黒髪の勇者 第二編第二章 エピローグ
翌朝、ビアンカは久しぶりにゆったりとした心持ちで、フレアが淹れてくれた紅茶を嗜んだ。
「こんなに美味しい紅茶は久しぶりね。」
「漸く、懸案が解決致しましたね。」
フレアがそう答えた。
「ええ。でも、疑問は残ったけれど。」
ビアンカはそう言うと、一度ティーカップをソーサーへと戻した。
「あんな凄腕の風竜使いを見たのは初めてよ。」
「私も拝見させて頂きましたが、ただの盗賊ではないことは間違いないでしょう。聖玉奪取といい、或いはどこかの国家が手を下しているやも知れません。」
「そう考えるのが自然、かしらね。フレア、貴女はどこだと思うの?」
「ビザンツ帝国、と考えることが自然ではありますでしょうが、確証は何一つありません。」
フレアの言葉に、ビアンカはそうね、と頷いた。
何しろ、ビザンツ帝国の情報は余りにも乏しい。だが、アリア王国とは唯一断交状態にあるビザンツ帝国はかねてより仮想敵国として想定されていた。今回はなんとか防ぎきったものの、次にどんな手段に訴えてくるものか、分かったものではない。
その時、アレフが入室してきた。
「新聞を持ってきたぞ。」
そう言いながら、ビアンカに複数枚の新聞を手渡した。活版印刷で刷られた、庶民の娯楽として発達している情報媒体である。
「どこもトップニュース扱いね。」
合計四社分の新聞を見比べながら、ビアンカがそう言った。新聞と言っても現代のそれとは異なり、情報量もほんの数ページに過ぎないものであったが。
「綴り、間違っているじゃない。」
苦笑しながら、ビアンカはそう言った。
『王立学校一年生、アオキン=シウォンお手柄!』
そう書かれた題字を目にして、アレフも小さな笑みを漏らした。
「ところで、タートルの処遇はどうなるのかしら。」
続けて、フレアがアレフにそう訊ねた。
「今のところ、牢獄塔に閉じ込めております。ユリウスが捨てて言った人物、たいした情報は無いかとは思いますが、一応尋問に処する予定です。」
アレフがそう答えた。
「もし盗難された財宝が残っているなら、分配には気を付けて。」
「心得ております、義母上。」
アレフはそう言って、真剣な表情で頷いた。
「それから、ビアンカ、今日の朝餉だが。」
「ええ、王立学校のメンバーは全員参加させて。準備はできているのでしょう?」
「そうではなく。義父も参加するそうだ。」
アレフがそう言うと、ビアンカは意外そうな表情で瞬きをした。
「どうして。珍しいわね、オルスが参加するなんて。」
「一度シオン殿にお会いしたいとのことですわ、女王陛下。」
補足するように、フレアがそう言った。
「そうね、いずれにせよ、彼の力は今後も必要になるでしょうし。」
ビアンカはそう言うと、立ち上がり、軽く身体を伸ばした。
「対面は早い方がいいわね。」
「やあ、シオン君。昨日は楽しめたかい?」
にやにやと口元を緩めたアルフォンスが、朝一番にそう訊ねてきた。
「・・別に。」
ほんの少しの恥ずかしさを覚えて、詩音は思わずそっぽを向いた。
「別に、やましいことは何一つしていないわ。」
頬を染めながら、フランソワもそう答えた。
「いいえ、許せませんわ、お姉さま!まさか殿方と一晩を共にされるなんて、私、決して許すことはできませんもの!」
「セリス、声が大きいから、ね?」
慌てながら、フランソワがそう言った。
あの後、実際にはたいした怪我もなかったのだが詩音を介抱するという名目でフランソワが詩音の寝室にまで訪れたのである。
それまでは良かったのだが、同室のアルフォンスが変に気を利かせて部屋から退出していき、そのまま何となく二人で話している間に眠りこけてしまったのであった。
まるで泥沼のように眠りに落ちた詩音が目覚めたのはアルフォンスの素っ頓狂の声であり、というのも日が昇り、ビアンカから招待された朝餉の席を知らせに来たアルフォンスが何故か同じベッドですやすやと休む二人の姿を発見してしまったからである。
そこから先は大変だった。朝になっても戻らないフランソワを案じてセリスが訪れ、詩音は事実半ば錯乱したセリスに朝一番から切り付けられかけ、ウェンディが高笑いし、カティアがくすくすと笑いだした所で、漸く落ち着いたのである。
