No.499500

社会科学研究会第五次活動報告

がいこつさん

ずいぶんと間が空いてしまいましたが、社会科学研究会の最新活動報告をお届けいたします。 / 日本の民俗学草創期に関わった人々を、現代の女子高生にしてみて日常を送らせてみたら、というコンセプトの連作短編です。それぞれの回同士の関連性は薄いので、お好きなところからお読みいただけます。 / 今回の登場人物は、井上えみり(元ネタ:井上円了) 隈楠ミーナ(元ネタ:南方熊楠)の二人です。

2012-10-23 19:54:36 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:396   閲覧ユーザー数:396

 

 七月の梅雨明けを間近に控えたとある夕方、親子ほどというと少々大袈裟だが、年の差を感じさせる二人組が、国道からやや内に入った建売の画一的な家の並ぶ路地を歩いていた。

「あの人、怒っていたネ」

「あたりまえですよ。あんな席で大口開けて寝ているだなんて」

 秋津学園高等部の井上えみりと隈楠ミーナは、こう見えて一年生の同級生だ。

 夕食前のいそがしい時間帯だからだろうか、外を出歩く人は少ない。せまい路地は、車の交通もほとんどなく、空調の室外機か換気扇のたてるものかは判然としなかったが、ファンの勢いよく回転する空気を攪拌する気配だけがあたりに充満していた。

 まだ日が暮れそうにもないが、影法師は長く伸びつつあり、夜の帳がそろそろと下りてきている。

「でも、ちゃんと聞いていたんだヨ」

 口を尖らして抗議の声をあげているのは背の高いミーナの方だった。金髪碧眼で高身長、胸以外はスレンダーなスタイルの持ち主は、しかし、ところどころあやしいアクセントの入る言葉づかいのおかげで、かえって幼い印象を与える。

「知らない人はそうは思わないんですよ。寝ながらでも耳に入ってきた音や声を記憶しているだなんて」

 そのミーナよりも頭一つ分以上背の低いえみりが、諄々とした口調でいってきかせようとしている。落ち着いた口調ではあるが、けれども大人びたという形容よりは、ませたという方がしっくりくるあたり、世の不合理を思わずにはいられない。

「だから、きちんと説明したのにネ」

「しかたありません。だれだって、真面目な話をしているのに、相手が寝ていたら腹が立つでしょう」

 二人は帰途についていたが、とはいっても学校からではない。正確には、下校の最中は最中であったが、間に中継点がひとつ混じっている。

 将来の希望進路は教師だと、今の時点から公言して憚らないえみりは、講演会への出席を趣味としていた。

 作家、スポーツ選手、経営者、政治家などからはじまって、新興宗教のセミナーにまで手を伸ばしているのだから徹底している。

 危なっかしいことこの上ないが、童顔と外見からは想像しがたい抜け目なさもあり、付け入る隙を与えない。

 その日も、テレビでよく顔を見るようになった大学教授の、長ったらしい演題を掲げた講演に向かう途中ミーナと出くわし、立ち話をするうちに連れ添って行くことになった。

 その結果がこの有様だった。

「どうして? あの人が話していたのは、ウチ一人だけじゃないでショ」

「隈楠さんだけじゃないからですよ。もし、他の人が真似して眠りだしたらどうします?」

「その人がウチと同じことができるなら問題ないヨ。でも、もしできないのなら、ずいぶんもったいないネ。折角、お金を払って、お話を聞きにきているのに、それをふいにしちゃうだなんて」

「ですから、隈楠さんが眠っていなければ、そんなこともしないんですよ」

「けど、その人は、寝ながら話を聞くことができないのは、自分で知ってるんだよネ。だったら、問題はその人にあるんだヨ。ウチもみんなであちこちまわっていた時、ビーストテイマーの真似をして、子トラに引っかかれてすごくパパに怒られたヨ。ほら、ココ、今も傷が残っているネ」

 ミーナは日系のアメリカ人で、日本にやって来たのは中学の半ばの頃、それまではアメリカ大陸を南北問わず、両親の経営するサーカス団に連れられて行き来する生活を行っていた。

