No.500352

嘘つき村の奇妙な日常(1)

FALSEさん

不定期更新です/ある程度書き進んでて、かつ余裕のあるときだけ更新します/途中でばっさり終わる可能性もあります/誰が誰かくらいは予測つくと思いますが、とりあえずタグには書かないでおきます/次: http://www.tinami.com/view/501135

2012-10-26 00:02:56 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:761   閲覧ユーザー数:748

 殺人が殺人事件たり得るのは、殺人を事件と認識できる者が死者の周りにいる場合だけだ。増してや詳細が生き残りの一人もいない連続殺人ともなれば、事件となる筈もない。

 幻想郷の住人にとって、人間とは大方食糧である。物理的な意味で彼らの血肉を喜んで食む者もいれば、精神的な意味で強者に対する畏怖の心を糧とする者もいる。死んだ人間には食べ物以上の価値は低く、野垂れ死んだ豚の群とだいたい似たようなものだ。

 些か人間じみたレトリックになったなと、彼女は考えながら目の前の光景を眺める。部屋の中央には、一つの死がぶら下がっていた。

 今にも崩れ落ちそうなほど古ぼけた館の中心に、彼女はいる。

 放置されて数十年といったところか。壁の漆喰はすっかりと剥げ落ち、木材の間から寒々しい風が入り込んで、土に還ろうとする有機物の匂いを部屋に散らせている。無論その出元は部屋の中央に据えられた、悪趣味なオブジェクトに他ならない。

 人間だったものが、部屋の中央に飾ってある。

 シーリングランプの残骸に結ばれた縄が、鉛直にピンと張って、それの首に巻きついている。頭部は鬱血によって赤紫色に膨れ上がり、穴という穴から垂れ流した体液はすでに乾ききっていた。とはいえ彼自身が吐き出した汚物と、腐れ落ちつつある肉の臭気はいかんともし難い。

 

「つまりあなたが、最後の死体と。そういうことでいいのかしらね」

 

 生きているものに対してそうするように、彼女は吊るされた死体に語りかける。

 館の他の場所も、粗方調べ尽くしたところだ。

 倒れたコーヒーカップ、木を汚した赤黒い染み、そして夥しい血痕。生活の跡と死の匂いが、館内の随所に残されていた。

 しかし肝心の死体は、この部屋に存在した一つを除いてどこにも見当たらない。彼女は、その理由をよく知っている。

 

「死体は全部、持ち去られたわ。あなたを除いてね」

 

 臭気に対して眉一つ動かさず、彼女は死体に歩み寄る。その動きにつられ、後ろ手に持った白い傘がゆらゆらと揺れた。

 

「ここの連中には、人肉が好物の奴も多いからね。おこぼれに預かろうと思ったのだけれど、ちょっと遅かったみたい。あ、別に私もそうだってわけじゃないのよ。ほら、人間の体って有機物の塊みたいなものじゃない? 花の肥料にはちょうどよくてねえ」

 

 あまりにも無邪気な口調で、彼女はそう口走った。顔には笑みまで浮かんでいる。嗜虐的な笑顔だ。

 

「だけど、一体だけが残っているなんて、やっぱりおかしいと思ったわ。いくら屋敷の奥だからって、奴等の鼻がご馳走の香りを嗅ぎ逃す筈がないもの。どういう意味だか、分かる?」

 

 つい間近にまで、首吊り死体の姿が迫る。彼女は上目遣いに、苦悶で見開かれた彼の瞳孔を見上げる。

 心なしか、その体が震えているように見えた。

 

 

「今のあなたからは、人の匂いがしないわ」

 

 

 ドクン。

 今度は決定的だった。白目を剥いて硬直していた彼の体が、電気ショックを浴びせられたかのように大きく痙攣したのである。筋肉が変質して、もはや一人でに動く筈もない腐りかけの死体が。

 しかも汚い風船と変わり果てていた彼の表情には、血色が戻りつつあるように見える。

 吊るされたままの体は小刻みに震えだし、何らかの仕草を形作ろうとしていた。そして。

 

「……な、ん、で」

 

 喉が動き、口から空気が漏れ出て言葉を成した。なんと驚くべきことに、その首吊り死体は……首吊りではあっても死体ではなかった!

