No.441131

真・恋姫無双~君を忘れない~ 九十五話

マスターさん

第九十五話の投稿です。
辛くも曹洪、曹仁を撃破し、しかし残念ながら引き分けという状況に決着することになった益州軍。そして、一方では雪蓮たち江東軍もまた春蘭率いる部隊と干戈を交えることになり、勝利を強く誓ったのだが……。
今回より江東軍の戦いとなりますが、あまり過度な期待はせずにご覧くださいますように。それではどうぞ。

コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!

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2012-06-24 03:40:01 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:5527   閲覧ユーザー数:4586

 

 時間は遡り、麗羽たちが曹洪、曹仁とことを構えたときに戻る。

 

 彼女たちがこれから壮絶な戦いを迎えようとしている頃、同じように雪蓮たちも冥琳を中心にして対曹操軍の戦略の確認をしていた。相手となるのは、先の荊州戦でも干戈を交えた春蘭こと夏侯惇である。

 

 華琳が軍を二分することは、ある程度は予想していた。その相手が春蘭であることも想定していた。しかし、冥琳の背中には冷たい汗が流れていた。表情は冷静に努めているが、それでも多少の焦りは覚えていたのだ。

 

 ――あまりにも静か過ぎる挨拶であった。

 

 先の挨拶。

 

 益州陣営にも同様に挨拶があったようだが、自分たちに対しているのが春蘭であることを考えると、苛烈さに欠けたのだ。しかし、その一方で不審に思えることもある。

 

 ――この禍々しい殺気は何だ……っ!

 

 敵陣から放たれる殺気、それは確実に雪蓮に向けられている。しかし、その余りある殺気は自然と周囲の人間にも影響を与えているのだ。何をしていても、背筋に走るチリチリとした違和感が残っている。

 

 だが、春蘭はこのような殺気を放つ程に雪蓮に対して殺意を持っているにも関わらず、それを実際に行動に移していない。先ほどの挨拶の際は、まるでこちらに被害を与えようとしていなかったのだ。

 

 その原因とは何なのか。

 

 春蘭は己の剛腕に兵士を従わせ、力を全てと為す将である。それが彼女の長所であり、同時に短所となるところでもあるのだが、その春蘭が力を抑え込んでいるのである。それは先の荊州の戦いのときでも見られた。

 

 ――だが、あのときとは違う。

 

 明確に言えば、あのときは本当に攻めるつもりがなかったか、あるいは彼女の参謀となる人物から出陣を固く禁じられていたのだろう。しかし、今はどうだろうか。敵陣に目を向ければいつ襲い掛かってきてもおかしくないではないか。

 

 それはすなわち、春蘭が己の意志で猛る気を抑えているということを意味している。猫科の猛獣が獲物を狩る際に、自身の体勢を低く保ち、目の前に獲物が来る時を今か今かと待つかのように、己の欲望に制動をかけているのである。

 

 春蘭がそこまで己の激情を操ることが出来ることに、冥琳は恐れを抱いたのだ。

 

 これまでの猪武者とは違う、全く別の春蘭に対して。

 

 そんな冥琳の異変に断金の契りを結んだ雪蓮が気付かない筈がない。彼女はそっと親友の肩に手を置くと、その場にいる将たちに向かって言った。

 

「今度の敵は夏侯惇ではないわ。彼女を侮る自分自身よ。特に荊州の戦いには参加していない、祭、明命、思春はよく聞きなさい。夏侯惇は強い。おそらく私と対等に戦うことが出来るくらいには、ね」

 

 その言葉に、名を告げられた三人の表情が強張る。雪蓮は普段から適当な発言が多い人物だが、大切なときには決して嘘は言わない。ならば、自分の王は本心で夏侯惇が自分に匹敵する人物であると評したのだ。

 

 それは同時に、この戦は油断したらすぐに敗北へ繋がることを意味している。孫呉の王、そしてそれを支える稀代の大都督がいるこちらの軍勢が、華琳のいない曹操軍に負ける可能性があることを示唆しているのだ。

 

「……ありがとう、雪蓮」

 

 雪蓮にのみ聞こえる声で冥琳が言った。

 

 聞いてくれ、と彼女が更に皆に前置きした。

 

「私は今、夏侯惇という将に恐怖している」

 

 それは初めて人前で自分の本音を漏らした瞬間だった。

 

「荊州の戦いの際、私は袁紹に敗北した。皆が反董卓連合軍で彼女を見たとき、誰も器の小さい愚物であると感じたあの袁紹に、だ。彼女はあの戦いから己を痛めるまで研鑽を積み、信じられない程の実力を身に付けたのだ」

 

 いいか?

