AM9:16 関東医大病院
「おーはーよーうーございます!!」
張りのある声を間延びかせながら、雄介はとある病室の扉を開けた。
「……おはよ、ございます……」
それに応えるのは、窓際のベッドに座っている少女だ。雄介の明るい挨拶に、少し眠そうな声で応える。それを見て、雄介は再びおはようと笑顔で返しながら、ベッドの横に置かれた対面者用の椅子に腰掛けた。
中庭での一件の後、関東医大病院の精神科医が、『精神的要因によって記憶を喪失した彼女には、心の状態のケアを施す必要がある』ということを、椿に告げていた。
そのことについては椿も理解していたため、早急に彼女の心のケアについてを二人の間で思案し始めたのである。
通常の記憶喪失である場合は、『記憶を喪失した人物にとって、身近な人や光景を見せることにより、対象の人物が刺激され、その刺激により記憶を取り戻す』という方法を用いることで、記憶を取り戻すことができるとされている。
しかし、今回のケースでは少女に身近な人物が不明であるため、身近な人と合わせる方法に関しては行うことができない。
それに加え、今回のケースは精神的要因による記憶喪失である。彼女を精神崩壊寸前まで追い込んだ何らかの現象を探る術もないうえに、そのような方法を行うということは彼女を追い詰めることに他ならない行為だ。医者としてはもちろんのこと、人間としてそのような行為に走ること自体がありえないので、通常のケアとは異なった方法で行うように決定した。
また、彼女の精神状態も安定させ、それを維持させるようにする必要もあった。
記憶を喪失した人間は、喪失した記憶の部分を思い出そうとすることにより、脳に大きな負担をかけることになる。それが原因で、精神に疲労を蓄積させていき、その結果、精神状態が不安定になることが多々あるのだ。
未確認生命体に襲われたことで精神的にもかなり不安定である彼女には、出来る限り負担が少なくなるような治療を行う必要がある。
そのような話し合いから、椿はその精神面の安定の役目として、雄介を推薦したのである。
理由は、例の一件以来、彼女が雄介に対して、心を開いているということにあった。彼女とコミュニケーションを唯一とることができた雄介ならば、他のどの医師にさせるよりも、彼女の精神状態を安定させることができる可能性が高い。そのように目星をつけた二人の医師が、雄介に彼女と会って話をするように依頼したのである。
二人の医師の依頼を、雄介は二つ返事で了承した。
雄介自身も彼女のことが心配であったが、それ以前に彼女の面倒を診ることを彼自身が決めていたのだ。
--同情という安っぽい感情ではなく、本心から彼女と関わることを望んでいる。
医療に関して素人な雄介に依頼することに疑問を抱いていた精神科医も、雄介の人柄に触れ、彼を信頼し、治療を任せるようにしたのだ。
--そのように決まったのが、今から三日前の話。
雄介は、それから毎日、彼女の見舞いに来ていた。
「今日は、こんなものを持ってきましたー」
自身のポケットをガサガサといじくる。そんな彼の様子を、目の前の少女は、彼のポケットから何が出てくるのかを、ジッと凝視していた。
「ジャン!!」
嬉しそうに叫びながら、雄介はポケットをいじくっていた自身の右手を彼女にひろげて見せる。
「糸……?」
「そう、糸!!」
雄介の手の中にある物体を見てつぶやく少女に、雄介はやはり嬉々とした様子で返事をする。
雄介の手の中には、糸の両端同士を結び出来た、輪の形状の糸があった。その糸を両手の親指と小指に引っ掛け、両手の指に糸を引っ掛けてははずし、引っ掛けてははずす。
その行為を繰り返した後、雄介は静止した。雄介の両手の間には、先程までは輪だった糸が一つのオブジェを形成していた。
一言でまとめるなら、それは昆虫の『蚊』を模していた。
「ブウゥゥ~ン……ゥウゥ~ン……」
そのオブジェクトを、前後に動かしながら、蚊の羽音らしき音を口ずさむ。その音は、糸のオブジェを彼女に近づける度に大きくなり、遠ざける度に小さくなる。
少女は、そのオブジェを凝視していたが……
「スリランカのカ!!」
