「ヨーロッパには関わるなと、おっしゃるので?」
マスク越しからも、その怪訝そうな眼差しが窺い知れた。
「私にマ・クベ殿の支援をするなと」
シャア・アズナブルは、掌を翳して詰め寄った。
「キシリア様はマ・クベ殿をお見捨てになるおつもりなのですか」
「見捨てるのではない、これは戦略なのだ。マ・クベはそれを承知で、既に手持ちの鉱物資源のほとんどを送り付けてきている」
キシリア・ザビは、司令執務室のデスクに座ったまま、冷ややかな口調で答えた。
「戦局はもはや終盤、こちらも分散した戦力を集めねばならぬ」
「それでは、連邦に反抗する切っ掛けを与えてもよいと?」
切れ長の目許が、僅かに細まった。
「・・・シャア、お前ほどの男が、そんな場当たり的な意見を言うとは思えんな」
シャアは、心の内を見透かされて沈黙した。
「・・・木馬か、お前の気になるのは」
「さすがはキシリア様、お察しの通り・・・。では私は、地球には下ろしていただけないのですか?」
「そうは言っていない。お前にはもちろん、地球へ下りて木馬を沈めてもらわねばならぬが・・・」
シャアは、キシリアから目録を手渡された。
「グラブロを持っていくがよい。水中用のモビルアーマーだ」
「水中用、モビルアーマー?」
「お前なら使えよう。ザンジバルを用意してある。地球へ下りてマッドアングラー隊の指揮をとれ。細かい指令は、先に下りた副官に申し付けよ」
「はっ。・・・キシリア様、サイド6へ立ち寄る時間をいただけないでしょうか」
「ふっ、好きにせい」
シャアは、敬礼をして下がった。
鴎が空を舞っている。
ロバート・マリガンは、いつまでもその空を舞う生き物を見つめていた。
「そんなに鴎が珍しいですかい、中尉」
「い、いやあ、いろんな鳥がいるんだって思ってね」
マリガンは、少しはにかんだ笑顔で答えた。
「ブーン少尉は、地球に来てどれくらいなんだい?」
「第二次降下作戦からでさあ。私は、この海ってやつが偉く気に入ってしまいましてね」
フラナガン・ブーンは、腰に手を当てて、目の前に広がる海原を見遣った。
「モビルスーツでドンパチやるのも悪くはないんですが、どうも性に合わねえようで」
「私もだ。颯爽とモビルスーツで戦いたいとは思ってみても、そううまくはいかない。赤い彗星みたいにね」
「まったくです」
ブーンは、軽く会釈をして新設されたMSMドックへ向かった。キャリフォルニアベースで開発された水中用モビルスーツは、ここ地球方面軍本部にも配備され始めていた。
一週間前、本国から地球方面軍本部に異動したマリガンだったが、何の辞令も交付されないまま時間を持て余していた。もしこのまま何もないなら、マリガンは本国に戻りたいと思っていた。劣勢な地球で戦うより、本国の防衛線で戦ったほうが自分の能力を発揮できるはずだ。
海の向こうの戦乱を知る由もなく、鴎は飛び去っていった。
ガルマ・ザビ司令の戦死によるジオン公国地球攻撃軍の混乱は、連邦軍のヨーロッパ反抗作戦で更に拍車が掛かった。戦局は既に本国決戦へ向かっていると言う意見も聞かれる。暇潰しとも言える軍務整理に回されたマリガンは、一層帰国の思いを募らせていた。
「中尉、ちょっと来てくれ」
マリガンが扉口を見遣ったときには、参謀長の姿はなかった。書類が机から落ちたが、マリガンは構わず後を追って部屋を出た。
「さ、参謀長殿、自分はデスクワークのために、わざわざ呼ばれたのでありますか」
「そのことで話がある」
マリガンは、少し不安を感じながらも参謀長執務室へ入っていった。
「一つ訊くが、君はシャア・アズナブルと面識があるのかね」
突拍子もない質問に、マリガンは口篭った。
「い、いいえ、面識はありません」
「そうか、ではキシリア閣下のご意向ということか」
参謀長は、デスクの上にあった書類をマリガンに差し出した。
「今日付けで、君をマッドアングラー隊司令付副官に任命する」
マリガンは、開いた口が塞がらなかった。
「マ、マッドアングラー隊司令付副官・・・、でありますか?」
「しっかりな。君は選ばれた人間なのだ」
マリガンは、震える手で辞令を受け取った。
「私が・・・、でありますか」
「キシリア閣下のご意向を無にせんようにな」
「参謀長、まさかマッドアングラー隊の司令というのは・・・」
「もちろん、シャア・アズナブル大佐だ。私が君なら遠慮したいね」
マリガンは、辞令を抱えて執務室を出た。
