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境界線上のホライゾン ―天下泰平の剣―   第二話 まつりのさき

lampさん

第二話

2012-07-14 00:41:34 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:5640   閲覧ユーザー数:5353

 

 

 青い空、白い雲は相も変わらずだった。もっとも直にステルス航行中に移行し白い空へと変わるんだろうが。

 通りを制服のポッケに手を突っ込んで進む義昭は、雲の流れを見つめている。今日はいつもより風がある。ただでさえ航行しているときは雲の流れを早く錯覚するというのに、ことさらそう感じるということはやはり今日はだいぶ風があるのだろう。

 天をぼんやりと見つめつつ、脳内では今しがたのやりとりが 反芻(はんすう)していた。

 

 ――義昭、手伝ってほしいんだよ。オメェにも。

 

 無理だ。自分にはその資格がない。終わってしまったことが多すぎるのだ。もう一度希望を持つなんて、臆病であることに慣れてしまった自分にはできないのだ。

 現状維持。

 そうだそれがいい。

 別に今の日常が不幸せってわけじゃない。仲間たちと馬鹿をやったりやられたりして過ごす日々、“武蔵野”の甲板部から武蔵を見渡し過ごす日々どれもがかけがえの日々だ。

 だから、それでいい――

 ――オレは、それでいい。

 

 声。

 

 足下からだった。

『よしあき よしあき?』

 黒い何かがもぞもぞしていた。何かを無理矢理に形容するならば、風呂場の排水溝にたまった髪の毛を思いっきりこねくりまわして団子状にしたもの、である。

 いつだったか聞いたことがある、たしかこいつらは自分たちを()であるとか言っていた。

 はなはだ疑わしい。

「ん? どした、ちびクロども」

 うんこ座りになってできる限り近い目線で会話を試みようとする。黒藻(くろも)(けもの)は主に都市の下水処理を担当している。つまりは普段下水につかった状態であるわけで、当然ながらにおう。彼らも自覚があるのか、のっぴきならない状態にならない限りは下水管の中から表に上ってはこないはずだ。

 ――いったい何があったのか。

 鼻から口呼吸に移行し、義昭は尋ねる。

 

『おみず ない?』

 

 それだけでピンときた。武蔵の各艦は複雑な構造上、内部にある下水管などがゆがみやすい。下水の流れが滞ってしまえばあおりを喰らうのは彼ら黒藻の獣たちだ。生きる(かて)である汚水がなくなれば早い話が死んでしまう。

  

「あるぜ。ちょっと待ってな」

 懐に手を突っ込んで探り、気づく。

 舌打ち。

「しまった、ノリキたちにやったまんまだったな……」

『どしたの?』

「え、いや、持ってはいたんだよ? でもな、ちょっと哀れな労働者にやっちゃって」

『つかえない』

「うぉ、いいやがるね!?」

 持ってはないが、水だ。その気になればいくらでもそこら中にあるんじゃないのか。辺りを見回しながら、

「どうしよ。流石にかわいそうだしな。水か……いっそ便所に流せば一緒理論で、あ、でも今あんま(もよお)してねーな……」

 

 小声でアブないことをぶつぶつ言っている不審者そのものと化していた義昭はいつの間にか側に来ていた彼女に気づかなかった。

「何をぶつくさ言っておられるのですか。義昭様」

「だぁ――ってP-01sか」

 そこにいたのは銀髪の自動人形。目の前の軽食屋兼パン屋で働いている店員である。素性が知れないらしく存在的に不思議タイプなのだが、その店の女主人に拾われたことで生活を許されたらしい。

 彼女こそ、トーリの――

「催すとは、なんでしょう。義昭様が何かしらの会を開くのですか?」

「や、そんな連れションならぬ(つど)ってションはご勘弁」

「? どういう意味なのでしょう」

 首を傾げているが、こちらに説明する義務はなく。仮にあっても断固として辞退する。

「さーなぁ。ってか、お前いいもん持ってんのな!」

 P-01sの手にある柄杓(ひしゃく)(おけ)を発見し、

「こいつら乾いて困ってるんだわ。わりーんだけどそれで水やってくんねーかな」

 黒藻の獣は

『おみず ほしいの』

 続けて、

『よしあき つかえない』

「ば、馬ッ鹿、オメ、今の超鮮やかな交渉術見てなかったのかよ。今に見てろよ、濡れ濡れにしてやる! 頼むP-01s」

「肝心なとこが他人形頼りなのはいかがなものかと思いますがJud.(ジャッジ)。それでは――どうぞ」

 まさに命の水を得た黒藻の獣は、感覚器で喜びを表すと、

『ありがと』

 例の言葉を述べて側溝から下に引っ込んだ。

 

