No.485837

幸せの定義

一色 唯さん

【Update:2012/05/22、Remove:2012/09/18】
pixivで公開していた、原作の二人のちょっとした小話。
飲み屋で酒を嗜んでいる時の何気ない一コマ、両片思い。
(pixivで公開していたものを移転しました)

2012-09-18 22:22:34 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:735   閲覧ユーザー数:734

 

 

 ざわざわと賑わう広めの飲み屋。カウンター席へ座った俺たちの背後では、座敷で飲み騒ぐ、色んな人間の声が聞こえてる。何てことはない、いつも訪れる度に目にしている、日常の光景だ。

 そのざわめきの中からたまたま偶然耳に飛び込んできた、ひとつの台詞。注意して聞き耳を立てていたわけではないが、その言葉が耳へ届いた瞬間、隣で酒を飲んでいた万事屋の肩がぴくりと跳ねた。

 

「幸せで何が悪いんだ。俺は自分で努力してるから、今の場所に立ってんだよ」

 

 特に大きな声だったわけではないと思う。誰に向けて言ったのかなんて知らないし、どの人物が何を思って言ったのかも、他人の俺には知る由もない。

「……」

 だがその言葉を聞いた瞬間の万事屋の表情は、何故か、ひどく苦しそうで。眉を顰め、グラスに添えている指が力んでいるような感じがした。

 呼応するかのようについ、と堕ちた視線。

「……っ」

 その寂しそうな横顔は、俺の胸に鈍く、けれど確実に突き刺さった。

 

 背中越しに聞こえた、知らない誰かの――本音なのだろう。

 カウンターへ置いたグラスが、カタン、とやけに大きく響いたような気がする。

 

「幸せって、何なんだろうな」

 

 手にしたグラスの酒をちびりと口に付け、隣で万事屋がぽつりと言葉を零した。

「さぁ、な」

 手の内でゆらゆらと揺れる酒の水面を見つめながら、同様にぼそりと呟く。

「なりたいと思っても、なれるもんじゃねえ。望むものに形があっても、自力で掴めるとは限らねーんじゃねえか?」

「うん」

「……けど、実際は、気が付いたら足元に色んな形で転がってる。そういうワケわかんねーもんだろ。幸せなんて」

 低く、自分へと言い聞かせるように呟きながら透明のグラスを微かに揺らすと、波紋が出来て、ゆっくり外側へと広がっていった。

 

 一息に紡いだ言葉に、深い意味合いはない。漠然と思ったことを、ただ口にしただけだ。実際のところ、自分自身では幸せなんて実感したことがない。だから、今の自分が幸せかどうかもわからない。少なくとも、不幸だとは思わないように心がけている。その程度であり、別に自分から率先して幸せを感じようとか、幸せになりたいなんて考えたこともなかった。幸せなんて、自分にとって本当にどうでもいいことであり、他人がどう思おうと勝手だと思っている。

「……そうだな」

 けれど。

 隣をちらりと窺い見ると、万事屋は神妙な顔つきをしていた。

 飲むわけでもなく、ただじっとグラスの縁にくちびるを付け、何かを考えていろような感じだ。カウンター上の照明が白い頬へ仄暗い影を落とし、哀愁を感じさせるような雰囲気を醸し出している。

「努力したってその場所に立てねえ奴もいるってのに。皮肉なもんだ」

 視線の先で、万事屋の横顔が儚く歪んだ。

 ふ、と息が漏れ、長めの前髪によって目元の影が色を増す。

 その変化に、つきり、とまた胸の奥が痛んだ。

「俺は、自分が不幸だとは思ってねえよ」

「あぁ」

 

――知ってるさ、そんなことくらい。

 

 お前がどんな生い立ちを経て、どういう思いをひた隠しながら今を生きてるか。詳細ではないにしろ、俺は知っている。職業柄知り得た部分が大半だが、それを垣間見て知り得たからこそ、俺はお前を不幸せだとは思いたくない。ましてや他人の俺が、幸だ不幸だと、お前の歩んできた道を勝手に決め付ける権利はないだろう。

 

