その日、トリステイン魔法学院にて教鞭を取る古参の教師ジャン・コルベールはある調べ事をしていた。
魔法学院内にある図書館には始祖ブリミルと呼ばれる人物がハルケギニアを新天地へと築き上げた頃からのあらゆる歴史が詰め込まれている。
彼はその中で教師のみしか閲覧出来ない『フェニアのライブラリー』で古文書や禁書を読み漁っていた。
此処でコルベールは一体、何を調べようとしているのだろうか?
彼が気になっている事、それはルイズの召喚した使い魔の事。
最初にその姿を現した際に感じた圧倒的なまでの魔力―――それは魔法と言うものを使うメイジが束になっても敵うような代物ではなかった。
言い表すならば純粋な“闇”そのもの・・・原初、人間が最も恐れ、最も敬う力を感じ取っていたのだ。
そして気になったものがもう一つ。
アークと名乗った使い魔の羽織るマントに刻まれたあの紋章・・・当初見た時は気付かなかったが、コルベールは少なくともあの紋章を何処かで見ている。
それにルイズと契約の儀を行った際に契約のルーンの代わりに現れたチェスの駒のようなものに後から現れた二人の人物の手の甲に刻まれていたもの、それにも何処かで見覚えがあった。
それだけなら何の問題もないように感じられる。
だが問題なのはそれらを見たのが禁書となっている古文書に刻まれていると言う事。
コルべールは必死にその紋章が刻まれた古文書が何だったのかを思い出し、そして調べて行く内に一つの結論へと辿り着いた。
「なっ!? こ、ここここ、これは・・・・」
コルベールは火の系統のスペシャリストであり、それと共に容姿に似合わず博識で更に実力もある。
『炎蛇のコルベール』の二つ名を持つ事からも彼の実力を顕著に表しているだろう―――最も本人はその二つ名を酷く嫌っているが。
その彼をして古文書の中で見つかった情報は驚愕を隠せないものである・・・彼は禁書と認定されているその古文書を持って一目散に学長室の方へと向かっていった。
同刻―――
昼食の時間、アークは再び厨房で賄い食を口にしていた。
どうやら昼の時間はシエスタ達も忙しいらしく顔を見合わせては居ないが、彼女達がアークが来る事を伝えておいてくれた為にさして誤解も問題もないままに昼食は終わる。
最後に食べ終わった皿等を洗い場に出してからアークは礼を言ってから厨房から出た。
遠目で食堂を覗くと其処では黙々と食事をしているルイズの姿が映る。
自暴自棄になっていたルイズを止める為とは言え手を上げてしまったのは男としては最低の行為だろう。
謝罪を述べたとは言え許される事などそう簡単には無い、故にアークのテンションはがた落ちの状態であった。
『・・・ったく、律儀な野郎だなテメェは。
あんな生意気なクソガキ、ちっと引っ叩いてやった方が後の為になんだろ』
誠実の柱駒からアークに向かって直接テレパシーのようにマーモンの言葉が伝えられる。
それに対して返答を返そうとしたまさにその時、不意に食堂の一角が騒がしくなったのだ・・・一体何があったのだろう?
