No.402623

真恋姫無双~天帝の夢想~(董卓包囲網 其の六 陥落)

minazukiさん

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2012-04-04 11:06:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:8339   閲覧ユーザー数:7151

(董卓包囲網 其の六 陥落)

 

 時間を少しさかのぼって虎牢関。

 音々音と桂蘭は的確に援軍を送り出しては後退させてを指示していた。

 

「まったくヘボ男のせいで忙しいですぞ」

 

 もし文句が形となって見えているならばすでに音々音の文句はすでに山積みになっていた。

 それを横目に桂蘭は文句一つ言わず指示を出していた。

 

「予備兵力をここに配置して張遼隊を支援するように。それから呂布隊の支援も忘れないように」

 

 黒色の色の猫耳フードはゆっくりと揺れ動く中、どことなく面白くなさそうな表情を浮かべている桂蘭は椅子に座って用意されていた冷めたお茶を一口呑んだ。

 

「一刀様はまだ戻りませんか?」

「まだですぞ。まったく、弱いくせに外に出るなんて考えられません」

「陳宮って一刀様のこと嫌いなのですか?」

「ヘボ男のどこがいいのか、ねねが聞きたいぐらいです。荀攸殿は随分と評価しているみたいですが?」

 

 音々音に言われるまでもなく、桂蘭は一刀をある程度だが評価はしていた。

 それは皇帝を、漢王朝にとって必要な人物であるからだった。

 そうでなければ好き好んで仕官などしなかった。

 

「ねねは恋殿のためにいるのです。だからヘボ男がどうなろうが全く関係ないのです」

「その割には任されたことはしっかりこなしているですね」

「そ、それは、ねねは軍師ですから仕方なくです」

 

 複雑な表情を浮かべる音々音はため息を漏らす。

 

「こんなことならば詠殿も連れてくればよかったんです。そうすればヘボ男がこんなに出歩くことはなかったのです」

 

 無論、詠が洛陽に留まっている理由は知っている。

 それでも愚痴りたくなる時もあった。

 

「それよりもどうなのですか?いつまで耐えればよいのですか?」

「さあ。まだみたいだし、もうしばらくは現状維持かと」

 

 正直なところ、現状で連合軍の総攻撃が行われればいかに難攻不落といっても総大将が討ち取られる、もしくは捕縛される危険があり敗北は免れない。

 

「どちらにせよ一刀様が戻られない限り、こちらは言われたとおりにする。それ以外の選択権はないはずです」

 

 ただ、状況によっては一刀に言ったことを実行するつもりである桂蘭は、その準備も怠らなかった。

 そんな中、ふと関内を見るとあることに気がついた。

 

「陳宮ってさ、目は良い方ですか?」

「何を言っているのですか。まぁねねはしっかり見えておりますが、それが何か?」

「あれって味方の兵士ですよね?」

 

 桂蘭の指差すほうを見た音々音。

 鎧の色からして味方であるには違いなかったが、どういうわけか天幕の中を確認しては次の天幕の中を除いていた。

 

「誰か探しているのでしょう」

「気になるので行ってきますね。ここは陳宮にお願いします」

「ま、待つのです!」

「すぐ戻ります」

 

 音々音は慌てて呼び止めようとしたがすでに楼閣から姿を消していた。

 

「何なのですか、一体?」

 

 首を傾げる音々音はもう一度、味方の天幕の方を見たが別に変わったところはなく、それ以上に大変な目の前のことに専念することにした。

 

「お目当ての物は見つかりましたか?」

「……」

 

 天幕を除いていたその兵士は後ろからの声に驚いたのかわずかに上に動いた。

 そんな振り向くことをしない兵士に桂蘭は目を細めて、じっとその背中を見ていた。

 

「味方であれば敵前逃亡で処断。敵であれば問答無用で討ち取る。どちらがお好みでしょうか?」

 

 どちらが正解であってもその兵士の運命は決まっている。

 数人の兵士がその兵士を取り囲んで槍を突き出した。

 

「無益な抵抗はしないほうがいいですよ」

「無益な抵抗?」

 

 初めてその兵士は表情を変え、ゆっくりと振り返って桂蘭に笑みを見せた。

 

「捕縛しなさい」

 

 命令が下ると兵士達はゆっくりと近寄っていき肩を掴んだ。

 その瞬間、肩を掴んだ兵士は宙を舞い、桂蘭達の後ろに背中から落下した。

 

「貴様!」

 

 他の兵士達は怒号とともに槍を一斉に突き出した。

 半包囲していたため逃げ場はなく倒したと思ったが、槍は虚しくお互いに当たり本来の対象となる兵士は天高く跳躍していた。

 

「ふっ」

 

