第16話 泣く方法
合宿の2日目の真夜中に、俺は目を覚ました。
自分が泣いているコトに、気が付いたからだ。
楽しかった日の夜は、たまにこうなる。
楽しさの反動なのか、決まって1人になると鬱な気持ちがこみ上げてくる。
なんで俺はこんな脚なんだろうか?
なんでこんなに楽しいのに苦しいのか?
軽音部に救われたんじゃなかったのか?
バスケットを忘れることができたんじゃないのか?
ムギ先輩と昨日、あんな話をしたからだろうか。
考え出したら止まらなくなり、醜くて汚い感情が湯水のように湧き出てくる。
ぐるぐると溜めこんできた大きな問題や悩みが小さくて空っぽの頭の中で蠢いている。
逃げようとしても。どんなに逃げても。
それは追ってくる。それはとても足が速い。
俺みたいな弱い人間には、振り切れないんだよ。
別荘から、外へ出た。
そこはおとぎ話のような綺麗で神秘的な風景があった。
満天の星空。星の光を反射させて薄く光っている砂浜。真っ黒な海面にぽつんと描かれた三日月。
綺麗で神々しいそれらは、まるで場にそぐわない醜い俺のことを責め立てている気がした。
「ぅ………」
泣くな。泣くな。泣くな。
いつまでお子様やってる気なんだよ、俺は。
突然、雨が降っているワケでもないのに右脚がじくじくと痛み始めた。
痛い。痛い。痛い。
その痛みから逃げるように俺は砂浜を歩き出す。だんだんと早足になって、ついには走り出す。右脚が悲鳴を上げて痛みを訴えてくる。知ったこっちゃねえよ、全力疾走だ。
当然、壊れた俺の右脚でそんなコトができるわけもなく、支えを失った俺は顔面から砂浜にダイブ。起き上れるワケもなく、仰向けに寝っころがって夜空を見上げる。夜空や月が涙でぐにゃりとゆがみ始めたあたりで俺は目を閉じた。
波の音がする。寄せては返す、規則的で優しい音だ。
波が寄る音。
波が返る音。
波が寄る音。
波が返る音。
波が寄る音。
波が返る音。
そんな波の音を聞きながら、俺は激情を抑えようと、静かな音に集中する。
一体どれくらい経っただろうか。1時間かもしれないし、30分くらいかもしれないし、実際のトコロ数分程度だろう。
このまま消えてなくなりたい、と思った。
そのとき。
「え?」
俺の隣に、唯先輩が座っていた。
夢だと思った。
ふと、俺の隣を見ると、そこには唯先輩が座ってこっちを見ていた。
俺は起き上り、目を擦ってもう一度目の前の唯先輩を見た。ワケわかんないプリントTシャツをきている唯先輩がいつもの笑顔とは違う不思議な顔をしていた。
「う、はははははっ!ビックリしたなぁ、もう。マジで神出鬼没ですね唯先輩は」
いつからいた?どこまで見られた?
俺は涙をぬぐいながら、壊れたように笑った。
「先輩も夜の散歩ですか?俺も急に外に出て寝っ転びたくなって、そしたら砂が目に入っちゃって。もうここで寝ちゃってもいいかーってな感じで気持ちよくなってって、そんで俺―――」
「フーちゃん」
俺のバレバレのガキみたいな言い訳を、唯先輩は一言で遮る。
いつものふわふわした笑顔ではなく、真剣でどこか泣き出しそうな顔でじっと俺のコトを見つめてくる。
「話してよ」
「ナニを?」
「悩み、あるでしょ?」
「ないッスよ」
「あるよ」
「ないですって」
「ある」
「ない」
なんで俺はこんなに張らなくていい意地を張っているんだ?
「辛かったら言いなよ。苦しかったら吐き出しちゃいなよ」
「……それでナニになるんですか?」
「話してみて解決するコトだってあるよ」
解決……?なんだそりゃ、食えんの?
「解決って……うはは、そりゃ……笑える」
「フーちゃんの気持ち、私わかる。でも、誰だって話さなきゃ変わらないんだよ?」
俺の気持ち?わかる?ダレが?変わる?ナニが?
