寝苦しさか、それとも暑さの所為か。理由は自分でも判らない。
(……何で夜中に目ぇ覚めちゃってんの、俺)
ごろんと布団の上で寝返りを打った高尾は、暗闇の中で天井を見上げ、深く嘆息する。
周囲の寝息に混じって遠くから微かにさざ波の音が聞こえて来る。手を伸ばしてスマートフォンの画面をタップすると、暗闇の中ぼんやり光る画面が示す時刻は、草木も眠る丑三つ時だった。
(夏合宿、か)
高尾が秀徳高校へと進学して、二度目の夏を迎えていた。
二年へと進級した高尾と緑間を中心にスタメンが再編成され、今年の秀徳も昨年と遜色ない強さを誇っている。
今年の合宿では、吐き気がするほど――というか実際、主に一年生達なのだが吐く人間が後を絶たないくらい、前年に負けず劣らないキツさの練習メニューが組まれた。
昨年よりもかなり善戦したインターハイは既に幕を閉じたが、前年味わったウィンターカップの惜敗を胸に、秀徳バスケ部員は冬に向けてより一丸となり、誰もがハードな練習に励んでいた。
日程がずれたのか、はたまた他の宿で寝泊まりしているのかは判らないけれど、秀徳バスケ部が毎年泊まる伝統の宿舎に、去年は居た誠凛の姿は見えなかった。
彼らが居た昨年は色々刺激しあえたので、少しばかり楽しみにしていたのだが。
(ま、去年はうちも誠凛もインハイ予選で落ちたからたまたま時期が重なっただけなんだし。カンフル剤が少なくてちょい物足りないけど、そればっかはしょーがないか)
物足りないといえば、大坪や宮地、木村が卒業してしまったのがことのほか寂しく、特に宮地の怒声という名の発破がないのに、何とも言えない物足りなさを感じざるを得ない。
口が悪いと見せかけて実はツンデレなあの先輩にこの事実を聞かせて、表情の変化を楽しみたいところだ。今度大学の講義が早く終わる日にでも、後輩指導を願い出るという名目で呼んでしまおうかと高尾は悪戯に画策する。
(――とか考えてないで、さっさと寝ねーと明日保たないっての)
寝よ寝よ、と再び体をごろんと九十度転がすと、そこには気持ちよさそうに寝息を立てている相棒が居た。
唯我独尊で部内限定の我が儘三回ルール持ちで、意外と天然でおは朝占い信者で変人の呼び声が高いけれど、秀徳バスケ部の中で誰よりもストイックに練習をしていて、バスケに対して愚直なまでに真摯で、天才と呼ばれる称号の影で尽くせる限りの人事を尽くす努力を怠らない。
我らが秀徳の誇るエース様である緑間真太郎も、周囲の多分に漏れず、練習の疲れから熟睡している。
当然ではあるが、普段かけているアンダーリムフレームの眼鏡は枕元に置かれていた。顔を洗うときと風呂に入るとき、こうして寝るとき以外は基本的に素顔を晒さないので、こうして緑間の素顔を長く見ていられる機会など滅多にない。
別に眼鏡を外した顔が嫌いというわけではなく、緑間の場合、ただ単に視力が弱い為に眼鏡が手放せないというだけなのだが。
灯り一つ無い室内だったが、布団が隣同士なうえ、暗闇に目が慣れているのも手伝って、緑間の顔がはっきり見える。
(つーか……真ちゃんって、こうして改めて見るときれーな顔してんなあ……)
同学年の男に対して使う表現出ないのは重々承知しているが、全体的に整った造形をしている、と感心してしまう。
閉じていても判る長い睫毛。切れ長で細い瞳は知的な印象を醸し出す。さらりと流れる清潔さを感じる髪に、面長でシャープな顔の線。白磁とまでとは言わないが、男にしては滑らかな肌はクラスの女子が羨むほどだ。
これで成績も良ければバスケの才能も無二と言えるものをもっているのだから、天は二物も三物も与えるのかと神様に文句を言いたくなる。
だが与えられた物に奢らず、常に人事を尽くしている緑間だからこそ、高尾は認めているのだ。
昨年、雨の中一人で涙を流していた姿が高尾の脳裏に鮮明に思い出され、今の緑間と重なる。
たったの一年でそうそう顔つきは変わらないが、他人を排除するような雰囲気は薄れ、険の取れ和らいだ表情を見せるようになった緑間は、去年よりも確実に周囲へ人を呼び込んでいた。
それでも高尾が公私ともに一番親しくしているのは去年も今も変わらない。
(真ちゃんに、もし俺より仲の良い奴とか出来たら――や、キセキは別として。っつか、今の俺だったらキセキの奴らよか真ちゃんと仲良い自信あるけどな)
脳が半覚醒の所為か、ころころあちこちに飛ぶ思考を抱えながら、なんとなくじっとそのまま寝顔を見続けていると、不意に緑間の唇が薄く開き、深く息が吐かれた。
「……真ちゃん、起きた?」
声音を抑えてほぼ吐息のみで高尾は問いかけてみるが、緑間からの返事はなく、全く反応を見せない。
やはり熟睡したままのようだ。
小さく吐息が出入りする唇へ、なんとはなしに視線が集中してしまう。
形の良いあの唇から、自分の名が紡がれるのが好きだ。
自分に対して特にぞんざいに見える言動は、決して無下に扱われているのではなく、ただ単に遠慮が無いというだけで、それだけ緑間が自分に対して親密さを感じている証だ。
周囲には大変だなとか苦労してるだろと言われるけれど、その度に高尾の中は優越感で満たされた。
一年の時よりも確かにとっつきは良くなったが、それでも緑間を扱うには高尾がいなければ、というのが、クラスでも部内でも最早周囲の共通認識になっていることと、それを緑間が特に否定しないのも、優越感に拍車をかけていた。
高尾、と。
心地良いテノールで自分を呼び、たまに無茶振りをしてくるのもやっぱり自分にだけで、それが何故だか嬉しい。
(俺達の――俺のエース様だよ、真ちゃんは)
不意に、緑間の唇が無音を奏でて言葉を発する。
何か夢でも見ているのか、僅かに形を変えた唇の動きは、たった今『たかお』と自分を呼んだ脳内の緑間と完全に重なった。
「あー……キス、してえ」
無意識に自分が発した言葉に目を瞬かせて振り返り、ハッと我に返った高尾は一気に脳が完全覚醒し、がばっと上体を起こして口に手を当てた。
誰にも今の言葉を聞かれていなかっただろうかとぶんぶん周囲を見渡すが、幸い全員疲れ切って熟睡しているようで、起きている気配は全くない。
ホッと安堵して肩を降ろしたのも束の間、自分の発した言葉を改めて思い返す。
(お、俺今なんつった? なんつった?)
ばくばくと煩い心臓を沈めるように、もう一方の手でシャツの胸元をくしゃりと掴む。
全身からじんわりと汗が噴き出るのが手に取るように判る――決して、暑さの所為では無い事も。
<<続く>>
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