 短く笑いながら身につけていた鎧と兜を脱ぎ捨て、そこから現れたのは一人の女将であり、拳を重なった槍に叩き込んだ。

 そして地面に着地した時には彼女に向けられていた槍は無残な姿を晒し、動きを止めてた兵士達に今度は蹴りを叩き込んだ。

 

「強いですね」

 

 護衛の兵士達をすべて倒された桂蘭。

 まさか自分達の陣営に間者が紛れ込んでいて、しかもかなりの使い手とくれば学問で鍛えた頭脳派の自分など勝てる要素がどこにもなかった。

 

「董卓軍の軍師か?」

「董卓軍?私は漢王朝にお仕えしている荀攸と申します」

「荀攸?」

 

 女将はその名前にほんの少しだけ気になった。

 だが今はそんなことよりもやるべきことがあった。

 

「私にはどうでもいいことだ」

「みたいですね。まぁ貴女方は卑しくも皇帝陛下に弓を引いているのですから私としてもどうでもいいことです」

「我々は朝廷を蔑ろにする董卓を討伐するために兵を挙げたのだ」

「その董卓を信用して重職につけたのは皇帝陛下ご自身であるのですよ?そして董卓が悪人かどうかきちんと確かめずに兵を起こすなんて、なんて短慮なのでしょうね」

 

 一歩間違えば連合軍はすべて朝敵となり逆賊の汚名を着ることになるとは考えもしないのかと少し呆れる桂蘭。

 ようやく前にを向いて動き出そうとしている朝廷をまた混乱の渦中に沈められるのは桂蘭にとってもあまり楽しいことではなかった。

 

「どうせどこかの野心家が適当なことを言って扇動しているんでしょうけどね」

「……」

 

 何も言ってこないところを見ると、首謀者が目の前の女将の主君であることを見抜いた桂蘭は薄っすらと笑みを浮かべた。

 武力がなくとも知略でこの場の危機を乗り越えられると思った桂蘭だったが、それは誤りだった。

 女将は桂蘭に負けず劣らずの笑みを浮かべ、こう言った。

 

「ならば都に戻すわけにはいかないな」

「何を言っているのかわからないんですけど?」

 

 朝廷という切り札をちらつかせても引こうとしない相手に対して桂蘭は焦りを覚えた。

 

「言葉どおりの意味だ」

 

 そう言うと女将は桂蘭の目の前から消えた。

 

「っ!」

 

 気づいた時には鳩尾に激しい痛みが走った。

 

(嘘でしょう?)

 

 朝廷に仕える自分がまさかこんな目に遭うとは思いもしなかった。

 これもすべて仕官したせいだ。

 余計な才能なぞ見せなければよかった。

 そして一刀の身勝手な行動を許さなければ、こんなことにならなかったのだ。

 

(なんだか……もうどうでもいいわ……)

 

 そう思って桂蘭は意識を手放した。

 そんな彼女を女将は肩で支えてそのまま担ぎ上げた。

 

「楽進様!」

 

 そこへ同じ鎧を身に纏った兵士がやって来た。

 

「もはやここに用はない。火を掛けよ」

「はっ」

 

 指示を下した楽進はゆっくりと天幕の間を歩いていく。

 すぐにあちらこちらから煙とそれに倍するさわぎが起こり始めた。

 

「荀攸殿!」

 

 楽進が去ろうとする前に息を切らせながら走ってきた音々音が見たのはその後姿だった。

 何が起こっているのか、なぜ見知らぬ者が桂蘭を連れて行こうとしているのか、まったくわからなかった。

 だがひとつだけわかっていることは、目の前の者は自分達の敵だということだった。

 

「怪我をしたくないならそこを動くな」

 

 それは殺気の篭った声だった。

 小さな身体に纏わりついていくそれが音々音から声を奪っていく。

 音々音が出来たことといえばその場に尻餅をついてこの恐怖がさっさと消えてくれることを祈ることしか出来なかった。

 初めて感じる恐怖。

 

「それでいい。それがお前を生かすことになる」

 

 笑みを浮かべるわけでももう一度振り返るわけでもなく楽進はただ真っ直ぐに歩いていった。

 やがてその姿は消え去り音々音が一人、取り残された。

 

「れ、恋殿……助けてくだされ……」

 

 ここにはいない彼女が最も信頼し心から敬愛する真紅の髪の少女はいなかった。

 必死に堪えていた涙は溢れ出て、小さな身体を両手で庇うように肩を掴んだ。

 

「えぐっ……えぐっ……えぐっ……」

 

 身体を丸めていく音々音はもはや戦況を気にする余裕もなくなっていた。

 そんな経緯を戦場の真っ只中の恋や華雄、霞達は知らなかった。

 

