No.413885

銀と青Episode06【永久探究】

桜月九朗さん

崎守ミサキは、退院旅行と称して単身でヨーロッパの国の一つであるドイツを訪れていた。意識を取り戻して以来、彼女が悩まされる謎の感覚。脳裏に映る不可思議な映像。謎の症状に悩まされる彼女は、異国の地で不思議なお屋敷の噂を耳にする。

2012-04-25 14:04:40 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:318   閲覧ユーザー数:318

 はい、皆さんこんにちは。みんな大好き崎守ミサキです♪ えっ、誰も呼んでない? そんなこと言わないで、少しお姉さんのお話を聞いてくれないかしら?

 なんてことない、旅行に行った時のお話なの。私的に初めての単身海外旅行。場所はドイツ。ビール、ワイン、ソーセージ、美味しい食べ物が沢山ある国よ。食べ物が美味しいって素晴らしいことよね。日本人として、共感を覚えるわ。

 さておき、これから語るのはドイツ旅行に行った九月頃の出来事。私が出会った、純粋で、醜悪で、狂気と歓喜に囚われた老人との物語。

 【永久探究】はじまります。

 

 

 

 

【永久探究】

 

 

 人生初の飛行機。あの乗り物に乗ったことのある人は分かると思うが、離陸する瞬間のことを思い出せるだろうか? 身体が重力の力で押し付けられ、三半規管が揺られるようなあの感覚のことだ。そもそも、最初に飛行機を創ろうとした人。確か外国の兄弟だったと思うが、彼らは何を考えて創ったのだろう。自由に空を飛ぶ鳥を見て、自分たちも大空を羽ばたいてみたいといったロマン溢れる理由かもしれない。もしくは、誰かに強制されて嫌々ながらに創ったみたいな理由かもしれない。後者であれば、夢の欠片もないけど。

 大空に希望やロマンを求めるのなら、きっと前者の理由にしておいた方が幸せだろう。うん、よって前者の理由に決定。だって私は、空にはロマンが詰まっていて欲しいもの。男性で例えるなら、女の子の胸と一緒。小さい胸には夢と希望が詰まってて、大きな胸にはロマンと温もりが詰まってるってこと。余談だが、私は後者である。Fかっぷ。

 つまり何を言いたいのかというと、飛行機が離陸するときの感覚にはロマンが詰まっているということだ。浮遊する時の、まるで自分が切れない鎖から解き放たれたような感触。睡眠から目が覚める時を沸騰とさせる、あの刹那の時間を――私は何よりも愛している。

 その時だけ、私は様々な枷から解き放たれるような気がするから。

 

【Soon, you will arrive in Frankfurt. Everyone of the passengers, please fasten your seatbelt】

 

 機内アナウンスと共に、飛行機が着陸の準備に入ったことを知らせるランプが点灯した。

 さぁ、いよいよ初の外国の大地。ドイツ、フランクフルト空港へ到着だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 などと意気込んだのは良いものの、初の海外進出は案外呆気ないものであった。

 飛行機から降りて一歩。ただそれだけである。何というか、味気ない。機体の出口付近まではドキドキのワクワク、心臓バクバクな私。でも降りてみても特に変化なし。まぁ、出口に仮装大賞に出演するような歓迎軍団が居ても、それはそれで困るのだが。

 

「……よし、今後に期待! 街中歩けば色々ありそうだし!」

 

 うん、ポジティブにいきましょう。折角自分の足で、目でこうやって色々体験できるのだ。多少の期待外れには目をつぶろうじゃないか。

 こうやって歩いてみると、やはり日本と違う所を実感させる。気温は若干日本より寒いし、すれ違う人は殆ど西洋人。背は高いし、鼻は高いし、目は青いし……青?

 

「今、何か引っかかったような……」

 

 なんだろう? 一瞬、胸を鷲掴みされたような感覚に陥った。おっぱい的な意味じゃなくて、心臓的な意味で。別に青色に変な思い出なんて無かった筈だけど……。

 それに一瞬のことであったので、多分慣れない飛行機での長旅で疲れているのだろうと自己完結。おっけーおっけー。という訳で、適当にタクシーを捕まえて宿泊予定のホテルへ向かうことにした。ヘイ、タクシー! あっ、運転席って左側なんだ。ちょっと新鮮。

 流れていく景色を見ながら、ハンドバッグから黒皮の手帳を取り出す。正確には日記帳。折角なので、旅行中の出来事を書き記してみることにしたのだ。つまりは、旅行記のようなものである。