 

「人は進化する。敵陣にいる夏侯惇も同様だ。あれはもはや私たちの知る夏侯惇ではない。曹操から対江東軍部隊の司令官を任せられる程の人物である。その実力は計り知れない。油断すれば、確実に負ける」

 

 その言葉に更に場に重苦しい空気が流れる。

 

 普通であれば、これから戦が始まるというときにこのようなネガティブな発言などすることはないのだが、この場にいるのは雪蓮をずっと支えてきた者たちばかりである。その信頼度のために、敢えて二人は自分の本音を投げ掛けたのだ。

 

 そこで雪蓮が口を開いた。

 

「でもね、私はこうも思うのよ。袁紹と夏侯惇は確かに強くなっているわ。それも私たちの想像以上にね。だったら、答えは簡単なのよ。私たちも強くなればいい。あいつらよりももっと進化して、あいつら以上に強くなればいい」

 

 雪蓮の思考は単純だ。

 

 しかし、それ故に皆の心を一瞬にして掴むのだ。

 

「冥琳、祭、思春、明命、あなたたちは私が本当に信頼する最高の家臣よ。それは益州軍にも曹操軍にも劣らないわ。あなたたちならきっと強くなってくれる。あなたたちなら私を勝利へ導いてくれる。そう信じているわ」

 

 だからね。

 

「王として命じ、友としてお願いするわ。この戦を大陸平定のための最後の戦にしましょう。これ以上、私の大切な民を不安にして、苦しめるような戦いはしたくないの。この戦に勝利して、これで終わりにしましょう」

 

 王の最後の命令にして、友の願い。

 

 その言葉に皆の顔が引き締まる。

 

「ふん、全く、冥琳もやっと可愛げが出てきたのぅ。早くにそう言っておれば、お主だけに負担を掛けることもなかっただろうに」

 

 そう言ったのは孫呉の宿将である祭である。

 

「儂らは負けん。それで良い。策殿が頭を下げてまで言ったことじゃ。儂は先代様の友として宣言しよう。儂らは負けん。策殿に勝利という言葉を、この儂が最後に献上してみせよう」

 

 その言葉に皆が頷く。

 

 孫家を支える忠臣たち。祭は常にその先頭に立っていた。今は亡き孫堅から受け継がれた意志を――雪蓮という王を支えるためならば、彼女は死すら容易に受け入れる。それが己に課した最後の役割なのだから。

 

「さて、皆の意志も再確認したことだし、冥琳? 戦略について説明してくれるかしら?」

 

「あぁ、だが、残念ながら今回の戦に大まかな策略など存在しない。敵の参謀は、おそらくは先の戦いと同様に程昱だろう。あの者が相手ならば、最初から策など作っても無駄であろう」

 

「冥琳様がそこまで評価する人物なのですか?」

 

 明命が目を丸くして言った。

 

「あぁ。はっきり言って、心理戦では絶対に勝てないだろう。だからこそ、私は戦いの前に考えることを止めたのだ。先に考えても、それを読み取られてしまっては意味がないからな」

 

「はうわ……ではどのように戦うのでしょう」

 

 それに対して冥琳は微笑をもって返答とした。その言わんとすることに気付いたのは、付き合いの長い雪蓮と祭だけであろう。明命と思春はきょとんとした顔をしている。

 

「ふふふ……思い出す。若い頃に先代様に連れられて、無茶な賊の討伐に参加させられたことを。考える暇などない。常に限界の状態での戦。あれでどれだけの経験を得たことか」

 

「では……?」

 

