「今の私にはね、過去と未来の全てが見えるの。かつてあった宇宙も、いつかあり得るかもしれない宇宙も、みんな」
目を開くと見慣れた天井があった。
起き掛けの霞がかかった頭に映像が駆け抜けた。それは遠くない未来にある筈だった光景。
何度巻き戻しても、この目覚めの瞬間には慣れない。立ち直れなくなるような悲劇を味わったというのに、再び私はスタート地点に立ち、戦わなければならない。
「だからなんなの」
棘のある言葉が突き刺さる。敵意を剥き出しに威圧され、ひっと息を呑んだ。
振り出しに戻った私は、鹿目まどか、美樹さやか、巴マミの三人の説得を試みた。これまで何度も話をしても解ってもらえた事は無いが、彼女達の協力を仰ぐ事は最重要課題だ。
ただ、言葉は選ばなければならない。かつてソウルジェムの真実を知られた時、その重圧に耐えかねて巴マミが錯乱し同士討ちへと発展してしまった事がある。隠しておくのも気が引けるが、魔女化を防ぐ為にも彼女達には話さずにおくべきだ。
だから、当然と語る言葉はたどたどしく、説明も怪しいものとなる。訝しむのも仕方ないだろう。
しどろもどろに口を開けば、尖った視線が突き刺さる。
「あたし、あんたが何が言いたいのか分からない」
「あの、その、だから私は…」
「信じられないっていってるの」
「さやかちゃん」
まどかが優しい声音でさやかを諌める。
その間も巴マミは何も言わずに推し量るような目でじっと此方を見つめていた。
違うんだと言い募ろうにも出す言葉が無い。きっと彼女達の目に私は妄言で不和を煽ろうとする不信人物に映っているに違いない。勿論、まどかにもだ。
どうか分かってほしいと視線を送ったが、伏目がちな瞳は逸らされてしまった。
「……」
「……っ」
俯く彼女に魔女の影が射した気がした。
最悪の未来だけは避けなければならない。また、あんな思いはしたくなかった。
「あたしは興味あるよ、その話」
緊迫した場にそぐわない声が響く。
はっとして仰ぐと、槍を担いだその姿があった。
「あんたは…」
美樹さやかが剣を構える。張り詰めた空気に緊張が走る。
佐倉杏子。時には場を掻き乱し、また時には転機を生む彼女の登場に、私はどう動くべきか決めかねていた。
注目を集めている当人は、気にもしない様子で飴を舐めている。
「やり合うのは止しとこうよ。あんたとじゃ勝負にもなりやしない」
「お前っ!」
さやかが怒号を飛ばす。相手を睨みつけている目からは怒りしか見えない。
一触即発の事態に巴マミが制止した。
「美樹さん、ここは抑えて」
魔法少女同士が争っても何も生みやしない。マミも出来る事なら戦わずに避けたいと思っている事だろう。
だが、さやかは聞き入れない。
「その人を見下したような態度が、ずっと気に入らなかったんだ!」
剣を高く振り上げる。勢いのままに叩きつけた先に、杏子はいなかった。
辺りを見回せば、先程より遠く離れた場所に着地していた。その顔には、既に笑みは無く、蔑みに似た表情を浮かべていた。
対してさやかは、肩を震わせ、憤りを露わにしている。
両者は体勢を立て直すと、再び武器を構えた。
金属のぶつかる甲高い音が連続して鳴り響く。
「好きな人の幸せを願って何が悪い!」
「魔法を使って人の為に願ったところで、ロクな事になりはしないのさ!」
杏子が踊るように多節槍を振るい、降り注ぐ剣を全て薙ぎ払っていく。
その隙を突いて、さやかが剣を突き立て、頭上から襲い掛かった。しかし、それは適わず槍がその体を弾いた。突き飛ばされたさやかが片膝を立てて着地する。
激しい戦闘により互いに魔力を消耗していた。はっ、はっ、と短く息を吐き、肩で呼吸をしている。額には玉のような汗が浮かんでいた。
「あんたはっ、人の想いを踏みにじって、馬鹿にしてっ」
血の滲むような叫びが木霊する。
剣先を地に向け剣を支えにして、やっとの事で立っている状態だ。とてもじゃないが戦えるようには見えない。それでも、さやかは立ち上がる。
「はっ、あんたはいい加減に目を覚ましな!」
切っ先が交わろうとしていたその刹那、声が響いた。
「待って!!」