 そう思っていることは、直接声に出すつもりはないけれど。考えが、少しでも隣の男へ伝わればいい。そう思って、俺は真っ直ぐに隣を見つめていた。

「家に帰りゃ今でこそ神楽や新八がいるけど、最初からずっと一緒にいたわけじゃねえし。ただいまっつっても、誰の声も返ってこないのが当たり前だった」

「……」

「でも、そん時はそれでもいいと思ってたんだ」

 深く静かな声が耳を掠め、店内のざわめきの中へとかき消されていく。

 真選組の屯所こそ大所帯で常に誰かしらの人が詰めている。しかしそれは、家族のようであり、やはりどこか家族とは違う絆だった。真の家族など、自分も無いに等しい。

 手の中のグラスをゆらゆらと揺らしていた万事屋が、ふ、と自嘲のような息をついた。

「帰っても、家で飯作って待っててくれる家族がいるわけじゃねーしさ。たまーに虚しくなったりすっけど」

「……寂しいなら嫁さんでも貰えばいいじゃねーか」

 ふん、と鼻を鳴らしてぶっきらぼうに告げると、隣の男は目元を緩め、『ンなもん要らねーよ』と苦笑いした。

「俺は家族が欲しいわけじゃねえの」

「……だったら、」

「いいんだよ。別に」

 そう言って、万事屋はグイッと酒を一気に煽った。酒を飲み下す度に上下する喉を見ていると、空になったグラスを片手に、ん、と手の甲で口を拭う。

 男らしい仕草だ。

 

「自分が幸せだとか、そーゆうのは俺だって正直わかんねえ。けどよ、傍にアイツらが居てくてて、笑ってくれりゃ、その瞬間が幸せなのかもしんねーなと思うわけ」

「まぁ、そうかもな」

「好きなことして、好きなもん食って、飲んで、好きな奴らと過ごすのが幸せだってんなら、俺は幸せなのかもしれねえ」

 そこで一度瞬きをして、俺の方へ顔を向ける万事屋。緩く跳ねた銀色のくせ毛が、首を動かした振動でふわりと揺れる。

 儚い笑みを浮かべた顔に、とくん、と心音が乱れた気がした。

「けどさ、」

 カウンターへ頬杖をついて、正面から向けられる眼差しから、目を逸らすことが出来ない。

「俺ぁ……オメーとこうして肩並べて、馬鹿みてーに酒酌み交わしてられる瞬間が、一番幸せなんじゃねーかって思うんだよな」

「……ッ」

 反射的に言葉を詰まらせてしまい、ぐ、と息を飲んだ。

(ふざけんな……!)

 よりによってこのタイミングで、そんな顔して、何でもないことのように言い放つなんて。卑怯にも程がある。

 仮にも俺は、俺たちは、睦言を言い合うような間柄ではないはずだ。敢えて互いの感情の一部を隠しているからこそ、こうして時折傍で酒を飲んだり、童心にかえって喧嘩が出来る。なのに、そんな事を言われてしまったら、腹の底へ押し留めた感情が暴れだしてしまう。どうやって切り返せば良いのか、わからなくなる。

 馬鹿か、コイツは。

 言っている意味が解ってんのか、この馬鹿は。

 

 

 穏やかに目を細め、ただひそやかに、自分へ向けて視線を投げかけてくる万事屋。

 そんな顔をされて、脈拍を上げている自分は、もっと馬鹿だ。

 

 コイツが俺と過ごす何でもない時間を幸せだと思うのは、コイツの勝手で。コイツに幸せかもしれないと……、そう思わせているのが、他でもない俺自身だという事実に、密かな喜びを感じるのは俺の勝手だ。

 つまりは、そういうことなのかもしれない。

(所詮は独り善がり、か)

 結局は、カタチなんて有って無いようなものだということだ。何らかの情があり、情の先にある、カタチのない歓喜へ触れた時に、己だけが知ることの出来る領域。

 きっと発端の発言をした者は、その地点に立っていることを誇りに感じていたのだろう。

 しかし、それは同時に、自分への慢心も意味する。

「そりゃありがた迷惑な話だな」

 隣の男が先ほどしたように、自分もグラスを掴み、残っていた酒を一気に飲み干した。

 アルコールが喉を下り、臓腑へと染み渡っていく。身体の内側から焼け付くような、この熱い感覚は、嫌いじゃない。コイツの隣で酒を煽り、上がる脈も。意思とは関係なく薄く色づいてしまう頬も、潤んで下がってしまいそうな目元も。コイツの隣で自制が効かなくなりかけている自分も、全て嫌いじゃないんだ。本当は。

