No.413101

真・恋姫無双~君を忘れない~ 九十一話

マスターさん

第九十一話の投稿です。
麗羽は常山の蛇にて曹洪隊を迎撃する。自分をはるかに超越する両将軍に対して麗羽が講じた戦略とは、彼女だからこそ、そして、この戦場だからこそ成し遂げられるものであったのだ。

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2012-04-23 19:43:33 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:5044   閲覧ユーザー数:4296

 常山の蛇――それは孫子の九地編に記されたものである。

 

『故に善く兵を用ふる者は、 (たと)へば率然の如し。 率然なる者は、常山の蛇なり。 其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾(とも)に至る』

 

 麗羽は斗詩を頭部に、猪々子を尾部にし、自らは腹部を担当して曹洪の部隊を迎撃した。部隊の中央と左翼の連結部を狙った曹洪の部隊は、前方を麗羽の部隊に、そして左右からは斗詩と猪々子の部隊に挟撃される形になった。

 

 彼女たちの動きから即座に常山の蛇であると判断した曹洪であったが、焦ったのは束の間であった。彼の経験という絶対的な数値は、素早い反応を、もはやそれは反射と呼べる程の速度で彼の身体に命令を下したのだ。

 

 ――狙うのは袁本初一人のみだっ!

 

 彼が最初に覚えた違和感。

 

 それは鶴翼にしては陣が伸び切っていることであった。それは鶴翼と見せかけるためであれば、納得出来るものである。曹洪自身も麗羽が常山の蛇を展開するなどとは思っていなかったからだ。

 

 いや、実際問題、麗羽、斗詩、猪々子の結束力であれば、それも可能であろう。

 

 だが、頭部、尾部、腹部、それぞれの連携を密に必要とし、敵の動きを正確に判断した上で、援護を行わなければならないのだ。将自身の統率力が重要であり、一つでも綻びが生じてしまえば成り立たないだろう。

 

 この大一番の勝負どころでこれ程に複雑な陣を展開するということに、一体どれ程の勇気が必要であろうか。兵や将に怯えがあり、大胆な指揮をすることが出来なければ不可能なのだ。言ってしまえば賭けに近い要素を多分に含んでいる。

 

 果たして自分が相手の立場にあって、これだけの果断を下すことが出来たであろうか。あれだけの猛攻に晒され、彼我の実力差を、身をもって体験させられているのだ。敗北することへの不安を感じずにいられるだろうか。

 

 だが、曹洪は気付いていた。違和感はそれだけではないということに。

 

 ――中央部分の陣の厚さだけは不自然だっ!

 

 かつての、麗羽のことを軽んじていた自分であれば、おそらくはそれが麗羽の怯えと捉えたかもしれない。自分の身を守るために多くの兵を配置し、被害を食い止めようと意図していると判断したろう。

 

 しかし、今の曹洪に油断はない。

 

 それが麗羽の怯えを象徴するものではなく、それすらも何か狙いがあると判断したのだ。

 

 曹洪は思った。通常であれば、麗羽の狙いは常に自分を挟撃出来る状態のまま戦況を維持することであると。頭部と尾部の連携はほぼ完璧と言って良いだろう。こちらの初撃に対する反応は曹洪すら唸るものであった。

 

 しかし、麗羽の真の狙いまでは突き止めることが出来なかった。

 

 仮に自分たちの動きを封じることにそれがあったとしても、それは自軍の敗北には繋がらないだけであり、勝利に繋がるものではない。勝利のためなら自分の死すら覚悟する者がそのような手を打つはずがないのだ。

 

 ――考えるな。思考を止めて、全身を研ぎ澄ませ。戦いの中でそれを汲み取れ。

 

 何か罠があるのかもしれない。だが、そこで止まって様子を見るなど、自分の信条に反することである。何があろうと構うものか。戦場とは力こそが全てであり、小策など自らの手で切り裂いてやる。

 

 前方には麗羽の部隊、左右には斗詩と猪々子の部隊。安全が確約された場所は自分たちの後ろしかなく、そこに部隊を動かすということは、敵に背後を晒すことを意味する。曹洪の選択肢に逃げるというものは存在しない。

