空から女の子が降ってくると思うか?
多分、全人類の八割方はありえないと答えるだろう。
それもそうだ。空から人、ましてや女の子が降ってくるなど、アニメやマンガの世界だけだ。
現実と空想は違う。だから、そんなことはありえない。
だが、必ずしもそうではない、とは言い切れない。
空から女の子が降ってこないと、なぜ言い切れる?
根拠はあるのか───いいや、あるはずもない。
なぜなら、それは誰も体験したことがないからだ。
だからこの俺、鬼仙零嗣もありえないと思っていた。
そう───この時までは。
ピン───ポーン
妙に間の抜けたチャイム音が、俺を深い眠りのそこから引きずり上げた。
朦朧とする意識のまま体を起こし、恐らく顔がとてつもなく崩壊しているレベルの大あくびをすると、向かいのベッドに目線を向けて口を開く。
「おいキンジぃ、お前に客人だ」
「ぁぁ……?」
布団に丸まりながらボケ老人のような返答を返すこいつは、遠山キンジ。俺のルームメイトであり、多分かけがえのない親友である。
「ぁぁ、じゃねーよ。お前に客人だっつってんだろ?」
「……俺に?」
誰だよ、とダルそうに体を起こしながらキンジが訪ねてくるので、俺は正直に答えてやった。
「多分、いやぜってー“白雪”」
白雪。その言葉を聞いた瞬間、寝ぼけ眼だったキンジの眼が覚醒し、そして落胆した。
「……マジか?」
「ああ、マジだ。あの妙に間の抜けたチャイムの鳴らし方───間違いない」
ハァー、と項垂れながら、キンジはベッドから下りた。そして頭をポリポリとかきむしりながら、渋々玄関へと向かっていった。
余談だが、扉を開いた時にキンジが発したうめき声は俺のいる寝室まで聞こえてきた。
星伽白雪。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、才色兼備とまぁ、この世に存在するありとあらゆる言葉を使っても足りないぐらいの超完璧人間だ。
そんな超人サマがこんなむさ苦しいところに朝早くから来るのは、彼女が心の奥底から溺愛している幼馴染のキンジのためである。
だからこうして朝早く来るのは、大方愛しのキンジのために朝飯で持ってきたのだろう。羨ましい以外の何ものでもない。
だが肝心の相手であるキンジは、あろうことかそのことにまったく気づいていない。そのことから俺の間ではキンジのことを通称、朴念仁と呼んでいる。うん、実にいい名だ。
というか、俺は未だになぜあんなネクラヤローが美という字をそのまま具現化したような存在から好かれるのか分からん。
これは多分、俺の人生での一番の研究テーマとなりうるはずだ。
さて、これでキンジは飯の心配がなくなったわけだが俺はそういうことにはならないのだよ。
というわけで、俺の朝飯はバランス栄養食として知られているカロリーメ○トにトマトジュースをドリンクとしたとても質素なものである。
ああ、今頃リビングで美味そうに飯を食っているキンジになんだか無性に腹が立ってきた。
そんな嫉妬の念を抱きながら、カロリーメ○トとトマトジュースの保管されているキッチンへと向かう。キッチンはリビングにあるため、当然俺は白雪の発動している固●結界に飛び込むことになるわけだが、通り過ぎるだけなので被害はほぼ0に近いハズだ。
ただ通りすぎるだけだろうとおっしゃいますか? いやいや、それがまた違うのですよ。たしかによく考えてみればただ通りすぎるだけの作業だが、うちのキンジがそうはさせてくれないのだ。
「おっ、零嗣お前もどうだ?」
そう、こいつにはデリカシーというものが存在していない。プラス朴念仁と来たモンだから、こうして目の前に好意をガンガン寄せている相手が居る前でそうやって第三者に同じ空気を吸わせようとしてくるのだ。
「……いや、俺はいい。朝はあんま食わねーんだ」
「なんだ? 白雪の飯は別にまずくねーぞ?」
「そういうことじゃ───……とにかく、俺はいい。お前だけで食ってくれ」
キンジにそれだけ言うと、俺はキッチンからカロリーメ○トを、冷蔵庫からトマトジュースを取り出しすぐさまリビングを退出して自室へと向かった。
はっきりと言おう、もう死ねよお前。
なに? 君はアレですか? ラノベの主人公気取りですか? そうやって俺に見せつけて楽しいですか? ええ?