 代わりに新しい黒藻の獣が飛び出してきて、次から次に水をかけられては礼を言い戻っていく。

 計が七匹にのぼったころ、その七匹目のヤツが、

『なんで』

 不思議そうに尋ねた。

 自分たちはあまり人から好まれるような存在ではないのに、何故ちゃんと相手をしてくれるのか。

「もとはといえばP-01sたちが生み出したニオイです。それを処理してくれてる貴方たちのニオイを馬鹿にするなんておこがましいと考えます」

 その言葉を耳にし、義昭はぽかんと口を開けて数瞬(ほう)けてしまう。やがて嬉しそうにぶははと笑い出すと、

 

「ちびクロ。オメーらがオレらに見えないトコでがんばってんのを、それでもちゃんと見ててくれる人はいっからよ」

 黒藻の獣は、身を揺すりながらP-01sに近寄る。

『じゃ ともだち?』

「Jud.、認め合う二者の関係を――」

「おう、ともだちだよ。オメーらとP-01sは」

 P-01sの言葉を途中でさえぎり、

『ぴー ぜろわん えす?』

「Jud.、P-01sはP-01sです」

「いやわかんねーよそれじゃ……こいつの、今の名前だよ」

『ありがと』

 理解したのか七度目の礼をP-01sに言うと、

『よしあき』

「ん?」

『ともだち?』

「Jud.、とっくにな」

 景気づけとばかりに、義昭はP-01sから柄杓を受け取り人間相手なら一杯おごってやるような手つきで黒藻の獣に水を振りかけた。

 

『ありがと ともだち たち』

 先ほどとは打って変わり瑞々しくなった獣は側溝に落ちようとする直前で、

『て あらって おねがい』

 一つの友人としての頼みをして消えた。

 

 名残を惜しむように閉じられた側溝の(ふた)を見つめながら、義昭は、

「やっぱな……似てるよ、トーリ」

 そうこぼす。

 

「? 義昭様、何か?」

「んにゃ、なんでもねーよ。――さって、ありがとな」

 残りの桶の水で軽く手をすすぎ、立ち上がる。

「Jud.、それではP-01sは水撒きに戻ります」

 P-01sはすっかり減ってしまった桶の水を再び汲み直そうと店の前の水道へと――したところで、

 

「義昭様」

「ん、どした?」

 固まっているP-01sの視線の先をたどり、

 

「うっわ……」

 

 長く(つや)やかな黒髪が辺りに散らばっている。華奢(きゃしゃ)な身体は最後の助けを求めるように片手のみ前方に突き出したままで沈没しており、せめて横向きに倒れればいいものの直で地面と向き合う倒れ方をしていた。制服の左腕を囲う腕章に(おど)る文字は“副会長”。天下の武蔵アリアダスト教導院生徒会の副会長が、今、ここで、

 

今日日(きょうび)、行き倒れははやんねーよ……本多(ほんだ)正純(まさずみ)センセ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆  第二話 まつりのさき  ◆

 

 

 

 

 

 軽食屋兼パン屋であるところの青雷亭(ブルーサンダー)の女主人はP-01sに外の水撒きをお願いした後、昼の仕込みに取りかかろうとしたところで「準備中」の札が目に入らなかったのか突然の客の来訪を告げるドアの鈴の音を聞いて引っ込んでいた厨房から顔を出した。

 

「わるいけど今は仕込み――って、義昭かい」

「あ、どもどもおっかさん。すんません準備中だってのに、ちょっと欠食児童、拾っちゃって」

「あれまぁ、また正純さん?」

「Jud.、店主、水を撒こうと思ったところ餓死寸前の正純様を発見いたしました」

「ええと、それじゃあとりあえずそこに」

 

 食堂内の椅子はすでに逆さにして机の上に載せられていたためそのうちの一つをP-01sが下ろし、お姫様だっこで抱えていた義昭は正純をそこに座らせる。

 呼吸はある、意識も限りなく薄いがあるにはある。

 だが姿勢を保つ力すらないため机に突っ伏したまま正純はかすれた声で、

「……な……に……か……たべ……」

 