突然、そう叫ぶと雄介は両手を叩く。再び開かれた両手の間には、先程の蚊のオブジェはなく、代わりに両手の中間あたりに大きな結び目があった。
「ヨッ!!」
驚いている少女を横目に、雄介は再び両手を叩き合わせる。すると両手の間にあった糸はいつの間にか、消え去っていた。
その出来事に、少女は再び驚く。
「俺の、2000の技のひとつで、あやとりでした!!」
そして、再びポケットに入っていた糸を取り出し、少女に向って言う。
少女はなおも驚きながらも、雄介の顔を見つめていた。それがしばらく続くと少女も、あやとりの糸に興味を覚えたのか、それを手に取り、自分もやり始めた。それをする彼女の顔を、雄介はジッと見つめる。
--少女の顔には、やはり笑顔は浮かんでいなかった。記憶を喪失している者にしか判らない、特有の感情があるのかどうなのかは、判らないが少なくとも今の雄介には察せないほどの様々な思いが彼女の中で渦巻いているかのように感じる。
それでも、雄介は少なからず安心していた。
不安定になりやすい状態であるにも関わらず、彼女の様子は非常に安定していた。少し前の彼女は、自分が何者なのかを探すのに必死で、常に何かに追われているように、焦っているように感じたのだ。
雄介は、そのような彼女を見ることが辛かった。
その迫ってくる何かが、例の未確認生命体だとしたら。
そう思う度に、雄介の胸がグッと詰まって苦しくなる。
「渚(なぎさ)さん、検査の時間ですよ」
その言葉が、病室に響く。雄介と、目の前にいる少女--渚が病室の入り口に目を向けると、椿とその横に一人の看護婦が立っていた。
渚--記憶のない少女に対して、雄介がつけた名前である。
記憶を失っていて名前が判らないとはいえ、呼び名がなければ彼女を呼ぶ時に非常に不便である。椿や精神科医がそう言っていたのを聞いて、彼女をそう呼ぶようにと雄介が提案したのだ。
彼女が病院を抜け出した時、真っ先に海に向ったことを雄介は海が好きだと解釈し、そう名付けた。
海の最も近くで、それをずっと見つめられる存在--渚、と。
「それでは、渚さん、移動しましょうか」
看護婦の呼びかけに、渚は小さく頷いた。看護婦の手を借りて、立ち上がると、雄介の方をジッと渚は見つめる。
「大丈夫、ちゃんと待ってるから」
少々不安そうな様子で見つめてくる渚に、雄介そう言いながら笑顔を向ける。すると、彼女の表情から、不安そうな様子が消える。渚はコクンと頷くと看護婦と一緒に病室を出て行った。
「彼女とは、いい感じになってきたか?」
「はい、渚ちゃん、だいぶ話してくれるようになりましたし、大きな進歩って感じです」
渚が検査用の病室に入るのを見届けた後、雄介と椿は同じ階の大広間へと移動しながら話をしていた。椿は自分の診察室へ戻るため、雄介は渚の診断が終わるまで、大広間のテレビから未確認生命体に関する情報を集めるために、だ。実際のところ、雄介は一条から最新の情報が自然に入ってくるのだが、何かをしなくてはいられなかったのである。
「それにしても、お前との会話にも多少色気が出てきたって感じだな」
「え?」
「渚さんのことだよ。この後、デートに行くんだろ?」
椿はそのように言っているが、実際のところは目的が違っていた。
本来の目的は、渚のストレスを解消させるための外出を雄介同伴のもとで行うことである。彼女が二回起こした失踪騒動は、椿や精神科医、雄介の間では室内に閉じこもっていることが嫌いだったという理由で起きたのではと考えている。苦手なことを抱え込むとストレスが蓄積していき、結果的には精神が不安定になる要因にもなり得る。
そこで医師の両名からは、いくつかの条件の下で、渚を外出させ、彼女のストレスを発散させるという案が出た。
まず、毎朝行っている健康診断をパスすること。
次に、雄介を同伴させたうえで行うこと。
彼女が外出によって、ストレスを発散していないと判断できるのなら、今後の外出は極力控えさせるということ、の三つである。
そもそも、病院内にいることでストレスを蓄積させているという可能性がなければ、このような案は出されていなかった。と言うのも、未確認生命体に直接危害を加えられ、その症状が全くの不明である現在、彼女の身に何が起こっても不思議ではない。そのため、何が起きてもすぐに対応できる病院内にて生活をさせた方が遥かにリスクを低く収えることができるのである。