もうあれだ、お前は肉体的にも精神的にも社会的にも死んでしまえ。
と、親友に本気で殺意を覚え始めた俺であった。
さて、朝から見せつけて(一方的に白雪が)くれたおかげで俺のイラつき度も相当な数値になっているわけだが、どうやら今日はすぐに忘れそうだ。
なぜなら今日は新しく再スタートする学生生活の初日、俗に言うところの始業式である。休みが終わるのは少し残念だが、二年生になり新たな仲間とともに過ごすのも悪くない。
それに学校が始まるということは、俺の小遣い稼ぎが再スタートできる意味でもあるのだ。
東京武偵高。それが、俺の通う学校の名前だ。
名前からしてそうだが、普通ではない。ここではほとんど、一般高校生が学ぶべきものではないものが混ざっている。
武偵、という言葉を知っているだろうか?
武偵とは武装探偵の略であり、凶悪化する犯罪に対抗するために国が新設した、いわゆる国家資格だ。武装免許を持つ者は銃剣などの武装を許可されている。
その武偵を育成するために設立されたのが、武偵高。
だがこの武偵、俗に言う正義の味方のようなものに見えるがそうではない。武偵は依頼をこなす代りに、依頼主から報酬金を受け取っている。
つまり武偵とは、警察に近い存在ではない。どちらかというと、なんでも屋に近い存在だ。
しかし、いくらなんでも屋といえど人殺しはしない。それは武偵法を破るということだ。
武偵法は武偵活動をする上での法律のようなもので、これを破ると武装免許を剥奪され、二度と武偵となることはできない。ただまぁ、やむを得ないって時は破ったりするんだが。
そして何より、武偵は犯罪者からすれば厄介ものだ。
だから、命を狙われることもある。
例えばそう───
「こんなふうに」
「な、にがっ! こんなふうにだこんちくしょうォォォおおおおおおお!!」
必死でペダルをこぐキンジ、そんなキンジをチャリの後ろから呑気に見つめる俺。
そして、轟音を響かせながら共に近づく黒光りする短機関銃を付けたセグウェイ。
ご覧のとおり、今俺たちは世にも珍しい、“チャリジャック”に遭っているのだ。
『ソノチャリニハ、バクダンガシカケラレテヤ、ガリマ、ス』
人の声ではない機械の声、いわゆるボーカロイドというヤツなのだろうか。そんなものに、俺たちはさっきからずっと、こうして支持を突きつけられている。
「うーん、どうしてこうなったよ……」
そう、事の発端はつい先ほどのことだ。
寮を出てバスに乗ろうと思ったら既にバスは出発。仕方なくチャリで行こうかと思ったが生憎と俺のチャリは先週事故って大破。
そんなわけでキンジの持っているチャリに二人乗りで行こうということになりどちらが運転するかジャンケン。
そんで俺が勝ったわけだからキンジが運転して俺は後ろに乗って行っていた。
その数分後だ、こんなことになっているのは。
あれか? 神はそんなにも俺が憎いか? いやこの場合俺じゃなくてキンジの方だろう。天罰を下したのはいいが運悪く俺が巻き込まれたってところか。
「さってキンジぃ、この状況どうする?」
「どうする? じゃねぇーよ!! 俺は今運転に集中してんだ、悪いがお前が何かいい策を出してくれっ」
と言われても、この条件でそれはきついぜ。
ケータイで助け呼んだら爆発、減速したら爆発、妙な真似をしたら短機関銃ではちの巣だぞ? いきなり難易度MAX仕掛けてきてんじゃねーぞ。
暢気に愚痴ってはいるものの、俺も正直やばいと感じていた。
この時間帯だ、少なくとも助けが来る可能性は限りなく0に近い。抵抗しようにも少しでも動けば銃撃、かと言ってこのままでもいずれは爆弾が爆発するだろう。
となれば答えは一つだ。
「───キンジ、とりあえずはグラウンドをぐるぐる回るってのはどうだ? もしかしたら騒ぎに気づいて助けてくれるかもしれない」
「よ、よしっ! それだ!」
という訳で、俺たち二人は爆弾という大きな、そして危険極まりないプレゼントを持って武偵高へと向かうことになった。
いやー、朝から●有結界の持ち主が押しかけてくるはチャリジャックに遭うは、どうやら俺には光の速さで死亡フラグが乱立しているようだ。くそっ、笑えねぇ。
それにしても、なんでこんなにも空は青々としてるんだろうな。この俺がこんな状況に陥ってるってのに、助けの一つきやしないってのに。
ああ、なんとなく、どこぞのギョロ目旦那の神を嫌う気持ちが理解できたきがするわ。
雲一つない青空が、この時やけに憎々しく見えた。
そんな時だった。
俺が、あいつを見たのは。
「───ん?」
ここからそう遠くない女子寮。その屋上のフェンス上に、淡い人影が見えた。
身長は小さい、小学生だろうか?
