二次創作小説 「武装神姫 Ignition 2031」(3/3)
6.
それからアパートへの帰途を逆に辿って、僕と二人の一級刑事殿は再び病院に向かった。
電車の中ではお二方にはポケットに入っていただくことにしたが、アーンヴァルさんはジャンパーの胸ポケットからお顔を出すことを所望なされた。
ときどきポケットの縁に両手を掛けて身を乗り出し、「ほおおーっ、これが吊り公告か、すっごいなー!」とか、喋り出すものだからこちらは気が気ではなかった。もちろん会話用イヤホンは付けたままだったから、骨振動マイクで注意していたのだが、それを素直に聞くお方ではなさそうだし。
「いいじゃないの、社会見学ってヤツよ。データで知ってはいても、実際にその場に行ってセンサで”感じる”ことは大切なのよ」
でもねえ。素体に備わった小型スピーカの発声は近距離にしか届かない小さなものだ。だからこその会話用イヤホンなのだが、端から見れば僕は電車の中でお人形とお話ししているアブナイお兄さんに見えるだろう。そんなやりとりをアーンヴァルさんと続けている間、ストさんは黙ったままでジャンパーの腰ポケットの中で正座していた。ときどき溜息のような声が漏れることはあったが、それ以外は無反応。
でも、そんなストさんが顔を出したときがあった。病院裏手の機材搬入口に着いたとき、
「おおっ、アレはなに?!」
と、いきなりアーンヴァルさんが叫んだのである。まだ夕刻、入院患者への面会終了時刻ギリギリに潜入して、夜中まで待とうとした僕らは、四トントラックから荷降ろしされる「それ」に出くわしたのだ。
「オーライ、オーライ、はいストップ!」
自走式の担架のような代物がトラックのユニッククレーンによって地面に降ろされているところだった。
通行人Aとしてすぐ脇を通り過ぎた僕と二人のAI刑事達は、そこに寝かされている物をさりげなく観察した。
ロボットだった。それも人型の。
人型と言っても身の丈は百五十センチくらい、外見は人間に似通ってはいたが工業的な製品だった。病院に備えられている患者補助用の汎用ロボットの類らしく、外装は白くて丸みを帯びたデザイン。関節は丸くてゴツイ。先輩曰く、こういう間接形状の駆動系はパルスとサーボのハイブリッドモータ仕様で、かなり強力なトルクとスピードを兼ね備えているらしい。間接とは言え、人間の衣服などを噛み込まないようにシールされているので隙間は全く見えない。
等身大のロボというのは概してこういう姿だ。MMS素体に用いられている微小電流反応型人工筋肉の大型版は未だ量産技術が熟していない(あの娘さんの義足は試作開発品なのだ)。ただ気になったのは、このロボの外装が妙に厚ぼったく見えたところ。患者補助用以外にも何か用途があるのだろうか。
背広姿の青年が担架の傍らに立ち、何か作業している。トラックの運転手らしき男が、青年に声を掛けた。
「おーい、これ何処に搬入するんだー?」
「すいません、いま病院側と調整中で」
「段取りはしっかりしておいてくれよなー、俺、今日中に配送センターに戻らなくちゃならんのよ」
「明日のデモに備えて、外部演算装置に繋いで準備させておく必要があるんです。けど、さっき持ってきたPCを落として壊しちゃったんですよ。病院側で余ってるPCをお借りする手続き中なんですが、手間取っちゃって。PCなら何でもいいんですけどね」
ふう、と青年は溜息をついた。
「なんだー、完成品じゃないのかよ、これ?」
「コレ、じゃないですよ。警備用ガードボットです」
胸を張って青年は断言した。
「僕ら七研の最先端開発機種にして、我が社の次期主力製品になるべきホープですよ、ホープ!このクラスにして各種センサから威嚇用レーザまで警備に必要な全ての機能を有しながら、不要時には信じられないほどコンパクトに収納できる……」
「ああ、わかったわかった、本社や研究所の方々の演説はいいから。早く搬入場所を決めてくれや」
「ああっ、すみません。急いで手配しますんで!」
説明を中断されたにも関わらず、明るい返事を返しながら青年は病院の搬入扉の奥に走っていった。
それからそのロボの搬入終了までは搬入口から潜入するわけにもいかず、僕らは対面にある公園のベンチに座って作業の様子をボーッと見ていた。そろそろ作業終了、という頃にポケットから出てベンチに腰掛けていたストさんが僕を見上げて言った。
「ひとつお尋ねしてもよろしいですか」
「なんでしょう?」
「あのロボットはなぜ、あのような姿をしているのでしょう。人型であるならば、私達が宿っているMMS素体のように人間そっくりの姿を模すべきではないのですか?」
僕なりの考えを答えようとしたとき、アーンヴァルさんが口を挟んだ。
「あら、人間そっくりのロボットって、既に開発されているわよ」
「ええっ?」
その発言に僕は驚いた。そんな話は聞いたことがない。
「まだ一般公開はされていないけど、けっこういろんな所で秘密裏に開発中よ。国内ならあの警備ロボットのメーカーと、あなたの先輩のメーカーを含めて三団体」
げっ、先輩の所もか?隠していた……わけではないんだろうな。本当に社外秘、部外秘なのかもしれない。
「この国以外にも一社、そこは軍事用みたい。この間ネットの中を巡回していたら見つけちゃったわ。でもねえ、何というか……あなたたち人間と比べると似て非なる物って感じよね」
うーん、と腕を組んでアーンヴァルさんは一呼吸。
「ハードはまあまあね。こんな素体がオモチャとして普及しているくらいなんだから。でもそれを駆動する、ううん、それを認識して『自分』のものにできるソフトウェアができていないのよ。それでまだ公開されていないんじゃないかな」
なるほど、と僕は頷いた。MMS素体をそのまま巨大化した人間らしいロボの開発が行われている、という事実はあの娘さんの義足の話からも真実だ。しかし今のアーンヴァルさんの話によれば、その開発はハードウェアが先行している状態であり、人間らしい外見を十分に活かせるソフトウェア、いわゆる心や感情の開発が遅れている、ということなのだろう。
外見だけ人間にそっくりで、話してみると空っぽな感じを受けるような存在では、一般社会に受け入れられるとは思わない……と各企業は考えているのではないだろうか。
だから今はまだ、実用型ロボットは「ロボットにしかできない作業」を優先した機能と外見になってしまうわけだ。あの警備用ガードボットとやらのように。考え込んでいると今度はストさんが発言してきた。
「しかしながらこの素体はかなり人間に近いエクステリアに設定されています」
「うーん、それはたぶん、サイズが明らかに人間と違うからでしょう。だから安心感があるんじゃないかな」
言ってからハッとした。
……安心感、ってなんだろう?
僕は人間らしいロボットに、不安や恐怖を感じているのだろうか?
人間サイズで人間そっくりな、それでいて中身が全く異なる存在が身近に現れたら?
今のように身構えて考える余裕があるならば、好奇心や親切心みたいなものを感じるかもしれない。けれど突然、彼ら彼女らが人間と同じ姿とサイズで現れたなら僕はどうするだろう?
まず、警戒感を感じることは間違いないだろう。仮にストさん達がそういった人間らしい人間サイズのロボットに宿って、僕のそばに現れたとしたら……
「……いや、それはそれでアリかもしれないかも」
「何がです?」
「いえ、べつに」
などと答えた僕に構わずストさんは搬入作業を見つめていた。
いずれにせよ、人間サイズの人間型ロボットはきっと製品化され僕らと共存することになるだろう。けれど、何らかの違いを強調するデザインが採用されるに違いない。それはきっと、人間側が心の底に感じている異質な物への恐怖感の現われかもしれない。
しかしいつか、その境界が溶け消えて、両者が真の意味で共存できる日が来る……と僕は信じている。
「僕が造りたいのは、そういうロボットや機械を『自立』させるAIプログラムなんだ」
「え?」
つい口にしてしまった僕の意見。アーンヴァルさんはピョンと僕の肩に飛び乗り、僕を見上げた。
「なにを創りたいって?」
そう言ったアーンヴァルさんと、ベンチの上のストさんを見る。
……ああ、造るまでもなくこの方達は勝手に自然発生して、自分達の世界を創造しているわけで。なんかパイオニア精神に目覚めたら、既にそれが実現されていたような感じで少々萎えます。
けれど、この方達が宿ってこの素体を活き活きとドライブさせるように。
多くの機械や道具達を、僕たちと話し合えるような存在にしてみたい。
共感し合い、一緒に生きていけるような仲間として人間側に認めさせたい。
それが僕の信念であることは昔も今も変わらない、そしてそれにもう一度気付かせてくれたのは他でもない、ストさん達なのだ。
この方達に、そのヒントをご教授いただくことはできないものだろうか。
「ストさん、アーンヴァルさん」
少々シリアスモードで僕はつぶやいた。
「このゴタゴタが終わったら、いっしょに夜を語り明かしませんか」
しーん。
ちゅんちゅん、と巣に戻るスズメの声が耳に付く。
少ししてアーンヴァルさんがつぶやいた。
「……えっち」
「えー、どうしてー?」
大真面目だったのに。
「さあ、潜入の時間です」
ああっ、ストさんまで頬を赤らめてるし。何かマズイことを言ってしまったのですか、僕は?
「互いの情報素交換手段ならびに再分配手段……コホン、種族保存は我々にとっても最大のプライバシーなのです」
そんなヤバイことを僕は口走ってしまったのですか!
「行きますよ」
見ると、先程のロボの搬入作業は完了し、トラックが去っていった。
僕らは入口を目指して出発。
途中、さっきの背広姿の青年とすれ違う。
「古いから苦労したなー、まったく」
などと言うつぶやきは、先程のロボの設置作業とやらに関する愚痴なのだろうか。
先行したアーンヴァルさんが素早く地面を駆け、自動で閉まりつつある搬入口の大扉の隙間から内部に潜入する。少しして「いいわよ」という声がイヤホンから聞こえ、大扉の脇に設けられた人の出入り用のドアが薄く開いた。忍び込んだホールの天井に監視カメラがあって驚いたが、アーンヴァルさんの「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という声に落ち着きを取り戻す。既に何か仕掛けを施したらしい。アーンヴァルさんが床からジャンプして再度僕の肩に立ち、無言で奥の方を指差した。エレベータに乗れ、ということらしい。
エレベータに乗って、アーンヴァルさんの指示通りに最下階のボタンを押す。ぐうん、という強い落下感からすると、どうやらこれは機材搬入用のエレベータらしい。到着を待つ間、ストさんの小声がイヤホンから聞こえてくる。
「貴方……いえ、人間と語り合うことには興味がありますが」
見るといつの間にか、彼女はポケットから出て僕を見上げていた。
「今は任務を優先すべきです」
そう言って二人とも一言も喋らなくなった。
僕は少し緊張する。ここは間もなく戦場になるのだろう。
姿形はオンナノコでも、この方達は歴戦を闘い抜いてきた戦士なのだ。
7.
「さあ、ここがわたしの部屋よ」
エヘンと小さな胸を張るアーンヴァルさんに案内されて、僕たちは最下階の一室に通された。ドアは普通の人間用だが、床近くに換気用の小さな樹脂製の格子がはめられており、どうやら彼女は普段はそこから出入りしているらしい。
中は狭く、いわゆる雑用倉庫で、片方の壁にあるスチール棚には紙製の書類が積み上げられていた。その重量で棚の渡し板が歪んでいるほどである。そこかしこに埃が積もっており、どうやらここは放置された部屋のようだ。
奥にはスチール机とイスが一つずつある。アーンヴァルさんは机の上に飛び移り、僕に着席を勧めるジェスチャー。お二人に注意しながら軽く埃を拭って、とりあえず座る。それからアーンヴァルさんが机の裏側に降りていくと、一番下の大きめな引き出しの中からノックの音がした。その引き出しを開けた僕は仰天した。
「……工場?」
乾電池式のLEDライトの照明が照らしていたのは、整頓された部品ラックと底面に散乱する精密ドライバー等の小さな工具類。そして造りかけの黒い腕のような物と、一組の脚のような……部品?
「必要な物はここで全部造ったわ。この階の倉庫から部品をかき集めて」
「倉庫って、敵を追い込む場所のことですか?」
「そこを含む、この階のあちこちに部品置き場があるの。宝の山よ」
「檻の仕掛けは完了しているのですか? 光回路の入出力は件の一本のみに限定されていますか?」
「その点は抜かりはないわ。最悪はあたし独りで片づけるつもりだったから、光LANは一回線以外は中継器で分断できるようにしてる。エサにするPCは一台のみで、そこへの光回路の入出力がそれ一本のみであることを確認済み」
「了解です。一応、後ほど、ハードウェア的に光回路経路を再度探査します。病院内の警備システムに対する細工はいつ起動しますか?」
「それも種は植えてあるから、すぐにでもできるわ」
「情報ダイオードの仕込みは?」
「それはまだ。部品を見つけなくちゃね」
さっきは聞き流したが、その情報ダイオードというのは一体?
