土曜日の晴れた昼下がりの午後、俺は台所に立っていた。
「よし、始めるか」
エプロンをつけ、材料を並べる。ホットケーキミックス、ヨーグルト、バター、砂糖、卵、ココアパウダー、そしてチョコレート。普段から料理はやっている方だとは思うが、いざこれから作るものを考えると緊張する。
「まずは……」
チョコレートを湯煎しなくてはいけない。ボウルを出し、チョコを細かく刻んでゆく。ちなみに今回使用するチョコは割りと奮発した方だ。惜しみもなくそれらをざくざくと刻んでいると、突然玄関のドアが開かれた。
「あー、お腹すいた! 良樹、ご飯ある?」
不意にして最も今会いたくない相手、香奈枝だった。すっかり気が動転してしまった俺は必死にその場の弁明を試みる。
「あ、いや、これはだな」
「へ? ご飯の用意してたんじゃないの?」
「料理という点ではそうだけど、別にお前の飯を作ってるわけじゃない。というかお前は今日も部活のはずだろ、どうした?」
そう、土曜のこの時間は香奈枝は部活のはず。だからこそ俺はこの時間を選んだのに、香奈枝はいけしゃあしゃあと答えた。
「いやぁ、なんか顧問が委員会の会議とか言っていなくなっちゃってさぁ。普段からみっちり練習してるし今日ぐらいいいかなーって、あはははは」
馬鹿笑いをする香奈枝。一体何がそんなに面白いんだか、というか部長がそんないい加減でいいのだろうか。
「って、それより何作ってんの?」
まずい。香奈枝の興味が再び台所に注がれている。ここから完全に誤魔化すのは至難の業だと俺は判断し、やんわりと誤魔化すことにした。
「ほら、こんな良い天気なら紅茶とケーキで一服したくなるのが紳士ってもんだろ?」
「良樹が紳士ぃ? ぷっ、あははは!」
笑われたのは癪だが、ふざけて誤魔化すことにより俺の真意を悟られずに済んだ様だ。
「だから今お前の飯を作ってる暇はないんだ、残念だったな……」
「じゃあ私も手伝おっか?」
「な、なに!?」
俺の予想の遥か斜め上を行く展開に、思わず声が裏返る。俺の了承を得ないまま、香奈枝は俺の隣に立つ。台所で手を洗いつつ、香奈枝は俺に言った。
「で、次は何をするの?」
……嗚呼、これは一体どんな羞恥プレイなんだろうか。
「ふむふむ、チョコケーキか」
俺から作るものとレシピを半ば無理やり聞きだした香奈枝は面白そうに頷いている。
「作ったことあるのか?」
「んー、そういやないかも」
香奈枝も俺が知る限りでは割と料理をしているほうだが、どうやら俺と同じくデザート系はあまり経験がないらしい。
「じゃ、早く始めよう!」
「ぶ、部活で疲れてるだろ。程々にな……」
俺の忠告は全く意味をなさなそうだ。
とりあえず気を取り直して調理を再開する。香奈枝はそこまで深く考えるタイプではないのが幸いし、そのあとはただ純粋に俺を手伝ってくれた。
「卵、溶いたよー」
「よし、じゃあこのボウルにぶち込んでくれ」
湯煎したチョコの入ったボウルにバター、卵、ヨーグルト、砂糖が加えられる。それらを掻き混ぜていくことで大体の生地が出来上がる。
「まるでアメリカ」
「はぁ?」
「人種のるつぼー」
香奈枝の突拍子のなさには正直着いていけない。そして訂正させてくれ、これは坩堝ではない。
「あれ、ココアパウダーは今入れないの?」
「それはこいつらを混ぜ終わったあとにホットケーキミックスと一緒に入れるんだ」
「ほうほう、なるほど」
香奈枝は小動物のようにぴょこぴょこと無駄に動く。そこまで広いといえない台所を縦横無尽に動き回る姿は見ていて飽きない。
「おっと、予熱しておかないとな」
方に流して焼く前にある程度暖めておく必要がある。俺はオーブンのつまみを軽い気持ちでひねった。それとほぼ同時に生地の元にホットケーキミックスとココアパウダーをいれ、ざっくりと掻き混ぜる。
「はい、型」
掻き混ぜ終わって手が空いた俺にすかさずケーキ用の方を差し出してくる香奈枝。こういう部分は素直に助かる、昔からの腐れ縁ゆえのコンビネーションだ。貰った型に薄く油を塗り、生地を流し込む。
「よーし、後は焼くだけだねっ」
「おい、そんなはしゃぐと危ないぞっ……!」
俺が振り返った時には既に遅かった。あつっ、という短い悲鳴。香奈枝の指がふとした弾みでオーブンの横に触れてしまっていた。
「大丈夫か!?」
香奈枝に駆け寄って押さえている指を見てみる。幸いそこまで触れていなかったようで、火傷自体も軽いものだった。
「うーん、注意不足。ごめん」