 

 速やかに部隊に前進するように指示を飛ばす。さすがに華琳の兵士たちだけあり、驚きの声や戸惑いの声が上がることはなかった。自分の期待通りの動きを実現する。自分の思うように敵兵を殺せる。

 

 自分が敵陣深くに斬り込んで、陣形を乱してしまえば、それを確認した曹仁の部隊も動き始めるだろう。そうなれば、自分は前後から挟まれる形になるが、相手も背後から曹仁に肉薄される。

 

 前日の戦いと変わらない、乱戦状態へと移行する。そこでは策も何もが通じなくなり、結果的に自分たちに有利な状態で戦い続けることが出来る。力での勝負なら決して負けることはないのだ。

 

 ――次こそは狩るっ!

 

 剣を真横に構える。

 

 雄叫びを上げる。

 

 突撃の開始である。

 

 目の前の敵を斬り、薙ぎ、刺し、屠り、砕く。

 

 既に自分は、自分たちは獣である。理性などなく、目の前に群がる敵兵という名の獲物を狩る捕食者である。欲望のままに敵を殺す。それだけが目的であり、それこそが必殺の剣と呼ばれる人間の真の強さである。

 

 自分たちは強者である。戦場では強い者が常に勝ち続ける。

 

 曹洪は戦の最中に、これまでの戦いを思う。心を無にする程の激戦の中で培ってきた技術。戦場では何千人という兵をその剣の餌食にしてきた。血で斬れなくなるまで、ただただその腕を振るってきた。

 

 自分は主や華琳のような王ではない。戦に目的など求めず、戦を目的としている。正義のために戦をし、力を振るうのではなく、戦に正義を求めて、勝利のために剣を振るう。戦うことこそが自分がするべきことだ。

 

 その理由は他者に与えてくれる。自分はその者のために道を切り開けばそれで良いのだ。

曹洪の戦に対する態度は実に潔いものだった。

 

 そして、それが彼の原動力でもある。綺麗事など言うこともなく、自分に課せられたことを粛々と行う。彼のその無駄のない思考は、常に戦うことを前提に構成されており、そこに揺るぎが生じることはない。

 

 左右からの圧迫感はあった。しかし、着実に前へと兵を進めることが出来ている。このまま進めば、遠からず麗羽を視界に捉えることが出来るだろう。そのときこそが最期のときであり、戦の終結、つまり自分の戦人生の幕引きである。

 

 ――見えたっ! 

 

 曹洪の瞳に麗羽の姿が映る。その華美な具足、煌びやかな容姿、見間違えるはずなどない。その金紗の如き髪を靡かせながら、舞うように動く麗羽を見て、思わず咆哮を上げそうになる。

 

 が、結果的に彼は黙ったままだった。

 

 その理由は歴然である。

 

 ――早すぎるっ! まだ俺と奴の距離はここまで近くないはずっ! 

 

 そこではっとする。

 

 麗羽との距離の目測を見誤るはずなどない。だが、無意識の内にそれは麗羽がその場から動かないことを前提としていた。自分の予想よりも接敵したということは、それは一つのことを意味しているということだ。

 

 ――あの女が前に出てきているっ!

 

 気付いたときには遅かった。

 

 麗羽の部隊は前に突出し、曹洪の部隊に襲い掛かった。

 

 常山の蛇、どうして麗羽はその布陣で曹操軍を迎撃したのか。

 

 斗詩と猪々子で左右から挟撃したとしても、曹洪の部隊を止められるかどうかの瀬戸際であり、間違いなく打ち破ることは出来ない。これまでの戦いから麗羽がそんなことに気付いていないはずがない。

 

 それこそが罠である。

 

 麗羽自身が囮なのではなく。斗詩と猪々子の両部隊が麗羽の部隊に兵を向かわせるための囮に過ぎない。曹洪という獰猛な獣を相手にするのでは、麗しの羽を持つ鳥でも、大地を這いずり回る単なる蛇でも事足りない。

 

 斗詩の部隊に呑み込まれても、その喉を内側から食い破るだろう。

 

 猪々子の部隊に打たれても平然として反撃を行い、その尾を引き裂くだろう。

 

 部隊を縦横に駆けらせて、曹洪の得意とする鋒矢陣の切っ先に己の部隊を絡ませるように兵を動かす。意表を突かれたその動きに曹洪は一瞬のみ逡巡するが、麗羽にとってはそれで十分だったのだ。

 

 その様はまるで蛇が獲物に巻き付くかのようだった。

 

 ――そ、双頭の蛇だとっ!

