潮風が優しく吹き抜ける孤島、ここは世界の最果て萌えっ娘島。
その中央部に建つ洋館の中、昼下がりの木漏れ日が差し込む廊下を一人のメイド服を着た少女が、お盆を抱えながら歩いていた。
少女は顔に微笑を浮かべながら所長室と書かれた扉の前で立ち止まると、服装を正しつつノックをする。
「トントンっと、貴広さ~ん、お茶が入りましたよ~」
リズムよく口ずさみつつ、少女は扉を開けながら中に居た男性に声を掛けた。
程よく整理された執務室。そういった雰囲気の部屋の中、執務机の横に設置されたソファーに座って作業をしていた貴広と呼ばれた青年は、手元の作業に集中しながらもリニアと呼んだ少女みやり、メイド服を着ている彼女を見て苦笑を浮かべつつ出迎えた。
えへへ、私はこの服が一番落ち着くんですよ――貴広の視線に答えつつ、リニアは微笑みお盆に載せてあった緑茶を机の上に置いた。
「まぁ、好きで着ているならかまないさ。こうして見ていると、昔の島の情景を思い出すしな」
微笑みつつ貴広は手元の作業を中断し、出された緑茶に口をつけた。
萌えっ娘カンパニー南南部第2563号島 通称 『萌えっ娘島』は社内の処罰機関NINのエキスパートである隷によって襲撃、崩壊した。
その事件より10年。本社からも見捨てられ既に過去の戦闘メイド養成所としての機能は停止、唯一無事であった洋館にも住む者は少なくなった。変わらぬ事は、週に一度の必要物資の輸送だけである。
あの事件以後、新体制でのカンパニーはこの島を貴広ごと抹消したかったのだが、今はもうそばに居ない彼の秘書らの暗躍もあり、世界をも滅ぼしうる力を持った五人のNURSERY CRYMEの一人である貴広が、この島から許可無く出ない事を条件にこの生活は存続している。
それは、事件前、故障により機能を停止し眠り続けたリニアを待ち続けるためでもあった。
その彼女が目覚めていた。
「――ところでリニア?」
「はい、なんですか?」
「体の調子はどうだ、調子が悪いと思う所は有るか?」
「いえ、特にそんな事は。おじ様もしっかりと見てくれていますから」
この島に残っている数少ないメカニックの名前を上げ、リニアは微笑みながら答える。
そうか、なら良いんだ。貴広はそう言って手を止めると、言葉を続けた。
「実はな、お前の体を構成する全てのパーツを生体部品に置き換えたんだ、取り敢えずの確認だな。まぁ、何も無ければそれに越した事は無いんだ」
そう言いつつ貴広はリニアに優しく微笑むと、リニアを自分の横に座らせた。
「改めてそう聞かれると、う~ん…………あっ! ……ありました」
何か思い出したのか、リニアがうつむきながら答える。その顔は羞恥に染まっていた。
「え~っと……お腹が前よりも空くようになったり、汗がべとついて体が汚れやすくなったりしましたですよ」
リニアは少し考えながら恥ずかしそうに答えていく、それを聞いた貴広はそうか、ならば順調だなと頷いた。
貴広は説明を求めるように見上げるリニアの頭に手を伸ばし、髪をすいた。
「使った部品は、普通の規格とは根本的に違うからなぁ。自己進化型のかなり特殊で、本来は無機物の生体化を目的とした技術なんだ」
そこで、貴広は少し外に視線を向け、空を眺めながる。
そして一拍置くと、その技術はかつて親友に使われていた技術なんだとリニアに告げた。
「親友さんに使われていた技術? 貴広さんにアンドロイドのお友達がいらっしゃったのですか?」
「ああ、アンドロイドでは無くサイボーグだったがな。名を蛍火と言ってな、前に所属していたPIXIESの一員だった」
此れによって規格が違う部品や拒絶が起きやすい生体部品であっても、問題無く組み込むことが出来る。そう言って貴広は机に広げていた研究ノートをリニアに見せる。
