第2話 憂と仲直りする方法
「私のコト、覚えてますか?」
そこに立っていたのは、俺たちと同じ桜校の制服に身を包んだ、栗色の髪をポニーテールにしている可愛らしい女の子だった。
「えっとごめん、どちらサンだっけ?」
ナニ忘れたフリしてんだよ嘘付くなや、俺。
「平沢、憂です。その節は本当にすみませんでした……っ!」
その女の子は顔を強張らせてそう言ってくる。
そんな泣きそうな顔されるとなんかこっちが悪いことしたみたいでバツが悪い。前にも同じ印象感じたなぁ、と思っていると平沢さんはさらに続ける。
「あの数ヶ月前の事故のときにお世話になりました」
「あーあーあー、思い出した。あのときの!」
我ながら大した大根役者っぷりである。ハイハイ完全に思い出したワ、と呟きながらポンと手を打つ。
忘れるワケがない。本当にこの子を思い出さなかった日はなかったし、なんてったって夢にまで出てきた張本人だ。ここまで言うとまるで俺がこの子に一目惚れでもしてしまったような風だが、正直会いたくなかった。むしろ2度とその顔を見たくなかったと言っても過言ではない。
「平沢さんが謝ることないってばさ。つーかあんな事故、誰が悪いってワケでもないし」
「いえでも、私がボーっとしてなければ……。私の所為なんです」
「前にも言ったと思うけど、そんなん言い出したらキリねーよ。気にせんでいいから」
「ごめんなさい、ホントに……」
ごめんなさい、と繰り返す平沢さんを見て、俺はさっさといなくなってもらいたいと切実に願っていた。安物の愛想笑いがいつまでもつかわからない。
「怪我、まだ治ってませんよね?」
平沢さんは机に立てかけてあった杖を一瞥する。
「大丈夫、ヘーキ。こんなんすぐ治るよ!」
俺は一生治ることのないポンコツの脚をバシバシ叩いた。
「とにかく、なんてお詫びすればいいか……」
「気にせんでいいって」
「私の所為で怪我させちゃったんです」
「もういいってば」
「でも―――」
「だからもういいって!!」
思わず。語気が荒くなる。
……ひょっとして、俺は平沢さんを怒鳴ってしまったのだろうか。
案の定、平沢さんはあからさまに驚き、その大きな瞳から今にも涙がこぼれそうだった。
入学早々八つ当たりで女子を泣かしてしまうとか、俺はどんだけ格好悪くなれば気が済むんだ。
自己嫌悪で死にたくなっていると、丁度タイミングよく担任の教師らしき初老の男性が教室の扉を開いた。周りが雑談を止めていっせいに自分の席に戻り始める。
「ホ、ホラ先生来たぜ、席に戻ろう?な?」
気色の悪い猫撫で声で平沢さんをなんとか席に帰す。
ポッチャリくんが犯罪者を見るような湿度の高い目でこちらを見ていたが、俺は何も言わず教壇に顔を向ける。
「えー、皆さんご入学おめでとうございます。このクラスの担任の―――」
そんな先生のかったるいあいさつを聞いている場合じゃない。
なんで俺はこう優しくできないのだろう。あの子は純粋に謝ってくれただけじゃないか、俺を気遣ってくれただけなのに。アホか俺は。
「………ハァ」
俺は溜息をつきながら頭を抱える。
もう1度溜息をつき、どうしたもんかと考える。
そんな俺のコトを中野さんがじっと見ていることにも気が付かず、平沢さんと初めて会ったときのコトを思い出していた。
あの交通事故について誰も悪くないと言ったけれど、実際のところ誰が悪いのかといえばやっぱり俺が悪いんだと思う。
あのとき、運転手の不注意や路面凍結の他に、事故のきっかけとなるある要因があったのだ。それは横断歩道で俺の前を歩いていた平沢さんだった。
はっきりとした意志で助けた訳じゃない。単純に自分が逃げようとした結果だったかもしれないし、本能がそうさせたのかもしれない。
俺は突っ込んでくる車に轢かれそうになっていた平沢さんを突き飛ばして助ける形になった。彼女の持っていたエコバッグから食材がぶちまけられたことも覚えている。周りの人間や平沢さんは、それを自己犠牲による美しい救出に見えたかもしれないが、実際はなんでそんなことをしたのか自分でもわからない。
俺がそうしなければ平沢さんは事故の被害者となり、下手したら死んでいたかもしれない。彼女を庇えたことは良いことだし誇っていいことかもしれないが、それでも後悔が無いと言えば真っ赤な嘘になる。あのとき助けに入らなければと、もしものことを考えたのは1度や2度じゃない。こんなことを考えてしまう時点で自分の器の小ささが窺い知れるが、それでも自分なりに折り合いをつけて事故のことを忘れようと努力してたんだ。
「なのに、なんで」
呟きながら、涙を瞳いっぱいに内包した平沢さんの顔を思い出す。
とにもかくにも、さっきのことを謝ろう。今更だけど、男らしくしっかりと頭下げよう。そんでついでに本当に気にしなくていいということをわかってもらおう。
担任の先生の息子さんの自慢話を聞き流しながら、平沢さんの席を横目で確認する。早く先生の話終わんねぇかな。逸る気持ちを抑えよう。
きりーつ、れい、ありがとーございましたー!
