第3話「目覚めるパワー!」
昨夜のエイリアン捜索は、記憶から抹消してしまいたいと思うほど、安易だった、と美園は歯を磨きながら、ぼんやり反省していた。まだ起きたばかりで、うつらうつらとしている。鏡にうつった自分の顔は、気だるげで、左手の甲で目を摩りながら、右手で力無く握った歯ブラシを動かしていた。
鏡の上に設置された壁掛け時計に目を向ける。六時三十分を回ったところで、今日はいつもより二十分程度遅い起床だった。
洗面所から出た美園は、ふらふらと廊下を漂うように歩き、自室へ戻った。三十畳以上ある空間は、女子高生の一人部屋にしては、あまりにも広い。カーテンは全て開いており、差し込んでくる朝日が眩しく、目を細める。同時に長い欠伸が出た。
美園はブラシで髪をとかした後で、すぐに制服に着替え始めた。家から学校までは二十分程度で着くのだが、いつも、姉妹の誰よりも早く家を出ている。特に、これといった意味は無いが、家よりも学校の方が少しだけ落ち着く、という理由だ。
朝食にいたっても、普段から家では摂らない。学校へ向かう途中にコンビニエンスストアへ立ち寄り、パンと炭酸飲料だけ買い、それですませていた。「偏っていて、健康にも、お肌にもよろしくありません」と、いつか、メイドの雨庭が言った台詞を思い出す。背が低く、童顔の雨庭がそういうことを言うと、女子小学生が背伸びをしているように感じて、噴出してしまう。
スカートを履き終えたところで、「失礼します」と雨庭が入室してくる。彼女は、美園よりも三つ年上だが、痩身で華奢な体つきである上、身長は一五三センチと、女子中学生並みに低い。彼女と初めて会った、ほとんどの人が、彼女を中学生と見間違える。実際、美園も、雨庭と初対面の時、「ちょっと、小学生が私の専属メイドなわけ?」と驚いたものだ。
「今日来る予定の、新入り、鹿島瑠璃のことなんですが」雨庭は単刀直入に聞いてくる。手には昨日渡した履歴書があった。「昨日手渡された、履歴書を、何度か読み返しました。やはり、はっきり申し上げて、意味不明です」
困った表情の雨庭は、同じ女性である美園から見ても、可愛げがある。
「わかってる。あなたが、その履歴書を持って来たというだけで、あなたの言わんとすることは、ひしひしと伝わってくるもの」
そう言いながら、美園は勉強机に載ったスクールバッグの持ち手を握った。
「やはり、いくら面接にたった一人しか来なかったからって、少々、いいえ、かなり安易なのではないでしょうか?」雨庭の口調は丁寧ではあったが、声を張り上げ、不快感を示していた。
昨夜、帰宅した美園は、遅い夕食を摂った後で、瑠璃の履歴書を雨庭に手渡した。その場で素早く黙読し、読み終えた雨庭の表情は、予想以上に不満そうで、「どうしてこんな子を?」と説教口調になり、「納得がいきません!」とまだ会ってもいない瑠璃に罵詈雑言を浴びせ、履歴書を破いてしまいそうな激しさを見せた。
「昨日も言ったけど、私は直接会って話しをしたわ。彼女は本当に不思議な子で、昨日から雨庭が言い続けていることに全く共感する」と美園は、部屋の出入り口前に立った。「でも、可能性を信じるのが、生徒会長としての優しさであり、威厳でもあると思うのよ」
「み、美園様、まさかとは思いますけど……」雨庭は目を細め、恐る恐る聞いて来る。「鹿島瑠璃の面倒は、私が見ろ、ということでしょうか?」
「さっすが雨庭! 私の言いたいこと、よくわかってるじゃない。それでこそ私のメイドよ! 誇らしいわね」
雨庭の返答は待たず、美園は部屋を飛び出した。逃げるように廊下を走り、すれ違ったメイドに「走ると危ないですよ!」と注意されても「学校じゃないんだから」と軽快に受け流し、玄関まで下り、靴を履き、家を出る。
すでに紺色のリムジンが美園を待ち構えるかたちで停車しており、男性運転手が、後部座席のドアを開けて待っていた。「今日はいつもよりも遅いですね」とは言わず、笑顔で、「どうぞ」と言ってくる。すぐに乗り込み、学校へ向かう。
いつも通り、コンビニエンスストアでパンと炭酸飲料を買い、車内で完食した。