「変わる……ってなんスか、ソレ?そんなんで解決できりゃ、この世から悩み事なんて無くなりますよ」
「逃げてるだけじゃん」
ああ、もう。
「ソレは嫌なコトから逃げてるだけだよ。フーちゃんは、そんな臆病者じゃないでしょ?フーちゃんは―――」
ああ、もう。我慢できない。
頭の中でナニかが決壊した音がした。
「誰かに話してナニが変わんだよっっ!!?」
もうゼンブどうでもいい。
「唯先輩に話したら、俺の脚が治んのかよ!?また走れるようになんのかよ!?またバスケさしてくれんのかよ!?違ぇだろぉがよ、俺のキモチがわかる?気休め言ってんじゃねえよ偽善者ぁっ!!」
悩みのある後輩のことを心配して、こんなトコまで追いかけてきてくれて、それで相談に乗ってくれようとした優しい唯先輩。
事情もナニも知らない彼女は、いきなりブチ切れた最低な俺のコトを嫌うだろう。軽蔑するだろう。
でも、もうどうでもいいや。
「言っても周りが迷惑するだけなんだよ!アンタの妹の所為で一生走れない障害者になりましたって話したら満足か!?生きがいだったバスケが一生できなくなりました、夢ブチ壊れたんですよって全部1から10まで話せばナニか変わンのか!?」
止まらない。
口を開けば開くほど、自分がゴミ以下のクズに成り下がっていく。
言えば言うほど、大好きで大切な先輩を傷つけていく。
「自分でもわかってんだよっ!わかってんだけど、どーしよーもねーんだよ、畜生!あのとき憂を助けなきゃアイツ死んでたかもしれねえんだぞ!?それでも後悔してるよ、自分が醜いのも知ってるよ、助けなきゃよかったって何度も思うよ!でもそんなの助けるしかねーだろ!これでよかったんだよ!俺なんてブッ壊れてよかったんだよ!」
もう自分でナニ言ってるのかわからない。目の前が真っ赤だ。
唯先輩は今どんな顔しているだろうか?
「わかってんだよ、悪いのは全部俺なんだよ!どいつもこいつもバカみてぇにイイヤツばっかで、今も唯先輩は俺のコト本気で心配してくれて!それに比べて俺は、俺が俺が、って自分のコトばっかで、醜くて汚くて!バスケなんてくそくらえだ、たかがガキの球遊びなんてさっさと忘れて前向きゃいいのに!憂のコト心配してるフリして逃げて、いつだって可愛いのは自分だけだ!」
腹の底から、本音を叫ぶ。
本音。本当の音色。俺の本当の音色は、こんなにも汚い音なんだと改めて実感する。
「脚のコト抜きにしたってさぁ、俺は醜いんだよ、汚ぇんだよっ!汚い汚い汚い、あぁ吐き気がするっ!アンタらみてぇに綺麗じゃねんだよ、アンタらみてぇにマトモじゃねんだよ、アンタらみてぇに大切なモノ持ってねんだよ!何もねーんだ、俺には大切なモノなんてねえんだよっ!!」
言うだけ言って。
喋りすぎて、大声を上げ過ぎて、俺はむせてしまう。痰が絡んでゲホゲホとせき込む俺の背中を唯先輩は優しくさすってくれていた。
唯先輩の顔を見ることができなかった。
怖かった。怖くて振り向けなかった。
今更ながら、自分がしてしまったコトの重大さに気づく。
俺の荒い息遣いだけが、耳に入ってくる。
唯先輩に、すべてぶちまけてしまった。紛れもない、罪だった。
「……ごめん、なさい。イミわかんねえよな、いきなりキレて怒鳴り散らして八つ当たりして……。唯先輩は俺のコト気遣ってくれただけなのに―――」
「知ってたよ」
………?
「ずぅっと前から、フーちゃんの脚が治らないコト、私知ってたんだ」
「嘘……っ」
「嘘じゃないよ?フーちゃんがバスケットボール大好きですっごい上手だってコトも知ってる。去年の全中ですっごい活躍したんでしょ?それでスポーツ推薦もらって、桜校じゃなくて部活強い学校に入学するつもりだったんだよね」
……なんで?どうして?
