No.439434

百合と日直

フェリスさん

百合と、日直。  ――前に書いたものの続き、書きたくなったのです――  前作→http://www.tinami.com/view/227161

2012-06-19 22:35:10 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:518   閲覧ユーザー数:518

  <Side 譲葉>

 

「現在、時刻は午前七時二五分、と」

 私は普段利用する通学路から少しだけ脇に逸れた位置にあるコンビニの前に立っていた。登校するにはまだまだ早い時間であるためか、高校に比較的近い位置にあるこのコンビニに生徒の影は無く、静かである。

 そんなコンビニの前で私が見つめる先は、高校に至る道でも、今朝家からここまで来た道でもなく、高校とは逆方向に伸びる別の道。

「……早く来ないかなぁ」

 ついつい呟いてしまったけど、その(何度目かの)願いが通じたようで、見つめる少し先にある交差点の曲がり角に、待ち望んだ相手の姿が現れた。その少女は私に気が付くやいなや早足で私の元まで駆けて来る。

「……はあ、……ふう、か、かんにんな、譲葉」

「ううん。そんなに待ってないから大丈夫だよ」

 そもそもまだ待ち合わせ時間の五分前だしね。まあ、楽しみにしすぎて七時くらいからここにいたりするけど……。

「というか、それより大丈夫、八重ちゃん?」

「う、うん大丈夫や……」

 八重ちゃんはあまり運動が得意ではないらしく、それほどの距離ではなかったのだけど肩で息をしていた。

 朝霧八重ちゃんと知り合ったのは一週間前。始めて出会ったのは四月頃なんだけど、話すようになったのはついこの前からである。綺麗に切り揃えられた艶のある黒髪ショートカット。私よりも少し背が低くて、眠たげに半分閉じた眼と物腰から大人しい雰囲気を感じる。

 それから譲葉というのが私の名前、茅譲葉。肩にかかる程の長さの茶髪以外、特筆すべき特徴があるとは自分で思えないけど、元気が取り柄の高一女子である。

 ちなみにそんな私たち、昨日想いを交わしたばかりの……こ、恋人同士だったりします。

 折角だからと、一緒に登校しようということになり、こうして待ち合わせをしたわけである。

 とか考えているうちに、八重ちゃんの呼吸も落ち着いたみたい。

「それじゃ、行こっか」

「うん」

 さっそく連れ立って歩きだしたところで、

「あっ、そうだ」

「?」

 ふと思いついたので実行に移す。すっと片手を八重ちゃんに差し出した。

「譲葉?」

「手、繋がない?」

「ふえっ!?」

 八重ちゃんの顔がボッと紅くなった。あーもう可愛いなー。

「そそそそそんなん、誰かに見られたら恥ずかしいわー……」

 慌てた様子の八重ちゃん。むぅ、やっぱり駄目だったか、半分冗談のつもりだったんだけどちょっと残念かも。

「……だからなー」

 と、私が手を戻そうとした時、八重ちゃんが口を開いた。何だろう、って思って手の動きが止まる。そしてその手に、八重ちゃんの手が重なった。

「や、八重ちゃんっ!?」

 今度は私が慌てる番。

「……だから。と、途中まで、やで?」

 ついっと、八重ちゃんは視線を逸らす。耳まで真っ赤だった。たぶん私もだいたい同じ感じになっていると思う。だって顔がすごく熱いもん。

 か、可愛すぎでしょ八重ちゃん。

「……と、とりあえず行こっか?」

「……う、うん」

 二人してギクシャクしながら歩く。今どっちの足を出したのかも覚束ないほどだけど。

 ――その手に感じる八重ちゃんのぬくもりを感じながら。

 

 ところで、なんでこんなにも朝早くから待ち合わせしていたかと言うと、別に住んでいる所が高校から遠いとかではなくて、

「失礼しました」

 たまたま八重ちゃんが今日の日直だったからである。

「学級日誌、貰って来たえ」

 職員室から出て来た八重ちゃんの手には黒い表紙の綴じ本が一冊。花瓶の水替えとか諸々の仕事を終えて、最後に学級日誌を取りに来たのである。これで朝の分の仕事は完了だね。