「お前のオリジナル部品は古過ぎて既に手に入らないからな、この方法を成功させるためにこの10年オヤッさんと色々と模索した」
そう言いながら貴広は感慨に耽るように目を瞑る。貴広の胸中で溢れだす思い出は良い物ばかりでは無かったが、それでも貴広にとってはかけがえの無い物ばかりだった。
「蛍火さんはどんなお方だったのですか?」
陰りをみせる貴広の様子に思う所が有ったのか、リニアは気を使うように尋ねてきた。
「蛍火は、鷲のサイボーグだった。さっきも言ったが、俺が情報部にた頃――PIXIES時代、メンバーの一員として他のメンバーとの連絡と遠地の偵察任務に付いていた奴でな、俺がまだ本社の養成所に居た頃からの付き合いで……そうだな、言ってみれば数少ない友人と言える存在だったよ」
「そうだったのですか、そのようなお方ならリニアも一度お会いしてみたいです。でも、もしかして?」
「あぁ、あいつは10年前にな……」
自然と空気が重くなる。それを振り払うように、貴広は作業中であった物をリニアの前に差し出し手に取らせた。
「此れは、羽? 大きななぁ」
手にしたポリカーボネイトに包まれた加工途中の、鳥ににしては大きな羽を眺めつつ、その感触に戸惑いの色を出しながらリニアは尋ねる。
「何か不思議、まるで生きているようなでも機械みたいな…そんな感じがするです」
「此れが蛍火の唯一残っている形見だよ。それが有ったからこそお前の体を作り直すことが出来たんだ。今のお前は機能的には殆ど人間と変わらないっておやじさんが言ってたろ。あいつの体は、元々医療目的で開発されたものだったからな」
貴広はそう言いつつ、リニアから羽を受け取るとそれを見つめる。
「リニアも無事助ける事が出来た。だから、今までできなかった分きちんと弔ってやりたくなってな。残っていた写真と共にこいつを額に入れようと思ったんだよ」
何時までも忘れない為に、時間が記憶を曖昧にさせない為に……そう続けると貴広は息を大きく吐く。
そして、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干した。
「――君が遂行する任務は分かったかね?」
萌っ娘カンパニーの首都、モエロポリスの一等地にそびえ立つ100m超ビルの最上階。その無駄に広く薄暗い部屋の中、赤絨毯の海に浮かぶたった一つの巨大な執務机。その上で手を組んだ本社情報管理部次長、冴島は目の前に立つ一人の男子幹部候補生に話し掛ける。
本来、冴島のような高級幹部が一介の幹部候補生に直接命令を出す事は滅多にない。だが、彼の前に立つ幹部候補生の特殊性はその常識を覆して有り余る。
その容姿は年若い男の物だが、白い頭髪と相まって老成した雰囲気がその印象を希薄な物へと印象づけていた。
華奢な体型に黒のスーツで身を固めた姿は、これが社の誇る超人=エキスパート――と言えば、何を冗談と思わせるが、彼の底冷えのする瞳を見た者は異論を挟まない。
彼の名は、神崎貴広。世界で5人しかいないNURSERY CRYMEの称号を持つ一人、人ならざる者であった。
その外見では年齢を推し量る事は難しく、一説に彼は100年以上を生きていると言う。
だから冴島は貴広を威圧する。恐怖する自分を隠すため。もっともNURSERY CRYMEを目の前にして、彼の反応は正しい。神を否定したのが近代文明と語るのなら、目の前の存在は否定したはずの神を連想させる怪物。だから、人は本能的に恐怖する。
冴島は無表情で貴広の返答を待つ。その克己心は流石、数多の部下の生殺与奪の権利を握ることだけのことはある。
「私に護衛任務ですか?」
貴広は怪訝な表情をしながら聞き返す。
もっとも、貴広がそんな態度を取るのも無理は無い。貴広の所属する情報部特殊情報課では護衛などの任務は含まれていない。要人の暗殺や他国や他企業の情報の奪取、場合によっては個人での破壊工作や情報かく乱など、個人においての絶対力の行使が主な任務で、護衛などは他部署の管轄だったからだ。