あのいつもふわふわ笑って、どこか間が抜けている、唯先輩が全部知っている?
「私ね、フーちゃんが事故にあって入院してるときにね、お父さんとお母さんがフーちゃんの怪我のコト話しているのが聞こえちゃったの。フーちゃんは覚えてないみたいだけど、私1回だけお見舞いにいったコトあるんだよ?」
彼女は続ける。
「お父さんのパソコン借りてね、あんまりよくないコトだとは思ったんだけど、フーちゃんのこと調べたの。そしたら事故の記事以外にバスケットボールの大きな大会でスゴイ賞を取ったっていうことが分かって、フーちゃんスゴイねっ」
「憂はこのコトを……?」
「憂は知らないよ。私誰にも言ってないから」
全部、お見通しだったってワケだ……。
「ねえ、フーちゃん―――」
「……もういいよ」
「え?」
「もういい。ナニをどうしたって俺の脚は治らねえし。憂とも縁切るよ、2度と会わねぇ。軽音部も、もう辞める。唯先輩にあんなひでぇコト言って、どんなツラしてればいいかわかんないよ……」
全部自業自得だ。結局こうなるのがオチだったんだ。
「俺のコト嫌いになったろ?本性はこんなヤツなんだって失望したろ?気味悪くなったろ?……俺は唯先輩たちが思ってるような人の良い後輩じゃ―――」
唯先輩が突然にじり寄ってきて、すげえ形相で俺の肩を掴んだ。
ブン殴られる、と本気で覚悟した。
「嫌いになんかならないよ」
俺は唯先輩に抱きしめられていた。
俺の首に両手を回して、恐らく全力で抱きしめてくれている。
「フーちゃんはね、フーちゃんが思ってるような汚い人間じゃないよ?」
「…………」
「だから、嫌いになんか、なるワケ、ない」
唯先輩は少し力を弱めて、顎を俺の肩に乗っけるようにして、静かに囁く。
「憂のためにずっと隠してくれたんだよね、ありがとう」
「憂は……」
「憂だけじゃないよ。他のみんなにも心配かけたくなくて、ずっと1人で頑張ってたんだよね」
「そんなコト――」
「辛かったねえ」
唯先輩はトントンと波の音に合わせて俺の背中を叩いている。まだ自分が赤ん坊の頃、こうやって母親にあやされていた気がする。
「世界中の人たちがね、みーんなフーちゃんのコト嫌いになってもね、私だけはゼッタイに嫌いにならないよ」
こんなコトを。
「澪ちゃんもりっちゃんもムギちゃんもあずにゃんもさわちゃんも純ちゃんも憂も。みーんな、優しくて頑張り屋さんのフーちゃんのコトが大好きなんだよ?」
こんなコトを言ってくれる人が、本当にいていいのだろうか。
「私もね、フーちゃんのコト大好き」
もう限界だった。
「……ぅううっ」
ナニ泣かせるコト言ってんスか?と強がろうとしたけれど、俺の口からこぼれ出たモノは情けない嗚咽だった。
「ひぐっ……へぐっ……」
なんか喉の調子が悪いな、と誤魔化そうとしたけれど、やっぱり口から出るのは幼い子供みたいな泣き声だった。
「うええぇ……ふえぇ」
いつ以来だろうか?人前でこんなに泣きわめくなんて。
誰かにこんなに弱みを見せるだなんて。
「大丈夫だよ、ずっと一緒にいるからね」
そう言いながら、唯先輩は昔母さんがやっていてくれたように泣きじゃくる俺の背中を一定のリズムでトントンと叩いてくれる。
唯先輩の声が妙に震えていた。ひょっとして、俺なんかの為に泣いてくれているのだろうか?
そうやって、俺は唯先輩に抱きしめられながら、全力で泣いた。
そんな俺たち2人を、月と星だけが、静かに見守ってくれていたんだ。
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勢いとノリだけで書いた、けいおん!の二次小説です。
Arcadia、pixivにも投稿させてもらってます。
よかったらお付き合いください。
首を長くしてご感想等お待ちしております。