更にその後に『申し訳ございません!!』と言う、聞き覚えのある声がアークの耳に入った。
『何事ですかね? それに先程の声は確かシエスタとか言う此処のメイドの声だったような気がしますが』
ルキフェールの言葉にアークは頷き、直ぐに群集が集まっている場所へと向かう。
其処で彼の目に飛び込んできた光景は涙目で涙声になりながら必死に頭を下げているシエスタの姿。
それとその目の前で彼女を叱り付けている尊大そうなキザったらしい金髪の少年―――頬が赤く腫れている所を見ると平手打ちでも喰らったのだろう。
「君が軽率に瓶なんか拾い上げた所為で二人のレディの名誉が傷ついたじゃないか、どうしてくれるんだい!?」
「も、申し訳ありません・・・申し訳ありません!!」
「全く!! これだから平民と言うのは・・・」
どのような事があったのか良く解らなかったので近くに居た顔見知りのメイドから事情を聞くアーク。
其処から説明されたのはかなりと言うか実に身勝手で自分勝手な八つ当たりであった・・・その内容はこうだ。
シエスタが金髪の少年、ギーシュ・ド・グラモンの落とした香水を拾って渡した事により彼の二股がばれてしまったのだそうである。
彼は二股をかけていた二人の女生徒から平手打ちと絶交宣言を受けてしまい、その事をシエスタに八つ当たりしているとの事。
―――実にしょうも無い理由である。
「まあまあ、そこまでにしときなよ」
アークはいつもの様に笑顔のまま二人の間に割り込む。
「な、何だね、君は!?」
「アークさん・・・!!」
行き成り割り込んできた人物に対して金髪の少年ギーシュは不快感を露にする。
一方、シエスタの方もアークの介入に驚いていた。
「ああ、良く見てみれば君はミス・ヴァリエールの使い魔じゃないか。
話は聞いているよ、何処の馬の骨とも知らない誰も知らないような東方から来た田舎貴族だろう? これは僕と彼女の問題だ、部外者はでしゃばらないでくれたまえ」
「あはは、こりゃ手厳しいな。
でもさ、さっき見てた人に聞いたら悪いのはシエスタじゃなくって不義理な事をしていた君の方じゃないの?
公衆の面前で恥を掻いたから頭に来たって気持ちは解るけど彼女の所為にしたって何も変わらないじゃないか、それよりもまずシエスタや傷付けてしまった人達に謝るべきだと思うよ」
ギーシュの自分に対する嘲りにさして怒る様子も無く笑顔のままシエスタを庇い、逆に彼を諭す。
そんな笑顔と見ようによっては余裕綽々に見える態度にギーシュは何とか怒りを抑えながら自分の立場を正当化するようにする為に言葉を続ける。
「何を言っているんだい君は? その時の状況を聞いたのなら知っているだろう?
僕は瓶を拾われたあの時に知らないと言った・・・それを受けたら平民である彼女は知らない振りをするべきだ。
それぐらいの機転を見せつけても良いのではないのかい?」
「いやでもシエスタはメイドとして、いや人間として自分のすべき事をしただけだと思うよ。
それを無碍にして理由無く彼女を傷付けるなんてのは君の自分勝手な都合じゃないか、貴族・貴族じゃない以前にそれは人として間違っていると僕は思うけど?」
アークの言う事はまさに正論、彼の周りにいた生徒達も「そうだそうだ!!」だの「そのメイドに謝れ!!」だのという声が聞こえてくる。
そうなると引き下がれないのはギーシュ、こんな何処の出とも解らないような田舎貴族にプライドを傷付けられて黙っている事など出来はしなかった。
まあそもそも自尊心の塊のような連中ばかりなのだから仕方が無いが。
「田舎貴族風情が良い度胸だ・・・ならば僕は君に決闘を申し込む!!」
「えっ? 決闘? 君、本気なの?」
アークのその言葉に怖気づいたとでも思ったのだろうか。
ギーシュは既に勝ち誇ったような表情をして言葉を続ける―――アークの言葉の真の意味すら理解出来ないままに。
「何だ、決闘と言われて怖気づいたのかい?
だがもう遅い・・・ヴェストリ広場で待つ、逃げる事は許さない!!」
そう言い終わると取り巻きを連れて去っていくギーシュ。
アークはその背中を見つめながら顎に手を添えて考えるような素振りを続けていた。
・・・とその時、不意に誰かが走ってくる。
「ちょ、ちょっとアーク!? アンタ何を勝手に決闘なんか受けてるのよ!?」
「あ、ルイズ殿・・・その、さっきは本当にごめん・・・」
「そんな事はどうでも良いの!! ほら、さっさとギーシュに謝りに行きなさい!!」
ルイズはアークが剣などを持っている以上、それなりに戦いが出来るという事は理解出来ていた。
だがそれはあくまでも剣と剣との戦いに限られるだろう―――剣で魔法に挑むなど自殺行為にしか過ぎない。
しかし・・・そんなルイズの心配を他所に、アークは何時も通り笑顔のままだった。
「いや無理かな、僕の住んでたソロモン大陸じゃ決闘ってのは神聖なものだから。
受けたら逃げるのは許されないし・・・それにそもそも初めから僕は謝る心算も逃げる心算も無いよ。
だって此処で逃げたり謝ったらそれこそシエスタがした事が間違っている事になっちゃうしね」
いつまでも笑顔でニコニコしている自分のパートナーは状況を理解しているのか?