故に、今回の外出許可はあくまでも実験である。外出により、ストレスを発散させることが出来れば、今後も少しずつ機会を与える可能性が生まれてくるが、出来なければ、今回のみとなる。医者としても、人間としても、あまりに高すぎるリスクを払うことになるが、それでもその結果により得るものがある。手がかりのない状況下で下したこの決断は、苦渋に苦渋を重ねた末の決断だった。
雄介を同伴させる点については、先程も述べた通り、渚が最も心を開いている人物であり、彼女の精神的負荷を軽くさせる目的が含まれている。それに体調が急変した場合の連絡係の役割も果たすことが出来るし、万が一彼女の前に再び未確認生命体が現れた場合に置いても、雄介がすぐに彼女を安全な場所に避難させることが出来るためだ。
危険なリスクを払うぶん、その対策を入念に行った今回の外出は、この3日間で可能な限り万能性に富んだものへと変化していた。
それを任された雄介は……
「はい!!これからデートです!!」
いつも通りの柔らかい笑顔で、椿にそう返す。
暢気に答える雄介だが、彼自身が任された仕事の内容と重みは、彼が一番理解している。それでも、彼がいつも通りに笑っていられるのは、雄介自身が渚を守り抜くということに迷いはなかったからだ。
その真っ直ぐな笑顔に、救われた人が沢山いることを、椿はよく知っている。
故に。
雄介に渚のことを、依頼したのである。
「デートの心得を教えてやる……男がしっかりリードすることだ。そうすることで、女性は男性の頼もしさを見ることができる」
鼻と鼻が触れ合うまで顔を近づけた椿は、雄介の肩に手を置きながら低い声で話し出す。雄介は真剣に話す椿の顔を黙視していたが……
「プッ……」
「ククク……」
双方とも、笑い出す。
二人は、お互いを疑わない。故に、真剣に伝えなくても、いつも通りの会話で、相手に伝えることが出来る。
このように信頼できる相手が出来たのは、一条以来だろうか。
「じゃあ、邪魔者になる前に、俺は戻るよ。いい結果を、持って帰ってきてくれ」
最後に雄介の肩を軽く叩き、椿は診察室の方へと歩き出す。
「じゃあ、いい結果が出てから帰ってきますよ」
椿に聞こえるように、大きく言う雄介。その声の返事を返すように、椿はこちらを向かないまま、後ろ手に手を降った。
--本当に、いい結果を持って帰ってくる
雄介に、そんな信頼感を抱きながら。
『続きまして、未確認生命体関連の最新情報をお伝えします』
椿と別れ、同階の広間にきた雄介の表情が、テレビの報道により緊張感の張り詰めたそれに変化した。
広間に設置されたテレビにかじりつくように、テレビに最も近い座席シートへと移動し、腰を下ろす。
『警察や未確認生命体第4号によって死亡したはずの未確認生命体が蘇る現象が、東京を中心として、群馬、埼玉、新潟、静岡の各県にて確認されています。警察などの発表によりますと、今回蘇った未確認生命体は現在、第5号、第6号、第7号、第14号、第18号、第21号、第22号、第23号、第27号、第34号、第38号、第40号、第41号の計13体が確認されており、現段階では更に多くの未確認生命体が蘇っている可能性を考慮し、未確認生命体合同捜査本部は早急に対策を練りだしている模様です。なお、蘇った未確認生命体は全員がバラバラに行動しているとみられ、外出の際には注意をして出かけるようにして下さい』
そのニュースの発表した内容は、それのみだった。
結局、新たに判明したのは、復活した未確認生命体の種類が増えたことのみである。
(それは、そうだよなぁ……)
と、雄介は心中で呟く。警察でも掴んだ情報が全くない上に、その警察がそのような機密事項を公にさらすこともないのである。ニュースや新聞などのメディアから入るのは、既に雄介が知り得ているものばかりだ。そう思うと、雄介の胸の中にはなんとも言えない無力感が広がっていた。
『今回の未確認騒動の発端となった、群馬県山間部の事件の見解についても明快な結論は出ておらず……』