「じゃ、戻ろっか」

「うん」

 隣のクラスである私はそのお手伝いで一緒に来ていたのである。最初、八重ちゃんは遠慮していたけど、気にしなくていいのに。……彼女なんだし。

「? なんや顔紅くない、譲葉?」

「い、いや、なんでもないよ」

「そう?」

「うん。あははー」

 私は手をパタパタと振って誤魔化す。

 八重ちゃんは納得したのか、再び前を向いて歩き出す。

 ――そういえば。

 横目に八重ちゃんを見つめながら、ふと思い出した。

 そう、日直と言えば。

 あの日、私が八重ちゃんと初めて出会った日、私、日直だったかも? まあ、だからどうしたということでもないのだけどふと思い出したんだ。

 八重ちゃんと恋人同士になることが出来た昨日、最初の出会いが本当はいつだったのかを教えてもらった。でも、その後は想いを伝え合えたことが嬉しすぎて、そのことをあんまり考えてなかったなぁ。……めちゃくちゃドキドキしてたもん。いや、今もしてるけど。

 教室までの数分間、口数があまり多い方ではない八重ちゃんがだんまりモードっぽいので、私はその日のことに思いを巡らせることにした。

 

 四月も終わり間近というその日は、春にしては暑い陽気だった。

「あつ……」

 午後にもなると暑さはピークを迎え、グラウンドに向かって歩く私は頬を伝う汗を手の甲で拭う。朝は着ていたジャージの上着も、昼前にはとっくに腰に巻いていたほど、今日はやけに暑い。

 そんな今日は体力測定の日だった。

 ……なんでこんな日に体力測定なんかするかなー。と、私は今日何度目かの愚痴を心の中で零す。

 午前と午後で握力や短距離走などの何種類かの種目をこなさないといけないのだが、回る順番は個人が自由に決めていい。なので午前中はクラスメイトのしぐちゃんとココちゃんの二人と回っていたのだけど、午後になってからすぐ二人が先生から用事を頼まれてしまい、私は一人になってしまった。まあ用事なら仕方ないかー、と気を取り直して次の種目の所に行って誰か友達を探そうと考えていたら、

「……あれ?」

 前方、昇降口に向かってフラフラ歩く長い黒髪の女の子を発見した。私は思わず足を止め、彼女の様子に注目する。遅々として進まない歩み、今にも倒れてしまいそうな上半身。考えるまでもなく危うげだった。

 心配になった私は、その子に声をかけようと小走りで近づき、

「だ、……」

 ――大丈夫? そう言おうとした。だけど遅かった。

「っ!?」

 少女の体がこれまでになくぐらつき、糸が切れた人形のように力なく崩れ落ちそうになる。私は慌てて両手を伸ばす。間に合えっ!

「……よっ、とと。ふぅ」

 早い内に近づいててよかったよ。なんとか彼女が地面に激突する前に受け止めることが出来た。私はほっと一安心して、改めて声をかける。

「あの、大丈夫ですか?」

「あ、はい。……だ、だいじょーぶです……」

 そんな風に答えてはいるけれど、眼鏡の奥の瞳が揺れている。どう見ても大丈夫には思えなかった。この急な暑さにやられてしまったのだろう。立っているのも辛そうだ。

 肩を貸すぐらいだとあんまり助けにならないかも、と私は考えた結果。

「さ、どうぞ」

「え?」

 私は彼女の前に背中を見せてしゃがむ。その子はポカーンとして、たぶん体調のせいで頭が回らないのだろうけど、私の行動を不思議そうに見守っていた。

「おんぶしてあげる。ほら、乗って下さい」

「えっ、でも」

「こんな時に遠慮は無用です」

「は、はい」

 少し強めに促すと、おずおずと背中に体重を預けてくれた。私はしっかりと支えて立ち上がる。うん、思った以上に軽くてよかったよ。立ち上がれなかったりしたら色々と悲惨だから……。