学校の駐車場で車を降り、運転手には礼を言うことなく、校門へ向かう。門柱に寄りかかって、退屈そうに身体を揺らしていた今日歌が、美園の姿を見つけると「おっはよー!」と手を振る。「おはよう」と美園も、無愛想に挨拶をし、立ち止まることなく、校門を抜けた。今日歌がその後に続いて歩く。「今日は遅かったね」と話しかけてくること以外、いつもと変わらない日常だ。
「エイリアンの件なんだけどさ」と今日歌は無邪気な子供のように、わくわくした口調で、歩きながら美園の顔を覗き込んだ。「美園の生徒会長という地位を利用して、第四理科室を家宅捜索するっていう案はどう? それなら、新聞部員を総動員させるつもりがあるけど」
「第四理科室」と聞いて、昨夜起こったことを思い返す。脳内のウェルカムボードには、挙動不審な映研部員達、踊り場で見た不気味な、エイリアンっぽい影、真っ暗な第四理科室内、頭にかかった謎の液体、手術台のような実験器具、それぞれが同じサイズの写真で並んでいる。ボードの真ん中にどんと勢い良く張られたのは、ガラスの割れた第四理科室のドアだった。ほかの写真とサイズが明らかに違い、大きく、覆いかぶさるようだ。
美園は足を止めていた。気づかずに歩いた今日歌が、少し行ったところで止まり、「あれ?」と振り向く。「どうしたの美園?」
「全く、昨日はどうかしていたわ……」美園はそう呟き、頭を抱えるような仕草をした。朝に感じた反省の念とは異なり、「放っておけばまずいことになる!」ともう一人の自分に怒鳴られているような、鬱陶しさがある。
怪訝そうな顔をし、歩み寄ってくる今日歌に、第四理科室のガラスを割ったまま放置していたことを話す。「あ、そういえばそうだったね」と今日歌は、たった今思い出したようだった。あはは、と二人して笑いあう。それで気が紛れ、忘れられるのであれば、ずっとそうしていたい。
「あそこ、科学部がいつも実験とかで使ってるから、見つかれば相当まずかもね」今日歌の声がだんだんと小さくなる。「警察沙汰にまで発展するかも」と無責任に言い、諦めた様子で肩をすくめた。
美園はスカートのポケットから携帯電話を取り出し、現在の時刻を確認する。画面に映ったアナログ時計は、七時十五分をさしていた。校庭では、テニス部員が二列になり、声を張り上げ、コートの周囲をランニングしている。野球ボールが目の前に転がってきた。今日歌がそれを拾うと、転がってきた方向目掛けてなげる。「ありがとうございますっ!」と野球部員が、腹から出た、覇気に満ちた声で礼を言った。
「今日歌、今すぐに第四理科室へ向かいましょう」美園は神妙な面持ちで言うと、踵を返し、すでに通り過ぎた一棟の昇降口へ向かう。三棟校舎は主に一年生の教室が入っている。第四理科室も、生徒会室も一棟だ。すでに、騒ぎになっている可能性もある。
昇降口手前、三段ある階段を一段だけあがったところで、「ちょい待ち!」と今日歌に腕を掴まれ、引っ張られた。振り向くと、今日歌は「あたしに良い考えがある」と肩に掛けていたスクールバッグの中から、一枚のルーズリーフと、両面テープを取り出し、得意げな顔をする。
「そんなものでどうしようっていうのよ」
ぞろぞろと足音を立てて昇降口に入っていく一年生は、生徒会長である美園に気づくと、会釈をしたり、「おはようございます生徒会長!」と元気良く挨拶をしてくるが、美園は返さず、手を小さく振ることにとどめた。
「まあ見てて」と昇降口に入った今日歌は、下駄箱の側面を下敷き代わりにし、寄りかかるような体勢で、ルーズリーフに何かを書き始めた。こちらに背中を向けているため、何を書いているのかはわからない。
「これでよし、と」今日歌はポケットにしまうと、ひらりと振り向いた。「これを第四理科室のドアに張り出しておけば、万事解決だねっ!」とルーズリーフを寄越してくる。
書きなぐったせいなのか、下駄箱の側面では、でこぼこしていて掻きづらかったのか、辛うじて読めるほど、字が汚い。
『科学部部長様へ。この貼り紙を見次第、生徒会室に来るように。──生徒会長』
ルーズリーフにはそう書かれていた。「『あたし達は、エイリアンを見たんだ。科学部がいったい何を隠しているのか、お見通しなんだぞ! 白状してもらうぜ!』というような感じですぜ会長!」と悪の下っ端じみた口調で今日歌は付け加えた。