 

――一行目『タクシーなう』

 

 捻りも何もないので却下。即効で二重線を引く。タクシーなんて海外じゃなくても乗れるし、ぶっちゃけこの一行だけで海外に居ると分かるわけがない。少々近未来的なトレンドを入れすぎたようだ。

 改めて。

 

――今、フランクフルト空港を出発しました~♪ ドイツってば、チョ~寒い。一人旅だから余計に寒い! こんなに寒いんだから、サービスで暖かい飲み物くらい出してくれてもいいんじゃないかと思うの。運転手さん? このまま凍死しちゃったら、間違いなくアナタのせいだからね?

 

 ここまで書いて却下する。これでは唯の愚痴だ。むしろ運転手への言いがかりである。まるで私が頭の悪い女みたいな文章だ。個人的尊厳的な意味でも、これを採用するのは気が引ける。というか嫌だ。

 三度目の正直。

 

――ドイツに到着。今、フランクフルト空港を出てタクシーで移動中。この国は若干日本より寒く、九月中旬だというのにコートが欲しい気分だ。かといって、キャリーバックを開けるのも面倒なのでホテルまでは我慢する。海外に来て最初の手記がタクシーの中というのが微妙ではあるが、折角の記念すべき日だ。これからの予定を立てつつ、思いっきり楽しむとしましょう。

 

 うん。こんな感じでいいんじゃないだろうか。意外性も何もないような文章だが、旅行記の出だしとしては一般的だろう。私は別に作家になる訳じゃないのだし、意外性を求められても困る。平凡万歳。普通最高。文句は受け付けません♪

 

「Für die Kunden. Sind Sie reisen?(お客さん、旅行かい?)」

 

「E zum Beispiel, dass so.(えぇ、そうなの)Empfehlenswerte Sehenswürdigkeiten etwas zur Verfügung?(何かオススメの観光場所はあるかしら?)」

 

 余談だが、しっかりとドイツ語はマスターしてきた私である。語学に関する才能はあったようで、二週間程で日常会話程度なら問題なく話せるようになった。お陰で旅行の準備がゆっくり出来たのは記憶に新しい。などと回想しつつ、話しかけてきた運転手のオジサンに尋ねる。

 

「ドイツ語上手だな。でも折角の日本人客なんだ。できればオジサンにも日本語で喋らせてくれ!」

 

 日本語喋れるのかい。

 

「……日本語お上手ですね?」

 

「おう。俺は日本って国が大好きでな。年に三回は日本の寿司屋に行くってのが決まりごとみたいなもんだ!」

 

 ガッハッハと、笑い声を上げる運転手。

 ちなみに、見た目が熊みたいにもじゃもじゃなので笑い声を上げるとちょっと怖い。

 

「……それで、どこかオススメの場所はありますか? 観光マップとかに載ってるようなモノじゃなくて、地元の人しか知らないような穴場とか」

 

「そうだな。有名所なら観光所に聞けと言うところなんだが、穴場か……。嬢ちゃん、アンタはファウストって聞いたことあるかい?」

 

「ファウスト――ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲のこと?」

 

 むしろそれ以外に思い浮かばない。

 ファウストといえば、ドイツを代表する文人であるゲーテが書き上げた長編の戯曲のことだ。

 天上の神と悪魔メフィストの賭けに踊らされた人間ファウストの物語である。ファウスト博士と言ったほうが馴染み深いだろう。悪魔メフィストと契約し、死後魂を明け渡すことを条件に生の快楽・悲哀を体験させるという誓約を受け取った男。そのルーツは、実在した過去の人物。ドクトル・ファウストがモデルとなっていると言われている。しかしファウストとは……オペラでも進めてくる気かしら?

 

「そのファウストだ。眉唾物の話なんだが、現代に蘇ったファウスト博士の住む館ってのがあるらしい。一種のホラースポットってヤツだな。実際、ファウスト博士を見たって証言も何もないからデマなんだろうが……」

 

「デマなんだろうが?」

 

「どうにも、ファウストじゃなくてメフィストを見たって証言が相次いでいるそうだ。人間離れした美貌を持つ、とんでもない美人の悪魔が、夜な夜な館の窓から外を眺めているんだと」

 

 日本の廃病院に出てくる幽霊みたいなものだろうか?