 

 それこそが麗羽の策の本当のカードだ。

 

 二つ目の頭が曹洪の部隊へと絡みついたのだ。

 

 

 ――何とか上手くいきましたわね。

 

 自分の部隊が曹洪の部隊を完全に包囲したことに対して、麗羽はほっとひとまずの安堵を得た。この布陣は知識として頭にあったが、実際の戦闘で使用した経験はなく、昨晩は斗詩と猪々子、部隊の副官たちを交えて何度も確認をしたのだ。

 

 失敗は許されなかった。

 

 曹洪を先頭にして進撃することは容易に想像が出来た。それが敵軍のもっとも得意とし、また同時にこちらにとって驚異的なものであるのは間違いなく、真っ当な手段ではそれを止める術など見つからなかったのだ。

 

 麗羽の部隊が第二の頭部であるということを隠蔽するために、戦闘開始直後まで部隊を腹部と一体化させていた。さらには前日の戦いと同じように、自らを囮と見せかける必要もあった。

 

 直接話したことがなくても、戦を通じて曹洪という人物の 為人(ひととなり)を把握していた。気性が荒く、罠があることに気付いていてもそれを力で捻じ伏せようとし、実際にそれだけの力を有している。

 

 麗羽のような戦略の中に策謀を組み込み、将兵の力だけでなく智謀と組み合わせて戦う者にとっては、策に嵌めやすい相手ではあるのだが、曹洪は規格外過ぎた。罠を張ろうと、檻に入れようと、力でそれを無効化してしまう。

 

 逆に言えば罠であると気付けばそこを狙ってくる。自分を囮に、斗詩と猪々子の部隊が動くと判断すれば、間違いなくこちらを潰しにかかるだろう。こちらを迅速に壊滅させて策をなかったことにするに違いない。

 

 敵の初撃、曹洪の痛烈な突撃を少しでも阻むことが出来るかどうかが勝負の分かれ目であった。斗詩と猪々子、つまり頭部と尾部の連携が滞ることになれば、そこでおそらくこちらの陣形は一気に食い破られたことであろう。

 

 結果的に上手く機能してくれた。

 

 斗詩と猪々子の部隊が左右から挟み込んでくれたおかげで曹洪の陣形は縦に伸び、そこを麗羽の第二の頭部が素早く巻き込むことが出来た。敵から見れば、正に突如として首がもう一つ現れたように映っただろう。

 

 呑み込んで包囲するのではなく、飽く迄も絡みついたのには訳があった。

 

 ――わたくし一人の部隊では耐えられませんものね。

 

 従って、麗羽はすぐに部隊に旗を振らせた。

 

 その直後、斗詩の部隊がさらに曹洪の部隊に襲い掛かったのだ。

 

 双頭による完全な包囲。それこそが麗羽の狙ったものであった。一つの頭では曹洪は止められない。ならば二つ目を作り出せば良い。思考としては実にシンプルで分かりやすいものではあるが、それを実際に実行するところに麗羽の恐ろしさがあった。

 

 包囲の中、曹洪がこちらに向けて禍々しいまでの殺気を放っているのを感じた。二部隊に包囲されながらも、曹洪の気炎を削ぐことは出来ていない。それどころか、曹洪は笑っているのではないかと感じているほどである。

 

 ――正に戦うために生まれた方ですのね。

 

 自分とは正反対の人間だろうと思う。自分には将としての才覚もなく、為政者として治世であればそこそこの善政を布けたかもしれないが、乱世では通じなかった。権力に群がる腐った人間たちを相手にすることが出来なかったのだ。