「死にたくない奴等はそこをどけ!」

 

 単騎で突き抜けていく華雄だったが、新たについた傷ばかりか応急手当をした傷も開いていた。

 それでも止まることをせず、ただ一刀の姿を探し回った。

 

「華雄!」

 

 そこへ数騎を引き連れて霞がやってきたがその姿はすでに返り血と汗などで汚れていた。

 

「張遼か」

「一人で何しとんや?」

「総大将を探しているところだ」

「一刀がどないしたんや?ってまさかこっちにおるんかいな?」

 

 華雄の無言の答えに霞は拳を力強く握り締めた。

 その表情は華雄以上に冷静だったが、両目は怒りと冷たさを伴っていた。

 

「ほな、ここにおる敵全部、叩き潰せば一刀が見つかるちゅうことやな?」

「お、おい、張遼」

「華雄、何も言わんときや。今のウチは怒りを通り越しとんや」

 

 向かってくる敵兵に一切の慈悲を見せることなく一撃で兜ごと真っ二つにした。

 次にやってきた敵兵も同じ運命を辿っていく。

 

「恋もおそらく一刀を探しとるはずや。ウチも手加減はもうする必要はないわ」

「……わかった。なら私は別で北郷を探す。見つけたら何が何でも連れ戻す」

 

 そう言って華雄はその場から離れようとした。

 霞は不意に声をかけた。

 

「華雄」

「何だ?」

「死んだらあかんで。みんなで生きて戻るんやからな」

「貴様に言われるまでもない。私は生きて董卓様の元に戻ると決めているのだからな」

 

 霞と同じように遠慮の欠片も見せない一撃を敵兵に叩き込んでいく華雄は不敵な笑みを浮かべて再び馬を動かした。

 

(華雄、死んだらあかんで)

 

 それは自分にも言える言葉だった。

 

「張遼将軍」

「何や?」

「こ、虎牢関が!」

 

 振り返った先には煙が上がっているのが見えたが、今更、霞は驚きもしなかった。

 この状況で戻るのも進むのも困難になり始めている。

 ならばどうするか。

 

「あんた等は虎牢関まで戻りや」

「将軍はどうなされるのですか?」

「ウチはこいつ等を全員、叩き潰すまで戦う。だからあんた等は生きて戻りや」

 

 ここからは個人の戦い。

 それに付き合わせるほど霞は極悪でもなんでもなかった。

 ただ、彼女に付き従ってきた者達はもっとも安全な生きる道よりも困難な生きる道を初めから選んでいたようでその表情は不敵な笑みで満ちていた。

 

「我々は最後まで将軍について行きます」

「……アホばっかりやな」

 

 命の保障はどこにもないが、それでもその意思を否定ことは霞には出来なかった。

 

「ほな、生き残りたい奴は最後までついてきるんやで」

「オオオオオッ!」

「行くで!」

 

 そう言って張遼隊は真っ直ぐに突き進んだ。

 この時点で正確に把握して董卓軍の動きがおかしいと感じたのは連合軍の本隊の中で華琳だけだった。

 そして虎牢関から煙が上がっているのを見て誰にも気づかれないように薄っすらと笑みを浮かべていた。

 

「麗羽、もっと全面に兵力を押し出しなさい。そうすれば敵は崩壊するわ」

 

 主力を動かしてなお、余力のある袁家をさらに消耗させるつもりでいた華琳だったが、麗羽は考えてかそれともただ単にそう思ったのか、華琳の期待する答えを口にした。

 

「もちろんですわ。袁家の力を皆さんに見せてこそこの戦いは華麗なのですか」

「そうね。そうすれば貴女の名声は天にも昇るわ」

「当然ですわ」

 

 一歩間違えば逆賊の汚名を被るかもしれないというのにどこまでも馬鹿、もとい前向きな麗羽を心の中で苦笑する華琳。

 このまま消耗戦となり袁家の力が少しでも削ぐことが出来れば華琳にとって嬉しいことだった。

 今のところ、彼女の思惑は何の問題もなく進んでおり、このまま完勝すると思っていた。

 だが、後方の補給隊の護衛に置いていた自分の軍から急を要する早馬が彼女の元にやってきた。

 

「どういうこと?」

 

 麗羽には見えないところで華琳は報告を聞いて表情を曇らせた。

 その報告とはほぼ無防備な汜水関が再奪取され補給部隊が襲われているというものだった。

 すぐに援軍を差し向けるべきだとわかっていたものの、この時の華琳はなぜかそれを即決しなかった。

 

(せっかくの戦功を捨ててまで後方にいく者がいるのかしら?)

