の姿。それは未だに克明に浮かべることが出来る。翠自身は実際にその場にいたわけではないが、母親がどう戦ったのか、話を聞くだけですぐに分かるのだ。雄々しく戦ったのだろう。敵陣の中央に勇猛果敢に突っ込んだという。

 

「刮目せよ」

 

 瞼を開いた。皆の頬に一筋の涙が流れていた。しかし、それは流れ続けることなく、すぐに止まった。そして、誰の目にも炎を放っているかのような激しい感情が渦巻いていた。この戦、負けるわけにはいかない。それがかつて翡翠の許にいた自分たちの務めであり、黒騎兵の誇りなのだ。

 

「全騎、出撃するっ!」

 

 翠たちは即座に敵に向かって走った。黒い獣。かつての黒騎兵はそう呼ばれていた。その全容を目視することは出来ない。それ程の速度であり、気付いたら黒い塊が自分の部隊を貫くことからそう呼ばれ始めた。部隊を、まるで強靭な前足を振るうかのように、打ち砕いていたのだ。

 

 自分たちもそう見えているだろうか。

 

 翠は得物の銀閃を両手でしっかりと構え、腿の力だけで馬に意志を伝えた。普段とは違うのだろうか、愛馬は猛々しく疾駆した。遠くに見えた敵の部隊が見る見るうちに迫って来る。接敵する直前に、翠はそこに霞がいるのか確かめた。しかし、霞の姿はなかった。どうやら白蓮の方にいるらしい。

 

 ――焦っても仕方ない。必ずあいつと戦う機会は来る。それまであたしはあたしがやるべきことをしっかりやらなくちゃな。

 

 白蓮にも逸るなと言われていた。すぐに翠は高ぶる気持ちを抑え、蒲公英と向日葵に合図を送る。部隊を三つに分け、三方から同時に突撃を行うのだ。まるで特色の違う三名が同時に攻めてくるのだから、これを止められる筈がない。あの白蓮ですら、破ったことのある戦い方なのだ。

 

 蒲公英と向日葵が別の方向に駆けるのを見送ってから、改めて部隊に突撃の合図を出す。一気に打ち砕き、粉砕する。その後は敵の出方を窺いながら、白蓮の援護に回る。特に打ち合わせをしたわけではないが、暗黙の了解となっているのだ。後方の三千に蒲公英と向日葵を向けて、自分だけ霞の部隊に突っ込むのも悪くないと思った。

 

 敵の姿がはっきりと浮かびあがった。指揮官の姿は見えない。しかし、ここに霞がいないのなら、おそらくは副官の凪なのだろう、と判断した。油断ならない相手ではあるが、自分が敵わない相手ではない。寧ろ、相手も自分と同じように前へ前へと向かう将であるだけ、相性は良い。だが、力はこちらが勝っているのだ。

 

 しかし、次の瞬間、敵に動きがあった。

 

 信じられないことに、相手も更に三つに部隊を分けたのだ。密集隊形を布いたところで自分たちの突撃は止められないのだから、戦術としては決して悪くはないだろうが、凪一人しか指揮官のいない中で部隊を分けてしまえば、仮に凪が自分に向かったところで、蒲公英と向日葵は止めることは出来ない。

 

 どういうつもりか読めなかった。しかし、自分に出来ることは全力で相手に突っ込むだけである。余計なことを考えると、動きに迷いに出てしまうと、すぐに思考を止め、真っ直ぐに相手に向かって突っ込んだ。それで一気に貫く――否、正確には貫ける筈だった。

 

 ――止められ……っ!? 違うっ! 今、あたしから避けたのかっ!?

 

 自分でも最初は理解出来なかった。おそらく衝突の瞬間の咄嗟の判断で、ほとんど意識していなかったのだろう。突っ込む瞬間に、敵が左に部隊を動かそうとして、そちらに矛先を向けたのだ。しかし、実際には動かなかった。寧ろ、今見てみると、右側に動いているのである。

 

 どういうことか分からない。しかし、既に戦いは始まっている。最初の勢いを見事なまでに打ち消されたのだ。それは今までの戦いや資料から、凪に出来るものではないと即座に分かった。では誰なのか。稟がこちらにいるのか、とも考えたが、軍師に出来る動きではない。

 

 同様にして蒲公英と向日葵も止められていた。

 

 ――えっ! ちょっとっ、何で、こいつ前ばかりにしか来ないのよっ!