 見てられない姿である。

 しゃーねぇな。義昭は女主人に頭を下げて、

「重ねてすんません、あの、厨房お借りしても?」

「そういえば義昭は料理できんだったね」

 意外そうな顔をされるが、

「まぁ自炊しないと……厳しいんで」

「たまには昔みたいにうちに夕飯食べに来てもいいんだよ? あの子らも喜ぶだろうしね」

 思いがけない申し出に、

「ま、マジっすか。ありがてぇ、今日はおっかさん一段とお綺麗ですね! あまりの神々(こうごう)しさに直視できないっす」

 調子のいい物言いに思わず苦笑しつつ、女主人は、

「使っていいよ、材料もね。こっちは仕込みやらないといけないから、助かるね」

「いえいえとんでもないっす。ありがとーごぜーます」

 腰を折って頭を下げて、腕をまくる。

 

「んじゃ、作るとすっか。まずは――

 

 

 手を洗ってからだな」

 

 

      ◆

 

 

 むさぼる、なんて表現がしっくりくるかもしれない。

 ガツガツと口と料理とを結ぶ箸の運行は止まることを知らず、一息つくごとに水を口にするときでも箸は手を離れなかった。最後のパンを半ば口に押し込むようにしてるのを呆れた顔で義昭は観察しながら、こぼれたパンくずを人差し指の先で集め皿の上へと返す。 

「お粗末様でした、っと」

 コップのお冷も喉を鳴らしながらすっかり飲み干し、ふーっと一息、

「――ご馳走様でした」

 

「ねー一ついいかな?」

 もの凄い笑顔で問いかけてくる義昭に正純は肩をびくっとさせ、

「な、なんだろうか?」

「お前、これで何度目なの」

 急ぎ手袋をつけた手で親指から順に指折り数える。一、二、三、四、五。もう片方も取り出し、六七―

「十は、超えてないはずだ、と……思う」

「表現の仕方がおかしーっつの!」

 義昭は小指の先程度のパンのガワの欠片をデコピンで弾き、見事に正純の眉間(みけん)に当てた。

「す、すまない……」

「オレが通りかかったときにぶっ倒れてたのがこれで三回目。二度あることはうんたら、三度あることは今後もあるってか」

 嘆息(たんそく)

「だいたい餓死寸前レベルの生活ってのが想像できねーんだけど。いくら小等部でのバイトが割よくねぇからっつったって、学費と生活費分ぐらいは貰えてんだろ?」

 ただでさえすくめていた身体がさらに縮む。

「それは確かだ……なんだが、色々と、その、本とか勉強のために使ってると……」

 

 ――どんな理屈だ。収入を趣味に使うのは個人の自由だ、それでも生きるために必要な分を確保してから、余剰分から出されるのが普通だろ。

 と義昭は思うが、異常者揃いの梅組の面子(めんつ)において正純の玉に(きず)の一つは普通に近いことに気づいていない。

 

「――まぁまぁ、義昭もそこら辺にしてやりなよ」

 仕込みも一段落したのか布巾で手をぬぐいながら女店主が義昭たちのもとへとやってくる。正純はその姿を認めると深々と低頭した。

「ありがとうございました。それに……いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません、将来このご恩は――」

「ああいいっていいって礼ならP-01sと義昭に言っておやりよ」

 手うちわを振って謙遜(けんそん)しつつ女店主は義昭に振るも、

「オレは運んで、ついでに作っただけっすよ。見つけたのはP-01sです」

 窓から見える水撒き中のP-01sに正純は後で、ちゃんと礼を言わなきゃなと心にとどめる。

「足利も、ありがとう、助かった」

「へいへいどういたしまして。ほれ」

 

 ぶっきらぼうに感謝の意を受け取り、代わりとばかりに差し出されたのは紙袋と竹皮で包まれた何か。

「そっちの袋に入ってんのはおっかさんから頂いたみんな大好きサンドイッチだ。んでこっちはオレが余った米で握ったおにぎり」

 受け取り、想像していたよりも結構なボリュームであることに驚く。

「こんなに……いいのか?」

「当たり前だろ。お前のために作ったんだから。むしろ量が少なくてこれじゃまた倒れそうだとか言ってみろよ。言ったらオレ泣く」

 思わず失笑してしまう。

「それは、ふっ、難しいな」

「とにかくだ。昼と晩飯にでもそれぞれ食えよ。――今夜から明日は大仕事だろうしな」

 付け加えるように放たれた言葉に、

「? どういう意味だ」

 ぶはは、と破顔(はがん)した義昭は、

「すぐにわかるって」

 

 

     ◆

 

 