「いやあ、フランソワも見かけによらず大胆だねぇ。」
ウェンディがからかうようにそう言った。
「もう、だから、違うって!」
むきになりながら、フランソワがそう叫んだ所で、アレフが一行の前に現れた。
「朝から騒がしいな。」
「すみません、アレフさん。」
詩音がそう答えると、アレフは全く、と呆れたような声を漏らした。
「あんまり不純な事をするなよ。ビアンカと俺はともかく、ハーケン大佐が黙ってはいないぞ。」
ハーケン大佐とは、カンタブリア騎士団のメンバーであり、フランソワの兄である。
「・・気を付けます。」
未だに対面したことはないが、面倒なことになりそうだと心の奥から念じて詩音はそう答えた。
「さて、それでは朝食に向かうとしよう。それから、今日はロックバード伯爵も参加される。」
「オルス様が?」
フランソワがそう訊ねた。
「そうだ。シオンに興味があるそうだ。」
「僕に、ですか?」
「ああ。」
アレフはそこまでを言うと、口を閉ざした。勇者に興味がある、という事だろうとは推測が付いたが、他の生徒もいることを勘案して明言を避けたのであろう。
ロックバード伯爵は、細身だがしっかりとした体格を持つ初老の男であった。髪には白いものが混じってはいるが、眼力は現役そのものの色つきである。
「初めまして、シオン殿。私がアリア王国軍務卿であるオルス=ロックウェル=ロックバードです。」
丁寧に、そして知性に溢れる言葉づかいで、オルスはそう言った。
「初めまして。青木詩音と申します。」
対面しているだけで身が引き締まる様な感覚を覚えながら、詩音はそう答えた。
「今回の盗賊撃退は詩音のおかげと言っても過言ではないわ。本来なら盛大に宴会の一つでも行いたいところだけれど、昼過ぎには学校に戻ってしまうと言うから、朝餉の席だけも用意させて貰ったわ。シオン、それに王立学校のみんな、本当にありがとう。」
全員を席へと勧めてから、ビアンカがそう言った。
そうして始まった、ささやかな祝賀会で、詩音とその仲間たちは心に残る様な楽しい時間を過ごした。時間はみるみる内に過ぎていき、二時間近くの時間が経過した頃、ビアンカが口を開いた。
「軍務卿、勇敢なシオンとその友人たちにそれなりの褒美を与える必要があると思うのだけれど。」
「お言葉の通り、女王陛下、彼らに望みのものがあればお与えになると宜しいでしょう。」
オルスもまた、上機嫌でそう言った。
「そういうことでシオン、何か欲しいものがあるかしら?」
問われて、詩音は少し考えてから、口を開いた。
「実は、昨日の戦いで太刀が欠けてしまいました。出来うるなら、これに変わる名刀を一振り頂ければ幸いです。」
「ビアンカ様、私からもお願いします。シオンのタチはドワーフ力作の頑丈なタチですけれど、流石に風竜を切り裂くには硬度が不足していた様子です。私めの褒美は辞退いたしますので、どうか天下の名刀をシオンにお与えくださいませ。」
続けて、フランソワがそう言った。
「それは一大事だわ。早速用意させましょう。ただ、ドワーフが作る様な名刀はそうそうに存在しないわ。素直に修繕に出した方がいいでしょうね。そのドワーフとやらは、どこにいるのかしら?」
「シャルルに住まいを置いておりますわ。ドワーフのオーエンと言えば、シャルルでは有名です。」
フランソワがそう答えた。
「それなら、信頼できる人間をシャルルに派遣させましょう。その間の代用となるタチと、修繕費、これを全て王国で負担させて貰うわ。フランソワも、遠慮する必要はないのよ?」
「いいえ、私はそれで十分です、ビアンカ様。」
シオンが無事だったから。
その言葉は言えずに、フランソワはきっぱりとそう言った。
「分かったわ、フランソワ。では、他の者たちの希望を聞きましょう。」
ビアンカがそう訊ねた。その結果、ウェンディとカティアがそれぞれ新しい魔法具を所望し、許可された。セリスには体力を強化すると言われる宝具が与えられることになった。
そして最後に、ビアンカはアルフォンスに訊ねた。
