その同時刻、信奈に呼ばれた良晴は、待ち望んでいた場所への一歩目を踏み出した喜びにうち震えていた。
ああ、そうだ、『侍』相良良晴の原点へ今、自分は戻ってきたのだ。
待つこと五分ほどで、浴衣のような簡素な着物に身を包んだ信奈が姿を現した。
「またせたわね!」
「いえ、大丈夫です。」
「デアルカ。まあ、下らない用件じゃないから安心しなさい。」
そう快活な調子で返すと彼女はスッと目を細め、良晴を見つめた。
「単刀直入に言うわね。貴方は何者?」
「おや、お調べになっているのでは?」
「意地悪ね。調べても何も分からなかったから聞いてるのよ。実力がある相手に力づくなんて可能な限りしたくもないしね。」
「それを臆面もなく口に出来る方が凄いと思われますが。」
「まあね、それで答えは?」
歯に衣着せぬ態度に苦笑しながら彼女の問いに答える。
「一つ、確認を宜しいですか?」
「私が語ることが、どんなに荒唐無稽(こうとうむけい)に聞こえても、最後まで聞いていただけますか?」
その言葉を聞き、信奈は良晴を睨み付けた。
その物言いが、自分を煙に巻こうとしているようにしか見えなかったからだ。
だが、見つめ返す瞳に曇りはなく、そして続ける言葉にも、全くと言って良いほど淀みがなかった。
「わたくしは、少し前神隠しに巻き込まれ、この世界に来ました。だからどなたが探しても、私の故郷は見つからないはずです。」
彼女は無言で脇差しを抜き良晴の首筋にあてた。
偽りを述べればそのまま首筋を切り裂くという無言の脅しである。
そのまま顎をしゃくり、続きを促す。
「そして、この国に来たのは、私の夢を叶えられる所がこの尾張しかないからです。」
彼はここまで強硬な手を打たれても、信奈に対して怒りや悲しみは覚えなかった。
彼女が警戒する理由が察せられたからである。
織田信奈という女性は外国人にすら差別意識を持たない女性である。
当然、故郷を無くしたものなど山ほどいる戦国時代で、生まれが不明であることを理由に能力を疑うことはしない。
それゆえ、良晴の出自が不明であることを理由に疑いをもつことなど本来はしない。
ではなぜ良晴は詰問されているのか。
それは、簡潔に言えば、『相良良晴』という存在が彼女にとって
国が割れていて意思統一が為されていない尾張の先を憂慮する彼女の前に図ったかのように介入し、彼女の望む方向に動かしてゆく『相良良晴』という武人は、事態の楽観視を嫌う彼女にとっては怪しさ満点だったであろうことは想像に難くない。
その疑念を払拭するために、何故わざわざ弱小の尾張を選んで士官したのか、納得のできる理由が欲しいのだろう。
突きつけられた刃の冷たさを感じながら、良晴はそう心のなかでひとりごちた。
一方、信奈も心の中は見た目ほど平静では無かった。
彼の武力と智謀の高さは、たった数日だけでもいやというほど実感した。
ここで相良良晴という男を自分のものに出来なければ、私の野望は泡と消えるかもしれないとまで思ってはいる。
自分の中の『女』としての部分が、彼に惹かれていることもまあ、認めている。
よく誤解をされがちだが、彼女は基本的に『天下統一』という夢を叶えるため、『女』としての自分を捨て、『戦国大名』としての職務を果たすことを自らに課している。
一見破天荒に見える言動も、彼女なりに理由があったためしているだけである。(少なくとも彼女はそう考えている。)
それゆえに、彼の真意を読み間違い、尾張を滅亡に導いてしまう事を避けるため、今ここで真意を問いただすことは、避けて通れぬ道であった。
互いに思考を巡らすことで生まれた沈黙が数秒の時を刻んだ後、首筋に当てられた刃をまるで無いかのように良晴は言葉を紡いだ。
「俺の夢は、たとえ心無い者達から侮辱されても諦めず、天下を統一し皆が笑って暮らせる日本を望む貴方を支えたいというものです。だから、貴方以外に仕えても意味がない。貴方にしか仕えたくない。」
『えっ!?』
一瞬、あまりに予想外な返答に思考が止まる。
「あ…え…あ、あんた何言ってんの!本気!?」
「当たり前だ、この状況で嘘など言えるか。」
真っ赤な顔で慌てふためく信奈に良晴は真顔で返す。