 ゆっくりと、あまり揺らして負担にならないように歩く。しばらく無言のまま歩いていたが、ふと背中から、

「ありがとうな」

「い、いえ、気にしないで……って」

 関西弁のイントネーションで言われたその言葉に私が振り向くと、背中のその子は気持ちよさそうに瞼を閉じていた。スースーと安らかな寝息が聞こえる。

「寝ちゃったの、かな?」

 私は思ったより深刻そうじゃないことに安堵する。

 少し心に余裕が出来た私はその子の顔を覗き込む。長い睫毛、白い肌、柔らかそうな頬。綺麗な子だなぁ、と心底思う。気づかなかったけど青色のジャージってことは同い年なのか。

「羨ましいなぁ」

 特にいいなって思ったのは艶のある長い黒髪。時折手に触れる髪がサラサラしていて気持ちいい。

「私も髪伸ばしてみようかな?」

 柄にもないことを私は独り言ちる。私には似合わないだろうなーって思いと、長いと手入れが面倒だろうからと、今までは早め早めにカットしていたけど、珍しく伸ばしてみたいという気持ちが大きくなっている。

「……それと」

 ほっぺた、柔らかそうだなぁ。僅かに赤みが差して、肌理細かくて。

 うずっ、と触ってみたいという衝動が生まれる。ちょっとくらいなら。と、ゆっくりと右手を伸ば――

「ん、ぅ」

 びくっ!

 私は出しかけた手を慌てて引っ込める。恐る恐る後ろを覗くと、

「すぅ。すぅ」

 変わらぬ寝息が聞こえてくる。……危なかったぁ。起きたのかと思ったよ。ふぅ……。

「落ち着け、私」

 驚いたおかげで冷静になれた。

 ――そうだな。寝込みを襲おうという考えがいけないんだよ。よく言う、変態は紳士たれだ。いや、私の場合は女だから淑女か。……まずい、あんまり冷静じゃない気がする。

「……早いところ保健室に届けよう」

 なんかもう自分が冷静なのかどうかもよく分かんなくなってきたし、あんまりゆっくりしていたらこの子の体にも悪いだろうからと、揺らさないようにと気をつけながらも、私は急ぐことにした。

 とにかく、揺らさないこと、急ぐことだけを念頭に、雑念を振り払うように歩を進める。

 数分と経たないうちに保健室に着いた。養護教諭の梍(さいかち)先生に事情を説明して、背中の女の子をベッドに寝かし、その子の安らかな寝顔を確認した私は保健室を後にした。

 グラウンドへ戻る途中、あのサラサラの髪触りをふと思い出し、長い髪羨ましいなー、とまた思う。あの子みたいな長い髪か……。

「…………んー?」

 想像しようとしたが、髪を長くした自分の姿が全く思い描けなかった。昔から髪を伸ばそうとしたことなんて一度もなかったもんな。というか、一体どれくらいの時間であの子くらいの長さになるのかな?

「あの子?」

 ――そう言えば、

「あの子の名前、なんて言うんだろう?」

 あの子のことばかりをさっきからずっと考えていたというのに、私はそのことに今更気づいたのであった。

 

「――って、あほかっ、私は!?」

「い、いきなりどうしたん、譲葉!?」

 回想終了後、突如叫ぶ私に八重ちゃんは眼を真ん丸くする。あっ、可愛い。……って、そうじゃなくて。あ、いや、八重ちゃんは可愛いです。だけどそこが論点じゃなくて。

「大丈夫。全くそうは見えないだろうけど、大丈夫だから」

「ほ、ほんまに?」

「うん。ただ自分の間抜けさ加減に今更気づいて呆れているだけなの」

「?」

 首を傾げる八重ちゃんに、私はそれだけ言う。八重ちゃんはしばらく怪訝な表情を浮かべて私の顔をじっと見つめていたが、また前を向いて廊下を歩き出す。少し遅れた私は、八重ちゃんの後を追いかけて横に並ぶ。

 ――ああ、そう言えばこの髪だ。

 横に並ぶ直前、八重ちゃんの後ろ姿を目に、ふとそう思った。

 腰まであった髪がバッサリと切られ、今やショートカットなものだから全く気づけなかったのだけど、艶のある黒、サラサラと揺れる髪に変わりはなかった。あの時は、今思い出してもあほとしか言いようのない雑念を必死に消し去ろうと考えていたせいもあって、この思い出を丸ごと忘れてたんだよなぁ。