 でも、そんなことは、コイツに教えてやるつもりはない。断じて、ない。

「俺ぁテメーに幸せ感じさせるために、一緒に飲んでるわけじゃねえ」

 自分への歯止めとして、戒めの言葉を声に出す。少し乱暴にグラスを置いたのも、呟いた言葉も、全て自分自身を律するためだった。

 俺は、俺自身が、テメーの笑う顔を見たいから、こうして隣で肩並べてるんだ。でも、それが幸せだとは認めねえ。カタチとして認めちまったら、その瞬間から、この状態を維持しなきゃならなくなる。幸せなんていうカタチを、俺たちが維持出来るわけないのは、他でもない俺たち自身が一番よく知っているはずだ。だからこそ、幸せなんて言葉で当てはめちまいたくねーんだよ。

「何だよ。ほんっと素直じゃねーなオメーは」

 口の端を上げて、情けない顔をする万事屋。

「そこはアレだよ。お世辞でもいいから、銀さんが一緒じゃないとつまんなーい、って言っておいて損はねーよ?」

「ハッ。誰がテメーにそんなこと抜かすか」

「相手してくれる奴がいなくなって寂しいー、とか」

「言わねーよ」

「銀さんに恋人が出来て、そっちのけになったらどうすんの」

 ほんの少し顎を引き、口を尖らせながら上目遣いに尋ねてくる。良い歳したオッサン手前の男が無意識に取る態度か。やめろ、気色悪い。

 そんな男をどこか気に入ってしまっている俺は、もっと気色悪いと思う。大概大馬鹿だな、どっちも。

「安心しろ。テメーはそういう柄じゃねえことくらいお見通しだ」

「……デスヨネ」

 ふん、と嫌味を込めて鼻で笑うと、隣の男もつられて苦笑いを零した。

 

 好きだの何だのと、告げるつもりはない。互いに、そう思っている。

 それだけで、十分じゃないか。

 

 片手を上げ、店主へと精算の意を知らせる。程無くして『毎度ご贔屓に』とやって来た店主へ財布から札を出して手渡し、席を立つ。多めに渡した札は、二人分の精算を意味していた。

 立ち上がりながら、横目で隣の男を見やる。

「ん?」

 遅れて立ち上がった万事屋は、懐へ手を突っ込んでいた。一応持ち前はあったらしい。ごそごそと財布を取り出し、『いくらだった?』と聞いてくる。

(そういう所も、嫌いじゃねえ) 

 普段は何かにつけて奢れだ何だとたかってくるが、二人で過ごす時は、大方自分の持ち前は自分で払おうとする。完全に依存したりせず、あくまで自分のルールで、自分のペースで、隣へとやってくる。だからこそ、心地良いと感じられるのだろう。

「いらねーよ」

「え?」

「黙って奢られとけ」

「いいのか」

 気前良過ぎて何か怖ェんだけど。とブツブツ呟いている姿が、何だか微笑ましく感じる。いつも通りの小憎たらしい態度なのに、今日は突っかかろうとは思わなかった。

(礼だ)

 そう、自分に言い聞かせた。何に対するものか、深く考えてしまう前に。

 

 しばらくして、つり銭を持って店主が戻ってきた。

「何度も言わせんな」

 小銭を受け取りながら、ふ、と頬を緩める。

「……っ、」

 チラリと俺の顔を盗み見た万事屋は、一瞬動きを止め、いつもは気怠げな目を大きく見開いた。

「なんだ?」

「……何でもねえよ」

 万事屋へ向かって小首を傾げると、どこか気まずそうにガシガシ髪を掻き混ぜ、くちびるをへの字に曲げている。柳眉が寄り、ほんのり目元の色味が増しているのは気のせいか。

(ざまぁみろ)

 自分ばかり取り乱すなんざ、御免なんだよ。

(もうどうしようもないって所まで、テメーも追い詰めてやる)

 

 それまでは、もう少し、このままで。

 

 

――幸せに、気付かないフリをしよう。

 

 

 

 

End.

 

2012/05/22


 
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