夢見の庭園
白い世界。
どこまでも広がる白い世界。
白いキャンパスの中のようなそんな場所に私は立っていた。
ここはどこだろう。
私はどうしてこんなところにいるのだろう。
自分の姿を確認しようと視界を動かすが、身体を確認することができない。
そうか、これは夢なんだ。
ただいつも見ているような、見慣れた町を徘徊したり、知人が出てくるようなありふれた夢とは少し違う。
ただ白いだけの夢。
白い空間がどこまで続いているのか気になり、私は少し歩きまわってみた。
歩いても歩いても白。
どのくらいの時間が経ったのかも分からない。
そして、自分が前に進んでいるのか引き返しているのかもよくわからなくなってきた。
「ここにお客さんとは珍しいなあ」
突然目の前に青年が現れ、私は驚いた。
長身で黒い燕尾服を着ていて、まるでどこかの執事のようだ。
「驚かせてしまってすまない。でもこちらも驚いているのでね」
彼は私に近づくと、興味深そうな目で私を観察し始めた。
彼には私の身体は見えているのだろうか、熱心に観察している。
一通り観察したらしく、小さく息を吐きながら彼は言った。
「長い間彷徨ってきたけれど、身体のないお客さんは初めてだよ。」
やはり彼にも私の身体は見えなかったらしい。
しかし、そうするとどうやって彼は私の存在を確認したのだろうか。
そして彼は一体何者なのだろうか。
彼もまた私の夢に出てくる名も無き存在なのだろうか。
「君がそうやって疑問に思うことは当たり前だろうね」
彼の声に私は驚いた。
私の考えが彼に読まれている…。
「読む、というより聞こえている、と言った方が正しいかな。君が考えることはここでは筒抜けだよ。なにせ君の夢だからね」
夢。やはり夢なのか。
私は少しほっとした。
夢であればおかしなことが起こっても不思議ではない。
この間も空を自由に飛びまわる夢を見たばかりだ。
「空を飛ぶ、なかなか興味深い夢だね。私も見てみたかった」
また心の声を聞かれて私はどきりとした。
いくら自分の脳が作り出した存在とは言え、考えが相手に分かるというのは良い気分ではない。
「君は勘違いをしているね。私は君の夢にはいるが、君の想像力が生み出したものではない。そしてこの世界も、夢ではあるが夢ではない。」
夢であって夢ではない…。
ではここは何なのだ?
「そうだねえ、夢と夢の狭間のようなもの、かな。」
彼はさらりと答える。
夢と夢に狭間などあるわけがない。
そもそも夢とは脳の働きによって見てしまうただの現象だ。
「まあ、詳しい話はゆっくりお茶でも飲みながらしようじゃないか」
彼はそういうと右手を軽く振った。
そうすると、目の前に頑丈そうな門が現れた。
「さあどうぞ、中へお入り下さい」
青年が仰々しく会釈をすると門の扉がゆっくりと開いた。
彼が導くままに門をくぐる。
門の向こうに広がっていたのは、花の溢れる庭園だった。
今までいた白の世界とは違う、その美しく華やかな庭園を見て、私は思わずため息をついた。
綺麗に整えられた垣根と、そこに咲く多くの花々。
テレビや映画で見るような素晴らしい庭園だった。
私は吸い込まれるようにその庭園へと入っていった。
青々しい緑と、色とりどりの花に囲まれながら庭園の奥へと入っていく。
その一番奥にはアンティーク調のテーブルセットが置いてあった。
「さあどうぞ。おかけになって下さい」
いつの間に来たのか、さっきの青年が椅子を引いて私を促す。
私は自分の姿の見えないままぎこちなく椅子に座る。
青年は向かい側の椅子に腰を下ろすと、パチンと指を鳴らした。
すると、目の前にかわいらしいティーセットが現れた。
「紅茶は好きだろうか?お茶会と言えば紅茶だろう」
青年は慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ。
「さあどうぞ。味は保証するよ。といっても、今の君が飲めるのであればね」
少しからかうような口調でカップを差し出す。
今の私は身体が無いようなものだ。カップを持つことなど出来るはずがない。
「それはどうだろうね。試してみたらいかがだろうか」
彼の言葉を聞き、私は恐る恐る自分の手を(といっても何も見えないのだが)動かしてみる。
カップの感触を感じ、そっと両手で包みこむような動作をして持ち上げる。
そして恐らく口があるのであろう部分へとあてがい、少し斜めに傾けた。
こくり
紅茶の香ばしい香りと味が広がる。
私は少しほっとしながらカップを注意深くテーブルに置いた。
「どうだい、味は良いだろう?」
目の前の青年がほほ笑む。
ああ、とても美味しい。
「それは良かった。身体が無くても飲み食いはできるようだね」
そういうと彼も自分のカップに口をつける。
そうだ、身体だ。
どうして彼は私の身体が見えないのに私に気付いたのだろうか。
「それは何といえばいいのか、魂の気配というのを感じたんだよ」
魂の気配。
「そう。人間の魂には何か不思議な気配を感じるんだ。だから姿が見えなくても君の存在がわかったんだよ」
そうだったのか。
それなら私は今魂だけの存在ということになる。
「まあそういえばそうだけれど、本来なら夢の世界でも自分の身体を認識出来るはずなんだよ」
それはどういうことだろうか。
「人間は夢の世界に入ると魂のみの存在となる。でも、夢の中でも自分自身の身体を認識し、見えるように魂が働きかけるんだ。
そして、夢の中で動く仮の身体を作り出し、魂の器とする。
だが君はその器が無いようだね」
夢の世界、魂、器…。
とてもじゃないが信じられない。
これはただの夢だ。
夢は脳の働きによって見るただの現象にすぎない。
夢の世界などあるわけがない。
「君は今の自分の状態を見てもまだ信じないのかい?