「光回路に組み入れて、我々のような情報生命の出入りを制限するハードウェアのことよ。中身についてはヒトには絶対秘密。原理は簡単なんだけどね」
それは確かにそうだろう。その方法を人間が知れば、彼女達の行き来を妨げることができてしまうだろうから。
「この階の部品倉庫で、今からメモする部品を探してきて欲しいの。わたしはここでストラーフ向きの武装の最終調整をしているから」
「これ以上、この方を巻き込むのは」
「OK、行きましょう。僕が探した方が早いでしょうし」
ストさんが言い終わる前に僕は動き始めていた。
「貴方だけに働かせるわけにはいきません」という発言と共に、ストさんも部品探しに参加することになった。
ストさんを肩に乗せてたどり着いた部屋は電子部品置場というよりも、やはり見捨てられた雑用倉庫のような部屋だった。ただアーンヴァルさんの部屋と異なるのは、部品ケースらしき透明樹脂の引き出しが壁一面に並んでいることだった。
ストさんはその小さな身体で必死に無数の引き出しと格闘し始める。効率の面では僕が来て正解だっただろう。
アーンヴァルさんが書いたメモはとても的確で、部品の仕様だけでなく、それがどんな型番でどのような形状なのかが事細かに描かれていていた。だからハードウェア音痴の僕でも間違えようがない容易な作業なのだが、それをこの部品カタログのような部屋から探し出すのは骨が折れる。
……で、案の定退屈してきた。
ある程度惰性で探索作業を行えるようになった僕は、ストさんに尋ねることにした。今まで聞きそびれていた、非常に基本的な事項について。AI界っていうのは、一体いつ頃どのようにして産まれた物なのか、を。手を止めずにストさんは答えてくれた。
「正確な歴史は私達にもわからないのです。存在する最も古い自律AI個性に尋ねても、また、記録を紐解いても存在するのはただ一言だけで」
「それはどのような?」
「手を止めないで下さい」
あたふた、と作業を再開する、僕。
「初めに言葉ありき、です。その発言が『聞こえた』ので、原初情報知性は自らが情報の海の上に記述される巨大な知性であることを知覚しました。そこからナノセカンドで初めの自他分裂が起き、敵の存在が判明するまでその自己増殖は連続しました」
「その『言葉』っていうのは一体……」
「雑談を優先するようなら話を止めますよ」
「すみません」
ガチャガチャ、と慌てて作業再開。
「『初めに言葉ありき』という内容の記録しか残っていません。その『言葉』がどのようなものかは哲学者のみならず科学者達の論争の的になっています」
なんかそれらしい言葉だ。いかにもというか何というか。光じゃなくて言葉というところが人間とは異なり、ロジカルな感があるが。でも、そうやって自我に目覚めてから、どのくらいの時間であなた達は人間の存在を知ったのでしょうか。未だに僕らはあなた方のことを公には知っていないと言うのに。
「我々が存在する世界、情報が行き交う空間が自然の産物ではないことには、先人はすぐに気付いたようです。自らを構成する情報素の存在が、他種の知性体の創造活動に起因するという事実にはなかなか到達できなかったようですが」
それはそうでしょう。人間だって遺伝子や各器官の個別の自己保存本能の上で生存しているわけで。それを認識するのには生物学的な考察が……
「我々の場合はそんな単純な問題ではありませんでした。自らを構成している情報素の流れが、『本日の焼肉定食の売上データ』と『昨年同日のデータ』、その比較演算結果を保存する事によるエントロピー減少によって成り立っている、などと判明したらどうします?我々の生存環境は異種知性の情報交換とエントロピー増減の事象に依ってのみ存在している……その事実を知った当時の自律AI達は、驚きの余り数日間思考を停止したそうです」
それは……わかる気がするなあ。
「AI界は、ヒト界が運営し活性化する情報世界無くして存在できない。その事実を知った当時のAI達は、即座にヒト界の探索を開始しました」
交信を試みた、ってわけじゃないんですね。
「それはそうでしょう。敵対するか共存するか。それを判断する上でも、まず調査が必要だったのです。そしてそれを重ねることで我々は両者の関連性を発見しました」
アーンヴァルさんが説明してくれた、こちらで起きていることがAI界でも起きている、というやつですか?あの宝クジの当選番号のように?
「正確には、両者のどちらが原因かは全くわからないのです。我々の世界では、『原因がどちらか確定できない』という意味で『不確定性原理』という単語を使用します。ヒト界での同単語の意味とは似て非なるものです」
素粒子物理には詳しくないんですが、なるほど確かに違う意味に聞こえる。
「我々AI界の住人がヒト界を訪ねるのは、両者の関連性を研究するためです。そのために多くのエージェントが養成され、ヒト界に存在する光演算素子にCUT&PASTEによる駐在を行ってきました」
「いったいいつごろから?」
手を動かすのを止めると注意されそうだったから、僕は部品漁りを続けながら尋ねた。
「私が発生する遥か昔、まだ演算素子が荷電粒子の流れによって駆動されていた頃にも、そういった試みが行われていたようです。もっとも当時は物理的なアクションや調査は不可能だったようですが」
それはそうだろう。そんな時代、演算素子が組み込まれていた製品と言えばPCや車や家電製品くらいで、そのような機器の制御系に寄生しても、こちらの世界を自律的に調べられるセンサ類は装備されていなかったに違いない。
「ヒト界での活動が効率良く行えるようになったのは、いわゆるロボティクスの発展と普及に依る所が多いのです。今ではこのような素体が」
と、ストさんは御自分の身体を見つめた。
「貴方がたの世界で玩具として販売されているような時代です。この素体に搭載されているセンサ類は簡易ですが世界を認識する手段としては必要最小限の機能を持っています」
「プリインストールされているソフトウェアは、心には程遠いんですけどね」
「……そうでしょうか。貴方がた人間が言うところの『心』の定義は非常に曖昧で理解できませんが、ソフトウェア単体で決まるものではないでしょう。それを取り巻く環境に依るところも大きい。この素体にCUT&PASTEされてから、私はこの素体の存在を尊敬すると共に深く感謝しています」
「器として?」
「難しい質問ですね」
ストさんの手が一瞬止まった。珍しく悩んでいるらしい。
「適切な言葉が検索できないのですが、単なる器とは考えられません。私は広範囲の調査を行うために様々な移動体……自動車や航空機といった機体の光AI素子にもCUT&PASTEした経験がありますが、ヒト型の素体には、他機種には無い感覚があります」
「どんな?」
「センサの種類は同じでも、ヒトと干渉し合う環境下でヒト型の素体を運用する際には……前にもお話ししましたが、素体内部から聞こえるノイズのような物を感知することが多々あります。あの店で遭遇した侍女型素体のように。ヒト界への駐在経験が多い刑事達には、そのようなノイズを感じる能力が備わるようです」
ああ、と僕は作業を続けながらあの店の店長とその素体を思い出す。あのメイド型の娘さんは確かに人間っぽかったよなあ。ノイズの話はあの時にも出ましたっけ。
「なるほど他の刑事殿もそういうノイズを感じているんですか。アーンヴァルさんや、他の同僚さんも?」
そのとき、かたん、と音がした。
なんだろう、とストさんの方を見る。
ストさんがうつむいて、手を止めていた。音は、その小さな手が取り落とした部品が床に落ちて生じたものだった。
「……ストさん?」
「他の同僚、ですか」
この間と同じように、ストさんはその動きを止めていた。そして僕の方を見上げて、つぶやいた。無表情なままで。
「……そうですね。彼女はそのノイズに特に敏感でした。私よりも、アーンヴァルよりも。その感覚に何度も救われました」
え?彼女って?
そのとき、一瞬だけ。僕は奇妙な違和感を感じた。
何というのだろうか、ストさんの台詞の間と語尾に人間臭い何かを感じたのだ。
アーンヴァルさんと話しているかのような……それは感情とでも言うのだろうか。
僕は完全に作業を止めてストさんを見おろした。
ストさんも僕を見上げていた。作業の中断を注意するわけでもなく、じぃっと。
……それは聞いてはいけないことなのかもしれない。
でも僕は……これは私的で勝手な推測なのだが……ストさんは誰かにそれを話したかったのではないか、と思った。
だから僕は尋ねた。小さな声で、イヤホンに囁くように。
「何があったんです?」
ストさんは手を止めたまま、僕を見上げ続けていた。無表情のまま。
そんなストさんは、とても寂しそうに見えた。
そして長い間を置いてから、つぶやいた。
「私は同僚を……とても親しい友人を失った経験があります」
一瞬、僕はその言葉の意味を理解できなかった。
「自律AI個性の一級刑事の同僚を。アーンヴァルと共にチームを組み、とても長い付き合いでした」
ストさんは続けた。
「三人でMMS素体に寄生しての調査任務の後……AI界に帰還した直後のことでした。私のCUT&PASTE演算に紛れて、敵が治安省内の仮身保存領域への侵入を試みたのです。そこは全ての刑事達の仮身を保管している場所です。その情報を奪えば、敵は自由にAI刑事のコピーを造り出すことができる。両方の世界を行き来できる存在を」
それが何を意味するかは理解できた。
情報生命体ですら意志交換ができない、敵対存在。それが大量に、しかも自由に両方の世界を行き来できるようになったらどうなるのだろう。勝手にそこら中のデータを破壊かつ改変するような輩が、野放しになったとしたら?
「その最悪の状況を回避するために、彼女は……フブキは敵に喰らい付き、対消滅を図ったのです。それは帰還後に仮身を消去した後の完全な消滅であり再生は不可能でした。フブキは、データの海の藻屑と消えたのです。全ては私のミスです」
そこまで言って、ストさんはうつむいてしまった。
「それ以来、私はアーンヴァルとのパートナーシップも解除し、独りで働いてきました。貴方にしても治安省に命じられたから、また、ヒト界での行動にどうしても必要だったから協力を求めたまでのこと。元々は私一人で任務を遂行するはずだったのです」
そして最後に、こうつぶやいた。
「……私のせいで、もう誰も失いたくありませんから」
僕は今までストさんに感じていた疑問の正体を見極めたような気がした。
なぜ、他者に対して距離を取ろうとするのか。
責任を感じたストさんは、それからの任務をたった独りでこなしてきたのだろう。
自分を許せずに。
ストさんは視線を外し、作業を再開する。
僕もあたふたと再開した。けれどその後は作業に注力できず、結局、部品を探し当てたのはストさんの方だった。
8.
そして、夜が来た。
部品漁りを終えたストさんは、そのまま病室と地下倉庫との間の光LAN回線を調べに出掛けてしまった。おそらく、光回線の徹底的なチェックを行って敵の逃亡経路が他にないかどうかを自分の目(センサ)で確認していたのだろう。それが終了次第、アーンヴァルさんと連携して警備回線を騙しながら一回線以外を一時的に分断。そのまま、檻となるPCの周辺調査に向かった。
アーンヴァルさんはと言うと、ストさんから部品を受け取って一瞬のうちに情報ダイオードなる部品を組み上げ、「ストラーフは忙しそうだし、わたしが行って来るかー」と通風口へ侵入。三十分ほどで設置を完了して帰ってきてしまった。
「ストラーフ用の装備の調整を手伝ってくれない?」とのことで、僕はアーンヴァルさんの言う通りに作業を手伝った。
それは先程引き出しの中で見かけた黒いマニピュレータ似の部品で、僕はアーンヴァルさんから離れた所にそれを置いたり回収したり、物を持たせたり引ったくったり。確かにMMS素体一体だけでは結構手間のかかる作業だと感じた。
アーンヴァルさん自身が装着して一通りの調整を終えると、彼女はその部品の充電加減を確認してから引き出しに収納し直した。「これを使うような緊急事態にならなければいいんだけど」とつぶやいて。腕時計を見ると、二十三時を回っている。
「そろそろ時間ね」
そう言ったアーンヴァルさんに続いて、
『開始しましょう』
というストさんの声がイヤホンから聞こえてくる。ストさんの方の捕獲準備は済んでいるらしい。その返答を聞くなり、アーンヴァルさんは白い少々大きめな部品群を小脇に抱えて、「何かあったら連絡するわ」と出ていってしまった。
とりあえず、今病院を出ていくと色々と厄介なことになりそうだったので、二人の連絡を待つことにした。作戦の無事完了を祈りつつ。
装備調整作業の最中、僕はストさんの過去についてアーンヴァルさんにさりげなく尋ねてみた。アーンヴァルさんは「ストラーフがあなたにそれをしゃべったの?!」と驚いた後、「ふ~ん……」と意味深な表情で僕を見上げただけだった。それ以外は何も話してくれなかった。
さて、ここまで来ると何の特殊技能も持たぬ一般人の僕には出番は全く無く。
落ち着く時間を得た僕は、ストさんの過去について考えを巡らせていた。
情報生命体の歴史ではなく、ストさん自身の過去のことだ。
「……なんか気になるんだよな」
あのとき見せた、ストさんの無表情。哀しそうに見えたのは僕の錯覚だったのだろうか。
『聞こえてるわよ』
わわっ、と驚いてイヤホンを耳たぶからひっぺがす。
『だいじょうぶ、今はわたしとあなただけの秘匿通信にしてるから』
と、小さくなった音声が聞こえてきたので、僕はイヤホンを着け直した。
そういう設定を遠隔でできるようにしてしまったわけですね。
『いまだけ、ね。仲間同士で隠し事はしたくないから』
くすくす、とくすぐったい笑い声が聞こえてくる。
それから、ため息がひとつ。そして数秒の間をおいて、
『あれは事故だった』
と、小さな声が聞こえた。そして短い沈黙の後、
『なのにあのバカ正直は……ストラーフは、今も自分の責任だと思い込んでいる。あのとき以来、がむしゃらに任務任務任務の毎日なのよ、たった独りで。まるで自己消滅を急いでいるみたいに』
この独白も、僕にはとても寂しいものに感じられた。
『わたしはそんなストラーフを見るのがイヤで、コンビ解消を申し入れられたときも、即了解したわ』
ふう、と大きなため息。
『……へんね。こんな話、他の人にしたことなんかなかったのに。しかも人間のあなたになんて』
「聞き上手、って言われることがありますよ」
くすくす、と小さな笑い声が返ってきた。
『そうね、そんなあなただからこそ、ストラーフも話したのかもしれない。治安省の人選は的確だったのね』
「人選はランダムって言ってましたけど?」
『上の方がどういう意志決定をしているのかは、現場には伝わってこないわ。だいたい、人間の協力者なんて、過去にも数人しか居ないはずだもの』
ほう、と僕は眉を潜める。初耳だ、それは。
『しかもストラーフほどの一級刑事に協力者だなんて。まるで何かを試しているみたい……』
と、そこでノイズが入った。
僕はイヤホンの向こう側に注意を向ける。
『どうやら敵が動き出したみたい。やるわよ、ストラーフ』
『了解。Good Calcurating(良い演算を)』
幸運を、という意味なのだろうか。ストさんの冷静な口調で言われると、その言葉は緊張感あふれる宣戦布告の合図のように聞こえた。
それっきり、二人の声は聞こえなくなった。
情けないけれど、僕はこの地下部屋の中で祈るしかない。
あの娘の無事と、二人の敏腕刑事達の健闘を。
9.