「あぁ、この戦、私は一頭の虎になろう。今度は振り回されるのではなく、皆を振り回すつもりでもいる。極限まで追い込まれた末に生まれる私の知略についてきてくれ」

 

 それを聞いて雪蓮は嬉しそうに笑う。

 

「そうね。冥琳はそうやって人を苛めて笑っていないとね。一刀から聞いたけど、程昱は可愛い女の子だったそうよ。冥琳の嗜虐心をくすぐるんじゃないかしら?」

 

「あぁ、程昱を涙目にしてみせるさ」

 

 決戦直前とは思えぬ和やかなムードであるが、それはおそらく雪蓮と冥琳が自分の弱いところを見せたためだろう。絶対的な王と、それを支える大都督が弱音を漏らしたということは、それだけここにいる者を信頼しているということになる。

 

 それは家臣の心にこの人の力になりたいという想いを自然に生じさせた。

 

 そして、決戦の火蓋は落とされるのだった。

 

 

 軍議が終わると、すぐに雪蓮たちの許に斥候が急報を告げる。

 

 曹操陣営から部隊の出撃を確認したのだ。

 

 その一報を聞くや否や、冥琳はすぐに迷うことなく部隊を前へと展開させた。誰が率いているのか、どのような布陣なのか、その情報すらも聞かずして、冥琳は迎撃を命じたのだ。

 

 思春と明命の部隊を先行させると、そのすぐ後ろに自分の部隊をつけると、地平線より見える砂塵を確認し、そこで初めて部隊の規模を確認する。ただ目の前から迫ってきているというのに、凄まじい威圧感であった。

 

 ――なるほど。今度は挨拶のようにはいかぬか。

 

 そう思い、苦笑を漏らす。

 

 すると、目の前で敵軍勢が速やかに布陣を変えていく。冥琳はそこに付け込もうとし、口を開きかけるが、すぐに閉じた。

 

 粛々としたその動きには一切の隙が見受けられなかったのだ。兵が動き出す瞬間、そこには必ず攻め入る機が存在する筈だが、魏軍の兵士たちにはそれがない。おそらくは、何度もその動きを調練で磨いたのだろう。

 

 今、攻め込んでしまえば、確実に返されてしまう。どのような布陣になるかを見極めた上で、こちらも行動に移った方が良い、と咄嗟にそう判断したのだ。その目に敵の動きを細部まで焼き付ける。

 

 ――これは……。

 

 その動きから、冥琳は敵がどのような布陣を展開するのかを、先に読んだ。それは紛れもなく八門金鎖の陣であった。敵将を中心にして広がるその布陣から見て、それは間違いないだろう。

 

 八門金鎖の陣――休・生・傷・杜・景・死・驚・開の八門からなり、生門・開門・景門から攻めれば攻め込む軍に利があり、傷門・休門・驚門から攻めれば攻め込む軍が傷つき、杜門・死門から入れば二度と生きて帰って来られなくなる陣構えである。

 

 勿論、冥琳はそのことを知っていた。

 

 陣が完成する直前に、冥琳は声を発した。

 

「思春、敵の陣形に攻め入るっ! 私の後に従えっ!」

 

「は……はっ!」

 

 思春はそれを聞き、一瞬のみ戸惑ってしまった。

 

 江東軍の軍師であり、その支柱たる冥琳が先頭に立って敵陣に斬り込むと言うのだ。本来であれば、後方より指示を送り、それを自分たち将が遂行するのであるが、冥琳は自分の部隊を前方に押し広げたのである。

 

 騎兵を先頭にしたまま、正門へ向かってひた駆ける。

 

 その後を思春が追う。敵軍勢は布陣を整えた直後に襲われることになるため、それを防ぐことは不可能であった。冥琳の部隊を先頭にした敵軍の部隊に侵入を許してしまった。

 

 ――生門より入り、景門まで一気に駆け抜ける……っ!

