ジェロームは、フィリップと同じ年であるとは信じがたい程に幼く見えた。十六になるが、背丈は百七十センチを下回り、フランス人としては小柄だ。
現大統領のサルコジ氏やかつてのフランス皇帝であるナポレオン・ボナパルトの背丈も百七十センチを下回っていたが、ジェロームは彼らに比べてはるかに弱々しく見えた。
まばゆい日の光のような透き通るブロンドの髪、陶器のような肌、吸い込まれるような淡いブルーの瞳は本人の意志よりもはるかに儚げな印象を受ける。喜怒哀楽という感情を持っていないかとも思えるくらいに、表情はいつも殆ど変わらない。
そんなジェロームであったが、繊細な印象とは対照的にその日はミリタリーパンツに黒いシャツ、カーキに近い茶色のグローブという上着を脱いだ兵士のような格好をしていた。
「君が僕と同じ年だとは思えないよ、全く」
そう言ったフィリップはジェロームより頭一つ分ほど高い背丈をしていた。明るいブラウンの少しくせのかかった髪にグレーに近い緑の瞳をしている、たくましげで茶目っけのある少年であった。
「ちゃんと寝てるってば。僕は君みたいに夜更かししてないのに、どうして小さいのさ。君はさんざん夜更かししているってのに、どんどん伸びやがって」
「かってに伸びていくんだ。仕方ないだろ。それより神聖な場所なんだから、争いはよすべきだよ。わざわざ人の少ない日を選んだかいはあっただろう?」
彼らはパリのシテ島にあるノートルダム大聖堂にいた。建物の中は薄暗く、ステンドグラスから差し込むまばゆい光がそこにいる人々を照らしている。
「そうだね。でも、人が少ないっていうのは僕にとって悲しいよ」
「観光客の会話でうるさい方がいいっていうかい、君?」
ノートルダム大聖堂はいつも観光客でいっぱいであるというのに、この日は殆ど人気がなかった。
実は、点検という名目で限られた関係者しかここへ立ち入ることはできなかったのだ。
ジェロームとフィリップはこの大聖堂に多大な援助をしている組織が運営しているリセに通っているので今日ここへ入ることができたのだ。
今日、彼らの通っているリセは臨時休校となっている。パリから近い場所にある場所なので、わざわざノートルダムへくる学生もいなかった。
「そうじゃなくて、本来の目的で来る人が少なくなったってことが僕はとても悲しいんだ。かつて、教会は人々のよりどころだった。人々は神様と共に暮らしていた。でも今は、神様なんていないって人が増えていて、ジャンヌ・ダルクが救ったこの国も徹底的な政教分離が行われている。公立の学校でここを本当の意味でたたえることはできない。神様を信じている僕たちの方がバカなのかな? みんな僕がほぼ毎週教会に通っているというと驚く。君だって、ほら」
「皆、それぞれの考えがあるのだから仕方がないと思うけど」
フィリップは呟く。ジェロームはほぼ毎週日曜日に教会に通う敬虔なキリスト教徒であった。
昔はたまに出向く典型的なフランスのカトリック信者であったが、つらい経験を何回もすることによって信仰に目覚めたらしい。
敬虔な信徒である教師は彼を褒め、そうでない教師はやれやれといった感じにリセではジェロームを見ていた。学生は物珍しそうに見ている者が大半で、フィリップもその一員であった。
「僕もそう思っている。この空間の中では、思わず泣きたくなるような、何か絶対的な力が秘められているのに、ただ立派な建築としか思わないっていう人がいることを受け入れなければいけない」
「ジェローム、君、今日はなんかおかしいよ」
あまり顔に感情を表さないジェロームは、熱に浮かされたように言葉をつづけている。
「現在じゃ、あのジャンヌ・ダルクでさえなんかおかしいって言われている。こんな世界なのに、どうして神様はなにもしないって……いう、の? オルレアンの乙女はただの変な田舎娘で、それに皆が振り回されて、そんなの、どうして」