例えなんであろうと貴族を、メイジを相手にして勝てる訳が無い―――怪我程度で済めば儲け者、相手は確実にアークに重傷を負わせる心算だろう。
「アンタの気持ちは解るわアーク、自分の事を馬鹿にされれば誰だって怒るのは当然の事だもの。
でも聞いて、ああ見えてもギーシュはメイジなの! アンタが平民ではないにせよメイジを相手になんかしたら勝てないの!!
だから今は私の言葉を・・・」
と、其処までルイズは言ってからふと気付いた。
先程まで朗らかに笑っていたアークの笑顔・・・勿論今も笑顔のままだが、それが何故か酷く恐ろしく感じたのだ。
言うなれば今までが春の優しい陽気のような雰囲気だったとしたら、現在は冬の凍える烈風の如く。
そんなアークがルイズに対して優しく言い放つ。
「ルイズ殿、君は勘違いしてるよ。
僕は自分の事を馬鹿にされようが唾を吐かれようが大抵の事は笑って見過ごすさ。
だけどね―――どんな理由があろうと僕は僕の友達を理不尽な理由で傷付ける奴だけは許さない」
その声は今までのように朗らかな声とは違う。
表情からも笑顔は消え、聞き方によっては冷酷で、聞いているだけで背筋が寒くなるような声色だった。
アークはルイズの横を通り過ぎると、食堂の外に向かって歩き出す。
その背に向かってシエスタが声を掛けた。
「あ、ああああ、あの、アークさん!! 申し訳ございません!! 私の・・・私の所為で・・・!!」
「良いよ良いよ、そもそもシエスタは間違った事してないんだしさ・・・あ、それよりヴェストリ広場って何処にあるか教えて貰えると助かるんだけど」
するとギーシュの取り巻きの一人だろうか?
一人の少年が顎でしゃくってヴェストリ広場の方を示す。
アークは笑顔でその少年に頭を下げた後、止めようとするルイズとシエスタに「じゃあ行って来ます」とだけ挨拶をしてから振り返る事もせずに歩き出す。
その様子を呆然と見ていたルイズだったがアークの姿が見えなくなると同じくヴェストリ広場へと向かうのであった。
アークがヴェストリ広場に向かうと同じ頃。
血相を変えた様子で肩で息をしながらコルベールは学長室の中に飛び込んでいた。
其処にはその部屋の主であるオスマンともう一人、彼の秘書をしているロングビルと言う女性が居る。
・・・まあ実際はオスマンがロングビルに対してセクハラをする光景を目の当たりにし、ロングビルが鉄拳を食らわせて居たが。
「・・・またですかオールド・オスマン」
「な、何じゃねコルベール君・・・何かあったのかな?」
殴られた頭を摩りつつ席に戻るオスマン。
するとコルベールは持って来た古文書をオスマンに渡しながら一言だけ呟く。
「オールド・オスマン・・・大魔王の紋章を持つ者が現れました」
その言葉を聞いてオスマンは好々爺の表情から一変する。
鋭い眼光となり横に居たロングビルに対して声を低くして呟く。
「ミス・ロングビル、以降の発言に対しては第三者が見聞きする事は許されぬ・・・故に退室を」
オスマンの発言に対してロングビルは異論を唱える事はせずにすぐさま退室する。
元々いつもはセクハラばかりするような人物だが、ああ言った目付きになった際は異を唱える事が出来ない事を彼女は充分に理解していた。
そして部屋の中には二人の魔法使いが残され、コルベールはオスマンに対して語り始める。
「オールド・オスマンもお気付きかも知れませんが・・・大魔王の紋章を持っていたのは、ミス・ヴァリエールの使い魔です。
彼が羽織っていたマントの背に書かれていたあの紋章、本人は家紋だと言っていたのであの時は疑問に思っていませんでしたが、後で気になって調べましたら・・・」
「・・・それがかの始祖ブリミルとその使い魔達を以ってして何とか滅したとされる大魔王の刻んでいた紋章だったと言う訳じゃな?
