No.415091

変人だと思われるかも知れないが

フォロワさんのご要望でUPします。
心霊・怖い話苦手な方、ごめんなさい。

2012-04-28 01:52:23 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:525   閲覧ユーザー数:525

変人だと思われるかもしれないが      夜路 光盈

 

 私には、尋ねられると困る質問が幾つかある。

ということに、最近よく思い当たることに気が付いた。

苦笑いで適当に流せる範囲の話も多いのだが、中には流すに流せない類の話もある。

多分、他の人にとっては別段何でもない話なのだろうが、

そして自分がその類に一家言あるとは全く思っていないのだが、

いやむしろその類の話に一家言ある人は変人と思われても仕方ないと思っているのだが、

しかし最近、流せなくなってきた…、その話題とは…

 

「先生、霊見たことある? てか信じる?」

「先生ってさぁ、見える人?」

「先生、怖い話 何かある?」

 

そもそも、三人目のそれは何だ。

お前は明らかにもう、某所の怪談レストランに入店予約を入れてある感じだろうが。

しかし、私には流せないのだ。

そもそも心霊写真が撮れた、心霊スポットに行ってみた、

とか言うのは死者への冒涜ではなかろうかという気もするし、

オカルトマニアなんていう生き物は、きっと真っ当な人間ではない、

とかねてからずっと思ってきたのだが、しかし、流せないのだ。

何故、それらの問いに胸騒ぎを覚えるのか、ずっと避けていた話題だが、

思い切って掘り下げてみようと思う。

 

 

 

 

 まず、私は元々、金縛りに遭う性質である。

勿論疲労による脳の誤作動も何度も経験している為、

金縛りとその誤作動の感覚の違いも理解している。

寝不足なのに寝る訳にいかない高3のテスト前などは、

脳が覚醒しているのに体力が限界にきている為、しょっちゅう脳の誤作動を起こしていた。

この場合、原因が心霊現象でもなんでもない、自分の無茶からきているので、

金縛りとは呼ばず、脳の誤作動と呼ぶことにしている。

 

 また、私は金縛りに遭っている人を見たこともある。

あれは、正直自分が金縛りに遭うよりも百倍恐ろしい。

何事もなく寝ていたのに、唸り声がし始めて、

驚いて飛び起きて揺り起すが、全く起きる気配がない。

表情は苦しそうで、救急車を呼んだ方が良いんじゃないか、と思うのだが、

その時の宿が、あろうことかある心霊スポットの真横だったので、

とにかく声をかけて起こし続けた。

目を閉じていて呼吸が荒く、寝ているのにどんどん身体全体が硬直していっているのが、

横で見ていても判る。そんな様子を見ていると、

 

「この人はこのまま連れていかれてしまうのでは?」

 

という焦りが出てくる。

もう最終的に、起きてから怒られようと思い、

 

「起きろ― !!」

 

と叫んでぶん殴った。

起きた本人は、この間の意識はあったようで、

私が必死に呼んでいるのも聞こえていたし、

起きようとしているのに見えない何かが圧し掛かってきていて、全く動けなかったそうだ。 

 

 

 そう、金縛り中は、意識があるのだ。

しかし、端から金縛り中の人を見ている限りは、本当にただただ、

脳梗塞でも起こした人のように、ただただ苦しんでいる病人のような状態に見える。

この弊害として、ただ単に悪夢にうなされていただけなのに、焦って起こされて、

泣きながら「今金縛りだったでしょ。大丈夫?」と言われても、

金縛りではなく単なる悪夢なので、大丈夫も何も一切覚えていないよ、ということも起こる。

 

そう、金縛りは、とにかく紛らわしいのだ。

 

 

 そして、金縛りは、何かの呼び水になることが多いらしい。

実際に、脳の誤作動ではなく、本家の金縛りに遭った際には、

オプションで何かが起こることになっている。

 

 あれは、働き出して一年ほど経った頃、そう、祖母が亡くなった頃の話だ。

祖母が緊急入院して予断を許さない状況になったのが、七月の終わり頃のことだった。

祖母が突然倒れたのがある晩のこと、夜中の二時くらいの出来事だった。

あの日は親戚一同が夜の病院に駆けつけて、祖母と同居していた一家を励ましながら、

祖母の無事を祈った。

 

「ほら、ばーちゃんは、あの時も、あっけらかんとしてた

じゃない。だから今回も、何でもない顔で起きてくるよ。」

 

「朝になれば、『おや皆お揃いで…』って笑って起きるよ。」

 

皆がそう思うような、明るくて皆に好かれている、そして時々ちょっと頑固な、

よくいるばーちゃんだった。

 

 祖母は、病院の重病人用の個室で寝ていた。

母や伯母たちが脳死についての医師の説明を受けに行っている間、

私は一人で祖母の寝顔を眺めていた。

私はあまり、祖母の死という現実が受け止められていなかった。

今思い返しても、無感情だった。

 

理由は判っている。思春期に母から言われた一言を聞いてから、

祖母に対して家族だという感情をあまり持てなかったからだ。

 

「あんた、ばーちゃんにあんまり好かれてないんだよ。

 あんたは要らない子だって、言ってたよ。」

 

母は、何気なく言った言葉だったかもしれない、

現に今になっても、そんなことを言ったこと自体を母は覚えていない。

しかし、それから私がこの言葉を忘れたことは一度もない。

その一言を聞いて以来、私から

 

「ばーちゃん家に行こう」

 

と言ったことは、一度もない。

 

多感な、中学生くらいだった私は、

 

「私を要らない人を、私は要らない。」

 

と決めてしまっていた。

とは言え血縁者なので、敬老の日には顔を出し、会えば笑って日常会話をした。

親戚の義務であり、肉親の情ではなかった。 

 