 

 補給部隊がたとえ全滅しても前面の敵をすべて倒せば問題ないと思っている諸侯であれば、彼らからすればそんな些細なことなど華琳に押し付けてくる可能性の方が大きかった。

 

(もっと消耗させたかったけどこの辺りが潮時ね)

 

 華琳はなぜ敵が汜水関をあっさり明け渡したのか、その本当の理由をここにきて理解した。

 虎牢関と汜水関の間に大軍を閉じ込めて精神的な敗北を与えるつもりなのではないだろうかと。

 これも天の御遣いが施した策と思えば、恐ろしいことであり、ますます自分のものにしたくなった。

 

「このことはいずれ知れ渡るわ。それを少しでも遅らせるように伝えなさい。それと私の軍はできるだけ敵と戦わないように避けるようにしなさい」

 

 華琳の言葉をそのまま受けた早馬はすぐに引き返していった。

 補給部隊が全滅したところで自分の軍が傷ついていなければたいした問題ではなかった。

 何よりも天の御遣いの実力を賞賛すると同時に、この戦いはどんなことがあっても『自分』に不利益があってはならないと華琳は強く思った。

 上機嫌に軍を進めている麗羽のところに戻った華琳は一切の情報を隠したまま、麗羽に進軍をさらに勧めようと決めた。

 

「あら、華琳さん。顔色がすぐれませんわよ?」

 

 戻ってきた華琳を見て麗羽は上機嫌に声をかけてきた。

 

「気のせいよ。このまま勝利をすれば貴女の名声が高まるのが羨ましいだけよ」

「当然ですわ。この私は袁家の当主にして華麗なのですから。でも華琳さんは私の友人なのですからその慎ましい胸をもっと堂々と張っていればいいのです」

「……それはどうも」

 

 他のことで何を言われても聞き流せるか冷笑できる自信のある華琳だが、こと胸のことに関してそうはいえなかった。

 だが、今はこの戦いの佳境を迎えている。

 華琳にとって重大な問題でもそれを優先させるほど冷静さを失っていなかった。

 

「このまま一気に都まで突き進むわよ、麗羽」

「もちろんですわ。おーっほっほっほっほっほっほ」

 

 もはやこの人物には無用なことは言うまいと華琳は思った。

 だが、圧倒的な数で圧倒し始めたはずの連合軍だったが、それは最前線で戦っている者達からすれば嘘だと叫びたくなるほどの凄惨な風景が広がっていた。

 華雄、霞が鬼神のごとく突き進んでいるとすれば、恋はそれを遥かに上に行く存在だった。

 

「ご主人様……どこ?」

 

 身体の中から溢れ出て止まることが出来ない不安。

 その度に腕が動き濁音混じりの悲鳴が戦場に響いては消えていく。

 敵中に一人、ゆっくりと歩いていくその姿に連合軍の兵士達は仲間の骸を超えて群がっていく。

 

「邪魔」

 

 もはやこの戦いの勝敗よりも一刀を探し出すことが何よりも大切になっている恋は自分の邪魔をしてくる敵兵に容赦なく方天画戟を振り回していく。

 刃に当たり一瞬の痛みで終わる兵士はまだ幸福だったかもしれない。

 柄に辺り激痛に襲われ、仲間の兵士に踏みつけられさらに苦痛を伴いながら息絶える兵士はまさに地獄そのものだった。

 

「ご主人様……」

 

 突き出される槍を直前まで避けることなく、隙だらけになった敵兵の背中から方天画戟が抜き出る。

 

「い、い、いまだ……」

 

 決死の覚悟で恋の動きを止めようとした兵士に他の兵士達は周りから一斉に槍を突き出した。

 逃れる死角などどこにもない。

 誰もがそう思った。

 

「ご主人様」

 

 それは戦場の中で微かな声だった。

 悲しみに染まっていた表情はまるで魂を抜かれたかのように虚ろさを漂わせていく。

 同時に、彼女に向かっていた槍はその直前で止まった。

 

「どこ?」

 

 まるで金縛りにでもあっているのか兵士達がどんなに槍を突こうとしてもそれ以上動かない。

 何が起こっているのかその場で理解できる者は誰一人いなかった。

 恋はもう一度だけ同じ言葉を口にした。

 

「ご主人様……」

 

 兵士を方天画戟で貫いたまま真っ直ぐに跳躍した。

 盾にされた兵士を途中で放り捨てると、恋は今までよりもさらに動きを速くし、次々と敵兵士を討ち取っていった。

 その中には将と思われる者もいたが名乗りを上げるどころか、兵士達と同じ運命を辿っていた。

 

「ば、ば、化け物……」

 