まあ仕方がないことだけれど。
ここに来る人間は皆同じように言うからね」
ここに来る人間?他にも誰かがこんな訳の分からない世界へ来ると?
「その通り。夢は誰だって見るだろう?人間はそれぞれ自分の夢の世界を持っていて、眠っている間は魂がこの世界に来るんだ。
ここは夢と夢の狭間にある世界だから、時々君みたいに自分の夢から抜け出した魂が彷徨い来るのさ」
夢の世界。
そんなものが本当にあるのだろうか。
しかし、今の状況を考えると「ある」と考えるのが妥当だろう。
「君は割ともの分かりが良いみたいだね。話が早くて助かるよ。
この間話した老人はずいぶん頭が固くて、結局納得せずに帰っていったよ」
彼は面白そうに話した。
そういえば彼は一体何者なのだろうか。
彼も彷徨える魂なのだろうか。
「私はちがうよ。確かに彷徨ってはいるけれど、君たちのように肉体があるわけじゃない。
私は『夢の樹』の花から生まれた、言わば花の精霊、というところだろうか」
花の精霊?夢の樹?
「人の見る夢を養分にして生きる樹、それが夢の樹さ。
それはこの夢の狭間にあって、どこまでも長く根を伸ばしている。
もちろん君の夢にもね。
この樹は時々気まぐれに花を咲かせるんだ。そしてその中には私のような肉体のない魂だけの存在がいる。
君たちはこういう存在のことを精霊と呼ぶのだろう?」
精霊か…。
確かにロマンチックに言うとそうなるのだろうが、目の前の執事のような青年が精霊とはとても思えない。
「君の想像とは違うみたいで申し訳ないね。
私も好きでこの姿に生まれた訳ではないからね。
偶然夢に出てきた青年を夢の樹が気に入ってしまってこういう姿になったようだよ」
彼はくすくすと笑った。
私は彼の話を聞いて自分の身体について考えてみた。
彼のような精霊にも身体がある。
そして人は夢見る間仮の身体がある。
だが私はどうだろうか。魂だけの中途半端な存在ではないか。
「そうなんだ。君にはあるべきはずの身体が無い。
もしかすると…」
言いかけて彼は口を閉ざした。
何か戸惑っているようだ。
一体私の身体に何が起こっているのだろうか。
知りたい。
教えてほしい。
私は無い身体を乗り出した。
「いや、その…言いにくいんだがね、君の身体は…肉体の方が限界なのではないかと思ってね。
現実世界で何らかの原因があって君の肉体は魂が感じることのできない状態になっている。
たとえば肉体と魂が分かれてしまっているとか」
魂と肉体が分かれる…つまり、私は死んでいるということになるではないか。
「まだそうだと決まったわけではない。現に君はこの夢の狭間にいる。
夢は生きている人間が見るものだ。だから君はまだ死んでいない。
だがかなり危険な状態だとは言える」
つまりは死が近い…ということか。
どうすればいい?私は何も出来ずにこのまま死んでしまうというのか?
そんなのはいやだ!私はまだ死にたくない…。
「…いいだろう。少しだけ助けてあげよう。
折角久々にお客様が来たんだ、何もせずに死なせてしまうのは気が引ける。
君を身体の在り処へと導いてあげよう」
彼は指を鳴らした。すると、庭園も何もかもなくなって暗黒の世界へと変わっていった。
どこまでも広がる暗黒の世界。私は恐怖を覚えた。
「大丈夫、私がそばにいる。
少し彷徨うだけだ」
彼は見えないはずの私の手を握り、優しく囁いた。
それが私にはとてもうれしく、安心した。
暗黒の世界はゆっくりと色を変え、さまざまな情景を私に見せた。
どこか遠くの町の風景、雄大な高原、深海…。
写真のように鮮明に写り、そして変わっていった。
きっと私の知らない誰かの夢なのだろう。
私は今多くの人の夢を巡っているのだ。
人の夢はなんと美しく、そして幻想的なのだろう。
「もうすぐだよ。君の気配と同じ気配を感じる」
彼は言うと私の手を離した。
私は手を伸ばして彼の腕をつかもうとした。
だが彼は遠ざかっていく。
「案内はここまでだ。これ以上行くと現実世界に出てしまうからね。
私は現実世界に行くことは出来ないんだ。
ここでお別れだ。ありがとう、見えない友人」
そういうと彼は私に手を振った。
私もそれにこたえようと懸命に手を振った。
どんどん彼の姿が遠ざかっていく。
私の意識も徐々に遠くなっていく。
そして…
視界がぼんやりとしている。
誰かが私のそばで騒いでいる。
「だれか先生を!目を覚ましたの!」
その顔を見て私は思い出した。私の母だ。
母は涙を流して私の名を呼んでいる。
ああ、帰ってきたのだ。
私は自分の腕を見る。点滴の針が刺さっているのが見えた。
私は数日前交通事故に遭って、今まで意識が戻らなかったそうだ。
もし彼が導いてくれなければ私はそのまま死んでいたかもしれない。
「名前を聞けばよかった…」
不思議な青年。
私を最後に友人と呼んだ彼。
私は彼の名前すら知らないのに。
もう一度会いたい。
会ってお礼を言いたい。
そして今度は楽しいお茶会をしたい。
私はそっと目を閉じ、彼の姿を思い出していた。
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ある人の夢。