「お。やっと帰ってきたな。……まったく、一体何をしていたのやら」
鬱蒼と生い茂る木々の中に建てられた砦の、その見張り台を兼ねている櫓の上に立ち、はるか南の方を見つめていた徐晃の視界に、見慣れた二つの旗をその先頭に掲げて進む、その数百人程度の武装した兵の一団が入ってきた。
この日の朝方、鄴郡より東に位置する平原県に現れた賊徒の討伐をする為、かの地へと出立した徐庶と姜維が率いる黒山義勇軍の一団。それがこの日の遅く、間も無く日も暮れようかと言う時刻になって、漸く帰って来たのだった。
「さて、こんな時刻まで何処をほっつき歩いていたのか、二人をしっかり問い詰めておかないとな。……はて?なにか、先頭にいる人間が一人多いような?賊の降将でも連れてきたのか?……にしてはずいぶん楽しそうだし、輝里と結が両脇に控えているとは。……どういうことだ?」
青年と思しきその人物を挟み、徐庶と姜維が満面の笑みで、その青年と語り合っているのが、遠目からでも徐晃には見て取る事が出来ていた。
「……見た感じ、随分と楽しそうではあるが……ふむ。……こいつは、ちょっと面白いことになってきたかもね」
徐庶にしても姜維にしても、徐晃の知る限り、そう簡単には他人に心を許すような事の無い、そんな過去を背負った人間である。
その彼女らが、かなり気さくにその青年と談笑を行なっている。それはつまり、それに値するだけの何かが、かの青年にはあると言うことになる。
徐晃が徐庶と姜維と義姉妹の契りを結んではや三年、この地に蔓延っていた賊を叩いて取り込み、義勇軍を結成してから更に一年、と。それだけの時間、苦楽を供にして来たその二人が、ああして心を許すその人物に、徐晃は俄然その興味を沸き立たせた。
「んじゃまあ、何処の誰かは知らないけれど、あたしの義妹達を誑かした男とやら、じっくり検分させてもらいますかね」
そう言って櫓を降り始めた徐晃の顔には、好奇心と期待感が入り混じったような、そんな高揚気味の笑顔が浮かんでいたのだった。
「ただいま~、
「
「おう。お帰り二人とも。……兵に損失は出なかったかい?」
砦に到着した徐庶達を、徐晃が朗らかな笑顔を見せながら出迎え、まずは開口一番、討伐行の成果の程を二人に問いかける。
「損失なんて出るもんかいな。所詮は食い詰めた上に賊になった、農民やら元兵士やらの集まりの、単なる烏合の衆やで?ウチと輝里の手にかかれば、朝飯前もええとこやで」
「はは。それは分かっちゃいるけどね。けど結?何事も自信過剰は禁物だと、そう私に言ったのはお前じゃなかったかい?」
「ふふ。義姉さまの言う通りよ、結。油断は大敵。相手が如何な雑軍であっても、気の緩みは破滅を招く要因になるわよ?」
「わあーっとるって。あ、それより姐さん!姐さんに紹介したいんがおるんや。ほら、カズ」
「……ああ」
姜維にその背を押され、それまで少々居づらそうに一歩退いて彼女らのやり取りを眺めていた一刀が、徐晃のその前へと表情を引き締めてその足を踏み出す。
「……はじめまして。北郷一刀、といいます。北郷が姓で、一刀が名です。字はありません」
「……私は、姓を徐、名は晃。字は公明だ。……ふーん」
徐庶達から教わった拱手を胸の前で組み、一刀が徐晃に対して自己紹介をする。その一刀に徐晃もまた拱手と供に折り目正しく返礼をした後、目線だけを動かして一刀の全身を観察していく。
(……ふむ。見た目は何処にでも居そうな優男だが、どうやら、内には結構な牙を宿しているっぽいね。なるほど、面白そうな男ではあるようだね)
(……徐晃、か。史実では魏の、曹操の下で活躍した武将のはずだけど。……ま、やっぱり女性だったのはこの際置いといて。やっぱこの世界は、一種のパラレルワールドって感じなんだな)
徐晃は徐晃で一刀の秘めた力量のようなものを察し、興味津々と言った感じでほくそ笑み。一刀は一刀で、徐晃と名乗ったその赤い髪の女性を見ながら、改めてこの世界のことをそう、その頭に認識させていたのだった。
「……それで?輝里、結。……一体何者なんだい、コイツは」
「……“天の御遣い”さま、よ。義姉さま」
「……へえ。“天の御遣い”、ねえ」
「あ、今胡散臭い思たやろ?」
「そりゃあそうさ。菅輅…だったかい?噂の出所自体、占い師だか預言者だかって言う、得体の知れない奴の流したものだからね。……言葉面だけで信じろって方が、そもそも無理な話じゃないかい?」