 立ち向かってくる者だけではなく、その光景に怖気つき武器を捨てて逃げ出そうとした者達にも容赦のない斬撃が加えられた。

 戦という枠を超え、一方的な殺戮。

 返り血に染まってもまったく気にすることのない恋。

 

「……」

 

 一刀を呼ぶ声もなくただ目の前にいる全ての者が敵でしかなくなっているかのように、恋は静かに方天画戟を振るう。

 

「た、たすけてくれ……」

「に、に、にげろ……」

「ぎゃあああああ」

 

 そんな悲鳴は尽きることがなかった。

 やがて悲鳴は消え去り、恋の周りには鮮血の海と、人だった物が無言で転がっていた。

 全身は紅く染まってなお、表情は虚ろで周りを見回す恋に愛紗と鈴々が再び現れた。

 

「これは……」

「す、凄いのだ……」

 

 凄惨な光景を目の当たりにした二人は息を呑む。

 数百、いやもしかしたら数千の骸だろう、どれもが原型を辛うじてとどめているだけで、それを一人で倒したという事実に愛紗達は恋が想像を遥かに超えた存在なのだと改めて実感した。

 

「だが、これは酷すぎる」

 

 言葉どおり一切の慈悲を感じさせない倒し方に愛紗は武人として恥じるべきものではないかと思った。

 

「呂布」

 

 愛紗の言葉に顔を向ける恋。

 一歩、一歩とゆっくりと方天画戟を引きずるようにして向かっていく。

 殺気があるのであれば戦いやすいが、今の恋からはそれとはまったく別なものをはなっており愛紗や鈴々ですら身構えるだけで迂闊に動けなかった。

 それでもさっき戦った時の強さは紛れもなく本物であり、武人としては強者と戦うことは本望だった。

 

「これはお前一人でしたのか?」

「……」

「これでは武人とは言えぬ。お前も一人の武人ならばこのような……」

 

 言い終わる前に恋が方天画戟を振り上げたまま愛紗に近づき力任せに振り下ろしていく。

 ぶつかり合う二つの武器はまるで悲鳴を上げたかのような音を奏でた。

 

「くっ」

「愛紗!」

 

 間一髪で恋の一撃を受け止めた愛紗に声をかける鈴々。

 助けようと動こうとした鈴々だったがそれよりも早く愛紗が制止の声を上げた。

 

「来るな。来てはならぬ」

「で、でも……」

「大丈夫だ。これぐらいならまだ一人でもどうにかなる」

 

 力こそさっきよりも重く感じられたが、押しつぶされるような感覚はなかった。

 代わりに奇妙な感覚が伝わってきた。

 

「お前、ご主人様どこかやった?」

「ご主人様……だと?」

「……」

「お前のご主人様など知らぬ」

 

 押し返し始める愛紗。

 斬られた髪のことなど今更どうでもよかったが、目の前の恋の様子は只ならぬものだと感じて何とか理由を聞き出そうとした。

 

「こんな戦い方をしてまでお前のご主人様を探しているのか?」

「……」

「こんな惨いことをしてお前のご主人様は悲しまないのか?」

「……」

 

 方天画戟に力が加わっていき愛紗はそれに負けないように力を入れていく。

 

「ご主人様……返す」

「私は知らぬと言っているだろう」

「ご主人様、返す」

「だから知らぬと言っているだろう!」

 

 このままでは埒が明かなかったがここで力を緩めるわけにはいかなかった。

 ぶつかり合う力はこのまま続くかと思った矢先、誰かが恋の後ろに現れた。

 

「そこまで」

 

 その声と同時に恋から力が抜けていき、愛紗の方へ力なく倒れていった。

 それを愛紗は何とか抱きとめ、声のした方を見た。

 

「星」

「愛紗が勝てぬ者だから後ろから近づくのも難しいと思ったが、こちらにまったく気づきもしないとは。それよりも無事か?」

 

 公孫瓚軍の客将である趙雲こと星は薄っすらと笑みを浮かべて立っていた。

 

「手出し無用……と言いたいが今回ばかりは助かった。礼を言う」

「こちらも桃香殿に頼まれたから助力したまでだ。礼を言われるまでもないぞ」

「それよりもこの者の変貌が気になる」

 

 星は恋が通ってきた道を見て、ふむと一言漏らした。

 どういう変貌を遂げたかまでは聞く必要もなかった。

 

「それよりもその者をどうするつもりだ?そのままにしておけば他の者に手柄を奪われるが?」

「この状態で討ち取っても卑怯者と呼ばれるだけだ。それに、この者が探している者を見つけて会わせてやりたい」

 

 そうすれば再び正々堂々と正面から戦える。

 そうするのが一番なのだとなぜか愛紗は自分に言い聞かせていた。

 