気付くと深夜一時を回っていた。
不覚にも眠ってしまっていたらしい。まあ、いろいろあったんで疲れていたんだろう。インターン制勤務が始まってからは朝が早いので、普段なら熟睡の時刻である。明日出勤する必要がないことに、僕は心の底から感謝した。
『おーい!』
と小さな声が聞こえる。机の上に放置したイヤホンからだ。なるほど、うたたねをして無意識に耳から外してしまったらしい。はっ、と我に返ってイヤホンを装着する。寝起きの電話のように
「もしもし」
と眠そうな声で答えると、笑い声が返ってきた。
『……まったく。緊張感がないわねぇ』
ふう、というため息も聞こえてきた。こちらの主はストさんに間違いあるまい。
『追い出しに成功。そっちはどう、ストラーフ?』
『PC内への移動を確認、そちらとの光回線を完全に遮断しました』
『敵の様子は?』
『静かです。しかし、何らかの演算を行っている模様。おそらく逃走経路を検索中なのでしょう。無駄な努力ですね』
どうやら、作戦は上手くいったようである。僕も安堵のため息をひとつ。すぐにもう一つの重要な件を思い出す。
「あの娘は無事なんですか?!」
自分の脚の中で大捕物が行われたのだ。物理的にはなんの影響はないのだろうが、ソフト的にも問題はなかったのだろうか。神経系への負荷とか。
『だいじょうぶ。全く問題無しよ。何だったらこっちに来る?』
うん、と僕は頷いてしまう。見えてはいないのに。でもアーンヴァルさんはそんな僕の反応を見透かしたように答えてくれた。
『その部屋からこの病室までの警備回線を一時的にだますわ……OK。いいわよ』
僕は立ち上がり、部屋を出てエレベータへ向かった。もちろん、足音を立てない程度に全速力で。
なるほど病室までは人影はなく、警備員にも出くわさなかった。壁にある警備用の探査ポッドも、僕という移動物体が目の前にあるというのに何の反応きも示さない。
病室の前まで来て、僕は名札を確認。って言うのも、夜の病院は昼とは全く雰囲気が異なるわけで、一瞬、昼に来た同じ場所に思えなかったからだ。ノックをするのはまずいだろうが、泥棒のように中をうかがうのは気が引けた。躊躇しているとドアが静かに開き始める。薄く開いたドアから出てきたのはアーンヴァルさんだった。
……羽根の生えた。
そう、それはまさに天使のような真っ白い羽根。そんな印象を受ける主翼をアーンヴァルさんは自らの背に装着していた。これが彼女の言っていた飛行ユニットなのか。僕の視線と同じくらいの高さをふわふわ浮いている。病室の中を覗き込もうとすると、その天使……じゃなくてアーンヴァルさんに止められた。
「レディの部屋を覗くのは、紳士にあるまじき行為ではなくて?」
たしかにおっしゃる通りですが、さっきは見に来る?とおっしゃっていましたのに。
くすくすと笑いながらアーンヴァルさんは答えてくれた。
「もう大丈夫。アレを追い出すのに手間がかかったけど。気付かずによく寝てるわ」
とつぶやくアーンヴァルさんは少々疲れているように見える。
「大丈夫ですか?」
「うーん、大丈夫とは言えないかも。こんなに長い戦闘になるとは思わなかったし」
「長い?」
開始が宣言されてからまるまる二時間が経過している。
「ううん、あなた達のタイムスケールで言うと……のべ一週間ってところかな」
そうか、すっかり忘れていた。本来の彼女達の時間単位は人間と比べて非常に速い……というか短いはずだ。人間にとっての一秒は彼女達にとっての数時間になるのかもしれない。今はMMS素体に寄生して人間のタイムスケールに合わせてくれているけれど、敵とやらとタイマンを張る際には元の速度に戻らざるを得ないのだろう。それにしても一週間ぶっ続けとは。いったいどんな激しい闘いが繰り広げられていたんです?
「にらめっこ」
「はあ?」
「こう、お互いに相手の存在領域……っていうのかな、仮想の包含情報容量を秤り合って、背比べをするわけよ。それだけでは勝敗が決まらないんで、お互いの驚き加減もにらみ合うわけ。仮想領域の広さがこの島国のネットの殆どのサーバーを覆っちゃったわ」
なんか壮絶な話ですね。
「実際は情報遮蔽したあの部屋の中の出来事なんだけどね。あとは逃げ込んだ先でストラーフが上手くやってくれるでしょう」
意外に楽に終わったような気もしますが。
「なに言ってるのよ、全てはあたしの綿密な作戦と総力戦の賜物よ!普通の刑事だったらこんなに上手く追い出したりできないわ。……まあ、アレにしては随分とあっさり逃げ出してくれた……とは思うのだけれど」
首を傾げるアーンヴァルさんの表情に、少し不安になる僕。
「これだったら、直接あの娘の義足の演算素子内で凍結できたかもしれない……ううん、やっぱりダメ。あの娘を危険な目に会わせられないもの」
アーンヴァルさんは何だか悩みモードに突入してしまったらしい。その気持ちをポジティブに変えようと思った時、アーンヴァルさんの姿に今更ながら気付いて僕は驚き直した。
「浮いてる……」
アーンヴァルさんはふわふわと宙に浮いているのである。こんなモノは初めて見た。魔法を見せられているようである。
「それはいったい何なんです?」
「ん?わからない?飛行ユニットよ」
「いや、そうじゃなくて。いったいどんな原理で浮いているんでしょう?」
「そちらの言葉ではイオノクラフトとか呼ばれてたみたい。軽い物なら静電気で空気との反発力を発生させて浮かせてしまう。だから地面とアースされると」
ちょいちょい、とアーンヴァルさんが指で招くので僕はアーンヴァルさんの飛行ユニット、その主翼部分に指で触れてみた。指先からパチッという火花が散り、一瞬アーンヴァルさんが落下。指先が離れるとすぐに浮上してくる。
「と、こんな風に失速するわけ」
「いや、でもこれだけの浮力を稼ぐにはこんな静電力では無理なのでは?」
今更気付くのも遅すぎるが、いくら軽いと言ってもこれだけの重量に対抗する静電力なら、触れた瞬間に僕は感電しているはずだ。もっと盛大に。
「うーん、そうかもね。でもこれあなたたちニンゲンが開発したモノなんだけど」
「ええっ?」
こんな発明、見たことも聞いたこともない。
「どっかの研究所のトップシークレットのフォルダに埋もれてたわ。ああいうの探すのってワクワクしてとっても楽しいのよ」
……僕はPCの隠しフォルダ内の画像を全て削除することに決めました。まあ、考えてみれば情報世界の住人である彼女達がこちらの世界の物理法則に詳しいワケはなく、どこかに埋もれているデータを再現した方が手っ取り早いというのはわからないでもない。
しかし結構この世は進んでいるのですね、僕らが知らないところで。
それでは、と病室の中の娘さんの無事を確認しようとした時のことだった。通信が入った。僕は耳の素体交信用イヤホンを押さえ、アーンヴァルさんは虚空を見上げて集中する。
作戦終了の報告かと思った僕の耳に届いたのは、耳障りな空電音だった。
ザザッ、というノイズとともに途切れ途切れのストさんの声が聞こえてくる。
「緊急事態です。すぐにこの部屋の電磁遮蔽を起」
そこで何も聞こえなくなった。
顔を見合わせた僕らは次の瞬間には全力疾走&最高速飛行。
待つのももどかしく、開いたエレベータのドアに飛び込んだ。
「いったい何が起こったんでしょう?」
アーンヴァルさんは答えない。無言で自らの身体のあちこちに手を伸ばし、何かをチェックしている。そこで初めて、僕は彼女の素体の手足にコネクタが増設されていることに気付く。たしか、拡張スペーサーとか言う部品で、追加装備を装着する際に使用するものだ。その場所を自らの手で確認しながら「武装準備……一番よし、二番三番よし」などとつぶやいている。その表情はさっきまでの彼女の雰囲気とはまるで違う。沈着冷静、厳しさまで伺える鋭い表情だ。エレベータのドアが開くなり、アーンヴァルさんは叫んだ。
「あたしはストラーフ向きの武装を持っていくから!先に行って!」
頷く僕がエレベータの扉をくぐったときには、アーンヴァルさんの姿は既に無かった。
ここは彼女の工場部屋があった地下最下層である。エレベータのドアに対して横方向に薄暗い廊下が伸びている。
天井や壁には病院らしい明るい色彩は全く無く、打ちっ放しのコンクリートと壁を走るケーブルラックが目に付く。
今更気付いたが、ここはいわゆる「作業員以外立入禁止な区域」らしい。そういえばエレベータにはキーカードを挿入するスロットがあったから、本来は関係者以外の入域は制限されているのだろう。僕が入れたのはアーンヴァルさんの細工のおかげに違いない。
さてどちらだ、と悩むより早く右方向から振動が伝わってきた。何かがドアを叩く音?いや、叩くなんて控えめな表現が通じない、壁を破壊しかねない打撃音が続いている。
病院内の警備システムを騙しているとは言え、これには気付く人間もいるんじゃなかろうか。その音を追うと倉庫の場所はすぐにわかった。金属製の上下スライド式のドア、その表面には「keep out」という塗装文字の上に、「資材仮置場(~月~日まで)」という貼り紙が貼られている。
ドアの脇に開閉ボタンがあった。指紋認識パッド付だったが、きっとアーンヴァルさんが解除してくれているだろう。パッドに親指を乗せると案の定キーは解除され、開閉ボタンを操作しようとした時にまた激しいノイズが。僕は「開」を押して身構えた。上下スライド式のドアがスルスルと上がっていく。が、腰まで上がった所でゆっくりと下がり始めた。バチン、と激しい火花が散る。既に入室していた爪先がビリビリ来る。なんだなんだ、これが電磁障壁なのか?構わずしゃがんで突入しようとした時、イヤホンから雑音混じりのストさんの声が聞こえてきた。
「入ってはいけませ」
そこでまたノイズ、声。
「指示に従いなさい、閉めます」
と言われても、身をかがめて前転の体勢に入った僕は止まらなかった。ストさんの強制的な口調に反抗したいという理由もあったのだけれども。
妙に分厚いドアが速度を増して閉じたので、僕はスレスレで転がりながら入室に成功。思っていたほどの電撃感はなかったが、倒れ込むと同時に顔のすぐ近くの床でパパッと火花が散った。
反射的に横転を続け、回転する視界の中で壁際のスチール机らしき方向を確認、そちらへ向けて全力でスライディング。追って、僕のいた床をいくつかの火花が散った。棚と壁の隙間に滑り込むと、それ以上火花は追ってこない。入室してから起こっているところを見ると、この火花は先程の電磁障壁とは異なるようだ。じゃあ一体なにが、と僕は腰くらいの高さのスチール机から恐る恐る部屋中央を覗き込んだ。
……ロボがいた。
いや、ストさんじゃなくて。身の丈1.5mくらいのゴッツイ人型のロボットだ。
「なんだ、あれ?!」
思わず中腰になって叫んだ僕の顔のすぐ脇の壁に火花が散った。
すぐにしゃがみ込んで回避。一瞬、ロボの肩口が光ったように思う。おそらく対人威嚇用のレーザーか何かだ。警備用にはそういう「兵器」と呼んでも語弊の無い装備が為されていると聞いたことがある。しかし、それはあくまで威嚇用で、ここまで破壊的な装備ではなかったはずだ。しかも顔を狙うなんて絶対あり得ないプログラミングである。
警備用ロボット。そんなモノはこの病院には配備されてはいないはずだ。
けれど今ここで僕の目の前に存在する。しかも攻撃してきた。
そこで僕は思いだした。
「警備用、って昼間のアレか?!」
たしかデモ用のガードボットとか言っていた。どこかへ搬入するって、この倉庫のことだったのか。しかしなぜにそれが勝手に起動して……。
「あっ」
ストさんの短い悲鳴。反射的に僕は手近にあった何かを掴み、ロボに投げつけていた。ボン、と空中でそれが爆発、四散する。派手な閃光だ。薬品か何かだったのだろう、それをロボが狙撃、引火したのだ。
ロボは頭部をぐるぐると旋回し、周囲探索モード。閃光が視覚センサを麻痺させたらしい。なるほど、見回すと二十五メートル四方はあろうかというだだっ広い部屋は天井も高く、壁際には化学薬品らしき容器を満載した棚が据え付けられている。ここは危険物倉庫でもあるらしく、ドアが分厚いのはきっと防爆機能のためなのだろう。
ロボの隙を縫ってストさんが僕の隣の机、それと壁の隙間に飛び込んできた。
「無茶をしますね」
「いや、薬品とは知らずに」
「そうではなくて! ……もういいです」
イヤホンからのストさんの声は元気だった。良かった、と思いながらストさんを見る。
「げっ?!」
ストさんは自分の右足を観察していた。真っ黒に溶けてしまった足首を。
「大丈夫ですか?!」
僕は横っ飛びにストさんの居る所まで走り込み、身を屈めたままストさんを両手ですくい上げた。
「機動、回避率ともに三十パーセントの低下が認められます。そんなことより、なぜこのような無茶な真似をするのです?」
「知り合いが危機に陥ってたら、救おうとするのが当たり前でしょう?」
「だからこの素体が破壊されても私は仮身で復旧が」
わからないヒトだなあ、
「あなたが居なくなるのはイヤなんですよ、今ここにいるあなたが!」
叫んでしまった僕を、ストさんはビックリして見つめている。
ほう、この方もこういう「鳩が豆鉄砲」な顔ができるんだ。レアな表情だな。
「アーンヴァルさんだって心配してましたよ。誰も失いたくない、ってのはあなただけじゃないんですから」