ホームルームが終わると同時に俺は勢いよく席を立ち、平沢さんの席へと急いだ。
「平沢さん!……あのさっ、さっきの―――」
「ごめんなさいっ、私お姉ちゃんと待ち合わせしてるからっ!」
サヨウナラッ、と文字通り脱兎のごとく平沢さんは教室から飛び出してしまった。俺の顔を見るや否や速攻で逃げ出していった女の子を呼び止める隙もなく、俺は逃げられた方向に伸ばした情けない自分の手を空しく見つめた。
……ほんのちょっとぐらい話を聞いてくれてもバチは当たらないんじゃねえか?
「いきなりあの憂にナンパとかスゴイねぇ」
そんな惨めな俺に声をかけてくれた人がいた。
「憂ってば男子の人気高い上にガード硬いからアンタみたいな男じゃムリだと思うよ?」
そいつは自分の机に座ったまま面白そうにニシシと意地悪く笑いながら俺の顔を見ていた。クセの強い茶髪を両サイドで団子のようにまとめている快活そうな女子生徒だった。
確か、鈴木さんとかだったかな?先ほどのクラスの自己紹介でそう言っていた気がする。
「………」
ポッチャリくんといい、なんで皆は俺をナンパ野郎にしたがるのだろうか?
「さっきも言われたけどさ、俺ってそーんなチャラい男に見える?」
「うん、超見える」
「……そっスか」
俺は脱力したように平沢さんが座っていた席にぐにゃりと力なく座る。
「俺さ、さっきさ。平沢さんにちょっとひでぇコト言ったかも、しんない」
「うん、知ってるよ。さっきアタシ憂たちのこと見てたもん」
なのにこんな絡みしてくるとはなかなかSな性格してやがんな。
「キミって平沢さんと仲いいん?」
「うん、そうだよ。アタシ憂と同中だし」
俺は机に突っ伏しながら聞いてみる。
「なぁ、平沢さん、俺のコトなんか言ってた?」
「なーんも」
そうかい。
本格的に平沢さんは俺と関わりを持ちたくないんだろうか。
「……何見てんだ?」
「いやぁ、男子がフツーに落ち込んでるとか面白いなって」
「ひっでぇ」
アハハと笑いながら、鈴木さんは癖のある前髪をいじるように触った。
「鈴木さん、帰らんの?」
「アンタこそ帰らないの?」
そーな、と言いながら俺は立ち上がった。
愛用のデイバッグを担ぎ、杖を握った。
「じゃあ帰ろうや。家どっちら辺なん?」
俺がそう言うと、鈴木さんは少し驚いたように目を見開き、こちらを見てきた。
「ちょっとばっか俺の愚痴に付き合ってやってや」
「……別にいいケド」
こうして俺たちは教室を出て、並んで歩く。
まだ1日しか履いていない真っ白な上履きを靴箱に押し込み、履き古したスニーカーをポンコツの脚を乱暴に動かしてつっかける。
「ひょっとしてさー」
鈴木さんはローファーを履きづらそうに装着しながら、続ける。
「憂のこと庇って大怪我した男ってアンタなの?」
「ナニそれ?平沢さんがそう言ってたんか?」
「うん。去年の冬あたりだったかな?憂が事故りそうになったけどある男の子が助けてくれたって。私の所為で大怪我させちゃったって。……それってマジ?」
「美化されスギ。助けたっつーより、偶然そうなったってだけだよ」
「ふーん。……でも憂はきっとそう思ってるよ。そうじゃなきゃあんなに責任感じないでしょ」
「あーあーあー、あの子思い込み激っしぃのな」
「受験前の大事な時期なのに憂ってば落ち込みまくってホント大変だったんだから」
そら悪うござンしたね、と漏らしながらポケットに片手を突っ込んで茶化しながらポカポカ陽気あふれる桜並木を杖を突いて歩いていく。
雲一つない青空を見上げながら、俺はひそかに罪悪感を感じていたりした。
「気にせんでもいいのになぁ。でも、まさかこんなトコで再会するとは思ってなかったからこそのリアクションだった気がするよ。俺がこの町に引っ越して来なきゃ一生会わなかっただろうし」
「アンタって県外から来たんだ?」
少し前を歩いていた鈴木さんは意外そうにこちらを振り返った。
「おぉ、余所モンだぞ。自慢じゃないが、住み始めてもう2ヶ月だけどこの町で何度も迷子になってる」
「マジで自慢にならないからっ」
自分の方向オンチを自ら露呈してしまったので、強引に話を戻す。
「んなことはどうでもよくて!……平沢さんのコトだよ」
「どうやったら愛しの憂と付き合えるかって?」
とか抜かしやがるのでドツいてやろうと腕を振り上げると、鈴木さんは悪戯っぽく笑いながら駆け足で逃げていく。
よく笑う子だなぁ、と半ば感心しながら薄目で鈴木さんを見ていると、彼女は横断歩道の前で急にくるりと体をこちらに向け、こう言った。
「で!……アンタはとどのつまり、どうしたいの?」
どうしたい?