古文書の一説によれば世界を支配していた大魔王を倒した後に始祖ブリミルはハルケギニアを新天地へと変えたとされておるが・・・禁書に書かれた歴史によると彼らの力を以ってしても太刀打ち出来なかったが、ある日を境に大魔王は姿を消したとされておるな」
どちらの歴史が正しいのかは解らない。
今重要なのはルイズが召喚したアークが遥か昔、ハルケギニアを支配していたとされる大魔王の刻んでいた紋章と同じものをマントに刻んでいたと言う事だ。
確かに考えても見れば最初に現れた時の“純粋な闇”とでも言い表すべき不可解な魔力、後に表れた二人の男の膨大な魔力―――そしてアーク本人のどこか高貴さを兼ね備えた立ち振る舞いや物言い、様々な事象がコルベールの報告を冗談だと言わせないものであった。
それと共にオスマンには実は疑問に思っている事があった。
取り敢えずアークの正体についてはこの際、本人から直接聞けば良い事だろう―――少なくとも彼は自分達に敵意を向けては居なかったのだから。
「コルベール君、一つ尋ねたいのじゃが。
火のエキスパートである君ならば爆発と言うものを火が引き起こす場合にはまず前提として火が発生し、その後に爆発が起こるものじゃろう?」
「ええ、そうですね・・・それが何か?」
それは魔法学院で基礎的に教わる事。
そんな事を一々この状況下で自分に聞いてくるオスマンの意図が解らないコルベール。
「なれば本題じゃがの、コルベール君はミス・ヴァリエールが起こす“魔法の失敗”を意図的に引き起こす事が可能かな?」
「あれを・・・ですか? それは・・・」
「恐らく火のエキスパートの君でも出来んじゃろう? そもワシですら出来んのじゃよ、あれを失敗という形ではな」
言葉を呟いた後、オスマンの眼光が更に鋭くなる。
そう、そもそもあのような爆発を再現する事など“四大系統では不可能”なのだ。
オスマンの言いたい事を理解出来ないほどコルベールは腑抜けては居ないし衰えても居ない・・・それにもしその仮定が正しいなら、彼女が呼び出した使い魔であるアークの事も納得は出来る。
「まさかオールド・オスマン、ミス・ヴァリエールは失われた筈の虚無の系統の使い手だと・・・?」
「あくまで可能性の話じゃがの・・・しかし彼女が虚無の系統の使い手であるなら、その使い魔が大魔王の紋章を持つ者であってもおかしくは無い」
オスマンは小さく溜息を吐く。
遥か昔・・・元々魔法は四大系統ではなく“虚無”と呼ばれる系統を合わせて五大系統であったとされる。
しかしその五個目の系統である虚無は何らかの理由により始祖ブリミルがハルケギニアを新天地へと変えた後に失われたのだと伝えられていた。
その理由は諸説色々あるが、その中でも一番有力視されているのが禁書の古文書に描かれていた一説である。
『かの虚無の系統―――大魔王が世界に齎せし系統也』
沈黙が学長室内を支配しようとした丁度その時―――不意に学長室の扉にノックする音が響く。
「・・・誰かね?」
「私です、オールド・オスマン」
「ミス・ロングビルか・・・口頭で済む用件かね?」
どうやらノックしたのはオスマンの秘書であるロングビルのようだ。
何の事情か理解出来ないオスマンはそこでロングビルから再び頭痛の種を貰う事となる。
「はい・・・ヴェストリ広場にて生徒達が決闘をしているようです。
教員達で止めようとしましたが・・・生徒達によって阻まれ、止める事が出来ない模様ですが・・・」
「はあ・・・騒動の発端は? 誰が中心じゃね?」