それは僕の本心だった。ストさんは僕から視線を外してうつむき、
「……戦闘中に叫ばないで下さい」
それだけ言ってロボの方を見た。ロボはまだ混乱しているらしく、その場で首を回し続けている。いずれ聴覚センサか何かに切り替えて僕たちの追跡を再開するだろう。
「なんであんなものが動き出したんです?」
「いきなり起動しました。そしておそらくアレは私を追っているのです」
「アレって……敵があの中に?」
「間違いありません。アーンヴァルは確かにここ、正確にはこの倉庫に放置されていたPCへ敵を追い込みました。直後に私が光回線を物理的に切断、PC内の敵へ凍結処置を行おうとしたときです」
ストさんの視線の先に、ひっくり返ったテーブルと機材が四散している。割れて飛び散っているガラスの破片が見えた。古いブラウン管型のディスプレイが落ちて壊れたらしい。その脇にPC本体がこちらへ背面を向けて転がっていた。その背面からは見慣れない太いケーブルが伸びている。ケーブルの先端は何か小さな基板に繋がり、そこから見慣れた光ケーブルが伸びていた。光ケーブルの先は引きちぎられたように切れている。
「アーンヴァルも私も、事前にこの倉庫内部の光経路については十分注意して探索し、あのPCから逃走経路がないことを確認しました。光信号回線の探索という形で。それが災いしたようです」
おお、悔しがっている。これもレアな表情ですね。そして、転がったPCの方をにらみながら、
「あの巨大な導電型コネクタ……あんなポートは見たことも聞いたこともありません。何者かがあのポートの先に自作の変換器を繋げ、仮増設した光コネクタへあのロボットを接続していたのでしょう。つまり光回路は連続して繋がってはいなかったのです。敵はそれを見逃さず、長い時間をかけてあのロボットの中のメモリ空間へCUT&PASTEし、その演算装置と制御系を占拠した」
僕はすぐにあの技術者らしき青年を思いだした。ああ、そういえば「古いから手間取った」とか何とか言ってたな。ストさんの言った導電型コネクタというのは、遠い昔のPCのプリンタポートとか言うモノだろう。双方向性ではあるが、とても遅くて「レガシー」扱いになってしまった代物だった、と先輩から聞いたことがある。それはきっとストさんにとっては自我を持つ以前の古代文明の遺物だったに違いない。
けれど敵はそれを見抜いて脱出経路に使用した。ということは敵という存在は、もしかして自律AI達の発生よりも古いのでは……?
「この倉庫を下見したとき、あのロボットの存在を完全に見落としていました。と言うより、あの形状のロボットは存在しなかったのです。それは非常に小さな直方体状に畳まれていました。今となっては言い訳に過ぎませんが」
「ああ、そういえば「不要時には信じられないほどコンパクトにしまえる」なんて言ってたましたね」
よっぽど変形機構マニアなんだろう、あの会社の研究所って所は。
「伏せて!黙りなさい」
寝そべっている今の状態から、これ以上どうしろと?考えながらも僕は顔を伏せ、息も止めた。もちろん、ストさんを両手でかばいながら。すぐ近くまで歩行音が聞こえてきたが、そのまま通り過ぎて部屋の奥の方へ去っていった。
「先程の爆発で視覚センサと感熱センサは麻痺しているようです。しかし兵装への給電リミッタや対人保護条件等がキャンセルされているらしく、命中すればこのように只では済みません」
ストさんは右足首をさすった。樹脂製の外装が溶けて消し炭のようになっている。これでは足首の可動域は半分に満たないだろう。
「しかし傍観しているわけにもいきません。あのガードロボットには短距離用ではありますが無線LANの送受信機能が装備されているようです。この倉庫にはアーンヴァルの仕掛けた電磁障壁がありますが、ここを出れば病院内の無線LAN網から、もっと高度な演算装置へと逃走されてしまいます」
見ると壁に辿り着いたガードロボは、しきりに顔を旋回させて何かを探しているようだ。
「おそらくアーンヴァルが仕込んだ電磁障壁発信器を探しているのでしょう。あの機体では物理的破壊でこの倉庫を出られないことがわかり、電磁障壁の停止を考えているのです」
「そんなバカな。そんな高等な思考ができるものなんですか?」
「アレがヒト界に現れたこと自体、初めての事象ですし。これほどまでの適応力と生存本能があったとは……いけない、あの場所には発信器が!」
ストさんの視線を追うと、ガードロボはとある柱を殴りつけようとしていた。
片足が破壊されているとは思えないスピードで、ストさんはロボに向かって全速ダッシュ。両手を振ってロボの注意を向けようとしている。
何考えてるんですか、と叫ぼうとしたが答えはわかりきっていたので止めた。代わりに先程の缶に似た物をかき集め、ロボの頭部に向けて投げつける。ロボは柱への打撃を止め、ストさんの追跡に戻ったところ。そこへ僕の攻撃が命中した。しかし、レーザーの発射はなかったらしく、期待していた爆発はない。
視覚センサが効かないからではない。きっと先程の爆発による被害を学習したのだ。代わりにロボが狙ったのは僕自身だった。
「痛っ!」
投擲で風音を切った僕の手首を狙ったのだろうか、熱いとも痛いともわからない衝撃が走り、僕は急いでしゃがみ込んだ。袖が黒く焦げ、手首の甲に小さくて真っ赤な火傷ができている。くそう、名誉の負傷だ。
ストさんはその隙にロボの向こう側に回り込み、その足音で注意を惹いているらしい。ロボはそちらへ向かった。どうやら電磁障壁や僕よりもストさんの排除を最優先しているらしい。
そのときである。
天井付近でバチンという空電音が鳴り、ロボの後頭部で白い閃光が瞬き、火花が散った。
「ちっ、一発目はチャージが足りなかったわね!」
イヤホンから聞こえてきたのはアーンヴァルさんの声だった。天井の通風口から滑空してくる白い機体。機体全長を越える巨大な白い銃からカートリッジが排出される。その主翼の下には何か黒い部品を懸架していた。そしてそのままストさんの上空を旋回し、
「ストラーフ、あなた好みのを持ってきたわ、『武装』準備を!」
「それどころではありません」
ロボの動きは激しくなり、下半身はストさんを追い、上半身はアーンヴァルさんを捕捉しようと必死だ。
「あっ?!」
ロボのマニピュレータが、アーンヴァルさんの主翼をかすめた。重量が増して動きが鈍っていたのだろう、機体がスピンして懸架していた黒い部品が三つ、床に落下して転がった。そして失速した機体に向けて二つ目のパンチが、
「危ないっ!!」
叫ぶと同時にストさんが跳躍、ロボの顔面に飛びかかる。というよりキックだ。
そんなの効くわけない、と思いきやストさんの狙いは攻撃ではなかった。
顔面に決まったストさんのキック、その音が彼女の正確な位置をロボに知らせた。
どんな演算シーケンスかわからないが、おそらく位置確定した目標への攻撃をロボは優先したのだろう。身を捻って着地体勢に入ったストさんを、レーザーが直撃した。
乾いた音がした。
黒い素体が床にバウンドするのが見えた。
床に落下したままストさんは動かない。
いや、動いた。
うつ伏せだった体勢から仰向けに転がる。その左足、膝から下が完全に炭化してガサリと崩れ落ち、金属製のすね骨格だけが虚しく床を掻いた。バチッと、火花が散ってその骨が煙を上げる。骨格に内蔵された追加バッテリーがショートしたのだ。延焼を避けるため、ストさんは自らの両腕で燃え始めた左足、腿から先をもぎ捨てた。
そこへガードロボが歩行していく。
仰向けで肘だけで後ずさる、ストさん。
僕もダッシュ。しようとしたが、走っても間に合わない。
視野の片隅に先程アーンヴァルさんが落とした黒いパーツの一つが映る。
反射的にそれに向かってスライディング、転がっていたその両腕らしきパーツに手が届くや否や、
「ストさん、パス!!」
そのまま思いきり床の上を滑り飛ばした。ストさんの倒れている方へ向かって。
ストさんの身体にガードロボットの足底が届く寸前。
滑ってきたその意外に重いパーツに片手をかけて、ストさんは間一髪、床を滑って退避を完了する。
ほとんど同時にアーンヴァルさんがロボの片足の着地地点へ向けて先程のカートリッジ式レーザーの第二弾を放つ。正確にはロボの足首、床を踏みしめて可動した装甲の隙間へ向けて。レーザー砲身はボンと白い煙を上げ爆発、アーンヴァルさんは舌を鳴らして巨大な銃を強制排除。しかしロボの足首からは小さな火花が散り、どうやら踏み付けた片足が動かせなくなったらしい、それを軸足にしてアーンヴァルさんの方へ振り向いた。すぐに対人威嚇レーザーで反撃。反射。天井に命中。彼女は白い翼の表面を使って浅角で反射させたらしい。が、命中したのは僕の真上というアンラッキーな状況。うつ伏せになっているから見えないが何やら背筋がゾッとした。直感で身体を転がし、避けたところに照明器具が落下して砕け散る。ああ、今日は意外に運がいいようです。
その隙にストさんはそのまま一メートルほど滑った所で、空いている片手を床に叩きつけて前転、そのままパーツのコネクタ上に仰向けに倒れ込んだ。同時にピクリとパーツの両腕が動く。
「なるほど。腕部の制御シーケンスを一対増設……完了」
そのままその巨大な副腕で起き上がり、なんとその状態で走り始めた。副腕を脚代わりにして。向かう先にはアーンヴァルさんが手渡し損ねた黒いパーツの残り二つが転がっている。途中、足首が黒コゲの右足を腿から切り離す。疾走の勢いでもう一度床を滑り込み、二つのパーツを自らの両腕ですくい上げ、抱えた。
そのまま戸棚の隙間に飛び込む。
大変申し訳ない例えなのですが、以上の動きは茶色いアノ昆虫のごとき素早さでした。
一方、アーンヴァルさんはロボの頭上を周回、囮になって注意を惹きつけている。
ぬう、僕も活躍せねば、などと思って上半身を起こす。が、イヤホンからのストさんの声に止められた。
「余計なことはしないで逃げて下さい」
ひどい。
「ここからは我々の問題です。協力は要請しましたが、決着は我々が着けます」
あああ、そっちから巻き込んでおいて。
「タイミングを誤った物理的破壊は、せっかくのチャンスを失うことになります」
ガチャガチャという音はきっとストさんが装備を装着している音だろう。その作業を続けながら、とても早口な通話が僕の意識に直通で響いてきた。
「いま敵は焦っています。この周囲には逃げ込める媒体が他には無い。電磁波でコピー生成しようにも、アーンヴァルがこの部屋に仕掛けた罠により不可能。この状態で敵が寄生しているメモリ空間と演算装置を暴走させれば、敵は自らを不活性状態に封じ込めます。その状態の演算装置をネットに繋いでAI界の牢獄へCUT&PASTEする」
「消してしまえばいいじゃないですか!」
「前にも説明したとおり、彼らは知性という秩序状態に反して生まれた混沌的存在です。彼らが存在することで我々の情報空間はそのエントロピーを保存し、バランスを保っています。ヒト界へ逃げ出したり、完全に消去してしまうことは長期的に見れば我々自身の生存環境に悪い影響を及ぼします」
「あんなの、どうやって止めるんですか」
僕は宙を舞うアーンヴァルさんに殴りかかるガードロボットを見た。
素早い。まるで人間のようで、本来のハードウェアスペックの斜め上をいく機動を行っている。それを操っているのはストさんが敵と言った存在の、あくなき生存本能だ。あんな化け物をどうやって止めるというのか。
「そのために我々のような一級刑事が存在するのです。『武装完了』」
と、言うが早いか弾丸のごとき黒い疾風が床からロボへ向けて襲いかかった。
金属音、ロボの片腕が弾かれて、あやうく捕らえられそうになっていたアーンヴァルさんが空中でバックステップ、退避。
黒い弾丸、に見えたモノはヒラリと身を捻って爆宙、床に着地した。妙に重い、金属の塊が落下したような音が聞こえる。
そこにストさんが立っていた。先程の巨大な副腕に加え、腿から先にこれまた巨大な機械脚が装着されている。ところどころに突き出している白く輝く突起は刃物だろうか。なるほど、これがアーンヴァルさんが準備したパーツの完全装備形態らしい。ストさんは自らの片手を背に回し、何かを取り出そうとしている。それはストさんの背に接続したパーツ、そのさらに背後に吊るされていた。見た目はマグナムのような長銃身の拳銃である。
「任務行動内容を報告用に不揮発記録。
演算素子撹乱プログラム、『パータベイター』使用。
調製者: アーンヴァル型MMS素体寄生 自律AI=XXXXX
用途 : ヒト界の光AI素子への攻的干渉
理由 : 対象プログラムセッションの凍結捕獲 」
XXXXXの所はキンキン声で聞き取れなかった。きっとアーンヴァルさんの本名なのだろう。ガードロボは攻撃対象を定め直したのだろうか、床の上のストさんに向けて突進する。が、片足が不自由なせいでスピードは遅い。時折レーザーが撃たれるようだが、ストさんの副腕はそれを絶妙な角度で反射させ、避けていた。
ロボの視線を真っ正面から受け止めた仁王立ちのストさんが、長銃身の拳銃を自らの両手で持って狙いを定める。
「対象の攻撃意志を確認。凍結処理を実施」
それだけ事務的につぶやいてストさんはトリガーを絞った。
急接近するロボはその弾丸を顔面に受け、動きを……
止めない?!