 思い出せてよかったよ。ほんとに。

 そして改めて二ヶ月半くらい前の私に、『お前はあほかっ!』 と全力で言いたくなるよ。ほんとに。

 私は苦笑する。

「………………」

 ――苦笑するのだけど、

「……むぅ」

 八重ちゃんの顔を見ながら、主にほっぺたの辺りに視線を集中させながら私は小さく唸る。

「……今度は一体どうしたん?」

 私の視線に気づいた八重ちゃんが、不安げに訊く。その言葉も私の頭にはあまり入って来なかった。私は衝動のままに指を伸ばす。

「ていっ!」

 ――ぷにっ。

「……ふえ?」

 何をされたか分からず固まる八重ちゃん。じっくりと時間をかけて事態を、具体的には私に自分のほっぺたを人差し指で突かれたことを認識した八重ちゃんは、一瞬で茹で蛸の様に顔を真っ赤にして口をパクパクしていた。

 ちなみにこの時の私は、八重ちゃんのほっぺたすんごく柔らかいなぁ、真っ赤になった八重ちゃん可愛いなぁ、の二つしか考えていなかった。

「……えっ、……あぅ。…………譲、葉? ………………今の、……いったい、なんやの?」

 ようやくまともに声を出せた八重ちゃんは、未だに真っ赤だった。何と答えたものかと私は少し考え、清々しい笑顔で、

「八重ちゃんのほっぺたって、柔らかいね」

「訳分かんないやけどっ!?」

 全力でツッコまれてしまった。

 八重ちゃんは私から真っ赤に染まった顔を背けるようにして歩き始め、私も隣を歩く。

「…………」

「…………」

「……譲葉」

「ん?」

 しばらくして、教室の手前まで来たところで八重ちゃんはやっと口を開き、私の方を向く。八重ちゃんはすっかりいつも通りの落ち着いた表情に、あっ、いあや頬にまだ少し赤みが差してる。

「今日は、一緒にお昼食べよ」

「えっ、あ、うんっ!」

 さっきのことを言及されるのかと思っていたけど、ふいの嬉しい申し出に私は笑顔で応じる。八重ちゃんも小さく微笑むと、

「ほな、また後でな」

 八重ちゃんの教室に小走りで入っていった。

「あー、次の休み時間が待ち遠しいなー」

 八重ちゃんの後ろ姿が見えなくなると、すぐ思ってしまうことを小さく呟く。

「――それはそうと」

 今の私も、春頃の私をあほ扱い出来なくなっちゃたな。というか今の方が重症だし、結局の所その四月の時点で私は八重ちゃんに惚れちゃってたんだと思う。で、これからどんどん重症になっていくんだと思う。

 思うと、私はついつい苦笑する。

 嬉しいからこそ笑みが零れてしまう。

「ま、今日も一日頑張りますか!」

 私は緩めた頬を引き締めることもなく、騒がしくなってきた自分の教室に戻った。

  <Side 八重>

 

 ――放課後。

「んじゃ、花瓶の水替えて来るねー」

「あっ、うん、よろしう」

 うちの教室、1-F6の教室にて、朝と同じくまた譲葉が日直の手伝いに来てくれていた。

「ほんまに、優しいなー」

 譲葉が廊下に出たのを確認してから、うちは小さく呟く。明るくて、格好よくて、それでいて可愛くて、だ、……大好きなうちの彼女や。

 譲葉ばっかりに任せてたらあかん、うちも頑張って日直の仕事せえへんとな。うちは黒板消しを手に気合を入れる。

 黒板を綺麗にしている最中も、考えるんは譲葉のことや。たぶんばれてへんとは思うんやけど、譲葉と恋人同士になれてからうちはドキドキしっぱなしやった。今日の朝かて譲葉は七時に来とったけど、うちはその三〇分前の六時半にはほんまはおった。正確には待ち合わせ場所のコンビニから少し離れた曲がり角に、なんやけどな。