 

「なんだか、ずいぶんとありふれた話ね。その館って、誰か調べに行ったりしなかったの?」

 

「いいや、勿論地元の人間や怖いもの見たさの若造共が足を運んださ。でもな、何も出てこないんだよ。まるで新築みたいな室内なのに、人ひとりどころか家具一つ無いときた! 付け加えて、不動産屋に問い合わせても、そんな物件存在しないなんて言われる始末だぜ? これで何もないっていう方がどうかしているさ!」

 

色々と不自然すぎる話だけど、実際にその館があるなら一度行ってみるのも面白いかしら?

 そんな話をしているうちに、目的のホテルへと到着する。一言お礼とチップを渡してタクシーから降りようとした時、運転手は私にこう言った。

 

「――もし館に行くなら日中がいい。この辺りは夜出歩くと、ヴァルプルギスに飲まれるぜ?」

 

 

 

 

 深い、深い、森は深淵の様に揺らぎつつ迫り、

 固い、鉛の空は岩のようにのしかかり、

 大樹の根はそれに絡みつき、

 幹は墓槍のようにそびえ立つ。

 永遠の喜びは炎、刹那の怒りは稲妻、哀しみは渓谷へ流れる滝となり、愉悦はそれらを大気の如く包み込む。

 まるで、生の縮図。基礎であり究極、ヒトカタを成す大要素。

 私はこれらを与えたもう。

 故に、汝は果実を差し出せ。

 赤く、紅い、知恵の果実を、

 谷底へ飛翔する私へと差し出せ。

 我が名はファウスト。

――時よ止まれ、お前は美しい。

 

 過ぎ去りし日々を、私は認めない。

 既に終わった物に意味はなく、落ちる砂は価値を生まない。

 故に、糾弾しよう。時よ止まれ、お前は美しい。卓上の砂時計は、留まることを願っているのだから。

 

 

 

 

 ドイツ時間で午後十一時前。チェックインしたホテルの部屋で、私は運転手の去り際の言葉を思い出していた。

 

――夜に出歩くと、ヴァルプルギスに飲まれるぜ?

 

 あれはどういう意味だったのだろうか。ゲーテのファウストには確かに『ヴァルプルギスの夜』という単語は出てくる。それに、北欧には現在でもヴァルプルギスの夜というお祭りが存在する。だが、運転手の物言いからは『それらとは全く別物』の事のように思えた。そもそも祭りがある季節は五月で、今は九月である。

 

「――まさか、夜な夜な街中を魔女が徘徊するなんて馬鹿な話かしら?」

 

 我ながら馬鹿馬鹿しい発想である。この二十一世紀の世の中、そんなオカルトちっくな現象があってたまるものか。あってたまる……、

 

「……何かしら。何かが頭の隅で引っかかってる」

 

 脳裏のもっと奥。思考の角の角。六畳一間の畳の目くらいの隙間から、何かが私に訴えかける。こう、視野が狭いというか、スクリーンが足りないというか、自分の思考はこんなちっぽけな存在だったかと、針で突くように刺激という信号を送り続けてきた。

 

「あーもう! 入院期間が長すぎて頭悪くしちゃったかしら?」

 

 退院してからというもの、時々こういった現象が起きるのが鬱陶しい。お医者さん曰く、脳には特に異常なしなんて言うし。そもそも、私が入院していた時の原因でさえ未だに不明だし。両親は、藁にもすがる思いで特殊な何でも屋さんに治療してもらったなどと言っていたが、一般的に見て詐欺師の類ではないだろうか? 実際、私は目覚めて旅行だって出来るようになっているから詐欺とは言い難いけど。

 こういう時は外の風景でも眺めて気分転換しよう。

 窓を開ければ、アンティークな夜の街並みが視界に映る。新鮮であり、それでいて古風な印象を感じるのはお国柄だろうか? 歴史の積み重ねを感じさせる光景がそこにはあった。

 

「こういうのを見ると、ここが日本じゃないって実感できるわー。お店も殆ど閉まってて静かだし、日本じゃこうはいかないわよねー」

 

 夜の十一時なんて、向こうではまだ街は眠らない時間である。どれだけ起きていたいのかしら日本人。

 

「さて、寝る前に日記の続きでも書こうかしら」

 