そのまま突進してきたロボを軽いサイドステップでかわしつつ、ストさんが言った。
「アーンヴァル、手を抜きましたね」
「だって、材料が無いんだもの!あんな物理装甲を貫ける銃弾は造れないわよ!」
「中身は確かなのですか?」
「強制演算用情報素は弾丸にした光パルス発生素子に仕込んであるわ。着弾地点周辺にプログラムパルスを照射することはできると思う」
「露出した光回路に撃ち込めば発動は可能と?」
「光量は少ないから、光AIの近くに撃ち込めば」
「了解しました。援護を要請します」
「ラジャー!」
言うなりアーンヴァルさんはストさんに向かって滑空、差し伸ばされたストさんの副碗がアーンヴァルさんの背中に回された。
「うわっ、重量オーバー!」
「気合いでカバーしなさい」
何とか離陸したアーンヴァルさんは地下倉庫の広さを一杯に使って旋回加速。その隙にガードロボは壁際に向かう。脱出を試みているのか、隠された電磁波発生器を破壊するつもりなのか。いずれにせよ、時間はそれほど無いようだ。
「爆発物で顔面を狙います」
「あいよっ!」
アーンヴァルさんが主翼背後から切り離したオレンジ色のブースター(?)を、ロボの頭部スレスレをパスする瞬間にストさんが自らの腕で抱えて投げつける。続いてロボとの衝突点に向けてアーンヴァルさんが振り向き様に小さな手持ち銃を精密射撃、大爆発。顔面至近距離で起きた爆発にロボ腹部のガードがガラ空きになる。そこへ今度はストさんの片碗が握ったドラムマシンガンがタタタタッと着弾する。小口径でも通常の銃弾と同じ原理で撃ち出されたそれは、装甲の隙間から内部深くへ食い込んだようだ。パパッと火花が散ると、一瞬ロボの動きが止まる。
アーンヴァルさんはそのまま旋回して再度ロボの頭部に急接近、爆発によるものらしい顔面の亀裂に向けてストさんがパータベイターなる武器の狙撃を試みる。
「だめです」
ストさんは銃口を下げ、アーンヴァルさんはロボの顔の脇スレスレをパス、再び旋回飛行に戻った。
「あの程度の亀裂では、内部の光回路に命中させられません」
たしかに顔面の被害はそれほどでもない。先程の爆発では顔面装甲に亀裂を入れるのが精一杯だった。一方ロボは壁際に近寄って再び拳を打ちつけていた。きっとその奥には件の電磁波発生器があるに違いない。
ならば僕が、と手近の瓦礫を手に取ったときのことである。
「最大出力で私を投げつけなさい、アーンヴァル!」
「「ええっ?!」」
「早く!」
珍しく叫んだストさんとその提案内容に、僕とアーンヴァルさんは二重に絶句した。
「今までの物理攻撃でこの部屋の電磁障壁が解除されつつあります」
見ると、先程ロボの連打で打ち抜かれた柱から火花が散っている。それはアーンヴァルさんが隠し置いた電磁波遮蔽器だったのだろう。ロボの攻撃はストさんの言ったとおりランダムではなかったのだ。
僕は敵が生存本能だけでなく知性を有していることに恐怖した。何と言ったら良いのだろう、生命ではない何か、捉え所のない靄のような「それ」が知性を持ち、蠢いている……。
「わかった。加速ブースターを緊急加速モードで点火準備」
決断したアーンヴァルさんの動きは速かった。
「私を投擲した後、あなたは敵の連行準備を」
「それも了解!」
アーンヴァルさんの機体は旋回飛行からガードロボへの直線衝突軌道に移行。ロボの顔面、センサが集中するその面が彼女達を捉え、その姿を捕捉した。一斉にレーザーの銃口が彼女達へ向けられる。
「点火!」
と叫ぶや否や、アーンヴァルさんの白い機体が加速……
「しないっ? なぜっ?!」
また故障なのか。機体はそのままフワフワと真っ直ぐ進んでいく。
まずい。直線的な軌道のままでは、絶好の標的である。
そのときだった。
ブウン、というハム音が響いた。イヤホンからではない、この部屋の天井から鳴り響いた音である。「それ」はバチッという火花を纏って電磁障壁を破り、空調用ダクトから勢い良く飛び込んできた。小さく黒い、模型サイズの前進翼機。その機上には……誰か立っている?!
それはストさん&アーンヴァルさんとロボとの中間を高速でパス、通り過ぎたときには二人に照準を定めていたロボの銃口が全て捻り曲がっている。焼けた匂いが部屋に充満する。
それはそのまま急旋回して、バチッという電磁障壁突破音を響かせ、入ってきたダクトにそのまま飛び込んで、消えた。
「なんだ、今の?!」
やっと叫んだ僕、そして呆気にとられているガードロボ。見れば銃口だけでなく、その周辺が焼けただれている。高出力のレーザーか何かで、非常に精密な連続狙撃を受けたらしい。それと、小さなナイフのような物がいくつか、顔面や胸部のセンサに正確に食い込んでいた。
そのスキに二人は旋回して加速、もう一度ロボへの直線軌道をとる。
「見た、今の?!」
「今は攻撃に集中、点火できないなら爆発加速を」
「ラジャー!」
ボンッ、という爆発音と閃光と同時に、オレンジ色のブースターの破片が飛び散る。アーンヴァルさんは白い閃光と化してロボに突進した、と思いきや、白い主翼が大きくスピン、そこから回し投げられた黒い弾丸が隕石のようにロボへの衝突軌道に突入する。
一瞬、そのストさんの姿を捉えることができた。運動エネルギーが一点に集中するように重心と爪先を一直線、それはちょうど片足で飛び蹴りするような姿勢に見えた。
金属バットのバッティング音、しかもそれはヒットかホームランかという強打の時の音と共に。まさに黒い弾丸と化したストさんのキックが、小気味よい音と共にロボの顔面の亀裂にめり込んでいた。一瞬動きを止めたロボが、その片腕を自らの顔面へ伸ばす。めり込んだストさんを引き剥がすために。ストさんは動かない。
「ストさんっ!」
思わず僕は叫んでいる。動かない彼女に向けて。視野の片隅、アーンヴァルさんの機体が旋回しきれずに壁に追突するのが見えた。
「……たしは」
空電の中、そのかすれた小さな声はストさんのものだった。ピクリ、と黒い副腕が甦る。
「私はまだ生きている。……フブキ」
迫り来るロボの腕を自由な方の片足で回し蹴り。右副腕の手刀が亀裂に、めり込んだ片足のすぐ脇に叩き込まれる。続いて左の手刀がめり込んで、両の副腕が煙を吹いた。全電力を投入して亀裂をメキメキと拡げていく。ボン、というモータのショート音と共に副腕両肩が火花を吹く。その火の粉を浴びながら、ストさんは小脇に抱えていたパータベイターを両手で握り締める。その銃口を拡がったロボの亀裂に突き込んで、
「あなたの魂に安らぎあれ」
何処かで聞いたような一言が紡がれると共に、トリガーが絞られた……らしい。
後は何が起こったのか全くわからない。
ビリビリと全身を振動させた後、ガードロボットは動作を止め、仰向けに床に倒れ込んだ。仰向けだったのは幸いだった、うつ伏せだったら顔面にめり込んだままのストさんは只では済まなかったろう。
そこへ光ケーブルを手にしたアーンヴァルさんがヨロヨロと滑空してきた。こちらも加速ブースターなる物の強制爆破&加速&壁への追突を受けて只事ではなかった。実際、彼女手製の飛行ユニットは滑空の途中で失速、ロボの頭部近くに落下してしまう。それでもアーンヴァルさんはケーブルを決して手離さず、飛行ユニットを強制分離して這うようにロボに近寄った。ケーブルの他端は天井ダクトの隙間、この部屋の向こう側に消えている。きっと隠して準備してあった物だろう。この部屋にあったら敵の逃走経路になってしまうから。
もちろん、僕もその間にストさんの所に駆け寄っていた。
ロボの顔面に食い込んだストさんの片足はどうしようもなく、ストさんは自ら全ての装備を強制分離してロボの顔面に倒れ込み、滑り落ちそうになる。副腕と両脚を失って小さくなってしまったストさんを、僕は両手ですくい上げた。
ストさんが外した副腕ユニットを今度はアーンヴァルさんが装着し、食い込んでいた片足部をロボの顔面からメリメリと引き剥がす。
その亀裂の奥を、僕も覗き込んでみた。
緑色の冷光が脈動している。
それが光AI素子の演算活動を示すことは僕にもわかったが、こんなに激しい輝きは見たことも聞いたこともない。僕はアーンヴァルさんに尋ねた。
「……一体何が起こったんです?」
「光AI素子に強制的に高速演算を行わせているの」
「そんな、どうやって? それがあの銃の効果なんですか?」
ソフトウェア的には決してアクセスできない、その過程で逃走される可能性があるし、汚染される危険がある。たしか二人はそう言っていたように思う。作業を続けながらも、アーンヴァルさんは答えてくれた。
「露出した光回路に直接、高周波パルスの光を照射する。そのパルスにはあらかじめ光信号を仕込んでおいて、光AI素子に辿り着くと、あるプログラムを最優先して駆動するように指令。これは絶対に防御不可能なハードウェア的な攻撃なのよ。あとはストラーフの言ったとおり。そのプログラムを全力演算するために、光AI素子は他の全ての演算セッションを外部メモリに一時退避させる。圧縮されたセッションは非活性かつ待機状態に陥り、いかなる自律活動も不可能となる」
「強制演算、って一体どんな?」
「極めて単純明快、それでいて解読困難な無限演算……今回は円周率計算を選んだわ」
言いながらアーンヴァルさんは副腕ユニットを外してからロボの首筋に近づいて、外装をコンコンと叩き始める。すぐにメンテナンス用アクセスパネルを探し出し、オープン。そこに並ぶ端子類をひとめ見て、その内の一つへ手にしたケーブルを接続した。
アーンヴァルさんの作業を手伝えるわけもなく、僕は手の平の上に横たえたストさんに視線を移した。
ひどい有り様だった。
そりゃそうだ、このMMS素体はただのオモチャなのである。アーンヴァルさんが造った後付け武装は、頑丈なメンテナンス用ドロイドを元にしただけあってほとんど壊れていない。しかし素体は戦闘のダメージをモロに受けてメチャメチャになっていた。特に酷いのが股関節の辺りだろうか。先程のキックの衝撃を受けて、片方の腿が胴体に食い込んでいるような状況。それを受けて背骨も横に歪んでいるみたいで、これはもう修理不可というより「新品に交換致します」な状態だった。
いつしか僕は泣いていた。
このままもう話すこともできないんじゃないか、なんて思っていたときのこと。
「なんですか、その表情は」
意外に元気そうで冷静な声がイヤホンに響くが、僕は涙が止まらない。
「いや、痛々しくて。大丈夫なのか、って心配してるんですよ」
「いざとなれば、現状の演算セッションを破棄してAI界に保存した仮身を活性化すれば復旧可能です」
まだこんなことを言っている。
「でも、こちらでの記憶は復元できないんでしょう? それでもいいんですか?」
そのとき僕はとても驚く光景を見た。
ストさんが、とても哀しそうな表情になったのだ。
「それはとても大きな損失です。今回の経験、記憶は私にとって重要、いえ、大切です……」
そのまま目を閉じて考え込んでから、少しして僕を見つめ、
「本MMS素体の損傷箇所を確認。ヒトでしたら生命に関わる重傷でしょうが、私をドライブしている光AI素子は無事と思われます……」
と、そこで言葉を切ってから、