 待たせるのもあかんし、先に待ってようかなとも考えたんやけど、待たせてしまったと譲葉に思わせてしまうのもなんや気まずうて。それでいっそのこと同時にと思って待ち構えてたんやけど、いざ譲葉が来た時にふと、わざとらしくはないやろかと、一瞬躊躇したらタイミングを逃してもうて。その後はもうどのタイミングで出ればええのか分かんなくなって、気がつくと約束の時間の五分前になっとった。

「ふぅ」

 うじうじしとったらつい溜め息がでた。そういえば四月もこんなやったな。と、そこに、

「どうしたの、八重ちゃん?」

「ひゃわっ!?」

 戻って来た譲葉に後ろからいきなり声をかけられて、うちはびっくりして声を上げる。そんなうちの反応に、逆に驚いてしまった譲葉は心配そうに、

「ほ、ほんとにどうしたの? 溜め息ついてたみたいだし」

「ううん、なんでもないえ。疲れたからちょっと一息ついてただけや」

「そうなの? なら代わるよ」

「だ、大丈夫や。もうほんのちょっとやし、譲葉には十分に手伝ってもらってほんに助かっとるから、後は休んでてええよ」

「……そう? じゃあ、そうさせてもらうよ」

 早口で捲し立てたうちの様子を少しだけ訝しんでいたけど、素直に引き下がった譲葉は教卓から一番近くの椅子に腰かけた。早い所終わらせようと黒板消しに勤しむんやけど、なんやえらい静かになった思うてちらっと振り向くと、譲葉はずいぶん暇そうな顔で黒板を眺めとった。

 ……手伝いたかったんやな。でも本当に残りの部分が二人で掃除する方が窮屈やということに納得したのか、きょろきょろと辺りを見渡していた。

 なんやろ、普段うちが過ごしている教室やと思うとちょっと恥ずかしいかも。

「……あっ、八重ちゃん」

 ふいに譲葉が声をかけてきた。黒板もちょうど綺麗にし終わったところやから、チョークと黒板消しを簡単に整理しながら振り向く。譲葉の視線は教卓の上に向かっていた。

「何、譲葉?」

 訊くと、譲葉は改めてうちの方に笑顔を向けて、

「学級日誌を見てもいいかな?」

 その気持ちはうちも分かる気がした。人によって色んな書き方もあるし、結構面白い内容が書いてあるからな。だから何の気なしにうちは、

「うん、ええ……」

 ――よ、と言いかけて、ふとあることを思い出して大慌てで、

「――ことないよっ!」

「ええっ!?」

 止めたものやから、譲葉はえらくびっくりしていた。頭の上に大量のハテナマークを浮かべながらも、勢いに負けたのか、割とすんなり引き下がってくれた。

 ふぅ、と心の内で密かに安堵する。

 ごめんな、譲葉。折角面白いこと見つけたのに。

 でも、だって恥かしかったんやもん。

 うちは四月の、あのうちにとって大事な日にも日直で、その時のことも日誌に書いとったんや。それは流石に譲葉に見られんのは恥かしい。

 うちは、

「今から日誌書くから」

 と苦しい言い訳で日誌をキープして、ふとその日のことを思い返していた。

 ――そう。譲葉と出会うた、あの日のことを。

 

 目が覚めると保健室のベッド上やった。

 気だるい体を起こして、ぼうっとする頭で辺りを見渡す。室内には保健の先生すらいない。窓辺に射し込む陽光はすでにオレンジ色。保健室特有の消毒薬の匂いに気づくと、一気に脳が覚醒してきた。

「そういえば――」

 昼休みが終わってすぐ眠気が襲って来たんやった。昨日は遅うまで録り溜めてたドラマとかバラエティとかを見てもうて、寝不足。自業自得やけどそのせいで体はだるいし、急な暑さもあってこの体たらく。……うぅ、恥かしい。

 ――ガラッ。突然の扉を開ける音に振り向くと、入って来たんは白衣を羽織った、さばさばした印象を与える若い女性、保健の先生の、……えっと、名前なんやったっけ? まだちょっと頭がぼうっとするなー。