――今日乗ったタクシーのオジサマがとても日本語が上手な方だった。彼は根っからの日本好きらしい。あまりに流暢に喋るので面食らいながらも穴場の観光スポットを聞いてみたら、ファウストだかメフィストだか出るという幽霊屋敷を教えてもらった。でも見に行くなら昼間がいいらしい。幽霊屋敷なのにそれはどうなのだろうか? あと、この辺りは夜中は出歩かないほうがいいらしい。追い剥ぎにでも遭うのかと思ったが、ヴァルプルギスとかいうモノに飲まれるからだそうだ。私は観光に来たのであって、オカルト地味た事件に巻き込まれに来たのではない……、と言いつつも少しばかり興味が出てしまうのはイケないことだろうか? 今日はここまで。早く寝て明日に備えよう。

 

「……うん、こんなものかな」

 

 書き上げたところでペンを置く。

 さて、シャワーでも浴びて寝てしまうとしましょうか。

 

 

 

 

 夢を見る、視界が広がる。

 まるで、これが正しい世界の見え方だと訴えるように、知覚出来るスクリーンが一つ、一つと増えていく。私が居るのは無数のスクリーンに囲まれた中央の間。真っ白なベットに腰掛けて、増えては消え、増えては消えるスクリーンを眺めている。いや、これは私なのだろうか? 姿形は自分自身。だが、私はこんな光景は知らない。他者を眺める自分、自分を眺める自分、そして、他人の視点を共有する自分……?

 ばらまかれた宝石。蒼い瞳の男性。崩れる世界。塗り替えられる法則。そして、私の中に逃げる私――、

 

『――コレカラサキハミルベキモノデハナイ』

 

 いいや違う。この先に答えがあるのだ。この先に、ワタシタチが求めなければならないモノがある筈なのだ。思慮を束ねろ、八意を一柱へと硬め、常世思金を――形と成せ。

 

「――いや、意味がわからないわ……」

 

 朝イチから理解不能な夢を見た。どうやら、本格的に頭に異常が残っているらしい。

 

「アレかしら、時期はずれの中二病ってやつを患っちゃったのかしら……」

 

 前に読んだ本だと、中二病というのは半ば不治の病みたいなものらしい。

 

「いや、諦めるな私! 長い入院生活で心が疲れているだけよ、おそらく、きっと、多分」

 

 そんなことを呟きながら、顔を洗って出かける準備。この状態で幽霊屋敷へと赴くのは死亡フラグ? というものが立ちそうなので自重しておきたいのだが……。うん、意志に反して私の身体は行く気満々である。だって、無意識の内にタクシーのオジサマから貰ったメモを取り出しているのだもの。勿論中身は幽霊屋敷の場所を描いた地図である。

 

「……大丈夫、頑張れミサキ。私はまだ手遅れじゃない」

 

 

 その屋敷は、ベルリン郊外の森を抜けたところに存在していた。

 道中は巨大な樹木が、これでもかという程に生い茂り、昼間だというのに殆ど光が届かない。

 まるで、富士の樹海。

 気分はヘンゼルとグレーテル。

 先日のタクシーのオジサマが、夜に行かないほうがいいと言った訳が安易に理解できた。これは行方不明者が出てもおかしくはない。

 そう、断言できるほどに、この場所は世間から切り離されていた。

 そして、それは例の屋敷に関しても同じである。

 周囲を漂う空気は、どこか甘い花の蜜のようで。

 周囲を囲む景色は、一寸先すら見えない深い霧のようで。

 地面を踏みしめているだけで、深く、深く、どこか遠くに沈んでしまいそう。

 あぁ、ここは本物だ。

 間違いなく、ナニカ出る。

 

「どうしましょ? コレ、勝手に入っていいの?」

 

 頭の中は――今直ぐ引き返せ――と警告を出しているのに、身体はゆっくりと玄関へ近づいていく。もう何だか、毒を食らわば皿までといった気分である。

 物怖じしながらも、控えめに尊大な大きさの玄関を軽くノック。うん、反応なし。

 どうしたものかと考え込んでいると、木々の隙間から流れこんできた風で戸が動く。もしかして、鍵かかってない?

