どの道を選んだのかも、どうやってたどり着いたのかも、今どうしてこのにいるのかもよくわからないままに。ただひたすらに疲れ果てているレミリアは、与えられている部屋へ入るなり寝床へと倒れ込んでいた。
『こんなにつかれたのはいつぶりだろうなあ』
なんとなく同じくらい疲れ果てた時のことを思い出そうとして、少し脳が回り出そうとしたその瞬間。ブレーカーが落ちたかのように意識の一切を刈り取られた。
そして、悪夢が始まった。
すぐに始まった夢は、先ほどの迷宮で起きた状況の繰り返し。『戦闘後にパチュリーを叩き起こして、咲夜と魔理沙を両脇に抱えながら迷宮の入口を目指す』というものだった。現実では敵に出会わず出口へとたどり着けたのだけれど、この悪夢ではこの惨状を引き起こした人型の番人と再び出会ってしまう。何人いるのかはぼやけてよく見えないけれど、迷宮の入口は敵の向こう側にあるのだから突破することが絶対条件だ。
(あれだけ苦戦した敵の集団に2人抱えて突っ込むなんてどう考えても無謀……)
(だけど、急いでいるのだから仕方がないじゃないかっ!)
「ああああああああああっ!!」
心の赴くままに叫び声をあげながら、身を低くして突進する。剣すら抜かず、身を斬られることも厭わず、ただ突破することだけを考えたレミリアの必死の思いは功を奏した。気付けばレミリアの目の前に敵はおらず、出口までの道を遮るものは何一つとしてなかった。『やった!』と思いながら横目で後方を確認すると、茫然とレミリアを眺めるパチュリーと目が合った。パチュリーは、レミリアの突然の動きに合わせることができず、その意図に気づいた時には敵に遮られてしまったのだ。次の瞬間、パチュリーは3人の番人に叩き斬られて血飛沫をあげながら崩れ落ちた。
「くそっ!」
(指示を出してから突っ込むのが私のやり方なのに、なんで無言で飛び出しちゃってるんだ?)
続いて倒れたパチュリーのさらに向こうからは、地下2階で出会ったゾンビが集団でやってきている。無論、2人が逃げてきた方向から敵がやってくるなんてあり得ない話だ。しかし、いくらあり得ないことであろうとも。現にゾンビがそこにいて、このままではパチュリーが喰われてしまうという状況なのだから助けに向かわなくてはならない。
(助けなきゃ……全員で帰らなきゃ意味が無いんだっ!)
とりあえず抱えていた2人を通路の端に寝かせて、全速力でゾンビの群れに躍り込んだ。無理は承知、でも行かなければ確実に終わってしまう。
レミリアは、迷宮探索前の説明で八意永琳が言っていたことを思い出していた。
『この迷宮内での傷ならいくつかの例外を除いてすぐに治せるわ。腕が千切れようと、足が切り落とされようと、首を刎ねられようと。身体さえ揃っているなら、死すら治してあげる。でもね、身体の重要な部分がいくつも欠損してしまったら、もう再構成はできないと思って頂戴。手足や首だけが無いというのであれば、なんとかいけるかもしれない。だけど、ゾンビに身体を喰い散らかされたら元に戻せるだけの要素が足りなくなる。簡単に言えば、魂が消失してしまうのよ。身体に宿る魂が欠損しすぎてしまったら、もう存在が消失してしまったようなものなの。身体は治せたとしても、魂が戻らないから精神が死んでしまう。だから、全員で生きて帰ることができなかったとしても、なんとか全員で帰ってきて。倒れた体を迷宮内に置き去りにしたら、いつかそのあたりの有象無象に嬲られることになるわよ』
身体の弱いパチュリーは、生命力そのものに最大かつ致命的な欠点がある。軽い欠損だけでも蘇生が上手くいかないことだって十二分に考えられる。例えこの迷宮を越えようとも、親友を失っての勝利では喜べようはずもない。レミリア・スカーレットの勝利条件は、常に笑っていられることだ。楽しめている限り、レミリアは勝利し続けていると言っても過言ではない。苦難困難大いに結構、時には負けもいいだろう。が、失うものがあるのならば、それは正に完全敗北であり、以後に1つの喜びすら得られようはずも無い。恨みを晴らすだけの戦いに、どうして快楽を持ちこめようか。
レミリアは、力を縛られていようとも久々に腕を振るえるこの状況を歓迎している。だから今、パチュリーに襲いかかろうとしている有象無象の存在を、決して認めるわけにはいかないのだ。
「くそがああああああ!!!」
動きの遅いゾンビ相手ならば、不意打ちで2体くらいに攻撃を与えることはできる。剣を投げ捨てながら駆け出んだレミリアの両掌撃は、攻撃よりも距離を取ることを目的に放たれたものだ。突き上げるような攻撃を受けたゾンビは、レミリアが疾走した距離よりも遠く跳ね飛ばされる。そしてもう1体には、残りの勢いを込めた体で全力のぶちかましを仕掛けて吹き飛ばす。想定した以上の距離を稼げたので、これ幸いとパチュリーの体を抱えて戻ろうと出口の方を振り向いた。
