「――で、ここに油を入れればいいんだな?」
「そうです。ここの部分も、いざ使う時になったら、周知させておかないといけないですね。動力源みたいですから」
ここは地上は人間の里、稗田家の屋敷、阿求の部屋。
その、初夏の晴れ間の縁側で、稗田阿求と上白沢慧音は格闘していた。何と? 見たこともない機械だ。
大雑把にその外見を表現するなら、台形の様な箱だ。特徴的なのは、書見台のように緩やかに傾いた面があり、ガラス板に、沢山のボタンとスイッチ類が取り付けられていることだ。外枠を形作っているのは木材だが、ボタンにはプラスティック――幻想郷では製造できない、外の世界に由来するものだ――が、スイッチには銀メッキされた金属が使われている。
さて、阿求の部屋は、縁側を中心にいろいろなものが散乱していた。これがもし阿求一人によるものであれば、間違いなく彼女は女中に小言を見舞われただろう。
散乱物の中で、一番大きいのが、おそらくこの部屋の惨状の引き金となった、ちょっとしたパンドラの箱の如き紙箱だった。紙箱の蓋にはアルファベットが打たれていた。"BIONET"と。
「後はどうするんだ?」
機械を前にした慧音が阿求に訪ねると、阿求は手に持った冊子をにらみながら答える。この謎の機械の説明書のようだった。
「今やらなくてもいいようですが、パネル面の一番右上にある、起動スイッチを押せばいいそうです。現状、機器そのものの設定を変更することはできないようになってるそうなので」
「使い手からすれば面倒がないのはいいことだが、なにぶん得体が知れなくてぞっとしないな」
「今回は今回で、ロクに理由を話してくれませんでしたからねぇ――」
阿求は冊子を畳の上に置くと、慧音の方を向いた。それに併せて、慧音は阿求に訊ねる。
「試験開始は、三日後だったか?」
「はい。その前日に、ゲリラ的なプレスリリースを予定しているとか」
「そこら辺、よく天狗を押さえられたものね――とはいっても、妖怪の山の外のことに敏感な烏天狗は、限られてるか」
「もしくは、あまり話題性があると受け取られていないのかも……」
「まぁ、幻想郷に新しいインフラを導入する、といわれても、ピンとはこないよな」
「全くです。あの方の事ですから、一体何をどこからどこまで想定しているのやら――」
二人は同時にため息をついた。それと同時に、思ったより服の下が汗ばんでいたことに気づく。やはり、この時期、晴れていると暑いものだ。
――事の始まりは、昨日の夜のことだった。
「夜分遅くに失礼しますわ」
と、阿求の枕元に現れたかの妖怪は、おもむろに阿求一人では手に余るほど巨大な箱をよこし、寝耳に水な話を始めた。
「水無月の八日より、幻想郷に新しいインフラ計画を施行します。稗田阿求、貴方には、人里を上げて、この計画に協力していただきたいのです」
寝ぼけ眼の阿求はいらだち半分、興味半分の複雑な心境で妖怪の話を聞いた。回りくどさに定評のあるかの妖怪には珍しく、話はすぐに終わった。
「この箱には、使い手の意思を、言霊に託すための装置が入っています。その言霊は空を超えて自由に交差し、網の目のように広がることでしょう。私はそのありようを見てみたいのです」
というか、それだけである。後は期日までにやるべきことと、二、三言を添えて、妖怪はあっさり退散した。おかげで、阿求は妖怪の意図を推測するために、布団の中で悶々とするはめになった。そのため、今日は危うく朝食を食べ逃すところだった。
それでも、朝一で使用人に慧音を呼んでもらい(信頼できる知識人に協力を仰げ、と指示された)、事情を話し、共に箱の中身を確認した。梱包を解き、説明書をチェックして、その機械がなんであるのかをどうにか学習する。
BIONET。バイオネットと読むそれが、新しいインフラ計画の名前だった。押しつけられた機械は、そのインフラを利用するための、端末、と呼べるものだそうだ。機械自体の名前がバイオネットと呼ばれるものではない。
「この機械を介して、一瞬にして遠隔地と手紙をやりとりできる仕組み、か。ということは、人里以外にもこの端末とやらは配布されているとみて間違いないだろう」
「ええ。どこに送れるかはまだわかりませんけどね」
説明書にはバイオネットの概要と、端末の各種取り扱いが記されていた。その概要によれば、このバイオネットという仕組みは、端末同士で手紙をやりとりできる。端末は、よく見ると、箱の内部を通るようなスリットが切られており、ここに文字の書かれた紙を入れることで、別の端末に手紙の内容を送れるというのだ。送信先は、端末のパネル面を操作して設定するが、特定の書式で書かれた文章を読ませることもできるという。それにより、送信先を入力する手間などを省けるとのことだった。
それは、外の世界でいうところの、ファクシミリに似た働きであるが、阿求と慧音には、いかんせんそのような知識はなかった。
ただ、外の世界のファクシミリと異なる点として、バイオネットの端末は、手書きの文章を読みとることで、誰が書いたかを判別できるという点だ。これにより、書き手の偽装を防止することができると注釈されていた。文書の正当性の保証にもなるだろう。