 

 ――くっ! 動きが奇抜過ぎますっ! これではじっくりと指揮出来ないですっ!

 

 三人とも自分の持ち味を完全に無効化されているのだ。翠の突破力も、蒲公英の変幻自在な動きも、向日葵の重圧も、全てが打ち消され、初撃の勢いを殺されている。そして、相手から猛烈な反撃を受けているのだ。さすがに圧されることはなかったが、当初の目論見を達成することは出来ずにいた。

 

 その戦いの中で、翠は指揮官が誰なのかを必死に探していた。これは自分の戦ってきた相手とはまるで違う。蒲公英や向日葵は自分の戦いで精一杯のようだが、翠はまだ全体を俯瞰するだけの余裕があった。そして、蒲公英の戦っている相手が凪であることは、戦い方から見て取れたのだ。

 

 残りの二人は分からない。しかし、それは当然だった。何故ならば、彼女たちはこれまで益州軍との戦いに参戦したことも、江東軍とも戦ったこともないのだから。実戦経験は勿論あるが、どちらかといえば、黄巾の乱や反董卓連合、そして、官渡の戦いなど、三国鼎立以前の戦に参戦してきた。益州軍が将に与えた資料には、参考程度にしか載っていなかった相手なのだ。

 

「行かせないっ!」

 

「せっかく姉さんに与えてもろた好機を逃すわけにはいかんねんっ!」

 

「そうなのっ! 黒騎兵なんて、怖くも何ともないのっ!」

 

 魏の三羽烏。凪こと楽進、真桜こと李典、沙和こと于禁の姿がそこにあったのだ。

 

 そして、白騎兵と黒騎兵が稟と凪たちに足止めをされている間、霞は悠々とその姿を見つめていた。稟と共に立てたこの最後の策で、益州軍の遊撃隊の息の根を止める。しかし、それは翠と白蓮だけでは足りないのだ。

 

「さぁ、はよう来いや」

 

 一人で、霞は別の方向を見つめていた。

 

あとがき

 

 第百四話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 さて、もう間もなく十二月になり――というか、今なりました。今年も終わろうとしていますが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。十二月といえば、クリスマス。去年は車のカーナビから『メリークリスマス』と言われ、思わず『うるせーっ!』と叫んでしまった作者です。

 

 クリスマスなんてさっさと中止になってしまえばいいのに。いや、きっと今年はワイリさんがクリスマスなど木端微塵に爆破してくれると思います。ワイリヤバい超ヤバい。

 

 さてさて、モチベーション先生は相変わらず自分探しという名の、発売したばかりの無双6エンパイア―ズに旅立ってしまっているわけで、投稿が遅れてしまって申し訳ありません。月末に休暇が入ったので、猛スピードで書き殴って何とか投稿まですることが出来ました。

 

 今回こそは、白蓮さん無双ではなく、相手の騎馬隊の動きを書くことが出来ました。といっても完全に視点が白蓮さんになっているのですが。

 

 今回は稟先生の最後の策の一部を見せました。

 

 稟先生自身は何と白蓮さんに勝負を挑み、白蓮さんの負けない戦いに勝たない戦いを挑むという訳の分からないことになっています。もうお分かりの通り、稟先生も立派に化物クラスに入っているので、白蓮に勝利するのは不可能でも足止めすることは出来ているのですね。

 

 一方で、翠の方はというと、ここに三羽烏の登場です。

 

 これまでの霞の騎馬隊の話でも、凪は副官として同行している姿が描かれていましたが、今回は真桜と沙和もいます。どうして彼女たちがいるのかは大体分かると思うでしょうが、彼女たちは翠、蒲公英、向日葵の突撃をそれぞれが別の方法で止めたのです。

 

 将としての器はどの程度かは難しいところでしょうが、少なくとも翠より上の人物ではありません。三人がかりでも本来は厳しいところでしょうか。それを彼女たちはどのような戦術を講じたのでしょうか。

 

 さてさてさて、そこら辺の種明かしは次回にしたいと思います。勿論、過度な期待は禁物で御座います。御都合主義万歳なのは、連載当初からご覧になっている読者様なら分かり切ったことですよね。

 

 最後に、敢えて自分は翠と白蓮の相手をしなかった霞ですが、彼女は何やら思惑ありげに別の方向を見遣っています。果たして、彼女は何を狙っているのか、こちらも期待することなく、ゆるゆりと次回をお待ちください。

 

 では、今回もこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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