「キミは、世界の果てを見てみたいと思ったことはあるかい?」
パンキーは、眠りに落ちる寸前に聞こえた声に瞼を半分だけ開けた。
ぼやけた視界を探りながら、声の主は自分のハピタットの横に吊るされたガタクタ置き場で身を休めるさすらいのズーブルズ、アセロラミント味のハピだと気付く。
パンキーがそちらを向こうとしたところで、ハピはそれを制止する。
「ごめんよパンキー、起こしちゃったね。いいんだ、おやすみ」
「…?」
パンキーはハピの優しい声を聞きながら、再び眠りの淵へと身を委ねた。
***
翌朝、パンキーが目を覚ますとハピが寝ていた場所にはもう誰も居なかった。
もしかして、自分が寝坊したから先に起きて既に旅立ってしまったのだろうか。
ハピの旅の話に感動し、その存在に大きなときめきを抱いていたパンキーはひどく落ち込んだ。
出来ればこの花の街で、自分たちと一緒に暮らして、毎日旅の話を聞いていたかったのに。
「ハピ…」
彼の名前を呼んで、空を見上げる。
すると空で一羽のこうもりが翻って、そして自分の目の前へと降り立った。
「わっ」
「呼んだかい?」
驚いたパンキーが尻餅をつくと、彼は申し訳なさそうに手を差し伸べた。
「ああ、ごめんよパンキー」
昨日寝しなに聞いたのと同じ台詞。ハピの手を取って引き上げられたパンキーは、彼が未だここに留まっていたことに安堵しお尻の砂を払って立ち上がる。
「もう起きてたモン?」
ハピはこうもりのズーブルズだ。本当は夜の方が得意な筈だった。
だけどどうにも、彼は普通のこうもりとは少し違うらしい。朝のすがすがしい日差しに気持ちよさそうに目を細めた。
早起きが苦手で寝坊してはチェビーにどやされているパンキーとは大違いだ。
「折角だからこの街の様子を空から見ていたのさ」
ハピは微笑みながらパンキーに話しかける。
「いい街だね」
「うん、花の街はとぉってもいいところだモン!」
しょぼくれていたパンキーは、自慢のこの街を褒められて一気に上機嫌になる。
やっぱり、ここでずっとボクたちと暮らしてくれたらいいのに。パンキーはハピと暮らす毎日を思って笑顔を浮かべる。
しかしどこか遠く、街の外れの辺りを眺めたままのハピの横顔に、パンキーの胸に妙なざわめきが広がり始めた。
昨晩、彼に問いかけられた言葉を思い出す。
世界の果てを、見てみたい。
パンキーはおそるおそるハピに聞いてみた。
「ねえ、昨日言ってた“世界の果て”って…何だモン?」
ハピはすぐに視線をパンキーへと移し、そして真っ直ぐその目を見つめた。
「僕もまだ、見たことがないんだ」
ふと丘の上から吹いた強い風が、二人の間に風のカーテンを作る。
そのカーテンが再び開いた時、ハピはパンキーと顔がくっつきそうなくらい目の前に立っていた。
「僕はね、世界の果てを探しているんだよ、パンキー」
びっくりしているのに、一歩も動けなければ目も離せない。
藍色の瞳に吸い込まれている、パンキーはそんな錯覚に陥る。
ハピは暫くそのままパンキーを見つめていたが、ふっと笑みを零すと、パンキーのおでこをすっと撫でて彼から離れる。
それを合図に魔法が解けたみたいに、パンキーは足元をよろけさせてまた尻餅をつきそうになる。
「あっ」
寸でのところでハピがパンキーを支えてやる。パンキーはまた顔を赤面させてもぞもぞと立ち上がる。
「あ、ありがとうだモン…」
ハピは何も言わずに笑顔でパンキーを撫でた。
そしてまた街の遠くのもしかしたらもっと遠いどこかを見つめる。
「ずっとずっと探し回っても、結局同じ街に着いてしまう。世界はもっと広い筈なのに、ぐるぐると同じ道、同じ街へ何度も」
そう語るハピの横顔は、昨日パンキーに旅の話を聞かせてくれた時とは違う、険しい顔だった。
「僕が見たいのはもっとその先なんだ」
パンキーは急に怖くなって、俯いて自分の掌を揉んでいる。
ハピは一体何を探しているんだろう。そんな風に悲しそうな顔で、もしかしたら、本当はとても辛い旅をしてきたのだろうか。
自分の知らない何かを探して、自分が知らない、想像も出来ないようなことを経験している。
それが例え辛くても、彼には探さなくちゃならない何かがあるんだ。
ハピの抱えている“果て”が何であるか理解できなくても、その決意は理解できる。パンキーは自分の掌をハピの掌に重ねた。
それに気付くと、ハピは自分が如何に悲痛な面持ちをしていたかに気がついて苦笑する。
重ねられた掌を握って、ハピはパンキーに問うた。
「キミは、ここ以外の、他の国の話を知っているだろう?」