元々、美園は科学部部長にエイリアンの件で問い詰めるつもりでいた。第四理科室のドアのガラスが割れたのは、何と言われようと美園の仕業ではない。ただ、エイリアンはたしかにいた。昨日の捜索方法が、『エイリアン』ときいてまともな判断力を失い、とち狂っていたとはいえ、あれが幻覚だなどとは、とても思えない。ガラスが割れる音だって、幻聴なはずがない。
階段を上がり、第四理科室の前につくと、美園は溜め息をついた。案の定、一年生達が群がっていた。ざわざわと騒がしい。ガラスの割れた部分から、物珍しそうに中を覗き込み、「ねえ、ガイコツあった?」などと小学生のような幼稚な会話を繰り広げるのが聞こえた。
一人の女子生徒と目が合った。目の前に現れたものをすぐに口に出す性格なのか、「生徒会長!」と声を張り上げた。その声を皮切りに、野次馬達が一斉に美園の方に視線を向けた。この一連の行動があまりに唐突だったものだから、美園は身体を仰け反らせ、大いに驚いた。
美園は咳払いをし、冷静さを取り戻すと、野次馬の群れに歩み寄り、「あなた達、さっさと教室に戻りなさい。ここは、とーっても危険なのよ? あとのことは、私達役員に任せてください」と穏やかな口調で、立ち去るように指示した。幼稚園児をたしなめるような、軟弱な言い方で、見様によっては、馬鹿にしている風に見えたかもしれない。
野次馬はぞろぞろと散っていく。その様を引き攣った笑顔で見送ると、即座にドアに向き直った。「生徒会長は笑うのが苦手」と嫌味のように言う今日歌は無視し、戸締りを確認する。ドアノブを握り、捻ると、あっさり開いた。思わず今日歌と顔を見合わせた。
よく、誰も中に入ろうとしなかったわね、と野次馬を賞賛した後で、がちゃん、とすぐにドアを閉める。今日歌から、先程のルーズリーフを受け取り、裏側に両面テープを貼り、ドアの下部に貼り付けた。薄い字なため、普通にここを通った場合、気づくことなく通り過ぎそうだったが、まず、ガラスが割れていることに気づいて、芋づる式で、この貼り紙の存在にも気づくだろう。とはいえ、一年生へ向けたメッセージではなく、科学部の部長へ向けたメッセージなのだから、その心配をする必要はない。後は生徒会室で待機するだけね。
今日歌は、「予鈴鳴る前に行かないと」と足早に階段をおり、二年生の教室がある二棟へ向かった。美園も、五階にある生徒会室へ向かう。
五階は、教室などは無く、長い廊下があり、突き当たり、先が膨らむように、広いスペースがあり、その真ん中にはおしゃれな丸テーブルが置かれている。床には赤い絨毯がしかれて、天井の蛍光灯がついていないため、小窓から差し込む光がくっきりしていた。ここに初めて来た生徒は、口々に「お城みたい」と言い、ゲームやアニメの世界と重ね合わせる。その表現はあながち間違ってはおらず、なんとも上品な雰囲気を漂わせていた。
赤い観音開きのドア、その向こうが生徒会室だ。
バッグから鍵を取り出し、慣れた手つきで錠に差し込み、捻る。中に入る。百畳以上はある広い部屋を見ると、高ぶっていた気持ちが和らぎ、穏やかな気持ちになる。床は大理石で、東側の壁はカーテンで覆われているが、全面ガラス張りだ。室内を見渡せる位置に、プレジデントデスクが構えてあり、美園はいつもそこにつき、生徒会長としての職務をこなしている。
カーテンを全て開くと、電気をつけなくとも、室内は十分に明るくなる。デスクにつき、ほっと息を吐いた。
インターフォンが鳴ったのは、ちょうどその時だった。
「少しは休ませてよ」とデスクの上、二つある受話器のうち、右側のを取り、応答した。「はーい?」と美園の間延びした声とは相反するように、受話器の向こうからは、「科学部部長の電磁朗(デンジロウ)だが、第四理科室の貼り紙を見て駆けつけた」と冷淡な口調が聞こえてきた。
「ああ、科学部のね」と言い終わる前に、美園は受話器を放っていた。ひょいと椅子から立ち、出入り口へ向かう。
ドアを開けると、電磁朗が不愉快そうな顔をして立っていた。まとっている白衣が賢明さと明哲なオーラを放っている。いかにも賢い、とった装いだ。眼鏡の奥の細い目は、突き刺すような鋭さがあり、「おはようございます会長」という挨拶にも、棘を感じた。
「あなた、随分早く来たのね。あの紙、ついさっき張り出したばっかりなのよ」美園は、入って、と突き出した手を室内に向けた。