「おう、起きたのか? 調子はどうかな?」

 先生の快活な声を聞きながら、うちはどう答えたものかと考える。もう大丈夫な気もするし、まだ頭の働きが鈍いような気もするし、せめて先生の名前ぐらい思い出せたらなー……って、、あっ、思い出した。梍先生や。梍水希(さいかちみなき)先生。思い出せてすっきりしたわー。

「もう、大丈夫です。ありがとうございました」

 うちは布団を押しのけて、ベッドの脇に置かれた上履きを履き立ち上がる。最初はぼうっとしてたんが気になっとったんやけど、随分寝ていたからやろか、思ったよりもずっと楽に立ち上がれた。

「そっか。んじゃお大事にねー」

 梍先生はさらさらと一枚の書類にペンを走らせると、その紙をうちに渡す。見ると、保健室を利用した旨とその理由、時間が書いてあった。

「それ、担任に渡しといてねー」

 言いながら梍先生はデスクチェアに深く座る。体重を預けきっていて、だいぶ楽そうな格好や。

「分かりました」

 言って、うちはドアに手をかけ、……ふと、思い出す。そういえば、うちを背負うてくれたあの子、一体誰やったんやろ? 一言お礼しときたいしな。

 明日にでも探してみよう、とうちは結論づける。

「それでは、失礼しま――」

「ああ、そうだ」

「?」

 何かを思い出したみたいな梍先生の物言いに、うちの頭上にハテナマークが浮く。

「あんたを負ぶって来た娘。あんたと同じ蒼いジャージの一年生だったよ。名前は確か……茅、だったかな? 下の名前もクラスも分かんないけど」

 言うだけ言うと椅子を回してうちに背を向け、だらしない格好上げた手をひらひらさせる。

「ありがとうございます。失礼します」

 その背中にお辞儀して、うちは保健室を出る。梍先生の言葉はとってもタイミングが良くて、ありがたかった。あん時はほんとに頭がぼんやりしてたから、あんまり記憶が定かでなくて。目が合ったから顔は何とのうは憶えとるんやけどな。あの優しい笑顔とか。

 ――とくん。

「あれ?」

 なんやろ。今ほんのちょっと心臓が跳ねたような?

 ……まあ、気のせいやろな。

 うちは首を傾げつつも、それ以上考えるのをやめた。

 そうこうしている内に自分の教室に着いたのやけど、

「……さすがにこの時間やと誰もおらへんな」

 人気のない教室で、うちはひとりごちる。ふと教室の上に何か置いてあんのに気づく。学級日誌や。

「あっ、そういえば今日の日直うちやったな」

 あー、どないしよ。こんな時間から始めたら帰れんのはいつになるんやろ……。気落ちしながら、教卓までのろのろ歩いて行くと、あれ? 日誌の上に書き置きがある。

「あっ、これ」

 クラスの友達、雪菜と香菜からやった。内容は、

『八重ちゃんへ☆

 体調はもう大丈夫かな?

 日直の仕事だけど、日誌以外は全部済ましておいたよっ♪

 今日はゆっくり休むんだよ。

 じゃっ、また学校でねー!!

 雪菜&香菜』

 ふふっ、相変わらず雪菜は元気な字やなー。

「ありがとうなー、二人とも」

 後でお礼のメール送っとかんとな。

 お礼と言えば茅さんやけど……。

「……ふぅ」

 つい溜め息がついて出る。

 その理由は、思い出したからや。梍先生から学年どころか、名前まで聞けたんは良かったんやけど、よう考えてみたらこの高校はとてつもなく広くて、一年生だけでも千人は超えていたりする。そんなんで、どうやって探せゆうんや?