菅輅という旅の占い師の話は、大陸全土でよく聞かれるものではある。その菅輅がもっとも最近に流した噂と言うのが、天の御遣いに関するものだった。
曰く、『天より、流星に乗って御遣いが降りくる。その者、白き光を纏て、大陸に安寧をもたらさん』と、いうである。
漢朝も前漢の開闢よりすでに四百年近い歳月が流れ、後漢に変わって一度はその威勢を取り戻したものの、二百年近い歳月は再び王朝に斜陽の時を齎しつつあり、いまや大陸のそこかしこにおいて、天災や疫病、飢餓によって苦しむ人々が増加の一途を辿っている。
にも拘らず、朝廷一向に有意な手を打つことすら無く、権力争いや私腹を肥やす事に明け暮れる日々を、中央の官吏や役人達は送っており、民達の怨嗟の声はますます広がるばかりなのが、今の大陸の現状なのである。
そんな中に、件の噂が流れ始めると、それは民達の不満の声を代弁でもするかの様に、あっという間に大陸中に浸透していき、一種信仰にも似た風潮が世に蔓延し始めていた。
その一方で、一部には天の御遣い狩りと称して、不遜にも帝以外に天を名乗る者を見つけ処罰する、そんなお題目の下、何の関係も無い人々を襲っては金目のものや食料を奪う、その為の常套文句にしている者達すら居たりもするのが、なんとも皮肉な話ではあるが。
閑話休題。
「そこで、だ。輝里、結。お前たち……コイツに真名は預けたのか?」
「あ、ああ」
「はい。……私達が一刀さんのことを、天の御遣いとして利用する、それを分かった上で手を貸してくださる事を承知してくれたんですから、こちらもそれ相応の誠意を見せないといけないですし」
「なるほどね。つまり、お前達の見立てからすれば、この北郷どのは十分に、信用できる人物なんだろう」
出会って間もない人間に真名を預ける。それが、この世界においてどれほど重要で、なおかつ大変な意味を持つかは、徐晃とて十分以上に分かりきっている。
しかし、如何に義妹達の判断したこととは言え、はいそうですか、と、すぐに納得して受け入れられるほど、徐晃はお気楽な人間ではなかった。
「ウチも輝里と一緒やで、蒔姐。つっても、まだ“計画”の詳細までは話してないけど、けどカズなら、いや、カズやなければあの計画は」
「ちょっと待ちな、結。……あたしはまだ、彼の事を信用するとは、一言も言っていないよ」
『え?』
厳しい顔つきで、はっきりとそういった徐晃を、徐庶と姜維が思わず唖然といった表情で見やる。
「頭の良いあんたたちは、小難しい理屈で納得出来たかもしれないけど、残念ながらあたしは馬鹿だからね。……コイツを交えなきゃ、そうおいそれとは、誰かを認めたりはしない」
と言いながら、背中のハルバードをポン、と叩き、不敵に笑ってみせる徐晃。
「……つまり、俺に貴女と、実際に剣を交えて見せろ、と?」
「そういうことさ。得物が何であれ、武にはその人間の本質ってものが、素直に出てくるからね。なあに、心配は要らないよ。十分、手加減はしてやるからね」
「……それはどうも」
手加減してやる、という徐晃のその言葉に、少しだけ一刀が眉をひそめたことには気づかず、徐晃はそのまま話を進める。
「後は場所だけど、いい所が一箇所だけある」
「!……もしかして、“あそこ”、ですか?」
「けど蒔姐。あそこは」
「特に不都合は無いだろう?逆に、北郷の想いのほどを知るには、あそこが一番うってつけさね。……それじゃ、明朝にでも早速行くとしようか」
に、と。
唇の端を吊り上げ、白い歯をこぼす徐晃に、一刀は、はあ~、と溜息をつき、徐庶と姜維は少々不安げな表情で、互いの顔を見合わせるのであった。
「……で。なんですか?ここは」
「見ての通りの闘技場さ。もっとも、使われなくなって随分になるけどね」
一刀達が義勇軍の砦に到着し、徐晃と一悶着のあったその翌日。
徐晃に言われるがまま、彼女と試合をすることになった一刀は、夜明けと供にその彼女らに連れられ、砦から二刻ほどの道程の先にあった“ここ”にやって来た。
ただし、最初に到着したそこは、古ぼけた一軒の小屋にしか、一刀には見えなかった。だが、先を歩く徐晃の後について中へと入ると、その小屋の中には地下に通じる隠し階段があり、更にその階段を降りた先には、明らかに人工的に造られたであろう、広大な空間が拡がっていた。