「他の国?」
「例えば、日本やアメリカ、中国、韓国とか」
パンキーはうん、と首を縦に振る。
名前はどれも聞いたことがある。友達の料理人ロンの中華料理も、確か本場は中国だと彼女が言っていた。
「でもその国は、本当に存在しているのかな?」
「えぇ?」
ハピの一言で、パンキーははたと思い直す。
確かに、人から聞いたり、雑誌で読んだりしただけで、その国が本当にあるのかなんて考えたこともない。
あってもなくても、どうでもいいと思っていた、のかもしれない。
だってここで暮らしているぶんには、そんなこと気にしても仕方がないのだ。
しかしハピは違った。ハピは少しだけ声を張って、遠くまで届くように決意を口にする。
「だから僕は世界の果てを知りたいんだ。その果てから世界を全部見てみたい」
「…でも、そんなのホントにあるんだモン?」
言ってしまってから、とんでもないことを聞いてしまったとパンキーは自戒する。
だがハピはそれを責めることなく、力強い一言でパンキーに応えた。
「あるさ」
パンキーの鼓動がひとつ大きく跳ねる。胸全体がきゅうんと苦しくなる。
ああ、なんてひとなんだろう。きっとハピはこの街なんかじゃ物足りない、収まらないんだ。
ハピはにっこりと笑って、握ったままのパンキーの手を両手で包んだ。
「証拠だってあるんだよ、ここに」
「ここに?ホントだモン?」
「そうとも、パンキー」
ハピはぐいっとパンキーを引き寄せる。されるがまま、パンキーはハピの腕の中へ吸い寄せられる。
「キミからは、その“果て”の匂いがするんだ」
「ボクから…?」
そう言うと、ハピはパンキーの首元に顔を近づけた。
すんすんと自分の香りを吸い込まれると、パンキーは肩をすくめて身を捩った。
「ひゃあ」
吐息のくすぐったさと、ハピの顔に唇が触れるほど近いことに、パンキーは動揺を隠せない。
同じズーブルズで、男の子同士なのに、何故か胸がドキドキと跳ねる。
パンキーは自分がおかしくなってしまったみたいで、恥ずかしさに顔を真っ赤に染める。
「ぼ、ボクはブルーベリーヨーグルト味だから…ブルーベリーヨーグルトの匂いしかしないモン…」
「そうかな?自分のフレーバーの匂いしかしないのは、他に何もないズーブルズだけだよ」
顔を上げたハピは訳知り顔をして口角を上げ、パンキーの鼻をちょこんと撫でた。
「じゃあ、今度は僕の匂いも嗅いでみるかい?」
「ハピの…匂い…」
パンキーは熱っぽくハピの言葉を繰り返すと、おずおずとその首元へと鼻先を近づけた。
優しいハピの温もりが顔をもっと熱くさせる。
控えめに鼻をひくつかせて、パンキーはハピの香りを吸い込んでみる。
「あっ」
「どう?」
一度嗅いだだけですぐに違和感に気付いた。
アセロラミントの爽やかな香りと、その奥にもっと不思議な、色んな匂い。
チェビーやコロン、他の皆のフレーバーとも違う匂いが、ハピからは漂っている。
どことなく頭がぼうっとするその“フレーバー”に、パンキーは溜息を吐いた。
「面白い匂いがするモン…」
「僕が今まで旅をしてきた街の匂いさ」
ハピはパンキーの頭を撫でながら呟いた。
何度も繰り返し、果てを求めて風に吹かれて雨に打たれた者の匂い。
気がつくとパンキーはハピにぎゅうっと抱きついてその匂いと温もりを体中で感じていた。
不安定で、そわそわする。だけどもっとそれに近付きたいような…。パンキーはハピの胸元で「はうぅ」と小さく鳴いた。
ハピもパンキーの体重を受け止めるようにして、その背中に手を遣り優しく撫でてやる。
ぴくん、と紫色の耳が揺れた。パンキーはハピの胸の中で、ぼうっとするのに激しくなる自身の鼓動にどうしていいか解らなくなっていた。
「パンキー、大丈夫かい」
ハピが耳元で囁くと、パンキーは小さな声を漏らしてその腕の中から飛び出した。
「だ、大丈夫だモン…」
もじもじして俯くパンキー。本当は今すぐにでも丸くなって逃げ出したいくらいに恥ずかしい。
この気持ちって何だろう。ボクの匂いとハピの匂い。果ての匂いって何?ハピ、ねえ教えて?ボクの知りたいこと、全部…。
彼に聞きたいことは山ほどある。だけど全く言葉にならない。口を開けたらそこから心臓が飛び出してきそうになるのだ。
ハピは黙って微笑みながら、動揺するパンキーを眺めている。
それすらパンキーにとって彼に抱かれているかのような熱を感じて恥ずかしいことこの上ない。
パンキーは目を伏せて、震える喉から声を絞り出した。
「ね、ねえハピ」
「なんだい?」