トリステイン魔法学院は元々貴族達の通う学院である。
故にプライドの高さなどから面倒事が起こる事が実に多く、決闘騒ぎにまで発展する事が実に多い。
その度に教員達は頭を悩ませ、穏便に済むようにしているのだが・・・。
「騒動の発端はギーシュ・ド・グラモンです」
「・・・グラモンの馬鹿息子か、騒動の原因は女性関係かのう・・・全く以って要らん所で血が濃いの・・・で、相手は誰じゃな?」
オスマンは再び溜息を吐く。
実はギーシュ、今までにも何度か決闘騒ぎを起こしておりその度に面倒な事になっていた。
彼のプレイボーイっぷりは学院でも有名であり、大体決闘騒ぎになるのはそこら辺の事情が関係する事が多い。
相手はギーシュに彼女を奪われた他の貴族か何かだろう・・・オスマンもコルベールもそう簡単に考えていた。
だが状況はそんなに簡単なものではない。
一瞬だけだがロングビルが躊躇するような間があり、その後に決闘の相手を語られる。
その告げられた言葉は室内の二人を驚愕させ、更に目の前を一瞬で真っ暗にしてしまうものであった。
「・・・それがメイジではなく・・・あの、その・・・ミス・ヴァリエールが召喚した使い魔だそうです」
ヴェストリ広場に辿り着いたアークは先に来ていたギーシュと相対する。
これからこの場所にて行われる“決闘”と言う名の一方的な貴族による制裁を見物しようと多くのギャラリーが集まっているのだ。
そんな状況の中で常に笑顔を絶やさないアークは周囲のヒートアップっぷりに内心少々ウンザリしていた。
「諸君、決闘だ!!」
その広場の中心でギーシュは薔薇の造花を掲げながら高らかに宣言する・・・その姿を見た見物人からは歓声が上がった。
「ギーシュが決闘をするぞ! 相手はルイズの召喚した田舎貴族だってさ!」
ギーシュは周囲の歓声に腕を振って答える。
一方のアークは己の愛剣であり、かつてソロモン大陸の人間界の姫であったアリア姫から拝領した魔剣ティルファングを構えながら準備運動をしていた。
本来ならティルファングではなくグラムを使いたかった所だが、やはりこの姿になってしまった故か魔力が足りず鞘から抜けなかったのだ。
「逃げずによく来たな田舎貴族!」
「まあそりゃあ決闘って言われたからね、逃げないよ・・・所で再度確認しとくけど、本当に君は決闘がしたいんだよね?」
「それは此方の台詞だよ田舎貴族君! 今なら先程の事を謝罪して逃げても良いんだよ?」
「いや別に謝罪する理由はないし・・・まあこれ以上言っても頭に血が昇ってるんじゃ無駄だよね」
何度も聞いてくるアークを怖気付いていると思っているのだろう、ギーシュは挑発する。
だがアークは怖気付いている訳ではない・・・これは彼なりの“最後通告”なのだ。
そんな余裕綽々なアークの姿にギーシュは更に怒気を露にするが、冷静を装って言い放つ。
「ふん、良いだろう・・・後で後悔しても文句を言わない事だ!
では始めよう・・・先に名乗っておくが僕の名はギーシュ・ド・グラモン、二つ名は“青銅のギーシュ”!」
名乗りに合わせてギーシュが造花の薔薇を振ると其処から花びらが落ちる。
大地に落ちた瞬間にそれは鎧を纏った女騎士の人形の姿へと変わる―――どうやらこれが錬金という奴だろう。
「従って青銅のゴーレム“ワルキューレ”が君のお相手をする。
言っておくが卑怯だとは思わない事だよ? 僕はメイジだ、魔法で片を付けさせてもらう」
「別に構わないけど、それで良いの?
多分最初から全力出した方が良いと思うけど、そもそも決闘ってのはそう言うものでしょ?