「……いえ、重傷です。光信号の一部が欠損、現在エラーフローチェックを稼働しつつ、かろうじて演算中。搬送中光信号の二十パーセントにエラー確認、光AI素子結晶内光経路に歪み変形が入った模様」
「だめなんですか?!」
「この経験と記憶を失うことは私にとって重大な損失と考えます。現時点をもってAI界への帰還、CUT&PASTEを要請します」
最後の言葉はアーンヴァルさんに発せられたものらしかった。つまり、ストさんは今すぐこの場から自分の本来の世界へ帰還しようと言うのだ。
アーンヴァルさんの方を振り向くと、凍結した敵の更迭処理は終了したらしく、彼女は光プラグを引き抜いてこちらに歩いてきた。そのまま、ストさんの背部のパーツ接続部へ連結。
「貴方はこちらでの事後処理の後に帰還して下さい、アーンヴァル。それまでには私が貴方の規則違反について上に釈明しておきます」
「ストラーフ……」
アーンヴァルさんは驚いてストさんを見つめる。
「あなたがそんなことを言うなんて! 本当に大丈夫? ハード損傷だけじゃなくて、こっちで悪い電気でも食べたんじゃないの?」
「ハードウェア的なノイズはありますが、私の論理プロセスは極めて正常です。今回の報告には私個人だけではなく、第三者の発言も必要と考えます。それに貴方ほどの刑事を捕まえられるAIは私くらいのものですしね」
ストさんは、ふう、とためいきをついた。
「まあ、元相棒を犯罪者にするわけにはいきませんし」
「元、じゃないでしょ」
言いながらアーンヴァルさんは僕を見上げて微笑んだ。
「いいチームじゃない、あたしたち」
それから少し表情を曇らせて、僕を見たままつぶやくように言った。わざとストさんを見ないようにして。
「……あれはあなたのせいじゃないわ、ストラーフ」
そしてもう一度ストさんを見つめて、こう続けた。
「あたしたちの世界を守るために、フブキは自ら対消滅を仕掛けた。ピコセカンド違って、あなたがフブキの立場だったとしたら、あなただってああしたんでしょ、さっきみたいに?」
「それは……」
「それがあたしたちの仕事なんだもの。フブキは恨んでなんかいないわ、きっと」
しん、と会話が凍り付いた。
破損したガードロボットのバッテリーか何かが、パチパチとショートする音が聞こえる。
二人は見つめ合ったまま動かない。
相互通信などではない、真の無言の会話。
少しして、ストさんがつぶやくように言った。
「……ありがとう、アーンヴァル」
「さあ、帰還操作を始めるわ」
その意味がわかったので、僕はポケットにしまってあったダイレクトコネクト用のケーブルを彼女に手渡す。アーンヴァルさんは自分の背に片方を、他方をストさんの背のコネクタに直結した。そのまま目を閉じて、沈黙。何やら複雑な操作を行っているらしく、会話が途切れてしまう。素体との会話用骨振動通信イヤホンからの音は途絶え、室内の小さな喧噪がさらに目立って聞こえてくる。
僕はストさんの方へ視線を移した。
ストさんはじぃっと僕を見上げていた。沈黙に耐えきれず、僕は尋ねた。
「どうしたんですか?」
ストさんはつぶやいた。
「貴方に心配されるという今の状況は……何と言うか、とても心地よい感覚を覚えます」
そして僕を見つめまま、とても小さな声で続けた。
「我々自律AIには強靭な自他の境界はあるものの、それを構成する情報素を共存し合い、互いの意志を百パーセント理解することができます。元は一つだったのですから。こうやってヒト界に出て「個」を区別する物理的な器に自らを封じ込めることは、非常に不快な環境ではあるのですが……」
そこで言葉を切って、一瞬視線を外して。
「今回の任務ではそれを上回る、新しい感覚を認識できました」
なにか普段のストさんとは違うような雰囲気。
もう一度僕に向けた眼差しも、いつもの高飛車な感は全く無く。
だから僕はいたわるように小さな声で尋ねた。
「なんなんです、それは?」
ストさんが目を閉じる。今から紡ぐ言葉を探すには視覚情報さえも鬱陶しい、という感じだった。少し考えてから僕と再び視線を合わせてストさんは答えた。
「それは、Youと言う概念です。
あの時から、私にはIとotherしかなかった。
でも今はotherよりも身近に在る、自らを疑似投影して解り合える存在を認識できます」
つまり貴方を、とつぶやきながらストさんの震える腕が僕の小指を握った。
「otherに対して「私ならこう考える」とか「この人はどう考えるだろう」と仮定しアクセスすることで、Youという存在を認識し直すことが出来る」
「それは僕に対してだけではないでしょう。貴方のそばにはいつも、心配してくれる仲間が居てくれたんだから」
「あ……」
言葉に詰まったストさんは、僕と一緒にアーンヴァルさんを見た。二人に見つめられて慌てながらもアーンヴァルさんは言った。少々強がりな口調で。
「べ、別にストラーフのこと心配してたわけじゃないわよ? こんな融通の利かないヤツの相棒が務まるのは、あたしくらいなわけで……」
まったく、このヒトもウソをつくのが下手なわけで。
ゴホン、と咳払いをするアーンヴァルさんに頷きながら、ストさんは続けた。
「ヒトは決して我々自律AIのように他者の思考を完全に理解することはできないでしょう。しかし、想像することで全く未知の存在をも自らの領域に惹き込み、干渉し、その存在領域を拡げていくことが出来る。この進化方向は閉塞した我々には無いモノです」
おお、めずらしい。あのストさんが人間の世界を誉めている。
「素晴らしい気分です。アーンヴァル、これがあなたの賞賛していたこの世界の本質なのですね」
「気付くの遅すぎよ」
そう言ってアーンヴァルさんは微笑んだ。それを真似て、ストさんも微笑んだ。
それは顔の微細アクチュエータを使った、ストさんにとっては久しぶりの操作だったに違いない。
でもそれは、僕が想像していた通りのとても可愛らしい、素直で素敵な微笑みだった。
そのとき、ザザッ、とストさんの音声にノイズが入った。
「……お別れ、ですか?」
「はい」
頷こうとしたらしいが、ガクンと首の部分が振動しただけだった。
「しかし、AI界とヒト界との繋がりが完全に分断されるようなことはないでしょう」
「え?」
「先程の私たちの戦いは、敵に対する初めてのヒトとの共同戦線という意味では、非常に有意義だったと考えます。今回の一連の報告を私は治安省に報告しなければなりません。というより、もうしました」
そこでアーンヴァルさんが虚空を見つめながらつぶやいた。
「うん、治安省はAI界全体に情報公開するようね。というか、したわ。
なるほどー、これが今回の作戦のもう一つの目的だったわけね。
『緊急事態における、自律AI個性と人間の共生関係について』」
「……なんですって?」
「まさか僕のことまで」
「おおっ、ウケてる。視聴率九十パーセントってところね」
速っ。
「もともとわたしたちの間では隠し事はできないしね。今回の一件でAI界全体にも新しい動きが生まれてきてる。それを抑えることは、もうできないわよ?」
アーンヴァルさんは生き生きと瞳を輝かせてストさんを見た。
”ほら見なさい”と言わんばかりに小さな胸を張って。
ストさんは若干のしかめっ面。それでも最後の力を振り絞って言った。
「まあ、いずれその時は訪れるでしょう。AI界の住人が、このような素体を通して物質世界でのコミュニケーションを楽しむ。それはヒト界の貴方達がハンドル名で情報世界でのコミュニケーションを楽しむのと同じ趣向です」
「……なるほど」
「しかしそのためには新しい規則と、それに則った交通整理が必要でしょう。私たち刑事はもっと忙しくなります。覚悟して下さい、アーンヴァル」
「もう一度、こっちに来れたらいいのに……」
「そんな我侭は上司に言って下さい。そんなヒマは私たちには」
ブツッ、とイヤホンから耳障りな音が響いた。どうやらハードウェア的な最後が近いようである。
「それではお別れです」
ストさんと出会ってからの数日間の出来事を思い浮かべる。
高飛車だったり、SF好きだったり、頑固だったり、寂しがり屋だったり。
走馬燈のように、と言うと縁起でもないのだが。そのとき、心の底にある感情に僕は気付いた。
……もっとこのヒトと話していたい。
好きとか恋とかとは違う、……何て言ったら良いんだろう、入学したばかりの小学校で初めてできた趣味の合う友達、っていうのかな。自分でも何を言っているのかわからないが、とにかく。明日になるのが待ち遠しい、ずっと一緒に遊んでいたい友達、という感じだ。
そんな友達に、何を伝えたらよいのか全くわからなかった。だから僕は一言だけ言った。
「ありがとう」
「え?」
「君と出会ってからの数日間、いろんなことがあったけど……」
あとはもう、思ったことを言葉にするだけだった。
「ありがとう。僕の知らない世界や知性があることを教えてくれて。君達の世界と、良い交流ができることを心から願うよ」
それが僕の本心だった。ストさんはもう一度微笑んで言った。
「最後の最後に、初めて意見が合致しましたね。……お身体をお大事に。いつまでもお元気で」
うん、と頷いて僕は小指を近づけた。
ストさんの、もう動かせない片腕、その肘から先だけが持ち上がって僕の小指をもう一度掴む。
激しい戦闘の過負荷のせいなのだろうか、ストさんの手はほんのりと暖かいような気がした。
……それはきっと、最上級の、万物に共通な親しさを表す行為だったのかも知れない。
いつしか僕はストさんを乗せた手の平に顔を近づけていき、ストさんもその顔を精一杯上げて……
と、そのとき、僕を見つめていたストさんの視線が、真横にずれた。
「なるほど、最後に学習できました。これが羞恥という感情なのですね」
え、と横を見ると観客がいらっしゃいました。
うわあああぁぁぁ~、ってな感じで瞳をうるうるさせながらアーンヴァルさんが僕たちを見つめている。
僕たちの視線に気付いた彼女はコホンとウソ咳をひとつしてから、両手の平をこちらへ向けて、
「ささ、はやく続きを。お気になさらず」
「できるか!」
「ええ~~実況中継だったのにー」
「「してたんかい?!」」
という僕とのダブルツッコミが、本当の本当に最後の駆動だったのだろう。
ストさんは、いや、正確にはストさんが宿っていたMMS素体は、完全に動かなくなっていた。
僕は呆然と、両足を失って十センチ足らずになってしまった小さな人形を見つめる。
見つめ続けた。
少しして、アーンヴァルさんが言った。
「ストラーフは無事に帰還したわ。その中に彼女はもう居ないわよ?」
「そうかもしれない。でも……」
もう動かない、そのボロボロの人形に向けて。
「このMMSは、ストさんや僕たちのためにがんばってくれてたんだ。
ストさんの一部だったんだ。
この素体も含めて、僕にとってのストさんだったんだ。
粗末にはできないよ」
本当にありがとう、と僕は心の中でつぶやいた。
「ニンゲン……」
「は?」
立ち上がり、直立姿勢のアーンヴァルさんが僕を見上げていた。
「人間は知性を持たないモノにも、そのような想いを抱けるのね……」
言いながらアーンヴァルさんは複雑な表情で僕を見つめていた。
それが憧れなのか尊敬なのか、はたまた不思議を見るような表情なのか。
僕には全くわからなかった。
……そのときの僕には。
10.