「どうって……そりゃあ、さ」
どうしたいのだろう?
もう気にすんなって言いたいんだろうか。それともよくも俺の脚ぶっ壊してくれやがってと恨み言を言ってやりたいんだろうか。
それとも。
「―――そうやってね、言いたいコト言えずにウジウジ我慢してるから憂に逃げられるんだと思うよ、アタシは」
容赦の欠片もねえオンナだ。
ブン殴られたみたいに、鈴木さんの遠慮ナシの直球の言葉が頭に響いた。
横断歩道の青信号がチカチカと点滅している。やがて信号は赤へと変わり、自動車が軽快に動き出した10秒後。
俺は鈴木さんをまっすぐ見ながらこう言った。
「仲直りがしたいんだ」
口を突いて出た言葉に、俺は自分でもびっくりした。
「や、そもそも平沢さんと友達ですらねぇし、もう遅いかもだけど……。でも、仲直りっつか、ちゃんと謝りたい。せっかく気ぃ遣ってくれたのに八つ当たりしてゴメンって。そんでちゃんと話して、あの子に俺のこと嫌いにならないでほしいんだ」
もう2度と会いたくなかった子のはずなのに、気付いたらそんなコトを言っていた。
「ダメか、な?」
鈴木さんのまっすぐな瞳が俺のことを見ていた。
「ダメじゃないか聞いてみたら、……ねえ憂?」
「………え?」
鈴木さんが楽しそうにそう言った瞬間、俺はギョッと体を強張らせて恐る恐る振り向いた。
そこには―――
「平沢、さん……」
「謝るのは私の方です!仲直りしたいのは、私だよ……っ」
そこには、平沢さんが立っていた。泣きそうな顔で立っていた。
「い、いや、俺の方こそ――ってか、平沢さんいつからいたの!?」
「さっきのアンタの話は全部聞かれてるよ。たまたま憂の姿が見えたから、つい……ね?」
ついね、じゃねーよ!?ナニ渦中のド真ん中の人放り込んでんだよ!?
あんな思春期真っ只中の主張聞かれるなんて……恥ずかしずぎるっ。
鈴木さんは意地悪そうにニシシと笑いながら、そう言った。
「あの、私―――」
「ちょっと待ってや!」
口を開きかけた平沢さんの言葉を俺はムリヤリ遮る。
自分の顔面が熱を帯びているのがよくわかる。緊張からか歯の裏側がジンジン痺れてきた。
「さっきは怒鳴ってゴメンとか、事故の怪我のことは気にしなくていいとか、今度会ったら言おうと思ってたコトいっぱいあったけど。そんなことなんかより平沢さんに言いたい大事なコトあるんだ」
俺は照れながらも、勇気を出して言うことにした。
「仲直り、しよう」
妙に素直に言うことができた。
それはおそらく、そこにいるお節介なクラスメイトのおかげなんだろう。
「平沢さん?……泣いてんの?」
「仲直り、したいよ……っ!私も仲直りしたいっ」
平沢さんは俺の右手を、その小さな両掌でぎゅっと掴み、そう言ってくれた。
そして、とうとう彼女は嗚咽を漏らしながら泣き出してしまった。
「お、わっ!オイオイオイ、ナニもそんな泣かんでもいいだろ!?」
平沢さんに手を痛いほど握りしめられながら、あたふた狼狽していた俺はポケットからハンカチを取り出して押し付けるように泣きじゃくっている平沢さんに渡す。
そして、そんなテンパっている俺と平沢さんを見守りながらニヤニヤ笑う鈴木さん。
平沢さんが泣き止んで俺の手を離してくれて、状況に収集がついたのは、信号が10回は切り替わった頃だった。
「ぐすっ……、ごめんね。泣いちゃったりして」
鼻をすすりながら、ハンカチで涙をぬぐう平沢さん。
「それと、私も言いたいコトあるよ。大事なコト。……今までごめんねごめんねって謝ってばっかりだったけど」
一瞬、間を開けて。
「―――ありがとう。あの時、私のコト助けてくれて。仲直りしようって言ってくれてありがとうっ」
目と頬を赤くしながら、彼女はそう言った。
そう言ってくれたんだ。
「よろしく、これから仲良くしてね?」
「おっと、アタシも忘れちゃダメだよ!?」
言いながら、2人はこっちを見ている。
「あっ、そーだ!アンタの名前って―――」
「フユ」
俺はすぐに口を開く。
「冬助。みんなフユって呼んでるよ。2人もそう呼んだってや」
そう言って、俺は自然に素直に子供みたいに笑っていた。
こうして、俺たちは友達になった。
いつでも一緒にいて、笑ったり泣いたり怒ったり。
どうでもいいコトから大事なコトまで思い出と感情を共有して、つるみ続ける。
―――いわゆる、親友というヤツだ。
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勢いとノリだけで書いた、けいおん!の二次小説です。
Arcadia、pixivにも投稿させてもらってます。
よかったらお付き合いください。
首を長くしてご感想等お待ちしております。