デスクにつくと、前に電磁朗が立った。「用件は何です? それに、あの割れたガラスはいったい?」と淡々とした口調ではあったが、焦りを感じる。「部屋の中が荒らされていました。それに、私達が独自で開発した薬品がなくなっています。あなたがこれから私に話すことは、全てこれらと関係性があるのですよね?」
「あの薬品って」
「いったい、何があったんです!」と電磁朗が怒鳴った。デスクに両手を叩きつけ、室内に乾いた音が響き渡った。広いため、よく響く。
「何なの? あの薬品」美園は動じることなく、腕を組み、堂々とした態度で、訊く。
昨晩、真っ暗な第四理科室で、倒れてきた書物を避けようと、瞬時に身体を動かし、実験用テーブルに身体をぶつけた。その振動で、テーブルに載っていた怪しげな薬品が入ったビーカーが倒れてしまい、それが頭にかかってくる、客観的で、鮮明な映像が念頭にあった。あの、べっとりとした気持ち悪い感じを、思い出し、思わず「うえ」と舌を出してしまう。
「あの薬品のことを、知っているんですね? いったい、どうしたんですか! あれは、我々にとって、とてつもなく重要な研究なんですよ!? 何があったのか、きちんと説明してください!」
眉間に皺を寄席、迫ってくる電磁朗の表情は、過失を犯した部下に対し、厳しく叱責する先輩のようで、無性に腹が立った。「さあ? いったい、何のことかしら?」と白を切る。それが無益だということは、言いながら重々承知だった。
「往生際が悪いですよ会長。生徒会長がそんなだから、この学校は、落ち目だと笑われるんです!」
頭を回転させ、言い訳を必死で思案していると、昨日、今日歌に手渡された大学ノートサイズの紙を思い出した。科学部は生徒会に、資金援助をしてほしいと嘆願している。人の弱みに付け込むようなことは、得意だった。咄嗟に「それが、生徒会長に資金援助を求める態度なの?」と口走る。
電磁朗の目は、怒りのあまり充血していて、今にも眼球が飛び出し、電磁朗の分身となり、かぱっと口を開き、怒鳴り散らしてきそうな勢いだ。理性を失うとまずい、と感じたのか、前のめりになっていた姿勢を戻し、「あの薬品は、まだ試作段階です。完全なものを作るには、生徒会の支援が必要不可欠だということは、確かです」と悔しそうではあったが、冷静な口調で言った。
「あの薬品」という電磁朗の言い草は、単に彼が頭の中でその薬品を思い浮かべていただけではなく、美園がその薬品のことを知っている、と断定している風に聞こえた。
「生徒会長。お願いです。正直に話してください!」
「何度聞いても同じ。私は、知らないわ。そんな薬品、知らない」
本来、エイリアンのことと、ついでで薬品のことで電磁朗を問い詰めるために、生徒会室へ呼んだというのに、薬品のことを知らないと言い張るのは、思考の中で矛盾が生じた、と感じた。美園の喉は、プライドが管轄しているのか、「薬品を頭からかぶった」などという発言は規制され、無理矢理にでも、「知らない」と貫くように指示された。
「第四理科室のドアの窓が破損していました。そのことについては、何かご存知なんですか?」
美園は返答に困る。薬品のことを否定した以上、第四理科室に無断で入り、怪しかったので呼び出した、なんてことは言えない。適当な嘘をつこう、と頭を急回転させる。
予鈴が鳴ったのは、ちょうどそのときだった。危機を救われた気分になったが、電磁朗は、この場を離れようとはしない。仮に、今は逃げれたとしても、電磁朗は放課後にまた、「本当のことを話してください!」としつこく詰め寄ってくるだろう。こういう手合いには、あやふやなことを言い、混乱させるのが一番良い考えなのかもしれない。
、
「第四理科室のドア? それはこっちの質問よ! 割れたガラス、見たわ。あれはいったい何なの? どんな危険な実験をしていたのよ! エイリアンでも作ってるのかしら」
発言した自分でも、荒唐無稽だと噴出しそうになる。さりげなく、エイリアンのことを口にしたが、電磁朗の表情に動揺は見られない。
「あのままガラスを放置するなんて、いったいどういう了見なの? 危ないったらありゃしないわ。実験の後始末くらい、自分達でやりなさいよ。誰か気の利く生徒か教師が来て、片付けてくれるとでも思っていたわの?」と電磁朗から、あからさまに目を逸らし、忙しい早口で言い切る。