「ではアルフォンス、貴方は何が望みかしら。」
「単刀直入に申します、研究資金を援助して頂きたい。」
堂々と、アルフォンスがそう言った。
「研究資金?」
軽く首を傾げながら、ビアンカがそう訊ねた。
「実は私とフランソワで共同し、連発が可能である銃を研究しております。試作品である二連装銃はご覧の通り、昨日の盗賊退治にも一定の成果を上げることが出来ました。現在研究している銃は六連発銃であり、完成の暁には必ずアリア王国軍に取って強力な武装となる代物です。完成後すぐにアリア王国に研究成果を公表するお約束で構いません、この資金を提供して頂ければ必ずやお望みの成果をご報告いたしましょう。」
「面白い話ね。アレフはどう思う?」
興味津々、という様子でビアンカはアレフにそう訊ねた。
「確かにアリア王国は海軍こそ一流なれど、陸軍は二流、或いは三流国でしょう。もし連発銃が開発されれば相当な影響力を与えると考えられます。」
「オルスは?」
続けて、ビアンカはそう訊ねた。
「私もアレフと同意見ですな。ただし、アルフォンス君。」
「何でしょうか。」
「無制限の資金提供は流石に出来ぬ。一度これまでの研究成果を王国に報告に来給え。その状況次第で支給を決定しよう。まずは褒美として金一封を与える故、好きに使うといい。」
「それで十分です、オルス様。それでは早速来週までに研究報告を持参させて頂きます。」
アルフォンスがそう答えると、オルスはうむ、と頷き、ビアンカに向けてこう言った。
「まずは50リリル程度が報酬として妥当かと考えます。」
「そうね、その程度ならすぐに用意できるわ。ならばアルフォンスには褒美として50リリルを与えましょう。」
その額に驚いたのはアルフォンスである。現代日本の価値で50万円に相当する、アルフォンスにしてみれば大金であったからだ。
「それほどまでに。ご配慮感謝いたします、ビアンカ様、オルス様。」
そう言ってアルフォンスは深々と頭を下げた。
「どう、シオン。タチは使えそう?」
午後の柔らかな日差しが照らす中で、フランソワが詩音にそう訊ねた。
朝餉から数時間後、一行はのんびりと王立学校への道を歩んでいるところであった。
「ああ。少し軽い印象があるけれど、切れ味は良さそうだ。」
馬の背に揺られながら、詩音がそう答えた。ウェンディとカティアは竜で飛んでいったから、もしかしたら既に王立学校に到着しているかもしれない。
「それにしてもアルフォンス、よく資金の提供なんて申し出られたね。」
詩音がそう訊ねると、アルフォンスが軽く鼻を鳴らしながら答えた。
「これでも商人の息子だからね。交渉事は得意だし、何より国家の援助があるとなれば連装銃だけじゃない、今後の研究にも弾みがつくと思ったからさ。それに、あの時を除いて言いだすタイミングは無かったと思うし。」
「多分、資金の問題が無くなれば一年もかからずに完成させられるとは思うわ。」
続けて、フランソワがそう言った。
「そうすれば、魔術師に負けない庶民の誕生さ。夢があると思わないか?」
アルフォンスがそう言った。
「そうだね。」
そうかもしれない。けれど、一度戦争になれば。
間違いなく、これまで以上に死者が増える。それはこの時代には、大切な者を守るためには仕方のないことなのかも知れないけれど。
そう思いながら、詩音は新しく手に入れた太刀の柄に手を触れた。
今回は誰も殺さなかった。けれどきっとまた、殺さなければならない時が来る。
大切な人を守るために。
詩音はそう考えながらフランソワを見て、小さな笑みを漏らした。
第二編 王立学校 完
第三編 東方の情勢 へと続く。
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第二編最終回です。
次は第三編につづきます。それから少し構想を練り直すので暫く連載が止まると思います。(書けそうならすぐに書きます。)
宜しくお願いします。
黒髪の勇者 第一編第一話
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