一瞬、さやかが動揺する。そして、刃にも躊躇いが見られた。
ぱりん、と何かが割れる音がした。
どさりと体が崩れ落ちる。さやかは、呻きもせず目を見開いたまま動かない。
ソウルジェムは粉々に割れて地面に落ちていた。槍が腹を掠めて、その青い石は割れてしまったのだ。
「さやか、ちゃん……?」
青褪めた顔のまどかが動かない親友へと近付く。恐る恐る伸ばした手を口元に伸ばした。
だが、そこに呼気がある筈もなく、まどかは目を見開き翳した手を震わせた。
「さ、さやかちゃんが、息をしてないのっ!!」
いくらその肩を揺すっても反応は無い。それでも彼女は友の頬を叩いて諦めない。
痛ましい少女の嗚咽が響いた。
その傍らでは、割れたソウルジェムが光を失っている。
「美樹さん、なんで……っ」
マミがやっとの事で絞り出した声はか細く、驚きと悲しみで顔を歪ませていた。かつて先輩と慕い追いかけた背中が、今にも崩れそうだった。
「……どういうことだっ」
刃を交えていた杏子も状況が把握できずに目を泳がせている。食いしばった唇から、一筋の鮮血が滴り落ちた。
「さやか、一体どうして……」
つい先程まで命を懸けて戦っていた二人だが、世界が違えば良き友達であれた事を、自分は知っている。彼女が必要以上にさやかを気にかけていた事も、過去に彼女の願いが引き起こした惨劇も。
そして、さやかが誰よりも魔法少女であろうとした事も知っているからこそ胸が痛んだ。しかし、どの世界でもさやかは幸せにはなれなかった。想いを寄せる少年の為に祈り、少年を想って、呪いを生んだ。理想を追う程に意地を張り、現実に追い詰められていった。
辺りを見渡す。三人は突然の死に立ち直れておらず、ただ俯き佇んでいた。
思わぬ事でさやかを失ってしまった。だが、悲しんでばかりもいられない。ワルプルギスの夜がすぐ近くに迫っている。せめて、まどかだけでも救わなければ。
今なら、私の話に耳を傾けてくれるかもしれない。
希望の第一歩へと繋がる言葉を、喉の奥から放った。
「お願い、私の話を聞いてほしいの」
雨の降り頻る音が物静かな部屋に届く。空には黒々とした雲が覆われ、禍々しい雰囲気を作り出していた。
愛らしい人形が飾られた部屋だが、今はそれらが寂しげに並んでいるように見える。
「キュゥべえに騙されてたのね、私達」
突如、雷鳴が響き渡る。薄暗い空間が眩い光に照らされた。
爆発音のようなそれに吃驚するが、また銃器の手入れ作業へと戻る。決戦を前に準備は必要だった。
「さやかちゃん……」
まどかが、ぽつりと呟く。
ベッドに腰掛けた彼女の顔は窺い知る事は出来ないが、とても悲しい面持ちをしているであろう事は想像に容易い。
大切な友達を亡くした彼女に、かける言葉が見つからない。
だが、感傷に浸ってはいられない。絶対にワルプルギスの夜を越えなければならないのだから。無情にも、その時は近い。
前だけを見据えて、小さな手を握りしめた。
「わ、私達で頑張ろう」
暫くの沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げた。赤く泣き腫れた目を向けられる。
「……うん、そうだね」
覚悟を決めたのだろう。瞳の奥に確かな決意が見受けられた。
固く握りしめられた手。彼女の協力が、言葉が、とても頼もしく感じられて、ふっと微笑んだ。
契約を交わしたあの日を思い出す。彼女を守る私になりたい、それが私の願い。
今度こそはと何度時間を戻しただろうか。それでも、守りたいものがあったから今日まで戦ってこれたのだ。
感情が溢れ出て堪らずに彼女を抱き締めた。塞き止めていた涙が止め処無く流れ出す。
彼女は、子供のように泣く私を優しく抱き留めてくれた。
ふと、悲しげな表情を浮かべる。
「ほむらちゃんは、みんなが死ぬところを、何度も見てきたんだね」
哀憐と慈愛を含んだ目が見つめていた。与えられる視線はどこまでも穏やかで心地がいい。
背中を擦る掌が温かい。温もりが傷つきボロボロになった心を癒していく。
仲間達の死が脳裏を駆け巡った。幾ら時間を巻き戻しても、人の死は重く、忘れる事は出来ない。