実は良晴も恥ずかしさで公の場での敬語が取れているのだが、信奈はそれどころでは無かった。
人生で生まれて初めて自らの夢を全肯定された上に、命のかかったこの場でこの口説き文句である。
余りに予想外の返答に思考が止まるのも当然であった。
顔を真っ赤にしながら信奈は数十秒良晴と見つめあう。
「へえ…良晴は私が欲しいの?でも風来坊の貴方と私では、たとえ結ばれても周りがなんて言うか分からないわよ。」
「貴方を手に入れられるなら、安い代償です。」
口から出た素直じゃない言葉に返ってきたのは、心のこもった一人の女性に対しての言葉。
自分が手に入れられないと、諦めていたものだった。
知らず、涙が一筋零れ落ちる。
彼は何も言わず、南蛮渡来のハンカチを彼女に手渡した。
こんな所まで手際のいい事に呆れながら、信奈は涙を拭う。
流れる涙がひどく暖かく感じられた。
※※※
しばらく間を置いた後、再度問いかけを開始する。
聞きたいことはまだある。
「いいわ、貴方の言いたいことは分かった。とりあえず納得してあげる。御褒美は貴方の働き次第ってことで。」
「ありがとうございます。」
とりあえずこの話に一区切りをつけながら、他の聞きたかった事を口にする。
「大きく二つ。一つ目は信勝の事はどうする?」
「早急に手を打ったほうがよろしいかと。今川軍は頂点こそ阿呆ですが兵は弱兵ではございません。片手間に倒せはしないでしょう。具体的には、期限を決めた警告文を送り、従えばそのまま捕縛、内乱を起こすようなら信勝様以外を見せしめに少々殺める覚悟で鎮圧します。」
打てば響くような返答に満足しながら、続けて信奈は、もう一つの自分にとって大事なことを口にした。
「もうひとつ、これは個人的に聞きたいんだけど、貴方が犬千代とねねを嫁に迎えているわよね?そして私の事も欲しい。戦国では当然のような風習として一夫多妻はあれど、全員に本気で向き合おうとすればその苦労は並大抵のものでは無いわ。その覚悟はあるの?」
私が欲しいと言った言葉にどれほどの覚悟を込めたのか。
下手な言い訳等を口にするなら殴り倒すつもりで詰め寄った信奈に対し、良晴は真正面から向き合い答えた。
「『自分が大切だと思える女性に死んで欲しくない。幸せになってほしい』女性と向き合う際に絶対に守ると己に課した、たった一つの誓いです。」
「だが、そのちっぽけな願いをこの戦国時代で実現することは嫌になるくらい難しい。遠方で救援が間に合わず城と共に運命を共にする。謀反を起こした者に嫁入りした方が子供と共に殺される。そんな見たくも無いものを嫌というほど私は見てきました。」
その時の事を思い返したのか虚ろな目となった良晴を見て、信奈は聞いた事を少し後悔するものの、聞いたものの責任として彼の言葉に耳を傾けた。
「だから私は死んで欲しくない女性は妻として迎え入れて離さない、絶対に守り通すと決めました。その気持ちはたとえ世界を敵に回そうが変わりません。彼女達の事も、貴方の事も、精一杯幸せにします。」
そう締めくくった良晴に対し、信奈は内心で微笑んだ。
商才を持ち、武芸に優れ、超然とした佇まいを崩さないを崩さない男『相良良晴』。
そんな男が吐露した、心の弱さ、我儘さ、そして優しさが入り混じった本音が信奈にはかわいく思えてしまったのだ。
一言で表すなら『馬鹿なひと』とでも言えば良いのか。
話し終えて真っ赤に俯く良晴の頭を抱きしめると、耳元で囁いた。
「全くしつけのなっていないエロザルね、しょうがないわ、心が広い私が特別に許してあげる。」
「ただし、そこまで大口叩いたんなら、私の事は天下一幸せにしてくれるって期待して良いのよね?」
「生涯かけても、幸せにします。」
期待通りの言葉を返した良晴に満足した信奈は、一歩離れると片手を良晴の口元に持っていく。
その白く細い手を、そっと手に取った良晴は、その手の甲に精一杯の愛情を込め、口づけを行った。
(第十二話 了)
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戦国で貫く良晴の『願い』
つたないですが、お読み下さい。