まあ君がそれで良いってならそれで良いけどさ・・・良いや、来なよ」
アークの言葉と共にワルキューレが突進してくる。
彼目掛けてワルキューレの青銅の拳が真っ直ぐ叩き込まれようとしていた。
しかし当のアークは向かってくるワルキューレを見つめているだけで何もしない、それどころか避ける心算も無いのか自らの持つティルファングの柄を弄んでいたのだ。
そんな姿にギーシュは勝ち誇った顔でニヤリと笑う・・・自分に逆らった田舎貴族の無様な姿を他の者達にも見せ付けてやろう、そう考えていた。
―――だが、その企みは一瞬で彼のプライドと共に崩れ落ちる事となる。
“グシャ!!”と言う音と共にアークに向かっていたワルキューレの頭部と両腕が一瞬で抉り取られ、更に腹に大きな風穴が開たのだ。
そのままワルキューレは罅割れ、粉々になって地に落ちた。
「だから言ったじゃないか、全力を出した方が良いってさ」
抜いたティルファングをまるで刀身に付いた血を払うかの如く振るアーク。
「な・・・なっ・・・」
突然の事に唖然とするギーシュ。
周囲に居たギャラリー達も一瞬の事に同じように唖然としてしまう。
「お、おい・・・今アイツ何をしたんだ?」
「何もして無い、よな・・・?」
「で、でもアイツ・・・手にあの変わった剣持ってたぞ、まさか・・・」
「ば、馬鹿、そんな事ある訳が・・・」
誰もがアークがした事を見抜けては居ない。
今アークが行ったのはワルキューレが目の前に来た時にティルファングで三連突きを放ち、更に頭部と両腕が無くなった事によって動きが遅くなった本体に突きを放った。
しかしそれが見えていない者達にとっては何をしたのか解らず、酷く不気味に感じたのだ。
「ち、調子に乗るなよ!! い、今のはそ、そう、決闘では相手に少しは華を持たせなければ行けないからね!!」
そう言いながら薔薇を振って再び花びらを地に落とすギーシュ。
先程と同じように女騎士の人形が今度は二体現れる―――しかも今回は先程のように素手ではなく槍や戦鎚を装備していた。
二体は連携し、同時にアークに向かって襲い掛かるが・・・。
「君は真面目にやってるのかい?」
アークの言葉が聞こえた瞬間、アークに襲い掛かっていた二体のワルキューレは二体とも胴を真一文字に切り裂かれ砕け散った。
まるで銅像を鈍器で砕いたかのように砕け散るワルキューレの姿を見て対峙しているギーシュはもとい、一方的な貴族による制裁を楽しみにしていたギャラリー達が凍り付いた表情をしている。
それもその筈だ・・・先程まで笑顔を見せていたアークから放たれる気によって彼らは気付かぬ内に萎縮していたのだから。
前記した通り、魔族であるアークにとって決闘とは実に神聖なもの。
そもアークが最初にソロモン大陸を統一した時も決闘と言う神聖な儀式を以って七魔王から認められたのだ。(まあ何人か例外はいるが)
だが目の前の人物は“決闘”と言うものの意味も知らず、いざ始まってみれば本気を出す事もしない・・・それは侮辱と同じである。
元々シエスタを傷付けた事に併せ、自ら達が神聖だと思っている事まで侮辱された、それで怒りを覚えない方がおかしい。
「僕は君に最初に聞いた筈だ・・・本気で決闘をするのかと。
自分の虚栄心を満たしたいだけならばもっと他に選ぶべきものがあったのではないのかな?」
淡々とギーシュに向かって呟く。
その様子にギーシュは恐怖を覚える―――彼は理解していなかった、何故アークが二度も決闘をするという事に対して意思確認をしたのかを。
だが例え相手が何であろうと此処で自らが負けを認める事など出来はしない。
「ふ、ふん・・・ま、まだだ・・・幾ら倒した所で僕は無限にワルキューレを作り出す事が出来る!!」
冷や汗を掻きながら薔薇を振り、ワルキューレを作り出すギーシュ・・・その数は四体。
無限に作り出せると言ってはいたが、あの様子を垣間見ればギーシュが限界なのは誰が見ても明白である。
故、この攻撃がギーシュにとっては最後の攻撃となるだろう。
「い、行・・・」
息も絶え絶えにワルキューレ達に命令を出そうとするギーシュ。