いつの間にかカメラがスタジオに移動し、出演者全員で事件に関する討論が行われていた。画面に映し出された大きなボードには、未確認生命体騒動の足取りと手に入っている情報の全てが書き写されていた。
それを見ながら、雄介は今回の事件の経緯を思い出していた。
事件の始原は、群馬県山間部における、大学生の男女合わせて三人が殺害されたことが切欠だった。
道路を照らす灯りも少なく、人がほとんど通らない山中をドライブしていた大学生達は、そのドライブの最中、何者かに襲われ、その命を落とした。
翌日、群馬県警と未確認生命体合同捜査本部の調べにより、事件の首謀者は未確認生命体と判断した。
しかし、ここで予想外のことが発生した。
被害者らの死因を調べてみると、全く異なっている。
すなわち、複数の未確認生命体が同時に活動を開始したということである。
この結果から、さらなる謎が浮かび上がってくる。
未確認生命体が複数で行動している点についてである。通常、未確認生命体はある一体が活動をしている間は、他の未確認は活動を控えているものである。
しかし、そういった法則を無視するかのように、複数の未確認生命体が同時に動き回っているのだ。これを考慮して、雄介や捜査本部も複数の未確認生命体との戦闘に対応できるように戦力の増加を図り始める動きを取ろうとしていた。
しかし、被害者の大学生の検死結果を見ていた椿がある驚愕の事実に気付く。一条ら捜査本部にそれが伝わると同時に、その事実が、最悪の形で現実となっていた。
かつて倒したはずの未確認生命体第6号が復活していたのである。さらには、第6号と戦闘を行っていた、クウガに変身した雄介の前には未確認生命体第41号も現れたことも確認されている。
これらの情報を基に、椿は群馬県警に向かい、大学生三人の遺体を直接見てきた。結論、椿の想像は当たっており、その大学生の各々が復活した未確認生命体第21号、22号、23号に殺害されていたことが判明した。これにより、これまで倒してきた未確認生命体が復活したという仮説は確証へと変わったのである。
「……雄介……?」
背後から、声がした。
「……渚、ちゃん……?」
雄介が振り向くと、そこには渚が立っていた。渚の背後の壁にかけてある時計に目をやると、既にニュースを見始めてから、30分が経過していたことを知る。と、言っても大半は自身の記憶を辿るために費やしたのだが。
「もう、検査終わったんだ。どうだった?」
「……大丈夫って、言われた……だから、外に行ける……」
「そっか、じゃあ行こっか!」
湿っぽい空気を一変させるように、雄介は明るく言い放つ。
--今は、彼女のことだけを考えるようにしよう。
心中で、そう呟いた雄介は、先程感じた無力感を捨て去り、笑顔を浮かべながら渚を連れて歩き始めた。
AM10:42 警視庁 大会議室
防音対策が施されたその部屋には、大勢の人間が集められていた。
会議室一杯に設置された長机に、座る人間達の前には各々が所属している部署の名称が記されたプレートが置かれており、その数は軽く30を越えていた。
プレートには、今回の事件の発端となった地域の管轄である群馬県警をはじめ、長野県警、静岡県警、栃木県警など復活した未確認生命体が確認された県の未確認管轄班の名前が記されていた。
彼らの視線の先には、会議室中に並べられた机とは別に用意された長机があり、そこには合同捜査本部、本部長の松倉とそれに並ぶ各署の重役達、さらに捜査本部の中で中心となっている一条と杉田の姿もあった。
『皆様、遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます』
重い腰をあげながら、松倉はマイクに向かってそう言った。
『今回発生した、過去に討伐したはずの未確認生命体が蘇生し、暴れ始めた事件。この場では、未確認生命体事件始まって以来、最も困難な事件の解決策についてを、我々警察官が一丸となり、討論し合おうと思います。まず、皆様方には今回の事件に関して、これまでに判明した点を我々、捜査本部の方から説明いたします』
そう言い終わると、松倉が一条の方へと視線を向けた。それに頷くと、一条はスッと立ち上がり、天井から吊されたスクリーンの横に移動した。