なので、幾ら重要な要人であろうとも特殊情報課のエキスパート、しかも部隊配属を控えた訓練生に与えられる任務では無かった。
それに、たとえNURSERY CRYMEであったとしても、得手不得手はある。
NURSERY CRYMEの力は絶大だが所詮は個人。広範囲を破壊するならうってつけだが、護衛として面をカバーするのなら単純に戦闘メイドを数百人単位で配置したほうが効率は良い。
「上から要請が有ってね。君を直接指名してきたのだよ。新部隊設立の準備もあり、本来ならば君のような人物を護衛に回す事など、人的資産の無駄遣いも甚だしいのだがね」
冴島はこの命令に対して危機感を抱いていた。
情報管理部は取締役会の直轄で有るのだが、今回の命令はその対極にあるLABからの物であったからだ。
冴島は内心の疑問を処理しつつ、貴広に対して情報管理部お決まりの文句を無表情で言い放った。
「なお、この命令に拒否権は存在しない。また、質問も受け付けない。では神崎、任務内容復唱を」
「私の任務は有機生命研究部炭素生命課に赴き、そこで指示された対象の護衛。及び、その襲撃者それ等、部隊の殲滅。なお、任務遂行にあたって私は制限を受けず、ありとあらゆる手段を用いても任務を遂行しなければならない」
――以上ですと締めくくり、淀み無く任務内容を復唱する貴広。その声色には一切の感情は無く、先程まで顔に表していた疑問も既に見て取ることは出来ない。
「よろしい。では君の任務遂行能力に期待する」
冴島の言葉が終わると共に貴広は一礼をした後、まるで闇に溶けるように音もなく部屋から退出していった。
化け物めが……しかし不気味だ。LABのやり方にしては無駄が多すぎる。だが、下手に探りを入れれば私が奴等に消されかねん。一介の下級幹部の護衛にNURSERY CRYMEの投入。下手に巻き込まれれば私も無事では済まんだろうな、だが此方からは下手に行動を起こせないならば――冴島はそう考えこむと、机の上にある電話を取り一言。
「私だ、例のプランで……そうだ、今から本社を離れる。最低一ヶ月は戻らない。…………執務の方は君に任せる……うむ、何か有っても私は療養中と…………あぁ、分かった、そのように手続きの用意を」
冴島の行動は早かった。権利外で職務を離れれば最悪降格もあり得たが、今回の事で彼の内職が全て公になればそれこそ比喩なしで破滅だ。ならば逃げて事が終わるまで身を隠した方が良いと彼の勘はそう告げていた。この勘と行動力こそが彼を次長職まで伸し上げた。今更疑う余地はない。
一連の手続きを終え、冴島は咥えたタバコに火を点けようと胸ポケットに手を伸ばして気付いた。胸ポケットに有るはずのライターが無い、それどころか伸ばした指先は胸に触れる事すら出来なかった。
思わず咥えていたタバコを落としていた。冴島は自分が夢を見ているのではないかと思う、その胸には大きな穴が空いていたからである。
冗談みたいに開いた穴を凝視していると、まるで止まっていた時が動き出すかのように血液が溢れ出してきた。
その時だった、不意に彼の後ろから男性と思われる声が囁くように聞こえてきた。
「残念です冴島次長。貴方のカンパニーに対する貢献は大いに評価される物でしたが、貴方の内職は一線を超えてしまった。選りにも選ってLABの重要機密を他国に流してしまった以上、例え上級幹部であっても処分は間逃れません。よって本部監査室は、貴方の解雇を持って救いを差し伸べることを決定しました」
カンパニーの解雇とは、処刑処分のことである。