「講演会の先生はトラじゃありませんよ!」

「今日集まっていた人達も子供じゃなかったネ」

 えみりは口をもごもごさせてなにかいおうとしたが、うまく言葉にならなかった。

「結局、あの人は、なんで怒っていたノ?」

「隈楠さんが寝ていたからですよ」

「でも、ちゃんと話は聞いていたんだヨ」

 いつの間にやら問答は一周して元の位置に戻ってきてしまっていた。

 

「別にエミリまでいっしょに帰らなくてもよかったのニ」

「誘ったわたしだけが残るわけにはいかないじゃないですか」

「ちがうヨ。ウチが勝手にくっついていったんだヨ。エミリがあんまり楽しそうに話していたから」

「そんなにはしゃいでいましたか?」

 えみりはクラスのうちでも身長が一番低く、おまけに童顔なものだから、なにかと幼く見られがちで、本人もそれを強いコンプレックスにしている。

 そんなものだから、幼さを想像させる行為には、敏感になってしまっている。

「はしゃいでいたんじゃなくて、楽しそうだったんだヨ。はしゃぐってゆーのは、よくわからないことに浮かれていることでショ。エミリは丁寧に楽しみのポイントを教えてくれたもの。だから、ウチもついていきたくなったんだヨ」

 えみりはこの時察した。ミーナは、その楽しみの邪魔をしてしまったことに気を使っているのだと。

「いいんですよ。それに、実のところ、あんまり楽しくなかったですし」

「そうなの? でもエミリ、いっぱいノートとっていたヨ」

「いいんです。友だちをあんな風にののしる人に用はありませんから」

 えみりが気分を害していたのは事実だったが、それはミーナに対してではなかった。すっかり熟睡して、その実しっかりと聞き耳をたてていたミーナを、悪しざまに罵倒した講演主に対して腹を立てていたのだ。

 ミーナはしばらくなにか考えていたが、やにわに背後からえみりの首にかじりついて、抱きしめてきた。

「エミリはいい子だネー」

「だから、それはやめてくださいってば!」

 ミーナがえみりを抱きしめると、身長差もあって、顔がちょうど胸のあたりにくるので、存分に顔といわず体といわずもみくちゃにもまれるのだ。おまけにFカップのミーナだから、完全に乳房に埋まってしまう。

 それでも、えみりが耳まで真っ赤にしていたのは、なにもその抱擁を恥じらってというばかりでもなかった。

 

「安心してヨ。もし、なにかあっても、かならずウチがエミリを守ってあげるネ!」

 えみりの抱き心地を堪能しきったのか、満面をつやつやとさせながら、ようやく腕の中の同級生を解放したミーナは、張った胸を力強くたたいてそう断言した。

「は?」

 皺だらけになった制服を整えていたえみりは、突然の申し出にあっ気にとられるほかなかった。

「なんですかそれ」

「今日のお礼だヨ。エミリはウチをかばってくれたんだから、ウチもエミリに指一本触れさせないネ」

「はは。もし、そんなことがあったら、よろしくおねがいしますね」

 やっとえみりの顔に笑みが戻った。

「案外、近い将来かもしれないヨ」

 いつの間にかミーナは足を止めて、背後をふり返っていた。

「またまた、そんなことをいって、わたしを驚かせようったって……」

 えみりも真似て背後に目を向けた。

 もっとも、これは既に強がりだ。えみりはミーナが思わせぶりな冗談をいう性質でないことを承知していた。

 はたして、二人がいま来た住宅地の間の街路に、それは立っていた。

 まず目についたのは、巨大な頭部だった。髪一本ないまんまるの禿頭は、えみりの三倍も四倍もありそうだった。赤ら顔ではまだなまぬるく、ところどころに青筋が立っている以外は朱一色に染まっている。その両側面に黒目がちの眼球が張りつき、ギョロリとほとんど背後まで見通せそうなほどに飛び出して、しきりに瞳をぐるぐる回転させている。しかし、より特徴的なのは口で、極端にすぼまったおちょぼ口は、ひょっとこよろしく前に突き出され、ただし面とは反対に曲がってからは下を向いている。