「それならすぐに桃香殿のもとに戻って軍を引くことだ。この戦はもう長くはない」

「どういうことだ?」

「袁紹殿や多くの諸侯は気づいていないようだが、後方で何かあったようだ」

「後ろ?」

「どちらにせよ、このまま前進して一気に関を抜けば我らの勝ちになる。そうなればその者の処遇は袁紹殿によって決められる」

 

 最悪の場合、賊軍の将として責任を取らされる。

 そうなる前にどこか安全な場所へ隠せと星は愛紗の様子を見て無言でそう伝えた。

 

「わかった。代わりに一つ頼みを聞いてもらえぬか?」

「ほう、愛紗が頼みとは珍しい。して頼みとは?」

「この者が探している者、おそらく天の御遣いなる男を捜してもらいたいのだ」

「天の御遣い?」

 

 星もその存在の噂は知っていた。

 だが、天の御遣いがこのような血生臭い戦場にいるのかと疑問を持った。

 それを確認すると愛紗はさっきあった一刀のことを話した。

 

「ふむ。お主は嘘を言っているわけではないことは理解できた。だが、この中で探し出すのは困難だぞ?」

「わかっている。だが、そうしなければならないと思ってしまうのだ」

 

 純粋に戦いたいだけなのだと、なぜか自分に言い聞かせる愛紗を見て星はふむと頷き彼女の願いを受け入れることにした。

 

「そうと決まればすぐに後退せよ。もはやここにいても何の益もない」

「そうしよう。星、頼んだぞ」

 

 恋を連れて桃香のもとに向かう愛紗達を見送る星。

 

「愛紗ほどの者が認める武か。一度、立ち会ってみたいものだな」

 

 星自身も自分の武に自信はあった。

 だがそれを無駄に放出するようなことはこれまで一度もなかっただけに、どことなく嬉しそうだった。

 

「さて、愛紗との約束を守るとするか」

 

 こちらも星にとって興味の持てる話だった。

 天の御遣いをもし見つけて、自分だけのものにしようとは思っていなかったが、もし彼女がダメな存在だと感じれば愛紗には申し訳ないが見てみぬ振りをしようと考えていた。

 

「この戦で天下がどう変わるか。私にはわからぬな」

 

 愛紗達の姿が見えなくなった後、星は一度だけ空を見上げて一刀を探すため混戦の中にその白き衣を靡かせていった。

 華雄と別れて一刀を探し続けていた霞の前に『孫』の旗印が見えた。

 追随してきた者達はもはや誰もおらず、霞がただ一騎で進んでいた。

 そこへ三本の矢が霞の馬の前に突き刺さり、驚く馬を巧みな動きで制しながら霞は飛んできた先を見た。

 

「ほう、威勢の良い若者じゃな」

「なんや、あんた?」

「相手の名を聞く前に自分の名を言うのが礼儀ではないかの?」

 

 からからと笑うのは孫家の重鎮である祭だった。

 弓に三本の矢を掛け僅かな隙でも見せれば霞を一瞬にして射抜く自信を感じさせていた。

 

「確かにな。あんたの言うように自分から名乗るのが礼儀や。でもな、今のうちはそんな余裕はないんや。邪魔するんなら容赦せいへんで」

「ふむ。なら邪魔をしてみるかの」

 

 言葉が途切れるのと同時に三本の矢が霞を襲う。

 横に避けることができないと判断した霞は飛龍堰月刀を振るって叩き落とした。

 その瞬間、別の矢がまた三本、霞を襲ってきた。

 

「ちっ」

 

 今度は斜めに飛ばしてきており、飛龍堰月刀を動かしても一本は当たると思った。

 予想通り、二本の矢は飛龍堰月刀の柄で弾き飛ばしたがその間隙をすり抜けて一本が霞の肩を貫いた。

 

「ほう、六本の中で一本だけが命中か。なかなかやるのう」

「おおきに。ほな、そこをどいてもらってええかな?」

「……断ると言えば?」

 

 意味深に答える祭に霞は何かに気づいた。

 単騎で戦う自分に対して孫家の兵士はまるでこの先に何かを守っているぞと言わんばかりに守りを固めていた。

 

「なんや?こっちは一人やのに大勢で戦うつもりなんか?」

「なあに、これ以上、お主に好きに動かれても困ると思っての。この辺で引いてくれんか?そうすれば無用な追撃もせぬし、戻る場所まで他の軍を押さえておくぞ?」

 

 悪い話ではなかろうと祭は付け加えたが、霞は即答をしなかった。

 敵を見逃すというだけでも武人として馬鹿にされ、さらに戻る場所などたった一つを除いてどこにもなかった。

 