「・・・ぼ、僕が、シャア・アズナブル大佐の副官・・・」
あの赤い彗星と共に戦えるどころか、副官として直属の部下になれる。シャアに憧れを抱いていたマリガンにとって、それは最高の知らせだった。
「少尉! ブーン少尉!」
大声で名前を呼ばれて、ブーンは困った様子でリフトから下りてきた。
「どうしたんですか、中尉」
「水中用モビルスーツで一番性能のいいのは何だい」
「はあ? 出撃でもなさるんで?」
「何がいいんだ、教えてくれ」
ブーンは、今まで整備をしていたズゴックを見上げた。
「この07は使えますぜ。まだ数は少ないですが、いずれ水中用の標準機になるでしょうよ」
「よし、じゃあ一機調達してくれ。そして赤く塗るんだ」
「赤く? そんなの誰が乗るんです、赤い彗星じゃあるまいし・・・、ま、まさか中尉」
「頼んだよ」
マリガンは、大きく手を振ってMSMドックを後にした。
その夜、マリガンの許へシャアの親書が届いた。地球到着まで、マッドアングラー隊司令代行として部隊を再編成し、即刻ヨーロッパへ出動できる体勢を整えよという、それは指令書でもあった。
マッドアングラー隊は、その旗艦であるマッドアングラー潜水母艦を中心とする海洋機動艦隊群で、水中用モビルスーツが配備されてからは、偵察や輸送だけでなく、戦術部隊としても活動できるようになった。
その親書を受け取って、マリガンの顔から笑みが消えた。シャアの副官ということは、通常の部隊司令の副官とは訳が違う。参謀長が呟いた、私なら遠慮するという言葉を、マリガンは聞き逃していた。
「まいったな、いきなりこんなこと・・・」
しかしここで尻込みしていては、副官としての信頼が得られないばかりか、大佐の名も傷つけてしまう。マリガンの首筋に、冷汗が滴り落ちていった。
徹夜で熟考した結果、旗艦艦隊としてマッドアングラーとユーコン2、第一艦隊としてユーコン3、第二艦隊としてユーコンi型1とユーコン1、第三艦隊としてユーコン1、プローバー1という編成を組むことにした。
問題は人選である。地球に来たばかりのマリガンにとって、誰がどのようなスキルを持っているか、どういう任務に適しているかはまったく未知数である。本部基地に常駐している部隊の中から選ぶにしても、あまりに情報がなさ過ぎる。
「そういうことなら、お手伝いしましょう」
赤いズゴックの完成を報告にきたブーンは、二つ返事で了承した。
「助かるよ。では、少尉には第一艦隊の艦隊長をしてもらおう」
「この俺が? あの赤い彗星と一緒に?」
ブーンも興奮を隠しきれないでいた。
「こいつぁ親兄弟に自慢できるってもんだ。ありがとうございます、中尉殿」
ブーンは他に、確かなスキルを持つ偵察要員を召集した。こうして、二十機の水中用モビルスーツと共に、大規摸な海洋機動艦隊が編成された。
「あとは・・・」
マリガンは、MSMドックへ赤いズゴックを見に行った。
「赤ザクみたいにはいきませんが、駆動系はたっぷりチューンさせてもらいましたよ」
案内してくれた整備員が自慢気に話した。
「大佐からのご注文で?」
「いや、私が独断で調達したんだ。大佐のことだから、絶対にMSが必要だって思ってね」
赤いモビルスーツを見上げながら、マリガンは何度も頷いた。
「私に見せたいもの?」
連邦のヨーロッパ反抗作戦の戦局分析に掛かりっきりだったシャアの隙を窺って、マリガンはMS格納庫へ案内した。
「差し出がましいとは思いましたが、ご用意させていただきました」
「ほう・・・」
シャアは、腰に手を当てて赤いモビルスーツを見上げた。
「・・・いろいろ忙しくてな、こっちで使うモビルスーツのことをすっかり忘れていたんだが」
シャアの口許が、綻んだ。
「上出来だマリガン。ありがたく使わせてもらうよ」
「こ、光栄です」
マッドアングラー隊は、大西洋深く潜航してヨーロッパへ向かっていた。
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2000年作品。
あのシャアの副官なんだから、相当のエリートでないと務まらないはず。
そんなマリガンくんの苦悩を書いてみました。
まあたぶんこんなやりとりがあったんじゃないかと。
ズゴックの調達をするあたりはなかなかの世話女房ぶりだと思われます。
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