 そして衣服はなにもつけていない。

 ただし皮膚が剥き出しというわけではなく、全身を覆うものがあるにはあった。それが首元から足首までをびっしりとカバーする毛だった。茶色みがかった体毛は長さこそあれ、一本一本は髪よりも細いらしく、肩口や二の腕に生えたものは、わずかな風に乗ってそよいでいるが、それ以外の部分は絡み合いボロ布のように垂れ下がって生地の出るのを防いでいた。

 見た目通り頭と胴のバランスがよくないらしく、重そうに顔を前後左右にふらふらとさせると、足取りもふらふら覚束なくなる。それでも、一歩一歩と確実に前に進んでいた。

「な、なな、な、なんですか、アレ……」

「さあ、なんだろうネ」

「は、はははは、裸じゃないですか」

「今は夏だから。寒くはないと思うヨ」

「そうじゃなくって。ていうか、アレ、わたしたちに近づいてきていますよ」

「うーん……、多分だけどネ」

 そばかすの残る眉間に皺を寄せて、ミーナが目を凝らしてまだ距離のある怪物を観察していった。

「アレ、エミリを追っているんだと思うヨ」

「ピィッ!」

 えみりの喉の奥から、そんな、おそらく悲鳴らしき音が飛び出た。

「なんでそうなるんですか!」

「だって、アレ、ずっとエミリの方だけ見てるヨ」

「そんな……。あんな風な目のつき方していたら、どこを見ているかなんてわからないでしょう」

「わかったヨ。なら証拠を見せてあげるネ」

「ちょ、ちょっと。隈楠さん!」

 途端、ミーナはえみりの制止も聞かず、小走りで来た道を逆行しはじめた。

 距離はあるとはいえ、駆ければものの一分もしないうちに怪物と鉢合わせになり、そして、脇をすり抜けた。

「ほらネー! ウチにはぜんぜん関心持ってないみたいだヨー!」

 両手を大きく振りながら、赤顔の怪物の後ろでそう叫ぶミーナ。おかげで、先ほどの主張し合いに決着はついた。しかし、それはえみりにとって、ありがたくない結論ではあった。

 

 えみりはお化けや幽霊、怪談などといったものが大きらいだった。中学生時代から、さんざんからかいの的にされてきたし、自分でも不思議に思うことも多々あったが、結論は恐いものは恐いというほかなかった。

 啓蒙的な言説に惹かれるのも、実はその恐怖の裏返しだった。

 現実にいないものがどうして恐いのか、と問い詰められることもあったが、むしろ現実にいないから恐いんだといいかえしていた。

 しかし、いざ、そういうものと対峙してみれば、

『やっぱり現実にいても恐い!』

 という風にならざるをえなかった。

「もういやですー!」

 ミーナと二人で体験していると思えたからこそ、かろうじて越えることのなかった我慢の限界が、この時一気に振り切れた。

「あ、走っチャ……」

 本人の反応とすればいたしかたないものだったかもしれないが、えみりが半泣きで駆けだしたのと同時に、怪物もその後を追って足取りを速めた。

 あいかわらずふらりふらりと頼りない所作ではあったが、それに似合わずまるでエンジンでもついているかのような速度だった。

 ミーナはしばらくその追いかけっこを見送っていたが、やがて一つためいきをつくと、後に続いたのだった。

 