あははは、と申し訳なさそうに笑う香奈枝。火傷が酷くなかったのが一番安心した、これで酷い怪我なんてされたら謝っても謝りきれない。
「まぁ無事で良かった」
俺はミトンを使って手早くオーブンに型に入れた生地を入れる。三十五分のタイマーをセットしたあと、リビングに香奈枝を連れて行った。
「ほい、氷袋」
氷水の入った袋を香奈枝の指に当てる。ぴくん、と香奈枝の指が跳ねたがすぐに落ち着いた。
「ホントにごめん」
香奈枝にしては珍しく表情に陰が差している。手伝ったつもりがかえって邪魔になってしまったとでも思っているのだろうか。
「予測の範囲内だ」
こういうときはふざけるのが一番だ。俺は笑ってそう言った。
「む、予想の範囲内とは聞き捨てならん」
ほら、乗ってきた。
「なんせ香奈枝のドジは昔っからだからなぁ」
「ド、ドジって言うなー。それにそこまでドジじゃない!」
「ほう、そうか。あれはまだ俺らが小学校五年の頃だったか……」
「わーわーわーわー!」
こうしているだけで時間はあっという間に過ぎていった。
「……よし、じゃあ開けるぞ」
俺達はオーブンの前で緊張していた。オーブンをゆっくりと開け、中から膨らんだケーキを取り出す。
「ほい、竹串!」
さっ、と香奈枝が差し出した竹串を手に取り、ケーキに一思いに突き入れる。これで生地がついてなければ成功、ついていれば焼きが足りないということだ。少しの間を置いて、ケーキから竹串を引き抜く。
「「お」」
「「おおお」」
ついて、ない。竹串は入れた時とほぼ同じ姿で戻ってきた。
「出来たの?」
「ああ、完成だ!」
俺らは顔を向かい合わせ、同時に叫んだ。
「「いよっしゃあぁぁ!」」
完成したとなれば後は皿に盛るだけだ。型からゆっくりと引き抜いたケーキをこれまた丁寧に包丁で切り分け、皿に盛る。時間がないので今日の紅茶はティーバックで済ませることにした。
「早く食べてみようよ!」
既にテーブルに座って食べる気満々の香奈枝。俺は苦笑しながらも二人分のケーキと紅茶を運んだ。
「いただきまーす」
一口目を香奈枝がほおばる。その姿を俺はじっと見ていた。
「……どうだ?」
思わず感想を聞いてしまった。ケーキは香奈枝の喉を通り、胃の中へ。紅茶を一口飲んだ後、香奈枝は驚きながら言った。
「これ、すっごく美味しいんだけど!」
香奈枝は目を輝かせながら二口目、三口目とぱくつく。正直これは予想以上の反応だ。俺も意を決して自分のケーキを口に含む。
「……ん」
あれ、旨い。手順もそこまで複雑じゃないし、材料だってチョコに少し奮発しただけでそれ以外は普通の材料のはず。なのになんだってそんじょそこらの店で売ってるケーキより旨いんだ?
「ホントに旨いな」
素直に口から感想が出てしまった。香奈枝はそれを聞いてニヤついている。
「私が手伝ったからじゃない?」
香奈枝はてっきりふざけて言ったんだろう。しかし俺はどうにも気が抜けていたらしく、柄にもなく言ってしまった。
「そうだな、二人で作ったからかな」
「なっ、えっ……良樹?」
「ん、あ、ああ! ま、まぁ香奈枝が手伝ってくれたから手際よく作れたってだけだって! そういうことだって!」
その後少しの間微妙な空気が流れたが、食べ終わる頃にはすっかりいつもどおりの俺たちだった。
「ふぃー、ご馳走様ー」
「おう、お粗末様」
窓から光が差す部屋の一角に香奈枝はふらふらと歩み寄っていく。その場所に到達すると、ころん、と横になってしまった。
「ぽかぽかー」
「猫か」
「ごろにゃーん」
「でかい猫だな」
「ふぃー、眠い……」
よく考えたら香奈枝は部活帰りそのまま俺の料理を手伝ってくれたのか。そう考えると改めて少しだけ申し訳なくなる。
「いいよ、寝ろよ。寒くなったら起こしてやるから」
「おー、よろしく……」
五分もしないうちに香奈枝の方から寝息が聞こえてくる。皿洗いは……止めておこう。
「それにしても」
香奈枝が寝たのを確認して、俺は独り言を呟いた。
「まさか香奈枝の為に作ろうと思ったのが、香奈枝と一緒に作ることになるとはなぁ」
カレンダーを見る。今日は三月十五日、一日遅れのホワイトデー。
「まぁ、なんだかんだで結果オーライ、かな」
もちろん、今日のケーキを作った理由は香奈枝にはずっと秘密だ。
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こんな世界に生まれてたら僕も真人間になったはず。