ド・モット伯爵家当主は絶望していた。
モット家は水の名門であり歴史はトリスティン建国にまで遡る。
領地は豊かであり貴族の体面を保つのに当たって、他家のように家計を切り詰める必要はない。
王宮においても代々勅使を拝命しており誉も高い。
跡取り息子は壮健であり魔法の腕も既にスクウェアだ。
領民には法を厳格に適用する一方、他領よりも幾分税を軽くする事で、畏敬を勝ち取り経営は順調、治安も良い。
そして領内には美しい娘も多い。
ただし当主の領内視察中は何故か若い娘の姿が見られなくなる。
妻は聡明であり閨房でも濃密な団欒を互いに楽しんでいる。
留守中も家事を執事とともに公私にわたり遺漏無く取仕切り、留守の夫が対応できない夜間のことも独自の裁量で不満を解消する。
仕事に疲れて帰ってきた夫に鬱屈をぶつけず団欒できる女性だ。
モット伯も任務中に交流を広げることに余念が無い。 特に若い娘と。
これで何が不満なのかと思われる向きもあろう。
しかしそれでもモット伯は絶望していた。
その原因はハルケギニアとは違う世界 ― 地球にある。
地球史上、五代十国の楚に割拠した群雄の馬殷という人物がいる。
戦においては、相応の武勇と指揮能力を持ち、王としても部下を従える器量を持つ。
領地経営においても、中原の五代王朝に入貢し、販路を確保すると、
当時すでに中原や契丹に需要のあった茶を大規模に生産、流通させ、
茶以外にも木綿や絹などの産業を興し、湖南・広西の経済を大きく育てた。
また“茶仙”陸羽に憧れる無類の茶好きであり、「楚の茶王」と揶揄がてら呼ばれた男だ。
その「称号」は項羽の「楚の覇王」のもじりである。
項羽の足許にも及ばない小物という皮肉でもあるが、
本人も自分が蓋世の英雄ではない事を弁えており、乱世の五代十国の楚国二十州を平和に治める事に腐心した。
あるいは、自分の茶畑を守りきったとも言う。
ただ、後継者には恵まれず楚は実質的に馬殷一代で滅びる。
そして早い話モット伯の絶望とは ―
「茶、が、飲、み、てええええ~~~~っっ・・・・・・」
ド・モット伯爵家の当主が転生した馬殷である故にだ。
諸兄も知る通りハルケギニアには茶は無い。
わずかに東方より流れてくる程度である。
「また発作ですかあなた。先週飲まれたばかりでしょうに」
「
呆れる妻に悶えながら喚き返す馬殷改めモット伯。
本人は至って真剣だが傍から見ると正直見苦しい。
モット伯爵家は豊かな財力を持つ。
茶を買う費用ぐらいは軽く捻出できる。
しかし絶対数が足りない。金があっても物がない。
栽培を試みようにも、そもそも茶の苗木がない。
そして日常的にモット伯の醜態が晒されるのであった。
「また、ですか母上」
「見てはなりませんジュール。染りますからね」
「いつものことです。もう慣れました」
さらりと酷い事をいう妻と子にも気づかずモット伯はのた打ち回る。
ジュールはそんな父親にため息を吐くのであった。
しかし若きジュール・ド・モットには知り様がなかった。
後にトリスタニアでとあるカフェが東方の茶を売り物にする事。
それを隠居していた先代モット伯が聞きつけ、資金・技術指導の両面からカフェを強力に支援する事。
結果として正史よりも魅惑の妖精亭が苦境に陥いるという未来を。
「うふふ。
メイドの時といい、今回の件といい……
覚えてらっしゃいジュール・ド・モット伯爵閣下……」
そして父親のせいでピンクブロンドの義妹から余計な誤解と恨みを買うことを。
-- 酒バトン(改) --
ある日、モット伯爵領にて。
13歳のジュール・ド・モットはこの年にして一に酒好き、二に女好きである。
父親であるモット伯はその生活態度を見かねて息子を呼び出して注意を与えた。
「ジュールよ。その年で女はともかく酒浸りとは何だ。少しは外聞を考えんか」
父親は一に茶好き、二に女好きである。
「わかりました父上。たった今から禁酒する事に致します」
「随分安請け合いするのだな。本当に大丈夫なのか?」
「ええ、禁酒など容易い事です。私はこれまでに30回も禁酒しているのですから」
その日、腹に据えかねた父親により、モット伯城館の軒先に干し柿が吊るされた。
原材料モット伯爵公子。 どうやら前世に懲りて躾には厳しい模様である。
数日後にはすっかり酒気が抜け、より女性に好まれる色餓鬼に仕上がったという。
それはそれで問題であるが、当人も両親も、そこは特に気にしなかった。
事態が改善されるのは4年後ジュール少年が使い魔を召喚し、更にその後、許婚の尻に敷かれるようになってからの事となる。
尚、改善であって解決ではない。おかげで
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「兄貴は茶で酔えるのか。俺は酒の方がいいがなぁ」
馬殷の弟、馬やらない夫…もとい、馬賨(バソウ)「茶王一代記」より