逡巡した後、ゆっくりと口を開く。
「……そう、だよ」
絞り出した声は、みっともなく震えていた。
「それでも、私は貴女を守りたい。それが、私の祈りだから」
紫の輝く石を手にした時から私の気持ちは変わらない。
かつて貴女がこの世界を守ろうとしたように、私を助けてくれたように。今度は私が守ってみせる。
「うん、頑張るよ。みんなの為にも」
まどかは、初めて出会った頃を思い出すような笑顔を湛えていた。
今まで歩んできた世界も決して無駄だったわけじゃない。共に魔女と戦って、笑って、泣いて。そこには大切なものがあった。
「今度こそ、ワルプルギスの夜を倒してみせる…っ!」
揺るぎない決心を胸に、戦いへ挑む。勝算は無くとも、必ず勝利を掴めると思えた。
もう迷う事はない。
決戦の夜が来た。
日の光は隠れ、黒い雲が渦巻く。風が吹き荒れている。
異常気象を伝えるサイレンが鳴り響いていていた。ウオーンと不安を煽る耳障りな音が止まない。
雨も降り頻り洪水を引き起こしていた。膝丈までの水を掻き分けて、見滝原市の中央部に辿り着いた。
階段を上がっている間も、吹き付ける風の音が耳に届く。
ごくりと固唾を飲む。
最上階に到達すると、外へと続く扉を開いた。
ビル群が聳え立つ空に、舞台装置の魔女はいた。
空を覆う程の巨大な魔女は、逆さまになって絶えず笑い声を上げている。
「あれが、ワルプルギス…」
「でっけぇな…」
三人は、一様にその巨大な姿に目を見張っていた。
それを嘲笑うかのように、きゃはきゃはと奇妙な笑い声が木霊する。
「……みんな、気を引き締めていきましょう」
マミは、マスケット銃を取り出して胸の前に構えた。
「作戦通り、各自分かれて戦おう。でも、無理はしないで」
「頑張ろうね」
まどかと目を合わせ頷く。
前線へ向かう背中を見送りながら、どうか無事でいて欲しいと願った。
霧で視界が冴えない中、四方八方から湧いてくる敵に苦戦していた。
戦闘が始まってから、そう時間も経っていない筈。しかし、既に体は疲弊していた。魔力も底を尽きかけている。
「いくら倒しても湧いてきやがるっ……!」
さっさと本体を倒さねえと。
そう思っても、次々と現れる使い魔達が行く手を阻んだ。
「がっ」
突如、鋭い痛みに襲われる。
「ぐ、うっ」
腹部に走る激痛に呻く。
複数の使い魔達が頭上を飛び回っていた。子供の笑うような声を出して戯れ合っている。
「……はっ、ここまでかな」
降り注ぐ雨がじっとりと重い。水分を含んだ髪が鬱陶しく、髪を解いた。
「さやかには悪いことしちまった」
今更悔いても遅いけど、と自嘲する。
昔の自分と重なった姿が放っておけなくて。
他人の為にと命を削るあいつが幸せになれる筈がないと思った。
忠告なんて真似をして、結果死なせてしまった。他人の都合を知りもせず、なんて言ってた癖に、あたしは。
髪留めを掌に包む。
そこに残り全ての魔力を注ぎ込む。この最後の一手で仕留められるように。
足場が浮き上がって、槍先の照準をワルプルギスへと向ける。
ソウルジェムに口付け、槍を突きつける。
「どうせ魔女になるのなら、せめて―――」
視界を、白い光が埋め尽くした。
自分に課せられた役目は火力を以て倒すことだった。
「ティロ・フィナーレ!!」
渾身の必殺技で狙う先は巨大なワルプルギス。
轟音と共に爆発が起きる。爆炎が立ち込め、辺り一帯を覆い隠した。
くるりと受け身を取って近場の屋上に着地する。
今の攻撃は相当なものだっただろう。
後は、皆の援護があれば大丈夫だと安堵した。
次に備えて、マスケット銃を補充する。
使える魔力には限界がある。気を引き締めなければ。
魔女が、粉塵の中から甲高い声を上げて現れた。
虫の息だと思っていたのに。予想から遠く、何でもなかったかのように悠然と浮いている。
はしゃぐ幼子のような笑い声が、まるで絶望を告げているかのようで。
「まさか、あれでも倒れないなんて…」
先程の攻撃で多くの魔力を消費してしまった。
どうしよう。ぐるぐると思考を巡らしても、良い手など思いつかない。でも、何とかして他の方法を考えないと。
頭の中で堂々巡りする。