 その後、軽い世間話を二三交わして空気が(やわ)らいだ瞬間を狙っていたかのように義昭は切り出す。

「さって、じゃ、オレはおいとまさせてもらうわ」

「どこか行くところでもあるのか?」

「おいおい正純センセ、まだ頭に栄養巡ってないんですかい。オレたちゃ学生だぜ? 授業に出るに決まってんだろ」

 小等部での講師のバイトの後、午後は武蔵アリアダスト教導院学長、酒井(さかい)忠次(ただつぐ)を三河にまで見送りにいかなければならないという正当な欠席理由を持つ正純はともかく、

「そうだ、私はともかく、なんで足利はここにいるんだ!?」

「命の恩人の一人になんでここにいるんだはないだろー。さっき考えたんだけどさ、お前が腹ぺこで徘徊(はいかい)してんのそれなりに有名だから、見かねた監査のオレが生徒会つながりで食料を届けに行った」

 腹ぺこで徘徊って、そんな風評が広まっていることに正純は軽くショックを受けた。エコーがかって頭で連呼されるその単語に身をゆだねたら危うく再び撃沈しそうになる。

「っていう(てい)で、遅刻したってことにする」

「……腹ぺこ徘徊――って、私をダシにするな!!」

「いいじゃん、ダシじゃなくてダチだし」

「そういう問題じゃない! 親指立てたって、なんもうまくないからな!」

 言い争う二人を女主人は微笑ましそうに静観している。

 

「なんか理由こじつけねぇと戻りにくいだろー。いいじゃん協力しろよ」

「こじつけってなんだこじつけって!? そこでなんで私にも責任が降りかかる羽目になるんだ!」

「優等生の正純くんと模範生の義昭くんだからどうにかなる。――間違いない」

「その自信がまったく理解できない……私がおかしいのか……そうなのか!?」

 

 そもそも自分だって諸般の事情で授業には休みがちだ。学業の成績自体にはある程度の自負があるものの、出席状況という観点から見ればよろしくはないはずだ。またこの目の前の男はあの外道揃いの梅組の中でも全裸の生徒会長兼総長(葵・トーリ)と頂点を競い合う超が五つくらい枕詞(まくらことば)としてつく問題児である。

 

 一人自問自答を繰り返している正純に、

「まっ冗談だ。ガッコには戻るけどな」

 我に返った正純は半眼で

「……本当に冗談だろうな?」

 Jud.Jud.、と笑い、

「なんなら何か賭けるか?」

 ひとまずうなずく。向こうから言い出したことだ、聞いておいて損となるようなことはよもやあるまい。あるまい……ない……ないはず!

 

「よし、じゃあもしもオレが言い訳にお前を使ったら、好きにしていいぞ! 点蔵のこと」

「死ね」

 間髪なく完璧に素の声で正純は返した。

 

「お前、忍者がちょっと犬くさいからってそれはひどくねーか!?」

「お前の方がもっとひどいよ!!」

「ちっ、どうでもいいものを差し出せばいいかというオレの崇高な考えが……」

「それ聞いたら点蔵泣くぞ……」

 

 腕組み、他の賭の対象が何かないかと思案する義昭。対する正純はこめかみを押さえ、聞かないほうが少なくとも時間の無駄にはならなかったのではないかと後悔を覚える。いつの間にか、机上には湯気を立ち上らせる湯飲みが二つあり、女主人の姿はどこかと思えばお盆を腰に当てて厨房に引っ込むところだった。

 ――本当に、いつか恩返しをしないと。

 決意を胸に茶をいただこうと手を伸ばし、

 

「そうだ!」

 一つ義昭が拍手を打つ。

 思わず隙を衝かれた形になった驚き正純は手を止める。その一瞬で向かう先にあった湯飲みを一つかっさらわれてしまう。

 

「あっ……」

 行き場をなくした手は一度下げられ、

「はぁ……なんだ、足利?」

 まぁ別にそちらが飲みたかったなどという子供じみたことを言う気はない。目の前の阿呆(あほう)も「独りじめだ」とか抜かすほど阿呆でも、ない……気がする。早く冷ますためふくれ面で湯飲みに息を吹きかけて義昭は、

 

「――“後悔通り(こうかいどおり)”の由来を教えてやるよ」

 

 

 

 女主人が食器を洗っているのかカチャカチャと陶器が触れ合う音と流水の音だけが店内に響いてくる。

 

「それ、は……」

 ――私が、知ってもいいものなのか。

 そう続けようとして、

 

 まだまだ熱いだろうに義昭は一気に茶をあおると喉仏を上下させながら飲み干す。濡れた口周りを制服の袖で乱暴に拭い「ごちそうさまでした」と厨房の方に声を投げかけて、こっちには、