その空間の中央に立ち、一刀はゆっくりとあたりを見渡す。広さ的には、百メートル四方、といったところだろうか。楕円形のそこは、高い石壁で囲まれており、その石壁の上には階段状に組まれた石がずらりと並び、周囲百八十度を囲んでいる。
その壁にはところどころに黒いシミが付着し、そこかしこに雑草が生え、壁一面のみならず一刀が今立っている地面をも覆っている所を見ると、徐晃の言うとおり、かなりの期間、人の手が入っていないと思われた。
「……ま、この場所のことは、後で説明するとして、だ。輝里と由の話じゃ、結構な武才の持ち主らしいじゃないか。得物は、その腰のものかい?」
「ええ。“日本刀”っていいます。俺の国では、最も一般的な武器です」
と言っても、それも百年以上前までの話ですが、と。一刀はそう付け加えて、腰の二刀に手を副える。
「ふーん。見たところ、随分ほそっこい刀身をしているけど、大丈夫なのかい?」
「そこはご心配なく。……じゃ、いつでもどうぞ」
徐晃に相対し、両腕の力を抜いてだらりとさせる一刀。その姿を見た徐晃は、その眉間にくっきりと皺を寄せ、怒気の篭った口調で一刀の事を詰問する。
「……おふざけかい?まさか、それが構えとか、言うんじゃないだろうね?」
「もちろん、ふざけてなんかいませんよ。これが、俺の流派の基本的な構えです。……そうですね、それを証明するためにも、こっちから行きましょうか。斧、構えたほうがいいですよ?」
「何?(バチィ!!)グッ!!」
『!!』
一刀と徐晃の間の距離は、およそ三メートル程も離れていただろうか。一刀の台詞が終わるやいなや、徐晃の左肩に強い衝撃が走り、その肩につけていたの肩当が、ものの見事に吹き飛んでいた。
「くっ!!」
ズザッ、と。肩当を飛ばされた自らのその左肩をおさえつつ、徐晃は軽くバックステップをして、再び一刀との距離を十分にとる。
その額に、わずかばかりの、汗をかきながら。
(……いま、いったい何をした?……遠当て?いや、“気”を放った感覚は無かった。ならば、超高速での踏み込みか?……だとすれば、なんという速度か)
「……どうやら、ふざけていたのはあたしのようだったね。なら、ここからは、全力全開でかからせてもらうよ!!」
先ほどまでの余裕に満ちた表情から一転、戦場に身を置いている時と同様の厳しい顔つきとなり、その背のハルバードを抜き放った徐晃が、一刀に対して戦闘態勢をとって己の気を高め始める。
しかし。
「……だから、遅いんですってば」
「何?ガハッ!!」
彼女の“顔の間近”で、そうつぶやいた一刀の拳を腹に受け、徐晃は強い衝撃とともに、壁際にまであっさりと吹き飛ばされた。
「……なあ、輝里。今のカズの動き……見えた?」
「……見えるわけ、無いでしょうが」
「ドンだけ強いねん、カズのやつ。あのねえさんが、まるで子供みたいやんか」
紅い鬼。
ここ数年、冀州においてそう称されて恐れられるあの徐晃が、一刀を相手に一合も武器を交わすことすらさせてもらえず、いいように弄ばれているのである。一刀がある程度は腕が立つであろうことは、徐庶も姜維も彼との最初の出会いの時から、予測することは出来てはいた。しかし、まさか自分達の義姉であるあの徐晃を、こうも翻弄する程の力量であろうとは流石に想像の範疇では無かったらしく、その実力を目の当たりにした二人は揃って舌を巻いていた。
「……純粋な膂力で言えば、俺の方が貴方より僅かに下みたいですけど、スピード……速さではこちらがはるかに上みたいですから、ここはそこを活かさせてもらいますね」
言い終わると同時に、壁を背に立ち上がったばかりの徐晃のすぐ正面に、一刀がその姿を現す。
「ッッッ!!こんのおーーーッ!!」
その一刀に、体を翻しつつハルバードを思い切り、超高速で振るう徐晃。だが、一刀はそれすらも難なくかわし、その身を深く沈める。
「ふっ!」
「くあっ!」
そしてしゃがんだその体勢のまま、鞭のようにしならせたその脚を、徐晃の腹に思い切り叩きつけようと振るうが、徐晃はその蹴りを何とかハルバードの柄で受け止めた。
だが、それでも威力を完全に殺すことは出来ず、彼女はその勢いのままに、闘技場の真ん中にまで弾き飛ばされた。
「う、く、くそ」
