プロローグ
いつも自分の呼吸だけが聞こえていた。 顔が青ざめ、体温が低くなるのは日常茶飯。どうしようもない。生まれた頃から病弱で、いきなり意識を失う事もあった。子供ながらにいつかは死ぬんだと思っていた。
だが、俺はそんな人生に別れを告げた。
ナノマシン強化
その実験台に選らばれ孤児院から施設に引き取られた。神経強化と身体強化により生まれ変わった俺に待っていたのはスイス軍のナノマシン強化部隊『アルハイルミッテル(万能薬)』。軍での生活は辛いものがあったが、すべてが楽しかった。体が動く喜びや大地の感触、特に闘える喜びは何物にも代えがたかった。
なれないと思っていた、ヒーローのように闘える。昔話の騎士のように、相手と自分、互いに持てる限りの力を使い戦う。そんな風にできることが楽しくてしょうがなかった。
本当に楽しくて、嬉しくて、あんなにも生きていることを実感できる時間は無かった。 相手を殴る感触、皮が裂けて血が流れる、あの血沸き肉躍る感覚。あれが忘れられない。自分の体に生まれる痛みや興奮。それすら喜びだった。
俺には生きる目的ができた。
闘い。
闘えるのならば、何でもする。血反吐を吐いて、立ち上がれなくなるまで、命が果てるまで。死ぬ瞬間、その一瞬まで闘い続ける。俺が俺であるため、生きていると実感するために、俺は闘い続ける。
いつも通りに警備部隊のブリーフィングを終えたとき、俺に地下IS格納庫前に行くように上官より命令が下った。詳しい内容は言われなかったものの、悪名名高いIS部隊からの呼び出しである、きっと碌なことではない。警備隊員の一部から死地に赴く兵士のように敬礼をされ、呼び出し場所である地下IS格納庫前に来たのだが、約束の時刻になっても相手は現れない。待たされること20分。戻ろうかとした時、彼女は現れた。
「おまたせ~」
見計らったかのように軍服に身を包み、ブロンドのストレートヘアをなびかせて近づいてくる彼女は悪びれた様子もなくこちらに手を振ってくる。
「……アンベール少尉、用件は何でしょうか?」
「いつも通りでいいわよ、テオ。私とあなたの仲じゃないの」
「今は公務中です、そのような言動は出来かねます」
マリー・アンベール少尉はわざとらしいため息をつき、ヤレヤレと言った感じに首を振る。マリーとは研究所からの長い付き合いだ。仲間の中で1つ年下の俺を弟の様によく世話をしてくれた。訓練部隊から俺が警備隊に、マリーがIS部隊に配属された後も時間を見つけては会いに来てくれる良き姉である。
「あなたの階級は私より上の大尉じゃないの?」
格納庫の電子ロック式の扉を開け、俺に手招きをして中に入っていく。
「IS部隊の機嫌を損ねたくはないので」
マリーに続き、格納庫に入る。中はIS格納庫であるため戦闘機や戦車のそれと比べれば、狭い。最新の機材や資材、ISの武装が並んでいるために余計狭く、窮屈な感じがする。
「そんなに怖いかな、うちの部隊?」
「誤射と言って、警備隊に一斉射撃する部隊は誰だって怖いと思いますが?」
先日、演習場付近を巡回していた警備隊にIS部隊がわざと誤射する事件が発生。幸い怪我はなかったが、周りの地面がきれいに吹き飛ばされ、その場にいた全員が爆発の衝撃で倒れていた。
「だって、二股かけてうちの部隊の子を弄んだのよ」
原因は痴情の縺れ。彼女持ちの隊員がIS部隊員と遊び半分で付き合ったのが事の発端。問題の隊員は原因をIS部隊員に転嫁した。そのせいで恨みを買い復讐という名の地獄を見ることとなった。
「ですが、やりすぎです……他の隊員の巻き添えにすることはないでしょう」
一緒に巡回していた隊員たちも巻き込まれ、仲良く治療とカウンセリングを受けている。
これでうちの部隊に女性恐怖症の隊員が誕生するのは何人目だろうか。うちの隊長は度重なる問題でノイローゼ状態。おかげで俺に回ってくる事務仕事が増え、いい迷惑だ。
「あ~、あれはごめんね。何か、つい……ね?」
「隊長は今回の件を誤射という事で処理しましたが、今後あのようなことがあった場合、上層部に報告するとのことです。」
「と言いつつ何度も見逃してくれてるじゃない。あ、もしかしてそっちの隊長さん、うちの誰かを好きになったの?」
「さぁ? 単にこれ以上そちらに関わる仕事をしたくないんじゃないですか?」
「ちぇっ、テオには冗談が通じないのね」
「今は公務中ですので」
そんな話をしつつ、格納庫内部を進んでいく。周りではISのメンテナンスや武装の組み立て、コンテナの搬入作業で忙しなく人が動いている。その中をマリーは慣れた足取りでさっさと進んでいく跡になんとかついて行く。
「そう言えば来年ですね」
「え、……なにが?」
近くを通る同じ部隊員に手を振っていたマリーが首をかしげながらこちらに向く。
「IS学園への入学です」
来年で15歳になり、高等教育を受けられる。スイスはデータ収集の目的でIS部隊の人間をIS学園に最低一人いるようにしている。今年で学園にいたメンバーが卒業してしまうため、来年に入学させられることとなった。