 

 この戦場で彼女が感じるのは、恐怖、不安、葛藤、苦悩、困惑、とても快楽とはかけ離れたものばかりである。彼女がここにいる理由は主の正義を守るためである。出来るのであれば、戦争などせずに済ませたいとも思っている。

 

 だが、もう争わずに済む段階ではないのは彼女にも分かっている。

 

 ならば、せめて乱世を少しでも早く終結に導けるように、彼女は微力ながらとそこに立つ。両手が地で穢れても、美しい髪が埃に塗れようと、そして、例え、この場で命を落とす結果になったとしても。

 

 それが麗羽の覚悟であり、信念である。

 

 視線の先、そこにいる今の彼女の敵である曹洪とはきっと話が合うことはないのだろうと苦笑を漏らすが、すぐに気を引き締め直した。まだ勝利までの方程式のほんの序盤に過ぎず、これからが肝要なのだ。

 

 斗詩と協力して漸く曹洪の部隊を止めることが出来ている状態だ。このまま押し潰せるとは考えていない。おそらく、それは猪々子の部隊まで投入しても同じことだろう。

 

 ――おら、まだ終わりじゃねーだろ? もっと俺を楽しませろ。

 

 曹洪がそう言っているような気がした。

 

 少しでも油断しているとこちらから食い破るぞ。捕えているなどと思うな。こちらはお前の罠に自分から足を踏み込んだけだ。このようなもの、すぐにでもぶち壊し、お前の喉元に牙を食い込ませることくらいどうってことはない。

 

 その言葉に応えるように、麗羽は手を翳してさらに部隊の締め付けを強くする。

 

 蛇が獲物を丸呑みする前に、身体の骨をぐちゃぐちゃに砕くように、原型を留めていられない程に強く、相手に一瞬の隙をもつかせぬ程の圧をかける。そのくらいが曹洪にとっては丁度良いだろう。

 

 単なる獣と思わないことだ。

 

 堅牢な檻で捕えようとも、その獰猛な牙は、鋭利な爪は、そんなものはすぐに壊してしまうだろう。二重でも三重でも足りない。とにかく、麗羽にとって重要なことは少しでも 多くの時間を稼ぐこと(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)だ。

 

 そうここで曹洪にすら気付くことの出来ぬ麗羽の狙いがあった。

 

 彼女自身、このまま包囲網を布いただけでは曹洪を討ち果たすことが出来ないのは承知しているのだ。確かに自軍深くまで敵を誘い入れ、双頭の蛇で捕えたならば、並みの者であればそこで終わりだ。

 

 どこまで斬り進んでも見えるのは自分たちの命を狙う敵兵ばかり。自軍まで逃げ帰ろうとも、逃げ場などあるわけもなく、一人また一人と隣で戦う者たちが散っていく。その中でどれだけの者が精神を保つことが出来るだろうか。戦意など続くはずがない。

 

 しかし、曹洪は違う。

 

 その彼に付き従う兵士までも彼の異様な好戦的な性格にあてられてしまう。まるで全員が死兵となったような強さを発揮し、どこまで曹洪の後ろで敵を殺す。包囲されたこちらの方が逆に敗れかねない。

 

 ただひたすらに攻めることがここまで脅威だとは、麗羽はこれまでに感じたこともなかった。おそらくこのまま包囲戦を広げたところで、泥沼となるだけである。仮に曹洪をそこで討っても、その時点でこちらも並々ならぬ被害を受けているだろう。

 

 だが、麗羽の狙いは曹洪を包囲する時点で完成しているのだ。

 

 曹洪にしてみれば、包囲されようがどうだろうが、ただ前進するのみである。自分に課せられた敵将の首を挙げるということを、どんな状態にあろうと遂行するのみである。彼は今も攻めているのだ。

 

 麗羽にしてみれば、ここまで重囲をしている以上、戦略的かつ心理的優位は一応は握っているということになる。さらに彼女には秘中の策を胸に隠しており、それも次へのステップへと移行させれば勝ちは見える。故に彼女も攻めている。