恐る恐る、電磁朗の顔に目を向けると、「信じられない」と彼は洩らし、口をぱくぱくさせていた。その表情は、驚愕という言葉がぴったりと当てはまった。
美園は、今更ブレーキをかけるわけにもいかず、「放課後、また話をしましょう」とデスク上のデジタル時計を見ながら、もう帰って、と手で払う仕草をした。
電磁朗は、無言で、生徒会室を出る。その背中は、怒りに震えているようにも見えた。
落ち着くために立ち寄ったはずの生徒会室では、電磁朗のせいで、全く休むことができず、すごすごと生徒会室を出た。あと五分もしないうちにホームルームが始まる。そのことが頭を過ぎると、急ぎ足になった。
慌てて階段を降り、昇降口を出る。三年生の教室があるのは、一棟で、校門から一番遠い。さらには、美園のクラスである三年四組は、四階にある。今から走ったところで、間に合わない。授業に間に合えばいい、という思いではあったが、走る。
校庭にはほとんど生徒がおらず、無人島に取り残されたような、疎外感を感じた。開いた窓からざわざわとはしゃぐ声が聞こえてきて、それだけが心の支えのように思えた。
どくん、と心臓が強く鼓動した。一棟校舎前で、足が止まる。すぐ目の前に昇降口があるが、身体の様子がおかしく、これ以上、足を進めることができない。
身体中に、何か、もやもやとした霧のようなものがまとわりつく感覚で、気持ち悪くも、心地よくもあった。混沌としていて、はっきりとしない。もやもやは、身体を撫で回したかと思うと、足元に集中した。目には見えない。ただ、足が痙攣したように震えている。
意識するより先に、美園は校舎を見上げていた。目を眇め、屋上に狙いを定める。背後を、遅刻した女生徒二人が「やばいやばい!」と叫びながら通り過ぎた。それでも、集中力が途切れることがなく、足元に意識を集中させていた。
いったい、自分の身に何が起こっているのか、さっぱりわからない。わからないが、ものすごいエネルギーを身体中に感じる。美園は、悟ったように、石畳に膝をついていた。陸上選手がスターティングブロックにつく姿勢だ。
勢い良く、飛び跳ねた。「うわ!」と背後を通りかかった男子生徒のものと思しき声が聞こえた。
下を見ると、男子生徒の姿が真下にあり、その表情は驚いているが、恥ずかしさも伴っている。スカートの中が丸見えだと気づいたのは、数秒してからだった。「きゃあ!」と思わず隠す。
自分が飛んでいることに、さらに驚く。数センチなどではなく、数メートルも飛んでいる。翼が生えたみたいに、身体が宙に浮いている。美園は目を見開いた。足元を見下ろす。きらきらとした粉塵のようなものが、虹色の光を放ち、美園を押し上げているようだった。それが足の裏から出ているものなのかはわからないが、妖精みたいだ、と面白く感じた。表情は、すっかり笑顔になる。
あっという間に、屋上にまで達し、ふわふわと着地した。すぐさま、足の裏を見た。何も異変はない。穴が空いて、そこから光の粉があふれ出ていると思ったが、期待はずれだった。屋上の金網に体当たりするかたちで、昇降口の前を見下ろした。
先程の男子生徒の他に、複数の生徒が集まり、あんぐりとこちらを見上げていた。目を擦り、これが現実なのか、と確かめるような仕草をする生徒もいる。その場にいた誰もが、美園自信も、自分の目を疑った。
その場で、もう一度、飛び跳ねた。先程と同じように宙に浮くことができた。浮く、というよりは、重力が軽くなっている、という方が正しいのかもしれない。ずっと浮遊していることはできず、ふわふわと着地した。
「すごい!」と思わず声が漏れる。これはまさしく超能力だわ、と何もなっていない手のひらを見下ろし、不吉に微笑んだ。
いったい、どうしてこのような能力を身につけてしまったのか、考えるより先に、美園は屋上を後にした。階段をおり、教室に駆け込んだ。遅刻ではあったが、ギリギリ、授業には間に合った。美園がついた直後にチャイムが鳴った。
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科学部部長・電磁朗、登場~美園、魔法能力覚醒 まで。