「ハピは…その…世界の果てに着いたら、どうするんだモン…?」
「さあ…どうするだろうね?」
はぐらかされるような答えに、パンキーの肩がすくむ。
ハピはその肩に手を遣り、そして滑らせ、パンキーの頬をすうっと撫でた。
「キミを連れて行こうかな」
「ええっ」
「冗談だよ」
突然の申し出にパンキーがすくませた肩を大きく跳ねさせると、ハピは笑ってパンキーの肩を叩く。
「キミをこの街から連れ出したりはしないさ。キミはここで生きているズーブルズなんだもの」
ハピの言葉に、パンキーは少し寂しくなってしまう。急に突き放されたような、そんな寂しさだ。
「あの、あのボク…」
ハピとなら、街を出てもいいよ。
そう言いかけたパンキーの唇を、ハピは人差し指と笑顔で塞いだ。
自分の唇に触れた彼の指先の愛おしさに、パンキーは思わずキスをするようにしてその指を唇でなぞった。
その感触のくすぐったさに吐息を漏らしたハピは、パンキーのおでこに唇を寄せて囁く。
「パンキー、キミがここに居てくれなくちゃ、次に僕がこの街に来る楽しみがなくなっちゃうからね」
ここでパンキーは初めて理解した。
多分、いや絶対、ボクはハピのことが好きになっちゃったんだ。
おでこに触れた柔らかさに、パンキーはそこから広がる熱っぽさを感じて声を漏らす。
しかしハピはそれ以上パンキーに触れることはなかった。
「じゃあ…僕はもう行かなくちゃ」
「えっ、あ、えぇっ!行っちゃうのかモン!?」
突然のことばかりでパンキーの頭はなかなか切り替わらない。
まさかこんなに早く、そして自分が彼への好意に気がついてすぐに、別れを切り出されるだなんて。
戸惑って悲しげに顔を歪ませるパンキーに、ハピは申し訳なさそうな顔をして謝罪する。
「残念だけど、もう余り時間がないんだ。ごめんよ」
「そ、そうなんだモン…」
「そんな悲しそうな顔しないでパンキー。キミと出会えて、僕はとても幸せだったんだ」
そう言って微笑んだハピの顔を見て、パンキーの目には涙が滲む。
ハピはパンキーの瞳から溢れそうになる雫を指で拭って、そしてもう一度おでこに触れるだけの口付けをした。
ゆっくりと離れる彼との距離。パンキーはダメだと解っていても、ハピを呼び止めてしまった。
「ハピ!」
次の街へ向かおうと背を向けたハピは、振り向かずに足を止める。
パンキーはその背中に、途切れ途切れに懇願した。
「あの、その…また、この街に来てくれるモン…?」
「ああ、必ずまた来るよ」
振り向かないまま丸くなって転がりだしたハピを、パンキーは滲む目を擦りながらずっとずっと見送っていた。
***
自分を見送ってくれたパンキーの姿が見えなくなるところまでくると、ハピは背後の、いや頭上の気配に声を掛けた。
「花の街のクマンパ」
名を呼ばれた者は、天から降りてハピの目の前に具現化する。
白熊の玩具のような形をしたそれを、ハピは冷たい眼差しで睨みつけた。
「貴方は一体何者なんです」
「クマンパはクマンパぞな~。それ以外の何者でもないぞなもし~」
「パンキーに、何をしたんですか。彼のフレーバーには“他に何も無かった”。…生まれたてのズーブルズみたいに」
クマンパは飄々とした態度で時折笑いながらおどけてみせる。
「不必要な詮索は命を縮めるぞな~」
「その僕らの“命”とやらは、どこから生まれるんでしょうね」
「クマンパ、哲学は苦手ぞなもし~」
ハピが詰め寄ろうとすると、クマンパは「さいなら~」と間の抜けた声を残して天へと消えてしまった。
今はただ溜息を吐いて、それを見送るしかできない。
「相変わらず、掴み所の無い“神様”だ」
どうせまた、自分の旅路はあの“神様”にリセットされて、振り出しに戻るのだ。
だけど歩みを止めるわけには行かない。
何度も何度も繰り返した旅で初めて、“果て”を知りうる者に出会えたのだから。
「…パンキー」
ハピはその名前を呟いて、ぎゅっと掌で包むように握る。
鍵は得た。後はその鍵で開きうる錠前を探すだけ。
ごろん、とキャンディーの形に姿を変えたハピは、再び旅を始める。
何度でも、何度でも。
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ズーブルズ、ハピ×パンキー。4/19放送の「さすらいのズーブルズ」のifとして書きました。ハピにキュンとしたときのパンキーがかわいかったです。あとは極彩色の爆丸か何か?/【追記】最後のやりとりはキャンディーファクトリー回を踏まえてのものです。