姿の見えない声の主に、冴島は恐怖で気が狂いそうだった。カンパニーの2大勢力の片割れ、自分の属する取締役会とは違いその内部は多くの謎に包まれた研究機関LABの名前が出てきた時点で自分の運命は終わったも同然だと思考が真っ白に染まる。
だが、そのような状況にあり、しかも出血により意識を保つことすら困難なはずだが、意識ははっきりとしていた。
普通ではない。おそらく、楽に死ぬことすら叶わない。そのことは冴島を絶望で埋め尽くすには十分だった。
「LAB絡みだと? 何だそれはっ! たかが医療技術の漏洩だろ、それに、、、、、、、ぐぎゃぁぁぁあああっっつ!!」
声の主は、冴島の言葉の途中、血液で溢れる胸に後ろからいきなり腕を突っ込むと、中の臓腑を掻き回し始めた。
「それに何故完璧だった隠蔽がばれた? では、考えてみてください。何故今作戦程度にNURSERY CRYMEを投入する羽目になったのでしょうね? たかだかた下級幹部の護衛エキスパートか戦闘メイドを複数配置すれば、まぁ――事足りるでしょう」
死ねと言わんばかりに、ただ笑顔で声の主は尚も腕を動かし内部をかき回す。
「う、うぅぐぁぁあ……ま、まさか」
冴島は、大量の出血と臓腑をかき回される激痛に在りながらも死ぬ事はおろか意識を失う事すら出来なかった。
「ご名答、ハメられていたんですよ。貴方は取締役会のLABに対する抗争に利用されたのです」
冴島は呆然としていた。誰もがやっているはずの小さな内職。今の話を耳にする限り、おそらくはかなり前段階――自分が平社員の頃から騙されていたことになる。そうなると、他国のスパイも実は取締役会の回し者だったのかもしれない。
「貴方は情報の価値すら知らなかったようですが、まぁ、確かにあれは一見ただの医療関係の資材研究に見える。だが考えてみてください、もしあの素材は、NURSERY CRYMEの力の一つ、水気と相性が良く、研究如何では力を内包できるのだとしたら――どうです、これを聞いて理解できたでしょう? この情報は貴方程度のレベルで扱える物ではない。ですからそれが社内とはいえ外部に流れれば、計画主導のLABとしては非常に拙い。当然貴方の買い手もその事に気付けばなにかしら手を出してるでしょう。それでLAB以外が勝手に実験などをして、あの伝説の土方など引き寄せては最悪だ。ですから、それに対処するには此方も戦力の出し惜しみは出来ない、しかし大兵力を動かして事を公にする事は出来ません。ですから仕組まれたこととは言え、LABが取締役会に貸しを作ることになってもNURSERY CRYMEを動かすはめになった」
――しかし、取締役会には驚かされます。まさかN計画の横取りを画策するとは……。最後にそう小さく呟くと、男はかき回していた臓腑の中に白い鶏の卵サイズの球体を押し込んだ。
冴島の張り上げる悲鳴が色を変える。球体状の殻が破れ、そこから這い出した何かに体の中身が食われていく、その感触を彼は正気を保ちながら感じていた。
「どうです、水気を宿した虫に生きたまま体液を食われる感触は? 貴方はもう、正気を失う事も気を失う事ももう出来ません。干からびるまで体を貪られながら死になさい」
声の主、NINのエージェントはそう言い放ち瞬間にはその存在を消していた。
「だれか助けてくれ、助けてくれーーーーー! お、俺はこんな死に方したくない。ここまで上り詰めた俺が、こんな所で…………」
冴島は泣きながら誰も居ない部屋で力なく呟く。その姿は、普段の彼を見た事がある人間なら信じられない光景だっただろう。
虫に体を犯され、自尊心は完膚無きまでに打ち砕かれていた。
冴島はその後意識を保ちつつ二時間かけ、死体すら残ること無く彼はこの世を去る事になった。突然の幹部失踪として片付けられるこの事件は、後の調査で、彼だけではなくその日屋内にいたすべての社員が消息不明と判明するに至り、緘口令を敷かれ闇に消えることになる。