「……どうします?まだ、続けますか?……それこそ、かつてここで闘った、いや、闘わされたであろう、多くの人たちのように、その命が消えるまで」
『!!』
武器を杖代わりに何とか起き上がろうとする徐晃の側に、静かに寄って立った一刀が言い放ったその一言に、徐晃はドキリとしてその視線を彼の顔へと向けた。
そして見たその形相は、怒り。そしてその瞳の奥には悲しみを、徐晃は一刀の瞳のその奥に見た。
「……それに、貴女が俺をわざわざここに連れてきたのは、ここを俺に見せる、それ自体が目的だったんでしょう?なら、試合うのはもう十分だと思いますけど?」
「……気づいて、いたのか」
「……あの壁の黒く濁ったシミ。あれは、おそらくは血の跡…でしょう?それに、壁の上の段差はおそらく、観客が座るための椅子の役目を果たしているんでしょう。それに」
ちら、と。一刀はその視線を壁際のとある一点へとやり、奥歯を強く噛み締めながら、そこに打ち捨てられているままの、黒く変色した塊のことをじっと見つめた。
「……あそこに転がっているのは、“人間の骨”なんじゃあないですか?」
「っ!……よく、分かるな」
「あの大きさで、あの形をした骨は、人間の骨盤以外の何ものにも見えませんよ。……俺の推測、間違っていますか?」
「……そうだ。お前さんの指摘したとおり、アレはかつて、この地で行われていた、忌まわしい過去。闇の歴史。その、痕跡、だ」
地に四つんばいになったまま、その拳を握り締め続ける徐晃。そこに、徐庶と姜維の二人が歩み寄ってくる。
「……例え“それ”が、私たちがここにやってくる前の出来事だったとしても、知らなかったでは済まされはしません。いえ、むしろ“知らなかった事”の方が、私たちの“罪”です」
「……ウチらの“計画”。そんなもんで彼らの無念が晴れるとは、ウチらも思っちゃおらへんよ。……けど、先ずはアイツをなんとかせんことには、何にも始められへんねや。そのためにも、ウチらにはどうしても、必要なモンがあった」
「そう。たとえどんな悪党であれ、朝廷から任官されてきたアイツを引き摺り下ろす為には、絶対的な大義名分が必要だ」
二人の肩を借り、ゆっくりと徐晃が立ち上がった所へ、一刀もまたその歩を進めて近づいていく。
「……それが、俺の“役割”なんですね?天の御遣いとして、貴女たちの“旗”になる事が」
「……身勝手だとは思う。ましてや、貴殿にそんな義理が無いことも、重々承知の上だ。だが」
ざ、と。その場に跪く徐晃たち。
「貴方のその瞳の奥に宿った、会った事も無い過去の“被害者たち”への、その悲しみの色。それこそが、貴方の“本質”の全てを表している。それが故に」
徐晃、徐庶、そして姜維の三人が、それぞれの武器を地に突き立て、
「あたしたちは、今日この時より、貴殿を主君と仰ぎ、永久の忠誠を誓う」
「わが身全てを剣として」
「わが身全てを鎧として」
「例えこの身が滅ぼうとも、わが魂は、わが真名とともに、貴方様のお側に。あたしの真名は“蒔(まき)”。この真名、ぜひともお受け取りのほどを。そして」
『数多の罪無き民のため、その天の御名、我等にお貸しいただくこと、ここに願います』
拱手し、恭しく頭を下げ、そう懇願した。
「……残念だけど、誰かの主君だなんて、そんな器じゃないよ、俺は」
『……!!』
「だからさ、“主君”、じゃなくて、“仲間”に、“家族”にしてもらえないかな?……これから一緒に、“罪”を背負っていける仲間に。……ね?“蒔さん”」
『!!』
思わず顔を上げ、一刀を仰ぎ見る三人。そこにあったのは、とても優しい、春の木漏れ日のような笑顔であった。
そして。
四人は再び砦へと戻り、計画の詳細な詰めを話し合った。
決行は、十日後。
城に、“ある人物”が来訪し、開かれることになっている宴席。
そこで、太守と、その側近たちを断罪し、“その人物”に、自分たちの大義を示す。
新たなる、始まりのために。
~続く~
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移転の異史・北朝伝、その四回目です。
輝里と由に連れられ、その拠点へとやって来た一刀。
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