「じゃ、そゆことで」

 それだけ。

 結局さんざ好き放題言うだけ言って、店を出て行ってしまった。

 

 嵐が過ぎ去ったかのように後には静けさだけが残る。あの阿呆は何がしたかったのか。ひょっとして、いいようにからかわれてしまったのか。最後の言葉の意図を探ろうとしてもなかなか考えがまとまらなかった。

 

 どっかの誰かのせいで半分忘れかけていた茶の存在を思い出し、湯飲みを取って気づく。緑色の水面にたゆたう――

「あ……茶柱」

 

 吉兆(きっちょう)のしるしは、はたして両方にあったのか。

 

 

 

 

 

 

     ◆

 

 

 

 宣言した手前、ちゃんと教導院に向かった。

 騒がしいやりとりが響いてくる廊下を、あの連中がどんな光景を繰り広げているのかを想像しながらたどっていくと目当ての梅組の教室が――

「ありま、麻呂と東じゃん」

 扉の前で突っ立ってた派手なザ貴族とでも形容すべき服装に身を包むおっさんと、ともすれば少女と見まごう(やから)も現れかねない可憐(かれん)な少年がいた。

「あ、義昭……」

 東と呼ばれた少年が先に義昭に気づいた。

 

「よう。もう聖連から戻ってきてたのか」

「昨晩に戻ってはいたんだけど、検疫(けんえき)やなんやで解放されたのは今朝方だったんだ」

「んっか、お疲れさん」

「ありがとう」

 

 楽しい談話の始まりを妨げるようにわざとらしい咳払いが二つ。

「何故ここに君がいるのかね。足利・義昭」

 王冠をちょこんと頭頂にのっけたおっさんであった。

「そりゃ親父とお袋がまぐわったからだろ」

「ち、違う! そういうことを言いたいのではない!!」

 取り乱して王冠が少しずれたのを整えながら、

「東君がいる前で下品なことを口にするな!」

「堅ぇこと言うなよ、麻呂。だいたいこいつだって思春期まっただ中だぜ? 脳内は妄想で一杯。いつかは卑猥(ひわい)な言葉を女の子の前で連呼するかもよ?」

 

 ――まさか。

 

「貴様や梅組の問題児連中と東君を一緒にするでない! それと、何度言ったらわかる。麻呂を麻呂と呼んでいいのは麻呂だけだ! ちゃんと学生はヨシナオ教頭先生と呼びたまえ!」

「え~、一人で楽しむなんてズルっこなしだぜ。オレにも言わさせてくれよ」

 

 へらへらと笑ってる義昭の横では、意味がよくわかってないのか清純な心を持つ東が首を(かし)げている。まったくなんでこいつらのような悪影響を及ぼす輩ばかりがそろった梅組に東君が入れられてるのか。今度またあのうだつの上がらない学院長に尋ねてみなければならないかもしれない。

 

「つかこんなとこで突っ立って何してんだよ。とっとと中入ろうぜ?」

 扉に手をかけた義昭だったが、中からくぐもった声が聞こえてきて思わず動きを止める。

 

 

「くっ……駄目です、先生、これ以上……壊れちゃう……」

「耐えてハイディ。先生だって……んっ、ツラいんだから……」

「喜美、サボってないで手を動かして下さい!」

「何よオパーイ揺らしながらエロいわね浅間、ちゃんと口は動かしてるでしょ?」

「下の部分、意外と腰にきますわね……」

 

 なんだこれ。

 

「うーん、なんかティッシュ足らなくないですか?」

「そうさね。拭いても拭いても出てくるって難儀なもんさね」

「で、でも、なんか、これ、べと、べとしてて、面白い、ね」

「ベルちゃん、意外と好き者なんだね。ナイちゃん驚きだなぁ」

「マルゴット、顔についてるわよ」

 

 実に、悩ましい―――!