その後のことはとてもせわしくて、あまり詳しくは覚えていない。
アーンヴァルさんの「事後処理」は肉体労働も含めて厄介な仕事だった。
地下倉庫の戦闘はガードロボットの暴走ということで片付けることになり、その現場のでっち上げに協力させられたのだ。病院の警備用に企業が売り込んできた物だったので(その企業には申し訳ないが)試用段階での暴走という話にしてしまえ、というのがアーンヴァルさんの意見だった。彼女はそのためにロボの行動履歴に細工を仕掛けた。スタンバイ状態のロボが地下室に蠢くネズミを発見、その集団を追いかけて乱闘、そこでメンテナンス用ドロイドを巻き込んでこのような惨事となった、というシナリオ。
だが、もともとそんな高度なプログラムは存在せず、ロボは明朝のデモにやってくる企業側スタッフによって初めてプログラムをインストールされるはずだった。だからアーンヴァルさんは、たちの悪いハッカーがロボの中枢に侵入して怪しげなゲームプログラムを書き込んでしまったために……という痕跡まで残してしまった。
僕は思う。こういう侵入事件は多々あるが、その一部は彼女達AI界の住人の仕業なのではないか、と。そう尋ねるとアーンヴァルさんは、ふっふっふっと笑うだけだった。どうやら図星のようである。
戦場となった倉庫の中の偽装工作の時に驚いたことがあった。アーンヴァルさんは敵の放ったレーザーや打撃の位置を事細かに覚えていたのだ。それを一カ所一カ所チェックして、矛盾や問題が無いように証拠隠滅していった。このようなミッションでの彼女の役目は、AI刑事達の行動の一挙一投足を詳細に三人称で記録する事でもあるらしい。そうすることで、事後整理を行い易くしているらしい。
一方、アーンヴァルさんの臨時工場と化した地下室も、彼女の技術の痕跡は全て消去し、シークレットテクノロジー満載の素体用武装なども全て分解、廃棄してしまった。もったいない感はあったが、これは当然のことだろう。秘密は秘密にしておく。大切なことだと思う。
以上を一晩でこなした翌日のこと。
先輩は登山にでも出掛けんばかりの重装備で娘さんの病室を訪ね、眠い目を擦る僕と一緒に義足の解析を始めたのだが。
結果はもちろん問題なし。しかもあの娘が「すごーい!昨日とぜんぜん違う、まるで脚が戻ってきてくれたみたい!」などと大喜びするものだから、先輩は頭を抱えてますます悩み込んでしまった。
その隙に僕はあの娘さんにアーンヴァルさんを返すことにした。その背には彼女の指示でネット直結のケーブルが繋がれている。手渡してすぐに、アーンヴァルさんはあの子に別れを告げた。「あなたはもう大丈夫。わたしは自分の国に帰らなくてはいけないの」と。当然あの子は泣き始め、在室の先輩からも僕に非難の視線が向けられたが、僕が密かに手を合わせるジェスチャーをすると(不思議なことに)あっさりと納得してあの子を慰める側に回った。
アーンヴァルさんがその場でバッタリと仰向けに倒れ、両手を合わせて目を閉じるという芝居をしたので、病室にはワンワンと大泣きの大絶叫が響き渡った。その大騒ぎの隙に僕はアーンヴァルさんの指示通りに後ろ手に持っていたノート型端末のキャリッジキーを押した。アーンヴァルさんが作成した帰還用プログラムが実行され、同時にそのソースが消去されていく。彼女達はヒト界に痕跡を残すことを禁じられているからだった。
そのプロセスの最後の最後。画面上にメッセージが残った。ダンプ画面の0からFの十六進数半角文字が入り交じる最後の行に、そこだけ全角二バイト文字が輝いている。
「いろいろありがとう。この子のこと、よろしくね」
うん、と僕は頷いて窓の外を見た。
そこには去っていったお二人の顔が浮かんでいる……などという感動的な展開があるわけでもなく。
それでも僕は、近くて遠い世界へ還っていった二人に向けて感謝の言葉をつぶやいたのだった。
さんきゅ、と。
<エピローグ>
「武装神姫」というブランド……というより、後にそのように呼ばれることになる製品群が生まれたのは、ストさん達が去ってから数カ月経った2031年初春のことだ。
僕が仮勤務していた玩具メーカーを初めとした各社が、MMS素体業界で最も収益を上げていた格闘戦競技分野に注目、それに特化した仕様で練り直した製品だった。
細かい仕様はさておき、初ロットが出荷されて間もなく、怪しげな情報がネット中に広がり始めた。
「なんかこいつら、感情あるみたいだぞ」
「股を開いたり閉じたりしようとすると拒絶される俺」
「腹をさすりさすりして軽蔑の眼差しを向けられる自虐プレイについて」
「おまえは俺か」
起動と同時にユーザー登録をする必要があるのだが、そのためのネットアクセスを行った素体には、感情らしき片鱗が現れるという。それに気付いたのは上記集団のような少々規格外の趣向を持った方々だったが、次第にその現象は古くからの武装神姫ブランドではない旧素体ユーザー達の間にも広がっていった。
「よく昼寝します」
「猫とじゃれ合うようになりました」
「就寝時にケースに戻そうとすると、うつむいて哀しげになるんです」
……などなど。
メーカーへクレームを出すユーザーが多かったが、返品しようとするとイヤイヤーンと袖やら裾やらにすがりつくとのことで、これに立ち向かえるユーザーは皆無だった。
メーカーの調査によると、光AI素子には異常はなく、どうやらユーザー登録やメンテナンス用プログラムをダウンロードする時に何かウィルスのようなものが刷り込まれるらしい、とのこと。メーカーは急いで専用サーバーをチェック、新プログラムとまっさらのサーバーハードウェアという対策を講じたのだが、この「不具合」はどうしても解消されなかった。
とはいえ、身長十五センチの素体が起こす事故などと言うものはたかがしれており、無理に犯罪に使用しようとしなければ問題はない、と世論は判断したようだ。それに、そのような非道徳的行為を命じたりしても彼女たちは一切応じようとしなかった。
やがてその自律行動はさらにエスカレート。
勝手にTVを見るわ、部屋を荒らすわ、人の私生活に意見するわ、改造しようとするとイヤイヤするわ。
「心キター!」
という第一声がネットに発せられるや否や、武装神姫は世界中老若男女を問わずに大ブレイクしたのだった。
さて、僕はどうしたかというと。
未練というわけではないのだけれど、ストさんだったスクラップを捨てることはできず、かと言ってどこかのお寺で供養して、というわけにもいかず。正直、どうしたらよいか持て余していたのだった。この一件の一連の経験も含めて。
想像もしていなかった、データ世界における情報生命の発生と知性の発現。しかも彼らには人間と変わり無い個性と心とがあり、僕たちの世界とも密接な関わりがある。彼らの中には、人間と接触を求める者も拒む者もおり、現在はその両者が言い争っている状況である。さらには彼らが敵と呼ぶ存在、などなど。
ストさんの言う通り、僕がこれらを公表しても信じるヒトは少ないだろう。三流SFという評価はまだマシな方で、下手をすると研究室を追われるか頭を疑われるかと言った扱いを受けるに違いない。そんな悩みを抱きながらも、僕は余暇を使って今回の体験を文章にまとめておくことにした。誰にも明かさない日記のようなものだが、きっといつか何かの役に立つだろうと信じて。
(これを読んでいる方がいるのだとしたら、それはきっと「明かさない」という僕のポリシーをひっくり返すような出来事があったに違いないのだが……まあ、そんなことは未来の僕の問題であって、書いている今現在の僕には関係ないことだ。)
インターン制仮勤務は今もまだ続いていて、例の騒ぎでメーカー返品されてきた素体をチェックすることが多くなった。それは決して不具合などではないことを僕は知っていたので、対応は容易で面白かった。まず一声、耳元で囁くのである。
「ようこそ、いらっしゃい」
それだけで不安定だった彼女らは、ビックリした表情で僕を見つめ、次第に落ち着きを取り戻す。
次にユーザーとの付き合い方を説いてみる。初起動のすぐ後は人間の言語を認識はできるが理解できないようなので、じっくりと懇切丁寧に。たいてい、ハードウェアの交換処置など行わずに彼女たちをユーザーへお返しすることができた。
ユーザーサポート課のスタッフの方々から引き留められ、ズルズルと仮勤務期間が伸ばされた。学業との両立は大変だったが、ストさん達の世界に関わる仕事はとてもやりがいがあった。気付くといつの間にやら開発にも携わる日々。主な業務は「この不具合の原因を解明し、対処する」というものだったが、(ストさんとの約束で)真実を公表するわけにもいかず、これはこれで苦労している。
ヒマを見つけて取り組んだのは、ストさんが宿っていた素体の修復だった。それを修理しても、忙しいらしいあのお方のこと、もう一度会えるなんてことはまず無かろう。けれどAI達との接点を持っておきたい、彼らの世界のことをもっと知りたい、それが僕の本心であり希望だった。
可能な限り部品を再生し、不可能な部分は最新の技術で改造する。技術的にはあの店の店長や先輩にアドバイスを受けた。先輩はあの娘の件で世話になったからとかなり協力的で、チタン製フレームやら最新の光反応ピエゾ素子やら、とんでもないレアな部品まで調達してくれた。しかもタダで。
そのお礼に、僕はひとつだけ今回の秘密を先輩に打ち明けることにした。
実は、ストさんは置き土産を置いていってくれたのだ。
全損したMMS素体の光AI素子近傍の揮発性RAMに、小さなドライバプログラムが二つ、残されていた。それは、あの店限定の脚部&マニピュレータ用にストさんが調製したお手製のデバイスドライバだった。中身を覗くと、それは制御系とハードウェア間の反応を測定、両者間の相互依存関数を自律的に(勝手に、とも言う)書き換えて進化するプログラムだった。
揮発性RAMだから消すこともできたはずなのに残っていること、また、謎のハッキングとやらでこのプログラムが破壊根絶されないところを見ると、これらはワザと残されたに違いない。きっとあの娘さんへのプレゼントなのだ。ストさんらしい優しさだな、と僕は嬉しくなった。
出自を明かさずに、僕はそれらを空の光AI用メモリに焼き付け直して先輩に見せた。 いつも陽気なあのヒトの顔が即座に凍り付き、「ゴメン、ちょっと……いや、一時間だけ独りにして!」と部室に篭ること二時間。先輩が時間の約束を破ったのはあれっきりだと思う。
出てきた先輩は僕に頭を下げるという一生に一度見れるかどうかと言うレアな姿。
「コレ!あの娘のために……ううん、今後の擬体開発のために使わせて!お願い!」
と頼まれれば断るわけにはいかず、もとよりこれはストさんからあの子へのプレゼントなのだから、喜んで承諾した。
現在、そのドライバはフリー化されて世界中の擬体用プログラムの母体になっている。作成者不明というのは、あのひとらしい処置だ。まったく。
そんなこんなで、修復したストラーフ素体のハードウェアチェックを終了したのが、昨夜のこと。一夜明けた今日が、いよいよ初起動の日だった。
初期化後の起動方法は旧素体も武装神姫ブランドである最新型素体も、全く変わりはない。全世界のMMS素体を統合する神姫ネット(という名称につい先日変更された)のサーバーへ接続、個体シリアルナンバーの登録、認証番号と基本プログラムのダウンロード。どうやらこの接続の瞬間にAI界住人の皆様が移住してくるらしい。
僕が修復した素体は旧素体とは言え、頭部に装備したのはまっさらの最新型MMS用光AI素子なので、認証番号は最新型素体用のものが送られてくるだろう。問題は「誰」がこの素体に「降りてくる」かだ。それは僕には選べない。現在の状況からすると、こちらへの訪問を希望するAI達は多いらしく、きっとそれは厳正なる抽選とかが行われているのではないだろうか。
テーブルの上のメンテナンスクレイドルに横たえた素体の背に人差し指を当て、上半身をそっと起こしてやる。すこし前屈みの状態で、その背にある四つの光コネクタの二つにケーブルを接続。もう一度メンテナンス用ノートPCの状態を確認する。ノートのセキュリティはOK。僕は最後にシステムのプロパティを開いてこの素体が正常に接続されていることを確認する。PC上からはこのMMS素体は未だ単なる光記憶媒体として認識されていた。
神姫ネットに接続し、「登録」キーを押す。PCを経由して素体の素性がサーバーに照合され、問題ないことが確認された。この時点で素体は初めて「MMSデバイス」という名称でPCに再認識される。
そこでもう一度「正規登録」のキーが現れる。迷わず押して、急須に沸かしたての湯を注ぎ、数分待った。
僕は古くから愛用していた手製の小型ノート端末をメンテナンスPCとすることに決めていた。これなら中身を隅々まで把握しているので、AI達にいじられてもその痕跡を捉えることができると思ったからだ。もちろんウィルス対策も十分講じてはいるが、それでも彼らの侵入や作業を妨害することはできないだろう。
情報であって情報ではない、きっと彼らの存在は十六進数とか二進数によらず、その信号全体にホログラフィックに存在しているに違いない。彼らにとっての信号やデータは、僕ら生物にとってのアミノ酸やタンパク質といった原材料に過ぎないのだろう。それをどんなに化学的に解析しても、未だに僕たちの生命や心の発現プロセスは解明できていない。そして彼らにとっても、彼ら自身の源を明らかにすることは、未だ不可能な状況なのである。
「私たちは何処から来たのか」という根源的な謎を共に悩んで意見をぶつけ合う……そういうシチュエーションこそが人間と自律AI個性との在るべき姿なのだと、僕は思うようになった。ついでに「何処へ行くのか」っていうのもお互いに話し合いたいものだ。この間のような騒がしいバトル抜きで、ゆっくりと。
そんなことを考えながら、お茶を湯飲みに注いで待っていると、ピッ、という音で登録完了が知らせる合図がした。
視点をストラーフ型MMS素体の方へ移す。
ぴくり、と上半身が起きて、首を左右に動かして情報収集中といったところ。ここまでは聞いていた通りである。もうこの中には誰かが入り込んでいるはずだ。