絶大な力を誇る相手に為す術は無いのか。
「きゃああああ」
横から衝撃があって吹き飛ばされる。コンクリートの壁に叩きつけられた。
崩れ落ちてきた破片が体に降りかかる。上半身が壁にめり込んでいるのが分かった。
足が痛い。
痛みを訴えてくる元を見た。言い表したくもない惨状だった。
赤い血溜まりが広がっていく。
痛い。痛い。痛い。
事故に遭ったあの時と重なる。動けなくて、手を伸ばして、必死に助けを求めた。
視線の先に白い影が映る。
激痛に耐えながら、涙を流して、救いを求めた。
魔法少女になった時と同じ。あの時のように、私を助けて欲しい。
「……助けて」
喉を振り絞って、藻掻いた。
助けて。この痛みから救い出して。
黒々とした視界の端を掠める。
頭に重い衝撃が走った。
耐え切れなくなって、意識が飛びそうになる。
同時に、ぱりん、と何かが割れるような音がした。
「やっぱり無理だったね」
苦戦を強いられた私はまどかと合流して戦った。
薄紅の炎を絶え間なく放っていく。まどかの放つ矢は確実に使い魔達を討つが、群れは減る様子を見せないでいた。
自分は時間を止め爆弾を放り投げながら、まどかの援護をしていく。
めげずに襲い掛かってくる使い魔達を屠っていると、数も目に見えて減ってくる。ワルプルギスへの道が開けた。
まどかが弦を引く。逆さまの魔女に向けて矢を放った。
矢が弧を描いて一撃を浴びせる。だが、虚しくも攻撃は効果が無いように見えた。
「全然効いてないよ、こんなんじゃ」
続けて矢の雨を浴びせるも、どれも決定打にはならない。
圧倒的な敵を前にして焦りが生まれる。
ふと、黒いものが目の端を掠めた。
光りと共に空中にビルが現れた。そのまま落ちるようにまどかを攫っていく。
すぐに視界から消え去ってしまった。
「まどかぁ!!」
消えていった先を目指して駆け出す。
降りて見たものは、壊れてしまった建物と、ぼろぼろになったまどかの姿だった。
何度も同じ光景を見てきた。
今度も、また同じなのか。
「……また、駄目だった……」
痛々しく擦り切れた彼女に寄り添う。
掌に握られたソウルジェムは、穢れが溜まり禍々しい色をしていた。
黒々とした絶望が、彼女の最期が近いことを知らせる。
「また、私は、貴女を救えなかった!!」
自分より小さな手を握り締める。
何度繰り返しても、この時だけは堪えきれない。
あと何度、時間を巻き戻すのか。
そして、また彼女を死なせてしまうのか。
せめて、彼女の死を見ない内に巻き戻してしまおう。そう思って、盾に手をかけた。
「ほむらちゃん」
まどかが呼びかける。
彼女の意志を持った瞳が、諦めていないと訴えてくる。
「まだ、希望はあるよ。私達は絶望して魔女になったりなんかしない」
細い腕で傷ついた体を支える。その瞳に絶望の色は無く、ただ前だけを見据えていた。
「私と戦ってくれてありがとう。隣にあなたがいたから、私は頑張れたの」
凛とした立ち姿に視界が潤んだ。
「まどか……」
吐き出すように彼女の名を呼ぶ。
彼女は泣いている私を、立つように促した。
徐に胸のソウルジェムを取ると、それは矢へと形状を変えた。
「手を貸して」
互いに支え合うようにして弓を構えた。
手を重ねて、力いっぱい弦を弾く。
これが彼女の最後の一撃だと思うと、涙が溢れて止まらなかった。
見つめ合う瞳も僅かに潤んでいる。それでも、目元に笑みを湛えて、私を励ます。
そんな彼女の健気さは最後まで変わらないのだと、嗚咽が漏れた。
まだ温かい手が安堵をくれる。
ワルプルギスへ、最期の一手を解き放った。
嘲笑うような笑いが背中に降り注ぐ。
何度目のことだろうか。私だけが生き残るのは。
息絶えた亡骸を抱き上げ、泣きじゃくる。
「私、頑張るよ」
いくら頬を摺り寄せても、もう答えてはくれない。
「次こそはあなたを救えるように」
「だからね、全部分かったよ。いくつもの時間で、ほむらちゃんが私のために頑張ってくれたこと、何もかも」
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ほむらがまどかを救う為に奔走する話。