「あぁ……そうね……」
「どうかしましたか?」
今まで明るかった表情がいきなり思いつめた表情に変わる。
「う~ん、あなたがね……」
「自分がどうかしましたか?」
「IS学園に行ったら3年間は長期休暇にしか帰ってこられないじゃない?」
「そうですね」
IS学園はISについて学ぶ以外は普通の高等教育機関と同じで3年間はIS学園のある日本での寮生活。基本的に返ってこられるのは夏休みなどの長期休暇だけである。
「その間、誰があなたの世話をするの?」
「……はい?」
「誰かに預かって貰おうかしら?」
マリーは俺をペットか何かだと思っているのだろうか。ISが登場してから世界は女尊男卑に変わり、女性が偉いというのが当たり前となった事で男を奴隷やペットのように思うように扱う者も少なくない。
「人をペットみたいに言わないでください」
「冗談よ、誰もペット扱いしてないわよ。かわいい弟なんだから」
「そうですか……なら、よかったです」
いつものマリーの冗談。本人は頑張ってネタを考えているらしいが、今まで誰かが笑ったためしがない。なんでこんなにもくだらない冗談を思いつくのだろうか……。
「う~ん、……その話し方だと調子が狂うわ」
「申し訳ありません、公務中ですので」
普段なら彼女にはタメ口で話すが、公務中に限っては敬語を話すことにしている。マリーはいつも調子が狂うからやめろと言ってくるが、俺はやめるつもりはない。何事にも切り替えは必要だ。とくに公私は分けなければならない、目的のためには……。
「オイラーさん、テオを連れてきました」
「ありがとう」
マリーは格納庫隅に着くと、そこにいるISを取り囲む一団の一人に手を振って、俺を連れてきたことを告げた。
爆発したようなクセ毛を掻きあげて、こちらを見ずにスイスIS開発研究部主任兼ナノマシン兵装開発担当 オイラー博士。彼女に対し敬語を使う人は俺を含めた数人しかいない。そのせいで一部の人間から軽く見られがちだが、スイスのIS開発において、彼女は重要な人物である。IS発表以前は生体強化ナノマシンの研究をしていたが、ISが公表された直後にその構造をいち早く理解し、すぐに研究すべきだと進言。軍は『白騎士事件』が発生するまで、その発言を気にも止めなかったが、有用性が実証されると博士をIS開発主任に命じた。それから5年以上も開発主任の座にとどまり続け、数多くの武装を開発している。まさに『兵器開発の鬼才』と呼べる人物。
どうやら博士からの呼び出しであったらしい。
「何か御用ですか?」
軍から俺個人に対する呼び出しは隊長の未提出書類の件を含めて、いくつか思い当たるものがある。だが、博士からの、直接の呼び出しには思い当たるものが無い。
「ん? マリ―・アンベール少尉、彼に説明しなかったのかい?」
「すみません。私が説明するよりも、オイラーさんに説明してもらう方がいいと思って説明してません」
いや、説明しておけよ。心の中、思わず素の自分でマリーに突っ込みを入れる。
「……まぁ、いいか」
博士は自分の頭を持っていたペンで掻き、近くの機材へと向かいキーボードに指を走らせた。
「テオバルト・ヴァイスマン大尉、これを見てみなさい」
「これは……嫌がらせですか?」
博士が指さしたディスプレイをのぞき込むと、ウインドウにびっしりと俺の名前が書き連ねられていた。気持ちが悪くなるぐらい画面の上から下まで埋まっている。こうなると、嫌がらせというよりも模様に近い。
「違う、これはこのISのコアから出されている信号を言語化したものだよ。」
博士が目の前のISを指さす。『IS』、正式名称『インフィニット・ストラトス』。宇宙空間での活動を想定して作られたマルチフォーム・スーツ。現在の国力の象徴と言っても過言ではない。目の前に居るそれは、カーキ色の無骨な装甲に覆われ、まるで小型の戦車ともいうべきシルエットをしている。
「コアからの信号に何故自分の名前が?」
まさに冗談とも取れるような事象だったが、周りの空気と博士の目からそれが真実だとわかった。
「わからない。だけど……」
「だけど?」
「……コアが君を求めているのかもしれない」
「コアが……自分を求めている?」
「ああ、そうだ。ISには意識的なものが存在していると聞いたことは?」
「あります」
操縦者の特性を理解するために自我にも似た学習能力が付いているとISを特集した図書で読んだことがある。特性を理解してより進化すると書かれていたため、「まるで生き物だな」と思ったのが記憶に残っていた。
「おそらく、それが君を選んだんだ。選別の基準はわからんがね」
「……そんなことがあるんですね」
個人的にISについて調べていたが、人がISを選ぶことはあれ、IS自身が搭乗者を選ぶとは聞いたことはない。もしかしたら、欠陥持ちとして処分され、別の機体として作り直されているだけかもしれないが……。
「感心するのは後にして、機体を触ってみてくれ」
「……はい?」