 

 攻めるという行為は主観的である。

 

 曹洪、麗羽、どちらも自分が攻めていると感じているのだ。

 

 麗羽は曹洪の攻撃を少なくとも自分だけでは止められないと判断を下した。あそこまで攻撃的な性格では、苦境に立たされたところで、曹洪自身が攻める以外の選択肢を取るとは思えなかったのだ。

 

 だからこそ、彼女は曹洪の攻撃を完全に止めるということを念頭から取り去った。

 

 曹洪は止められない。それを一つの事実として受け入れたのだ。麗羽の強みは自身の弱さを知っていることだ。自分が曹洪に比べて、将という器で測るのならば、どう考えたところで勝てるはずがない。

 

 ならば、止めなくても勝てる策を練れば良いだけの話である。

 

 曹洪自身が攻め続け、止まらないのならば、別の側面からそれを見る。

 

 曹洪は自分が攻めていると思っている。

 

 麗羽も自分が攻めていると思っている。

 

 では……。

 

 曹仁はどう思っているのか。

 

「将軍、文将軍から敵の動きの知らせが届いております」

 

「読み上げなさい」

 

「はっ」

 

 兵が猪々子からの知らせを読み上げる。

 

 それは正に麗羽の狙ったもの通りだったのだ。

 

 麗羽それを聞き、妖しく微笑んだのだった。

 

 

 ときは少し遡り、麗羽が二本目の首で曹洪の部隊を捕えたところに戻る。

 

 曹仁は曹洪からの伝令を受け取り、彼が敵陣深くまで食い込んだら、一気に突撃の命を下す気でいた。そのようなもの、伝令を使ってわざわざ伝えなくても、腐れ縁である自分にはとっくに分かっていたことであるのだが。

 

 しかし、それが予想外の事態となったのだ。

 

 ――ふむぅ、あのような面妖な陣形を使うとはのぅ。

 

 曹仁は顎に蓄えられた白髭を何度も撫でながら、敵陣の動きを追っていた。

 

 曹洪の必殺の一撃に対して、敵は奇策でそれを防ぎに動いたのだ。戦の経験の豊富で、知識としての軍略には乏しい彼であるが、しかし、経験としての本能ではそれを知っている。あれがどのような陣形で、敵が何を狙っているのかも。

 

 ――頭部と尾部で挟撃を狙うのが囮で、本命は袁紹自身がもう一本の首を担うか。

 

 面白い、と思わず声を上げそうになる。

 

 戦狂いの曹洪の事だから、今頃は嬉々として部隊の再突撃の命令を下しているだろう。敵はさらにもう一部隊を包囲網に割いているが、それでも曹洪の動きを止めるがやっとのことであろう。

 

 曹仁は曹洪に比べると、冷静な面が多く思慮深い。

 

 曹洪が戦いながら敵の動きを見ながら狙いを察知するのに対して、曹仁は戦いの外から全体の動きを見ながら将の心理を察知する。敵の陣形が本来の姿となった以上、ここから動きが激しくなることは想像出来る。

 

 しかし、最終的な狙いまでは分からない。

 

 ――あの女人であれば、このまま包囲しても子廉を砕けぬことくらいは分かっておろう。

 

 これからの戦の推移を考える。

 

 曹洪の部隊を自軍深くに抱えた相手もまた、危険を孕んでいるのだ。

 

 今はまだこちらが動く機ではない。敵陣深くまで食い込んではいるが、乱せてはいないのだ。ここでこちらが動いても、おそらく尾部を担う昨日の小娘が迎撃に来るであろう。それを防ぐことは出来るとは思うのだが。

 

 ――それでは儂も攻めてしまうの。不得手ではないが、無理にすることもない。

 

 今はじっと見守っているときであろう。

 

 曹洪をあのまま閉じ込めていても、どうせ討ち取ることは出来ない。もしそれを狙っているのであれば、このまま何もせずとも焦れた敵が尾部まで包囲の中に加えるだけであり、そうなればこちらの思う壺である。

 