――以後、情報管理部は冴島の失脚にともない政策部の部長、水野の干渉を受けるようになった。これも、取締役会側が狙った工作だったのだろうか? ただ、敏腕と目された彼の介入で情報管理部はより先鋭的な組織に生まれ変わったことだけは確かだった。
冴島がこの世から去った頃、貴広は護衛対象の所属するLABの研究棟に来ていた。
LABには幾つかの研究専用の建物があり、その中で、貴広は有機生命研究課専用の研究棟を発見すると足早に建物の中に入っていった。
ロビーと思わしき場所は、深夜の病院を思わせ静かで暗い。
人の気配が薄く、この棟に不審な監視が無いことをざっと確認すると、取り敢えず貴広は受付に声を掛け、護衛任務で訪れたことを告げた。
「承っています。どうぞお進み下さい。係長は最上階の待合室で待機しております」
貴広は、酷く人間味の欠けた口調の受付に一礼して最上階行きのエレベーターに乗り込む。おそらく、簡易型のアンドロイドメイドなのだろう。最近カンパニーでも主力になりつつある商品である。
最上階は殆ど部屋が無く、ただ待合室と書かれた部屋が中央に在るだけだったが、貴広は油断無く周囲を見回し、何か不審物が無いかを確認すると、そのプレートが掛かった部屋へと入った。
中に入ると部屋の中央に男が2人並んで立っていた。
左が40代前後と言った感じの人の良さそうな顔をした男で、右が20代前半の整った顔立ちの優男だった。どちらも貴広を見て困惑を隠しもせずに顔に浮かべていた。
「エキスパートが規格外とは言え、少し若すぎやしないかね?」
「係長、彼を見た目で判断するのはどうかと。エキスパートは一個師団に優るとも言います。年齢はさして問題では無いのでしょう」
戸惑った声を上げた係長に対し、優男は納得したように貴広を視線で射抜く。貴広にとってはいつもの見慣れた光景だった。
貴広が任務で他部署に出向する際、NURSERY CRYMEとしての情報は極力秘される。先方からの指名と言うことだったが、どうやら護衛対象からではないことが、二人の反応から見て取れた。なので、エキスパートの訓練生としてか彼を知らないのだろう。だとしたら、大方はこう言った反応を示す。大概は相手以上に齢は重ねていたが、あの終末の日以降、貴広の外見は一切変化しなかった。
ジーザスアンドメリーチェイン。世界を水没させ、核がすべてを焼き尽くした日。世界に新たなNURSERY CRYMEが覚醒した日だった。
「私に付いての考察は其処までに」
貴広の言葉に係長と呼ばれた男は、何か暗い物を感じ取った様だった。
それは修羅場を幾つも潜った人間だけが持つ薄暗さだったのかもしれない。
「ふむ……了解した。私がこの有機生命研究部炭素生物課の係長職を勤める高橋だ、横にいるのは助手の田嶋君」
そう言って貴広に握手を求めるように手を差し出してきた。目上ということもあり、取り敢えず貴広は二人に握手を返す。
「改めて確認したい。君は情報管理部所属の神崎貴広訓練生で間違いないね?」
握手を終え、田島から手渡された資料を眺めつつ、高橋は訪ねてくる。恐らく資料に記されている実績などを改めて確認して固めた認識がまた揺らいだようだった。
エキスパートの仕事内容はどれも一般人には理解の範疇を超えたものだろう。貴広は気にすることもなくそれに頷き、依頼内容の精細を求めた。
「君には当初の通り護衛を頼みたい。ただ、護衛対象は我々ではなく、別室に待機させてある。それをカンパニーが提示した1週間、24時間体制で護衛、また世話を頼みたい」
「世話……ですか? 失礼ながら、私に破壊や情報操作以外での最大効率を求められても、満足行く結果を提示できる自身はないのですが……」
予想外の指示に、荒事が専門の貴広は戸惑いを隠さなかった。世話ならそれに特化したメイドをカンパニーは多く有していたからだ。