 

 病室で二人きり、脳死と診断された祖母は、意識がなかった。

そんな状態になるまで、この一言が聞けなかったんだなぁ、と思いながら、口に出した。

 

「ばーちゃんにとって、本当に私は要らない子だったの?」

 

返事がある訳がない。

 

 油断していた。

祖母はとても元気な人で、病気一つしたことがなくて、

だからまだまだ永遠の別れなんて先のことだと思っていて、

そんな気の悪い話はいつでも出来て、だからまだずっと、波風を立てずに、

仲の良い親戚を演じていればそれで良いのだと思っていたのに。

 

いつか縁側で、茶でも飲みながら、打ち明け話をして、祖母は

 

「ばかだねぇ」

 

と笑う。そうなる筈だったのだ。

しかし、突然祖母はいってしまった。

いや、命はまだ繋いでいるが、もう戻って来ないだろう。

今、祖母の心は何処にあるのか。

まだ此処に、いるのだろうか。

 

 

 そう思った矢先、自分の意思では身体を動かせない状態の祖母が、

 

「うぅ!」

 

と比較的大きな声をあげて、身体を揺すった。

 

何故かは解らないが怒られたような気がした。

それは祖母の、最後の叱咤激励のようだった。

 

「そんなことはない!」

 

と言ってくれたんじゃないかとその時思った。

 

そしてこうなって初めて、涙が出た。

無感情だった私に、感情が起こるのが判った。

 

 

 

 その三日後、私は祖母の臨終には立ち会えなかった。

仕事中、母から電話を貰い駆けつけてみたものの、

冷たくなった祖母は、もう二度と動かなかった。

私の心も、そこで動きを止めた。

 

 数日後、祖母の葬式のあった夜、私は母の部屋で寝ていた。

いつもより眠りが深かったのだが、思いがけず金縛りに遭った。

それは、葬式準備の疲労からくる脳の誤作動とは、全く違った。

 

 

 

だって、いるのだ。 祖母が。 横に。

 

 

 

 祖母は白装束だった。その日の昼、祖母が焼かれるのも見た。

祖母の遺骨も拾った。なのに、今私の右側に、祖母が居るのだ。

祖母は険しい顔をしていた。声は聞こえなかった。でも何かを言っていた。

そしてとても強い力で腕を掴んだので、一瞬私は、

そのまま祖母に連れて行かれるのかと思った。

 

「痛いよばーちゃん」

 

と一言発したことで私は起きてしまった。

当然、祖母も消えてしまった。

 

祖母に対面した瞬間から、脳ははっきり覚醒していたので、

「起きた」という表現は正しくないかもしれない。

 

 

 ともあれ、祖母は私の側から消えてしまった。

 

 

 

 金縛りが解けたせいで、祖母が行ってしまった。

何とも言えない気分で起床し、階下へおりていくと、

母が伯母との電話を切ったところだった。

 

両親は笑いながら、起き抜けの私にこう言った。

 

「おばちゃんとこに、ばーちゃんが会いに来たんだって。

 寝てるおばちゃんの手を取って、何か言ってたんだって。

 ばーちゃん力が強くて、朝起きたら手に痣が出来てたって。」

 

「あっちはずっと一緒に住んでた家だから、逝く前に挨拶に行ったんだ。

 こっちには来ねえだろうよ。」

 

 

私は、

「そうか、握手だったのかあれは。」

と思った。

 

そして、ありのままを話した。

自分にも腕に痣が出来た事も、祖母はこちらにも会いに来た事も。

両親は私の痣を見て、様々会議をし、結論として、こんな話に落ち着いた。

 

 

 

 どうやら祖母はこちらにもちゃんと挨拶に来たらしい。

両親は霊感がゼロなので、気付かなかった。

仕方がないので、両親への伝言か何かを頼む為私の所へ寄った。

伯母は霊感があったので本人が直接メッセージを受け取れた。

我が家では、実の娘である母が霊感ゼロなので、孫の私に会って帰った。

 

「私、霊見えない人ですけど。」

 

と一応反論もしてみたのだが、実家に眠る保存剤切れの人形が、

両親が気付かなかった為に、山梨までSOSを送ってきたという前科が

私にはあったので(以前書いた日本人形のノンフィクション小説参照)、

反論は却下され、家ではこの結論が祖母の来訪に関する解釈となっている。

 

 

 

 

 この機会に、思い切って自分について思い返してみたのだが、

私は多分霊感はないと思う。普段は聞こえないし見えない。

ただ、夢枕に立たれてしまう人なのだ。

今でも祖母は、お墓にお花が切れたか、何か言いたいことでもあると、私か伯母の夢枕に立つし、

それを受けると、伯母の家か我が家かで墓参りに行くことに、自然となっている。

 

 思うに普段生活をしている時の私は、ピントを意図的にずらして、

それらの現象に立ち会わないよう、見えないように避けているのだと思う。

しかし寝ている間まで制御は出来ないので、夢にそれらの現象が流れ出るのだと思う。

 

 以前、仕事の帰路で夜中に峠を走っていて、これに気付いた。

嫌な感じがする道があり、意図的に背景を見ずに路面だけを見て走っていたら、

数m先に花がたくさん供えられた急なカーブがあった時、

わざとピントをずらしている自分に、気が付いた。

 

 伯母や私が霊感を持っているなんて話は、今まで出た事もなかった話題だ。

でも、おそらく私も伯母も、怖いなんて思わなかった。

むしろ、こうして時々祖母が会いに来るという実感は、少し嬉しい心地もした。

思うに、そんなことも含めて、自分の誰かとの出会いの一部なのだと思う。

ピントが合っているか否かの問題で、世界は繋がっているのだろう、と今は思っている。

 

 

                       おわり

 


 
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