「お前……最近老けてきたか?」
「はあ?」
いきなり何を言ってるんだろう、こいつは。
まともに相手にするのも面倒だったので、火酒のグラスを傾けた。安っぽく、そのくせ無駄に強いアルコールが咽を焼く。
「くぁ……」
牢獄の酒といえばこいつだ。行きつけのぼろっちい酒場で安っぽい女に鼻を伸ばし、安っぽい酒を呑み、安っぽく酔っ払う。そして安っぽい身体を抱えて、安っぽい日々を過ごすのだ。それが牢獄流。
酒に併せ、料理を口に運んだ。鶏を炒めたものに、少しばかりの野菜が盛り付けてある。
こうしてヴィノレタで昼間っから「兄弟」と酒を呑んでいる俺も、至極模範的な牢獄民と言えた。唯一模範的で無いとしたら、この酒場は、酒はそこそこだが女だけは極上なところだ。
「おいメルト。こいつ、最近オヤジくさくなってきたと思わないか?」
ジークが、カウンターの奥で鍋をいじりながら黙って耳を傾けていたメルトに声をかけた。
「カイムが?」
メルトが、手を止めて俺とジークをそれぞれ一瞥した。
「老けたって言うより、落ち着いてきたんじゃない?あんたもいい加減、もうちょっと落ち着きを持ちなさいよ」
「おいおい、俺は落ち着いてるぜ?なんだったら今夜、試してみるかい?」
「それは関係ないでしょうに……。もう、そういうところを直せって言ってるのよ」
落ち着いてきた?俺が?
「俺のことはともかく、落ち着いたジークなんて想像できないな」
有事のときはまだしも、普段のこいつは面白くも無い冗談を言ってへらへらしているような男だ。いや、正確に言えば、そういう風に見せている。
「そうねえ……ジークも、カイムみたいにお嫁さんでももらえば腰を据えるでしょうに」
「嫁だと?おい、結婚なんて人生の墓場だぜ」
「牢獄暮らしが何言ってる。変わらないじゃないか。さしずめお前は墓守だな」
「それもそうだ。しかし、女遊びの一つもできないなんて男としちゃ終わりだぜ」
「……悪かったな」
そう。何をどう間違ったかのだかは知らないが、俺にはなぜか妻がいて、子供まで産まれる予定なのだ。我ながら似合わないことに。
「ということで、久々にリリウムでもどうだ。クロもリサも最近、お前が顔を出さないから寂しそうにしてるぜ。きっと歓迎してくれる。アイリスはまあ……いつもどおりだが」
「なんだかんだであの子達、カイムの事好きだからねえ」
「何?そうなのか?」
ジークが、薄っぺらい驚きを顔に貼り付けた。こいつ、大して驚いていない。
「見てればわかるじゃない。まあ、本人に聞いたわけじゃないから、本当のところはわからないけれど」
「そうか……。で?どうするんだ?」
「リリウムには行かんぞ」
俺の嫁は嫉妬深いのだ。娼館で遊んだことがばれたら、どんなことになるかわかったものではない。
「じゃあ身請けか?」
「……おい、何を言ってる」
予想だにしない台詞に、少しおかしな声が出た。
「カイムと言ったら身請けじゃないのか?未通女を二人も身請けした奴なんてお前ぐらいだぜ。俺としても、お前なら調査も必要ないから楽でいい。もちろん金はもらうが、お前はここのとこ金を溜め込んでるだろ。それこそ、二、三人身請けしても釣りが来るくらいに」
軽薄そうな笑みを浮かべて、ジークが、それこそ面白くも無い冗談を言う。自分の話をされているのが気に食わないが、いつも通りのやり取りだ。俺とジークに、メルト。俺たちの間で交わされるいつもどおりのやり取りに、今日はどこか不安を覚えた。
「あのねえ……妻帯者に何言ってるのよ。カイムにはエリスちゃんがいるじゃないの」
――エリス。俺の妻。エリスの半生は俺に絡まりあっているし、俺の半生もエリスに絡み付いていた。これからもそうあるようだし、俺たちはそうあろうとしている。
「一夫多妻の真似事だって別におかしい話じゃないぜ。金があればそんなことしてる奴は山ほどいる」
「まあねえ……」
「ああ、言っておくがクロは安くないぞ。リサは……そこそこだな」
今日は何か、つまらない感傷に浸ってしまう。気を紛らわせるため、グラスに残った火酒をあおって、俺も軽口に混ざることにした。
「お前ら、身請けしたはいいが、相手はエリスだぞ?そんな事をしたら、飯に何を混ぜられたものか、わかったもんじゃない」
「まさしく、胃袋を握られてるわね」
「残念だが、あいつらには片想いのままでいてもらうことにしよう。しかしもったいないな、あれだけ器量のいい女を」
「何が残念だ」
まったく残念そうな顔はしていなかった。それもそうだ、ジークとしてはリリウムの売り上げが落ちるほうが困るに決まっている。まあ、娼婦の代わりくらいはすぐ用立てるだろうが。