『未確認生命体合同捜査本部の一条です。簡潔ではございますが、現段階で判明している物事について、説明させていただきます』
軽い前置きを述べ、一条は会議室に集まった関係者全員に手元の資料を見るように言う。それに記された写真と同じ映像がスクリーンに映し出された。
それは、今回の事件で復活が確認された未確認生命体の映像だった。街の防犯カメラの映像を抽出したためか、所々画質が荒い。
それと比較するように、同じ未確認生命体の生前の映像が映し出される。
この二つの映像の間にある相違点。
それは、生前の未確認生命体の腹部にあった装飾品を、復活した未確認生命体は身につけていないことであった。この事例は、これまで倒してきた未確認生命体のいずれにも該当しない特殊なケースとして扱われている。
また、倒してきた未確認生命体の中で唯一、復活を遂げた未確認生命体第26号のクローン体にもこのケースが当てはまっていることから、第26号のような能力が未確認生命体全体にあるものとして、捜査を進めていくという方針も一時期、案として出ていた。
しかし、今回の復活した未確認生命体と同等の扱いをすることは考慮できない。
と、言うのも、復活した未確認生命体とクローン体との共通点が『腹部の装飾品がない』の一点のみであることと、26号の復活した要因は26号自身の能力のものであると科警研からの報告で判明しているためである。
さらに言うのであれば、今回の未確認生命体は第26号のクローン体のようなグロテスクな外見ではなく、生前の外見のままでその姿が確認されている。
これらの点から、未確認生命体の復活は何か別の手法で行われたと判断を下したのである。
また、復活した未確認生命体には他にも注意すべき点がある。
復活した未確認生命体は、自身の主張とも言える人間の殺害方法が、自身の能力をほとんど使用しておらず、人間を殴打する形で襲撃しているのだ。具体的に言えば、過去と同じ方法で殺害された人数は復活した未確認生命体一体につき一人ということとなっている。
さらには、復活した未確認生命体の戦闘力が、科警研が開発した武器でも十分対応できるレベルまで低下していたことも確認されている。
外見だけではなく、行動パターンさえもを一変させた未確認生命体。それらが一体、如何なる手段によって再び現世に舞い戻ったのか。
その謎を解こうとする最中、ある一体の謎の未確認生命体が行動を開始した。この一体のみは過去に活動を確認されていないため、今回の騒動の主犯格、もしくは騒動の一端を担っている可能性が非常に高いと合同捜査本部は判断した。
仮に、この未確認生命体が他の未確認生命体を蘇らせているとしたら、長野で発生した大量虐殺事件と真逆の目的を持ち、行動していることに繋がる。
この行動が、大量虐殺事件とどのような関連性があるのか。
また、大量虐殺事件とほぼ同時期に活動を開始した理由は何なのか。
その目的、はたまた外見や能力、その全てが依然不明なままだ。
『そこで我々、合同捜査本部はこれまでの事件の情報を統合し、合同捜査本部の人員を三つに分け、捜査を進めていくようにいたしました』
一条の言う、三つのグループ。
それは、今回の事件を解決するために、考慮を重ね続けた捜査方針であった。
まず、第一に『行方不明となった青年を捜索するグループ』。
今回の事件の始原である現場から忽然と姿を消した青年は、最初の事件が発生した時から、依然消息を絶っている。この青年が、主犯格たる未確認生命体と接触している可能性は非常に高く、また有力な手掛かりを持っている可能性も非常に高い。故に、この青年の行方を探れば、主犯格の未確認生命体についての情報も手に入れることが出来るというものだ。
第二に、『復活した未確認生命体と戦闘を行うグループ』。
いくら戦闘力が、過去のそれと比べて低下したとはいえ、その力は一般人にとって驚異なものである。しかも、複数の未確認生命体が同時に行動することを考慮すると、戦闘をする人数も大幅に増加させなければならないのは必然であった。
とはいえ、戦闘を行う警察官全員に科警研から支給された武器が行き届くわけではないので、現在はこのグループの中でもさらにいくつかのグループに分け、各グループの何人かに支給される形となっている。