「その点に関しては、君に同感する人も多いと思うから大丈夫だよ。フランス人の多くは彼女を評価している」
「苦しい、よ」
ジェロームはその陶器の如く白い肌を荒くして、息を荒げていた。明らかに彼は興奮していた。
「そんな顔で、僕を見ないでよ。しかも、こんなところで」
フィリップに主張を訴えかけるジェロームは、フィリップを実に妖艶な表情で誘っているようにさえ見えた。
「苦しい、フィリップ……息が、まともに、できな……っ」
ジェロームの呼吸は全速力で走った後のように更に荒くなっていた。
「何て悩ましげな顔をしているんだ、困ったものだな」
そうフィリップは呟いた。しかしジェロームから返事は無く、ただでさえ白い顔がさらに青ざめていた。
「発作か……しかもこんなところでか! 誰もいないようだし、仕方がない」
ジェロームはごく稀に過呼吸の発作を起こすことがあるとフィリップは知っていた。フィリップはそんなジェロームを介抱するのが無意識のうちに彼の楽しみの一つとなっていた。
フィリップは自らの口でジェロームの口をふさぎ、息をゆっくり吹き込んでいく。
(よりによって……こんなところで!)
ジェロームはフィリップを押しのけようとしたが、彼にフィリップを押しのけようとする力はもはや残っていなかった。
ステンドグラスから差し込むまばゆい光が、ここがとても神聖な場所であるということをジェロームに嫌と言うほど実感させた。
ああ神様、お許しくださいと懺悔をしているうちにジェロームの瞳からは涙がこぼれていくが、フィリップはかまわず息を吹き込み続ける。
「なんてこった!」
誰かが叫んだ。二人とも心臓が破裂し、胃に入っているものを幾分か戻してしまうのではないかと思った。
そしてフィリップが後ろを振り返ると、そこには年配の司祭がムンクの叫びのごとき驚いた形相をしていた。
フィリップもジェロームも何とか言葉を出そうと思ったが口から出てきたのは言葉にならない言葉だった。
年配の司祭の反応も二人と同様であった。
「君たち、一体……何が何だか、私には、ああ」
やっと言葉らしい言葉がでてきた老司祭であったが、先ほどまで目の前で起こっていた光景がいまだ信じられないらしく慌てふためいたままだった。
「ほ、本当にごめんなさい。もう二度としません……どうかお許しください、司祭様。ですから破門などはどうか、どうかご勘弁を!」
「すみません、そういうんじゃないんですって! 本当です、違うんです、あのですね、その」
ジェロームは比較的冷静に弁解したのに対し、フィリップは相変わらず慌てふためいていた。
「わざわざこんなところで……先ほどのようなことをするとは、何か理由がありますね? ただふざけてやったとは、私はどうも思えない」
「はいそうです。あの、この子が過呼吸起しちゃって、紙袋とかなかったんで、僕が息を吹き込んでいただけなんです! 人工呼吸みたいなものですよ!」
フィリップは必死で弁解する。ジェロームはひたすら老司祭に、そして父なる神に詫び続けていた。
「それにしてはうっとりとしていたような気もするのだが、まあいい。私も今で言うコレージュやリセ時代には……おっと、言い過ぎてしまったようだ。まあ、今回はロシアの文化に陶酔した少年たちを見たことにするよ」
主よ、僕たちの関係を……あなたはお許しになりますか?
彼らは圧倒的な大聖堂の中、ただそう思いながら佇んでいた。
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フランスが舞台のオリジナルBL小説です。
ノートルダム大聖堂の中での、二人の少年のやりとりを書きました。
教会から人々が遠ざかっていく現代のフランスを嘆くジェロームにそんな現実を受け入れることも重要だと言うフィリップであったが――。
タイトルの通り禁忌感があるBL作品となります。
ヘッセの作品のような格調高い感じを目指して書いたつもりですが、少しでもそのような感じが出ていれば幸いです。