 

 軍略について、自分と対等に張り合える者は多くない。その自負はあった。自軍内ではほぼおらず、益州では朱里や雛里、魏軍では華琳を始めとした知者揃いの軍師陣だけであろう。

 

 八門金鎖の陣は扱いが非常に繊細で難しいが、完成してしまえば脅威になるのは違いない。しかし、それを打ち破る対応策がきちんと備わっていれば、それ程恐れるようなものでもないのだ。

 

 そのまま一気に景門に向けて疾駆させる。

 

 ――いけるか……っ!?

 

 そう思った直後である。ある疑念が浮かんだ。

 

 この陣形を指示したのは、間違いなく風であろう。

 

 だが、何故彼女は自分たちと戦うのにこの陣形を敢えて選んだのだろうか。自分が相手であれば八門金鎖の陣を打ち破る術を知っていることくらい、彼女には想像するに容易い筈である。

 

 風とは荊州とは一度ぶつかっている。

 

 あのときは相手の策に見事に嵌ってしまった。こちらの思惑の尽く裏を突く戦略に幾度となく窮地に追いやられてしまったのだ。その実力は魏軍内でも指折りであることは勿論だが、殊に心理戦については右に出る者も少ないであろう。

 

 故に敵がこちらの実力を見誤り、この布陣を打ち破れないと思っているという可能性は少ない。冥琳が風の実力を評価しているように、風もまた冥琳のことを侮り難い相手として認識しているからだ。

 

 ――ならば、罠か……。

 

 これまでの冥琳であれば、その場で逡巡し、こちらの被害が出ない方針で部隊を動かそうとしたであろう。既に部隊を敵陣に斬り込ませながらも、深追いはせずに敵の仕掛けた罠を吟味しようとした筈である。

 

 しかし、今の冥琳は違っていた。

 

 ――面白い……っ!

 

 一度眼鏡に指を掛けると、嗜虐的に微笑み、更に部隊に進撃を命じる。

 

 罠があるというのなら、即座に対応し、すぐに粉砕してしまえば良い――否、寧ろ自分たち勝利を能動的に掴み取るのならば、ここで退いているようでは駄目なのだ。敵の策は全て薙ぎ払うくらいの意気込みは必要であろう。

 

 生門より景門に達すると、即座に馬首を巡らして部隊を引き返させる。八門金鎖の陣はそれで崩すことが可能である。敵がいかに調練を積んだところで、こちらの動きが生じるずれは無くすことが出来ないのである。

 

 そこに冥琳の意図を汲んだ雪蓮が率いる部隊が攻め掛かる。その猛烈な勢いに敵は後退を余儀なくされるのだが、後退をしながらも、こちらの攻撃を巧みに防ぐ。その手際の良さはまるでこちらの攻撃を察知していたかのようだ。

 

 そこで冥琳の疑惑が核心へと変わる。

 

「思春っ! 明命と共に左翼側へ向かえっ!」

 

「承知しましたっ!」

 

「それから伝令っ! 雪蓮の許へ、右翼へと回り、私と合流っ! 然る後に、敵側へ突貫するっ!」

 

「はっ!」

 

 すぐに各部隊へ指示を飛ばす。

 

 最初から敵の部隊は歩兵を中心としていた。

 

 曹操軍の強みは、勿論歩兵にもあるが、ここ最近は烏桓族の討伐と西涼への征西を成功させたことから、騎馬隊の脅威が目立ち始めている。その推進力、突破力は現在の大陸でもそれを超える力は存在しないであろう。

 

 故に、だ。

 

 ――敵の本命は騎馬による急襲……っ!

 

 冥琳は自分が後手に回っていることを自覚している。敵陣へ斬り込んだ時点で、こちらは敵の策中に嵌っているのかもしれない。しかし、それでも彼女は止まることはしなかった。考えるために立ち止まることはしなかった。

 

 思春と明命の部隊と別行動になると、すぐに彼女自身も右方向へ部隊を展開させた。すぐに雪蓮の部隊と合流すると、敵の歩兵を一掃する。兵の錬度自体は変わらない。ならば、勢いのあるこちらが今は有利である。

 

 部隊を蹴散らしながら、冥琳の狙うのは思春、明命の部隊による挟撃出来るポイントまで移動することである。如何に強力な騎馬隊といえど、一度に二つの部隊を相手にすることは出来ない。