「退かぬか」

「悪いけどそこは通してもらうわ。ウチは今大切なものを捜しているんや」

「大切なもの?それはもしかして天かの?」

 

 どこかからかう様に祭が言うと霞は表情から温もりが消えていった。

 

「あんた、知っとんのか?」

「はて、なんのことやら」

 

 どこまでもとぼける祭に霞は飛龍堰月刀を握る手に力を込めていく。

 霞からすれば祭が自分の捜しているものの在り処を知っており、それも近くまで来ていることをその肌で感じていた。

 

「これ以上の問答はいらんわ。どかな強引にでも通るまでや」

 

 馬に激を入れると一切の躊躇なく祭に向かっていく霞。

 それを迎え撃つように祭も弓を構える。

 研ぎ澄まされた三矢が弓から離れ真っ直ぐに飛んでいく。

 

「邪魔や!」

 

 両手で飛龍堰月刀を持ち矢を叩き落した。

 だが、それは三本中二本だけだった。

 一本は馬の腹に当たり、それに驚いた馬は前足を高々に上げた。

 

「しまっ……」

 

 普通ならば手綱を手放したところで馬術に優れていた霞が馬上で体勢を崩すことありえなかったが、今度ばかりは冷静さを失っていたことが仇となっていた。

 

「ちっ」

 

 それでも落馬だけはしないように馬と落ち着かせようとする霞を見て祭は感嘆の声を上げた。

 しかし馬の方は矢傷がこたえているのか、なかなか収まらないばかりか主を振り落とそうとしていた。

 

「殺すのには惜しいの。生け捕りにするか」

 

 祭は周りの兵士に霞を捕縛するように命令を下した。

 周りに群がってくる孫家の兵士達に気づいた霞は馬に乗っていてはまずいと思い、仕方なく馬から飛び降りた。

 迫ってくる槍を弾き飛ばすがそれでも怯まず、連携をしているかのように絶え間なく槍を突き出していく。

 槍だけを弾いてもその場から動けない霞は焦りと苛立ちで力が無駄に入っていた。

 

「ほんに惜しいの。もう少し冷静さを保つことが出来ればさらに良き将となるのに」

 

 歴戦の将である祭からすれば霞の強さを認めた上でさらに向上する可能性を見抜いていた。

 

(冷静さを失うというのは武人としてまだまだじゃな)

 

 かつて自分が主君と仰ぎ友と思っていた者を失った時のことを思い出す祭はその気持ちがわからなくもなかった。

 必死になって救い出そうとしている霞に自分を重ねる祭は会わせてやってもいいかと思ってしまったが、それはあくまでも捕縛に成功した後だった。

 それに雪蓮が一刀に執着しているところを霞が知った時、今のように必死になって取り戻すかどうか試してみたいとも思っていた。

 

「疲れさせればよい。無理してもこちらに被害が出るだけじゃからの」

 

 あくまでも疲労させて捕縛する。

 もはやこの戦いは連合軍の勝利へと向かい始めているため、本気で戦うようなことは避けていた。

 

「いい加減にせえや」

 

 さすがの霞も息が切れ始めていた。

 槍ばかりを弾いていても無駄に力を入れている霞は体力の消耗が激しかった。

 

「ちょこまちょこまと……。本気でかかってこんのか!」

「本気でするほど今のお主はたいしたことがない」

「なんやて?」

「大人しく帰れば良しと言ってなお、進もうとするその愚かさ。お主の主がそれを知ればさぞ呆れるじゃろうな」

 

 薄っすらと笑みを浮かべる祭に霞は言い返せなかった。

 霞にとって一刀は黄巾の乱を通して仕えるに値する人物だと認識したからこそ、彼の手足になることを望んでいた。

 そして一刀が行方不明になったことを知った時、今まで感じることがなかった何かが自分の中から溢れ出る嫌な感覚に身を任せてここまでやってきた。

 やり方は違えど、霞は恋と同じように暴走をしていた。

 それを一刀が知れば怒りをぶつけてくることはないが、哀しみを向けてくるのは間違いなかった。

 

「お主は何かを取り戻そうと必死になっておるが、それがいつも通用するとは思わぬほうがよい。もしお主が儂らに降伏するというなら望みを叶えるのに手を貸してもよいぞ?」

 

 祭の提案に霞は一瞬、それもでいいかもと思ってしまった。

 同時に自分がそれをすれば華雄や恋ばかりか味方である者達全員を裏切ってしまうということがそんな思いを打ち消した。

 

「ウチは自分の欲しいものは自分の力で手に入れるんや。せっかくやけどその申し出はお断りや」

「そうか。これほど言っても聞かぬとあれば仕方ないの」

 