そして、『過去の未確認生命体の行動とは別視点で事件を考察する』という第三のグループ。これが今回の事件において、最も重要なグループであった。
先に述べたとおり、復活した未確認生命体と主犯格の未確認生命体は、過去の事件で見せたものと全く異なった動きを見せている。これまでの行動を頭に入れたうえで、現在の事件を考慮することは、矛盾点の多さがありすぎるため、余計に混乱させる事態になった。
そこで、一端過去の行動パターンという概念を断ち切って、この事件を単独で考えるようにした。通常の事件においても、犯人の心情がパターン化されていれ場合が多いため、そのパターンに従って捜査を進めることが多いのだが、パターンと異なった場合においては、対応が追いつかないケースも見られる。
それは、今回の事件においても当てはまっていた。過去の行動という思い込みを捨て、全て新しい状態から思考をスタートさせるというものだった。
しかし、これまでの活動を全て無視してしまう行為は捜査本部内でも批判の声が上がっていた。故に、このグループ内でもこれまでの事件の観点から見るものと、過去の出来事を本格的に断ち切って事件に臨むグループに分けることで、事態をここまで進ませることが出来た。
第一、第二のグループが体を使って事件に立ち向かう一方、第三のグループは知恵を使って事件に立ち向かう。比率的にはやや危ういかもしれないが、現存する戦力を考慮すると仕方のないことだった。
ちなみに、各グループリーダーは合同捜査本部内にて有力であった桜井、杉田、そして一条である。知識の面では未確認生命体との戦闘すらも遥かに凌駕させる一条が、知識側につくことには誰もが納得していたため、この方針が決定したとも言えた。
『これにて、私の方からの説明は終了させていただきます』
支給される武器の説明を軽く行った後、マイクに声を入れ終えた一条は一礼すると、松倉にマイクを渡す。
『復活が確認された未確認生命体は、日を追う毎に多くなってきている。確認されておらず、既に復活している未確認生命体もいる可能性が高い。これ以上、一般市民達の平和を脅かせてはいけない。我々の全力を尽くして、必ず解決させる。各員、全力をもって、捜査にあたってほしい』
松倉からの発言を最後に、会議室にいた全員からは『ハイ』という力強い声が返ってくる。分けられたグループ毎に別れ、今後の捜査方針を告げられた後、全員が各々の行動に移り始めていた。
PM0:39 神奈川県 横須賀海岸
病院を抜け、雄介と渚は海を見に来ていた。渚の心身にたまったストレスを解消させる際、どのような場所に行きたいのかを考慮した結果、彼女が失踪した際に真っ先に海を見に行ったため、雄介は海に行くことを渚に提案したのだ。
渚自身もその提案に黙って頷いたため、雄介は海岸までビートチェイサーを走らせたのだ。道中、後ろに乗せていた渚が何度か後ろに倒れそうになったことを除けば、彼女は非常に充実しているように見えた。
「……」
素足で砂浜に立ち、海の彼方を見つめる渚。安らかな表情で打ち寄せる波に近寄り、両足に波を浴びさせる。季節相応の水温の海水を、彼女は気持ちよさそうに浴びる。海を泳ぐ魚を見れるほど透き通った海水が、いっそう彼女を心地よくしているようにも見える。
そんな彼女を、ビートチェイサーを駐車させている道路脇のアスファルトのブロックに座りながら眺める雄介。
純粋に海を楽しむ彼女の様子を見て、雄介は柔らかい微笑みを浮かべていた。肝心の渚は笑顔を浮かべているのかは判らないが、それでも彼女の後姿は楽しそうに見える。少なくとも、彼女を海に連れてきたことで彼女の精神面に蓄積していたストレスは解消しているようだ。
この様子なら、今後も外に連れてくることが可能になるかもしれない、と雄介は考えていた。
『クウガ……』
「……」
その一方で、雄介は数日前の戦いを思い出す。
第38号と第41号との戦いの最中、クウガとして戦っていた雄介に向って、渚がそう言ったことを。
--現在存在する、事件の謎を解くもうひとつの鍵。
それが、渚だった。