 強く戸を押してみると、錆びついた蝶番が鈍い音を立てながら動いた。

 迷わず、私は屋敷へと足を踏み入れる。

 

「……おっきい」

 

 内部は、タクシーのオジサマが言っていた通り、ホコリ一つ落ちていない綺麗なものであった。屋敷の外観と比べると不自然極まりない。

 調度品の一つや二つ飾ってあるのかとも思ったが、入口前のロビーには飾り気が一切無く、申し訳ない程度に時を刻むのを止めてしまった柱時計が佇むだけだった。

 

「――なんというか、思ったよりつまらない」

 

 新築のモデルルームの内部を見ている気分だ。

 道中の森さえ整備すれば、きっと入居者は山ほど出てくるだろうに。

 そんな感傷に耽りながら、私は唯一の飾り物であった柱時計へと手を触れた。

 ざらつく腐りかけた木々の感触が、この時計の経た年代の重みを感じさせる。きっと、不相応に綺麗な屋敷の中で、この時計はずっと独りだったのだろう。共に朽ちていく仲間もおらず、たった独りで静かに歴史を重ねていった。そう思うと、思わず「頑張ったね」と声を掛けたくなる。

 

「うん、この時計を見れただけでも来たかいがあったわね。うーん、この柱時計って貰っちゃダメかしら?」

 

 不動産が管理してなくても、土地を所有している人くらいは居るはずだろう。残りの旅行期間を、その人探しに費やして譲ってもらうのも悪くない。

 そうと決まれば、さっそく調べるとしよう。もしかしたら、タクシーのオジサマが何か知ってるかもしれない。

 そう思い、踵を返そうとした、その時。

――カチリ、と羅針が音を立てた。

 

 

 

 

 瞬間、私は夢の世界へと迷い込んだようだ。

 伽藍洞であったロビーには、綺羅びやかな装飾品が立ち並び、豪華絢爛なシャンデリアが、これでもかというくらい室内を照らす。

 その様は、まるでおとぎ話の魔法。

 いや、魔法以外のなんだというのだ。

 ありえない。全てにおいてありえない。

 人間、想定外の自体に陥ると身体が硬直するとは聞くが、身を持って体感することになるとは思ってもみなかった。

 空っぽの館が、一瞬にして貴族の屋敷に様変わりした光景は、私の脳を一撃でノックアウトするくらいには衝撃的な現象だった。

 

「……私、不思議の国にでも迷い込んじゃった?」

 

 そんな馬鹿な。

 自分でいうのもなんだけど、私ってもう二十歳過ぎっちゃってるわよ!? 世間じゃ二十歳過ぎたらババァなんて言われるくらいの年齢よ!? そりゃ、少し自慢できるくらいのおっぱいは持ってるけど、賞味期限的にアリなの!?

 

「――って、いけない。何か自分が何考えてるのか分からなくなってきたわ……」

 

 軽く深呼吸。よし、落ち着いた。

 

「――私、もう二十歳過ぎちゃってますよー! 世間じゃババァなんて言われる年齢ですよー! 食べても美味しくありませんよー!? あと不思議の国のアリスなんて、キャラ的に似合いませんよー! どっちかといえば、こういうのって小夜ちゃんの役回りだと思うの!?」

 

 我ながら、全然落ち着いていなかった。小夜ちゃんって誰だ。

 あと、絶対日本って色々と混沌の海に沈んでると思う。

 不思議の国は、そんな私をあざ笑うかのように周囲を彩り続ける。

 

「ようこそ、ファウストの館へ。久しぶりのお客様。私のおもてなしはご満足いただけまして?」

 

 ふと、頭上から若い女の声が聞こえた。

 正確には、ロビーを見渡せる位置にある、二階の室内テラス。

 

「あの、どちら様?」

 

 そこに居たのは、紅髪の女であった。

 黒いドレスで肢体を包み、片口で切りそろえられた髪と同じ色の瞳で私を見下ろしている。

 

「あら? 私が誰か知っていてここに足を運んだのではなくて? 私は貴女が誰かを知っている。私と同じ万華鏡。合わせ鏡の傍観者。舞台を演じるのではなく、舞台の外――観客として彩りを加える脇役」

 

 この女性は何を言っているのだろう?

 

「理解できないって顔をしていらっしゃいますね」

 

 女性は嗤う。

 

「知恵を持つものが、自覚は無いとはそれだけで罪。ですから、私は貴女を起こしましょう。東の舞台の最後の鍵を用意するために。八意思金神は蛇の頭脳となるのですから」

 

 彼女の言葉が私のお話の全て。

 詳しく聞かせろ? それはダメ。

 だって、ここで全てを話したら脇役じゃなくなっちゃうから。

 この舞台では、私はあくまで脇役なの。この続きは、蛇の後。最後の胡蝶の夢で語りましょう。


 
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