「このコアを搭載したのがこのISなんだけど、どうやっても起動しないんだ。もしかしたら君が触ったら動くかもしれない」
「待ってください、何故自分なんですか?」
「何故って、博士が言ったじゃない。コアから出ている信号がテオの名―」
「お言葉ですが、あれは偶然か悪戯なのでは?」
マリーの言葉を遮るように進言する。ISに触れるのは素直に嬉しい。警備隊の仕事ではISに触ることはないため、機体に触れることにワクワクはしている。だが、所詮俺は男だ。ISは女性にしか扱えない。男には操縦どころか、起動することもできない。触ったところで結果は見えている。
「そうかもしれない……」
「ならば、自分が触るのは無意―」
「だけど、そうでないとも言える。それにこれは命令だ、テオバルト・ヴァイスマン大尉」
博士の命令には逆らいたくはない。ナノマシンを作ったのは誰でもないオイラー博士である。実験体として利用されたのかもしれないが、病弱でいつ死ぬかもしれない俺を変えてくれた博士は命の恩人と同じだ。恩人の命令には絶対従うべきである。
それに心のどこかで「もしかしたら……」と思いがあり、これを動かしたらどうなるのか、どんな感じがするのか、そんな風に動かしてみたいという思いが、心が……。
「……了解しました……」
軍服の袖をまくり、手をかざしISに触れた瞬間、視界が黒で覆われ意識が飛んだ。
暗く、闇に閉ざされた中に漂うように俺はいる。上も下も、夢か現かもわからない空間。
『やっと会えた……』
頭の中に声が響く。
『会えた?……誰に?』
周りを見渡そうとするが、視界は依然黒で覆われたままで何も見えない。
『君に決まってるじゃない……』
『何故だ?』
『何故って、―だからだよ……』
『ちょっと待て、どういう事だ?』
理解できなかった。
―だと言われてもいきなりすぎて意味が分からない。―だと? もし、本当だとしたらこいつはいったい誰なんだ。少なくとも―と言われる記憶はない。
『大丈夫、君のそばにずっといてあげるから……』
何かが自分に巻きつく。まるで抱きしめられる感触のような、束縛される感触。締め付けられる感覚と共に、声が染み込むように中に入ってきた。
『だから…………ずぅーっと一緒にいてね』
体がねじられる感覚と共に俺の意識が再び飛んだ。
俺は手を前に突き出したままで立っていた。ボーっとしていて気がついたときや夢から目が覚めた時の感覚。夢か現か分かれない漠然とした気分のまま、周りを見る。
手を触れたときの状況と何ら変わりはなかった。違いを挙げるならば、目の前にあったはずの戦車のようなISは消滅したかのようにその場から消え、俺の右手首に鎖が巻きついていたことだ。一体さっきのあれはなんだったのだろうか。
「ふむ、……待機状態になったか……」
気がつくと周りから驚きの声が上がっていた。その視線は俺と腕に巻きついているベルトに注がれている。
そうか……。なんとなく判った、判ってしまった。
「テオバルト・ヴァイスマン大尉、今……何が起きたと思う?」
「さっきの機体が消えた……というか、ISを俺が消した……ですね?」
機体が消えたという事は、文字道理の意味で消す以外には粒子状態へ変えるしかない。文字通りの意味でISを消すような力はいくら強化人間といえど、俺には無い、つまりは……。
「正確にはISを起動させ、粒子状態にしたのち、待機状態にしたんだ。」
「…………」
ISの登場以来、男がISを起動させたことはない。信じられないが、もし本当ならば、意味するものは……異常、もしくは奇跡である。
「そんな……馬鹿なこと……あるわけ―」
「だが、実際に起きた。マリ―・アンベール少尉……ここにいる全員がそれを見た」
マリーが否定しようと事実は変わらない。博士を含め、全員が粒子になったISが俺の腕に巻きつくのを目撃している。
左腕の肘から手首にかけて巻かれているカーキ色の布ベルト。ISはフィッティングをした操縦者の体にアクセサリーとして待機するらしい。アクセサリーという類の物をつけた事がないからか、体温のような生暖かさを感じる……。
「けど、展開はできるんですか? 待機状態になっただけじゃ?」
「確かに……よし、テオバルト・ヴァイスマン大尉。ISを展開できるか試してくれ」
「展開……ですか?」
展開とはたぶん待機状態から機体を起動させることだろうが……。
「どうしたんだ、テオバルト・ヴァイスマン大尉?」
「展開とは…………どうすればいいんでしょうか……」
余談だが、しばらくの間『初めてISの展開ができた男』というよりも『初めての展開に半日費やした人間』で驚かれる事になった。
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ISの世界。ナノマシン強化によって成長した少年、テオバルト・ヴァイスマンは戦闘狂だった。その少年ががISを動かし、されるがままにIS学園に入学。同じ男性操縦者のデータを盗むため闘いを挑む、恋愛なんだかバトルなんだか、学園なんだかよくわからないものです。