だが、とても普通の小学生とは思えなかった。
そう遠くないとはいえ、いくらか距離はある。なのに、こんなにも強い威圧感を感じたのは初めてだ。
しかし、あんなところで一体何を……。
そう思ったときだった。
突然。
その小学生が転落した。
「───へ?」
思わず、そんな声が口から漏れてしまった。
意味がわからない。あの小学生は今どうした? お、落ちた!?
「ちょ、ちょちょちょちょちょっキンジっ!!」
「なんだよ零嗣っ」
「い、今、女子寮から人が落ち───」
落ちた。そう、たしかに落ちた。
だがそれが、“必ずしも死につながる”わけではない。
ふと、目線を上げた。多分、なんとなくだったんだろう。
先ほど転落した女の子が、いつの間にか開いたパラグライダーをなびかせ、こちらに向かっていた。
風が強いせいなのだろうか。その子は俺たちの横を通り過ぎ、後ろへと行ってしまった。
通り過ぎる瞬間、その子の姿がまるで、スローモージョンのようにくっきりと見えた。
淡いピンクと紅色が合わさった緋色の髪は煌めき、カメリアの瞳はまるで宝石をそのまま目に埋め込んだかのような輝きを放っていた。
思わず俺は、その姿に見とれていた。
そんな俺に喝を入れるかのように、背後からその子の怒声が響いた。
「ほらそこのバカ二人! さっさと頭下げなさい!」
キンキンに響くアニメ声。
その言葉通り、俺たちは素直に頭を下げた。
直後。
五、六発ほど、銃声が響いた。
同時に、セグウェイの地面を走る音が消え、代わりに機械が地面に叩きつけられるような音が響いた。
ゆっくりと、頭を下げたまま背後を振り返ってみた。
そこには既に、セグウェイの姿はなかった。
あ然とした。
あんな小さな、しかも女の子がやってみせたんだ。もう、あ然とすることしかなかった。
セグウェイを大破(恐らく)した女の子は、そのまま巧みに気流を操り、そしてあっという間に俺たちを追い越し前へと現れた。
そのまま撤退するかと思ったが、どうやらまだ終わりではないご様子。
女の子は、こちらに近づいてきた。
「く、来るなっ! この自転車には爆弾が仕掛けられてるんだっ!!」
その子を庇って、のつもりなんだろう。キンジが大声で叫んだ。
だがそんなキンジの言葉は聞く耳持たずと言わんばかりに、今度は女の子が叫んだ。
「武偵憲章一条! 『仲間を信じ 仲間を助けよ』。行くわよっ!」
その言葉を合図に、女の子は行動に移った。
そう、パラグライダーのハンドルにつま先をかけて宙吊り状態になるという、前代未聞の行動へと。
「……マジすか」
思わず、某アイドルグループ主演学園ドラマのキャッチフレーズを呟いてしまった。
無理もないだろう。なにせ目の前で宙吊りをしてみせたんだ、しかもパラグライダーで。
というか、これに対してノーリアクションの方がすげーよ。
とかなんとかしてるうちに、女の子は両手を限界にまで広げてこちらへと近づいてくる。
ははっ、どうやら神は、キンジのことがよほど憎いみたいだな。
そしてその天罰に巻き込まれる俺は、相当運が悪いと見た。
「……キンジぃ、この状況であの助け舟だ。お前ならどうする?」
半分、イジワルそうな笑みを浮かばせながら、通称女嫌いのキンジに訊いてみた。
返ってきたときの声色は、とても苦々しく、そして今日この日この時間帯に出てきた自分を呪うかのようなものだった。
「───ッ、仕方ねぇ!!」
そう言うと、キンジはハンドルから両手を離し、空高く振り上げた。
「まぁ、そうするしか助かる道はねーしなっ!」
そして俺もそれに続き、両腕を空高く振り上げた。
その数秒後だった。
女の子がキンジへつぶつかり、キンジが俺へとぶつかったのは。
キンジの体を必死で掴むと、さっきまであった何かの上に乗っているという感触がなくなった。
そして。
戦争のないここ日本ではまずありえない、テロレベルの大爆発が起きた。
地面が砕け散る錯覚に襲われるほどの轟音が耳をつんざき響く。爆風が爆弾の残骸や鉱物を一緒に運び俺の体を空中で泳がせる。
どっちも、うるさいとか突風とかいうレベルじゃない。
本物の爆弾が奏でる、戦慄のワルツだ。
次第に、五感が薄れていくのがわかった。
ああ、これが意識を手放すってやつなのか。
そんな思考を最後に、俺の意識は完全に手放された。
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男は理想を抱いていた。
世界中の人が笑って暮らせる世界をつくる、そんな夢物語だ。
だが男は、本気でそれを叶えようとしていた。
そしてある日、それは唐突に崩れ去った。
男は全てを失った。
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