 ただひたすらに駆けた。生ぬるい夏の空気が頬をなで、足もとから熱気がまとわりついてくるのを振り払い、懸命に足を前に出した。

 だが、なにしろ運動は得意な方ではない。というより、むしろ苦手といいきれる。

 全力疾走するにも力み方がわからず、すぐに体力が底をついて、あっという間に歩いているのと大して変わらなくなる。

 背後からは足音が聞こえてくる。

 はじめのうちはひたひたと聞こえるか聞こえないかだったものが、いまやぺたぺたと自己主張の激しいものになっていた。

 距離が詰められているのはふり返るまでもなく明らかだった。

 背後からは、あの毛むくじゃらの全身で蒸らされた熱気が伝わってくるようで、かえってぞわぞわと背筋が粟立つのを覚えた。

 駆けて駆けて、それでも駆けて、とにかく駆けたが、えみりは直感的にこの追いかけっこの終わりが近いことを覚っていた。

 もうあの怪物は腕を伸ばせばえみりをつかまえることのできる距離まで迫っている。ほら、そういっている間にも、襟首に長く伸びた爪が掛かって……

「チェエエエエエエエエエエエエエエエエイヤァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!」

 怪鳥音がこだまして、同時にえみりの脇をかすめて、なにかが吹き飛んでいった。

 受け身もとらず、勢いにまかせてもんどりうっているのがあの怪物だと知り、えみりは絶句してしまって、しばらくは足が止まっているのにも気づかないほどだった。

「三十二文ロケット砲がきれいに入ったネ」

 そんな声がえみりの足元から聞こえた。

「ちょっ、隈楠さん! そんな格好でなにしてるんですか!」

 そんな格好というのももっともで、ミーナはアスファルトの上で腹這いになっていた。

「えー、エミリ、見てなかったノ? ウチが目いっぱい助走をつけたドロップキックをお見舞いしたのを」

「それどころじゃありませんでしたよ! っていうか、ひじのところケガしてるじゃないですか!」

 着地の際にすりむいたらしい。ミーナの右ひじからは、血がにじんできていた。

「たいしたことないヨ、こんなの。ツバつけとけば治るネ」

「ダメですよ! あとが残ったらどうするんですか」

 えみりはかばんの中から取り出したハンカチを、髪を結んでいたゴムでおさえて、応急処置を施した。

「ありがとうネ」

「もう無茶しないでくださいよ」

「だって、約束だったでしョ。えみりには指一本触れさせないって」

 いわれてえみりは咄嗟に怪物がもんどりうって転がっていった方向を見なおした。けれども、そこにはもはや毛むくじゃらの体はなく、真っ赤な頭のかわりに、同じくらいに大きなヤカンが一つ転がっているだけだった。

 身軽に態勢を立て直してその傍まで小走りで駆け寄ると、ミーナは躊躇なくヤカンを拾い上げた。

 真鍮製の年代もので、穴こそ空いてはいないものの、あちこちがへこんでいびつな球形を形作っている。

「ちょっと、隈楠さん、危ないですよ!」

「大丈夫だヨ」

 気が気でないえみりに対して、ミーナは平気な顔でガンガンとヤカンをたたいた。

「ウン、いまは普通のヤカンみたいだネ」

「いまはって、もし普通のヤカンじゃなかったらどうするつもりだったんですか」

「エミリを追っかけた理由を聞こうと思ったんだヨ。どこで、ヤカンの怒りを買ったのか、興味あるじゃナイ」

 ミーナはすっかり先ほどの怪物の原因を、このヤカンだと決めてかかっているらしい。

「わたしはヤカンを怒らせるような趣味はありません!」

「そんなのわかんないヨ。同じ国の人同士でも、ほんのちょっとした習慣のちがいで大ゲンカになったりするんだモノ。まして、国どころか、人間とヤカンだヨ。ボタンのかけ違いがあったってなにもおかしくないネ」

「人間とヤカンを同じレベルで扱わないでください!」

 えみりがそう叫んだのと同時に、ヤカンが抗議を示すかのように一つピィッと短く音をたてた。

「さて、ウチはまずどちらに謝ればいいかナ」

 道端でヤカンを手にして話し合っている女子高生のわきを、時代がかったトラックが通りかかった。

 ようやく夏の日も暮れかかり、ヘッドライトの明かりが目につきはじめた。そのカーバイトランプに照らされたヤカンが、一瞬キラリと笑ったように輝いた。

 


 
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