No.445909

小魔王に祈りを

テイルさん

書きかけの小説の冒頭です。今のところプロット作成中。
TINAMIさんに登録してしばらく経つのに作品投稿欄が寂しかったので、挨拶代わりに。
なかなか良いタグが思いつきませんでした。

2012-07-04 22:19:22 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:476   閲覧ユーザー数:472

 

 

 千々と乱れた雲の間に、黄色く照らされた夜が見える。

 降り注いだ月光は鬱蒼とした森の闇を切り裂き、そこに遺跡を照らし出した。自然の産物でないと一目でわかるそれらは酷く風化して骨組みや壁の一部がわずかに残るのみだ。それとも、わずかでも原型を留めている、技術の高度さを称賛するべきなのだろうか。

 

 頽廃的な美しさが佇む彼の地に、立つ女が一人。

 闇の中にあってなお黒い瞳は並々ならぬ激情を映して鈍く輝く。それは象牙色の上質なドレス、その端々に飾りつけられた貴金属などがなくとも、確かな気品を感じさせるであろう静かな決意だ。肌の生白さと揺らぐ身体が彼女の体調の乱れを示しているが強い意思はいささかも衰えることはない。黒の視線は闇を貫き、辛うじて建物の体をなしている遺跡の一つを見据えている。

 

「人間の愚かさは、変わらぬな」

 

 その振動は、まさに大地の恐れがごとくだ。腹に響く巨大な衝撃が突き上げてくる。それが一定の間隔で、かつ連続――――なにか、途方もない存在が歩むように。

 少女の対峙する暗黒の深淵で、なにかが蠢いている。

 想定した以上の巨大さに息を呑む響き。

 それは近くの草藪からだ。少女のものでは、ない。

 

「仮にも自らが《魔王》などと名付けた存在を、この程度で謀れるとでも思ったか」

 

 嘲りの吐息がかすかに鳴ったかと思えば、前触れもなく少女の周りに黒い靄が生じ、その小さな身体を抱えて持ち上げた。困惑の小さな喘ぎは少女の姿ごと消え失せ、直後、遠くで草藪のはぜる音がする。恐ろしいほどの勢いで木々の間に投げ入れられたのだ。余程の強運でもない限り、木々の硬い幹に叩きつけられて即死だろう。

 

 

 瞬間、けたたましい声がいくつも飛び交った。少女を囮に《魔王》を亡き者にせんと企んだ連中の合図であったことは、連携の取れた攻勢から推し量れる。

 最初に生まれたのは汚泥の剣だった。

 闇に紛れて足元から伸びあがったそれが、ぽっかりと空いた遺跡の入り口に殺到し、未だ全貌を現さない闇の主へと襲いかかる。同時に木々の間を駆け抜けたのは全身に鱗を生やした二足歩行の怪人だ。マーマンなどと呼ばれる眷族の彼は両の手に備えた爪を打ち鳴らしながら、意外なほど強靭な脚力で這うように駆けた。水を自在に操る力だけでも脅威だが、彼らの真価は地上水中問わず発揮される高い身体能力にある。

 油断があろうとなかろうと必殺になりうるだろう静かな剣。しかしながら、それすらも布石に過ぎない。

 空に突如、太陽を思わせる暖かで強大な光が現れる。目が潰れるほどに美しい紅の光は一対の翼を持っている。伝承に語られるフェニックスと酷似した巨鳥は羽を炎に変え、眼下に向けて撃ち下ろした。

 一つ一つが流星にすら匹敵する不死鳥の矢は遺跡の屋根を軽々と貫き、その下に広がる空間を蹂躙する。遺跡は連続する爆発に倒壊し、魔王がいたであろう場所を押し潰した。マーマンの剣を回避した様子もなく、そこに何者かがいれば間違いなく命はないだろう。逃走に移るだろう魔王を追う算段だったマーマンは拍子抜けしたように引き下がる。

 

「やったか……?」

 

 森の中から、小さな声が聞こえた。疑問符が付与されているのは、あまりにも呆気ないと感じているからだ。

 彼は、己の使役するマーマンに一瞬遅れて、その事実に気づく。否、気づかないわけにはいかなかった。

 最初に感じた気配からして魔王はかなりの巨体を誇っている。それこそ空の不死鳥すら凌駕するほどの大型生物だ。だのに、崩壊した遺跡の中には"なにもいなかった"。

 不可解というほかない。なぜなら彼らは不死鳥によって空から魔王を見張ることができたからだ。逃げたのならば見つけられないはずがないのだ。

 なんらかの能力によって隠れたのか? それとも建物の中にいるとこちらに錯覚させていたのか?