「でもカイム、ここのとこ仕事詰めだったじゃない。エリスちゃんの家の増築もそんなにかからなかったでしょう?それこそ、ほかに身請けぐらいしか大金を使うことが思いつかないんだけど。何のためにそんなに溜め込んでるの?」
「何のため……というほどのものは無いんだが」
「おいおい、理由もなしに、あんなにガツガツ仕事してたって言うのかよ」
「いや……強いて言うなら、そうだな、養育費……って言うのか?」
場が白けた。我ながら似合わないことを言っているものだとはわかっている。もしかしたら、火酒が少し回ってきているのかもしれない。
「おい……お前はどんな贅沢な子供を育てる気だ」
「いや……俺もエリスも子育てなんてどうしたらいいかわからなくてな。今のうちにそれなりに準備をしておこうということになった。保管さえきちんとしていれば、あって困るものでも無いからな」
エリスはまともな教育を受けてはいないし、俺にしたって、母親に、幼少期教育を受けただけで、父親がどうするものかなんて、まったくわかりはしないのだ。
「あのカイムが、こんな風になるなんて……エリスちゃんのおかげで本当に落ち着いたわね。ジークも誰か、いい人を見つけなさいよ」
「おいおい、冗談じゃねえって」
本気で渋い顔をしていた。
日が暮れ始めた頃を見て、ジークと共にヴィノレタを出た。娼館街の喧騒の中、客引きの娼婦の前をすり抜け、娼館や飲み屋へと流れてゆく人並みを逆らって歩く。
相変わらず、この町はどうしようもない。そこかしこに騒ぎの火種が見えるし、何より空気は暗くよどんでいた。それはそうだ。希望の欠片も無い町で、人間が前を向けるわけがあろうか。牢獄は、惰性で生きているのだ。
俺たちは別に、楽しくて生きてきたわけじゃない。死ぬよりましだから生きてきた。そして理由もなく死んでゆくのだ。恐らくは、この俺も、ジークも、メルトも。
「お前、牢獄の人間の眼をしてないな。下層にでも出るのか?」
今日のジークは、何か妙なものでも食ったのだろうか。――いや。ひょっとしたら、こいつの言うとおり、俺が妙なことになっているのか?
否定は出来ない。なんせ、ここのとこ毎日エリスの手料理なのだ。メルトの料理に慣れきった俺の消化器官にしてみたら、あいつの料理は十分に妙なものだろう。特別にまずいというわけでもないが、美味いわけではない。妙なものを食ったのは俺だろうか。
「……いや。そんな予定は無い」
「そうか。けど、それだけの金はあるだろう?そういう道もある。そんなに生き生きしてるような奴は、牢獄には似合わんよ」
牢獄を出る?俺が?下層にそこそこの家を構え、ありふれた。しかし危険の無い仕事に就き、エリスや子を養ってゆく。どうせ下層に出るなら、フィオナの家の近くにでも構えてやろうか。いや。それは趣味が悪すぎる。
それに、何より、俺の心には、なぜか、牢獄を出るという選択肢が、魅力的には感じられないのだ。
しかし、俺の児の事を考えたら、下層のほうがいいのかもしれない。牢獄にはあまりにも、仕方の無いことが多すぎる。あらゆるものが理不尽に彩られている。
「――いや。牢獄を治める立場のものとしては悪いことではないのかもしれないな。お前のようなものが増えて、牢獄も少しはまともになっていけばいい。現実味が無いように思えるが、そうなりつつあるのかもしれない。ルキウス卿とのコネクションが出来たのも、切っ掛けになってる」
牢獄が、まともになる。いつだかエリスとも話したことがあった。そのときは、エリスが医者をして養ってくれるのだったろうか。
しかし、その時までには、確実に一波乱あるだろう。変わる、ということはそう簡単なことではない。腐りきった牢獄がまともになってゆく過程で、必ず切り捨てなければいけないものは出てくるし、場合によっては汚れ仕事をしていた俺も切り捨てられることになるのかもしれない。
だが、牢獄が変わるなら、俺もその変化を見たいとも思う。牢獄をまともにする助力が少しくらいは出来ないかとも思う。
「おい、寄って行くか?久々に顔を出せよ」
気が付くと、リリウムの前にいた。ちゃらんぽらんな見せ掛けだが、ジークは一応不蝕金鎖の頭なのだ。ここのところは落ち着いているとはいえ、一人で歩かせるべきではなかった。だからこそ、妻に疑われるリスクを負っても、リリウムまで同行したのだ。
「いや、やめておく。そろそろ、飯が出来ている頃だろう。また、何かあったら声をかけてくれ。受けるかはわからんがな」
「ああ、再来月だったか?家にいてやったほうが、いいんじゃないのか」
ジークが、困惑した顔をして言う。俺たちはこんな会話、慣れていないのだ。
「あと二月と半、だったか。それくらいだろうとエリスが言っていた。すまないが、当分大口の仕事は請ける気が無い。よほどのことが無い限りは」