だが、ただの世話などエキスパートに依頼する以上、その意味がある。そう思い、貴広は考えをまとめる。それは瞬きするほどの間だった。
「私でなければ、対象の世話をすることが出来ない状況に?」
その回答に高橋が静かに頷いた。
「まぁ、詳しくは会ってみればわかるよ」
そう言うと、二人は貴広を続く部屋付いてくるようへと促す。都合三回のセキュリティチェックを過ぎ、まるで銀行の最重要金庫のような重々しい扉を抜けた先にそれはあった。
「――これは、飼育箱ですか?」
貴広が目にしたのは、八畳程度の部屋に簡素な机が置いてあり、その上には羽化したばかりに見て取れる鳥類の幼生体が眠っている。
「コードネーム0293。なにぶん極秘開発でね、まだ通称を認められていないが、我々は蛍火と呼んでいる。この子は兄弟の中でも一段と目が綺麗でね」
そう言って視線を向け、高橋は田島に顎で指示を出す。
「神埼さん。こちらが貴方に飼育をお願いすることになります大鷲のサイボーグ、蛍火です。遺伝子操作により、生体部分を新開発物質で構成された状態で羽化に成功した初の個体です。見ての通り、幼生体ではありますが、現状で並の戦闘メイドの戦闘力を上回る出力があるため、我々のような研究員では、ゲージの外に出して観察することができません。また、常に暴走状態であるため、覚醒時にはエキスパートと言えども蛍火の半径5mに近づけば命の保証も出来ないのが現状です」
気配を感じてだろうか、貴広が目を向けるとゲージの中の蛍火が薄っすらと目を開け始めていた。
途端、周囲に変化が現れる。陽炎のように景色が霞部屋の温度が急激に上昇し始めた。
「これは……」
そう言って、貴広は黙る。ゲージを中心とした空間に水気の脈動を感じたからだった。現状から察するに、水分子の振動加熱――電子レンジのような原理だろう。
なるほど、これでは生身の生物では近づくだけで細胞破壊と共に体液が沸騰して死んでしまう。エキスパートと言えども無事では済まない。ゲージは、熱と電磁波を遮断、または軽減する機能が備わっていることが推察できた。
「見ての通りだ。こいつの覚醒とともに力場が円形状に形成されるようでね。ゲージがなければ我々は近づくことすらできんのだよ」
そう言って苦笑いを浮かべた高橋は、経緯を説明し始めた。
蛍火に使用された技術は元々、四肢欠損などの重傷者に対して義肢などの器具を用いいることがこの時代の一般的な治療法だが、それを安価に生身と変わらない使い勝手の良さ、メンテナス性を実現することを期待され、研究開発を進めてきた技術だという。
当初はクローニング技術などが検討されたが、コストや製造効率などに於いて問題が発生したという。そこで、ある程度技術が確立されているサイボーグ四肢のコストダウンに取り組むことになった。
だが、ここで問題が浮上してくる。性能を上げればコストはクローニング以上に跳ね上がり、安価にすれば機能面で全く話にならないレベルに落ちてしまう。
そこで、クローニングとサイボーグ技術を掛けあわせてみることに研究がシフトしたらしい。そうすることで、安価で製造効率や製造時間も短縮できる――そういった目算があったようだった。
結果的にほぼ成功していた。カンパニーからの支援などにより、優秀な人材と新技術や新素材を惜しげもなく実験として使用することができたのが大きな要因だった。
これにより、10時間程度で四肢や臓器程度なら製造が可能になり。コストも従来の10分の1程度にまで抑えることができたらしい。蛍火たちは、その前過程での動物実験段階の産物だという。
ただ、それほどの技術であったが貴広は知らなかった。まがりなりにも情報を扱う部署の者すら知らない巨大プロジェクト。果たしてそんな物があるのだろうか?