 

 横では生け()の鯉みたく口をぱくつかせつつヨシナオが東の耳をふさいでいる。今にも説教がほとばしりそうな口先に人差し指でバッテンをつくり、

 

「ま、待て、麻呂。ここはオレがまず中を確認する……!」

 

 義昭は生唾を飲み込んだ。

 

「か、監査だしなあ~オレ、しゃーないよなあ~」

 などと口にしながら、少しづつ桃源郷への扉をじれったい速度で横にずらしていき、

 

 開けた隙間から顔を入れ込む。

 

「おお♪ 義昭ぃ~! どこほっつき歩いてたんだよ、待ってたぜ~!」

 

 最初に視界に収まったのがモザイクだった。上に視線をずらすと男の上裸が広がっていて、それがくねりつつ人間の言葉を喋っていた。

 あろうことかそれがこっち向かって走ってくる。モザイク越しに何かが気のせいかぶらんぶらんと躍動中であった。光の速さで首を引っこ抜き、扉を建物が揺れる強さで叩き閉め――

 

 

 

 悲鳴。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 いわゆる慣性の法則というやつである。物体がその運動の状態を保とうとする性質を慣性というわけだが、仮の話として股間にバナナが一つついてたとしよう仮の話だ。そのバナナのついた人物をAとする。左にいたAは右に喜び勇んで駆けていくも、とある障害物によりその動きを止めようとする。だが、Aのバナナには慣性によってまだ動きが右に働いているため、右にぴょこっと飛び出る。

 ぴょこっとしたのをギロチンされてしまったわけである。

 

 股間を押さえのたうち回る全裸を無視して、青ざめた顔で自分の下腹部を凝視している東を教室に押し込む。

「よ、義昭……大丈夫なの、あれ……」

「大丈夫だ。ヤツは芸人だかんな。時には身体も張る」

 反論を許さぬ口調で断じる義昭。

 

 震える手で全裸が親指を立てて、

「当たり前だろお……ふ、ふふ、これが、ホントのギロチンk――」

 最後が消え入るような声で聞き取れなかったが、全裸は天使に笑いかけるような安らいだ表情で、気絶した。そっと義昭は仰臥していた全裸をひっくり返してモザイクを下にしケツを上にしてやる。

 

「後で花でも添えてやんねーと。菊の花かなやっぱ」

「ちょっと義昭。愚弟の愚息が役に立たなくなったらどうする気!? 愚妹って訳ね、それもありだわ! エクセレント!!」

「知らねーよ。なくなってもまた新しいの生えてくんだろコイツなら」

 

「「「ないない」」」と梅組男子一同は股間を両手で押さえ、あるいは両足をもじもじさせながら首を横に振る。

 

「あの状況になってみろよ。お前ら絶対同じ事すっから」

 今度は縦に振られる。

 

「だろ? まぁでも、ごめんなトーリ」

 謝罪の言葉にケツの筋肉がぴくぴくと動いたのが見て取れた。どうやら意識は取り戻したらしい。

 

「ん。――じゃ麻呂帰っていいよ」

 教室の前で、他男子と同じように股間を押さえていたヨシナオは我に返り、

 

「ちょ、ちょっと待て色々言いたいがあるが。いいかね、足利・義――」

 

 背後から耳打ち。

「よくやったわ義昭。今ちょっとどっかの全裸馬鹿のせいで教室と教室が開放的になっちゃってるからそれごまかさないといけないのよ。だからあの王様が気づかないうちにとっとと追い返しちゃって」

 オリオトライのいう事情はいまいち飲み込めないが、Jud.と小声で返答し、 

 

「いや早く帰った方がいいって、身のためだって」

 義昭が口にした不穏な気配のワードに、

「――どういうことだね?」

 

「や、なんかさ。この前、エロゲ探してたらなんかさ『一人ぼっきの王様 ~淫乱キングダム~』とかいうのが、捨て値で売られてたワケ。どーやら出したトコが潰れちゃったかららしいんだけど、安いしハーレムだし買ってみっかとも思ったんだわ。でもそん時、横にいたトーリがさ『なんかこのパッケージに描かれてる王様、麻呂に似てね!?』とか言い出したんだよ。最初はハァ? とも思ったけど、よくよく見てみたら超似てんだよ。王冠被ってるとことか」

 

「これは麻呂の固有アイデンティティというわけではないぞ!?」

 

 いきり立つヨシナオを、落ち着けって、なだめ、義昭は続ける。

 

「で、その場で主人公に自分が似てたらより感情移入ができて素敵じゃーんってことになって。――思わず十個買って麻呂ん家に送ったんだよ」

「ちょっと待てぇぇえええ――――――!!!!」

 思わず義昭を掴みかかろうとするも、

 

「あ、そいや、今何時?」

 伸ばされた手をはたき落とす。ネシンバラが表示枠(サインフレーム)をかざしながら、

「十一時五分ってとこだね」

 

「おっ、じゃもうすぐだぜ麻呂。知り合いの配送業者に今日の昼前でって頼んだからな。なっ、ナイっち?」

 ナイトが元気よく頷く。

「うん。“提督”は時間にうるさいからねー」

 