 

 従ってこの場は部隊を退かせ、一つに纏まる防御陣よりも、完全に二つに切り離してしまい、リスクを承知で攻めの布陣を構成するべきである。後手に回った分、それを補うだけの切り返しをするのだ。

 

 勝負の鍵となるのは敵が騎馬隊をここに送り込むまでにどれだけの距離の稼ぐことが出来るのかということ。敵の機動力を抑え込み、こちらはこの勢いを維持したままで緒戦を制すことだ。

 

 とにかく部隊を駆けらせる。益州との同盟が決まってから、彼らに負けじと必死の調練を積んだのだ。血反吐を吐くまで兵士を駆けらせた。体力と気力だけならば、どの陣営にも勝てる自信がある。

 

 敵が動いた。

 

 中心部から騎馬隊が突出するのが見える。

 

 ――よし、距離は充分だ。

 

 そう思った。思春と明命もこちらの意図を汲んだのだろうか、遮二無二に部隊を押し進め、崩れ掛かった敵歩兵隊へと襲い掛かっている。これだけ離しているのなら、九州による打撃も少なくなる。

 

 しかし……。

 

 

 風は本陣に座りながら、ゆったりと敵の動きを眺めていた。

 

 八門金鎖の陣を囮にしたのは既に知られているだろう。風自身もそれは承知の上でこの陣形を選んだのである。敵参謀である冥琳は手強い。真っ向からの知恵比べではおそらく自分では勝てないとすら思っていた。

 

 ――風に利があるとすれば、敵の虚を突くことくらいですからねー。

 

 想定通りに冥琳は八門金鎖の陣の弱点をついてきた。しかも、陣形が未完成の段階で進撃を開始し、陣が完成するや否や防衛の暇を与えずにこちらに斬り込んできたのだ。その判断力と決断力には舌を巻く。

 

 陣の構築を任せた将には、予め部隊が崩れることを教えていたこともあり、無様な潰走をするということはなかったが、逆にその様が敵に不自然な印象を与えたようで、敵も即座に動きを変えてきたのだ。

 

 ――うー、気付かれてしまいましたかー。

 

 飴を口に咥えながら、眉間に皺を寄せるが、その幼い容姿では不機嫌な印象も、あどけない少女が拗ねているように見え、微笑ましくも映る。しかし、その脳裏では驚異的な速度で次の展開を読もうと計算が進められているのだ。

 

 本命は冥琳の予想通り騎馬隊による蹂躙である。

 

 江東軍の弱点は騎馬隊の数が少ないところにある。益州との同盟後に、益州経由で多くの馬を買い、また益州の優秀な将軍からその教えを受けてはいたものの、同盟から大して時間の経過していない状態では、その力を全て出し切ることは出来ない。

 

 故に騎馬隊を一気に投入することで敵を真っ向から打ち砕く。わざわざ八門金鎖の陣を囮にしたのも、敵の勢いをへし折り、そのまま反撃の隙を与えないことが風の策の根底にある。

 

 ――まぁそれも気付かれてしまえば仕方ないのですよー。

 

 そう思いながらも風は徐に立ち上がり、左右に控える将校たちに指示を出す。

 

 先の思惑は飽く迄も戦が全て何の障害もなく上手くいったときを想定したものである。寧ろそうならない可能性が高いということも折り込み済みである。軍師とは常に最悪のことまで想定して策を練る生き物なのだ。

 

「予定通りに彼女たちには出撃してもらってくださいねー。それから、風も念のため出る準備をしておくのですよー」

 

「はっ……。し、しかし、程昱様まで出るのですか」

 

「そうですよー。何か問題でも?」

 

「い、いえ……夏侯惇将軍より戦場で暴れるのは自分の仕事であり、なるべく程昱様を危険な場に行かせるのは控えるように言われているもので……」

 

「そうですかー」

 

 おそらくは先の荊州戦で自分が天の御遣いこと北郷一刀に捕らわれの身になったことが原因なのだろう。あれがあの戦を敗北へ追いやった要因であり、指揮官である春蘭は自責の念に囚われていることは必定であった。