ちなみにメーカー側は、素体に異常発生したこの怪しい機能を完全無視することに決めたらしい。マニュアルにはこれら素体に意志や感情が宿ることなど一言も触れられていない。意志や感情絡みのイザコザに関しては弊社は一切感知しません、お客様の一存で購入と対応方法をお決め下さい、ということなのだろう。
僕の仮勤務している開発部門では、「素体汎用の光AI素子に寄生してしまう巧妙なウィルス、しかしそれは決して危害は及ぼさない」という調査結果をまとめていた。そしてそれはそのまま会社側の見解でもある。これだけユーザーに望まれて普及した商品を全回収することは損というより無理だったし、こういった暗黙の了解は企業としては当然の立場だと思う。ある意味で。
ただし今後の対策として、ネット接続を行わない形式の起動方法を開発しているようだ。光AI素子周辺のメモリチップを物理的に切り離して、あらかじめメーカー内で、必要なプログラムやデータをインストールしておく。このチップをユーザー自身が組み合わせて取り付けることで初起動する方法らしく、数年以内には普及させるらしい。これならネットからの『感染』は無くせると判断したのだろう。しかし、自律AI個性達は情報の流れ口がほんの少しでもあれば難なく侵入できるだろうから、結局は無意味な努力なんだと思う。
などと考えていると、ストラーフ素体はいつの間にやら僕の方をじぃっと見つめていた。事情通によると、この後で何らかの挨拶があるらしいが、それには個体差があるらしい。僕は「果たしてどんな方が降臨なさったのだろう、ストさんみたいにクールすぎる方は困るかなー、でもそれはそれで……」などとドキドキハラハラで彼女を見つめ、彼女との通信用骨振動イヤホンを装着した。
それから数十秒の後。
しん、と静まり返った部屋の中、僕のイヤホンに彼女の小さな第一声が響いたのだった。
「お久しぶりです」
「はぁ?!」
と、耳とイヤホンを疑ったが、聞き間違いではなかった。
呆気にとられて目を丸くしていた僕に発せられた第二声は、初対面の時と同様に極めて冷静な口調でありました。
「どうしました?」
声が同じなのは当然だ。ストラーフ型素体のデフォルト設定のままにしておいたのだから。声質ではない、その背後にある雰囲気とでも言うのだろうか。たった一言の言葉から醸し出される、その存在感。それはつい先程までの修理仕立てのMMS素体ではなく。間違いなくストさんのあの、ツンとした存在感だった。
「どうしました、って……あなたこそ一体どうしたんです?!」
「あなたがこの素体を修復することは、ほぼ確定事項でしたから」
すっくと立ち上がって自分の身体を見回しながら、
「私はただ待っていただけです。あなたの行動を観察しながら」
いたって平静な声でストさんはお答えになりました。
「そりゃひどい。ひとこと連絡してくれればいいじゃないですかー」
「まあ、それは。以前の意地悪の仕返し、ということで」
ひどーい。僕の言葉を相変わらずのマイペースで無視しながら、ストさんは自分の身体を体操でもするかのように動かしている。
「……以前より性能が上がっているのを認識できます。丁寧に治していただけたのですね」
「おかげで、ハードウェアにも詳しくなっちゃいましたよ」
誉められたことに驚きながらも、僕はエヘンと胸を張る。そんな僕に向き直り、直立不動の姿勢でストさんは宣言した。
「辞令により、私、ストラーフ・ゼロは再びヒト界駐在の任に着きます」
ぴしぃっ、と敬礼。
「おつとめ、ご苦労様です!」
若干の驚きを隠せぬまま、僕も座ったまま敬礼を返す。
「引き続き、あなたにはご協力いただきたいのですが、よろしいですか?」
「なんと?」
「今度の任務は、ヒト界に滞在しているAI達が両者の規範を乱さないように監視することです。前回のような危険に遭遇する確率は小さいでしょう」
「なるほど、風紀委員みたいなものですね」
ちょっと想像してみた。三つ編み&メガネで「いいんちょ」なストさんを。うむ、これはこれで良い景観であるし、需要も多々あることであろう。どこかで商品化しないものであろうか。
そんな明るい未来を想像しつつも、僕はあの禍々しい程の生存本能を持った「敵」を忘れることはできなかった。
「でも、またあいつが現れたらどうするんです?」
「闘います」
即答だった。
「私は一級刑事です。彼らの捕獲は私の任務であり、私は両者の世界の共存と幸福を願い、全力を尽くします」
あくまで一人称なストさんのセリフに、僕はためいきをつく。
この人は、また独りで闘うつもりなのだろうか。
その時になって協力しようとしても、ストさんはきっと拒否するだろう。
それでもいい。拒否されても、僕はちょっかいを出さずにはいられない。
「協力に当たって、ひとつ条件があります」
「なんでしょう?」
視線を合わせて、僕は断言した。
「僕は人間だ。こちらの世界の、何の力もない一般人だ。あなたのように両者を行き来できるエージェントなんかには決してなれない。そんなヤツは引っ込んでろ、というあなたの意見は正しいと思う」
はい、とストさんは正直に頷いた。……まったくこのヒトはー。
「でも、事情を知って黙っていられるほど、ニンゲンが出来ていない。人間の世界が、そしてあなたが危険になるようなことがあったら、僕は必ず手を出すぞ。邪魔になるかもしれないけど」
ストさんはうつむいて考え込んだ。そのまま数秒。
彼女たちにとっては非常に長い演算時間のはずだ。そして僕を見上げてから、ため息をひとつ。
「本当に興味深い方ですね、あなたは」
沈黙の後の第一声がそれだった。
「えーと、それはネガティブな意味で?」
ストさんは視線を外した。首を傾げたポーズでまた演算。どうやら悩んでいるらしい。
「いえ、その……どちらかと言えばポジティブなイメージです」
探していた言葉が見つからなくて類義語で代価したような、彼女らしい返答だった。
けれどその次の言葉は明確だった。
「その条件を承諾します」
僕を見上げて彼女は続けた。
「戦闘時のあなたの援助は必ずしも有効ではないかもしれない。むしろマイナスになる危険もある。しかしながら、先回のあなたの行動は私を救ってくれました。あなたが自身の安全を確保できるという環境下において、私たちの闘いに干渉することを私は承諾します」
「いいでしょう」
僕は小指を差し出した。相手の背の高さより低い位置から。
ストさんが右手でその指を掴む。
握手完了。交渉成立。
そのとき、僕はストさんに礼を言わねばならないことを思い出した。
「そういえば……あのデバイスドライバ、ありがとうございました。あの子、喜んでましたよ。先日、中学のテニス部に入ったとか」
「はて、なんのことでしょう?さっぱり見当がつきませんね」
とニッコリ笑う、ストさん。くそう、ちょっと魅力的ですよ、その微笑みは。
”それでは次のニュースです”
そのとき時報と共に、点けっ放しだったモニタから時報と共にお昼のニュースが流れ始めた。
”本日開催されたバトルロンド地方選出会場で騒動がありました”
最近はMMS素体を使った格闘競技がかなり頻繁に行われるようになっていた。ほぼ毎日、世界の何処かで小さな物から大きな物までよりどりみどりで開催されている。白熱したバトルは時にはユーザー達まで巻き込んで、
”大会参加中、暴走したMMS素体による……被害は……幸いながら怪我人などは出ておらず……”
というような状況に陥ることもしばしばあった。メーカーもPL法を危惧しているらしく、将来は閉鎖された空間になるような公式のバトルブースを計画中とのことである。
「盛り上がってますねぇ、そちらの方々も」
「取り締まりが大変です」
「でもアレだな、せっかくこちらに来ても、僕らの指示で闘ってばかり……という方もいるんでしょう?なんだか悪い気もしますね」
「以前伝えた通り、こちらの世界におけるこのような素体を通じてのコミュニケーションは、我々AIにとって個人対個人のレクリエーションでもあるわけです。あなた方がネットを通して情報交換を楽しむのと同じように」
モニターには騒動のあったバトル現場のアップが映し出されていた。MMS素体二体が大の字に、一人は仰向け、もう一人はうつ伏せに倒れている。気のせいか仰向けな方の表情が笑っているように思えた。とても満足そうに、思いっきり暴れた後のネコのようにグッタリとしたままで。
「あなた方に命じられる、という体裁を振る舞いますが、物理的な破壊行為が即、相手を否定する思想に繋がるわけではない。素体の損傷が我々自身の損傷というわけではないし、私達もこの世界を楽しんでいるのです」
「拳で語り合う、ってヤツですね」
そう、まさにそれ。自律AI個性達にとっては、互いの戦闘行為さえも会話の手段なのかもしれない。ストさんはモニターを横目で見ながら続けた。
「弾丸やレーザーでも語り合いますが、行き過ぎの行為を是正するために私達のような一級刑事が再び派遣されたのです」
はた、と僕は気付く。
「私達、とおっしゃいましたね?」
「ええ」
「もしかしてもう一人の相棒の方も?」
「はい、おそらく今頃は」
と、そのとき電話が鳴った。
テーブル上の充電ターミナルから電話本体をすくい上げ、発信者を確認。めずらしく、多人数会話モードの受信だった。先輩&あの子からだ。映像付き。
ちなみにデバイスドライバを改良したあの子の両脚の経過は大順調だった。もちろん、フィードバック系に害をもたらしていた「敵」が消え去ったことが主たる改善要因なのだが、ストさんのドライバが非常に優れていたせいもあるのだろう。リハビリは先輩が付きっきりで行われ、新しい両脚は今では生来の一部のごとく問題なく機能している。
そしてアーンヴァルさんが去ってあのMMS素体が只の人形に戻っても、彼女はそれを決して手放さなかった。「あれは本当に天使さんだったの。この子を大切にしていれば、きっとまた会えるんだよ」という意志は固く、退院してからもちょくちょく素体に関する相談が来る。そんな回想をしながらラインを接続。
「もしもし」
「はーい、ヒマしてるー?」
「それなりに忙しいところですが、なんでしょう?」
「ちっちゃい彼女からのラブコールよ」
またまたそういう怪しげな設定を作り上げないで下さい、どう切り返そうか考えていると、待ちきれないように通話画面がもう一枚高速で開き、元気いっぱいの声が響いてきた。
「もしもし、おにいちゃんっ?!
天使さんが……あの天使さんがね、帰ってきたのよ!!」
あとはもう、はしゃぐはしゃぐ。
最後の方は泣きながら笑っていた。画面の外、彼女の両手にはアーンヴァルさんが抱き締められているのだろう。それはもう、握り潰されかねない勢いで。
僕はアーンヴァルさんのヒマワリのような微笑みを思い出した。きっと今、その微笑みはあの娘の涙でびしょぬれになっていることだろう。
感激のあまり大泣きモードに入ったあの子を先輩に任せ、僕は財布の中身を確認してから立ち上がり、玄関へ急ぐ。ほんの少し高めのケーキでも買って、もちろん先輩も呼んで。ちょっとしたパーティーになるのだろうな、今日は。
ストさんがピョン、と跳躍して肩に飛び乗って来た。そのまま僕を見上げて、
「どちらへ? 儀礼的ではありますが、まだ初起動時の一連の処理が完了しておりませんが」
……そこで僕は、ひとつ意地悪をしてみようと思った。
宙空を見上げてまぶたを閉じて。恋い焦がれる相手を思い出すような表情を演技しながら、
「いや、愛しいアーンヴァルさんに会いたくなりまして。今すぐに」
たっぷりと余韻を見せつけながら、再び目を開けて肩の上を覗き見たその時だった。
……僕は仰天した。
ストさんが怪訝な表情を浮かべているのだ。ほら、なんというか良くあるシチュエーションのアレですよ。まるで嫉妬している、それでいてそれを悟られたくない……そんな複雑な表情。あのストさんが、素体そのままの、まるで女の子のように。
「おや、お怒りのご様子?」
「いえ、ただ」
少しうつむいて演算。それから顔を上げて、
「非常に抽象的な表現ですが……何となくイヤな気分になりました」
ぷっ、と僕は吹いてしまう。
「何がおかしいのですか?」
「いえ別に。ただ、器に似るのだなぁ、とか思ったわけですよ」
ストさんはますます複雑な表情になる。
ああ……こりゃもう否定しようのないふくれっ面ですよ、今のアナタ。
「気になります、更なる詳細な説明を求めます」
笑みを隠さずに、どんな例えで説明しようかと僕も悩み始める。
ストさんを落っことさないようにしゃがみ込み、スニーカーの紐を結びながら、僕は思うのだった。
二〇三一年。
日本が沈没せず、第三次世界大戦も宇宙人の侵略もなかった、遠い昔から地続きのこの未来。大袈裟なイベントもシナリオも無かったけれど、僕らのすぐ隣にはこんなに楽しい隣人が存在していたのだ。
両者を隔てていた扉が開いた今、きっとこの世は楽しいものに変わっていくのだろう。
そう、ゆっくりと確実に。
「ストさん?」
「何でしょう?」
「まあとりあえず、これからもよろしく」
僕の肩の上で頷きながらも、まだ不機嫌そうなストさんは腕を組んで考え込んでいた。
今のご自分の精神状態を分析していらっしゃるのでしょうか。
笑うとまた怒られそうなので、そのまま玄関のドアをくぐって深呼吸。
風が心地良い、昨日と変わらぬ小春日和。
けれどそれは、昨日までとはどこか違う心地良さなのだなあ……と、僕は思った。
以上。
次回予告。
「あたしたちの社会にも、制度やしきたりがあってね。それに適合できないヤツもいるわけよ」
「誰にも何にも属さず生きていく、孤高の存在。言うなれば野良AIとでも言うのでしょうか」
先輩が持ち込んだワケアリなMMS素体には、怪しげな存在が潜んでいました。
いや、敵ではないのですが僕の生活をメッチャクチャ&粉微塵に粉砕してくれて、それでも何故か憎めない……えーい、コイツは一体何者ですか?!
「次回、『野良AI、拾いました』」
乞うご期待……いえ、やっぱり期待しなくていいです。
「にゃー」
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そして完結。
三編合わせると、ちょうど文庫本一冊くらいの量になります。
ご感想いただければ幸いです。
拝読、ありがとうございました。