だが次の瞬間―――作り出されたワルキューレ四体の頭部が抉り取られ、そのまま崩れ落ちる。
驚いて目の前を見ると、其処には既にアークがいつの間にか立っていたのだった・・・。
「う、嘘・・・でしょ・・・何よ、何なのよあの強さは・・・!?」
アークの事を見守っていたルイズが唖然として呟く。
目の前で起こった光景、それはメイジの強さを信じてきた彼女にとっては想像だにしない現実だった。
ドットとは言えメイジであるギーシュを歯牙にも掛けない程の強さ―――言い方を変えるなら“器が違う”と言う奴だろう。
正直あれ程強いとは思っていなかった。
召喚し、何らかの事情により力を失い弱体化してしまい、自分は何と不幸なのかとまで思っていた。
だが実際はどうだろうか? 何処と無く余力を残しているように見えるその姿はルイズにとって実に頼もしく見えたのだ。
あれならば主を守る事が出来る・・・ルイズは喜びに打ち震えていた。
―――それ以外に二人、アークの戦いを見ていた者がいる。
一人はルイズのライバルとも言えるキュルケだ・・・彼女はアークの戦いぶりを「・・・素敵」などと呟き、熱い眼差しで見つめていた。
それともう一人はタバサだ。
彼女はアークをかなり警戒し、そして危険視している。
しかしギーシュとの決闘を観察し、アークの強さに驚愕の念を抱いていた。
「(強い・・・彼は一体、何者?)」
自らの召喚した使い魔である風竜のシルフィードの背に乗り、ヴェストリ広場を見つめていたタバサ。
その警戒心は更に強まる―――タバサも理由は言えないが歳不相応の実力を持つメイジだ、しかし恐らくどうやってもルイズの使い魔には勝てないだろう。
先程の剣捌きや戦い方を見れば解る、少なくとも彼は自分には想像の付かない程の戦いを経験してあれ程の技術を得たのだ。
だがそれと共に彼の人間性のようなものも理解出来た。
彼が決闘する事になった理由は身勝手な理由ではなく、ギーシュに辛く当たられていたメイドを守る為だった。
つまり彼は自己では無く他者の為に剣を振るったという事・・・言うなればそれはまるで御伽噺に登場する勇者のようにも見えたのだ。
(・・・まあ実際は勇者ではなくて、その勇者に相対する魔王だが)
『きゅい! やっぱりアークお兄様は強いのね! それに格好良いのね!』
・・・そしてタバサしか居ない筈の上空で、誰だかは理解出来ない少女の声が聞こえたのは気の所為ではないだろう。
それが誰が発した言葉なのかは理解出来ないが・・・。
「ひっ、ひいっ・・・!!」
無言・無表情でティルファングを片手に目の前で立ち尽くすアークの姿にギーシュはヨロヨロと力無く尻餅を突く。
最後の一手とも言えるワルキューレの四体同時召喚までも一瞬にして破られ、魔力が底を尽いた状態では既にもう彼に出来る事など何も無い。
「く、来るな・・・来るなぁ!!」
半狂乱のギーシュは造花の薔薇を振り回しながら叫ぶ。
完全に相手の実力を見誤っていた―――こんな相手に己が勝てる訳が無い。
決闘が始まった当初は発揮していた威勢も虚勢もすっかり萎え、今は唯この場から逃げたいと言う思いだけで一杯になっていた。
「や、止めろ・・・こ、来ないでくれ!
ぼ、僕の負けだ! 負けを認める! 君も貴族なら、負けを認めた相手に仇なす事はしないだろう!?
誇り高き騎士ならば負けを認めた相手に・・・」
だがアークは目の前で立ち尽くしたまま動かない。
いや、それどころか手に持ったティルファングをギーシュの首元に突き付ける。
行き成りの行動に恐怖で言葉を失ったギーシュに対してアークは静かに口を開く。
「君は色々と勘違いをしている」
「へっ・・・?」
その口調は今までの朗らかな印象とは全くかけ離れた冷酷にも聞こえるような口調だ。
アークの台詞に意味が判らないかのような表情をして聞き返すギーシュに対し、彼は再び静かに口を開いた。
「まず一つ、清廉潔白の存在が騎士だと言うその考えだ。
大方、自らの立場や状況を引き合いに出せば何もなく終わると思っていたのだろう?