 そう言って祭は手を上げると周りの兵士達はさっきまでとは打って変わって殺気を込めて霞に槍を突き出した。

 逃げ場は上か下だったが下に逃げれば捕縛されると思い上へ飛んだが、それは祭が仕組んだ罠の本命だった。

 祭の放った三本の矢は霞を貫いた。

 

(一刀……)

 

 助けられなかった悔しさと共に霞は地面にその身体を叩きつけて意識を手放した。

 同時刻、華雄も前進が止まっていた。

 すでに馬は失われ、全身に矢傷や切傷がつけられ立っているのがやっとだった。

 

「ま、まだだ……」

 

 気力で向かってくる敵兵を斬り伏せるがもはや限界に達していた。

 息が切れボロボロになっても膝をつくことだけは回避していたが、それも時間の問題だった。

 

(こんなところで負けるものか。私は董卓様を守らなければならぬ。そのためには奴を連れ戻さなければ……)

 

 弱いくせに前に出て周りの者を心配させるその性根を叩き直したくなる思いになる華雄だったが、今は自分の限界が先にくる悔しさが溢れ出ていた。

 何時倒れてもおかしくない状況の中で華雄は戦ったが、彼女が思っていたよりも早く限界を迎えた。

 向かってきた敵兵を斬り伏せたが、一瞬力が抜けてしまいそのまま地面に倒れこんでしまった。

 

(ここまでか……)

 

 今の自分ならば雑兵でも討ち取れる。

 名のある将に討たれるのであればまだましだが、雑兵となると死んでも死にきれなかった。

 だが、倒れてからというもの止めを刺す一撃はまったくこなかった。

 味方が来ている様子も感じられない。

 何が起こっているのだろうか、華雄にはわからなかった。

 

「華雄将軍、華雄将軍」

 

 不意に身体が揺さぶられ薄れていく意識を呼び起こした。

 顔を上げるとそこには魏続と侯成の姿があった。

 ただし二人とも華雄に負けず劣らずの傷だらけだった。

 

「よかった。何とか間に合った」

「貴様達……なぜここに?」

「助けにきたんです」

「馬鹿者。さっさと逃げろ」

 

 もはや自分達の勝利などありえない。

 それならば撤退するべきなのに自分を助ける二人に華雄は思わず罵声を浴びせた。

 

「虎牢関はもうだめです。あっちこっちから火があがっていました。でもこの戦いは私達の勝ちですよ」

「何を言っている?」

「連合軍の後ろを押さえたんです。味方が退路を絶ったんですよ」

「な……に?」

 

 連合軍の兵士に紛れて報告に来た味方の兵士から汜水関を再奪取したと聞いた二人は敗北感に包まれている中で喜びを感じた。

 それを報告しようと後退していたのをやめて、一刀か恋を探していたが何処にも見当たらず、戦場を渡っていると華雄を見つけたのだった。

 

「もう少し早ければ……」

 

 もう少しこの報告が早ければ一刀が行方不明になることも、味方が敗北するようなこともなかったと悔しがる華雄。

 そんな華雄を見て魏続と侯成は不思議がった。

 

「北郷がいなくならなければ……」

 

 行方不明になっていなければ勝利の雄たけびを上げていたに違いないその報告は今ではむなしさだけを漂わせていた。

 そして虎牢関に立て篭もって抵抗を続けることは報告からして不可能だと同時にここまでだと思った華雄は仕方なく血路を開いて後退することを二人に伝えて、疲れきった身体に鞭を打って立ち上がった。

 数刻後、戦場から華雄らによって残存兵力は離脱し、難攻不落と称された虎牢関は連合軍の手によって陥落した。

 残されたのは黒煙と鼻を覆い隠したくなるほどの鮮血の匂いだけだった。

 

(あとがき)

 気がつけば最後の更新から1年四ヶ月あまりがすぎていました。

 何かとやることが増えたり、私自身の精神的なダメージもあり更新しようという気力がありませんでした。

 しかし、最近になってログインをして皆様からのコメントを読ませていただき、せめてこの作品だけは完成して終わろうと思い、再び更新を再開させていただきました。

 気長に待っていただいた方々、そうでない方々に対して深くお詫びとこれからもよろしくお願いいたしますという気持ちを込めて続けさせていただ期待と思っています。

 

 反董卓連合編ももう少しで終わる予定です。

 私としては一刀がいても勝てない戦というものを考えてみた結果、こうなってしまいました。

 おそらく敗北するのはこの1回だけだとは思いますが、その辺りのご感想などは皆様方にお任せいたします。

 

 次回更新日は4月6日予定です。

 

 最後にこれからもお暇な時に読んでいただければ幸いです。

 

                            水無月より


 
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