「研究成果を取り上げられたのだよ。取締役会にな」
LAB主導のこの開発が、なぜ取締役会の興味を引いたのか? それは蛍火達の存在にあった。
サイボーグ技術だけでは成し得なかった、巨大な出力と生身に近いフリーメンテナンス性を実現し、尚且つコストパフォーマンスに優れている。これだけで兵器としては革命的といってもいい。だが、蛍火たちはそれだけではない能力を秘めていたという。
「元々は、LABが長年研究していた技術でね。本来生物が可能な筋肉という唯一の出力とは違う、もう一つのチャンネル。エキスパートの中にも存在する超能力者を人工的に付与させる装置として生態部品を開発していてね。蛍火たち兄弟はLABの依頼でその技術を盛り込んだ部品を適合させた個体だった」
超能力者は脳が別次元から動力を引き出して利用する――そう言った説があったが、この技術は肉体の方に動力と出力回路を作り、脳を操作するチャンネルをカスタマイズさせる方式立と言う。
「LABではこれを因子を埋め込むと表現していました」
田島がそういって補足し、蛍火に注目を向ける。
「この蛍火は、受精段階から調整を施すことで脳のチャンネルと最大出力に耐えるニューロネットワークの形成を目指しました。元々の研究目的とはかけ離れているように見えますが、我々は、そう言った軍事転用も含んでコスト調整に利用しようと考えました」
どうせ軍事転用が避けられない――なら、原油を精製する上で目的以外の石油類も副産物として生産されるように、元の目的が副次的扱いになっても目的を昇華しよう。そう考えていたようだった。
「この研究がまとまりかけ、ようや本題の研究への目処が立つだろうと言う時だったよ。酷いものでね、いきなり我々を他国のスパイが強襲だ。そこで我々以外の研究員と蛍火以外の個体は死んでしまった」
「あの時は、流石にもうダメかと僕も思いました。蛍火が助けてくれなかったら僕達も今頃殺されていたでしょうね」
高橋と田島の話では、襲撃で兄弟が殺される中、まだ羽化して間もなかった蛍火の力が暴走し周囲にいた人間もろとも茹で殺してしまったそうだ。
人、機材、資材共に大きく失ったプロジェクトは大きく頓挫する。残った資料もドサクサで取締役会が接収してしまい、残こせたのは蛍火と研究員だった二人だけだという。これでもLABが大きく手を回した上での成果だったようだ。
「我々は、実験の成果である蛍火から、技術の復活を目指している状況だ。護衛とは、またスパイが襲ってくる可能性があるのでね」
問題は、護衛どころか研究の段階で足踏み状態だが――そう、薄く苦笑いを浮かべ、高橋は貴広の方を叩く。
「ともあれ、我々では不可能だが、君なら蛍火の暴走を解くことが出来るかもしれない。少なくとも上はそう期待しているようだ。取りあえず気張らず蛍火と接していやってくれ――」
「――それでどうなったのですか?」
「あぁ、それはもう大変だったぞ。暴走自体は問題なかったが、蛍火が懐くまでトラブルが呼んでも居ないのに飛び込んできてな」
リニアの問に貴広は語る。やっと暴走の危険性が無くなる程度まで懐きかけた頃、実はスパイだった田島により高橋が殺されかけたり、その田島が研究因子を自らに打ち込んで襲ってきたり。
その結果、有機生命研究部炭素生物課があった都市自体が消滅してしまったり。
貴広は過去を振りかえりそれを丁寧にリニアへと語る。
そして、話が終わり手に持っていた蛍火の羽根とそれを収める額縁に置かれた写真を眺めた。
蛍火に使われていた技術がリニア復活に必要になった時、貴広は迷わず六天達の協力を仰いだ。その結果、少なからず迷惑をかけた仲間たちのことを思う。
高橋の残した研究資料と蛍火の遺体を届けに来た五十鈴は、その際に蛍火に記録されていたメモリーの端末を貴広にを手渡していた。
その中に、蛍火視点での高橋と貴広が写っていた。それだけではなく、在りし日の六天を含んだ三十六天達の姿も残っていた。
「あれ?貴広さん気分がすぐれないのですか? 何か悪い事でもリニアしましたでしょうか?」
リニアは困惑を浮かべて慌てる。
「いや、そうじゃ無い。ちょっと昔を思い出してな」
貴広はそう言うと窓の外から空を眺める。後悔など許されない。そんな権利もない。その横顔はそう物語っているようだった。
「今日も良い天気だ、雲ひとつ無い。なぁ、リニア……」
突然貴広はリニアの肩を抱く。そして驚いた様子のリニアにそっと呟いた。
「悪い、少しこのままで居させてくれ。ちょっと友人達に宣言したくてな」
そういって貴広は目を瞑る。
その頭を抱え込んだリニアは何も喋らなかった。ただ、優しく貴広の髪を撫で続ける。
萌えっ娘島。その空は高くそして果てしなく青かった。
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モエかんで、リニアルートでのEDへ絡めた話を書いてみたものです。
蛍火を掘り下げたくて作ってみました。