 常人ならば卒倒も免れえぬであろう眼前の光景を、彼女はただ楽しそうに見上げている。後ろ手を解き、傘が正面に回り込んできた。

 

「なんで、とは滑稽なこと。あなたはもう理解しているんじゃないの? 自分に何が起こったのかを」

「そ、ん、な。いち、ばん、がんじょうな、縄を、使った、のに。また、縄が、あッ?」

 

 首吊りの体が、突如くの字に折れ曲がった。彼女のチェック柄をしたスカートの下からすらりとした脚が伸びて、彼の腹を力任せに蹴り飛ばしたのだ。

 苦悶の表情が、前後左右にぶらぶらと揺れ動く。

 

「現実を直視なさい、雑草。幻想に深く踏み込んでしまったという現実をね。この通り、首にかかった縄は切れてないし、地面に足がついてもいないわ」

「嫌だ、嫌だ、そんな、僕は、もう、こんな、嫌だ」

 

 無様に腫れ上がった首吊りの顔が急激に萎んで、元の気弱そうな青年の顔が明らかになった。次々に人の形を取り戻そうとしている彼に対して、彼女はどこまでも無慈悲だった。

 

「それは嫌でしょうよ。現実から顔を背け、自分が犯した殺人を見て見ぬ振りをして、のうのうと首を吊ろうとしたのだから。だけれどもお生憎様、この世界は自己満足にまみれて死ぬことなんて許しちゃくれないのよ。そうね、私の嫌いなあいつの言葉を借りることになってしまうけれども」

 

 彼女の顔に湛えられた残虐な笑顔が、ほんの一瞬怒りと苛立ちに歪む。思い出すのも不愉快な、賢者めかした女の顔が一瞬脳裏をちらついた。

 

「幻想郷は全てを受け入れる。とてもとても残酷に。この意味が分かるかしら? この世界は何でも受け入れるけれども、一度受け入れたものはやすやすと逃しはしないという意味でもあるの。なんとまあ、素敵な楽園もあったものよね」

 

 瞳に理性の光が戻る。同時に彼は、目から大粒の涙を流し始めた。

 

「こんなの、こんな楽園なんて望んではいない! 僕達は迷い込んだだけだっていうのに!」

「食虫植物は魅力的な香りを放つの。お気の毒様ね」

 

 無造作に腕を振る。彼女が右手に持つ傘の残像が、綺麗な円弧を描いて彼に襲いかかった。

 また理不尽に殴られる。そんな予測を瞬時に組み立てたであろう彼は目を瞑った。

 だが、打撃は二秒待っても来なかった。代わりに落下の衝撃が全身を平手打ちにする。

 千切れた縄が、数瞬遅れて降ってきた。

 彼女は容赦が微塵も感じられない動作で、青年の顔に踵を踏み下ろす。屈辱的なヒールの重みで顔を歪ませていると、追い打ちの声が降ってきた。

 

「改めて幻想郷にようこそ、と言ったところかしら。そうね、まだ右も左も分からないでしょうから……しばらくの間はこの私が、直々に教育してあげる。今はまだ雑草だけれども、叩いて磨けば路傍を飾る程度には咲けるでしょう」

「教育、だって」

 

 無論、青年は不快感を露わにした。彼女の足首に手をかけるが、びくともしないどころか、ますます頬に鋭いヒールが食い込んでくる。

 

「どんな権利があって、僕があなたの教育とやらを」

「簡単なことよ。私が暇だから」

 

 簡単どころか簡潔過ぎる返答に、青年は凍りつく。

 

「勿論、あなたに拒否する権利はない。安心なさい、五体無事で解放してあげるから。飽きたらね」

「じょ、冗談じゃない」

 

 口では強がったが、青年の表情にはすでに恐怖の感情が浮き上がっている。現に彼は彼女の足を振り解く力すらなく、またそれ以外の面においても全く歯が立たないことをうすうす知覚している筈だ。

 彼はそういう生き物になってしまったのだから。

 故意か否かを問わず、手を血に染めた時点で。

 

「それは、拒否の意と受け取っていいのかしら? あなたに許された答は二つだけ。一つは、イエスと答えて大人しく私の玩具になること。もう一つは、ノーと答えて今すぐこの場で私の玩具になること。さあ、どっち? イエス? ノー?」

 

 足に力が篭る。このまま重心を預ければ、青年の頭蓋を潰すことくらいは造作もあるまい。彼女にはそれだけの能力がある。しかし。

 

「そんな教えを受けるつもりなんか、ありません。いっそ一思いに殺してください」

「あら、私に指図できる立場だと思っているの? 玩具にするとは言ったけど、殺すとは言ってないわ。それに、まだこの世に未練も残っているくせに」

 

 足首を握る手の力が、弱くなった。思った通りだ。

 

「未練、なんて」

「ありありよねえ? 無いとしたら首を吊った時に、あなたはすでに息絶えている筈。私達は完全に生き飽きない限り、死ぬことはない。あなたがたった今、それを立証してしまった。違うかしら?」

 

 青年の抵抗が、完全に止まった。十秒。二十秒。破れ窓からはいつもと変わらぬ幻想の山野が見え、清涼な風が部屋に満ちる生臭い匂いを洗い流す。

 

「一つ、聞きたいことがあります」

 

 そろそろ彼女が中途半端な力加減に疲れてきた頃、青年が口を開いた。肯定でも否定でもなかったが。

 

「いいわ、特別に許可してあげる。言ってご覧」

「僕達は最初、八人の村だったんです」

 

 死が満ちていた部屋の中、彼は粛々と言葉を紡ぐ。

 