 どっしり構えたまま圧力を掛ければ良いのだ。そうなれば敵は算を乱して陣形を留め置くことが出来なくなり、その後、曹洪と合流して一気に蹴散らす。それで勝負は決まりである。

 

 だが、そこに一つの疑問を抱く。

 

 ――儂に見通せることが、あの女人に見通せぬはずがない。

 

 麗羽が曹洪を自らの許に引き寄せたことには必ず何か裏がある。

 

 曹仁はそれに対して、曹洪ならば罠など物ともせずに打ち崩すことが出来るだろうという信頼感と、得も言えぬ悪い予感を覚えていた。何か自分はとても大切な何かを失念しているのではないかと。

 

 そして、さらにそれに追撃を仕掛けるような言葉を副官が吐いた。

 

「しょ、将軍、このままでは曹洪様が危険なのでは……。我々が救援に向かうべきではないでしょうか?」

 

 彼がそう言ってしまうことは仕方のない話だと曹仁は思った。

 

 常識的に考えれば、あそこまで厚い兵士の壁に包囲されているのだから、曹洪の部隊は窮地である。曹洪が騎馬の扱いに長けていたとしても、あれを突破するのは至難の業だろう。あのままでは壊滅しかねない。

 

 だが、それは飽く迄も常識の範疇であり、曹仁は曹洪が理の外に存在することを知っている。それは彼が長い間戦場で隣を預けてきた間柄だからこそ分かることであり、今回の遠征で初めて指揮するこの兵士たちは知らずにいて当然なのだ。

 

 曹洪の事ならば大抵のことを知っている。今もどうせ戦が楽しくなってきたことに満足しているに違いない。あの男ならば、戦は厳しいもの程熱くなり、生死のやり取りも苛烈になる。そこに生を感じるのがあの男の狂ったところなのだから。

 

 そう思うと苦笑も漏らさざるを得ない。

 

 あの状態でもあの男は攻めているのだ。並みの者ならすぐにでも壊滅するか、命を惜しんで投降するのが普通だ。もしも戦意を残せる程の者がいれば、それだけで大した者であるとは思うが、少なくとも攻めることはしないだろう。守りを固めて援軍を待つのが当然の選択である。

 

 ――全く、どこまでも前に行くか。あやつのそのようなことなど、こやつら兵士たちには理解出来る筈もないのぅ。儂ですら時間が必要であったものじゃ。

 

 だが、そこで気付く。

 

 自分が見落としていたことに。

 

 まさか敵将はこれを狙っていたというのか。絶対的な経験という数値を逆手に、こちらの心理を隈なく汲み取り、それを基部に戦略を練ったというのか。この奇抜な常山の蛇すらも、それを行うための布石というのか。

 

 麗羽がこんな短時間の間で、自分と曹洪の弱点というべき箇所を――しかも、それは彼らの戦歴の中では、一度も実現を許さなかったものを成し遂げられるだけの戦略を構築したというのだろうか。

 

 曹洪は唇を噛み締めたが、兵士がそれを決定づける言葉を並べた。

 

「あれだけ 攻められたら(・ ・ ・ ・ )、仮に曹洪様であっても無事では済みませんっ! このまま見殺しにするなど……っ!」

 

 思わず怒りに身を任せて兵士を斬りそうになった。

 

 だが、自分が曹洪を見殺しにしている、兵士たちの目にはそう映っているのだ。

 

 華琳の許の兵士たちは、今、曹洪が攻められていると思っている――否、それどころか、壊滅の危機にあるとすら感じているのだ。それは自分と彼らの間にある、曹洪と共に参陣した経験の差である。彼らにはそう映ってしまっても、責めることなど出来はなしない。

 

 曹仁は逡巡した。だが考える暇などほとんど残っていない。

 

 曹洪を知る自分ならば、今は無理に攻めずに曹洪が粘るのを待つべきだと判断する。しかし、それは兵士たちの目には自分が曹洪を見殺しにしていると映るのだ。実際に兵士たちの間には波紋が広がり始め、不信の色すら見え隠れしている。

 

 ――ぐむぅっ! 致し方ないっ!