しかし先に言おう―――騎士とは奉ずるものの為、信じるものの為ならば畜生にも成り果てる存在の事を言う。
騎士道と言うのは根にして茎、泥の中にその姿を潜めて上に咲く花を支えるのが役目・・・余人は目に見える咲いた花ばかりを愛でて尊むけどね。
・・・まあ咲き誇るばかりで“他の恩恵によって生かされている事”を理解していない者達には解らないだろうけど」
アークは人間など当に超える程遥か昔から生きている存在だ。
だからこそ形や体面ばかりの騎士道ではなく、原初の時代に存在した泥臭くより効率的な騎士道を理解している。
騎士道とは何なのか? 貴族とはどういう存在なのか? 力持つ者が市井の民の為に何をするべきなのか? そう言った事を誰よりも理解していた。
「もう一つは・・・君は“決闘”の意味を履き違えている。
君は僕が再三確認したのに言ったね、決闘をすると―――決闘というのは本来、互いの譲れぬ思いと誇りと命を賭ける神聖なもの。
故に決闘と言う存在では敗者は“死”を以って終局となるんだよ、君にはその覚悟があったのかい?」
そう、決闘とは本来は互いの全てを賭けてやるもの。
相手を殺す、自分が死ぬと言う覚悟があってこそ成されるものであり、決して己の自尊心や優越感を満たす為のものではない。
だからこそアークはギーシュに何度も確認したのだ、この決闘に“命を賭ける覚悟はあるのか”と。
「君が行った行為は己の優越感を満たす為だけに命を軽んじた事だ。
いやそれだけじゃない―――君は己の自尊心の為に勝手な理由をつけてシエスタを傷付けていたかもしれない。
それでもし彼女が命を落としたり一生消えない傷を負ったとしたら、本当に自分を許せたのかい?」
アークの物言いは淡々としたままで、その言葉には怒りの感情は込められていない。
ただ静かに、それでいてギーシュに言い聞かせるかのように穏やかで、今までとは違いどこか優しさのようなものを含んでいるように感じる。
そこでギーシュは気付く・・・あの時誰も自らを止める者も居らずに進んでいたとしたら、もしかしてあのメイドにもっと酷い仕打をしていたかもしれない。
幾ら相手が平民であれレディにそのような事をしたとしたらギーシュは自分で自分を許せなかっただろう―――
「そうか・・・僕は・・・なんて事を・・・」
己の愚かな行為にやっと気付いたギーシュ。
確かにそもそもの原因は己自身の不義理が理由、メイドであるシエスタが行った事に何の落ち度も無い。
全ては己が蒔いた種、それを他人の所為にした所で結局は何も変わらないし、結局それは都合の良い“逃避”に過ぎないのだ。
貴族は偉いから人の上に立つのではなく、弱きを護れる力があるからこそ人の上に立つ―――そんな当たり前な事を己は忘れていた。
そんな雰囲気の変わったギーシュの首元からアークはティルファングの切っ先を下ろす。
「どうやら自分の間違いに気付けたみたいだね。
だったら僕からこれ以上言う事は何も無いよ・・・悪かったね、怖い思いをさせたようでさ」
そのままアークはティルファングを腰のホルダーに戻すと踵を返してヴェストリ広場を後にする。
ギーシュは尻餅を付いたままであったが去っていくアークの背を黙って見つめる―――その背は彼の外見不相応にとても大きく、そして高く見えていた。
それと一瞬目を擦りながら瞬きをするギーシュ・・・それは去っていくアークの姿が一瞬だけ大人の姿に見え、その周囲に見た事の無いような服装をした人物達の幻影が見えたからであったと言う。
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~これは大魔王が少年に覚悟の在り方を語った昼の出来事~