 

 指揮官である以上、敗戦の責任は春蘭にある。風や華琳がいくら気にするなと言ったところで、彼女の性格を考えると気にするなという方が無理である。この戦にかける想いも一入(ひとしお)であり、絶対に無様な敗北など許すわけにはいかないのだ。

 

「分かったのですよー。今は風も動きません」

 

 風も出撃してしまえば、春蘭のことだ、行かせてしまったこの将校たちを責めるかもしれない。そうなってしまえば、彼らが可愛そうである、そう思った風は出撃するという言葉を取り消した。

 

 ――といったところで、もっとも安全な場所というのは実は春蘭ちゃんの側だったりするんですけどねー。

 

 無表情のまま内心で苦笑を漏らすが、もしものときが来るまでは春蘭の言うようにこの本陣に留まることを決めたのだ。だが、それも一時的なものであり、敵が侮り難い軍である以上、そうならない可能性が高いのも事実である。

 

 まぁ少なくともこちらの策がある程度まで瓦解しなければそうなるということもない。従って、彼らが春蘭から怒鳴られるかどうかは、これからこちらが繰り出す騎馬隊が敵を上手く捻じ伏せられるか次第であるのだ。

 

 成功率は低くはない。正直なところ、これまでの冥琳が相手であれば、充分過ぎる。しかし、ついさっきの動きから判断するに、彼女もまた更なるステージへと身を置こうとしているのだ。成功するとは断言出来ない。

 

 ――まぁ風に出来るのは、彼女たちが上手くやってくれることを願うだけですねー。

 

 風は戦場の方へと目を向けた。自分が支える日輪が――華琳が大陸を制覇して宿願を叶えることが出来るのか、それともそれが頓挫してしまうのか、その岐路と言うべき決戦の舞台へと。

 

 しかし、その眼差しが何故か複雑そうに見えたのだが、それも急に風が吹き、彼女の目を伏せさせてしまったので、その場の誰も確信することは出来なかった。そしてそのまま戦争は続くのであった。

 

 視点は再び冥琳の許へ。

 

 敵陣の中央から飛び出してきた騎馬隊。それを肉眼ではっきりと捉えると、彼女の瞳に驚愕の色が宿る。

 

 ――くっ! 何故この場に貴様らがいるのだっ!

 

 本陣から突出してきた部隊――それは本来であればこの場にいるはずがないのだ。彼らは普通の戦に出ることはなく、魏軍の王である華琳が出陣したときのみ現れる。そして、その役目とは戦において王に指一本たりとも触れさせることを許さぬこと。

 

 その部隊は虎豹騎と呼ばれ、華琳直属の精鋭中の精鋭揃いの部隊である。

 

 更に冥琳たちにはまだ見えていないが、その虎豹騎を率いているのは、虎士と呼ばれる、華琳の身辺警護を任されている者たちである。一人一人が相当の腕前の持ち主であり、そして、その虎士を束ねている者こそ、彼女たちであった。

 

「行くよっ! 流琉っ! 一気に敵を蹴散らしちゃえっ!」

 

「うんっ! でも季衣、私たちの役目はきちんと憶えていてねっ!」

 

 季衣こと許緒、流琉こと典韋である。

 

 先にも述べた通り、彼女たち虎士、そして虎豹騎は本来であれば華琳の側にいるべきである。華琳がこの場にいるわけがないのは明らかであり、冥琳が目を瞠ったように彼らがここにいるのもあり得ないのだ。

 

 ――あり得ないからこそ、敵の虚を突けるのですよー。

 

 風は涼しい顔をしながらそう思った。

 

 彼女は戦の始まる前に華琳に願い出ていたのだ。虎豹騎及び虎士を対江東軍部隊の騎馬隊として使いたいということを。結構無茶な要望だとは思っていたのだが、華琳は予想外にそれを受け入れてくれたのだ。

 

 対益州軍部隊には曹洪、曹仁を呼び戻したこともあり、華琳としては自分がそちらに対して口出し出来ないこともあるので、可能な限りは聞き入れたいと思っていたのだろう。だが、それは風にとっては勝利への一歩であった。

 

 そして、冥琳たちにとって最悪の展開となったのが、虎豹騎が魏軍内においても、霞の率いる騎馬隊と同等の錬度を誇っていることもあるが、季衣と流琉、二人の指揮官がおり、部隊を二分することが出来るだけの部隊数があるということである。

 

 ――こちらの思惑は筒抜けか……っ!