雄介が彼女を初めて見た夜、彼女は主犯格の未確認生命体に直接危害を加えられた人物でもあった。不幸中の幸いにも、怪我をひとつも負わずに済んだのだが、その際のショックが原因で、今現在彼女は記憶を失くしてしまっている。
記憶を取り戻せば、主犯格の未確認生命体について何かを聞き出せるかもしれないが、事態はそれでは終わらない。
雄介が変身したクウガを、彼女がクウガと呼んだことが、今回の事件に大きく関わっている可能性を新たに生み出していたのだ。
そもそも、雄介が変身する戦士の姿をクウガと呼ぶということを知っているのは、ほんの数名程度、しかもそう呼ぶと発覚したのは、未確認生命体第3号が自身をそう呼んだことがきっかけであり、桜子が解読した古代の碑文にも、クウガを指し示すと思われる文字は『戦士』という単語で書かれている。
彼女がなぜ、クウガという名前を知っていたのか。
そして、なぜ彼女のみが主犯格と思われる未確認生命体に直接襲われたのか。
彼女に関する情報が、今回の事件に立ち向かおうとしている今、彼女の記憶が最大の鍵となることは間違いない。
そのことに唯一気付いている雄介は、それでも彼女が未確認生命体に関与しているとは、思いたくなかった。
「海、好きなんだ……」
ブロックから立ち上がり、渚に話しかける雄介。雄介の呼びかけに対し、渚はゆっくりと振り返った。
「判らないけど……なんだか、心が落ち着くの……」
「そうなんだ……」
雄介も、海を見る。
一つの濁りもない海水に映る青空を見ると、雄介もまた心が穏やかになるように感じた。
「あのさ……」
「……?」
「渚ちゃんは、自分のこと……どう思う……?」
言葉を少しずつ、口にするたびに。
胸が、少しずつ重くなる。
今、自分がしていることはひどく残酷なことだ。
記憶を失くすということでしか、自分を守れなかった少女に、そんな状態に陥れた元凶を思い出させようとしているのだから。
「……判らない」
「そっか……」
二人の間に、沈黙が走る。波の音がいやに大きく聞こえる中で、二人はずっと海を見つめていた。
「……でも……」
「え?」
「思い出さなくちゃいけないのは、判る……」
「……」
「時々、浮かんでくるの……よく判らないけど、昔見たような、懐かしい記憶が……」
ポツリ、ポツリと少女は話し出す。それを、雄介は静かに聴いていた。
「それを見ると、心がとても温かくなる……それが、私にとって、とても大事なものだってこともわかる……」
「……」
「でも、怖いの……」
自身の体を抱きしめながら、渚は震えていた。
「思い出すと……何かが壊れちゃいそうで……それでも、思い出さなきゃ、いけないと思うの……でも、怖くて進めないの……」
「いいんじゃないかな?」
雄介が、声をあげる。
渚は戸惑った様子で、雄介の顔を見上げた。
「……?」
「無理矢理、思い出そうとしなくていいんだよ。誰にだって怖いものはあるんだし、皆勇気を出すのはすっごく難しいんだから……」
「……」
「でもさ、前に進もうとするための勇気は、無理矢理出した勇気じゃなくてもいいと思う。君が本当にやろうと思ったときに出る勇気。それでいいと思うんだ」
「……」
「渚ちゃんもさ、きっとそう思える時が来ると思う。だから、今は臆病でもいいんだよ。思い出そうとすることが大事だって思ってるんなら、ちゃんと心の準備をしておかなくちゃ……ね?」
渚は、雄介を見つめる。それは、いつも笑顔を浮かべている、柔らかい笑顔が似合う彼が初めて見せた、真剣な表情だった。
「雄介も……怖かったの……?」
真剣で自分に向き合ってくれるからこそ、渚は訊ねる。
「え……?」
「あんな姿になって……よく判らない生物と戦って……雄介は怖くなかったの……?」
ずっと訊こうと思って、訊けなかった言葉。
笑顔が一番似合っていて、争いが最も苦手な彼には、その質問をすることは出来なかった。
それでも、訊こうとしたのは。
もっと、彼のことを知りたいと思ったから。
彼が、なぜこれほどにまで自分に優しいのかを知りたかったから。
渚は、雄介に訊ねることにしたのだ。
「……怖いよ」
沈黙の末、雄介が言った。
「……怖いの?」