 

 曹仁は即座の決断を下した。

 

 仮に自分と相手には将器という点では圧倒的な差があったとしても、兵士たちがこちらを信じてくれなければ意味がないのだ。それで得た勝利など、彼らには何の価値もなく寧ろ汚名として残ることになる。

 

 選択肢など最初から残されてないのだ。

 

「諸君っ! これより我が隊は曹洪隊の救出のために敵陣へと侵攻を開始するっ! 陣を――」

 

 躊躇した。

 

 彼の得意とする陣形は本来ならば鶴翼のような横に広げて敵を威圧するものである。それで抵抗しなければそのまま押し潰し、恐怖心に駆られて無理に突っ込んで来れば彼の本領を発揮する場面となるのだ。

 

 しかし、今は違う。

 

 鶴翼で押し包もうにも敵は内側を強く締め付けている堅陣だ。曹洪を救出するには適しない。

 

 救出するのならば……。

 

「――錐行陣に展開せいっ! 突破力をもって敵陣を切り裂き、一気に曹洪部隊の許に急行するっ!」

 

 そして、再び麗羽の許に移る。

 

 錐行陣でこちらに向かう曹仁の部隊を確認して、麗羽はすぐに猪々子へと伝令を向かわせた。

 

「これで策はほぼ成りましたわ。攻めの曹洪を封じ、守りの曹仁を動かす。これでわたくしの勝利へまた一歩近づけましたわね」

 

 これまで両将軍と激闘を続けた過去の将たちは、おそらく力で曹洪を攻めて守りに転じさせようとしたのだろう。しかし、曹洪はどれだけの兵力差があろうとも、常に攻め続けることを選ぶ強靭な精神力の持ち主である。

 

 そして、仮に曹仁を攻めさせようと、如何なる挑発や心理戦を挑もうとも、彼は不動を貫いたであろう。二人のそれは信条という言葉で飾ることすら烏滸がましいと思える次元にあるのだから。

 

 だからこそ、麗羽は二人に直接作用するような手は打たない。

 

 ここからが麗羽の反撃の開始である。

 

あとがき

 

 第九十一話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 さて、何とか週に一回の投稿はキープ出来ている作者ですが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。

 

 春期のアニメは上級者向けのアニメが多いようで、作者も(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー! と奇声を上げたり、涎がお互いを繋ぐ絆と宣う転校生とかゾンビでも現れないかと思ったりと、楽しく過ごしています。

 

 閑話休題。

 

 さてさて、今回も引き続き麗羽様にスポットを当てての回でしたが、漸く麗羽様の反撃が始まろうとしています。

 

 彼女の一つ目のカードは常山の蛇でしたが、それも双頭にするという奇抜なアイディアを放り込んだ代物で、曹洪の部隊を包囲することに成功します。

 

 常識的に考えるのなら、それで曹洪を包囲撃破するのが妥当ですが、曹洪というチートじみたステータスを持つ将を相手にするのならば、それでは足りないのです。

 

 そして、それこそが麗羽様の真の罠でした。

 

 兵士たちの心理まで正確に測り、曹洪が攻められているという状態をでっちあげたのです。そして、そこから曹仁まで攻めざるを得ない状況に追い込みます。

 

 というところで今回は終了ですね。

 

 さてさてさて、麗羽様の激闘にももう間もなく終止符が打たれようとしています。

 

 戦闘描写ばかり書いているので、精神的な疲労が堪らないですね。

 

 難しい上に、皆様に作者の思い浮かべている描写を提供しなくてはいけません。駄文しか書けぬ作者にはこれ程胃が痛い思いをするものもありませんね。以上、愚痴でした。

 

 次回、あるいはその次くらいで麗羽様のパートは終了します。その次は雪蓮の戦いに移るのですが、相変わらず麗羽様に力を入れ過ぎて、そちらの方が更にハードルが上がってしまうのでしょう。

 

 とりあえずはどのように麗羽様が戦うのかをまた妄想して頂ければ今回は成功です。

 

 では、今回はこの辺で筆を置かせてもらいたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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