「今頃、麻呂んとこの奥さんが受け取ってるんじゃねーの」

 顔をゆがめて、何かを吐き捨てようとするが、鋼の自制心を保ちヨシナオは、

 

「くっ、失礼する――!!!」

 肩を怒らせて教室から走って出て行った。

「ばいばーい」

 手をひらひらさせて送り出した義昭の肩にオリオトライが手を載せて褒める。

 

「方法はともかくとして、助かったわ。あの王様怒るとネチネチしつこいのよねー。うんうん」

「そりゃ教師が校舎の壁ぶち破りゃ怒ると思うけどな」

 人の形にぶち抜かれた目下補修中の穴が昨日とは違う教室の特徴となっていた。

「ん、何か言ったキミ?」

「ってさっき、点蔵が言ってましたー」

 

「ちょっ、義昭殿!? 命に関わるような無茶振りは自重してほしいとあれほど言ったのに!!」

「あ? んなこと言ってたっけ?」

「言ったで御座るよ!! 思いっきり自分に昼飯おごらせながら!!」

 顎に手を当てて不思議そうな顔をしていたが、思い当たる節があったのかポンと手を叩き。

「あ~~おぅ、思い出したわ。でもあん時の口約束料はお前がケチってボッタクリ屋で済まされたからなあ、効力は持って三日だろ」

「短ッ!? さ、最悪で御座るよ!!」

 

 抗議の声を上げ続ける点蔵をほっぽって、首と肩を回し鳴らし自分の席に座る義昭。

 

 着席と同時に教卓に肘をついてオリオトライが、

「思ったよりも時間かかったみたいね義昭?」

 

「そうそうそう、そーなんだよオリせん」

 義昭は机の上に身を乗り出す。

「途中で正純が野垂れ死にかけてて介抱してたんだわ、で遅れちったんだよ」

 

     ◆

 

 オリオトライは苦笑いを浮かべ、

「正純も大概にうちのクラスよねぇ」

 本人が聞いたら激しく落ち込みそうなことを述べていると、

「正純大丈夫でした?」

 壁の補修をとりあえずの応急処置として終えた浅間が糊でべたついた手を気にしてるのに手巾を投げてやる。

「あ、……ありがとうございます」

「飯モリモリ食ったら元気になったし大丈夫じゃねーの」

 おそらく今頃は酒井のとっつぁん迎えに行ってるんじゃないか。あれだけ食い物をもたせたのだ、そう簡単に空腹で倒れられても困るし。あとは案外、まだP-01sと一緒にいたりもするかもしれない。

 

 主たる、べとつきを拭き取った浅間は、

「これ洗って返しますね」

「別にいーよ、気にしないぜ?」

「気をつけなさい浅間。義昭ったらきっと浅間の使用済みでべたべたのそれでなんかエロいことする気よ!」

 狂人喜美に反応しなければいいものを浅間は反射的に「い゛……」と口端をゆがめる。

 

 そんなボールを投げられれば全力で投げ返す男がこいつ、

「何ぃ? はっバーカ。オレがそんな遠回しなことするかよ。欲しけりゃちゃんと正々堂々直球で要求しますぅ」

 浅間に詰め寄り、

「オラァ、下着よこせよ!」

 

 すっと浅間の顔から表情が消えて、弓を構えられる。クラスメイトたちが悲鳴を上げて壁側に退避している一方で義昭は、

「はん、今更んなもんでビビるかよ。オレをビビらせたきゃとりあえずそこらへんの奴に射って威力見せてみな!」

 一層、悲鳴が高まり、周りを巻き込むなと正論過ぎる非難を一身に浴びる義昭。そこにようやく股間ダメージから立ち直ったトーリが、

 

「ああ!? オメェ浅間なに弓構えて突っ立ってんだよ! さてはオッパイが邪魔で()てないんだな!? 俺が持っててやるから気にせず射てよ!」

 

 浅間は無言で他の面々に目で問いかける。『あれなら?』

 他の面々も浅間に目で答える。『いいよ』

 

 全員で上半身を大きく使い意を合わせて、

「「「やれ」」」

 

 

     ◆

 

 

 教師、三要(さんよう)光紀(みつき)は武蔵総長によって開通されようやく塞がった穴をつとめて気にしないようにし、授業を再開しようとしていた。

 ――うちの生徒は基本的には隣の真紀子先輩のとこの梅組と比べれば平凡……というか真面目な生徒も多いですけれど、あれだけのことがあればそりゃおしゃべりもしてしまいますよね……。