「うん……凄く怖い。相手のこと思い切り殴ったりとか、蹴ったりとか……相手のことをどうしても苦しめなくちゃいけないのが、怖いんだ……そのことに、いつか俺もなれちゃうんじゃないかって思うことも、凄く怖いんだ……」
未確認生命体を倒すということ。
それを続けていながらも、雄介は心に痛みを抱え続けていた。
相手が、多くの人に涙を流させたとはいえ。
ただの快楽のために、人を襲い続けるとはいえ。
自身の拳で、未確認生命体が苦しむという行為を、やはり雄介は嫌っていた。
そんな行為がいつまでも続き、やがては何も感じなくなってしまうのではないか。そう考えると、眠れなくなることもあった。
「……じゃあ、なんで続けているの……?」
渚も疑問だった。
それほど、辛い思いをしながら、なぜ彼は戦い続けているのか。
自分自身を、根こそぎ失くしてしまうのではないかという恐怖に怯えながらも、なぜ戦い続けているのか。
「皆の笑顔を、守りたいから」
間髪入れず、雄介は応える。
「……皆の……笑顔……?」
「うん……」
その理由は、あまりにもちっぽけなものだった。
そんな、ちっぽけな理由のために、彼は自身の嫌っている暴力を使い続けているのだ。
「どうして……笑顔を守るの……?」
「これは俺の先生が言っていたことなんだけど……」
そう言って、雄介は話し始める。
自分が幼い頃、戦場カメラマンとして働いていた父が他界したこと。
悲しんでいた自分に、かつての恩師が言っていたこと。
『お父さんが死んで、確かに悲しいだろう。そういう時こそ、妹やお母さんの笑顔のために頑張れる男になれ。いつでも誰かの笑顔のために頑張れるって、すごく素敵なことだと思わないか?』
その言葉に感銘し、誰かを笑顔にするための2000の技を作ると、誓ったこと。
しかし……
「それでも、やっぱり、俺は皆の笑顔が好きなんだ。だから、その笑顔を守りたい」
誰かに言われたからではない。
結局は、自分がそうすることを望んだから。
望んだことだからこそ、自分で立ち向かい、自分で歩いてきたのだ。
「じゃあ……」
雄介の言葉を聞いていた渚が、口を開く。
「雄介の笑顔は、どこにあるの……?」
「え……?」
突然の質問に、雄介は一瞬言葉を失う。
自身の嫌いな暴力を続け、自身の笑顔を封じてまで、誰かの笑顔のために戦う雄介。
そんな理不尽な世界で、彼の笑顔はどこにあるのだろうか。
渚は、純粋にそう思った。
「俺の笑顔は……皆の笑顔があるところ」
少し言い淀んだ後、雄介はそう言った。
「皆が笑顔だとさ、他の皆も笑顔になれるんだよね……」
そう言う雄介の顔は、少し哀しそうに見えた。
未確認生命体のせいで、多くの人が涙を流している。
何体も倒してきたのに、未だに被害者は増え続け、更に沢山の人の涙が流れている。
雄介は、そのことを純粋に悲しんでいた。
「だからさ、早く終わらせないといけないんだ。皆が、お互いに笑顔で笑いあう日のために……」
雄介は、それでも諦めていない。
たとえ、涙であふれていても。
それを、こえられないことはない。
いつか、皆が笑顔に戻れる日が来ると信じているから、彼は戦い続ける。
自分の笑顔も、もちろん大切だ。大切だからこそ、皆が笑顔を取り戻したその時に、一緒に喜びを分かち合う。
それまでは、もう少し我慢をしようと、雄介は決めていた。
「……」
それを聞いた渚は、黙り込む。
そして、顔を上げ--
「じゃあ、私も笑顔になる」
静かに、そう言った。
「今は、まだ無理だけど……いつか心から笑える日がきたら、雄介に笑顔をあげる……」
静かな、内に秘めた決意を渚は雄介に話す。
その瞳には、かつて見たことがないほど、強い決意が秘められていた。
「うん、頑張ろう!」
彼女の決意を秘めた言葉に、笑顔がこぼれる。いつも通りの笑顔を浮かべながら、拳に親指を立てた右手を見せる。
サムズアップ。
彼のシンボルといえる、古代ローマから伝わってきた、『納得のいく行動をしたものに与えられる勲章』。
それを掲げる雄介に対し、渚もサムズアップした拳を、雄介のそれに重ね合わせていた。
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第8話となります。