俺も、どんな表情を浮かべるべきかわからなかったので、無表情を決め込んだまま言った。
「そうか。そのうち、クロたちでも連れて訪ねることにしよう。あいつら、赤子なんて目を輝かせて可愛がるんじゃないのか」
ジークがドアに手をかけるのと同時、俺も振り向いて歩き始めた。
はるかに仰いだ、遠き上層に日は落ちて、砂利を踏みしめ家路を行く。両の太ももに括り付けたナイフが、少しばかり重く感じられた。
下らない、観念的な思考が飛び交う。現実味の無い事を考えてしまうあたり、今日の俺はやはりどうかしているのかもしれない。現実味の無い夢想に気を取られ、次に我に返ったときには、自宅が見えるところまで来ていた。
あまり綺麗とはいえない、しかししっかりとした(エリスの家の増築のついでに、頑丈でチェーンロックの付いたものに付け替えた。エリスは俺を心配が過ぎると言った)ドアを叩く。
「エリス、俺だ。カイムだ」
「カイム?」
答える声がして、ドアの錠前が外れる。
「あら、今日は早かったじゃない。夕食、まだ作ってないんだけど」
「この間の仕事の報酬を受け取りに行っただけだ。ついでに少し、世間話につき合わされた。それより、食事は作れるのか?辛いようだったら、ヴィノレタで何か頼んでくるが」
「平気よ。少し動きづらいけど、何でもやってもらうわけにもいかないでしょう」
「そうか」
「待ってて。今作るから」
椅子に腰掛け、棚においてあった安いワインを一口飲んだ。台所に向かうエリスの背中をなんともなしに眺める。
「なあ」
やはりこれもなんとなく、声をかけたくなった。
「今日、ジークに言われたんだが……下層に出る気はあるか?」
「下層?」
「ああ。子の事を考えたら、牢獄よりは環境がいいのかとも思ってな」
「そうかもね。カイムは下層に行きたいの?」
下層。あまりいい思い出は無いが、こんな機会でも無いと出て行くことは無いような気もする。一度行ってしまえば、物資は豊富だし、汚れ仕事に手を染めなくてもすむだろう。この機会に下層に行くことは、恐らく、どう転んでも間違った選択にはならない。
しかし、過去のせいか、俺は、なぜか、下層に行くということを選択するのに抵抗を感じてしまうのだ。
すこしおかしくなっていたからか、妻に隠し事をするのはどうだろう、という思考が頭をよぎり、胸の内を包み隠さず話すことにした。
もしくは、子の将来を左右する決定を俺一人で下すのが、ただ単純に怖かったのだ。
「そうだな……下層に行ったほうがいいんじゃないかとは思うが、なぜかそうする気にならない。あまり行きたくない、だろうか」
「そう。じゃあ行かなくていいんじゃない」
「お前もそれでかまわないならいいんだが」
「別にいい。下層は好きじゃないし、たいした問題じゃない」
「そういうものか?」
俺が神経質になりすぎだったろうか。
「牢獄に居たって、私たちが幸せにすればいいだけじゃない。生きていくつもりがあれば、どこだって楽園になるわ。私たちに大事なのは、そう思えるようにしてあげること。カイムが牢獄にいたいなら、牢獄でそうすればいい。私たちは牢獄で生きてきたんだから、出来るはず」
そうか。そうなのかもしれない。結局俺は、原を括ったつもりでいながら、まだ、どこか夢見心地でいたのだ。それに比べて、エリスはもう、とうの昔に母親になっていたのか。いや。結局、男という生き物は、本当の意味で人の親になることは出来ないのかもしれない。とても、俺には、エリスのような強かさを身につけることは出来ないように思えた。自信がなかったからこそ、せめて環境を変えることで、子を幸せに導こうとしたのかもしれない。
「母は強い、か」
いつだか、メルトが言っていたのだろうか。もう、そのときどんな話をしたのだかも覚えていないが、そんな言葉をふと思い出した。まさしく。
俺も少しぐらいは強くならなくてはいけないかもしれない。少なくとも、せめて俺自身の選んだ愛を、エリスと云う女と牢獄と、生まれいづる子を、守らなくてはならない。
溜め込んだカイムがクローディアと遊んだことがエリスにばれるのは、また別のお話。
あとがきみたいなもの
女性が母親じみてゆく様は、若い男としては見ていて悲しいものがあります。子を持てば変わるのかもしれませんが。
あと、漫画版エヴァは大好きです。
それにしてもこれ、横書きだと読みにくいかもしれませんね。
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とりあえず昔書いたのを試しに投稿。Tinamiをまだ全然わかってないのでもしかしたらなんか色々おかしいかもしれません。
エリスもの。