 静かに聴講していた生徒たちも、総長の闖入(ちんにゅう)によって集中力を解かれてしまって口を開いている。

「し、静かにしてくださいー。続きを――」

「せんせー」

 生徒の一人が手を挙げる。

「? はい、なんですか?」

「俺、思うんですけど総長がウチのクラスにぶち込まれたときって一度じゃ済まないじゃないですか」

 各所で「だよねー」「はは悲しいなあ」と同意の声を頂く。

「そ、そうですけど……で、でも今日はちがうかも――」 

 いつの間にかまた隣が騒がしくなっていた。まるで何かを煽っているような声と悲鳴と教育に悪そうな単語が飛び交っているような、

 

「あちゃー……この声、馬鹿総長と阿呆監査がそろってますよ」

 教室中を暗い空気が蹂躙(じゅうりん)していく。

「厄日だわ……っていったら毎日が厄日になっちゃうのよね……」

「そりゃそうだ。組分けのときにあの梅組の隣になったってわかった時点で俺はもう覚悟完了済みってわけよ」

「諦め、の覚悟な」

「はっは、よくご存じで」

 

 一応教師として必死にフォローに回っている真面目な三要が一際声を張り上げたときだ、

「いいですかあ――!?」

 せっかく閉じられた穴のフタが吹き飛んだ。飛び込んできた肌色の塊はより広がった穴の破片と共に再び教室後方にタイヤのホイールにくくりつけて爆走したらこんな風になるんじゃないかという回転で再びその姿を現した。

 生徒たちは悟りきった表情でそれを視界の端において、固まっている三要にコメントを促す。

「う……うぅ……」

 ――無理ですーこんなのフォロー無理ー!

 

 進退(きわ)まったかに見えた三要を他所に事態はさらに進む。

 今度は極東の制服の色である紺と朱の塊が飛び込んできた。先ほどのトーリは吹っ飛ばされたといった感じだったがこちらは自ら飛び込んできたようであった。

「うひーマジでやるとか洒落になんねーぞ、あのオッパイ!?」

「人の胸が凄いみたいに言わないで下さい!!」

 弓を携え浅間が義昭を追って穴をくぐってきた。

 義昭はジグザグというよりかは飛んだり屈んだり跳ねたり縮んだりと奇想天外な動きで浅間に照準を定める暇を与えずに転がっているトーリを抱えて三要の後ろに回り込む。

「た、たしけて! 三要先生!」

「え、え~~~―――!!」

 巻き込まれた!?

 

 助けを求めようにもこちらのクラスの生徒たちはすでに全員机の下に避難完了しており、起立しているのは三要と後ろの義昭、トーリ、前の浅間だけとなっていた。

 涙目になっている三要の裏で、

「へっへーん。どうだねアサマチくん。これでも射つかね?」

「はい♪」

 

「……え、ちょ……」

 予想に反されてしまってうろたえる義昭は、

「どうしよ先生……」

「私に聞かないで下さい……ッ!!」

 

 胸に手を当て、落ち着かせるように柔らかく浅間は微笑む。弓から手は離れていなかったが。

「大丈夫ですよ、先生。私を信じて下さい」

「あの胸を信じろだってさ。信じがてーけどたしかにあのサイズ現実なんだよな」

 た、たしかに……あの年齢でこのボリューム、圧倒的質感は凶器以外の何物でもないのではないでしょうかなどとつられて考えてしまう三要。

「そうだぜ浅間! ちっとは三要先生にも分けてやれよ! 爪の垢を煎じて飲ませるみたいにさあ、乳を――」

 ついに引かれた弓にトーリも口をつぐみ、

 

「言い残すことはそれでいいですかいいですね」

「満足そうな顔してんじゃねーよトーリ!? ええいこちとら辞世の句の一つも残さんことには死んでも死にきれねーっつの! ちょい待ちええと上の句っつーからには上品に下の句っつーからには下ネタだな。ああっ三分三分、三分な!!」

 

 矢が放たれた。

 

 とっさにトーリを床に転がしてその上に三要を突き飛ばす。柔らかい全裸と固い床じゃ異論も多々ありそうだが、下敷きにする分には前者の方がマシだろ。と信じたい。

 どこからともなく刀を取り出して、

「いやっ、らめっ、こないでぇ!!」

 と奇声を上げながら振り回す義昭に対し判決を告げるように、

「無駄です。回り込みます」

 

 その言葉と共に深々と義昭のケツに

 

 

 矢が、

 

 

 

 

 

 

 ――青い空は白い空へと変わっている。

 

 

 

イメージED:「My World」SPYAIR


 
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