 

 冥琳は唇を噛み締めながら、しかし、その動きを止めることなく速やかに思考を回転させた。こちらが危険を承知で部隊を二分することで、敵の騎馬隊の動きを制限出来るということもこれで意味を為さなくなった。

 

 季衣と流琉はお互いに部隊を率いながら、思春と明命がいる左方向と、雪蓮と冥琳がいる右方向へと迫る。精強この上ないことに加えて、先頭に立つのは爆発的な力を有する季衣と流琉である。

 

 ――ふふふ……、どう動きますか、周瑜さん。

 

 風は微笑みながら戦場に立つ冥琳に問いかけた。

 

 風の狙いは先の荊州戦とずっと変わらない。常に心理的状態において優位に立ち、本来の知略での争いでは勝てない冥琳を、思考させ続けるという環境に追い込むということである。

 

 思考し続けるということは、迷い続けるという可能性を含んでいる。

 

 そして、迷いというのは常に敗北へと誘う厄介なものである。人という生き物は迷ってはいけない心に言い聞かせても、それでもその迷いを切り捨てるのが困難である。自分が迷っていると自覚した瞬間から、その泥沼に嵌ってしまうのだ。

 

 ――さぁ周瑜さん、今度こそあなたの心を砕いてみせますよ。

 

 勝利を己の心に深く定めた者たち――雪蓮率いる江東軍。そして先の雪辱を晴らそうと巧みに心理戦を仕掛ける風と、未だに戦場に姿を現さぬ春蘭率いる魏軍。彼らの戦いの緒戦の始まりである。

 

あとがき

 

 第九十五話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 さて、勢いで書いた「推参! 変態軍師」の閲覧者数がこっちの三分の一以下の件に関して(笑) まぁこうなることは予想済みだったんですけど、本当にそうなると意外と凹むもんですね。あれを後続作品にするかどうかは要検討です。

 

 閑話休題。

 

 さてさて、やっと江東軍の緒戦が開始されることになりました。

 

 勿論、以前の荊州戦同様に我らが風が妖しく輝きます。

 

 冥琳はこれまで何でも自分で背負い込みがちであったのですが、ここに来て初めて自分の本音を、弱音を吐露します。しかし、それによりある意味では吹っ切れたことになり、雪蓮たちの絆はさらに深まることになりました。

 

 思考するために立ち止まることを止め、多少の損害を顧みることなく、ひたすらに勝利を手に入れようとする姿勢は、確実にその用兵術にも反映され、虎の如くに果断な行動を選択し続けます。

 

 しかし、それを嘲笑うかのように繰り出される風の策略。

 

 本来は華琳の側に置かれる虎豹騎、そして華琳の近衛兵である虎士の参戦。季衣と流琉がそれぞれ部隊を指揮することにより、冥琳の意図も潰されることになってしまいました。

 

 さてさてさて、彼らの登場のところで今回は幕引きとさせて頂きました。

 

 麗羽様編では、麗羽様は勿論のこと、敵将として曹洪と曹仁を登場させて圧倒的な力を示すことになりましたが、こちらでは以前の荊州編という同様に風と冥琳の頭脳戦をメインに据えたいと思います。

 

 それだけでは荊州戦と代わり映えがしないので、あまり登場することのなかった明命や思春といった江東勢も活躍させたいなと思います。

 

 それから敵将である春蘭に関しては、未だに登場させておりませんが、こちらも本編で何度か描写がありますように、雪蓮に匹敵する程の将として、彼女たちの前に立ちはだかることになるでしょう。

 

 どのようなバトルになるのか、妄想を膨らませて頂きながら、あまり過度な期待をすることなくゆるゆりとお待ちになって下さいませ。

 

 それでは今回もこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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