「……はぁ」

 再度溜め息が出てしまう。その茅さんを見つけられる気が全くせえへん。

 落ち込んでいても仕方あらへんと、うちは学級日誌を書くことにした。日付とか天気とか授業内容とかを記していき、最後の「今日の出来事・感想」欄。

「…………」

 少し悩んでから、うちは茅さんのことを、それから雪菜と香菜のことを書いた。ほんに今日は助けられてばっかりの一日やったなぁ。そう思い、学級日誌を閉じる。

「後はこれを職員室に持って行くだけやな」

 帰り支度を整え、カバンを手に取る。着替えは日誌戻してから更衣室に寄ればええな。

 と、考えながら教室を出たところで、

「……え!?」

 ちょうど隣の教室に入っていく、制服姿の女の子の横顔が目に留まる。

 ――って、えっ、ええっ、う、嘘やろ!?

 うちは隠れるように廊下の壁に背をぴたりとつける。混乱して思考回路がぐるぐると回っているけど、そのままこっそりと隣の教室を覗き込む。

「……あの人」

 窓側と後ろのそれぞれから二番目の机の側に立っている少女、たぶん忘れ物である筆箱をカバンに収めているその人。その顔にうちは見覚えがあった。

 ――茅さんや!

 というか、隣のクラスやったの!? あまりの偶然にうちは目を丸くする。ほんにびっくりしたわー。でもこれは昼間のお礼を言う絶好のチャンスや。

「…………」

 あれ? すんごくええタイミングの筈やのに、うちはまるで身を隠すみたいに教室側の廊下の壁に背中をぴったりとつけて動けずにいた。な、なんでこそこそしとんのや、うち?

 自分でも自分の行動に混乱しながらも、茅さんのいる教室を覗く。

 どう声をかけていいか分からず、茅さんの横顔を眺め続ける。

 ……ほんと、何しとんのやろ、うち?

 そう考えてはいても、目を外すことなんて出来なかった。

 ――それどころか、

「………………あぅ」

 何? なんで? 胸がものすごくドキドキしとるんやけど? ほっぺに手を当てるとすごい熱いし。たぶん今うちの顔真っ赤やし。で、でもなんで? えっ? ふえ?

 茅さんを見てるから? せ、せやかてなんで?

 どんどんパニックになる。それでも茅さんを見つめる瞳は動かなかった。

 短めの明るい茶髪が窓から入る風に微かに揺れる。遠くからでも分かる、意志の強そうな綺麗な瞳。格好ええなー、って純粋に思う。

 ――髪、切ろうかなぁ。

 子供の頃から伸ばしてたから勿体ない気もするんやけど、ふと茅さんみたいな感じに、あの爽やかな格好よさ憧れる。

 ドキドキドキドキドキドキドキドキ。

「……うぅ」

 あかん、全然胸の鼓動が止まらへん。どないしたんや、うち!?

「!?」

 思考がぐるぐると回って止まらないうちに、ふいに茅さんが振り向いた。うちは慌てて自分の教室に入って身を隠す。――って、何してんや、うち!?

 考えても全く分からへんかった。

 その間も茅さんの足音が響いて、少ししたら隣りのクラスのドアを閉める音、それから足音はうちのいる場所とは反対側に遠のいていく。どうやら帰るみたいや、こそっと顔を出して覗くと階段を降りようとする茅さんの後ろ姿が一瞬だけ見え、消えた。

「……ほんと、何しとんのやろ、うち」

 結局動けず仕舞いのうちは、教室の床にぺたりと体育座り、一つ溜め息をつく。

「お礼、言えへんかったなぁ……」

 なんで言えへんかったんかは分かってる。胸が張り裂けそうなほど、ドキドキしてるからや。

 ……でも、このドキドキが何なのかは分からへん。

 ――ただ、

「……心地ええな」

 胸に手を当てて鼓動を感じると、あったかい気持ちになってくる。ドキドキしてんのに、すごく心が和らいでいくのを感じる。

「…………髪、切ってみようかな?」

 一房指で弄りながら、ポツリと呟く。

 そしたら、また会えるやろか?

 そしたら、勇気出せるやろか?