「みんな正直者で、仲良しだったのです。それが、どうしてあんなことになったのか……途中の部屋でみんな死んでいたと思いますが、見ましたか」

「いいえ」

 

 彼女の回答は、あっけなかった。

 

「死体なんて、どこにもなかったわ。さっき言ったけれども、あなた以外は全部持ち去られたのね」

「持ち去られた……」

 

 ひときわ大きな風が部屋の中に吹き込み、彼女の緑色をしたボブカットを激しくたなびかせた。

 足元に違和感を感じる。頭を踏まれ動けない筈の青年が、小刻みに震え始めていた。

 仲間の行く末を泣いているのか、と一瞬考えたがそれは大きな勘違いである。

 

「それは、それは、どうかな。フフフ」

 

 声を震わせ、彼は、笑っていた。

 その瞬間。彼女は彼の頭に乗せていた足を一気に 床へ叩きつけた! 骨が砕け、ペースト状の肉片が周囲に飛び散り、真っ赤な花が床に描かれる。

 端整な彼女の顔に血飛沫が散るが、躊躇いはない。続いて傘を降り上げ、尖端を頭が潰れた彼に向ける。

 ドゥム!

 傘の石突に閃光が走るや、凄まじい光芒が迸って青年の体を包み込み、焼き尽くす。極太のレーザー光は壁を貫き穿って、軌跡上を完膚なく打ち砕いた。

 爆音と共に、地面が激しく揺れる。

 そして、舌打ち。

 今までになかった憔悴の色が、彼女の表情を鈍く曇らせている。青年の体があった場所は黒く煤けた大穴と変わり、奥底に完全な破壊の跡がクレーターじみて刻まれていた。

 

「いきなり、酷いな。あんなのが当たっていたら、さすがに死んでしまうよ」

 

 声が聞こえたのは、後ろからである。傘と共に、殺意を向ける。床に屈んでいたのは、異形の存在。

 

「さっきまで死にたがってた奴が、何言ってるの」

「仕方がないだろう? 事情が変わったんだ」

 

 獲物を見据える獣のような四つん這いの体勢で、青年がゴボゴボと不快な笑い声を上げる。首から上には本来あるべき頭部がない。それでは今の声は、どこから出していたというのか。

 

「お陰で、死ぬのを思い止まれたよ。僕達はまだ、終わっちゃいない。これはむしろ、始まりなんだ。正直者はいなくなった。だけど上手く行かなくて、代わりに嘘つきが残った。だったら新しく始めればいいんだ。嘘つき村としてね」

 

 突如、彼女の体が大きく沈んだ。

 床が何の予告もなく崩れたのだ。

 咄嗟に傘を上に向けて、開く。

 落下傘よろしく、傘は彼女の体を支えた。

 崩れだしたのは、床だけではない。

 壁が、天井が、砂の城のように崩れ傘に降り注ぐ。

 怪訝に周囲を見回す彼女の耳に、青年の声が届く。

 

「僕には分かるんだ。他のみんなも人間をやめて、迎えが来るのを待っているんだ。迎えに行かないといけないね。そしてまた八人揃ったら、僕達はもう一度やり直すんだ。フフフ、フフフフ!」

 

 砂の雨と化した周囲に目を配り、彼の気配を探す。視界に頼らなくとも妖気を見つけることはできたが、気配はどんどん弱まり遠ざかっていく。逃げる気か。

 崩壊が止み、彼女だけがぽつんと空中に残される。土煙りが晴れ明らかになった眼下には、もはや何もなかった。建物の跡すらもなく、まばらな雑木林と広大な野原が見えるのみである。

 彼女はそこに降り立つと、傘を閉じて忌々しげに石突を地面へ突き立てた。

 

「ちょっと、館は置いていきなさいよ!」

 

 

 

 

 八人の正直者は、楽園に行った。

 最も好奇心の強い一人が蓬莱の珠の枝に魅せられ、正直者は七人になった。

 

 

 七人の正直者は、嵐に遭った。

 最も美しい一人が風と雨の中でピエロに誘われ、正直者は六人になった。

 

 

 六人の正直者は、パーティーを開いた。

 最も幼い一人が酒も阿片も飲めずに宴を抜けて、正直者は五人になった。

 

 

 五人の正直者は、闇に閉じ込められた。

 最も聡明な一人が脱出を諦めて暗闇の中に残り、正直者は四人になった。

 

 

 四人の正直者は、コーヒーを飲んだ。

 最も大人びた一人が混入した惚れ薬を飲み込み、正直者は三人になった。

 

 

 三人の正直者は、杭を打つ音を聞いた。

 最も警戒心の強い一人が木に体を打ち付けられて、正直者は二人になった。

 

 

 二人の正直者は、朝食を食べた。

 最も早起きな一人が薬入りのハムエッグを食べて、正直者は一人になった。

 

 

 最後の一人が首を吊って、正直者はいなくなった。

 

 

 みんながみんな、嘘つきになった。

 

 

 

(つづく)


 
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