その先に見たものは、いつの間にか回り込んでいたゾンビが、置き去りにした咲夜と魔理沙をぐちゃぐちゃと喰い散らかしているところだった。
「あ……」
一瞬だけ、思考が飛んだ。
その隙を番人どもが見事に突いて、レミリアの頭上から肩口から真横から剣が振るわれる。ざくっと音がして、一撃。さらに二撃三撃と追い打ちを食らい、次から次へと切り刻まれたレミリアは憐れな惨殺死体と成り果て――――
「るわけがあるかっ!」
寝床からがばっと起き上がった。あまりに酷い夢だった。そして、そうなる可能性もあったという現実でもあった。レミリアは高まっている胸の鼓動に苛立ちながら、ぐっと、その小さな手を握ってみた。強く、どんどん強く握ってみた。その固く握った拳を、夢と現実に出てきた番人をイメージしながら無造作に叩きつけた。イメージの中の番人は胸を大きくへこませながら、血反吐をぶちまけて吹き飛んでいった。
本来ならば。そう、本来ならば必ず一撃で終わる相手なのだ。いつもの力が発揮できるのならば、あのような化物たちなどいくら集おうがレミリアの一人駆けで蹴散らせる。500年の歴史を振り返れば、あの程度の敵は万単位で屠っているのに……
『忌々しい迷宮だ』
幻想郷にいる限りは、全力を出すこともないのだろうと思っていた。吸血鬼とは、世界中で最も広く恐れられているにもかかわらず、世界中でその実存を認められていないという化物だ。誰もが存在しないと思っているからこそ、瑞々しいほどの畏怖を背負ったまま、忘れ去られた者がたどり着くと言われている幻想郷へと流れついてしまった。忘れられてはいないのに、存在が失われたと確信されてしまった。力を失うこともなく、実存を否定されてしまった。想像上の吸血鬼は現実で大活躍をしているけれど、現実の吸血鬼であるスカーレット姉妹は想像上の産物と成り果てたという理屈なのだろう。
つまりそれは”幻想と化しながらも、世界最恐である”ということだ。人々の幻想の中では最も恐れられる存在なのだから、その思いは信仰のように集うことで化物に力を与えてしまう。幻想郷にたどり着いてしまった吸血鬼という種族は、いつでも全盛期に近い力を発揮することができる危険種なのである。
吸血鬼レミリア・スカーレットは、まぎれもなく幻想郷最強クラスの化物だ。また、その吸血鬼を主とした紅魔館の他の住人も戦闘に特化した能力を備えている。物理的・魔術的・能力的に換算して、紅魔館の戦闘力はあまりにも高い。高過ぎる。真面目に戦闘をしてしまえば、幻想郷に致命的な被害を撒き散らすことは確実である。だから八雲紫ら幻想郷の重鎮は、例外的に吸血鬼に対してだけは『契約』という形の制約を加えている。幻想郷において、大人しい永遠亭や宗教絡みの守矢神社などとは一線を画す存在なのだ。
『舐めていたつもりはなかった、けど……』
誇り過ぎたのだろう、とは思った。この迷宮が発見されて、探索する必要がある時とした場合に、紅魔館へと依頼が来るのはとても正しい。能力が正当に評価された上での結論である。だからメンバーも紅魔館を中心に、異変解決組を加えて組んだ。レミリア・霊夢・美鈴・咲夜・魔理沙・パチュリー。理論的にも高火力殲滅型としてきちんと機能する組み合わせだ。
が、この迷宮には一つの不可思議な制限があった。入場するためには定められたいくつかの職業から、役割を決定する必要があるというのだ。選択肢は戦士や魔法使い、僧侶に盗賊などの十にも満たない数だけ。そして自分の能力は、その職業のレベルに強く影響されてしまうという。幻想郷有数の力を持つレミリアでさえ、ちょっと力が強くて体力のあるだけの戦士という扱いになっているのだから、普通の人間や妖怪ならほぼ職業とレベルだけの能力になってしまう。
簡単に言うと、この迷宮内での少女たちはとても弱いのだ。迷宮内での経験を積むことで、やっと強者になれるというシステムである。やっとレミリアにも自覚することができた。認めたくても、吸血鬼として積み重ねてきた歴史がその認識を妨げていた。
『考え方を変える必要がある、な……』
痛い目にあって、初めてわかることがある。大失敗をして、やっと学べることがある。レミリア・スカーレットは、久しぶりに。とてもとても久しぶりに。本気になろうとしていた。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
迷宮外(永遠亭診療所):確かにありえた物語と覚醒する少女たち(その1)