 そしたら、

 そしたら、

 ――そしたら、

「……今度こそは、お話し出来るやろか?」

 誰もいない教室で床に座り込んだうちは、下校時間までのしばらく、ぼうっと思いを巡らせていた。

 

 結局四月の出来事について、日誌には譲葉に助けてもろうたことしか書いてはいないんやけど、……なんや、その、日誌に書いていたということ自体を知られんのが、やっぱり恥かしいんや。

 心の中で赤面しながら、うちは今日の分の日誌を書き終える。

「譲葉、終わったえ」

 日誌をパタンと閉じて、隣の机の上に腰かけて足をプラプラさせる譲葉に声をかける。

「よしっ、それじゃあ帰ろっか」

 言うて、譲葉は勢いよく飛び降りる。――と、

「……あ」

 着地と同時に譲葉の髪が揺れる。

 あん時と変わらないサラサラの髪。

 少し伸びているけど、似合うてて、か……格好ええ。

「ん、どうかしたの?」

「ううん、なんでもないえ!?」

 少しだけ漏れたうちの声が聞こえてたみたいで、譲葉は不思議そうに首を傾げる。うちは慌てて否定したんやけど、大丈夫かな? 顔赤くなっとらんかな? たぶん大丈夫やと思うけど。

 そんなうちの心境を知ってか知らずか譲葉は、

「ふーん、そう?」

 納得したように相槌を打ち、側に置いてあった譲葉のカバンを肩にかける。ついでにすぐに隣に置いていたうちのカバンを手渡してくれる。

「ほい、八重ちゃん」

「ありがと」

 ……うぅ。

 こういう所、譲葉はほんとに自然やなぁ。ほんに優しい。日直の仕事を手伝ってくれたこともやけど、ことある毎にドキドキしっぱなしなんやけど……。

「じゃあ、行こっか」

「あ、うん」

 教室のドアをしっかり閉めて、日誌を持って廊下を歩く。日誌を職員室に返して今日の日直の仕事もやっと終わりやな。

「……」

 譲葉の方が背が少し高いから、少しだけ見上げる形で目線を横に並ぶ譲葉に移す。見つめながら自分の耳の後ろ辺りの髪を触る。

 ――髪切ったんは、体力測定のあった次の日やったな。

 ふと、うちは思い出す。

 髪を切ったおかげで譲葉と話す勇気を持てたんやろか? だとしたら願懸けの効果遅すぎやけどな。三ヶ月近くかかっとるよ。

 なんや、今日は四月のこと思い出してばっかりや。うちは小さく苦笑する。しながら、いやでも忘れた日も無かったなぁ、と思い微笑む。

 結局の所、毎日毎日考えてるんは譲葉のことばかりということやろか? 考えてみて、自分で照れる。……めっちゃ恥ずい。

「あっ、そうだ。今日の帰り、猫の小路に寄ってかない?」

 ふいに譲葉が提案する。ちなみに『猫の小路』ってゆうんは、うちの高校の生徒御用達の喫茶店のことで、本当に猫がたくさんいる路地に行くわけではない。

「うん、ええなー。……というか、譲葉と一緒ならどこだってええよ」

「うっ。ちょ、ちょっと八重ちゃん。そんな恥ずかしいこと言わないでよ。本気で照れるから」

 顔を赤くしながら抗議する譲葉に、

「うちな、譲葉の照れた顔が可愛くて大好きなんや」

「あうぅ……」

 譲葉が顔から火が出そうな勢いで紅潮させると、押し黙ってしまった。

 ……うちはうちで自分の言ったことに自分で照れてたもんやから、譲葉が黙ると喋れなくなってまう。照れる譲葉を見れたんはええんやけど、これは諸刃の剣やな。あかん、すっごく恥ずかしいわー。

 ――ちょっとだけ、朝のほっぺの反撃の意味があったとはいえな。

 しばらくうちと譲葉は黙ったまま廊下を歩く。お互い喋りはしないけど、でもなんやゆったりとして落ち着く。

 先に口を開いたんはうちやった。

「……でも、ほんとに譲葉とやったら、どこでもええって、楽しいだろうなって思っとるんよ」

「……うん。それは私も同じ」

 うちは小さく口の端を曲げて微笑む。

 譲葉は白い歯を見せてニッと笑う。

 

 ――うん。

 大切な時間を、今日も、これからも、譲葉と一緒に。


 
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