 

「後ろだ!」

 

 マーマンと、その主人である男は上空からの警句に思考をかき消された。振り返った彼らが見たのは、木々を薙ぎ倒して疾走する黒い巨体。それは忘我に囚われた彼らの前で、凄まじい速度で上空に伸び上がった。あまりの速度に姿さえ捉えきれない。だが、魔王が向かう先になにがあるかは火を見るより明らかだった。不死鳥のけたたましい鳴き声が響く。

 ばくん! 噛み合う顎は音と光を消した。

 風に煽られながら、ひらひらとなにかが落ちてくる。ほのかに赤く光るそれは胴体を喰われた不死鳥の双翼だ。森一つを軽々と焼き払えるだろう強大な力を持った鳥は、その背に乗せていた主人ごと魔王の胃の腑に収まった。

 

 一人、殺られた。恐怖と暗闇は男の足を地面に縛りつける。正常な思考を奪われた彼は、あるべきものがなかったことにも気づかない。飛び上がった巨体の着地する轟音がなかったことに気づけない。

 もっとも、気づいたとしても彼の末路は変わらなかっただろう。次の瞬間、恐ろしく巨大な質量が鞭のようにして彼らを薙ぎ払ったからだ。丸太よりなお太いなにかによる一撃は、ただの人間に過ぎない男を肉の塊に変え、マーマンを冗談のように大きく吹き飛ばした。頑強な肉体を持つマーマンは致命傷こそ避けたものの、運悪く、その飛ぶ先には遺跡の壁があった。そこから突き出た、死人を思わせるねじくれた鉄骨が、彼の首を貫いた。遺跡をぶち抜きつつ飛び去った彼は二度と立ち上がらない。

 

「黙って去るか、否か。お前は、どうしたい?」

 

 マーマンと不死鳥。更なる駄目押しのために森で身を潜めていた巨狼とその主人は、魔王が自分達に向けて語りかけていることを知った。話が違う。辺境でのさばっている《粉砕者》を一つ、狩るだけの仕事だったはずなのに……。

 勝ち目がないことは明らかだった。だからこそ彼は魔王の提示した二つの選択肢の狭間で揺れたのだが、そのため、恐ろしく鋭いなにかによって狼の体ごと自分が貫かれるそのときまで、死の恐怖を感じずに済んだ。道は二つ――――選ぶ権利は、与えられない。

 

 

 動くもののいなくなった森の中、魔王はその動きを止めていた。瞬く間に屠った三組の戦士になにかを感じたのか、あるいは、また別の。その答えは石像のように微動だにしなかった彼の視線の先にある。

 草藪をかき分け木々の間から現れたのは、つい先程、魔王が不可思議な力で吹き飛ばした少女だった。木の幹に叩きつけられて即死するという結末を回避したのだ。おそらくは、凄まじいまでの強運で。

 

「運の悪い娘だな」

 

 しかし、魔王は嘲るでもなく吐き捨てる。

 少女は命こそ失わなかったものの、豪奢なドレスは無残にも引き裂かれ、その下に見える白い肌も葉や枝に深く切り裂かれている。だらりと垂れ下がった左腕は奇妙な方向へ折り曲がっていた。致命の傷こそないが、その苦痛は想像を絶する。

 それに、即死していれば、それ以上恐怖を味わうこともなかったろうに。魔王は気紛れに浮かんだ憐憫を噛み砕き、少女を胃の腑に収めんと踏み出した。倒れた木々が巨大な足の下でメキメキと軋んでいる。

 

 少女は迫りくる死を見つめていた。そこに、最初に見せたような激情はない。あるのは理解の光と――――安堵。

 その不可解な感情に疑問を抱いたものの、大したことではないと、魔王は彼女をくわえ上げてそのまま口腔に収めた。

 

「…………」

 

 数秒の、逡巡。

 

 魔王はおもむろに頭を下げると、唾液に塗れた少女を地面に投げ落とした。彼女は意識をなくしているのか、受け身すら取れずに頭から地面に落ちる。身体を打ちつける瞬間、黒い靄のようなものが彼女を包んで浮かせなければ、それだけでも命を落としていたかもしれない。

 

 彼女が気を失ったのは恐怖や怪我による苦痛のせいではない。少女の身体からは、毒の臭いがした。

 ドレスを飾る貴金属に、髪の艶を出す香油に、頬を染める白粉に、果ては爪の一つ一つの間にまで、少量で人間を死に至らしめる猛毒が仕込まれていた。彼女の体内にさえ遅効性の毒が巡っている。

 それはすべて、彼女を喰らう魔王を毒殺するために。

 魔王の前に立つ程度の余力は残していたようだが、ここにきてそれも尽きたようだ。彼女は自身がまとった毒のせいで死につつあった。

 

 その肢体は華奢というにはあまりにか細く、まともな生活を送ってきたものとは到底思えない。貧民街からさらってきたか、はした金で親に売られた子か。

 

 果たして、彼女は自ら望んで魔王を殺害するための贄となったのだろうか?

 その答えは月光に尋ねるべくもなく明白だった。

 

「人間の愚かさは――――まったく、変わらぬな」

 

 魔王は鼻で笑うと、改めて少女を咥え上げた。


 
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