「幻想郷はエリア間の移動が困難なところは数多い。その離れた場所同士で手紙を送れるのであれば、確かに画期的な情報伝達手段となるだろう。が――」
「需要、ですかね?」
「ああ。正直言って、人里以外で手紙を交わす習慣があるのか、よくわからない。識字率自体は、野良妖怪であっても決して低いとは言えないだろうが――」
「妖怪ポストなんてものが伝えられることはありますが、まぁ俗説ですよね」
「実際、私たち人里の住人が、人里の外に文書を出すということ自体、まずないことだ。外部の人間に連絡を取るのに、江戸時代の飛脚のような専門職が必要というわけでもない」
「そう考えると、基盤というよりも開拓ですね、この度の計画は。試験、という物言いでしたし、おそらくあの方は、成功失敗という物差しで考えてはいないでしょう」
「だからこそ不気味なのよなぁ。一体そんな事をして何になるのか――それすら折り込み済みだというのかなぁ」
慧音は、眉音を寄せてうなった。彼女の目には、このバイオネットは甚だ不可解なものに見えているようだった。それについては阿求も否定はしない。
「ともかく、昼を済ませたら、永遠亭と命蓮寺あたりに顔を出してくることにしよう。推測だが、おそらく、その二カ所にも手が及んでいるはずだ」
手が及んでいる、という表現は穏やかではないが、相手が相手であるので、そう表現するほかなかった。
「お願いしてよいでしょうか? 私は里長に話を通しておきますので、早ければ今晩……遅くても二日後にでも会合を考えています。その場で、慧音先生から話していただくのが良いでしょう」
阿求が話をまとめると、慧音は、神妙な顔つきで同意した。
それから、二人は阿求の部屋を片づけ、稗田家の中庭の縁側で、共に今年初めての冷や麦を味わった。食事中、二人はバイオネットの話はあえてせず、取り留めのない話に終始した。
麺をすすりながら、阿求は表に出さず、密やかな期待を胸の内に膨らませていた。
バイオネット計画について、慧音の不安はよくわかる。彼女自身何度もこぼしている様に、この度の話は得体が知れない。その不可解さは、とても妖怪的な驚異と捉えることもできる。
しかし阿求にとっては、未知の世界を予感させるものが、この度の話にはあった。
バイオネットの基本が端末間の文書のやりとりなのは阿求も慧音もすぐ理解したが、説明書を読む限り、できることはそれだけではないようだった。
阿求が目を付けたのが、バイオネットの仕組みの一つ、「文書の共有」だ。
端末に文書を読み込ませる時、送信先を「共有」に設定しておくと、文書は特定の端末へ送られるのではなく、全ての端末で閲覧が可能なのだという。これにより、エリアをまたいだ掲示板のような扱いができるのではないか。阿求はそう考えた。
阿求がこれに利用価値を見いだしたのには理由がある。それは、彼女の一生涯の使命である、幻想郷縁起の宣伝と情報収集にまつわることだ。
今代の幻想郷縁起の編纂に際し、人里以外の幻想郷住人にも縁起の存在を知らせ、興味を持った人妖から直接情報を収集する手法を取っていた。これに関しては幻想郷縁起自体にも記されていることで、広く認知されている。
その幻想郷縁起の存在を知らさせる為に大きな役割を果たしたのが、文々。新聞など、不特定多数にばらまかれる、天狗の新聞であった。一応、紅魔館など、有名な勢力相手には、人づてに文を出して取材協力を申し出たことはある。だが、幻想郷に暮らす者達が目にする機会の多い可能性のある情報媒体は、天狗の新聞が一番であった。
しかし、天狗の新聞に広告を載せるという手段は、情報拡散という点では手っとり早く効果はあがるものの、どうやったところで、新聞発行者の都合や意図が混じる。それに速報性を優先する関係で、あまり詳細な文章を載せる余地はなく、本当に伝えたいことがぼやけることもままあった。天狗の新聞自体、信憑性というものが推してしるべし、ではあるが。
そういった煩悶を抱えていた阿求にとって、バイオネットという仕組みには、琴線に触れるものがあった。説明書を読みながら、おぼろげながらも、その仕組みを利用する展望が見えてきた。
気がかりとしては、果たして、自分のように、この仕組みに興味を持つ者は現れているだろうか。これもおぼろげな予測ではあるが、この仕組みは、不特定多数の利用者が活発に使う事が成功の鍵であろう。面白いものが好きである暇人だらけの幻想郷において、しかしこの仕組みが興味を引くかという疑念もある。
とりあえずは、動き始めてからだろう。
自分がそれまでにできることは、人里内部での理解と利用の促進だ。
「あ、色付き」
目に飛び込んできた鮮やかな色合いに、阿求は思考を中断した。
「お、私も探してたんだが見つからなかったんだ。運がいいな、阿求」
慧音は、阿求が箸で釣り上げた、色付き麺を羨ましそうに眺めた。
それは、綺麗で艶やかな桜色をしていた。
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twitterにて週間連載していた東方二次創作小説です。
前>その1(http://www.tinami.com/view/504159 )
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